逃したドジョウと涙の素描
8月31日(火)
一日中、研究室とマウスの飼育室を行ったり来たりしていたような気がする。
家に帰る途中、車を運転しながら面白いことを思いついた。
思いついたのだが、翌朝になってみたらどんなことだったかさっぱり思い出すことが
できない。思いついた場所は、名神高速の千里山トンネルに入るあたりで、その時の
周りの暗さとか車がまばらに通っている感じとか、「おれって冴えてるう」と考えた
ことなんかはありありと思い出せるのだが、肝心のひらめいた内容がすっぽりと記憶
から抜けてしまっている。手も足も出ない。
駄洒落みたいなものだったような気がしている。なーんだ、と思う方もいらっしゃる
かもしれないが、ちょっと気が利いていてパリのエスプリを感じさせるようなフレー
ズだった。自分で言うのもナンだがあれは素晴らしい思いつきだった。全く残念なこ
とこの上ない。
彫刻家の舟越保武氏の「巨岩と花びら」という随筆集に、大切なキリストのデッサン
を無くしてしまう話が出てくる。
氏は、キリストの顔を何度も何度もデッサンするのだが、どうしても納得いくように
書くことができない。それでも、あきらめずに何度も書き直しているうちに、一枚だ
けびっくりするくらい上手くかけたものがあった。
自分が書いたとは思えないほど上手に書けたものだから、氏はでんぐり返りをしたく
なるほど喜んだ。
二度と書けないかもしれない傑作デッサンを大事に保存するため、クレパスの粉が落
ちないようにフィクサチーフというものをスプレーした。
するとなんということか、スプレーした部分が濡れて水滴になり、キリストの顔の上
を沢山の水滴がだらだらと落ちていきそうになった。
言葉にもできないほどのショックでどうすることもできず、氏はただその水滴がした
たり落ちるデッサンを見つめていた。
すると、両目のあたりにできた水滴が下の瞼の中央に集まり、二筋の涙のように両頬
を流れ落ちていった。
かくして、フィクサチーフの水滴はそのデッサンを描きあげた時点では思いもよらな
かった効果を生みだし、それは本当に二度とは書くことができない作品となった。
その随筆は、「どこを探してもデッサンはみつからないが、そのうち見つかると信じ
ている。でも、気持ちが落ち着かないのよね」というような感じで終わっている。そ
して、その隣りのページには、キリストの顔のデッサンが載せられている。おそらく
その絵が、無くしたデッサンなのだろう。
僕はその随筆が好きで何度も何度も読み返しているのだが、文章を読み終えた後でそ
のデッサンが目にはいると、「あ、見つかったんだ。いやー、よかったよかった」と
毎回心から嬉しくなってしまう。
悲しさと優しさと強さが同居している、とても素晴らしいデッサンです。
僕が忘れてしまった駄洒落は、舟越さんが書くデッサンには遠く及ばないものである
けれど、いつかまた思い出せればよいなあと思っている。フィクサチーフをかけるこ
ともできず、あいつはどこかへ行っちまった。