問題は歴史観ではなく責任能力です

幹事長と総裁に奇襲攻撃

 西田昌司議員はユニークな政治家です。柔らかな物腰、知的で深みのある笑みから、支離滅裂な議論を延々と続ける。世界的にも......というような書き出しで記事を書いていましたら、またまた最新の発言が飛び込んできました。
 議員自身が公開しているサイトに、自民党京都府連大会(2025.6.2)のノーカット記録が登場しました。講演終了後の「ぶらさがり取材」での質疑応答。「ひめゆり関係の話は、自分の『正論』の記事を参照してくれ」というのが基本的な立ち位置だったのですが、朝日新聞の林記者の「森山幹事長や石破首相は西田さんの発言について、不正確な認識だというふうに謝っていらっしゃいますが、そちらについてどのような......」という質問に対して、次のように答えています。
 「だから、あの方々が私の発言についてどれほど御理解いただいているのかが、私はわかりません。というのは、私は時間があったら説明しますと言っているのですけれども、そういう話はないですからね。だから、私はそれについてコメントする状況にないということです」
 【本来の日本を取り戻す!」自民党府連大会で決意表明!マスコミによるぶら下がり取材もノーカットで公開します!(西田昌司ビデオレタ-)】,youtubeの動画で7:02-7:30
 https://www.youtube.com/watch?v=VKTsGra9u38
 幹事長と総理総裁を「あの方々」と呼び、勝手に謝罪したのだから私は知らないと突き放したのです。それにしても、朝日新聞はこれだけ恐ろしい発言を引き出しておきながら、大きく扱った様子がありません。お声を聞く限り記者方は若い女性のようですが、デスクは何をしていたのでしょう。
 おそらくそんなこととはつゆ知らず、翌6月3日に、その森山裕幹事長は記者会見で「本人が不正確な発言であったことを反省している」と述べたようで、完全に顔を潰されました。
【森山幹事長「西田氏本人が不正確発言を反省」 本人主張と相違 ひめゆりの塔展示巡る問題発言で】、沖縄タイムズ、6/4(水) 8:04配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/46c579d810786a2c53269afb218bf0ddb475d979

 まさに追い炊き機能付き自爆テロ犯です。これでまた夏の参議院選挙で自公の公認やら推薦やらが出るのか、分からなくなってきました。

 発言の不気味な変遷

 西田昌司議員の、これまでに確認できた「ひめゆり」関連の5回の発言を、以下にまとめます。原典(講演、会見、出稿)には無関係な部分が膨大にあるため、ひめゆりの塔に関する主要な内容だけを、項目別に抜出して比較できるように並べました。
 まずは情報の出所です。[1]はご本人の解説しているサイト。[2]~[4]は報道各社のサイトからの引用ですが、可能な限り複数のメディアで内容を確認するようにしています。[5]は雑誌『正論』の現物を入手しました。
 ちなみに、[1]のみが20年前、他は2025年5月中。特に[2][3][4]は一週間もしない間のもので、普通なら内容が大きく変遷するはずはありません。

[1]2005年1月1日 ひめゆりの塔訪問直後の講演会機関誌「showyou42号」
https://www.showyou.jp/showyou/detail.html?id=232
[2]2025年5月3日 那覇市の憲法講演会での講演(問題の発端)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1898522?page=2
[3]2025年5月7日 国会内での記者会見(音声のみ文字おこしなし)
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/fnn/politics/fnn-868237?fm=topics&fm_topics_id=b4b31308e3d3d5fb6e52f5d7a57711f6
[4]2025年5月8日 国会内での記者会見(ひまわり発言を撤回)
https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4218278.html
[5]雑誌「正論」2025年7月号(2025.5.30発売,p82-89)
【要約;琉球新報】https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4287586.html

 では、順に見ていくことにしましょう。

A ひめゆりの塔を訪れた状況
[1] 後援会の旅行会
[2] お参り
[3] 視察
[4] 後援会で沖縄に行ったとき
[5] 後援会の皆さんとの旅行会

B 問題視している展示の場所
[1] ひめゆりの塔の壁
[2] ひめゆりの塔(細かい場所は記載なし)
[3] ひめゆり平和祈念資料館近くの洞窟のような場所
[4] ひめゆりの塔の壁、(近くの沖縄県平和祈念資料館の可能性も示唆し混乱)
[5] ひめゆり平和祈念資料館、ひめゆりの塔の壁

C 問題視している展示の形式
[1] 掲示してある物語
[2] 文章(「展示の文章は覚えてない」と発言)
[3] 文章(「もとの言葉はひとつひとつ覚えていない」と発言)
[4] 年表のようにして壁に掲示してある物語
[5] 戦況図(地図)

D 問題視している展示の内容
[1] 日本の「侵略」により戦争が始まり、米軍の「進攻」又は「反攻」により戦争が終わった。
[2] 日本軍がね、どんどん入ってきて、ひめゆりの隊がね、死ぬことになっちゃった。そして、アメリカが入ってきてね、沖縄は解放された。
[3] はじめ日本軍がやってきてこうなっていった。それからアメリカの参戦があって、そして平和が訪れた。
[4] 日本の侵略により戦争を始め米軍の侵攻または反攻により戦争が終わった。
[5] 日本の『侵略』により戦争が始まり、米軍の『侵攻』又は『反攻』により戦争が終わった。

E 展示内容に対する評価
[1] まさに東京裁判史観そのもの
[2] 歴史の書き換え
[3] 違和感を持った
[4] まさに東京裁判史観そのもの
[5] 「日本軍は悪、米軍は善」という東京裁判史観そのもの

F 特記事項
[2] 「東京裁判史観」というキーワードが、この時だけ出てこない
[3] 「(今も)公の機関や報道は(東京裁判史観)のプレスコードでやっている」
[4] 「ある記者の方から指摘」されるまで、[1]を書いたこと自体を忘れていた
   「ひまわりの塔」と言い間違える
[5] 近くの「県平和祈念資料館」は訪れたことがないのに、その歴史認識を批判

 おそらく、西田議員本人がこれを見れば「切り抜き」だと反論するでしょう。けれども、最後の「備考」の項以外は、東京裁判史観を批判するための根拠の主要部分ですから、たとえ「切り抜き」あっても全てが一致していて当然のものです。
 ところが実際には、わずか1ヶ月足らずの間に発言は大きく変遷しており、さらに「洞窟」や「プレスコード」の件など、素人目には妄想としか見えないような内容が出てきます。
 [1][2][5]は最初から自分で原稿を準備したものですし、[3][4]の記者会見でも質問があるに決まっているような論点の話で、きっちり準備をしていて当然です。事務所には広報スタッフもいるはずです。だから咄嗟に言い間違えたというような弁明は通用しません。
 影響力の大きい政治家の方ですから、いつも本当のことが言える訳ではないかも知れませんが、たとえば単純な事実関係であるA~Cについて、言を左右にしても何の利益もないはずです。

 消えた洞窟の謎

 細かく見ていきましょう。Aの「ひめゆりの塔を訪れた状況」に関しては、[2]の「お参り」を[3]では「視察」と言い換えています。調すぐにバレるウソをついて、さらに翌8日の[4]では何の説明もなく「講演会の旅行」に言い換えています。
 一番問題なのはBの「展示の場所」です。まず、「塔の壁」という表現。ご存じの通り「ひめゆりの塔」そのものは建築物ではなく石碑です。展示物を貼る壁などありません。特に、初代の塔は小ぶりな墓石ぐらいの大きさで、よく見落とされます。そのため、修学旅行生などは、祈念資料館の建物を塔そのものだとしばしば誤解します。西田議員の場合もそうだったのではないでしょうか。
 あくまで憶測ですが、根拠は2つあります。まず[1]のみならず[4][5]と繰り返し「塔の壁」という表現を使っていること、もうひとつは[1]にある唯一の画像には、「ひめゆりの塔」と書かれた団体写真撮影用の看板と、敷地内に多数ある石像のひとつだけが写っていることです。普通ならひめゆりの塔そのものを出すはずです。
 違うとおっしゃるのなら、なぜ「塔の壁」という表現を使ったのか説明してほしいものです。まあ、この手のミスは私もよくするので、これ自体は笑って済ませられる話だと思いますが、議員が、このとき「ひめゆりの塔」をきちんとご覧になったのか疑問です。少なくとも、ガイドさんの話を聞くかパンフレットを読めばあり得ない誤解なのですから。
 それにしても、どれが塔なのか分からなかった人に歴史観を批判されて、学徒隊の方々の霊は......大笑いしているでしょう。
 不気味なのは、[3]にある「洞窟」です。会見中記者の方から確認されても訂正していません。確かに、敷地内には悲劇の場所である病院壕の入り口がありますが、中には入れませんし、ましてや資料が掲示してあったはずはありません。
 近隣の糸満市内には見学できる洞窟はいくつかあるのですが、洞内には資料を掲示する場所はなさそうです。また、もしこれらの場所だったのなら、まずは「ひめゆりの塔」関係者に、批判の対象を間違えたことを謝罪すべきです。
 この洞窟云々の話は、翌8日の会見では消え失せていて、「塔の壁」になっています。もし私が議員の親族なら、この一件だけでも適切な医療機関での検査を勧めると思います。
 Cの「展示の形式」についても、「年表」という言葉が突然[4]で出てきます。[3]にも少しあったかも知れませんが、それでも突然です。そして、[5]では、祈念資料館館長の推定にのっかるかたちで、「戦況図」だと言い直しています。いったい、議員は20年前に、どこで何を見て怒っていたのでしょうか。

 「侵攻」告白の混乱

 戦況図の「侵攻」や「反攻」が唯一の資料であるとすれば、Dの「展示の内容」で、[2]では「どんどん入ってきて」と[3]では「やってきてこうなって」と言っているのですから、西田議員は「大戦末期に日本軍は沖縄に侵攻した」と誤解していたことになります。統治している自国に侵攻することなど、ジンギスカンにもヒットラーにも出来ませんよ。
 ここまで酷い誤読をしていたのなら、西田議員は、もともと存在しない「東京裁判史観もどき」をひめゆりの塔で見て、攻撃していたことになります。今後は、議員を祇園街のドンキホーテとでもお呼びしましょうか。
 結局、根拠となったのは一枚の戦況図だけで、それをも誤読して、Eの「評価」では展示全体を、「日本は悪、アメリカは善」の「東京裁判史観」の産物であると見なし、結論は「ひどい」「歴史の書き換え」です。よくここまで混乱するものです。

 他にも、Fの「備考」にも、「してくださいよ」と言いたくなるような話が、ごろごろあります。[3]ではプレスコードとやらのせいで、今でも日本の公共機関やマスメディアは東京裁判史観以外で歴史を語ることができないそうですが、もしそうなら、国会議員たるもの放置していていいはずがありません。憲法記念日の講演でも、20年前に見たうろ覚えの展示のような小ネタに噛みつくのではなく、最新の材料を大量に収集して盛大に批判すべきでした。
 [4]にあるように、どうやら講演をした段階では、以前に記事[1]を書いたことすらお忘れだったようです。どうして、そんな印象の薄い記憶にすがってまで「ひめゆり」に拘るのかと言えば、他の沖縄の戦跡や資料館は一切行ったことがないからではないでしょうか。これだけの量の報道を見ても具体的な戦跡の話は一切出てきません。[5]にあるように、沖縄県平和祈念資料館すら行ったことが無いのに、沖縄県民の歴史観や教育についてまともに議論できるとでも思っておられるのでしょうか。
 また、政治生命にかかわりかねない批判を受けているのに、そのことに反論するわけでもなく、弁解するわけでもなく、それどころか批判されている内容を再確認するような記事[5]を、独断でわざわざ雑誌に投稿することも、理解に苦しむ行為です。

 もしかしたら隠れ護憲派?

 西田議員は、メディアなどから追い詰められると、すぐに歴史観の話に逃げてしまいます。思想と言論の自由がある限り、どんな歴史観でも頭ごなしには否定はできないからでしょう。せっかくですから、ことの発端となった講演[2]に語られた歴史観とやらを見てみましょう。
 例の「日本軍がね、どんどん入ってきて、ひめゆりの隊がね、死ぬことになっちゃった。そして、アメリカが入ってきてね、沖縄は解放された。」という存在すらしない「トーキョー裁判風史観」は間違いだよと、おっしゃりたいだけのようです。ご自分の歴史観は、「日本が悪、アメリカが善とは限らない」という穏当ですがありふれたものです[5]。
 ちなみに、「アメリカが善だったとは限らない」と言いたいのなら、変に資料を曲解しなくても、非戦闘員で医療者でもある無抵抗な未成年の女性が200人以上も虐殺された証である「ひめゆりの塔」に、そういう視点で言及すれば十分だと思うのですが。
 西田昌来て、当たり障りの無い陳腐な歴史観を、当たり障りだらけの方法で語ってしまったわけです。一番ダメージを受けたのは、夏に参議院選挙を控える自公政権です。また、安倍政権以来ずっと盛り上がっていた改憲論に冷や水をぶっかける効果は絶大でした。この長屋の大家さんのものをはじめ、数々の説得力ある護憲論をも完全に凌駕しています。
 これから、6月14日の自民党京都府連総決起大会、ひめゆり学徒隊最大の殉職があった6月19日、そして23日の慰霊の日と、夏の参議院選挙に向かって、問題が蒸し返しされそうな日々が続きます。そうでなくても追い炊き機能付き自爆テロに、おびえている関係者の不安は計り知れないものがあります。

 言わなければならないこと

 最後に名誉毀損と言われる事を覚悟して敢えて書きますが、西田昌司参議院議員に問うべきなのは歴史観ではなく、普通の社会人レベルの責任能力の有無です。言い換えれば、自分が多くの県民を侮辱し、所属政党にも大きな迷惑をかけたことを、自覚できる人物なのかということです。
 この記事の分析から、各メディアの報道を見る限り西田昌司参議院議員には、「自分の経験を理解し、整理し、記憶して発信する能力が、平均的な成人と比べて著しく欠けている可能性がある」ということが分かります。だだし、その原因は何か、ご本人に責任はあるのか、一時的なことのかなどの論点は、直接お会いしたことも無く医療者でもない私が、言及すべきことではありません。
 けれども、今後、いろいろな場所で西田昌司氏にかかわる方は、こうした事を考慮しながら行動をされるべきであると思われます。