福田村のハリスさん

つっこみタイプのヤメ検

 アメリカ大統領選挙のテレビ討論会、やっぱり無意味に荒れました。もとより先進国の政府にはあまり過激なことは出来ません。両陣営とも、世論調査結果から最も票になりやすい政策を選んだら同じような事を言うのは当たり前です。
 たとえば、トランプ氏が「人工中絶は殺人である。関与した医師は処刑する」などと言うかと思いましたが、どうやらこの路線は損だと選対が判断したようです。逆に言えば、アメリカの政治的分断といっても、ほとんどの有権者が常識レベルを共有できている程度の分断だということです。
 そのため、選挙戦では相手の政策ではなく失言を人格に結びつけて攻撃することになります。今回、両陣営通じて最大の失言はトランプ氏の「不法移民が住民のペットを食べている」でしょう。司会者は「証拠がない」とたしなめ、ハリス氏はあきれ顔で見ていました。
 討論の流れの中から出てきた話なのですから、その場に証拠がないことを批判しても仕方ありません。メモの持ち込みも許されないのですから、テレビで見たうろ覚えの話を持ち出してくることを断罪するのは酷な部分があります。
 これを聞いていた移民嫌いの人、移民の増加で酷い目にあっている人らは、「証拠はないかもしれないが、そんなことを突っ込むのは揚げ足取りじゃないか」と、反発したくなります。逆にリベラル派は、ハリス氏と一緒に冷たい視線を送るだけです。
 ハリス氏の「あきれて見せて細かくは反論しない。相手の土俵自体を蹴飛ばす」というのも選挙戦術としてはありなのでしょうが、これでは分断の向こう側の人には届きません。私自身も、英語力のせいかもしれませんが、あのわざとらしい呆れぶりを見ていて、少し嫌な感じがしました。我が宗主国の次のボスが大根役者というのは、できれば勘弁してほしいものです。
 なぜ、次のような冷静な反論をしないのでしょうか。「街中で犬や猫を捕まえる余裕が、空腹な人間にあるのだろうか」「血痕や毛皮や骨をどうやって隠すのか」「ペットの大量失踪の話など聞いたことがない」などです。こういう路線なら、良い意味で『ヤメ検』の面目躍如でした。中間層の評価は大幅に上がったでしょう。
 呆れて見せるならユーモラスに、「きっと、犯人は不法移民じゃなくて忍者でしょ。日本人ならショーヘイの弟かもね」「ドナルド。『子供のいないご婦人が飼っている猫』、一匹でいいから捕まえてみてよ。でも、食べちゃだめよ」......ここまでやれば、共和党支持者まで食いついてきます。
 ハリス氏に一番欠けるところは、瞬時にこういう戦術がとれる機転と実行力です。逆に言えば手堅い能吏なのでしょう。ノリで無謀な戦争を始めるようなことはありませんが、「力業で紛争を押さえ込んでとりあえず人命と人権を守る」というような、結果オーライのカリスマ的解決は全く期待できません。ガザやウクライナのことを考えたら、これはいささか残念な事です。

 目の子勘定のすすめ

 データがその場になく、いわゆるファクトチェックができない状況ででも、冷静に考えればフェイクを見破れることはよくあります。その際、大事なのは「量」を考えることです。
 たとえば映画「福田村」にもなった関東大震災後の「朝鮮人」虐殺。もとになったのは「震災の混乱の中、東京中の井戸に朝鮮人が毒を投げ込む」などのデマでした。
 このとき、物理学者の寺田寅彦は「井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。こんな場末の町へまでも荒らして歩く為には一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった」と地震の翌日には書き残しています。ちなみに、「目の子勘定」とは暗算レベルの概算判断のことで、科学者のセンスの良さは「目の子勘定」の使い方でわかるように思います。
 https://lite-ra.com/2018/09/post-4221_2.html
 ちなみに私の大学時代、地球科学を学ぶ学生が一番鍛えられたのはこの感覚です。ゼミで飲んでいるとき地震が起こると、震源あてクイズが始まります。もちろん、ほとんど酒席の余興なのですが、先生方はこういう機会にも私たちの素質を見極めて、私のような者は後継者に選ばなかったのでしょう。いや見事です。

 福田村事件では、香川から来た行商人の一行のうち、幼児3人を含む7人が「自警団」によって「逃亡中の朝鮮人暴徒」と間違えて殺された後、生き残りの命を助けたのは、現場に駆けつけた警察本署の部長の「わしが保証するからまかせてくれ」のひとことでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%9D%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 結局、人としての感情でもなく冷静な論理でも無く、場を納めたのは御上の権威だったわけです。下手をすれば自分まで暴徒の手にかかる恐れのある状況で、なんとか惨劇の拡大を抑えた部長のやり方は最善だったのでしょう。
 とっさのときに権威と常識を利用して問題を解決するのは時には、仕方の無いことかも知れません。特に我々日本人の集団では確かに「葵の印籠」が出てくれば、一旦は場がおさまります。チャンバラが始まるとすればその後、今度は助さん格さんの武力行使で解決します。
 暴徒やトランプ氏に対して、まずは上から目線でマウントをとる。ハリス氏のやり方はこの意味では普通のことですが、人類全体の命運を握る超大国の大統領には、もう一段上のレベルを求めたいと思います。センスの良い「目の子勘定」を駆使して、暴論を美しく論破できるような人を望むのは無理なのでしょうか。

 理想の次期アメリカ政権

 ハリスさんは、日本で言えば菅総理タイプ、副官としては極めて有能な人なのでしょう。大統領候補失格者のバイデンさんでも、現役大統領の職務を回していられる大きな理由のひとつは彼女のサポートでしょう。野球選手で言えばキャッチャー、漫才で言えばつっこみ、音楽家で言えば伴奏の名人。本人の業績が見えないとの批判もありますが、逆に言えば、これは有能な黒子の証でもあります。
 この人なら誰が大統領になっても持ち味を引き出す一方、破綻は先回りして回避してしまうことができそうです。私は、トランプ大統領&ハリス副大統領という組み合わせが理想だと思うのですが、まあ無理でしょうね。