地震と台風とオリンピックでもうすっかり忘れられたようですが、北陸新幹線の新大阪への延伸計画に新たな動きがありました。京都市内を西に迂回して南下するコースが選ばれ、その詳細として「桂川」「南北」「東西」の3つのルート案が公開されました。
一方、公表直後から、小浜ルート「決定」時点と比較して倍増した費用や工期が批判的に報道されましたが、その部分はある意味で誠実な労作という気がします。それより問題は、地下水対策に関する技術的解説のあるようなないような後半です。詳しく解説しますので、今回は是非、下のリンクの元資料と見比べながら、以下の記事を読んでください。
https://www.jrtt.go.jp/project/turuhannrennrakukaigi6%20.pdf
プラン自体は常識的ではありますが
今回の発表資料は主に京都市内でのコースの話、私の分類で言えばhttp://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/12_2141.html第Ⅱ区の問題などへの回答です。前半は一応常識的な議論で、特に3案の中の1つである「桂川ルート」なら、水問題はかなり緩和されそうで、比叡山直下の花崗岩地帯での難工事も不要になります。
ただし、「そもそも誰がお金出すの」問題をはじめ、第Ⅰ区の「早くならない問題」やら、第Ⅲ区の「長過ぎるトンネル(約40km;青函トンネルを除けば日本一)問題」やら、致命傷が沢山残っているので、「これで着工OK」とはとても思えません。まあ、経費や工期の増大を正直に公表していることを含めて、常識的なプランであろうと思われ好感がもてます。http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/06/12_2141.htm
第Ⅱ区の時に触れましたように、水問題の調査のためか、京都市内ではあちこちでボーリングや人工地震による物理探査などが行われ、その結果により延伸コースが大きく変更されたわけです。
首長の思いつきや利権のしがらみで内容が決まり、現地調査は「どうやってそれを実現するか」を調べるため、あるいは着工のアリバイを作るのために行うことがよくある我が国の公共事業では、画期的なことだと思います。
話にならない「東西」「南北」
さて普通に考えれば、これらの3案のうち桂川ルート以外の2つは、いわゆる「当て馬」なのではないかと思います。合理性が完全に無いからです。http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/03/29_0826.html
以前の記事で新大阪・京都間の第Ⅰ区がもともと何のために作るのか意味不明であると書きましたが、のぞみ・ひかり(14分)に勝てないのはもちろん、特急料金のいらない在来線の新快速(23分)と比べても、時間短縮のアドバンテージがほとんどありません。
北陸新幹線のはくたか(かがやき)型(19分)でも4分、つるぎ型(21分)ならわずか2分しか新快速と差がつきません。しかも、この時間の見積もりは松井山手から最短コースで行く場合の話で、京都までに大小5つのカーブがある南北ルートは、さらに2~3分のタイムロスは避けられません。また京都駅での新快速からの乗り換え時間も13分。それに対して、地下にリニアが来て迷宮駅になることを考えれば、新大阪での乗り換えには15分以上かかることは避けられないでしょう。
よって大阪駅やそれよりも西(芦屋、神戸三宮、姫路など)から北陸に向かう場合、在来線から北陸新幹線に乗り換えるのに、新大阪を通り越して京都でのりかえても、時間の差はほとんどありません(料金は数100円安くなりそう)。新快速の本数が多いことを考えれば、新大阪駅が乗り換えに使われることは、ほとんどないでしょう。なんのために数兆円のお大金をつぎ込んで新大阪駅まで延伸するのかわかりません。
東西ルートの場合、同様の時間がある上、京都盆地で東西10kmにわたって透水層をブチ抜くトンネルが、地下水への影響を及ぼすのは避けられないでしょう。また、市街地に工事用の立坑を作る予定で、何十年も毎日毎日、残土を運びだす膨大な数のトラックが、京都市内を走り回ります。もうひとつ、工期が3案の中で最大の28年というのも、関係者一同の顰蹙を買っています。
JR西のジレンマ
結局、東西・南北の両ルートは、市街地の問題を避けようとしながら避けきれず、一方で京都駅周辺での蛇行という新たな欠陥を抱え込んでおり、メリットがありません。逆に言えば桂川ルートだけが、水問題をはじめ残土の処理なども含めて京都市街地の住人に、それなりに配慮した案です。また、松井山手駅から直線的に北上して小浜に向かうために、距離のロスもほとんどありません。そのため費用も3案の中で最小です。
けれども、この桂川ルートには大きな欠陥があります。京都駅に停まらないことです。そのため、京都駅から桂川駅に移動しての北陸新幹線への乗り換えが19分で、そこから敦賀までの北陸新幹線の乗車時間が33分。
現行のサンダーバードで京都駅から敦賀駅に行くのが52分、敦賀での乗り換えに別途8分かかるとは言え、京都から北陸方面に行くのに、北陸新幹線の恩恵はほとんど何もありません。山陰本線・奈良線・近鉄線・京都市地下鉄など京都に乗り入れている交通機関の沿線から北陸地方に行くのは決定的に不便になります。これでは京都府市民が延伸の費用負担をする理由も、ますます無くなりました。
一方、JR西日本にとって悩ましいのは、現状では普通電車しか停まらない桂川駅に、北陸新幹線営業後は新快速電車を停車させるかどうかの判断です。もし、新快速電車を停めてしまうと、大阪や神戸方面からの乗り換えが極めて便利な駅になりますが、北陸新幹線を新大阪駅まで乗り入れる理由が完全になくなります。
かと言って新快速の停車がないとなると、今度は不便すぎる新幹線の駅ができてしまいます。新大阪駅の有利さを守るために、せっかくの新駅をわざと不便にするというのもアホらしい事です。聖書のルカによる福音書にある「新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当て」る話のようです。
東小浜・桂川・松井山手と3連続で、乗降数の極端に少ない駅が続くことにもなります。
桂川駅について、もう一つ気になる話があります。南北案の京都駅と桂川案の桂川駅にはある共通点があります。日本を代表する流通会社が経営するある巨大ショッピングモールのほぼ直下だということです。まあ、この会社のショッピングモールは日本中にありますから偶然なのかも知れませんが、あまりにもドンピシャな場所なので、何らかの意図の存在を感じるのは私だけでしょうか。
「かがやきつるぎ債」
今回の資料公表で一番報道されたのは、莫大な費用と長大な工期についてです。「最長工期28年、最大費用5.3兆円」なんて言われていますが、本当でしょうか。
「工期」について多少なりとも具体性のある数字が出ているのは、京都駅と新大阪駅についてだけです。線路の方では、「長大山岳トンネル」を20年で掘るとのことですが、この数字は2016年(H28)当時の見積もり「15年」に、働き方改革の分「5年」を加えただけで、地質や工法にについて何の議論せずに出したものです。
資料の図から判断すると、京都・東小浜間では「明かり区間」は桂川上流の一カ所だけですから、40kmほどのトンネルを両側からだけ掘ることになり50年以上かかりそうです。計算の根拠は、少し前の記事、竹槍戦隊大本営【北陸新幹線 その12】にある舞鶴若狭道路での事例ですが、新幹線はトンネルが太いことや、残土の処理が困難なこと、人手不足がさらに深刻化なることなどを考えれば、新技術や工夫があっても、この長大トンネルの工期が30年を切るのは難しいように思います。
さらに、北海道新幹線であった巨大火成岩体や、リニア中央新幹線であった水漏れなど、「想定すべき想定外の問題」が出てくれば、40年以上かかることも覚悟しておくべきだと思います。
ちなみに、リニアの水漏れは防水工事でなんとかなるどころか、JR東海の担当者が「トンネルの崩落という大きなリスクがあるので、慎重に検討を進めたい」と言い出す事態にまでなっています。 https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20240817/3080014111.html
最長のトンネルの工期ですら、まともには計算されていないのですから、現時点で見積もった費用になど全く意味がありません。ただし、この金額でさえも「もう無理」という声があちこちから聞こえてきます。
地元自治体・JR西日本・国の三者のうち、最大の負担が来そうな自治体である京都府は支払い能力の無さには、もともと自信がありました。JR西も、毎年の株主総会は終電前に閉会したいでしょう。国庫負担を増額しろとか、政府補償付き地方債なんて声が出ていますが、国の分だけで総額は、今年度予算全体の1%以上、これ以上の負担を国民が許すとはとても思えません。
「負担ではなく投資だ」という意見もありますが、それなら「かがやきつるぎ債」とでもして出資を一般公募すればよいでしょう。配当が出るのは早くても30年後。満期ごろには、大半の出資者も存在自体忘れてしまうような債券。誰が身銭を切って出資するものですか。
水対策のトンデモ解説
この資料については、工期と工事費用のことばかりが報道されていますが、よく読むと、後半にもっととんでもない話が載っています。
「地下水を引き込まないシ一ルド卜ンネル」とのことですが、いくら側面にあるシールド壁の継目を、水膨張性ゴムでふさいでも、掘っていく先っぽの切場が地下水層にぶつかれば、ジワジワなのかチョロチョロなのかドバドバなのかは別として、水が湧き出してきます。
この資料ではこれをトンネルの内側から圧力をかけて止めるなどと言っていますが、ギャグのつもりでしょうか。資料の図を例に取れば「地下水面」の高さ(トンネルの床から10m以上)から考えて、漏れ出てくる地下水の圧は2気圧程度にはなりそうです。それに対抗して、トンネルの中の気圧を通常の倍にするというのでしょうか。作業員には潜水服が必要です。嘘だと思うなら、1~2mで良いですからプールにでも潜ってみてください。いかに過酷な環境かがわかります。
それ以前に、加圧のために現場を密閉しながら、どうやって残土を運び出すのでしょう。こんな与太話をされても、地下水への影響について余計に心配になるだけです。
「京都市街地の地下水は、 浅い層 ・ 深い層ともに地下水が面的に流れているため、 十分な厚さがある帯水層に対しシ一ルドトンネル (約10m) は点の構造物となり、地下水をせき止めない (下図) 。このため、 シ一ルド卜ンネルによる地下水ヘの影響は発生しないと考えている。」なるほど、読めば読むほど心配になります。
マイナビニュースの解説記事では「食器洗い用のスポンジの真横にストローを挿した状態」という比喩がありますが、現実とは3つの点で異なります。ひとつは、スポンジ(帯水層)の中に、「乾いた」部分と地下水の多い「湿った」部分があること。2番目は、地下水の流れの変化による周囲の「スポンジ」への影響です。さらに水質の変化もあります。
もし、帯水層全体が均一に水を含んだスポンジなら、液状化現象が常時おこっているようなもので、街全体がズブズブ沈むはずです。実際には帯水層といっても、ほとんど水を含まない地層の中で、あちこち部分的に川が流れているようなものです。そんなところにストローを刺したら、中の流れが大きく変わる方がむしろ普通です。
また、シールドトンネルはコンクリート製ですから、地下水に触れれば少しずつカルシウム分が溶け出てきます。今回、地下水に関して最大の問題になっている酒造りでは、水の硬度(カルシウムとマグネシウム)で、味が大きく変わってしまう可能性が高く、下手をすれば、伏見ではまともな日本酒が造れなくこともありえます。出汁や豆腐、和菓子などの食品についても同様です。
もう一つ、透水層が「面」でトンネルは「点」なのだから、「点」地下水をせき止めないから安心しろ、というのはあまりに強引です。「シールドトンネルによるせき止め」を心配する人を、私は見たことがありません。少なくとも、京の地下水ユーザーにとって最大のリスクではないはずです。
それよりも、この議論で一番本質的な問題は、「点」を馬鹿にしていることです。風船を破裂させるのは大きさで言えば「点」にしか過ぎない針の先です。圧力が関係している場面では、「蟻の一穴」がシステム全体を崩壊させることはよくあります。岐阜の瑞浪でリニア中央新幹線の工事がもたらした水漏れが典型です。規模の大きい京都市の帯水層に何10kmも穴を掘って、地下水の流れが変わらなかったらむしろ奇跡です。
「なお、 京都市街地地下水への影響解析を実施したところ、 トンネル設置に伴う地下水位低下域の発生は予測されなかった。」どんな「影響解析」をしたのか知りませんが、透水層の分布や状況について、まともな調査すらできていないのですから、意味のあるシミュレーションなど出来たはずがありません。
もう一つ、あちこちでしつこく書いている「浮力」の話ですが、なぜか他の人が全く指摘していない事なので、ここでもう一回やります。たとえ完璧に防水が出来たとして、周囲の地下水によるトンネルの浮力にはどう対応するのでしょう。資料の図には、「地下水位」という表現がありますから、当然、その部分は浮力で持ち上げられます。数センチのずれが線路に大きな影響を与えでしょうが、大丈夫なのでしょうか。
鉄筋コンクリートの比重は2.5程度ですから、トンネルの40%以上は壁なり基礎なりにしないと浮力が重力を上回り、トンネルを持ち上げる力が発生します。これは平時のことですから、地震などで液状化がおこったら......そこまで考えていたらきりがない。開通してから、実験してみようという訳なのでしょうか。
大本営B/Cの限界
資料の最後には 「今後のスケジュール」(最短の場合)というのがあります。はっきり言って脱力ものです。「最短の場合」でさえ着工は2026年の4月以降です。工期も最短25年ですから、21世紀前半の開業はすでに断念しているわけです。
ちなみに、2050年の小松市の人口は社会人口問題研究所の推計で2万人程度。これはコロナも能登の震災も織りこんでいない数字です。一方、北陸新幹線が現状のダイヤのままなら一日に小浜に停車する「つるぎ」の乗車定員は上り下り各1万2000人以上。小浜ルートで新大阪延伸をすることで唯一メリットを受けるのが小浜市であることを考えると、いくらなんでも異常な数字です。米原ルートのまともさが際だって見えます。
私がもし小浜市長なら、「北陸新幹線はきっぱり諦めるから、敦賀行きの新快速を小浜まで延伸運転してほしい」と主張します。東京に出るなら、敦賀か米原まで新快速で行って新幹線に乗り換えれば良いのです。京阪神には乗り換えも特急料金もなしで行けるようになります。この構想については「北陸新幹線シリーズ」の最終回で詳しく議論します。
「今後のスケジュール」のクライマックスはなんと言っても、2026年末の「着工5条件の確認」でしょう。滋賀県知事やJR西日本が同意なども望み薄みたいですが、最大の見物は「B/C」(費用便益比)です。身内の査定で便益を算出しても、もともとB/Cが1.1とギリギリだったのですから、工事費が爆増したらとんでもなく低い数字が出てきます。
例によって、便益(経済効果というやつ)を再計算して敗者復活戦をするつもりなのでしょうが、吉村大阪府知事などは「サッカーに例えれば『ゴールポストの位置を動かす』というふうに国民から見られるのではないか」と言っています。動かすにしても、1~2mずらすのではなく、ゴールを担いでボールを追いかけ回すレベルの話です。
一方、小浜ルート推進派のラスボス西田昌司参院議員(京都府選出)などは、「今も当時も世界中で『1を切るからやらない』というB/Cの運用している国はどこにもない」などと言っていますが、少なくとも(まともな)資本主義国では、B/Cが1を切りそうな高速鉄道を走らせようなどと誰も言い出さないのが、実情なのではないでしょうか。あるいは便益の大きさを、厳しく推定できる仕組みがあるのかも知れません。
B/Cの計算方法を変えるなら米原ルートも再計算しろという声が上がるはずです。そればかりか、全国各地から「それで合格なら、うちの村にも新幹線を引け」という当然の要求が出てきます。たとえ財務省が許しても、営利企業であるJRグループ各社の株主たちは怒り狂うでしょう。
今回の資料、推進派の集まりで気勢を上げるためのビラという位置づけなら別に構いませんが、こんなものを公表すれば、「こらアカンわ」という声が世論の大勢になるとは考えなかったのでしょうか。
あるいは、逆に鉄道・運輸機構による「投了」宣言なのでしょうか。上の言うことには従順な我が国の公務員たちも、さすがに辛抱の限界を超えたのかも知れません。前にも書きましたが、いくら給与を補償されているとは言え、完成の見込みもないままダラダラと数十年続くプロジェクトに、誰も自分の人生の大半を費やしたくはないでしょうから。