本当は恐ろしい浮力の話

だいぶ涼しくなってきました。それにしても、夏ほど浮力というものを実感する季節はないでしょう。泳ぐにしろ船みたいなものに乗るにしろ、浮力が無かったら話になりません。釣りをしても、ウキのピクピク感が無かったら面白さが半減するでしょう。物理的な力の中で、浮力ほど単純にイメージのよいのはありません。
 逆に、この夏に浮力の恐ろしさを感じたのは、買ってもらったばかりの風船を入道雲を背景に見上げている幼児と、パリのアーティスティックスイミングの選手ぐらいでしょう。でもよかったですね。川ではなくプールで試合が出来て。近年のIOCは、ブレイキンの煽り行為にしろ、ビーチバレーのビキニ問題にしろ、バエるとなると何をしでかすかわかりません。
 話がそれました。リニア中央新幹線の名古屋までの開業予定がさらに遅れるどころか、トンネル自体が崩壊しかねない心配も出てきました。岐阜瑞浪での水問題が浮力のせいで悪化しているからです。
 経緯を簡単に振り返ってみましょう。

 まずは、静岡テレビの報道によりますと、事態が発覚したのは昨年の12月。

「瑞浪市を横断する、リニア新幹線の「日吉トンネル」。このトンネルは、2018年から掘削工事が始まりました。JR東海によりますと、2023年12月と2024年2月、工事中にトンネル内で湧水を確認。2023年12月の湧水は、多い時で毎秒40L。2024年2月の湧水は、毎秒20Lだということです。」
「さらに地上では、2月下旬、観測用の井戸の水位が下がっていることが分かりました。」
「JR東海が周辺の調査を行ったところ、32カ所の水源や井戸のうち、半数近い14カ所で、水位の低下が確認されたということです。中には、「簡易水道」の水源が、完全に枯れてしまった場所も含まれています。」
https://look.satv.co.jp/content_news/politics_economic/37255

 五月になり、やっと防水工事が始まりました。日経Xtechによれば、

「トンネル工事が水位低下の原因と見られることから、JR東海は同年5月、薬液注入による湧水対策工事を開始した。」
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00142/01990/

 この工事に採用される予定だったのが、鹿児島県の北薩トンネルでの事例で、ダム工事での防水技術を応用した「RPG(RING-POST-GROUTING) 工法」。県の技官が学会誌に論文投稿までしている新技術です。
https://k-keikaku.or.jp/%E5%8C%97%E8%96%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A7%E9%87%8F%E6%B9%A7%E6%B0%B4%E3%82%92%E6%B8%9B%E6%B0%B4/

 ところが、今年の7月25日に、「本家本元」の北薩トンネルで事故が発生します。NHKの報道によれば、

「今月25日、県が、ドライバーからの連絡を受けて調べたところ、全長4850メートルあるトンネルの出水市側の入り口から2キロほどの所で、路面が長さおよそ50メートル、高さが最大で40センチほど隆起しているのが確認され、その後もトンネルの壁面の一部が崩れて土砂や水が流入するなど被害が拡大しているということです。」
「このため、北薩横断道路は、このトンネルを含む高尾野インターチェンジとさつま泊野インターチェンジの間で今月25日から通行止めとなっています。」
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20240728/5050027742.html

 JR東海は、岐阜瑞浪での同様の防水工事を8月にも開始しようとしていましたが、
NHKの報道によれば、JR東海の担当者が「悲鳴」を上げています。
「トンネルの崩落という大きなリスクがあるので、慎重に検討を進めたい」
https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20240817/3080014111.html
 井戸枯れ対策で始めかけていた最先端技術での防水工事が、トンネル崩壊を引き起こしかねない事が判明して、JR東海は慌てて中止したというわけです。
 気になるのは、第1発見者が「ドライバー」だったことです。プロの管理者が定期的に行う検査では無く、高速でトンネルを走っている素人が最初に気がついたとすれば、大きな隆起が突然現れたとしか考えらません。その日のうちに、トンネルは通行止めになり、翌26日には壁面が崩れ土砂が流れ込んで来て、トンネルは崩壊しました。
https://www.pref.kagoshima.jp/ah06/hokusatsu/hokusatutonnneru.html
 床部分の隆起がきっかけとなって、全体が崩れ落ちたわけです。

 浮力によるトンネル破壊

 長さ50m最大高さ40cmの隆起が開通後10年も経たない高速道路のトンネルに、いきなり発生したわけです。これが隆起でなく陥没なら、手抜き工事やら地下水の浸食で、よくある「あってはならない」ことなのでしょうが、逆に隆起です。もちろん地震や火山活動は観測されていません。
 原因は一応は不明ということですが、上記のNHKの報道によれば、
「県によりますと、この付近はもともと湧き水の量が多く、今月10日から15日ごろまで北薩地域で大雨となったことから、湧き水が原因の可能性があるということです。」
 しかし、以前にもこのトンネルはもっと激烈な大雨を経験しています。たとえば、2020年の「令和2年7月豪雨」では倍以上の雨量が記録されていますが、このときは大きな問題はおきませんでした。「急な豪雨による出水など」という単純な話ではなさそうです。
 公表資料をみた限りですが、私はトンネルを壊したのは地下水の浮力であると考えています。県の担当者も発表で「路面の浮き上がり」という表現を使っています。一方、岐阜のリニアの工事も、この事故を受けて異例とも思える急速な対応で中止になりました。つまり土木関係者たちも「防水工事で発生した水の浮力がトンネルの床を浮き上がらせた」可能性を考えているということでしょう。

 新工法のリスク

 では、御自慢のRPG工法とはどのような工事なのでしょうか。RPGと言ってもロールプレイングゲームの略ではありません。土木学会がわかりやすい図を出しています。
https://www.jsce.or.jp/prize/tech/pd/2018_10.pdf
 簡単に言えば、地下水の多い区間で、トンネルの回りに巨大なコンクリート製の筒である「地山改良ゾーン」を作りそこで地下水の浸入を食い止めて、中のトンネルを守るというものです。北薩摩トンネルの場合、「地山改良ゾーン」の厚さが3mで全体の直径は25mぐらいで、高さ100mぐらいのコーヒーの空き缶が横倒しになっているような形状です。
 この工法の最大の特徴は、トンネルの完成後にも「地山改良ゾーン」を追加できる点にあります。実際に施工されたのは、北薩摩トンネルだけですが、土木関係者の間では評価が高く、リニア中央新幹線の水漏れででも採用されることになりかけたというわけです。

 さて、この「空き缶」の中には、本来は水がないエリアであるべきなのですが、もしそこに地下水が流入したらどうなるのでしょう。逆にどんどん水が中に溜まっていくはずです。
 上記の投稿論文では、工事完成後でもトンネルの中に毎時40tぐらいの流入が続いているとの記述があり、完全には地下水が入ってくるのを止め切れていないわけです。トンネルの中でさえこの状態ですから、その回りにある「あき缶」には少なくとも同量以上の地下水が入ってきていたと考えられます。トンネル崩壊時に床が水浸しになっていることもこの推定を支持しています。
 もし「あき缶」への流入が流出よりも多ければ、何年もかけて水が溜まり、中にあるトンネルは空洞ですから大きな浮力がかかります。水量が増えていき、ついに鉄筋コンクリートの基礎が耐えられなくなると、トンネルの床が浮き上がり、壁も崩れる。私はこんなシナリオを想定しています。
 つまり地下水からトンネルを守るための「地山改良ゾーン(あき缶)」が、水を溜めてしまったです。長靴に水が入ると、スニーカーや下駄よりも始末に悪いのと同じ原理で、その水が浮力を与えることでトンネルが崩壊してしまったわけです。
 これを防ぐには「地山改良ゾーン」内の水(ちなみにヒ素入りです)を確実に排水するために、ポンプなどを設置するしかありません。だったら、最初からトンネル内に入ってきた水を単純に排水した方が、簡単で安全ではるかに安上がりでしょう。なんらかの理由でそれが出来ないのなら、トンネルを堀りなおすよりありません。

 リニア中央新幹線の岐阜瑞浪での水漏れ対策は、当然ながら白紙に戻るでしょう。時速数百キロで走る高速鉄道では、自動車用トンネルとは比べものにならないほど、線路基板の安定性が要求されるます。一夜にして床が持ち上がると翌日の始発列車が脱線してトンネルの壁に激突しかねません。よって、工事を進めるには、地下水を完全に制御できる新技術の発見か、大深度地下トンネルの断念を含む大幅なコース変更しかなく、少なくとも年単位で完成が遅れるでしょう。
 ちなみには、北薩横断道路の北薩摩トンネルもリニアの日吉トンネルもどちらも花崗岩質の岩盤を通る山岳トンネルです。「我が」北陸新幹線で言えば、小浜付近のトンネル(私の分類では第Ⅳ区)で対峙する問題で、息も絶え絶えの小浜ルートにさらなる難題が発生したわけです。
 この延伸でより深刻なのは、大深度で帯水層の中を10km以上進む京都市内の第Ⅱ区です。何しろ「透水層上等」と啖呵を切って突っ込むのですから、北薩摩や日吉とは比較にならないほど地下水量が多く、あちこちで大きな浮力が発生するはずで、対策の難易度はリニア中央新幹線の比ではありません。また、京都駅へのアクセスを諦めない限り、迂回ルートも現実的ではありません。言い換えれば、岐阜瑞浪での水問題をクリアできるような対策がない限り、小浜・京都ルートでの延伸は、この点でも実現不可能だということになります。

 排除した者のその後

 考えてみれば、地下トンネルでの浮力は排除された地下水が帰ってきておこすものです。今回、読ませていただいたものを含めて、トンネル関係者の書くものを見ていると、地下水を排除する手段の開発には熱心ですが、排除したあとのことはあまり興味がないようです。地下という閉鎖空間では、排除されたからと言って、簡単に遠くに消えていくことはできないわけですから、ある意味で無責任な議論です。
 話は大きく変わりますが、これ、プーチン氏やネタニヤフ氏の思考方法に通じる所がありませんか。ウクライナ人やパレスチナ人を一方的に排除・迫害したところで、完全に殲滅してしまわない限り、いつかどこかで問題が大規模化した形で帰ってくるはずです。
 この点、ヒットラーは氏は、最初からユダヤ人の殲滅を画策していました。もちろん、支持や弁護の余地は、感情的にも倫理的にも道徳的にもありませんが、復讐される可能性を無くすために殲滅まで行こうとするのは、理論的には筋が通っています。
 他者を排除するのは「殲滅」してしまう場合以外は、いずれ失敗する。そして「殲滅」しようとすれば発生する「道徳的」「心理的」コストは「気の合わない他者と共存する」コストをはるかに上回ることになります。
 そういえば、今回お話した浮力も、「物体が排除した水が及ぼす力」なんて、中学レベルでは説明することがよくあります。理論的には問題のある考え方ですが、浮力の大きさを計算したりイメージするのには良く出来ているので、方便として使われています。このことからも、人間は排除したものについては、直感ではなく意識的に判断しないと、正しく対応できないものなのでしょう。


追記:せっかく、記事をキレイ?にまとめていたら、現場から続報です。浮力とはあまり関係ありませんが、どうやら岐阜瑞浪で、渇水に続いて地盤沈下までおこったようです。まあ、「風船に穴をあけたのですから、しぼむのは当然のこと」で、リニア中央新幹線の工事が、取り返しのつかない損傷を地域環境に与えたのは間違いないでしょう。
 高度経済成長期に工場地帯でよく見られた「地下水くみ上げによる地盤沈下」に類似したメカニズムの現象だとは思うのですが、そうではなく地下水の流れを変えたことによる大規模地滑りの前兆ではないことを祈るのみです。