トンネル工事をする技術者や職人にはあるタブーがあります。食事をするとき、ご飯に味噌汁をかけてはいけないというのです。行儀の話ではありません。逆に味噌汁の中にご飯を入れるのは平気なのですから。茶碗のご飯に味噌汁をかけると、ズブズブと崩れていきます。これが落盤事故に似ているので、縁起が悪いということらしいのです。
 現在も、多くの現場でこうした風習は根強く残っています。地面の下には予想不可能なリスクが眠っているという意識が強いのでしょう。科学技術の世界にタブーなど持ち込むなというのは、ある種の正論ですが、地盤工学や建築技術がいくら進歩しても、「見えないリスクにはある程度目をつぶる」というギャンブル性がつきまとう以上、こうした迷信で心に謙虚さ保つのは悪いことでは無いでしょう。

 長屋で最もたくさん書いたこと

 恥ずかしながらこの長屋にわらじを脱いで、もう少しで一年になります。1番沢山書いた記事は北陸新幹線関係、2番目が関西大阪万博関係となりました。京都盆地や丹波山地で無理な大深度地下トンネルを作ろうとしたが、計画が具体的になるほどあちこちでボロが出て、断念に向かいはじめて北陸新幹線小浜ルート。もともと、建物を作ることなど想定していなかった夢洲で博覧会をするは、カジノは建てるはという無茶がたたって、身動きが出来なくなった関西大阪万国博。どちらに関しても、最初のボタンの掛け違いは「地盤」というものを甘く見たことだったと思います。
 他にも、リニア中央新幹線沿線での水涸れや地盤沈下、鹿児島の北薩トンネルの崩落なども記事にしました。これらの共通点は、「加害者」側ですら因果関係を認めているの状況なのに、問題が発生したメカニズムがほとんど解明されていないということです。そして、またしても同様の事故がおこってしまいました。埼玉の八潮市での道路陥没です。
 このニュースにも奇妙なことがいくつかあります。まず、官民あげて全力で人命救助をしていながら、作業にえらく時間がかかっています。重機のほんの数m下に幾重不明者がいるかもしれないのにです。また、穴のなかでどんな事態が進行しているのか、ほとんどわからないこともおかしな話です。ドローンなども使われていますが、肝心の部分は誰にも見えていません。
 けれども一番不思議なのは、発生直後から「下水道が原因である可能性が高い」と発表されていることです。かなり詳しいストーリーまで出来ています。埼玉県の水道局?関係者の説明では

「地中に埋められた下水道管が破損して、徐々にその穴に土砂が流れ込み、地中に空洞が発生。それにより、その上を通るトラックなどの重みに耐えられず路面が陥没した可能性があります。
 下水道管の標準的な耐用年数が50年とされていますが、該当箇所はまだ42年しか経過していないものでした。今回、破損したのは老朽化のほかに、下水で生じた硫化水素が空気に触れて硫酸となり、コンクリートを腐食させた影響が考えられます。」
 https://news.yahoo.co.jp/articles/a78562eca2eb35f706a9f7c86165dba4d5acbe9f?page=1

 などとなっています。
 メディアがこの説の状況証拠のように提示されたのが、2023年のストリートビューにみられる亀裂と、ここ数年周辺で感じられたという悪臭です。

「風が強い時に下水の臭いがかなり強く漂っていたんです。なんか臭いなぁってのはもう何年も前からずっとあった」(50代女性)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/a78562eca2eb35f706a9f7c86165dba4d5acbe9f?page=2

 土はどこへ行った

 けれども、私にはこの下水管犯人説は、どうも信じられません。
 理由はまず、穴が大きすぎることです。現在の穴の大きさは直径40m深さ15mということですが、穴の形が円錐型(シャンパングラス型)だったとすれば、失われた土の量は

 20 × 20 × π × 15 /3 = 約6000立方m にもなります。

 下水管は敷設されて42年ですから、完成3年目に穴が空いたとしても、最低でも毎年150立方m、一日に400リットル、毎時16リットルほどのペースで土が出てきたことになります。こんな分量の土が流れ込んだら下水管が詰まってしまうのではないでしょうか。
 2021年には管内部を検査したそうですが、こうした問題は発見されていません。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/11449215d653d4f796fd51480f4b3ddb320e61e7


 また、事故発生時の映像を見ても、穴は転落車の重さで空いたものではなく、数秒前に自然に空いたものだとわかります。交通量を考えれば、その数秒前まで何の問題もなく多数の車両が通過していたはずです。
 もし、何年もかけて少しずつ土が下水管に流されたのなら、こうなる以前に小規模な陥没事故が何回か起こっていたはずです。2023年にアスファルトの亀裂を整備する道路補修が行われていることと、今回の事故を関連付ける報道もありますが、この段階で地下に空洞がもしあれば、補修用の重機を乗り入れた瞬間にその重さで、規模はともかくとして陥没が発生していたはずです。
 どうやら、この陥没の直接の原因となった地下の空洞は年単位で少しずつ大きくなったものではなさそうです。

 ウンコの香りの謎

 硫化水素と硫酸の話もやや違和感があります。コンクリートを腐食は、汚水内で発生した硫化水素が空気中の酸素と反応してできた硫酸によるもので、硫化水素自体のものではないはずです(そんな反応聞いたこともないです)。とすれば、下水管内には十分な量の酸素があったはずですから(空気の5分の1は酸素)、管内が硫酸ができる環境(温度など)ならば、原料の硫化水素は大部分が消費され硫酸になってしまうはずです。さらに、下水管から地表までの10mもあるわけですから、下水管にあいた穴から少量の硫化水素がもれたとしても、地表でまで匂うとは思えません。
 もうひとつ、瓦礫の撤去がかなり進んだ2月2日のニュース映像で、下からゴボゴボと大量の水が湧いてきています。もし、これが下水から来たものなら、すさまじい硫化水素臭(上品に言えばウンコの香り)がするはずですが、そんな話は報道されていません。では、この水はどこから来たのでしょう。
 下水以外にあるパイプ類(上水道、用水)は全て地表付近にあり、これらが出所なら水は上から流れ落ちてくるはずなのですが、そんな様子もありません。穴の壁部分の土も乾いている様子です。そもそも、こうした種類の水ならば、バルブなどで簡単に止めてしまえるはずです。
 この水は地下水ではないでしょうか。東京大生産技術研究所の桑野玲子教授(地盤工学)は 「八潮地域は砂地盤で地下水位も高く、......」と述べておられます。
 https://www.sankei.com/article/20250201-HOQAJRY33VPXZFKQD2DQLGJIA4/

 ズブズブの関東ローム層

 砂地盤の話が出ましたので、簡単に説明しておきます。関東平野のほぼ真ん中の八潮市の地盤は基本的に関東ローム層(火山近傍の裸地から風によって舞い上げられた火山性の細粒子が堆積した「風塵(レス)」)です。
 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e2c3bcd7bd3e44bd837e469d5b9169a111a13457

 「風塵」というところがミソで、はかない人生の喩えにされるぐらいですから、軽く飛びやすくボソボソです。しかも、それは普通の地層のように海や湖の底にたまって固まったものではなく、風で飛ばされて来て降り積もっただけのものですから、関東ローム層の土は気合いの入ったボソボソです。そのため水田耕作には向きません。
 ここで冒頭の話になります。普通に装ったご飯に味噌汁をかけると、茶碗の中にズブズブと沈んでいきます。「朝はパン食」という方のために説明し直すと、コーヒーをペーパードリップで淹れるとき、熱湯をかけると中の粉はこれまたズブズブ沈んでいきます。要は、ボソボソした粉状のもの(ご飯、挽いたコーヒー)に液体(味噌汁、熱湯)をかけると、ズブズブと潰れて沈んでしまうということです。
 八潮市の話に戻せば、もし関東ローム層の柔らかい地層に、なんらかの原因で地下水が「突然」流れ込めば、ズブズブと沈んで上に空洞が出来ても不思議はないという話です。この「突然」には人間のやる工事なども含まれます。リニア中央新幹線建設による岐阜瑞浪の地盤沈下などは、これに近い例なのでしょう。よかったら、私の過去記事を読んでみてください。
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/07_1522.html

 はずれてほしい私の仮説

 「八潮での陥没は、地域に地下水が流れ込むことで、関東ローム層主体の柔らかい地層が縮むか、水の流れにのって運び出されるかして消滅し、地下に巨大な空洞ができる(図1の②)。その後、何かのきっかけで空洞が潰れて、地上では陥没がおこった。」というのが私の仮説です。
 もう少し踏み込んで推定すれば、「何かのきっかけ」は2回あったように思います。1回目は、地下10mにある下水管の崩壊です。地下水によって下水管の下の土が少しずつえぐられ、下水管が歪み始めます。このため管と管の継ぎ目が開き下水が漏れ出して、匂いが上がっていきます(図1の③)。硫酸で下水管に穴が空いた場合よりも漏れ出す汚水の量は多くなるはずです。
 歪みに耐えられなくなった下水管は崩壊して下の空洞に落下します(図1の④)。トラックの転落の直前におこり、連絡事故のあとにもう一つの穴が出来ました。
 次に、下水管に支えられていた土砂も地下水の中に落下し、空洞は上に広がり、地表付近にあった雨水幹線(現状でユンボで取り除かれているコンクリート製の箱状の残骸)も崩壊します(図1の⑤)。このため雨水幹線が支えていた真ん中の部分が崩壊落下し、2つの穴が繋がります(図1の⑥)。
 下水管崩落後は、流れてきた下水は穴の中に全てぶちまけられますが、悪臭の話はほとんど報道されていません。これは、おそらく地下水の方が下水よりも圧倒的に多くて、悪臭のもとは薄められ、いっしょに流されてしまうからだと思います。
 あくまで報道される画像や映像からした推理なので、どこまで正しいのかわかりませんが、これまでの事故の経緯とはよくあっていると思います。いずれにせよ数日後、瓦礫の撤去が進み地下の下水管の状態がわかれば、仮説がどの程度当たっていたかが分かるはずです。
 もし、このシナリオが正しければ、残念ながら今後もしばらくは地下水の乱暴狼藉が続くはずで、穴は横方向へも深さ方向へも広がるでしょう。転落された方の救助の妨げになります。ボソボソの関東ローム層が相手ですから、やりたい放題やるでしょう。
 この地下水をなんとか制御しない限り、この場所に新たな下水管を作るのは、かなり難しいのではないでしょうか。そうなると復旧は、最低でも何ヶ月単位の話になります。
 埼玉県の東半分の下水はこの管を通って流れているとの話ですから、とてつもないことになりそうです。被害がこれ以上は拡大しないことを祈るしかありません。

「よき戦争より悪しき平和」という言葉があります。ウクライナ情勢で考えてみましょう。ウクライナ側の「領土を譲っても、これ以上、国民が殺されないようにするため停戦すべきである」という発想です。ロシア側なら「国の評判が泥まみれになる前に、そこそこの戦果で終わろう」という感じでしょうか。
 もちろん、こういう考え方は四方八方から避難が飛んできます。「腰抜け」「敗北主義者」「侵略者プーチン報酬を与えるな」「ファシストに殺された若者の血を無駄にするのか」とか、理論的にでも感情的にでも断罪できます。正義とかイデオロギーとかがお好きな方は、腕のみせどころです。
 けれども、「罪もない子供たちが大量に殺されてるのに、正義を守ってると言えるのか」という再反論の前では、口をつぐむしかありません。評論家の呉智房氏は、以前この状態を「正義と幸福の矛盾」とまとめていました。
 私はイデオロギーとは正義の追求の方法論で、ビジネスとは幸福の追求の方法論ではないかと思っています。だから、昭和日本の学生運動の末路から、20世紀末の社会主義国崩壊ドミノにいたるまで、「左」の失敗は、正義の追求が過剰になり、また形骸化し、幸福を求める多くのひとが、ついて行けなくなったことが引き金になりました。
 同じ流れは今でも続いています。労組の陳腐化、フェミニズムの粗雑化、環境運動の呪術化などがやり玉に挙がっています。わたしたちの長屋の大家さんの至言のひとつ「審問の語法」というのがあります。いかにも左っぽい審問スタイルが、アレルギーと呼びうるほどの反発を受けているのが現代の「先進国」なのでしょう。
 アレルギーをエネルギーに変えてのし上がってきたのが、言わずと知れたトランプさんです。真面目な言い方をすれば、「民主党政権が継承してきた価値観政治の行き過ぎと行き詰まりを突いた」とでもなるのでしょうか。

無茶苦茶でも痛快な平和構築

当選したトランプさん、「就任すればウクライナ戦争は一日で終わらせる」というのは無茶でしたが、ガザ地区のほうはとりあえず押さえ込んでしまいました。ある意味で痛快なのは、何の思想性もない力による停戦というやり口です。論理も倫理も無茶苦茶ですが、それなりの結果は確かに出しています。
 こうしておいてから、腰を据えて仲裁に入る気のようです。その際、争う両者に対してコワモテぶりを誇示します。一方的にイスラエルの肩を持つという憶測が流れましたが、実際にはネタニヤフにも圧力をかけているようで、さっそくワシントンに呼びつけるつもりみたいです。
 のこのこ出てきて大丈夫なのかな、国際刑事裁判所から逮捕状が出ていますが......首脳会談でトランプさんの逆鱗に触れれば、目配せひとつで銃と手錠をもった連中が飛び出して来る知れません。韓国には「元首は牢獄への王道」ということわざがあるという話を聞いたことは......ありません。今、わたしが考えました。
 極論は別としてもイスラエル側が気を遣う展開になるのは間違えありません。なにしろアメリカファーストの人が相手ですから、いつまでも安値で武器なり物資なり技術なり情報なりの提供をとは行きません。援助をやめるのはいつでも只でできます。
 もちろん、ハマス&イラン側にはすでに相当な圧力がかかっています。こちらの方はもっと簡単で、少し強力だが使い勝手の悪い大型兵器を、ちょっとばかりイスラエルに渡せばいいわけです。たとえ虐殺の責任を負わされそうでも、もらった以上、使わないわけには行きますまい。
 つまり両者を渋々交渉の場に引き出し、双方に妥協をさせようという作戦です。この考え方、どこかで見たことありませんか。落としどころとは「両者が同じ程度に不満な状態」というのは、当長屋の大家さんの口癖ではありませんか。
 「両者が同じ程度に不満な状態」......英語で言えばディールです。ディールとは交渉ごとですから、「どちらかを一方的に勝ちとして、負けた方は悪の権化として裁かれる」という風にはしないでしょう。両当事者とも心の底では満足はしませんが、それなりに顔をたてやり停戦に持ち込もうと言う算段です。
 考えてみれば根っからのビジネスマンであるトランプさんは、ビジネスとしては戦争は引き合わないことをよくご存じです。武器輸出で死の商人が潤うとしても、ウクライナやガザのように中短距離ミサイルやらドローンが主役になってしまうと、「戦車はいかがでっか。ICBMあるでぇ。型落ち戦闘機、安うしとくよ」という老舗商売はしにくいでしょう。それに産軍複合体にとって、不動産長者であるトランプ氏は最も扱いにくい政治家と言えます。兵糧攻めの効きがものすごく悪いからです。
 さらに、トランプさんは国外出兵を全くしなかった近年珍しい米大統領とのこと、武力行使は国内、特に首都ワシントンでというのがモットーのようです。こういうのをドメスティックバイオレンスと呼ぶべのではないでしょうか。いや呼ばないでしょう。
 「よき戦争より悪しき平和」というのは、もしかしたら分断社会での特効薬、少なくとも、よい痛み止めにはなるのではなります。何しろ痛みが多すぎますから。

 よく分かってはいけない事件

 さて、フジテレビ問題です。よく分からない事件です......いや、よく分かってはいけない事件なのでしょう。性犯罪というのは、理解が広がること自体が(少なくとも)被害者が傷つけるからでしょう。加害者(仮にそうしておきます)と被害者との間で、守秘義務契約が結ばれたのも当然でしょう。
 けれども、これでは議論のしようがありません。基本的な情報が何もないからです。「誰が(個人名でなくても立場など)被害者なのか」、「どういう経緯(フジテレビとの関係など)で被害にあったのか」、そして「何がおこったのか」、です。
 最大の関心ごとは、最後の「何がおこったのか」です。これが分からない限り事件の全貌が見えることはあり得ません。よって、現状で責任の議論をしても無意味なはずです。
 一方、被害者が一番表に出してほしくないのもおそらくこれでしょう。「あんなことも、こんなことも、されちゃったのね」という話は、ポルノとして消費可能で、多くのマスゴミ関係者には、喉から手が出るほど欲しい情報でしょう。性加害者の責任追及という錦の御旗もあります。
 特に巨額の「解決金」が表に出てくると、この論点はさらにクローズアップされます。もし、被害の具体的な内容が明らかになり、仮に軽微なものであった(厳密には世間が軽微と見なした)場合は、被害者は娼婦扱いされるでしょう。「一夜で9000万円(?)稼いだ女」というわけです。逆に、誰が見ても残酷で凄惨な被害にあっていたとすると、被害者は賎民と扱われかねません。つまり「一夜で9000万円分(?)汚されてしまった女」という訳です。
 奇妙なことに、この点では加害者も同じで、「9000万円相当の臆病者」か「9000万円相当の変質者」という訳です。しかも、こういうイメージはつねに変動します。兵庫県知事のパワハラ事件を見ていても、ちょっとしたことで善玉と悪玉が入れ替わることの恐怖を覚えます。
 だから、フジテレビが徹底的に箝口令をひいて、事件を隠蔽しようとしたのは少なくとも結果的に正しかったと思います。惜しむらくは発覚当時に、N氏には「急病」になってもらって、ただちに他局を含む全番組を降板させて、当分の間、海外ででも静かに暮らしていただくべきでした。そして、外部からの取材には、「噂話では聞くが会社として対応すべき事案では無いし、プライバシー保護のために取材には一切答えない」とでも弁護士に言わせて、強引に幕引きをはかるべきでした。仮に「トランプ社長」だったらそうしていたでしょう。
 事件の本質部分に守秘義務がある以上、記者会見を開くのは無意味でした。「何をやったかは言えないけど、ごめんなさい」じゃ、議論の進めようがありません。たとえ、何か言い分のある関係者がいても、口をつぐむしかありません。だから、被害者の傷を深めるわりに得るものは何も無いのです。
 こんなことを理解するのに10数時間も要したとすれば、現場にいた記者の大部分はアホということになります。そうではなくて他紙・他社との横並び意識のせいで席を立てなかったとすれば、これまた別の意味でアホです。
 会見で一番得をしたのは、当のフジテレビだったのかもしれません。まず、逃げずにギネス級の会見につきあったことで、誠意を見せられました。そうです、われわれ日本人の大好きな「無意味で芝居がかった誠意」です。坊主刈り・指詰め型誠意と言いましょう。
 もうひとつ、取材する側に十分な失態を演じさせたことも大きな成果でしょう。これが下地がとなって、直後に発覚した文春砲の誤報は起死回生のオウンゴールとなりそうです。
 そろそろ世間も飽き始めています。これ以上無理に騒ぐ必要は誰にもないと思います。真相も責任もウヤムヤですが、私個人としては、「良き戦争よりも悪しき平和」であって欲しいと思います。

 お台場のガザ地区での戦禍

 事件の構図をあらためて確認すると、ガザ問題と似ているように思います。加害者のN氏がハマス、被害女性がイスラエル人の人質、フジテレビがパレスチナ人(一部にはハマスの熱心な支持者もいた)、広告主や海外株主がネタニヤフ政権です。
 最初に攻撃したのはハマスで人質は純粋な被害者なのですが、現在のネタニヤフ政権の制裁は、人質救出を建前としながらもパレスチナ人全体に無差別に向かっていて、かつ過剰です。そのため人質はより危険な目にあい、多くのパレスチナ人は理不尽に生命や財産を失っているわけです。
 そっくりじゃないですか。やはり「良き戦争よりも悪しき平和」しかないでしょう。

 メディア企業の社風糾弾は虚しいだけ

 「そんなことになれば、同じような事件がまた繰り返される。事実を明確にしてウミを出し切らなければならない」などと紋切り型で反論されるかも知れませんが、仮に被害者の人権はきっぱり諦めて、事件の全貌を明るみに出したところで、在来メディア企業の体質は変わらないでしょう。
 一方、この件があろうがなかろうが「性上納」みたいなものは時代に合わなくなっているのは確かです。名前を出して大変恐縮ですが、藤井聡太氏や大谷翔平氏がこうした性接待を受けるなんて考えられません。一面識もなく調べているわけでもない私たちには何の根拠もないのですが、そういうイメージで見ています。つい20~30年前に、将棋名人やトップアスリートの一部がどんなことをして、ある意味で世間もそれを当然視していたのとは、時代が様変わりしているのです。
 テレビ局などの旧メディア企業は変化について行けていないので、今回のような事件はおこるのでしょう。けれども、追いつくことを周囲が要求するのはおそらく無意味です。かなり頑張ってみても彼らが追いつくよりは、少しずつ社会的影響力を失いながら消滅していくスピードのほうが、遙かに早そうだからです。

日本全体が抱える社会状況などに由来する問題が集まってきました。

● 西前頭二枚目   日本全体の経済状況の悪化
→ 引用文献不要
 何も言うことはありません。国にもお金はありません。大きなプロジェクトが失敗した場合に最後のババを掴む役割は国家というのがお約束でしたが、この規模のババは処理できるはずありません。ツケが誰にまわるのか、そろそろ関係者の腹の探り合いがはじまるころです。


● 西前頭三枚目   政権与党の弱体化
→ 引用文献なし
 安倍政権時代のように自公が余裕で衆参の過半数を押さえていれば、与党の有力議員のやろうとすることは、たいてい実現できました。個人的な賛否は別として、とりあえず協力する政治家や官僚が山ほどいたからです。ところが、政権が弱体化して押さえが効かなくなると、あっちこっちでレジスタンスやらサポタージュやらブーイングが出てきます。現職与党議員でも個性を出さないと次の選挙が戦えないからでしょう。
 「総工費は最悪の場合5.8兆円」とか「山岳トンネル残土の3割が環境基準以上のヒ素を含む」とかがそのクチです。将来のインフレ率とか地下深部にある岩体の元素含有率とか、本質的に予測不能なリスクに、わざわざ不利な推定を付けて出してくる。官僚による一種の世論誘導なのでしょう。
 昨年末のルート絞り込みをめぐるドタバタ騒ぎも、政権与党のグリップ力弱体化のなせるわざなのでしょう。そして、今年正月早々の最初のハイライトが、来年度本予算の国会通過です。
 厳しい財政状況の中、自公政権は、北陸新幹線延伸について、わずかですが調査予算を増額しました。少子化対策さえ財源を確保しなければ先にすすめません。こんな御時世ですから、地元でさえ賛否が分かれたままの小浜ルートに関する予算は、削るように守勢要求される恐れもあります。もっとも自公にしてみれば格好のガス抜きツールですから、簡単にゆずって減額修正となるでしょう。
 一旦減額の流れが出来ると、財政の状況がよほど良くなるかしない限り、大きな予算がつくことはなく、着工自体を国としては断念することになります。


● 西前頭四枚目   米原ルートなどの有力代案
→ 引用文献なし
 小浜ルートのボロが出始めた昨年後半から、数年前に死んだはずの小浜ルートの再評価が各方面で始まりました。こうなったのは当然のことなのですが、私が疑問に思うのは、なぜもっと早く、メディアがしっかりと『小浜ルートは不可能だ』と声を上げなかったのかとうことです。
 別に専門知識はいりません。高校程度の物理・地学・地理・政治経済......なにか一つでもしっかりと理解していて、かつ常識的な論理能力があれば、小浜ルートはダメそうだという疑問は湧いてくるはずです。「本当に建築可能なのか」を推進側(ここでは与党PT)にぶつける取材をしないのでしょうか。
 米原ルートの他にも、湖西ルートや舞鶴ルートなどを提唱する声が上がってきています。福井県知事が言い出した小浜部分開業というのも、一種の代案でしょう。あるいは最有力の代替案はサンダーバードの北陸乗り入れ復活で、金沢・敦賀間でさえ不要な延伸だったのかも知れません。
 こうなってくると、敢えて小浜ルート指示するには、具体的なメリットについての説明責任が出てきています。これは多分、不可能なことであると思います。

さてここからは、西方(社会的リスク)の番付です。これらの方は、私の専門から遠いせいもあって話がシンプルです。基本的におかねの話が多いですからね。もう一度、番付を見てみましょう。

西 (社会的問題)
横綱     沿線自治体の財源問題
大関     費用対効果(B/C)
関脇     JR西日本の収支見込み
小結     並行在来線に関する滋賀県の同意
前頭筆頭   沿線および日本全体の人口減少・高齢化
同二枚目   日本全体の経済状況の悪化
同三枚目   政権与党の弱体化
同四枚目   米原ルートなどの有力代案

l 西横綱     沿線自治体の財源問題
→ 引用文献不要
 福井県お金ありません。大阪府お金ありません。京都府お金もっとありません。基礎的自治体、京都市以外の市町村はもともと負担があるなんて夢にも思ってません。

l 西大関     費用対効果(B/C)
→ 北陸新幹線の大阪延伸は不可能である。
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/03/24_0827.html
 話が長引けば長引くほど関西大阪万博炎上の影響が現れ、「経済効果」という言葉自体、クチにできる雰囲気ではなくなりそうです。ある小浜ルート推進派の方が「東海道新幹線が災害で何年も寸断されることになったら日本経済はおだぶつだ」などと近頃絶叫しているレジストリ論には、上の記事で予め反論しておきました。もしかしたら、小浜ルート建設の泥沼に落ちるより、「おだぶつ」の方が日本にとってはまだマシかもしれません。この夏頃に出た朝日新聞の社説でも同様の見解があったようです。
 念のために言っておきますが、自分の先見の明を自慢しているわけではありません。あまりにも当然の話なので誰も活字にしてこなかった事ですから。私の先見の明があるとすれば、恥ずかし気もなくこんな議論にしがみつくお方が出てきそうだと予感していたことでしょう。自慢する気にはとてもなれませんが。

● 西関脇     JR西日本の収支見込み
→ 引用文献不要
 今、維新の政治家を不機嫌にしようと思えば、しつこく「万博の赤字どうするの」と聞くのが手っ取り早いでしょう。けれども、JR西の幹部に「新大阪延伸の赤字どうするのか」と質問しても怒るとは思えません。安心しているようです。小浜ルートの最大のメリットは完成する可能性がほぼないことです。

l 西小結     並行在来線に関する滋賀県の同意
→ 北陸新幹線の大阪延伸はもう「詰んで」いる 【北陸新幹線 その2】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/03/24_0827.html
 整備新幹線に関する誤解のひとつに、着工五条件には「沿線自治体の合意」があると言われていますが、そんなものはありません。だいたい、地元が(ということは実質的にはそこの沿線自治体)から要望が出たときに、国が着工へのGOサインを出すための最低条件が着工五条件という目安なのです。沿線自治体がイヤやと言うのなら五条件の議論にさえ乗らないはずです。
 よく間違えやすいのは、五条件の最後の「並行在来線の経営分離についての沿線自治体の同意」というやつです。これを「沿線自治体の同意」と略する場合があるので、混乱がおこります。
 混乱の方はとりあえず放っておくことにして、今回の新大阪延伸で「並行在来線の経営分離」の対象になるのは、北陸本線および湖西線です。少なくとも他の路線は議論になっていません。この2路線は主に、小浜ルートが全く通らない滋賀県を走る路線で、どちらかと言うと県内では過疎地と言える湖西・湖北地方の大動脈という位置づけです。もうひとつ付け加えると、湖西線というのは旧国鉄時代の最後を飾るような豪華仕様在来線です。新幹線のように高架を走り、全線ひとつの踏切もありません。また、敦賀から京都まで直線的なコースで最高時速130kmのサンダーバードが走り抜けます。
 もうひとつ面白い存在が姫路・敦賀間に昼間は一時間に一本走る新快速です。兵庫・大阪・京都・滋賀・福井と5府県を3時間少しで結んでいます。でも、あくまで快速電車ですから貧乏学生の味方です。大阪・敦賀間は2時間強、サンダーバードと比べて45分ぐらいの違いで、2000円以上する特急料金は不要です。要は在来線最強の特急(25往復)とコスパ最強の新快速(7往復)と遙か北海道まで行く貨物列車(一日数本)が走る路線です。首都圏で言えば埼京線にイメージが似ています。
 北陸新幹線が小浜ルートになればサンダーバードの走る湖西線が、米原ルートになればはくたかの走る北陸本線が並行在来線ということになり、特急列車が走らなくなりおそらく赤字路線となるので、これを負担するわけには行かない。よって、「新幹線着工前に滋賀県が三セクという形ででも引き受けてね」とJR西としては言いたいわけです(公式には言っていませんが)。
 ところが、小浜ルートの場合、延伸自体もともと滋賀県には何のメリットも無い話ですから、三日月知事は「県内には並行在来線は存在しない」とはじめから相手にしません。上の記事でも書きましたが、知事が小浜ルートを指示しているのは、米原ルートだとこの主張が難くなるからのようにも思えます。
 「滋賀県がどうしても拒否するなら、湖西線など廃止してしまえ」という勇ましい意見も鉄ちゃん系の人からは出ていますが、これは不可能です。公共交通機関の廃止は国土交通省の許可がいるからです。だから、滋賀県が三セクはイヤやと言えば、JR西とすれば、鬼の辛抱で赤字湖西線を抱えるか、北陸新幹線の新大阪延伸自体を断るかの選択になり、おそらく鬼の辛抱は拒否するでしょう。で、全てが終わる訳です。
 けれども、最近、JR西にとってさらに悪いシナリオが出てきたように思えます。桂川ルートにせよ、南北ルートにせよ、完成したとしてもかなり使い勝手の悪い仕上がりになりそうです。また、2024年の北陸新幹線の敦賀延伸にともなって三セク化されたはハピラインフクイが、この新快速との接続の良さを武器に増便を始めたという話もあります。
 だからもし、3セクの話が出たら拒否するどころか、喜んで引き受けてハピラインふくいとコラボして、京都・福井間の新快速を走らせる可能性があります。ダイヤを少し工夫すれば、少なくともサンダーバード並の速度で走ることは可能です。あるいは、少しだけ特急料金(ワンコインぐらい)をいただいて特急列車にしてもいいでしょう、名前は三セクバードにしましょう。引き受けるときの条件交渉で、大阪まで東海道線に乗り入れる権利をとれたり、北の金沢まで延伸したりしたら、相当数の乗客が新幹線から流れるでしょう。
 もうひとつ、この路線には秘密兵器があります。山科駅です。あまり知られていない話ですから、山科駅にはJRの他、京阪電車と京都市地下鉄が乗り入れていて、京都の洛東エリア(清水寺・平安神宮)に行くには、オーバーツーリズムの聖地である京都駅よりも便利です。もしかしたら、3セクではなく京阪電車が手を上げるかも知れません。
 もし、延伸が桂川ルートになったりしたら、こうした悪夢のシナリオがさらに現実味を帯びてきます。JR西が南北ルートや(今は亡き)東西ルートに固執していたのは、こうした背景があるのかも知れません。


● 西前頭筆頭   沿線および日本全体の人口減少・高齢化
→ 小浜の立場で考えてみる【北陸新幹線 その13】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/11/17_0943.html
→ 小浜市(オバマシ 福井県)の人口と世帯
 石川県の県議が小浜ルートについて「3万人の町でしょ、できるわけではない。」などとぶち上げました。失礼極まりない発言ですが、それでもなお現実はもっと残酷です。
 延伸工事の着工は早くて2026年、新大阪駅の工期が25年、どんなに早くても完成は2050年以降です。そのころの小浜の人口は2万人と少しです。一日に停車する金沢行きつるぎの総座席数と良い勝負です。延伸の地元負担分で、たっぷり市債を発行してしまって、償還は大丈夫なんでしょうか。まるで、50代のおっさんが、前払い30年ローンでスポーツカーを買うようなものです。
 他の沿線自治体や国も似たような状況です。もし今の財務状況のまま着工が決まったら、支払いに不安があり施工後値切られかねないこんな現場を、引き受ける工務店があるのでしょうか。関西大阪万博でパビリオン建設の受注が大変だったのと似た状況になるでしょう。

丹波山地の環境問題を原因まで遡って、少しだけ解説しましょう。

¡ 東前頭二枚目   京都丹波山地での環境問題
→ 見えない刺客は火成岩【北陸新幹線 その10】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/12_0738.html
→ 悪魔の温泉へようこそ【北陸新幹線 その11】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/28_0742.html
 数分に1回、轟音をたててやってくる残土満載の大型ダンプ。騒音・振動・粉塵・交通事故。鮎で名高い清流由良川の枯渇化。多彩な環境破壊。力士で言えば技のデパートですが、なんと言っても一番の決め手はヒ素です。
 工業地帯でもないのになぜヒ素なんかがあるのか、上のふたつの記事でも触れましたが、出所はマグマです。少し解説しましょう。活火山のない近畿地方でも、かつては地下からのマグマの上昇があり、いまでもマグマのなれの果てとして、各地で温泉が出ています。
 マグマが冷え固まりながら上昇すると、中に溶けている元素のうち、あるものは気体になって大気に出ていき(水素など)、またあるものは岩石が出来るときに中に取り込まれ(鉄、マグネシウムなど)、どんどんマグマから出ていきます。けれども、ヒ素などの大型元素の多くは、行き場がなく残りのマグマと同行します。
 マグマは出がらしになるほど色が薄くなります。東日本と比べて西日本の火山は地下深くからマグマが上がってくるので、途中で黒っぽい色のもとになる鉄やマグネシウムが抜けてしまいます。そのため、西日本では花崗岩(みかげ石)という白っぽい岩盤がよく見られます。
 残ったマグマには、嫌われ者のヒ素やウラン、ラジウムなどが濃縮されることになります。だから、御影石の岩盤とその周辺にはこれらが残り、岩石の中の透き間や断層などに入り込みそこで固まります。だから、ヒ素の濃度はひとつの岩盤の中のでもばらつきが多くなります。
 丹波山地の場合、もとは太平洋の底に貯まった泥などの塊ですが、そこにマグマが侵入して固まる間に、あちこちにヒ素の塊ができてしまった訳です。除去というするものにとっては悪夢です。40kmのトンネルのどの部分にどれだけヒ素が入っているのか、皆目わからないわけです。
 現実的には花崗岩や安山岩などのマグマ起源の岩石とその周辺を掘って出てきた残土をハイリスクと見なして別扱いで処理(させてくれる場所があるとして)するぐらいしか対策はないのですが、どこに花崗岩があるのかさえ明確には、掘ってみるまでわかりません。
 結局、「トンネルを掘りながら最先端から先のボーリング調査のようなことをして、これから先に花崗岩などがあるのかないのかを調べて、それによって残土の捨て方を変える」という、面倒極まりない工事になります。一般処理された残土の中から高濃度のヒ素が見つかれば、その度に何ヶ月も工事は停まるでしょう。
 もっと厄介なのは地下水です。岩石中のヒ素は固めてしまえば比較的安全ですが、地下水に溶けているとなると話が全然違います。京北町側のあかり地点から見ると、敦賀に向かうトンネルは途中まで少しは上り坂になっているので、中に湧き出した水はトンネルの入り口から流れ出てきます。量によっては由良川に流すしかなくなります。ものがヒ素ですから、鮎をはじめ地場食品の商品価値を大きく損ないかねません。
 基本的に工事期間中だけの(と言っても20年以上かかりそうですが)残土やそれを運ぶトラックと違い、湧き出す地下水とは未来永劫に付き合わなければなりません。京都府北部の住民が、死に物狂いで小浜ルートに反対するのは、当然の話なのです。

¡ 東前頭三枚目   新大阪駅の施工
→ 迷宮駅に消えた最初の目的 【北陸新幹線 その3】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/03/29_0826.html
 大阪人でもあまり意識しませんが、新大阪駅というのは淀川と神崎川に挟まれた中州のような場所で、どちらの川からも約1kmの距離です。当然、小浜ルート名物の水問題はありそうです。詳細はボーリンク調査でしか分かりませんが、地下深くに駅を作るほどリスクが増すことは確かです。
 鉄道建設・運輸施設整備支援機構さんの発表では、北陸新幹線は東海道新幹線とほぼ平行に東側から来て、ホームの位置は現在の南口のロータリーのあたりで、長さは400m、深さは地表から20mほどまでとのことです。
https://www.jrtt.go.jp/project/turuhannrennrakukaigi09.pdf
 ということは、南東からやってくるリニア中央新幹線を完全にブロックしてしまうことになります。ですからリニアのホームは、北陸新幹線のさらに南側に平行に並べるか、下を潜るしかありません。北陸新幹線よりもはるかに需要が大きいリニアの駅が、東海道新幹線・在来JR線・地下鉄御堂筋線などからは遠く、ついでに言えば淀川には近づきます。はっきり言えば、本来リニアが来たいところを先に押さえる訳です。こんな話を関係者一同、納得しているのでしょうか。
 けれども、リニアに場所を譲って大深度のまま新大阪駅に乗り入れると、今度は乗り換えがさらに時間がかかり、歩く距離も伸び、面倒くさくいし迷いやすくなります。つまり、「できるだけ避けたい乗り換え駅」になってしまいます。
 乗り換え時間が20分を超えるようだと、大阪から敦賀に行く場合など、新大阪で北陸新幹線に乗り換えるよりも、湖西線新快速に乗った方が早いという笑えない話になります。また、福井や金沢に行く場合は、京都駅(または桂川駅)での乗り換えが最速になりそうです。なんのために「はくたか」が新大阪に乗り入れるのかわからなくなります。
 なんのために作るのか分からない駅のために、わが国の地下鉄道史上に残る難工事に立ち向かわれる現場の皆様方に心からご同情申し上げます。


¡ 東前頭四枚目 敦賀・小浜間の山岳トンネルの施工
→ 竹槍戦隊大本営【北陸新幹線 その12】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/28_0746.html
 何が根拠か知りませんが、この区間の工事は楽勝だとみんな思っているようですが、この地域での過去のトンネル工事(舞鶴若狭道)の例で考えると、工期におそらく15年以上かかることは避けられそうもありません。京丹波地区(私の言う第Ⅲ区)と地質の似たこの第Ⅳ区で工法の試行錯誤を進めて、同時に第Ⅲ区での地質調査をすすめる......どうしても小浜ルートというのなら、これが一番まともな取り組み方でしょう。
 その意味で小浜先行開業論もありと思うのですが、小浜までで終わりなき先行開業となって、いつまでたっても新大阪延伸ができないと、路線維持にとてつもない赤字がかかりそうです。

少し長くなったので、回を分けました。

¡ 東大関     京都丹波山地での山岳トンネルの施工
→ 山地を嫌う高速鉄道【北陸新幹線 その7】
(同じページに続けて) 一長十短四苦八苦【北陸新幹線 その8】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/10_0927.html
→ 見えない刺客は火成岩【北陸新幹線 その10】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/12_0738.html
→ 悪魔の温泉へようこそ【北陸新幹線 その11】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/28_0742.html
→ 竹槍戦隊大本営【北陸新幹線 その12】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/28_0746.html
→ シームレス地質図
 https://gbank.gsj.jp/seamless/v2/viewer/?center=35.3101%2C135.7134&z=11&target=cursor
 内容云々よりも、京都府北部の山岳地帯は大雑把なデータ(灰色(混成岩)、オレンジ(チャート)だけからなる)しか得られていないことが心配です。


 もし完成すれば、小浜駅から由良川付近の明かり区間までのトンネルの長さは、40kmとなり、青函トンネルに継いで日本で2番目の長さになります。まともな地質図さえない状態で、こんな大工事に着工すれば、堅い岩盤、軟弱地盤、高熱の温泉水、大量の地下水などが次々に襲いかかってきて、工事が泥沼のインパール作戦化するのは目に見えています(タンバール作戦)。もちろん 費用はプライスレス、工期はエンドレスとなるでしょう。

¡ 東関脇     京都盆地内の井戸枯れ・水質悪化
→ 古都の市街戦で不戦敗【北陸新幹線 その5】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/12_2141.html
 今は亡き東山ルートの話が出てきます。2024年夏に、南北・桂川・東西(2024年12月没)の3ルートが公表されるまでは最有力だったのですが、どうやらボ没になりました。理由はわかりません。それで慌てたのか、十分な現場調査もしないまま出てきたのが上の3ルートという構図です。こういう手法を日本語でヤケクソと言います。
 この記事を書いていた頃は、「いくらなんでも本気で京都盆地の地下に大深度トンネルを作ろうとは言い出さないだろう」と、プロジェクトチームとやらの無謀さを甘くみていました。でも、期待は裏切られ、慌てて追加で水質の問題をまとめたのが以下です。
→ よくある議論に反論する(前半)- まずは落ち武者狩り   【北陸新幹線 その17】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/01/12_0901.html
 やり玉に挙げた八幡先生の「日本酒不要論?」もヤケクソと言えばヤケクソです。
 もうひとつ、今気がついたことですが、西田昌司参議院議員は「(水量や水質など)ほとんど環境には影響がない、というのが専門家の科学的知見に基づく意見。」などと豪語しておられますが、だったらなんで東西ルートを脱落させたのでしょうか。豪語や暴言は内容がないことを本人が一番よく分かっている、ということの好例のように思われます。

¡ 東小結     地下トンネルでの徐行や乗り換えによるタイムロス
→ 迷宮駅に消えた最初の目的 【北陸新幹線 その3】
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/03/29_0826.html
 新大阪・京都間の乗車時間の話ですが、この時点のでの見積もり(はくたか19分、つるぎ21分)は、松井山手から直線的に京都駅に向かうという、原始的南北ルートとでも言うべきものでの話です。それでも、東海道新幹線(のぞみ・ひかり・こだま)とは勝負にならず、在来線の新快速(23分)に迫られています。
 もし、昨夏発表の曲がり角の多い南北ルートはこれより確実に1~2分遅くかかり、ほぼ新快速に並ばれます。こうなるとよほど特殊な状況以外は、関西方面から北陸方面に向かうなら、新大阪駅からではなく京都駅から北陸新幹線に乗ることになります。
 また、京都・小浜間も同様に以前の計算より最低でも1~2分遅くなりそうですから、新大阪・敦賀間なら現行のサンダーバードとの差は20分もなさそうです。新大阪以西の駅、大阪・尼崎・三宮方面から敦賀に向かう場合、新大阪での乗り換えが発生する分、現行のサンダーバードと同じぐらいになってしまいます。
 一方、桂川ルートの場合、新大阪・京都(桂川)間は最初の予想(はくたか19分、つるぎ21分)と同じぐらいでしょうが、困ったことに桂川駅は新大阪駅に近い分、新快速の方も1~2分早くなってしまいそうです。大阪・尼崎・三宮方面から北陸新幹線に乗る場合、やはり新大阪ではなく桂川で乗り換えることになりそうです。
 JR西日本にとっては、もっと悪いことがあります。桂川駅の西側約600mの地点には阪急電車の洛西口駅があります。関西の方ならご存じでしょうが、阪急電車は京阪神の住宅地をJR線と平行に走っているような私鉄で、料金もJRよりやや安いため、通勤定期保持者を中心に、沿線の乗り換え需要をごっそり取られる可能性があるということです。悪いこと?に、阪急電車は、嵐山をはじめ祇園四条などの観光地や四条烏丸・四条河原町などの京都のビジネス街にも直通ですから、JR西日本にしてみれば、膨大な投資をしてライバル私鉄に乗客を斡旋しているみたいなものです。北陸新幹線だけではなく、新快速との接続ができるとなると阪急電車は大喜びです。
 JR西日本が桂川ルートを忌み嫌っているのはこんな背景があるからかも知れません。


¡ 東前頭筆頭   新大阪・松井山手間のシールドトンネルと車両基地の施工
→ 巨椋池の位置 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&fr=wsr_is&p=%E5%B7%A8%E6%A4%8B%E6%B1%A0%20%E5%9C%B0%E5%9B%B3%20%E9%87%8D%E3%81%AD%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B#d9161dd3b55d2e46823f347b7734d614

 これまでの記事では触れていませんが、水問題は京都・小浜間(私の言う第Ⅱ区)のみでなく、新大阪・京都間(第Ⅰ区)でも発生します。桂川ルートにしろ南北ルートにしろ、淀川水系の大河の下を、最低3回シールドトンネルで潜ります。なんでこんなことになるかと言えば、無理矢理に松井山手駅を通ろうとしながら、大阪駅ではなく新大阪駅に乗り入れているからです。
 大阪でJR東西線が淀川の下を潜っている例があるぐらいですから、技術的にはなんとかなる話でしょう。ただ、工費の増加は避けられず、好んで線路を通したい場所ではありません。
 けれども、さらにタチの悪い難所があります。巨椋池干拓地です。古典文学がお好きな方ならばご存じでしょうが、万葉集やら源氏物語にも登場する巨椋池の跡地です。干拓に着手したのは太閤秀吉さん。完成して池が完全に姿を消したのは1941年。まだ、100年も経っていません。埋め立てではなく干拓ですから、土地の高度はあまり上がっておらず、1953年の台風時には、宇治川の堤防が結果して忽然と池の姿が復活したりしました。
 干拓地の大部分は現在も田んぼです。田んぼとは何か、水深の浅い池です。大阪北部の交通の要衝で第二名神高速や京滋バイパスのインターチェンジも近くあります。住宅団地や工場などが出来そうなものですが、南東の一部を除いて田んぼしかありません。地盤が悪すぎるのでしょう。こんなところにシールドトンネルを掘るのは京都市街地より無茶かもしれません。

 ところが、JR西日本はこんな場所に、北陸新幹線の車両基地を作ろうというのです。まさか大深度地下基地というわけはないと思います(だったら私、小浜ルート賛成派に回ります。面白すぎますから)。けれども、地上に作るとしても場所が場所ですから、2019年に長野でおこったような水没事故のリスクは常につきまといます。
 そして用地買収。地権者が何人いるか知れませんが、難航は必至です。国も京都府もあまりガンガン行きたい工事ではないのですから、環境面の話などが拗れたらいくらでも交渉は長引きそうです。
 この問題は車両基地の詳細などが発表になっていないので、不確定要素が大きいのですが、今後は前頭筆頭から三役(単独で小浜ルートを潰せる規模の大問題)昇進が狙えると思われます。

 北陸新幹線の新大阪延伸に関する私の記事も19本目です。昨年末時点で状況は一段落して、小浜ルートはほぼ無くなったと言えるでしょう。今後は米原ルートがどこまで頑張るか、リニアとの関係、サンダーバードの石川方面への乗り入れの復活、小浜市への補償などといった方面に話題が移っていきそうです。ステージが代わったと言えます。
 そこで、「なんで小浜ルートはダメなのか」という観点から、これまでの自分の記事を整理としみることにしました。途中から読んでくださる方や、特定の論点だけ(たとえば人口減少時代の公共事業、大深度地下トンネルの技術的課題など)に必要やら関心やらのある方にも便利な記事だと思います。
 ただ、それだけだと退屈な索引記事になりそうなので、北陸新幹線沿線に関するリスクを分類して番付を作ってみました。三役(小結・関脇・大関)以上は、単独でも致命的といえるリスクだと思ってください。
 これまでのに扱ったものはリンクを辿っていただくとして、これまで書かなかったこと、書き足したいことをコメントとして入れました。もちろん、コメントだけでも楽しんでもらえるように、頑張って書きますね。

 まずは、番付。土俵入りです。

○ 東 (技術的問題)
横綱     京都盆地内での大深度地下トンネルの施工
張出横綱   トンネル全体の掘り出し残土
大関     京都丹波山地での山岳トンネルの施工
関脇     京都盆地内の井戸枯れ・水質悪化
小結     地下トンネルでの徐行や乗り換えによるタイムロス
前頭筆頭   新大阪・松井山手間のシールドトンネルと車両基地の施工
同二枚目   京都丹波山地での環境問題
同三枚目   新大阪駅の施工
同四枚目 敦賀・小浜間の山岳トンネルの施工


● 西 (社会的問題)
横綱     沿線自治体の財源問題
大関     費用対効果(B/C)
関脇     JR西日本の収支見込み
小結     並行在来線に関する滋賀県の同意
前頭筆頭   沿線および日本全体の人口減少・高齢化
同二枚目   日本全体の経済状況の悪化
同三枚目   政権与党の弱体化
同四枚目   米原ルートなどの有力代案


ではでは取り組み開始です。解説の都合上、深刻な大問題(番付上位)からはじめます。

¡ 東正横綱 京都盆地内での大深度地下シールドトンネルの施工

 京都の水問題と言えば、水質悪化や枯渇による伝統産業などへの悪影響がよく指摘されますが、それ以前に地下水をたっぷり含む軟弱地盤の中に、重力と浮力のバランスがとれて安定したシールドトンネルを本当に作れるのかか心配です。また、沿線での地表の地盤沈下もありえます。あまり指摘されることのなマイナーな問題のようですが、これだけはいくらお金をかけても解決不能なので、別格のリスクのように思います。よって異例の抜擢で東の正横綱に推挙いたします。
→ 大深度でのすれ違い【北陸新幹線 その4】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/07_1522.html
 トンネル内への漏水対策の難しさを指摘しています。
→ 本当は恐ろしい浮力の話
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/08/29_0556.html
 一連の新幹線関係の記事の中で一番オリジナリティのある回だと思います。岐阜のリニアや鹿児島の道路トンネルの工事で実際におこった例をあげて、地下水が発生させる浮力に抵抗できる構造物を作る難しさを解説しました。
→ 古都の市街戦で不戦敗【北陸新幹線 その5】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/12_2141.html
 今は亡き東山ルートのことが出てきます。断念されたのがこの時期ということは、現行の3ルート(桂川・東西・南北)をまとめる時間は3ヶ月しかなかったことになります。「面倒だえいヤ」っと線をひいたようなルート案を、取材して議論しているメディア関係者などは良い面の皮です。


京都盆地の地下の水盆について概略がわかる記事です。
→ 5.京都盆地の地下に潜む水盆・巨大スリバチダムを妄想する。
https://note.com/jusojin/n/n8968c621f58b


¡ 東張出横綱   トンネル全体の掘り出し残土
→ 残土は続くよどこまでも【北陸新幹線 その9】
 http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/07/12_0736.html
 仮に山岳トンネルなどの技術的問題が解決できても、掘り出された残土の処分や運搬は解決不能であるとの計算です。記事中では山岳トンネルの残土が800万立方mも出そうだと予想したが、京都新聞は1000万立方mと見積もっています。重量に換算すると最低でも2000万t。処理費用を1tあたり1万円としても、2000億円。これには処分場までの輸送や、ヒ素汚染の対策の費用は含まれていません。仮に予算が捻出できたとしても、そもそも受け入れてくれる自治体があるのでしょうか。

 残土に関しては、京都府議(共産党)の島田けい子さんのホームページの資料が充実しています。ここでも残土の総量は880万立法m、誰が計算しても似たような値が出ます。
→ 敦賀―新大阪 京都で環境アセス難航 残土など課題も山積[日刊県民福井 2021年2月18日]
https://shimadakeiko.net/banshinkansen_underkyoto/kenminfukui20210218_kyotominpo20201101/
 

知的で誠実な論者がマジメに論考しても、大前提が間違っているとおかしな結論が出ることがあります。

 財源論の抜けた理想の鉄道

 次は、鉄道ジャーナリストの北村幸太郎氏[1]。北陸新幹線に関して専門的な記事を大量に書いておられます。常連執筆者の中では、もっとも読み応えがあると思います。さらに言えば、小浜ルートに対してはかなり懐疑的なお考えのようです。
 けれども、財政に関しては、とんでもない思い違いをしておられるようです[2]。しかも西田議員をはじめ、小浜派が財政論をするときには同じような議論をしますので、若干申し訳ないのですが、批判させていただきます。
 一言で言えば、この記事で著者は、わが国の財政の深刻さを理解しないまま、理想の鉄道のありかたを論じておられるわけです。

 この記事の結論は、「小浜推進」ではないのですが、「日本の財政は財務省自身が安心小浜ルート論者がよく口にする(無茶な)財源論の典型なので、議論しておきます。

『国が抱える負債はすべて国民や民間の資産になる。国家全体のバランスシート上では、これらは均衡するものだ。それでも「そんなに借金が増えて大丈夫なのか」と心配する人は、「外国格付け会社宛意見書要旨」と検索して、財務省の同名のページを見てほしい。そこには「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と書かれているので、安心してほしい。』[2]
 外国格付け会社宛意見書要旨ですかぁ......膨大な財務省のホームページの中から、よりにもよって凄いものを見つけてきましたね。そもそも外国格付け会社とは何か。「ムーディーズ」とか「フィッチ」とか聞いたことのある方もおられるかも知れませんが、要は「株」や「債権」などが、どの程度安全かを審査する会社です。ただし、たとえば格付けに問題があって、太鼓判を押した債権が紙切れになっても、なんの責任も負いません。ある意味で競馬の予想屋みたいなものです。
 なぜ、わが財務省ともあろうものが、そんなイヤヤコシイ会社に意見書を出さなければならないかと言えば、日本国債に良い格付けをもらうためです。なぜ良い格付けが必要かと言えば、格付けが一定以下になると、世界中の公的機関や銀行などの投資家の所有が、難くなるからです。
 そうなると、とんでもない金利を付けなければ誰も国債を買わなくなり、一気に財政破綻に追い込まれかねません。天下の国民国家が、ただの民間会社に報告書を出して審査してもらうというのも変な話ですが、資本主義とはそういうものらしいのです。
 だから、わが財務省が「大丈夫」という報告書を出すのは、「KO負け寸前のボクサーがレフェリーに向かって必死にファイティングポーズをとっている」ようなもので、そんなものを根拠に安心なんて出来る訳がありません。もちろん『財務省が、実はひそかに財政破綻を否定しているのだ。』なんて、デマもいいところです。

『要するに、生産供給能力の限界内であれば貨幣を刷って供給しても問題ないということだ。れいわ新選組によれば、年に100兆円単位で国債を発行してもインフレ率は約2%になるという。』
 生産供給能力いっぱいまで貨幣を刷るような国の通貨を、いったい誰が欲しがるのでしょう。極端な円安になって、輸入物価が高騰。『インフレ率が2%』で済むはずがないじゃないですか。ただし賃金はほとんど上がりません。国も企業も自治体もそれどころじゃなくなるからです。一方、割安になった株や不動産は海外の富裕層が、洗いざらい持って行くでしょう。万一、本当にこんなことになったら日本の植民地化、国民の奴隷化です。

 誠実ですが無理で無責任な提案

 最後に、全く悪意はないのでしょうが、12月26日の定例記者会見での杉本福井県知事の発言もひどいものでした。長大トンネルで発生する残土(京都新聞の見積もりで2000万立方メートル)のうち、40万立方メートルを福井県が受け入れ可能というのです[3]。
 受益者負担の原則で考えれば、全部は無理でも残土の半分ぐらいは福井県が持つべきということになります。嫌なら嫌でも良いのですが残土の処分先が決まらない限りトンネル工事は始まりません。わざわざ、40万などという小さな数字を発表するのは、京都府民に喧嘩を売っているようなものです。さらに言えば、処理の難しいヒ素入り残土の処理はどうするのでしょう。
 この記事を書いている間にも知事から『京都府内のルートは十分議論していけばいいが、小浜までは誰も反対する人がいない』[4]との発言がありました。これは問題先送りの「食い逃げ論」です。
 論点を整理します。発言の意図が小浜ルートの既成事実化なら、京都府民や米原ルート派などは猛反対でしょう。富山の知事が好意的なコメントをしたのは、この解釈によるものです。逆に、「北陸新幹線の事実上の終点を小浜にする」という意図ならば、盲腸新幹線を作ることになり建設費の回収など不可能です。JR西日本は悲鳴を上げるでしょう。小浜から先の延伸をするかしないかを、あえてぼやかすことで、あらゆる反対論をかわしてしまおうというのが現状です。趣旨を隠しているから『誰も反対する人がいない』のです。
 「費用は全額、福井県と小浜市が負担する」というので無い限り、現行の小浜・京都ルートの全線着工以上に、この部分着工の可能性はありません。小浜ルートと米原ルートが共倒れするような提案ですから、石川県以北の沿線自治体も、表だって反対はし難いものの、迷惑であることは間違いありません。
 部分開業では、東海道新幹線のリタンダンシーにもなりませんから、国策とも呼びにくくなり国が負担割合を増やす理由もなくなります。それに対してなのかどうかは知りませんが、杉本知事は『原子力立地地域なので、避難路としても非常に効果がある』[5]なんて、おっしゃり始めました。
 原発事故を想定しておられるのかも知れませんが、原発事故時に東小浜駅付近まで徒歩で避難してこれる住人は、せいぜい数百人単位でしょう。「つるぎ」一編成分です。自家用車などで小浜まで来れるなら、新幹線などあてにせず、そのまま逃げたら良いわけです。
 そもそも、原発事故時に北陸新幹線が動いているのかも不明です。たとえ線路や送電が無事でも、何かの原因でどこかで一編成でも停まってしまったら、全線が動かなくなります。だから、融通の利かない鉄道(特に高速鉄道)は、緊急時の避難には向かないのです。
 さらにまた、「先行開業」時には小浜は西側の終点ですから、偏西風の影響で放射性物質が流れて行きやすい敦賀・金沢方面にしか逃げられないというのも大問題です。

 「なんとかして小浜に新幹線を引きたい」という、知事のお気持ちはわかるのですが、あまりにも現実性の無い提案や、屁理屈としか思えないような延伸理由を量産すると、ますます小浜ルートの不可能性とイカガワシさを強調することになると思います。

 いずれにせよ、小浜ルートの姿が具体的になればなるほど、先送りしてきた巨大な無理が露わになり、実現が遠のいているというのが現状です。

[1]北村幸太郎(鉄道ジャーナリスト)の記事一覧
https://merkmal-biz.jp/post/writer/koutarou-kitamura
[2]北陸新幹線の延伸、「小浜ルート反対」でも5兆円の投資は本当に妥当なのか?
(地の文なのか引用なのか分かりにくい部分のある記事ですが、どちらにせよ内容は著者の御主張と大差ないと考えて議論します。)
https://merkmal-biz.jp/post/77480/6
[3]北陸新幹線延伸 京都・大阪の懸念解消へ福井県杉本知事「建設発生土の受け入れ可能」 理解得られるかは不透明【福井】
https://news.yahoo.co.jp/articles/864e1047b9fcfa743405a07032478f2489e10012
[4]新幹線、小浜まで先行開業検討を 福井知事「誰も反対しない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9cd45bd1bc4b2a9346774fe44306fc1fc4369f9a
[5]福井県知事「初夢は小浜先行開業」 北陸新幹線延伸問題で
https://www.asahi.com/articles/AST194T4ST19PGJB001M.html

 昨年末、北陸新幹線の新大阪延伸に関して大きなニュースが出ました。京都市内でのルートの絞り込みが出来ず、2025年度の着工は中止です。来年度予算案でも、2023、24年度に続いて「調査費」らしきものが盛り込まれましたが、今年度からの増額は1%以下の1500万円。インフレを考えれば事実上の減額で、その限られた調査費は小浜駅建設予定地の調査に使われるとのことです。
 もし本気で26年度の着工を目指すなら、京都市内での詳細な環境調査を行い、問題点の洗い出しをして地元との協議を進めるべきなのですが、そうした方向性は見えてきません。
 はっきり言いましょう。小浜ルート推進派はギブアップしたのではないでしょうか。今回、代表的な小浜推進論のいくつかに反論するつもりで、昨年末ごろから原稿を書きためていたのですが、こうなってしまうと落ち武者狩りになりかねません。気が重い話ですが始めます。
 なお『』は原則として原文記事からの引用です。

 四面楚歌のラスボス

 まずは小浜ルート原理主義者、西田昌司参議院議員の談話[1]。福井テレビの独占記事です。京都市内での詳細ルートの絞り込みに失敗し、25年度中の着工が絶望的になった上に、京都仏教会や伏見の酒造組合から事実上の小浜ルート拒否宣言が出された直後のものです。インタビューからの文字起こし記事ですから、細かく引用して反論するのはあまりフェアではないので、全体の問題点を大づかみに指摘しましょう。

1)夏頃から『年内に詳細ルート絞り込む』と散々息巻いたあげくの、今回の断念なのに、振り回してしまった関係者への謝罪がまったくありません。小浜ルートの破綻が広がっているのに、『急がば回れ』などとうそぶくのは、アジア太平洋戦争末期の「転進」とか「本土決戦」と言うのと同じで、ひとえに格好悪いものです。

2)行政プロジェクトが反対運動にぶつかったとき、よくあることですが、『情報提供と世論醸成をしていく』というのは、「京都人は無知で洗脳されているので、正しい知識を与えて善導する」と言っているのと同じで随分失礼な話です。
 被害を受けることが明確な地域住民に推進側が出来ることは「交渉」であり、求めるべきは「妥協」や「辛抱」です。

3)『それなりにサンダーバード(京阪神と北陸地方を結んでいた在来線特急;村山注)も便利だったので、"新幹線がどうしても欲しい"という府民感情、市民感情はない。そういうこともあり、はっきり言って関心が薄い。』
 よくお分かりじゃないですか。ただしこのあと、延伸メリットが、『確かにサンダーバードでもいいが新幹線は時間が半分以下になる』とおっしゃっていますが、これはほとんどウソです。
 時間が半分以下になるのは、新大阪か京都から小浜に行く場合だけで、隣駅の敦賀となるともう怪しくなります。桂川ルートなら乗り換えを、南北ルートなら京都駅付近での徐行運転を考慮すれば、現行サンダーバードの55分を半分にするというのは、まず無理な話です。

4)延伸に5兆円かかっても国が負担すべきだ。山陰新幹線や四国新幹線だと含めて50兆あれば、全国に10本の新幹線が出来る。国債を発行しろ。毎年5兆円出せ......みたいな事をおっしゃっていますが、103万円の壁を破るのに財源論で四苦八苦している国の話とは思えません。こんなのを真に受けて早期着工したら、あてにしていた国からの援助が結局なく、破産する自治体を量産しかねません。

5)『地下鉄御池線も東西線も、二条通りから西はオープンカットではなくてシールド工法でやり、水が枯れたとか汚れたという話はなかったという報告を受けている。そういう事を市長たちにも知ってもらわないといけない。まだ市長になられたばっかりだから知らないのかもしれないが、そういう大事な情報をしっかりと共有していかなければならない。』
 御池線と東西線は同じものです。『そういう大事な情報をしっかりと共有していかなければならない。』......などと嫌味は言いませんが、こんな言い間違いをする人が何を根拠に、市長より自分の方が情報を持っているとお考えなのでしょうか。
 同じシールド工法でも大深度となると問題の質が変わりかねません。既に、東京町田や岐阜瑞浪のリニア工事で、想定外の水涸れや地盤沈下などがおきています。京都市長が心配するのは当然です。

6)『琵琶湖そのものにもしトンネルを掘ったらどうなるか、というと、おそらく水は枯れないし汚れもしない。同様に、水のある所にトンネルを掘るのは、規模からすると細いホースを入れるようなもので、ほとんど環境には影響がない、というのが専門家の科学的知見に基づく意見。』
 こんなアホなことを言う専門家を見たことはありません。何を根拠に、どなたがおっしゃているのか教えてください。確かに、全体が水である琵琶湖の中にトンネルを作っても、周辺にの水にはほとんど影響はありませんが、岩盤と土砂と地下水の相互作用で圧力バランスを保っている地層に、穴を開けたり異物(コンクリート製のトンネル)を押し込んだりすれば、何がおこるか分かりません。ろくに地質調査もしていない段階で、あやしげな「専門家」をたてて、無責任なことは言わないでください。
 だいたい、鹿児島県の北薩摩トンネルでの崩壊も岐阜県のリニア工事での地盤沈下も、メカニズムさえ分かっていません。だから、まともな専門家なら断定的なことは言わないはずです。
 京都市の地下で何がおこるかを知る確実な方法は、実際にトンネルを掘ってみることです。ただし何かがおこってしまったら、多分もう取り返しはつかないでしょう。

7)記事の見出しにある『市民に寄り添う』などという言葉を、安易に加害者側が口にしてはいけません。「さっさと消えてくれ」と思っている相手に、無理に寄り添おうとするのはストーカー行為です。
 ちなみに参議院京都選挙区選出の西田先生は、今まで住人には寄り添ってこなかったのでしょうか。他にも、『京都府や京都市の方』など、京都の議員とは思えないような物言いです。「京都の議員は仮の姿、今年7月の選挙を過ぎたら、おそらくわしは只の老人だ」とでもおっしゃりたいのでしょうか。

8)『今年中に1つの案に決めてしまったら、1年3カ月後に工事できるように思うかもしれないが、それは府民、市民がオッケーと言えばの話。それがないまま、この案が良いと決めてしまうと、もう聞く耳を持たないのかという話になってしまう。だから、そういうことにならないように、 しっかり府民、市民の話を聞いて進める。』
 身内だけで勝手に小浜ルートに決める前におっしゃるのなら分かりますが、今になってこんなことを言っても、府市民は納得しません。無実の被告に死刑判決を出してから、「電気椅子と断頭台とどっちがいい」と尋ねているようなものです。

 暴走のスイッチ

  お次は、評論家の八幡和郎氏。この方の歴史関係の記事は、独自の視点での研究が深くて面白いのですが、NGワードが2つあります。「京都」と「医者」。これらがテーマになるとスイッチだが逆鱗だかしれませんが、人が変わったような暴走がはじまります。
 今回は、京都スイッチ。雑誌アゴラから、『京都の北陸新幹線「通せんぼ」は許されない:京都迂回路線の提案[2]』です。インタビューではなくご本人の書いた記事ですから、しっかり引用させていただきます。

『 北陸新幹線についての、京都のいけずで北陸の人をバカにした下劣なわがままは京都市民として恥ずかしい。』
 今回の京都市民のいけずは目的ではなく手段です。多大な迷惑にノーというのがなんで「北陸の人をバカにする」とこになったり、「下劣なわがまま」なのでしょう。

『全国的な交通網を通過させるのを地元の損得で決めるのをゆるすなんて許されない。滋賀県にとって東海道新幹線が通過することになんのメリットもないから、米原か草津あたりで終点にさせて、京都の人は在来線でそこまで来て東京と行き来したらどうか。』
 迷惑の程度によります。費用負担に関しては数千億単位。水や地盤沈下、残土などの環境被害は未知数。それなのに、高度成長期に環境負荷の少ない高架鉄道を、国(当時の国鉄)のお金で作った東海道新幹線を引き合いに出されても困ります。

『京都府や京都市が知らなかったわけでない。京都の知事や市長は市民の理解を得るのが大事とか言っているが、無責任にもほどがある。』
 大深度地下の工法や詳しい経路が決まったのはこの夏です。その後は最近まで、府市民はもとより、知事や市長にも公式に意見を言う場は作られていません。だいたいなんで知事や市長が、理解をしてもらう側なのでしょうか。

『地下水についても、大深度地下を掘ることの影響は京都市内を走る地下鉄、阪急、京阪に比べて影響は少ないのであって、まったく非科学的な主張です。』
 なんで大深度だと影響が少ないのか根拠不明です。京都盆地という特異な場所で、歴史の浅い大深度地下シールド工法をやるのですから、『影響は少ない』と事前に決めつけるのは無理です。

『日本酒だって、昔は、それぞれの土地の水で味が随分違ったが、現在は調整しているから地下水の成分にそれほど制約されるはずがない。』
 日本各地に地酒が存在する理由はないということですか。同じ米を使えば、世界中どこでも同じ酒がつくれるというのですから。日本酒に対する侮辱......ですが、あまり怒る気にもなりません。理由は言うまでもありませんよね。
 だいたい、酒造メーカーの懸念はそんな微妙な話ではありません。日本酒の醸造には軟水(簡単に言えばカルシウムなどのミネラル分が少ない水)が必須で、伏見の原水は京都盆地一帯に降った雨が地下に長年滞留することで生成される特殊な軟水です。含水層に長大なコンクリート製のトンネルを押し込んで、カルシウムたっぷりの出汁をとったらどうなるか、「調整」で済む話ではないでしょう。
 それだけではありません。JRは東京町田のリニア用トンネルの工事で地上にブクブク出てきたのと同じ発泡剤を京都でも撒いて、伏見の酒をスパークリングにするのでしょうか。風味うんぬん以前に、まともな日本酒できなくなるのが心配なのです。

『それに伏見の蔵元は、昔から桶買いで各地の酒を集めてブレンドして売っているではないか。』
 「伏見の酒の全てもしくは大部分が」という意味なら事実無根。名誉毀損や営業妨害と言われてもしかたありません。逆に「一部の酒が」というなら無意味な指摘です。各地の酒ではなく、伏見で作っている酒の話をしているのですから。

『また、京都仏教会という観光寺院などでつくる会が千年の悔いを残すとか言って反対しているが、本山が熱心な仏教徒が多い北陸の人が京都に来るのを邪魔して何が嬉しい。』
 京都仏教会の加盟寺院数は約1100とのこと、いくら京都でも「観光寺院」はこのうちのごく一部です。本題と関係ない妙なレッテル貼りには困ったものです。
 今回の延伸プランのうち、南北ルートで一番怖い思いをしているのは、門前数10mを大深度地下でえぐられる西本願寺です。熱心な浄土真宗信者が多い北陸の人もさぞかしご心配でしょう。
 平素は一枚岩とは言いにくい仏教会が、宗派を超えて反対の声を上げるのは、よくよくの事です。

 この後の、『東京の大学にシフト』だの『奈良にとられて辺境化し』だの『空港はない』だのは、はっきり言って大きなお世話。北陸新幹線が来たところで、これらが改善するとは思えません。けれども、各種の災難は京都市在住者全員に、もれなくついてきます。

 何のための代案なのか

 最後に出てくる代案(?)は脱力ものです。
『敦賀→三方→小浜東郊外→朽木→途中→大津市北部(湖西線乗り換え)→六地蔵(奈良線・地下鉄・京阪)→松井山手(学園都市線)→新大阪 (図ではA案;村山注)』
『敦賀→塩津(湖西線・北陸本線)→米原→東近江→甲賀(草津線)→城陽(奈良線)→松井(学園都市線)→新大阪 (図ではB案;村山注)』

 A案は湖西ルートもどき、とんでもない過疎地を走ります。なんで三方・朽木・途中に新幹線の駅を作るのか不明です。これらの駅全部に停まったら、新大阪・敦賀間の所要時間は現行のサンダーバードとあまり変わらないのではないでしょうか。
 B案は米原ルートもどき......というより前半は米原ルートそのもので、後半は湖東山脈に無理矢理突っ込んでいきます。まともに走れる線路を引くには、多数のトンネルやら鉄橋が必要になり当然高コストです。コースの長さを考えれば、総工費は現行の桂川ルートと同じぐらいになるかも知れません。それとは別に広大な用地の買収も必要です。
 このルートが完成したとしても、新大阪駅から北陸方面に向かうなら、東海道新幹線のこだまで出発して米原駅で乗り換えた方がよほど早いでしょう。ついでにもう一つ......小浜は通らなくても、政治的に良いのでしょうか?
 さらにAB両案には共通の弱点があります。滋賀県が承認するわけがないということです。これだけの長さの経路と多数の駅が県内にあれば、滋賀県の経費負担は避けられません。大小の環境問題もおこるでしょう。おまけに並行在来線問題で、湖西線の三セク化を求められそうですから、三日月知事率いるオール滋賀が反対に回るでしょう。
 だいたい、湖西ルートやら米原ルートを滋賀県が許さないから、仕方なく小浜ルートを考えたというフシがあります。この上、京都府が小浜ルートを断ったといって、もう一度戻ってきたら、あまりの計画性のなさに、滋賀県民に鼻で笑われるだけでしょう。逆に京都府市民は、粗大有料ゴミを追い出して一安心です。「いけずで下劣でわがままな」京都市民を喜ばせる代案を、著者は何のために出してきたのでしょう。

[1]【単独】北陸新幹線延伸"京都府民に寄り添う姿勢"からルート案を選定せず 「財源は国が責任をもって手当てを」 西田・与党整備委員長インタビュー全文<前編>
https://news.yahoo.co.jp/articles/9617bf5b53a6492ad14b6962a035d06cea1e4240
[2]【独占】北陸新幹線延伸「日本のリダンダンシー高める国策。負担は国がすべき」西田委員長インタビュー<後編>
https://news.yahoo.co.jp/articles/296a39ec8a81f4d3d0eb7b5450bbe30ae1786a10
[3]京都の北陸新幹線「通せんぼ」は許されない:京都迂回路線の提案
https://agora-web.jp/archives/241227211145.html

                非常勤講師の「最終講義」

 無敵の非常勤講師

 今から30年ほど前、東京のO大学での地球科学の授業で、学生たちに「震災被災地の神戸で実習をするが希望者はいるか」と尋ねたところ、300名前後の受講者の中から100名ほどが手をあげました。全学で4000名ほどの大学での話です。
 なんでこんな無茶をする気になったのは、前回書いた伊豆箱根ツアーの成功でいい気になっていたことと、「来てもせいぜい数名やろ」いうという楽観と、何よりも今年で退職という気楽さからでした。東京の単身赴任を打ち切り関西に転職するにあたり、それまで副業でやっていた情報工学分野(要はパソコンの活用)に専門を移し、地球科学からはキッパリと足を洗うという決断をしたのでした。この世界はポストが極めて少なく、私ごときが長居しても迷惑にしかならないと悟ったからです。その結果、私は今で言う「無敵の人」になりました。クビ上等。それまでやりたくても出来なかったことを、教壇で実践するのみです。海賊ゼミの冒険が始まりました。
 現地集合・現地解散。宿泊費と食費は自分持ち。現場での勝手な行動や軽率な判断は命に関わります。今ならもれなく余震がついています。などなどの「特典」を伝えても、希望者はほとんど減りませんでした。実当日の朝、阪急六甲駅には東京からやってきた数十人の学生が集まりました。もう、あとには引けません。
 実はこの「実習旅行」、他の教員や教務には黙っているつもりでしたが、神戸行きの夜行バスが事故渋滞で延着しそうだということで、事もあろうに夜中に教務部長の家に電話して「村山先生の連絡先を教えて」とやった女子学生がいましたが、その老教授に「女子を含む数十名が余震の続く神戸に向かったと聞いて、あん時は血の気がひいたぞ」と笑いながら叱られたのは、大阪に戻って数年後のことでした。

 瓦礫と花束と冬の日の幻想

 学生を引率して、あちこちで倒壊した家屋に半分ふさがれた道路を歩いていると、今更ながら「とんでもない計画をたててまった」との後悔が浮かんできました。事故の危険の他に、被災者の方に「物見遊山で来るな」という目で見られてしまいトラブルに発展するリスクも、軽視していたことにも気付きました。
 街中に漂うかび臭いホコリ、歩けど歩けど続く瓦礫、数ヶ月経ってもキナ臭い焼け跡、5時47分で止まったままの大時計、花に囲まれた子供のオモチャなど、号泣したくなる光景が満載でした。講義中には私語の多いチャラけた女子がボツンと一言「テレビと全然違う」。
 学生たちが一番絶句したのは、大学ノートや語学の教科書、キャラクター雑貨が積み上げられた山の横に置かれた花束でした。犠牲者の年齢別で多かったのは高齢者・乳幼児でしたが、次いで20歳前後の若者が3番目でした。大学町神戸で木造アパートが大量に倒壊したからです。もし東京近郊が震源だったら、花を手向けられるのは自分たちだったのかも知れません。
 その夜、ある地元の大学オーケストラが無料演奏会を開くというので、希望者数名を連れて聴きに行きました。舞台上のトランペットの席に大きな遺影が飾られ、椅子の上には吹く人のいない楽器が置かれていました。気ばらしのつもりが、いっそう重くなりました。曲目のチャイコフスキーの交響曲「冬の日の幻想」は、今でもあまり聴く気がしません。

 避難所のお祭り

 ささやかですが楽しい出来事もありました。数十名の大集団を連れて困ったのが昼食です。特定の飲食店やコンビニに集まってしまうと、たちまち在庫が枯渇しそうで、略奪に行くようなことになります。そこで、「今から3時間自由行動とするから、各自、できるだけ被災者の方がやっておられる店を利用して、お話を伺いながら食事をするように」......それにしても無責任な引率者です。
 集合時間になり、数名の男子学生がヘベレケになって現れました。訳を尋ねると、「ぶらぶら歩いていると、被災者の方から声をかけられ、『東京から大学の授業で神戸を見にきました』と答えると、避難所のお祭りに引っ張り込まれ、餅つきまでして、『あれ食え、これ食え』と言われたあげく、東京の学生を代表して一気飲みを披露した」とのことでした。どうやら、被災者の方々に散々御馳走になってしまったみたいです。今でも、教員として、お礼に行きそびれたことを申し訳なく思っています。
 宿舎の近くにあった「桂枝雀師匠愛用の居酒屋(当時の落語ファンの間では一種の聖地)」が無事営業していたことに歓喜した落研部長が、全員の前で一席始めたり。当時まだ関西ローカルだった節分の恵方巻きを体験したり、以前実習で訪れた淵野辺の宇宙研究所のロケットが無事打ち上げられたニュースを見て、お世話になった教授に祝電を送ったり、喜怒哀楽色とりどりに思い切り心をゆさぶられた神戸の旅でした。
 今回の「実習」で、私たちにとって一番ありがたかったのは、実は学生の保護者の方々だったのかも知れません。「般教(「一般教養」の意味、やや差別語)の授業で神戸を見に行く」と聞いても引き止めるどころか、決して安くない神戸までの交通費を気持ちよく出していただけたのですから。
 もしこれが令和のことだったら、大学に怒鳴り込んだ親が数名はいたでしょう。でもモンペと呼ぶ気はしません。私だって、仮に自分の娘達が「三陸や能登を見に行く」と教員に言われたら、今なら教務に通報していたかも知れません。まことに勝手なものです。「旅による学びの質は生還できない確率に比例する」......極論かも知れませんが至言です。

 自己採点で成績つけ

 実習最後の晩、大変なことを忘れていたのに気がつきました。成績つけです。当時は紙の成績一覧表に各受講生の点数を100点満点の数字を書き込んで教務に郵送することになっていて、締め切りに間に合わせるのには、今晩中にまとめる必要がありました。出発前には実習中の態度を見て採点しようなどと軽く考えていたのですが、そんなもの覚えているはずがありません。例の落研部長と祝杯を重ねたあとでもありましたから。
 思いあまって、「今から成績表を回すから、各自で自分の成績を書き込め、全員100点でも文句は言わん」などとやってしまい、筆記具も筆跡も違う「100」の数字が数十個並ぶ成績表が出来上がりました。教務からクレームがついたら、「実習の成果は本人が一番よく分かっています。般教の授業なのに身銭を切ってリスクのある神戸を歩き回った学生ですよ。100点でも低すぎると思います」と答えるつもりでした。無敵の非常勤講師。やりたい放題です。

 一生の宿題

 翌日、解散直前に、たぶんもう二度と会うことの無い学生たちに2つの宿題を出しました。
1.今回見たこと聞いたこと嗅いだこと感じたことを出来るだけ多くの人に話すこと。
2.身につけた経験や知識が生かされるそうな場面に出会ったら、積極的に動くこと。
 期限は各自が死ぬまで。

 冗談半分でした。「被災地や避難所の経験など、教養としてならともかく、実際の役に立つことは無いやろし、役に立って欲しくもないしな」などと、これまた根拠も無く無責任に願っていましたが、ご存じの通り、この願いは叶いませんでした。

 あれから30年。三陸や熊本や能登で彼らのうちの一人でも、神戸で学んだことを生かしてくれていたら、地球科学の大学教員としてのキャリアの最後に、少しは私も社会貢献できたことになるのではないかと思っています。

 おーい。お前ら、宿題やってるか。死ぬまで頼むぞ。