【西田議員のトンデモ発言 その3】 謎解き?

「要するに、日本軍がどんどん入ってきてひめゆり隊が死ぬことになっちゃった。そしてアメリカが入ってきて沖縄は解放された」......何度読んでも、すごい発言ですね。破壊力抜群です。それにしても西田議員は何を間違えたのでしょう。
 沖縄が日本の領土になったのは、旧日本軍が編成されるよりもはるか昔のことですから、「侵略」することなどできないはずです。
 また、ひめゆり学徒隊の戦死者の半分以上は、米軍に殺された事がはっきりしています。残りは原因不明・行方不明で、いわゆる集団自決者も少数ながらこれに含まれている感じです。なんでそれを「解放」と記念館が書くのでしょうか。

 大きな年表

 ここから先は、私の推測です。西田議員の2回目の会見で、「年表」という言葉が繰り返し出てきました。たとえば、

「完全に大きな年表でずっと書いてあって、そこにね、まず沖縄戦が始まった日本の侵略によってはじまった、そうですね、終わりがアメリカの犯行とか侵攻とかいう言葉になっていた」
【18年後に受けた啓示...沖縄戦「展示変更問題」とは何だったのか<沖縄発> 琉球新報】
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1312546.html

 わかりました。どうやらこの「大きな年表」は、どこにあったのかは知りませんが、アジア・太平洋戦争全体を指すものだったのではないでしょうか。つまり、年表の範囲は沖縄戦だけではなかったのです。大戦の中での沖縄戦の位置づけを説明する年表だったのでしょう。
 「侵略」というネガティブな言葉が使われていることと、日本軍が戦闘を始めたことにどの程度の正当性を認めるかを別にすれば、アジア太平洋戦争は日本軍の侵攻で始まり米軍の反攻で終わったというのは、史観が問題になるような話ではなく常識論です。
 ただし、それを沖縄戦の年表だと勘違いした西田先生が、日本軍の沖縄侵攻と米軍による沖縄解放を妄想し、「歴史の書き換え」だと叫び、「亡くなった方々、本当に救われませんよ」と反発を感じたのではないでしょうか。もしそうなら、歴史修正主義者などと立派な肩書きよりは、歴史混乱主義者、京都のドンキホーテ、粗忽者のボンボン議員ぐらいが似合うと思います。「歴史の書き損じ」「亡くなった方々、本当に嘲笑しておられますよ」