軽々しい言動の裏には無知以上に無関心があるとしか思えません。だったら沖縄にかかわらなければ良さそうなものですが。
「終戦直前に沖縄がアメリカに占領されるという情報が入ってきて、これを何とかしなきゃいかんというので、日本軍が沖縄を守るために入ってきたけれども、結果的に戦争に島民の方々も巻き込まれて多くの犠牲を出した」
【5/7の1回目の記者会見:自民・西田昌司議員「切り取られ誤解を生み非常に遺憾だ」 ひめゆりの塔の関連発言について真意を説明;FNNプライム】https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-4213429.html
那覇での講演内容を批判された後の反論会見でさえ、このレベルでした。全く理論武装をしていない非武装年寄です。もし万一これが本当の戦況なら、旧日本軍はアホの集まりだったという事になります。終戦直前まで、米軍の沖縄侵攻を予測できず「何とかしなきゃいかん」と慌てて、「どんどん入ってき(た)」というのですから。
もちろん実際は違います。旧日本軍の増強は沖縄戦の前年(1944年)に終わっています。サイパンや硫黄島を占領されれば、「本土」上陸のために米軍がここにやってくるのは両軍にとって当然のことで、直前に情報が入ってくるような話ではありません。
ちなみに、ひめゆり学徒隊が活動をはじめたのは、1945年の3月末のことですから、「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり(学徒)隊が死ぬことになっちゃった」なんて、時期的にもあり得ない話です。
要衝の悲劇
沖縄が大陸と太平洋の間にある要衝であることは、ペリーの時代から知られていました。今でも膨大な兵力の米軍が駐留しているのは、別に「沖縄が中国に占領されるという情報が入ってきて、これを何とかしなきゃいかんというので、米国軍が沖縄を守るためにどんどん入ってきた」からではありません。
戦略の要にあるということは、今後も基地が残るということと、戦争になれば激戦地になるということを意味します。いつ何時、また住民の中から学徒隊にされてしまう若者が出るかわからない沖縄にとって、ひめゆりの塔は単なる歴史上の遺物ではないのです。
沖縄本島で発行されている日刊二紙「沖縄タイムス」「琉球新報」が、いずれも極めて反戦色が強く、太平洋戦争で米軍に素通りされたため、地上戦どころか空襲の経験も少ない石垣島・宮古島が本拠の「八重山新報」が、かなりお気楽な「平和ぼけタカ派」であるのと対照的なのは当然のことなのです。況してや、空襲すらあまりなかった我々京都の人間が、沖縄の歴史教育について発言するときは、慎重であるべきでしょう。
【「防衛費GDP比2%」は"平和ぼけタカ派"の空公約;田岡俊次】
https://diamond.jp/articles/-/287137
沖縄軽視が見え隠れ
「かつて私もなんかひめゆりの塔ですかね。なんか何十年か前ですね、まだ国会議員になる前でしたけれども、お参りに行ったことあるんですけれども。あそこ、今どうか知りませんけどひどいですね」
【5/3の講演内容;"ひめゆり"は「歴史の書き換え」 自民党・西田昌司参院議員発言の全容と真意は 独自映像;琉球放送】 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1898522?page=2
「なんかひめゆりの塔ですかね」......西田議員は塔そのものを、「なんか」最初から揶揄しているん「ですかね」。「あそこ、今どうか知りませんけどひどいですね」も二重三重の意味で侮辱です。まず「あそこ」は無いでしょう......ぼったくりの飲み屋じゃあるまいし。「今はどうか知りませんけど」......なら知ってから発言しましょう。
案の定、展示内容の理解は完全に間違っていました。それを指摘されても撤回どころか補足もせず、メディアの「切り取り」だと開く直る。「切り取り」だと言うのなら、本来の自分の発言とメディアの切り取った部分とを並べてみせるべきでしょう。
そして、いよいよ身内からまで批判が出てくると、沖縄在住の「知人」とやらの曖昧な談話を並べて、責任をぼやかします。北陸新幹線の問題でも正体不明の「専門家」とやらを登場させ、「琵琶湖にトンネルを掘るようなものだから、京都の地下水にはほとんど影響がない」などという珍論を展開していました。
【北陸新幹線延伸"京都府民に寄り添う姿勢"からルート案を選定せず 「財源は国が責任をもって手当てを」 西田・与党整備委員長インタビュー全文<前編>;福井テレビ;「専門家」で検索すると当該カ所が出てきます】
https://www.fukui-tv.co.jp/?fukui_news=%E3%80%90%E5%8D%98%E7%8B%AC%E3%80%91%E5%8C%97%E9%99%B8%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E5%BB%B6%E4%BC%B8%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E6%B0%91%E3%81%AB%E5%AF%84%E3%82%8A%E6%B7%BB%E3%81%86%E5%A7%BF
「さっき言った沖縄の県の平和記念資料館も、実際にこれについては沖縄のその●●、子供だった方がですよ、修学旅行なんか見られたんですかね。そこで日本兵が島民に向かって、銃を持ってるというね、そういう表示があったとも明確にそれを聞いてますからね、それは間違いなくあったんでしょう。だからしかしそれは今ないと。それもだから展示が変わったんですね」......その展示は今でも変わっていません。写真入りの直近の記事が出ています。
【18年後に受けた啓示...沖縄戦「展示変更問題」とは何だったのか<沖縄発> 琉球新報】
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1312546.html
設置直後から論争になっている展示ですから、撤去や改変をされたら大問題になるはずです。そうした報道もありませんから、今もそのまま残っていると考えられます。西田議員は「ひどい」と批判する側の人です。ろくに調べもせずに、今でもしっかりあるのに、正体不明の知人に「今はない」と言われて納得できるのでしょうか。この知人は自民党の人ではないとのことですが、沖縄自民党は事実確認の手助けはしてくれなかったのでしょうか。私は、この知人の実在自体あやしいと思っています。
それにそもそも、この展示内容は沖縄戦という事以外には「ひめゆり学徒隊」とは、全く関係がありません。どちらかと言うと、もう一つの炎上ネタである「地上戦の解釈」関連です。なんでこれが「ひめゆりの塔」の話と混同されるのでしょう。