広島長崎あるいは各都市空襲被害の資料の展示では、バランスを取るためにという発想で、被害と同時に日本軍による加害についても触れているところが良くあります。西田議員が「ひめゆりの塔」の近く?で20年前に見た年表も、このタイプだったのではないでしょうか。
私は、この手の解説は極力控えるべきだと思います。たとえば、ひめゆりの場合、満州事変や日中戦争の話を持ち出すのは良くありません。理由は、盧溝橋が沖縄島にあるわけではないからです。また、柳条湖事件の首謀者にひめゆり学徒隊員はいないからです。つまり関係ないのです。第二次大戦という大きな構図の中で、関連の薄い2つの話を敢えて並べてしまうと、あたかも直接関連するように見えかねません。
旧軍の大陸侵攻と沖縄戦。確かに、歴史の流れの中では因果関係があり、その解釈は歴史観というものでしょうが、「ひめゆりの塔」の横で論争的な問題提起をするよりは、単純に「80年前に沖縄本島南部でどんなことがあったのか」に展示を絞る方が、資料館の趣旨に合っているのではないでしょうか。
本日、現地を見てきましたが実際そうなっておりました。個人的には印象に残ったのは、日本軍の無責任さと米軍の残虐性、これはとても東京裁判史観とは呼べないと思います。あきらかな非戦闘員を大量に殺したわけですから、むしろアメリカとしては触れられたくない過去です。
西田議員のように内容を完全に誤解してしまう方がおられたことを考えると、「被害と加害のバランスを取る」のが展示として適切であるのかどうか疑問の残るところです。展示する側が、批判を恐れて安易にバランス感覚を強調することで、「ひめゆりも酷いけど、南京も酷いから、どっちもどっちだよな」というようなニュアンスだと誤解されるとしたら、極めて残念なことだと思います。西田議員風に言えば、「亡くなった方々、本当に救われませんよ」ということになります。
もちろん、一方的な誤解に基づく評価で、「ひどい」「歴史を書き換え」などと言い切りながら、論破されても事実関係を訂正しないというのが許されるわけではありません。ここまで酷いのはもう許してあげよう、という少数意見もありますが......。
投降・玉砕の浪花節
一度、先入観できてしまうと、見るもの聞くもの全て東京裁判史観に見えてしまうのでしょう。
「確かにアメリカ兵は、はとても優しい人たちと表現したコメントや、15年に訪れた方にはで すね、2015年に訪れたという方は、沖縄平和祈念館を見れば日本軍が悪い鬼のように思える」
【自民・西田参院議員「ひめゆり発言」訂正会見(上);琉球新報】
https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4218278.html
これは沖縄住民から見れば当然のことです。「アメリカ兵」と住民が接する写真は、戦いの終わったあとのものですから「優し」くて当然です。一方、「日本軍」の絵はというと、戦闘中しかも玉砕直前という状況です。「鬼のよう」であるのも仕方ないことです。
ただし、こうした展示が行われているのは、沖縄戦の悲劇の原因となった「米兵は鬼のような連中で、捕まれば男は八つ裂きにされ女は辱めを受けるから、自決するのがましである」という風説(日本軍部自体が誤解していたのか住民の投降を防止するためにながしたウソなのかは別として)が、少なくとも結果的には間違っていたということを説明するためでしょう。日本軍は、必ずしも沖縄住民を守らなかったというのは本当のこと、沖縄戦の本質なのです。
ちなみに、戦争の目的から考えると玉砕というのは、米軍に利することになります。たとえば、女性の場合など、どうせ手榴弾を爆発させるなら、辱めを受けかけてからの方が効果的でしょう。必ず隙が出来ますから。
抗戦・降伏そして玉砕まで、旧日本軍には戦略が欠けていて、そのことが住民の犠牲をいたずらに増やしたのではないでしょうか。米軍など、捕虜になるときのマニュアルがあるそうです。
先日、自衛隊の幹部候補生向けの教育資料が、大問題になっています。何だか旧日本軍の将兵やら沖縄住民の犠牲を美化した浪花節資料になっているようですが、本気で、次の戦争に勝って国民を守るためなら、こういう点は米軍に学んだ方が良いのでは無いでしょうか。
鬼の日本軍が優しい米兵をもたらした
ただし、旧日本軍が戦ったことが住民にとって全く無意味だったわけでは無いと思います。沖縄に限らず占領軍がかなり紳士的だったというのは、敗戦色が濃厚になっても日本人が軍民一体で、しつこい抵抗や壮絶な玉砕を繰り返したことも大きな影響があったと、私は思います。
投降後の兵士や住民に、不用意に苦痛や侮辱を与えて玉砕する気に戻られては、占領する側は堪らないからです。この解釈の是非はともかく、米兵の優しい姿の写真を「切り取って」、「東京裁判史観に基づくむちゃくちゃな地上戦の解釈だ」などと単純に言われても、そこまでレベルの低い議論には反論のしようがありません。しかも、「いつどこで見た、何の写真で、それは現在はどう展示されているのか」というような具体的な話は一切なしで、いきなり「むちゃくちゃ」と言われても、無視するか笑うしかないじゃないですか。