9月1日(水)
9月1日は母方の祖父が死んだ日。どういうわけか僕は最近、この祖父のことを良く
思い出す。
小さい頃、母親が祖父譲りの料理をよく朝食に作ってくれた。その料理は、母が小さ
い頃、祖父にキャンプに連れて行ってもらったときに教わったもので、「猫のコッター
」と呼ばれていた。
コンビーフを細かく砕いて、とき卵に混ぜ、塩と胡椒で味付けしただけのシンプルな
料理で、僕はこれをトーストした食パンにのせて、パンを半分に折って食べるのが好
きだった。半熟のうちに食べるのがポイントです。
小学校低学年の頃、「猫のコッターってどういう意味?」と母に聞いたことがある。
すると、母は冷たい目でニヤリと笑いながら、「コッターというのはドイツ語で『げ
ろ』という意味だよ。だから、猫のコッターは、猫のげろ」と教えてくれた。祖父が
ふざけて付けた名前なのだろう。
祖父は色々なものにあだ名をつけるのが好きな人だった。フランスの首相に似ている
から「ブリアンさん」と呼ばれていた知り合いのおじさんがいたし、出入りの電気屋
は鼻が大きいから「鼻」と呼ばれていた。
猫のコッターの意味を聞いたときはちょっとだけ驚いたが、僕は猫のげろを見たこと
がなかったし(実は今になってもまだ見たことがない)、名前はどうあれそれは文句
無く旨かったので、別にそれからも気にすることなく、母親によく作ってもらって食
べていた。
その後しばらくして、何となく猫のコッターは佐藤家の朝食メニューから消え去って
しまい、僕もすっかりその事を忘れていた。
それからまたまただいぶ時間が経って、病院で働くようになってから、ある日突然、
僕は猫のコッターのことを思い出した。
それは、ドイツ語では糞便のことを”Kot”といい、病院ではこの言葉を好んで使う
医者や看護師さんがいるからで、もしかして「コッター」とは”Kot”(こーと)の
ことではないかと思ったのである。
母は「猫のコッターってどういう意味?」と僕が聞いたとき、答えが「猫の便」じゃ
ああんまりだから、「猫のげろ」と嘘を教えたのではないかと思ったのである。
食べ物の名前をつけるのに「便」でも「げろ」でも似たようなものだが、まあそうい
う嘘をつくこともあるのかなあと思ったりしていた。その後もちゃんと調べることが
ないまま、月日はまたまた流れていったのだが、祖父が亡くなって丸14年が経った
この日(と言っても、書いているのは9月2日だが)、僕はとうとうコッターについ
て白黒はっきりさせることにした。
ちょっと時間が空いた夕方6時過ぎ、医局でドイツ語の辞書を探すと、なんと英和辞
典はあってもドイツ語の辞書がない。仕方がないので、図書館まで行ってみた。ちょっ
と面倒だったが仕方がない。僕は思い立ったのである。
人気がまばらになった図書館の中を歩いて辞書コーナーにいくと、ありましたありま
した。沢山の独和辞典、和独辞典たち。
発音から連想して、Kotのあたりからつらつら辞書を眺めていくと、”Kotze”という
単語がありました。これが「吐物」という意味らしいです。「コッツァー」という読
み方に近いのでしょうか。ちなみに、”kotzen”というのが動詞形で「へどを吐く」
という意味のようです。
ちゃんとありました。猫のコッターはちょっと読み方は違っていたけれど、ちゃんと
「猫のげろ」という意味でした。母は嘘をついていませんでした。母上さま、疑って
ごめんなさい。
長年の疑問を解決してすっきりした僕が図書館を後にすると、空は夕焼けがとても綺
麗でした。でも、これは9月2日の夕焼けで、昨日の夕焼けはもっと綺麗でした。昨
日は「太陽にほえろ」みたいな夕焼けだった。