9月23日(木)
財布をなくしてしまった(なみだ)。
クレジットカード、キャッシュカード、運転免許証、学生証、病院のIDカード…。他に
も大切なカード類が入っていた。現金もいつもより多めに入っていた。
おそらく20日の夜、合気道の合宿からの帰りにどこかに落としてしまったのだが、情
けないことに財布が無いことに気がついたのは22日の朝。
22日の午後、診療所へ出張に行った後そのまま家に戻り、自動車や家の中をくまなく探してみたが、やっぱり財布はどこにも見つからない。いつまでも気をもんでいても
仕方がないので、カード類をストップし警察へ被害届を出した。
自動車のドアの内ポケットにねじ込んでいた財布が、ドアを開けた際に落ちてしまっ
たのかもしれない。
幸いなことに、20日以降カード類が不正に使用されていることはなさそうだった。
オペレーターのお姉さんに聞いたところ、クレジットカードの使用記録は、2週間ほど
前に「だれでもわかるハイデガー」というカセット書籍をamazonで購入したのが最後
だということだったので、最後にそのカードを使用したのは間違いなく僕である(はず
かしー)。
本格的に財布をなくしたのは何時以来のことだろう。
おそらくそれは小学校6年生のとき以来のような気がする。そのときは、ジーンズの後
ろのポケットに財布を入れて自転車に乗っていたらいつの間にか財布がなくなってい
た。
その財布を僕はとっても気に入っていた。ナイロンでできていて、グレー地に青い縁
取りがついていた。中には現金が二千円くらいはいっていた。
僕は現金を無くしたことと、財布を無くしたことが同じくらいショックで、自転車で
通った道を何度も探したが、結局財布は見つからなかった。
大学生時代の半ばからは財布を持たずに暮らしていた。
その頃、いつも僕の後ろには「じい」と呼んでいた爺さんが侍っていて、買い物や食
事の際、会計は全てその「じい」がやっていた。というのは全部嘘で、あれは何時の
ことだろう、向田邦子のエッセイで、「もし男に生まれていたら、一つだけしてみた
いことがある。それは財布を持たずにポケットから無造作にお金を出してお金を払う
ことだ。女だと残念ながらそう言うわけにはいかない」というのを読んだことがあっ
た。
影響を受けやすい僕はその文章を読んで、なるほどせっかく男に生まれたんだからそ
れをやらない手はない、と思い立ち、その日から財布を持つのを止めてしまった。
財布を持たない生活は働き始めて数年が経つまで続いたのだが、持ち歩かなければならないカード類が増えたことや、やっぱり財布くらいは持っていた方が良いなあと感
じるいくつかの出来事(どんなことだかは忘れてしまった)があったりして、三年くら
い前から僕は再び財布を持つようになっていた。
僕はズボンの後ろポケットに財布を入れるのが嫌いなので、財布はカバンの中に入れ
ていることが多かったのだが、手ぶらの時は、手に財布を持つか、仕方なくズボンの
ポケットに入れなくてはならない。「やまぎわ」のお母さんにいつかお説教をされた
ように、夏でも財布を入れられる上着を着ないといけないのかもしれない。
基本的にはとても悲しい出来事な訳だが、少しだけ新しい気分で生活を始めるチャン
スかなあと思ったりもする。
そこで、僕はまた「お財布無し生活」を再開してみることにした。何となく新しい財
布を買う気持ちになれなかったためもある。
新しい消費生活が安全かつ充実したものであることを祈って、夕方マネークリップを
買いに行ってきました。
さあ今日は免許証の再発行を頼みに行ってこなくっちゃ。