2012年01月31日

スーさん、インフルエンザに罹患する

1月31日(火)

気がつけば今日で1月も終わろうとしております。
たいへん遅くなりましたが、みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

いつもはほぼ週一のペースで日記を更新していたのだが、年明けとともに更新が滞ってしまった。
なんでだろう?
そうだ、インフルエンザに罹ったんだっけ。

あれは18日の水曜日。
朝は別に何ともなかった。ただ、その前夜くらいから咳がコンコンと出てはいた。「今日の夜は合気道のお稽古だから」と家内に言い残して出勤した。
午前中は授業を2コマ。ところが、お昼に近づくにつれ体がどよーんと重くなってきた。なんかヘンだと思ってお熱を計ってみた。7度6分だった。こりゃいかん、と思ってすぐに午後から休暇の申請をして帰宅。
着替えてコタツでうとうとしながら、3時ちょっと前に行きつけの内科医へ。受付で「熱あります?」と聞かれたので、「7度6分くらい…」と答えると、「じゃ、も一度計ってくださいね」と言われて計ると、38度を超えていた。「インフルエンザかもしれないですね」と言われ、すぐにベッドに誘導され、カーテンで囲われてしまった。
果たして、診断はインフルエンザA型だった。お医者さまからは、「タミフルと咳止め、鼻水止めと頓服を出しておきますね。でも、頓服はあまり飲まれない方が早く治ると思います。いずれにしても、今週いっぱいは職場にも行かないでくださいね。」と言われた。
熱で体が水分を欲していたのだろうか、帰りにスーパーマーケットで100%ジュース3本と、アルコール消毒液等を購入して帰宅。家内に感染させては申し訳ないので、インフルエンザと診断された旨メールを入れ、帰宅と同時に玄関のドアノブやらトイレのドアノブやらを念入りに消毒。いつものドライマンゴーとジュースを飲んで、すぐに処方どおりタミフルを服用してお布団に。
2時間ほど寝て熱を計ると、うれしや7度5分くらいに下がっていた。いやはや、タミフルの効能やよし。
またマンゴージュースなどを飲んでお布団へ。それにしてもよく寝られるものだ。2時間ほど寝て熱を計ると、今度は8度2分に上がっていた。タミフルの援軍が必要だと思った。家内が帰ってきたのは午後9時過ぎ。雑炊を作ってくれたのでそれを食べ、またタミフルを飲んでお布団へ。熱は8度をめぐって上がり下がりを繰り返していた。

明けて19日(木)。
まだ体のあちこちが痛んだ。熱は7度1分。だいぶん下がっていた。あまり寝てばかりだと腰が痛くなるので、起きてコタツで過ごすことにした。
こんなときこそ、いつもはなかなか読めない本を読もうとか思ったりもしたのだが、とてもそんな気にはならなかった。とにかく全体的に霧がかかったかのように頭がボーッとしているのだ。ふだんは見たこともないテレビの画面を見るとはなしに見て時間が過ぎていった。
気がつくとお昼近く。ちょうどうまい具合にと言っていいのだろうか、この日から家内は5連休だった。お昼を食べてタミフルを飲み熱を計ると、6度6分にまで下がっていた。でも、体はしんどかった。話をするのも億劫なほどだった。
午後も見るとはなしにテレビを見ていた。この時間帯に見ている人たちを想定しているからだろうか、どうも高齢者向けの保険やら入れ歯やらのCFばかりが目についた。
夕方、夕刊を取りにこの日初めて家の外に出た。雨が降っていた。部屋に戻るとケータイが鳴った。それから立て続けに4本の電話が入った。ふだんはほとんど電話などかかってはこないのに、こういうときに限って電話がかかってくるものなのだ。電話口の向こうでは、異口同音に「えーっ!インフルエンザなんですかあー?お大事にしてくださいねー」と言われた。そりゃあボクだってインフルエンザにかかるコトもあります。
前日はお風呂に入らなかったので、この日はゆっくりお風呂に入ってすぐに就寝。熱は7度以下に下がってきていた。

20日(金)。
ようやく平熱に戻った。体の痛みは多少残ってはいたが、だるさはなくなっていた。コタツに入って、iPadのFlipboardでGoogleReaderやTwitterをパラパラと見たり、テレビを見たりしていた。何となく、NHKの番組も民放化しているなあと思った。
夕方から、翌日の神戸・丸亀行きに備えて支度を始めた。前日まで封印していたビールも1缶飲んでみた。8割以上は復調したと実感した。

21日(土)。
この日は朝から神戸へ行く予定になっていた。
どういうことかというと、22日に、守さんのご紹介で四国の丸亀でTFTの講習会を受講することになっていて、初めは当日の朝に新幹線で行く予定にしていたのだが、娘もぜひ参加したいということで、ならば交通費が結構かかるから車で行こうかということになり、車だと時間がかかるから前日の土曜日に出発して神戸あたりで1泊してから行こうかという話になり、家内が「んじゃ芦屋のミツヤスさんとこで髪切ってもらおうかな~」と言うと、娘も「んじゃわたしももお~」ということなって、ミツヤスさんに連絡を入れたところ「午前11時か午後4時からなら何とかなります」とお返事をいただいたので、午前11時なら髪を切ってから時間あるから画伯の個展にも行けそうだねという話になって、娘とは当日午前11時にJR芦屋駅にて待ち合わせをして合流する手筈になっていたので、家内とともに何とか午前11時前に芦屋へ到着するよう浜松を出発したのであった。
要するに、丸亀への途中下車で神戸に前泊すること、ついては家内と娘はミツヤスさんとこで髪を切ってもらうこと、その間とーちゃんはバリのウブドツアー以来旧知となったSkype友だちフルタさん妹御と邂逅して妹御のミネソタツアーのおみやげ話を聞かせてもらうこと、画伯の個展には大阪駅に集合して歩いていくこと、夜は神戸でアオヤマさんオススメの中華料理店にて舌鼓を打つことが計画されたのであった。

道中、渋滞らしい渋滞もなく、予定どおり午前11時前にはミツヤスさんのお店に到着、歩いて芦屋駅まで娘を迎えに行き、自分はプリウスを宿舎のホテルに置かせてもらい、古田さん妹御と再会してお昼を一緒に食べながらあれこれ話を聞かせてもらい、それから大阪駅へと取って返して家内・娘と合流、iPhoneの地図を頼りに「番画廊」へ行って画伯の個展を鑑賞、再び神戸へ戻ってホテルにチェックインした後、アオヤマさんオススメの燕京にて中華料理の数々を3人で賞味したのであった。
もうインフルエンザは完全に雲散霧消していた。

22日(日)。
守さんからは11時半前には丸亀に来てくださいねと言われていたので、神戸を9時前に発つ。
垂水のJCから明石海峡大橋へ。もちろん渡るのは初めてである。壮大な橋を渡るのは何とも気持ちがいい。渡り終わった淡路ハイウェイオアシスにて記念撮影。前日の神戸は雨だったが、この日は朝から気持ちのいい青空が広がっていた。陽光がキラキラと反射する穏やかな瀬戸内海に架かる大橋は、いかにも見栄えがした。
気分がよくなって、そのまま淡路島を通過、大鳴門橋から四国に入る。
四国に入った途端、後ろの座先の娘が「四国の山って、ちょっと形が違うわよね」と言い始めた。確かに、「〇〇富士」と名付けたくなるような形のいい山が其処此処に見られた。
そのまま高松道を一路丸亀へ。
守さんとは、坂出ICを出たところで待ち合わせていたのだが、坂出JCとは違うだろうと思ってそこを取り過ぎてしまい、次の善通寺ICで降りて丸亀市内へ戻ることになった。守さんと連絡を取り合い、昼食場所近くで待ち合わせることにして合流、そのまま永楽亭へ。
何とも静かな永楽亭にていただいたものは、うどんではなかった。「え?まさか丸亀で?」というものをいただいた(何かはご想像にお任せいたします)。たいへんに上品な味であった。

昼食後、ホテルに車を置かせてもらい、そのまま歩いて講習会場である丸亀市民会館へ。
TFTについては、ご存じの方も多くいらっしゃるだろう。日本TFT協会のHPには、“TFTは、Thought Field Therapy のことで、日本語にすると「思考場療法」といいます。 米国心理学のパイオニアの一人であったロジャー・キャラハン博士が1970年代の終わりに発見し、発展させてきたもので、鍼のツボをタッピングすることで心理的問題の症状を改善させていくものです。”(http://www.jatft.org/introduction.html)とある。
講師は森川綾女先生。ひと通りの説明のあとで、実際にクライアントへの実践も見せていただいた。たいへんに興味深いものであった。
終わって夕方からは、その森川先生を囲んで、この日お休みだったお店を特別に開けていただいたという明水亭にて小宴。
みんなで鍋をつつきながら、あれこれ先生からお話を伺う。もちろん、最後のシメはうどん。「コシがあるのにモッチリしている!」とは娘の弁。
終わって、丸亀の名産品などを売っているショッピングセンターまで守さんにご案内いただき、職場への土産物等を購入してホテルへと戻る。守さんとはここでお別れとなった。

23日。月曜日ではあったが、この日はインフルエンザに関わりなく、以前から休暇申請を出していた。
浜松まで帰るだけなので、途中大阪に寄ってお昼を食べて帰ろうかということになっていた。娘は道頓堀を見たことがないと言っていたので、昼食は難波、できれば年末に行けなかった「銀平」でと考えていた。
再び、高松道、大鳴門橋、淡路島、明石海峡大橋を経て神戸へ。途中、阪神高速3号線が混んでいたので、5号湾岸線で大阪へ。難波近くのコインパーキングに車を停め、お目当ての「銀平」へ。もちろん、iPhoneのマップに導かれてである。
それにしても、「銀平」はちょうどお昼時であったにもかかわらず、落ち着いた静かなお店であった。もちろん、有名な鯛飯をいただきたかったのだが、それはまた次回のお楽しみということでお昼の定食をいただく。
満ち足りた気分で道頓堀へ。
「はり重」でお肉の佃煮を、りくろーおじさんの店で焼きたてのチーズケーキなどを購入して帰途に着く。
いやはや、おいしいものをたくさんいただいた3日間だった。

24日(火)。
この日は翌日からのスキー教室のために1年生はお昼前に出発式を行い、午後は帰宅して準備をすることになっていた。インフルエンザの流行も心配されたが、さほどに欠席者もなく、何とか行けそうな状況であった。

25日(水)。
職員の集合は午前6時。生徒の集合は6時50分。計7台のバスに分乗して、一路長野県のヘブンスそのはらスキー場を目指す。
中央道のトンネルを抜けると風景が一変して、まさに雪国だった。昼神ICを降りてスキー場へ。
ウェアを着替え、ブーツを履いた者からどんどんゴンドラに乗ってゲレンデへ。その間にインストラクターの責任者らと2日間の実習の打ち合わせを行う。
開校式を終える頃から雪がひどくなってきた。そのまま夕方の実習終了まで雪が降り止むことはなかった。
実習を終えて、この日の宿舎である昼神温泉のホテルへ。
大広間で250人超の生徒が夕食を食べるのはさすがに圧巻である。同時に、インフルエンザに罹患する生徒が出なければいいのだがと心配だった。

26日(木)。
前日の雪混じりの天気とは打って変わって晴天が広がっていた。心配されたインフルエンザと思しき生徒もなく、ゲレンデは青空に新雪が眩しく輝いていた。
前日は実習の途中で気分の悪くなる生徒も出ていたのだが、この日はリタイアする生徒もなく、予定どおり実習を行うことができた。
閉校式を済ませてスキー場を出発したのが午後3時過ぎ。浜松着は午後6時前。とにかく無事に終わってほっとした。

27日(金)。
勤務の割り振りの関係で、出勤は午前11時。生徒の方はやや欠席者が目立った。疲れていたのだろう。しかし、インフルエンザ罹患生徒が一気に増えていたのが気になった。

28日(土)。
この日は部活動でソフトテニスの1年生大会(団体戦)が予定されていた。
スキー教室もあって、ほとんど練習らしい練習もできていなかったし、レギュラー選手の中にはインフルエンザでスキー教室にも参加できなかった者もいて、はたしてどうなることだろうかと思っていたが、何とか予選リーグを全勝で勝ち上がり、決勝トーナメントも2回戦を突破してベスト8まで進出してくれた。
準々決勝以降は翌週の土曜日に予定されていたので、この日はここまで。それにしても、よくがんばってくれたと思う。
この日は2週間ぶりの支部例会。何と、大三元を和了ることができた!インフルエンザで苦しんだ分、いいことあるなあと思った。

29日(日)。
完全オフ。ほとんど終日コタツに入って読書していた。『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社文庫)を一気読みした。たいへんにおもしろかった。こういう休日が何より貴重である。

30日(月)。インフルエンザ罹患生徒が急増した。午後の授業をカットして対応することにした。

そして今日31日(火)。
相変わらずインフルエンザは猛威を振るっている。今日も授業は午後カット、部活動もこの2日間は休止することになった。げに感染症は恐ろしい。

というような今月後半の日記でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。再度、本年もどうぞよろしくお願いいたします。(拝礼)

2012年01月06日

スーさん、2011年の重大ニュース

12月31日(土)

今年も残すところあとわずかということで、いつもの3×10大ニュースを。

<出来事>
①転勤
新任地は佐鳴湖畔の高台にある大規模校である。第1学年の学年主任を拝命した。たぶん、ここが教職最後の勤務先となるはずである。
②台風15号
浜松を直撃した。猛烈な暴風雨だった。テニスコートの被害もひどかった。あらためて自然災害の恐ろしさを実感させられた。
③フィッシング詐欺に遭った
Twitterのスパムメッセージをクリックしたのが原因だと思われるが、iTunesからアプリを不正にダウンロードされてしまった。被害防止のためにAppleがアカウントを停止してくれたのはいいのだが、その後アプリのアップデートができなくて困った。かような詐欺行為は絶対に許されるものではない。

<くわばらくわばら>
①K県警◯◯駅前派出所
進入禁止の標識がない(代わりに「許可車以外は入れません」という立札)ところに進入したということで、家内が違反切符を切られた。
②教員免許更新講習
夏休みに都合5日間、締めて3万円の講習を受けた。コストパフォーマンスはあまりよろしくないという印象だった。
③蜂に刺された
まさか夏の大会のベンチで蜂に刺されるとは。思いもよらないことだった。でもその日の試合は優勝した。

<感動>
①内田先生の最終講義
神戸女学院大学講堂にて行われた感動的な最終講義、緊張してスピーチをした夜のパーティー。生涯忘れ得ぬ一日となった。
②凱風館道場開き
ついに内田先生の凱風館が完成、道場開き当日には多田師範による稽古を受けることができた。引き続いてのパーティーは、そのあまりの心地よさに前後不覚になるほど飲んでしまった。
③甲子園ボウル
4年ぶりに母校のアメフト部が甲子園ボウルに出場、見事大学日本一の栄冠に輝いた。久しぶりに大学時代の雰囲気を思い出した。

<旅行>
①内田ゼミ卒業生全員集合バリ島ツアー
新婚旅行以来となるバリ島へ。ウブドへ初めて行った。宿泊したアヨドヤ・リゾートは、何と今年のASEANの主催会場でもあった。
②セブ島
バリでアジアンリゾートのよさを再発見したということもあり、ちょうどライフプラン休暇が取得できる年でもあったので、銀婚式記念のセブ島ツアーへ。ホテルから一歩も出ず、ビーチとプールとサンミゲルを満喫した。バカンスな5日間だった。
③畑ゼミ合同同窓会
久しぶりに大学を訪れた。先生の奥様にも久しぶりにお会いすることができた。出席者の誰の胸にも、畑先生との特別な思い出が刻まれているのだと実感させられた。

<武道>
①韓氏意拳静岡分館
守さんをお迎えしての講習会も、入門者が会を追うごとに増えてきたことから、ついに静岡分館設立の運びに。めでたいことである。
②甲南合気会春合宿
初めて3日間フルエントリーした。しかし、往復の交通渋滞にはひどく悩まされた。
③けいぞうさん二度目の浜松講習会
前夜祭がたいへんな盛り上がりだった。もしも機会が許せば、大人対象の講習会を計画したいと思う。

<グルメ>
①沼津「丸味屋」
中華料理店なのに、お刺身や干物が食べられる(普通は食べられません)のも、全てはスガイ&ハラ先生のおかげ。もちろん、海老そばが絶品であることは言うまでもない。
②舞阪「てっちゃ」
浜松オープンの前夜祭を開催。ここの魚料理は、舌の肥えた京都人たちにもいたく好評だった。
③大阪なんば「一芳亭」
「大阪人」別冊「ちゃんとした大阪うまいもんの店」に紹介されていた華風料理店。とろけるような焼売が絶品だった。

<読書>
①『アースダイバー』(中沢新一、講談社)
地誌学的にはいろいろな解釈が試みられると思うが、そんな解釈にとらわれない自由な発想の豊かさを感受できる一冊。
②『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』(池田純一、講談社現代新書)
扱っている材料はなかなか大きすぎて料理しにくいと思われるのだが、それを力技でなく平易な語り口の中に収めようとした筆致はお見事のひと言。
③『フランス的思考』(石井洋二郎、中公新書)
内田先生の『寝な構』以来、久しぶりに思想関係の本を読んで興奮した。

<音楽>
①ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」
冬の間、毎日行き帰りの車の中で繰り返し繰り返し聴いた。演奏はニコラーエワの最初の録音。
②ヤナーチェクの「利口な女狐の物語」
吉田秀和氏の著作でこの曲のことを知った。「セリフなどわからなくても、そのすばらしい音楽を聴くだけでよい」というような記述がされていたと思う。確かにそのとおりだった。
③バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」
特にパルティータ第2番をよく聴いた。年齢のせいか、室内楽の静かな音楽を好むようになった。

<エンタテイメント>
①「坂の上の雲」第3部
3年にわたったドラマもついに完結。児玉源太郎と東郷平八郎のキャストだけがイメージと違った。
②「阪急電車」
大学時代のことを思い出した。懐かしい場所をたくさん見ることができた。
③「トラ・トラ・トラ」BD版
日米開戦70年ということでBD版をレンタルして見た。あらためて気づくことも多くて感心させられた。

<モノ>
①iPad2
SBの「アレ・コレ・ソレ」キャンペーンでげとした。噂以上のガジェットだった。Flipboardというアプリに仰天した。
②7Dのドライマンゴー
セブのお土産で買ってきたのだが、一晩プレーンヨーグルトに漬けてから食べると、得も言われぬ美味しさであることを発見した。以来、わが家には欠かせぬ食品である。
③ScanSnap
年末に「密林」でポチリ。すぐに配送されたので、さっそく糊の取れかかった写真集をスキャン。PCからWi-Fi経由でiPhoneやiPadに転送できるスグレもの。「自炊」の楽しみができた。

<おまけ>
今年の後半から読書量が一気に減った。特に理由はないのだが、自分の中で読書することへの考え方が少し変わったからかもしれない。読みたい本はたくさんあるのだけれど。

では、どちらさまもよいお年をお迎えください。

2011年12月21日

スーさん、甲子園ボウルにゆく


12月19日(月)

日曜日は、甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会決勝戦)観戦のために家内と甲子園球場へ。
激戦の関西学生リーグを勝ち上がり、西日本代表決定戦も制して、4年ぶりに「聖地」と呼ばれる「甲子園ボウル」へと駒を進めた我らがKGファイターズの応援のためである。
相手は、これまた「聖地」で相まみえるには相応しい日本大学フェニックス。出場31回を誇る関東の古豪である。

両校の対戦はこれまで大会最多の25回。フェニックス16勝、ファイターズ7勝で、2度の引き分け(両校優勝)という結果である。
前回の対戦は4年前。この試合は、甲子園ボウル史上に残る名勝負であった。残り10秒を切っての劇的なタッチダウンでファイターズが30年ぶりに対フェニックス戦の勝利を飾ったのであった。(詳しくは4年前の日記にて http://nagaya.tatsuru.com/susan/2007/12/18_2224.html)

この3年間、ファイターズは甲子園ボウルへの出場から遠ざかっていた。
80年代後半から台頭してきた京大ギャングスターズ、90年代からは立命館大パンサーズ、さらには2年前から関西大カイザーズなどのチームが、秋季リーグでファイターズを破るようになって、そう簡単には関西学生リーグを抜けることができないような状況を呈するようになっていたのだ。
昨年も、リーグ優勝(3校同率優勝)はしたものの甲子園ボウル出場をかけたプレーオフで敗れていた。
ようやく、並み居る強敵を撃破してリーグ優勝を勝ち取り、ファイターズにとっては「聖地」と称される甲子園へと戻ってきたのである。

KGの卒業生を含む関係者にとっては、甲子園ボウルは同窓会に出席するようなものだ。
KGアメリカンフットボール部のHPに掲載されているコラム(「スタンドから」)に、石井晃氏は以下のように書かれている。
“「キラー・コンテンツ」という言葉がある。広告業界発祥の用語で、決定的な、極めつきの、という意味を持たせて使われる。例えていえば、水戸黄門なら「葵の印籠」、阪神タイガースなら「六甲おろし」、巨人なら「王、長嶋」。いま風なら、ユニクロの「ヒートテック」というところか。
この季節の関西学院でいえば、クリスマスと甲子園ボウルがそれに相当する。(…)
試合終了の笛が鳴るまで、両軍とも一歩も譲らない戦いは、過去の歴史が証明している。4年前、長居スタジアムでの関学と日大の決戦は、試合終了3秒前のタッチダウンでファイターズが逆転勝ち。1984年の甲子園ボウルでは、ファイターズが残り4秒で8点差を追いつく粘りを見せ、両校優勝にこぎ着けた。こんな試合を目の前にすれば、それはその場にいた人すべてが生涯語り続ける伝説となる。そういう伝説を胸に刻んだ人が数多く存在することによって、ファイターズの活動がスクールスポーツとして敬意を払われ、キラーコンテンツとしての地位を獲得できたのである。”(12月10日、「いざ聖地へ」より)
かくして、「何をさておいても甲子園へ」ということになったのである。

前日は「武道な夜」だった。
夕方4時からは、北総合気会山田師範による剣・杖の特別稽古。前夜から月一回の師範稽古のために来浜されていた山田師範が、「せっかくだからもう一泊して剣と杖の稽古をしようか」と言ってくださったのだ。願ってもないことだった。
杖の基本的な持ち方・振り方から始まって、組杖の一つ一つの動きがどこでどう噛み合わされていくのかというところまで徹底的に教えていただいた。今まで適当にしか覚えていなかった組杖を見直す得難い機会となった。

この日の夜は、翌日に予定されていた韓氏意拳講習会のために守さんが来浜されることになっていた。忘年会のシーズンということもあり、駅周辺で懇親会の場所を確保するのが困難であったため、いつもの中華料理店を何とか予約して守さんをお迎えしようということになった。
ソッコーで帰宅して、守さんを迎えに行ったオノちゃんも同乗した家内の車で件の中華料理店へ。
守さんからは、今回もいろいろなお話を伺うことができた。いつもそうだが、新しい「グッズ」もご紹介いただいた。なんとも楽しいひとときであった。

さて、日曜日である。
チケットは、事前にアメフト部OBである「ゑびす屋さん」こと谷口さんが手配してくださっていた。なんと、OB会で用意した指定席である。これなら、場所取りを心配する必要はない。
今回は、同じソフトテニス指導者仲間である奈良県のオーヤマ先生も同行されることになっていた。ぜひ見てみたいとのことだったのである。

内田先生オススメの「ひかり」に乗車して1時間半足らず。新大阪には10時過ぎに到着。オーヤマ先生とは、10時半にJR大阪駅御堂筋口で待ち合わせていた。少し時間があったので、改札を出たところにあった書店にて、『呪いの時代』(新潮社)と『原発と祈り』(ダ・ヴィンチブックス)を購入。
程なくオーヤマ先生と合流して、まずは早目の昼食をということで阪神の地下へ。フードテリア内「銀杏屋」にて焼きそばとビールで再会を祝す。

谷口さんとの待ち合わせは、ちょうど12時に甲子園内野スタンド入口。
事前に「スタンドをKGブルーに!」キャンペーンということで、当日に青い服やタオルを身に付けてきた人には先着4,500名に甲子園ボウル限定ステッカーをグッズ販売テントにてプレゼントということだったので、ちょっと寒かなあとは思いつつも、ちょうど青色のフリースがあったのでそれを着用していったのだが、なんとキャンペーンは中止になってしまったとのことだった。せっかくなので、記念のTシャツを購入する。
そうこうするうちに12時。内野5番出入口のところに行くと、谷口さんの顔が見えた。チケットのお礼を言いつつスタンドへ。

既に、フィールドには両校の選手たちが出ていて、試合前の練習が始まるところだった。甲子園の緑の芝に、青と赤のユニフォームがよく映える。思わず、心が高ぶってきた。試合前の選手たちの意気込みが、自然とスタンドにも伝わってきていた。これは、実際にスタンドに足を運ばないことには感じられないものである。だからこそ現地に行くのだ。

国歌斉唱に続いてコイントス、いよいよキックオフである。前半のファイターズはレシーブをチョイス。
立ち上がりは両校ともにオフェンスはパントに終わった。静かな立ち上がりだった。
先制したのはファイターズ。第1Qもそろそろ終わろうかというところだった。フラッグが投げられたので、ひょっとしてTD不成立かと思われたのだが、どうやら反則はTD後に発生したらしかった。これでファイターズはモメンタムをつかんだ。
第2Qに入った直後にも、相手のファンブルからゴール前のチャンスを掴んで追加点。
フェニックスもテンポよく攻め込んでこちらのゴール前に迫るのだが、なかなかTDを奪うことができない。前半終了間際に何とかFGを返したのだが、直後のファイターズはロングパスを決め、それをFGに結びつける。取られたら直後に取り返す理想的な展開だった。結局、前半は17-3で折り返しとなった。

後半はフェニックスがミドルパスを次々とヒットさせてファイターズのエンドゾーンに迫るも、肝心なところでそのパスをインターセプトされたりして、TDを奪うことができない。
互いにオフェンスが手詰まりの様相を呈して第4Qへ。ファイターズの追加点は10分過ぎ。エンドゾーンに走りこんだRBにショートパスを投じてTD、24-3。これがファイナルスコアとなった。ファイターズ、24回目の甲子園ボウル制覇となったのである。

谷口さんにお礼を言い、「プロ野球の阪神・中日戦とはえらい雰囲気がちゃいますなあ」と感心しきりのオーヤマ先生と一緒に梅田まで戻り、行きと同じく大阪駅御堂筋口にてオーヤマ先生とも別れて帰途に就く。
日常を離れ、甲子園のフィールドいっぱいに覇を競う学生たちの姿を目の当たりにし、得も言われぬ清々しさを感じることができた。
些末的なことに汲々とすることなく、いつも心にこの日の空気を留めておこうと思った。
帰りの新幹線で、オーヤマ先生からのおみやげである柿の葉寿司を家内といただいた。
格別な味だった。

2011年12月16日

スーさんの師走

12月12日(月)

土曜日は、県中学生選抜男子ソフトテニスチームの第1回練習会。
先月末に行われた県新人大会個人戦で選抜された選手たちが、一同に会しての練習会である。

この県選抜チームというのは、最終的に毎年3月末に三重県伊勢市にて開催されている都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会に出場する選手を育成するために編成される。
もちろん、その前段階として日本連盟が主催する「競技者育成プログラム」(U-14)のための選考会もあるのだが、その時期は夏休みである。そうして、各県から選抜された選手たちが集う東海ブロックレベルの選考会(Step3)も、ほぼ8月の終わりに行われる。最終的にStep4に進む全日本レベルの選手育成ということを考えれば、夏休みの時期に開催されてもよいと思うが、翌年3月の大会に参加するための県レベルでの選手選考ということになると、夏休みの選手選考の結果をそのまま適用するというわけにはいかないところもある。
選手の成長が著しい中学生の場合は、特に実戦を通してその実力が培われていくということがあるからだ。となると、各地区で新人大会が行われる10月以降の試合結果も勘案しなければならなくなる。

その辺の事情も踏まえて、県連盟の中学生委員会では都道府県対抗戦に出場する選手選考のための内規を設け、県新人大会個人戦をその選手選考の場とした。実際の試合でそれなりの結果を出した選手を、その将来性も考慮しつつスタッフで協議して9ペア選ぶことにしたのである。

9ペアというのは、冬休み中に愛知県で行われる東海地区各県選抜チームによる対抗戦(東海インドア)に出場する、団体3チームの選手たちということである。
そうして、それらの選手の中から、2月に関東・東北・北信越各ブロックの選抜チームを招いて富士宮にて行われる研修大会に出場する選手、団体2チーム6ペアを選考する。その試合結果を踏まえて、最終的に都道府県対抗戦に出場する選手4ペアを決定するのである。
もちろん、試合だけで選考するわけではなく、その間に何度か行われる練習会でのパフォーマンスも十分に考慮される。技術面はもちろん、精神面でも県代表選手に相応しいかどうかということが検討されることは言うまでもない。

昨年度は、東日本大震災が発生したばかりということもあり、都道府県対抗戦は中止となった。
監督として3年目、内心ここで区切りと考え、結果についても秘かに期すところがあったのだが、幻の大会となってしまった。
そのまま監督も辞退しようと思っていたのだが、中学生委員会からは監督続行を要請された。最初の2年は団体戦は初戦負け。今年こそと臨んだ3年目は大会が中止。このまま何も結果を残せないままに監督を辞めてもいいのかという自問もあった。
あれこれ思案の末に、今年も監督を受諾することにした。

スタッフも替わった。最初に監督を引き受ける条件として主務に要請したヨッシーは、家庭の事情もあって
続行が難しいとのことで、代わりにオノちゃんがその役を引き受けてくれることになった。
これまで、主に前衛コーチとして練習の面倒を見てくれていたヤマガタくんも、家庭の事情でコーチを降りることになった。代わりに強力な助っ人をお願いすることにした。
富士宮のオノダくんは、引き続いてヘッドコーチ格で残ってくれた。あとは、同じく富士宮の若手代表でサノくんがお手伝いしてくれることになった。以上が実働スタッフである。

さて、今年の選手たちである。
件の県新人大会では、後衛選手ばかりが目についた。前衛選手は、練習を通して育成しなければならないだろうというのが、スタッフの一致した見解だった。
しかし、実際に練習をしてみると、なかなかどうしてどの前衛選手もそれなりのパフォーマンスを見せてくれた。特にゲーム練習では、いつものペアと違って新鮮だったためか、県大会では見られなかったプレーを随所に見ることができた。今後の練習でレベルアップしていけそうな印象も持てた。これはうれしい収穫だった。
来る東海インドアでは、レベルの高い岐阜県選抜などと対戦することで、選手たちが多くのことを吸収してくれることを期待したいと思う。

練習会が終わって、その日の夜は久しぶりに支部の例会。
まずは、新装オープンした中華料理店で腹ごしらえをして、いつもの寿荘へ。メンツは、ヨッシー、オノちゃん、オータくん、支部長である。
この日の夜は、月食だった。
月が陰り始めるのとほぼ時期を同じくして、わが点棒は次々と放出されていった。
逆に、第2ラウンドに入って俄然トップに躍り出たのは、育成組からステップアップしたオータくんだった。親で和了ったのをきっかけにして次々と和了り続け、終わってみれば6万点超の堂々たるトップ。
支部の仲間入りをして以来、記念すべき初の1勝を挙げたのである。
「いやあ、月食の夜は何かが起きますね。このこと、日記に書いてくださいね」とはオータくんの弁。そのオータくんの初勝利を多として、ここに記すことにしたのである。

2011年11月22日

スーさん、凱風館にゆく

11月21日(月)

凱風館道場開きのことを書いておきたい。

道場開きの前日(12日、土曜日)は、建築に携わった中島工務店さん主催の完成披露記念イベントである「オープンハウス」が予定されていた。以下のようなプログラムである。
引渡し式は午前10時から。正午から内田先生による合気道の稽古。夕方6時から完成記念イベントとしてお能の披露。引き続いて施主である内田先生、設計者である光嶋さん、つくり手である中島工務店社長による鼎談などである。

このオープンハウスに浜松から参加したのは、支部長、支部長の妻、オノちゃん、ハットリくんと、浜名湖道場からタカバさん、ヤマダさん、シンムラさんの計7名であった。
支部会員はハットリ号に、道場生たちはタカバ号にそれぞれ分乗して、東名の新城Pで落ち合い、一路神戸を目指したのであった。
道路情報によれば、伊勢湾岸道はいつものように四日市付近で、名神は一宮JC付近で渋滞とのことだった。どちらのルートを選んでも、京都までの到着予想時間は変わりがなかった。ならばと、そのまま東名・名神を走ることにした。
情報どおり名神一宮付近は渋滞していた。完全に止まってしまうことはなかったが、それでも40分以上は遅れた。ようやく渋滞を抜けたが、京都東IC辺りでまた渋滞とのことだった。迷わず京滋バイパスへ。途中、吹田で簡単に昼食を取り、名神を降りたのが正午少し前。

この日、家内はわれわれが合気道の稽古をしている時間に、「るるさま」こと芦屋のミツヤスさんのところで今夏以来の髪を切っていただく予定にしていた。そのまま43号線を走って芦屋のミツヤスさんのお店へ。
ミツヤスさんにご挨拶をして家内を残し、住吉へと急ぐ。もう稽古が始まっている時間だ。そろそろ到着というところで、先行した浜名湖道場生たちから到着したとのメールが入った。追って程なく私たちも到着、そのままオノちゃん(そう、オノちゃんも合気道を始めたんです)と更衣室で着替え、稽古に参加する。

初めて目にする凱風館の琉球畳。ふかふかしていて、いい匂いがする。道場にはざっと70名ほどが稽古をしていた。内田先生の稽古を受けるのは、今年3月の合宿以来である。
浜名湖道場生たちも、中に混じって楽しそうに稽古している。初めはかなり遠慮して隅の方にいたオノちゃんも、うっきひ師匠に発見されて稽古入りし、ころんころんと転がっている。新築なったばかりの道場で、気持ちのいい汗をかくこと2時間。

終了後は、その後の予定もあるので、ソッコーで妻を迎えに行き、ホテルへと向かう。実は、この日は神戸に投宿することができなかった。三宮周辺のビジネスホテル系は、まったく空きがなかったのだ。仕方なく、少しでも神戸に近いところということで尼崎に宿を取っていた。でも、結果的に家内の送り迎えを考えるとこれは正解だった。
稽古着のままでホテルにチェックインし、シャワーをさっと浴びて着替え、再び凱風館へ。私たちのホテルからJR尼崎駅までは、タクシーで10分以上はかかる距離だった。どうしようと相談していたところ、お酒を飲まないハットリくんがドライバーを申し出てくれた。たいへんにありがたかった。そのままハットリ号で再び凱風館へ。

完成記念イベントは、お能から始まった。山本画伯の描いた老松が正面に見える。お能の披露が終わると、内田先生から凱風館建設に携わった人たちに感謝状の贈呈が行われた。
その後は鼎談である。何より、中島工務店社長のお話がおもしろかった。「30年で建て直さなきゃいけないなんておかしいんです。100年は住める家を建てなければ」木の家に住むことがいかに素敵なことであるかということを教えていただいた。

鼎談終了後、近くにいた山本画伯から、老松完成までの経緯を詳しく聞かせていただいた。これまたたいへんに興味深いお話だった。絵のあらゆる部分に画伯の強い思い入れが込められていることがわかった。
その間に、道場にはシートが敷かれて、工務店さんから食事と祝いのお酒が振舞われる。一人一人に配られた枡で、いろんな日本酒をいただくことができた。隣のナカノ先生がどんどん注ぐので、つい調子に乗って飲んでしまった。何とも愉しい時間だった。

明けて日曜日(13日)は、道場開きに先立って、午後から多田師範による稽古が予定されていた。この稽古のために千葉から来神される北総合気会山田師範を駅までお迎えに行き、早目の昼食をご一緒して凱風館へと向かう。
140名超が集まった多田師範による稽古は、午後1時から。これだけの人数でも稽古はできるものだと思った。たっぷり3時間、多田師範を始め高段者の方たちの技を目の当たりにできた得難いお稽古であった。

稽古終了は午後4時。まだこの日投宿予定の神戸のホテルにはチェックインしてなかったため、すぐに三宮へと向かい、チエックインを済ませてスーツに着替える。
道場開きは六甲アイランドにあるベイシェラトン。道はどこも混んでいた。ようやくたどり着こうかというところで、カンキくんから「まだですか?」と電話が入った。開宴は6時からだとばかり思っていたので、「もうすぐ着くよ」と返事したのだが、開宴は5時半開宴だったのだ。受付に行くと、アオヤマさんから「もう始まってますよ」と言われてしまった。ちょうど多田先生がご挨拶をされているところだった。なんという失態!
中から拍手が聞こえてきたところで会場へ。中は、300人近くの人たちでひしめき合っていた。司会は「ゑびす屋さん」ことタニグチさんだった。
この日、日帰り参加の浜松支部員(ヨッシー、オーツボくん、シンムラくん、オータくん)らの顔ぶれも見えた。

乾杯が終わったあとは、主にヒラオさん夫妻、けいぞうさんとあれこれお話をしていたのだが、その間にもバリ島でご一緒した人たちともお会いして、まるで同窓会をしているような雰囲気になった。その愉しさと言ったらなかった。時間の経つのを完全に忘れた。
その雰囲気は、ホテル内での二次会になってさらにヒートアップした。この二次会では、小田嶋隆さんがけいぞうさんのすぐ隣に座っていらっしゃった。おかげで、あれこれお話をすることができた。何と、小田嶋さんのご母堂は浜松の出身とのことだった。浜松市のローカルな町名をお聞きして、思わず嬉しくなってしまった。
また、この二次会では内田先生のご令嬢るんちゃんの歌も拝聴できた。このあたりから、お酒の量がリミットを超え出した。まるで水を飲むようにワインや焼酎を飲んでしまったのである。

三次会は、江さんと元町へと繰り出した。「あまりやってる店がないんですわ」と言いながらも、案内していただいたお店でこれまたワインをしこたま飲んでしまった。実は、このお店を出た以降の記憶がない。
翌朝、家内からは「昨晩はタイヘンだったんだから。部屋に戻ると同時に靴も履いたままベッドで寝てしまうんし!」と言われてしまった。返す言葉がなかった(一緒に帰ってくださったエビちゃん、ありがとうございました)。

月曜日は有給休暇をいただいていた(浜名湖道場生の3人は前夜のパーティー終了後浜松に戻っていた)。
この日は午後から凱風館に甲野先生がお見えになるとのことだった。それまで午前中は、三宮で買い物をすることにした。
すかさず、ジュンク堂にて小田嶋さんの『地雷を踏む勇気』(技術評論社)を購入。それにしても、時間が経つにつれ、頭痛はひどくなるばかりだった。
昼食は、家内の希望もあって春日野道の「ひかりや」へ。もちろん、「焼き飯モダン」の大を注文して4人でいただく。
いっこうに回復の兆しの見えない頭痛を抱えて凱風館へ。
午後2時、甲野先生のお稽古が始まった。「つい最近気づいたばかり」という技もご披露していただいた。これまた得難い機会だった。
後ろ髪を引かれる思いで神戸を後にしたの夕方の午後4時。参加したそれぞれが、それぞれの忘れ難い思い出を胸の奥に大切にしまっての帰浜だった。

こうして、まことに濃い3日間が終わった。
新たな出会いが、またこれからどのようなテクスチュアを織り成していくのか、そんな期待が膨らむばかりの3日間だった。

2011年11月10日

スーさん、セブ島にゆく

11月8日(火)

ライフプラン休暇を中心にした、先月末から今月初めの10日間の日記です。

10月29日(土)
・この日は、週休日を振り替えての合唱コンクール。会場は、浜松市教育文化会館(はまホール)。
・自分とこの学年(1年生)は、学年で行ったプレコンのときよりはずいぶんとうまくなったという印象で安堵したが、とにかく3年生の合唱がすばらしかった。中体連の夏季大会もそうだが、中学校最後だからという思いは、いろいろな場面で子どもたちを一種のファナティシズムへと掻き立てるものなのかもしれない。
・勤務時間終了とほぼ同時にソッコーで帰宅。この日は、翌日の県西部地区中体連ソフトテニス部主催の審判講習会講師として、京都からお越しのミヤタ先生をお迎えしての小宴が予定されていた。市中体連ソフトテニス部首脳陣も顔を揃えて、来年の東海大会浜松市開催を視野に入れた審判技術向上の取り組みのお話を中心に盛り上がる。

30日(日)
・件の審判講習会は、オノちゃんの学校のテニスコートにて。50名以上の参加者が熱心にメモを取りながら講習に参加。何より、「せっかく休日返上で参加しているのだから、できるだけ楽しく講習をしよう」というミヤタ先生のスタンスがよかったと思う。終了後はミヤタ先生を囲んでの昼食会。つい最近ミヤタ先生も「あいぽん」のお仲間入りをされたばかりなので、アプリのことなどを情報交換しつつ中華をいただく。途中から降り出した雨の中、お帰りになるミヤタ先生をお見送りして散会。
・午後は散髪へ。旅行用である。

31日(月)
・午前中は部活動の指導に行く予定だったが、コートコンディション不良につきお休みにして、まだ何もしていなかった旅支度に集中する。キャリーケースを持ち出して服やらビーサンやらを詰め、1時間ほどで終了。やはり、旅行は暖かなところへ行くに如くはない。
・午後は手荷物用のバッグの整理。デジカメの充電器やらiPadやらをせっせとバッグに入れる。愉しい時間だった。
・この日は早めに帰宅した妻と簡単に外食を済ませ、早めに就寝。いよいよ明日からセブ島だ。気持ちが高まる。

11月1日(火)
・朝4時に起床。支度をして外はまだ暗い5時前に自宅を出る。浜松西インターのバス停からセントレア行きの直行バスに乗車。バス内はほぼ満席。この時間の利用が多いことに驚く。
・東名に乗ってしばらく走ると、事故のため豊川インターから音羽蒲郡インター間が事故のため通行止めになってしまった。私たちの前の座席の夫婦は8時の飛行機だそうだ。「これじゃ間に合わんなあ」とぼやくことしきり。しかし、こればっかりはどうしようもない。幸い、私たちの飛行機は9時半の搭乗予定だったのでそんなに焦ることはなかったが、前途が心配される出発だった。
・セントレアには40分ほど遅れて到着。すぐに国際線の出発ロビーへ。出国手続きを済ませて、まずは朝食。到着遅れについては、けいぞうさんから「現地でなにもないように、税金を払われたのですよ」とツイートが。なるほどそう考えればいいんだと納得。
・搭乗は9時過ぎ。いよいよ出発だ。それにしても、A330のエコノミー席は狭い。4時間ほどのフライトなのでがまんがまん。
・すぐに機内食が出た。もちろん、おいしいものではなかった。とにかく座席が狭いので、縮こまって食べなければならないのもつらかった。ビールを飲んで寝ようとしたが、どうも眠たくはならなかったので読書。持参したのは、『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース、中公クラシックス)と、『コロンブスの犬』(管啓次郎、河出文庫)。何となく今回の旅に合っている感じですらすらと読める。
・午後1時過ぎ、ニノイ・アキノ国際空港に到着。ここでセブ島行きの飛行機に乗り継ぎとなる。これがよくわからなかった。入国手続きをして国内線の乗り場へ向かおうとしたのだが、どこへいけばよいのやらさっぱりわからない。日程表のイラストも確認したのだが、どうもそれだけではどこへどのように行ったらよいのやらさっぱり要領を得なかった。仕方がないので税関の人や荷物受け取りのところにいた人に国内線乗り場はどこへ行けばいいのかを聞く。どうやら、一度出口を出て階段を登って行くらしい。言われたとおりに行ってみたが、国内線の乗り場へ行くには何度もセキュリティチェックを受けないと行けない仕組みになっていた。親切に案内してくれた人もいたが、すぐに「チップ、チップ」と要求してくる。言葉がわからないふりをしてようやく国内線の乗り場へ。かなり焦った。
・セブ島行きの飛行機に乗ったのは午後4時過ぎ。マニラからはおよそ1時間ちょっとのフライトだ。
・薄暮のセブ島マクタン空港に到着。待ち受けるガイドと落ち合い、流暢な日本語で滞在についての説明をあれこれと聞き、待っていたホテルからの車に乗り込む。
・途中、コンビニに寄ってもらって、夜食になりそうなつまみやらワインやらを買い込む。マクタン空港からホテルまではだいたい1時間半程かかるとのことだった。
・この日は祝日だったらしい。とにかく通りには多くの人が出ている。この地に特有の「トライシクル」や、複数人乗ったバイクをかわしつつ、車は猛スピードでホテルへ。まるで映画を見ているようなドライブだった。
・アレグレビーチリゾート&スパに到着したのは、日もとっぷりと暮れた午後8時過ぎ(現地時間)。生花のレイで出迎えてくれたのは、日本人スタッフのタカノさんだった。チエックインの手続きをしてまずは部屋へ。
・ここの部屋は、それぞれが独立したコテージになっている。エントランスから部屋まではかなりの距離がある。暗い道を歩いていったのだが、とにかく自然が豊かなところだと思った。明るくなったところを見てみたいと切実に思った。
・旅装を解き、まずは食事。レストランへと移動してほっと一息である。

2日(水)
・起きて外に出てみると、ちょうど海から朝日の昇るところが見えた。思わず写真に収める。
・そのままビーチへと降りてみる。早朝、誰もいないビーチを歩くのは気持ちがいい。
・レストランに行ってみると、昨晩はわからなかったプールが見えた。たいへんにキレイなプールだった。そのプールを眺めながら朝食。
・朝食後、エントランス付近で使えるWi-Fiで写真のアップを試みる。Facebookでやってみたが、思いの外うまくいった。これで期間中の写真は問題なくアップできると思った。
・午前中はプールへ。誰もいないプールで泳ぐのは何とも気持ちがいいものだ。
・午後は、スパへ出かけて無料のマッサージを受ける。サービスで30分だけやってくれるのだそうだ。これがまた何とも気持ちがよかった。家内ともどもへなへな状態に。
・マッサージの後は再びプールへ。ここのプールはなぜかプールの水がクリームソーダのように見えてしまうから不思議だ。いちばん深いところが5フィート。子供用に2フィートや3フィートの深さのプールも作られている。反対側で子どもたち3人が泳いでいる他は誰もいない。貸切の気分でのんびりと泳いだりプールサイドで本を読んだり。贅沢な時間だった。
・夕方、この日の写真などをアップしようとしたのだが、なぜかFacebookが受け付けない。どうやら、いつもと違う場所からのアクセスで、アカウントを一時停止してしまったらしい。あれこれとやってみたのだが、さらにアクセスを制限させる方向にいってしまった。Facebookでのアップは諦めることにした。

3日(木)
・何が美しいって、それはいつもベタ凪の海だ。刻一刻とその表情を変える。そのままずっと見ていても飽きない。
・アクセスできないFacebookに代わって、Google+を試してみることにした。これが案外正解だった。写真のアップもずいぶん簡単にできることがわかった。
・朝食時にいつも添えられているフルーツがこの上なく美味しい。普段はあまりフルーツなど食べない自分も、積極的に食べるようになった。何より、バナナの色が濃い。もちろん味も濃い。ついでに食事の味付けも濃い。南国は何もかも濃厚なのであった。
・着替えてこの日はビーチへ。海に入るなんて何年ぶりであろうか。少なくとも15年以上は海に入っていない。遠くにブイが浮かんでいるが、そこまでは腰ほどの深さだった。
・海に入ると、すぐに魚が寄ってくる。透明の鯉に似た魚だ。透明度が高いので、よく見るとヒトデや大型イソギンチャクの中にいるクマノミが見えた。カメラを持って海に入り、海からビーチを撮ってみたりした。
・お昼近くなったので海から上がり、一度部屋に戻ってから昼食。
・午後はプールへ。ちと泳ぎ疲れたので部屋に戻って昼寝。
・夕方、iPhoneのアプリでWi-Fiだけの接続で無料通話ができるかテストしてみた。ご協力いただいたのは京都の先生方。ちゃんと通じた。いやはや、とんでもない世の中になったものだと実感した。
・夜はビーチでバーベキュー。明かりが灯され、椅子やテーブルに白布が掛けられると、まるで日中とは趣が変わってなかなかの雰囲気だった。思わずサンミゲルを追加。

4日(金)
・のんびりできるのもこの日が最後。明日は早起きして空港へ行かなければならない。
・夜明けには曇っていた空も、朝食を食べ終える頃にはすばらしい青空に変わっていた。すぐ部屋に戻り、日焼け止めを入念に塗布してビーチへ。この日は、マリンスポーツクラブに行ってシュノーケルを借りて(終日レンタルで6ドル)海に入ることにした。家内はシュノーケリングが初めてだったらしく、最初は「どうやって付けるの?」とか言っていたが、実際に装着して海中を覗いた瞬間からその虜になった。それからほぼ午前中いっぱい、サンゴの周りを中心にシュノーケリングを堪能した。特に、サンゴの中にいる魚たちが「なんだ、何か用か?」とでも言っているかのようにこちらを見てくるのがとても笑えた。
・午後はプールへ。プールサイドでカクテルを飲むということを、一度はやってみたかった。レストランのバーでバナナダイキリをオーダーしてプールサイドへ。幸福感は絶頂に達した。
・そのままプールサイドで気持ちよくなってお昼寝。目が覚めると、けっこうプールも混み合ってきた(と言っても10人くらいだったが)ので、部屋へと退散。
・そう言えば、プールサイドにはツバメが舞っていた。そのことをツイートすると、オノちゃんから「越冬してるんです」と返ってきた。自分たちもこのままここで越冬したいと思った。
・夕方はいきなり曇ったかと思ったら雷が鳴り出した。一瞬ではあるが、何回か停電もした。雨季も終わりなのである。この日の夜はいつまでも雷鳴が轟いていた。
・アレグレ最後の夕食は、翌朝のこともあって早めに済ませる。仲良くなったレストランのウェイトレスのお姉ちゃんと記念撮影。彼女も来月は別の職場に移ってしまうとのことだった。なかなか現地の就業事情は厳しいらしい。
・部屋に帰って荷造りをする。いよいよアレグレともお別れだ。

5日(土)
・朝は4時に起床。日本を発つ時と同じ時間だ。身支度を済ませると、5時少し前に荷物を運びに来てくれた。エントランスまで行きチェックアウト。滞在中の全ての飲食やオプションの支払いはルームナンバーを告げてサインだけで済ませられた。支払いは全てカードである。らくちんなものだった。
・来た時と違って、さすがに夜明け前の道は空いていた。まるで高速道路のように走ってマクタン空港へ。途中、ドライマンゴーをお土産に買いたいとドライバーに告げると、空港近くの知り合いと思しきお店に立ち寄ってくれた。
・空港では契約ガイドが待っていた。てきぱきと手続きを済ませてくれた。すばらしく手際がよかった。家内と「チップたくさんあげた方がいいね」などと言っていたら、ここでお別れというところで、そのガイドから「ガイドさんに千円チップね」と要求された。しっかりしてるなあと思った。こちらが思っていたチップのほぼ10倍の値段だった。
・搭乗までは時間があったので、アレグレで持たせてくれた朝食のサンドイッチとフルーツをいただく。いとおしきセブのマンゴーの味だった。
・マクタン空港を発ったのは8時過ぎ。そのままニノイ・アキノ国際空港へ。またしても乗り継ぎがよくわからなかった。とにかく、案内に従って行くと、バリケードがあってそれ以上進めないのである。大回りをしてセキュリティチェックを何度も受けないと乗り継ぎができない。マニラの治安はあまりよくないと聞いていたが、それはこのようなところでも実感させられた。
・今回の旅行で最もネックだったのは乗り継ぎの待ち時間が長かったこと。セントレア行きの飛行機に搭乗するのは午後1時。3時間はたっぷり待ち時間があった。仕方がないので、残ったペソで簡単なお昼とお土産を買うことにした。サンミゲルもしばらくは飲み納めである。思わず2缶続けて飲んでしまった。
・待ち時間が長いとあれこれ人間観察などもするのだが、とにかく傍若無人の振る舞いをしていたのは、上海行きの飛行機を待っていた中国人。かような振る舞いを続けるとしたら、中国の人たちはそのうちに世界の人たちから嫌われていくと確信した。
・ニノイ・アキノ国際空港を発ったのは午後1時半。セントレアまでは、来た時と同様に約4時間のフライトである。日本との時差が1時間ほどだから、到着は日本時間で7時近くになった。日本に帰っての第一印象は、とにかくきれいだということ。家内は、空港のウォシュレットのトイレに感動していた。
・フィリピン航空はけっこう時間にルーズな航空会社だと思った。行きも帰りも、乗り継ぎの出発はかなり遅れた。でも、そのことについてのアナウンスは一切なかった。時間にきっちりしているのは、日本人の美徳なのか、それともそんなにあくせくすることないじゃないかというのが世界のスタンダードなのか、よくわからなくなった。
・セントレアからは直行バスで浜松まで。帰りは順調だったが、隣の席のおばはんがあれこれうるさくて閉口した。遅くなったので、帰宅の途中でいつもの中華料理店にて晩ご飯。久しぶりに食べる中華はひたすらおいしかった。

6日(日)
・起床した際、一瞬ここがどこかわからなかった。朝から雨だった。部活動に行く予定だったが、お休みにした。休めという天の声だと思った。とにかく、終日ぼーっとしていた。「今ごろセブの海は…」と、そんなことばかりが思い浮かんできた。気がつくと夕方になっていた。
・この日仕事だった家内は、帰宅と同時に「今日はいつもよりやる気が出て、集中して仕事ができた」と言っていた。いい休みになってよかったと思った。

7日(月)
・ネクタイをして出勤。職場に行くと、「日に焼けましたね」と言われた。お礼を言いつつ、勤務時間終了とほぼ同時に帰宅。
・またいつか必ずセブ島には行きたいと思った。

こんな10日間だった。

2011年10月19日

スーさん、悪戦苦闘する

10月18日(火)

フィシング詐欺のその後のことを。

Appleがすぐにアカウントを停止してくれたことは、前回の日記に書いた。
これで一安心と思っていたが、実はとても困ったことが出来した。
それまでにiTunesで購入したiPhoneアプリのアップデートができなくなってしまったのだ。
つまり、停止されているアカウントで購入されたアプリは、そのアカウントでなければアップデートができないようになっていたのだ。
それはまあそうだろうと思う。勝手にアカウントを変えておいて、「このアカウントを使う人物は、前のアカウントの人物と同一だから」なんて、簡単には証明できない。

何度かAppleにアカウント凍結解除のメールを送信してみたが、何も返信はなかった。
そのうちに、アップデートされるアプリは日に日に増えていった。
自分のiPhoneには、500を越えるアプリが入っている。
どうしてそんなに入れてるのかと問われる方もおられよう。そんなにたくさん入れて、どこに何があるのかわかるのかと。
仰せのとおりで、「ん?このアプリ何だっけ?」と思うことはしょっちゅう、使い方がわからずネットでその使用法を確認することもしばしば。
でも、アプリ紹介のサイトで「期間限定無料!」とか紹介されていると、つい「おお今のうちに入れておかねば!」と思ってしまうのですこれが。

かてて加えて。
その間にiPhoneのOSがiOS5にアップデートにされた。
その対応ために、いろいろなアプリが次々とアップデートされていった。そして、未アップデートの数はついに100を越えてしまった。
アカウント解除の方法は一つしかない。ひたすらiTunesのカスタマーサポートにキックを入れ続けることだ。
でも、相変わらず返信はなかった。

iOS5が発表された翌日、我慢できずに思い切ってiPhoneのOSアップデート作業をしてみることにした。
自宅のADSLでダウンロードにはおよそ2時間ほどかかった。
そうして復元。アプリの数が多いためか、いっこうに終わる気配がない。仕方がないのでそのまま放置して寝ることにした。
翌朝確認してみると、エラーが出ていた。原因は不明。とりあえずアプリの復元は諦め、何とかiOS5だけでもインストールできたiPhoneを持って出勤。その日は、一刻も早く帰宅してアプリの復元を試みようと思っていた。
帰宅してバックアップからアプリの復元を試みた。これはうまくいった。
ひょっとして、OSの変更と同時にアプリもアップデートされているかと淡い期待をしていたが、もちろんそれぞれのアプリはそのままであった。

実はこの日、帰宅途中にソフトバンクのショップに立ち寄って、「アレコレソレ キャンペーン」のことを聞いてきた。
iPhoneをすでにSoftBankで契約中だと、iPad2を月額0円から利用できる「(iPad専用)ゼロから定額プラン」に加入でき、さらに契約事務手数料も無料になるというプランだ。無料になるのは100MBまで。でも、Wi-Fiのみで使えば完全に0円でiPad2が使えるのだ。
キャンペーンの実施は翌日の金曜日から。「予約できますか?」と尋ねると、「すみません、直接お店に来ていただくことになります」とのことだった。
でも、その翌日はiPhone4Sの発売日だった。「既に予約だけで100人以上いただいておりまして、明日は相当に混み合うと予想されます」と言われたので、「確実に契約しますから、もしもお店に実機があれば取り置きしておいていただくことは可能ですか?」と聞くと、「どの機種がご希望ですか?」と言われたので、
咄嗟に「32GBの白です」と答えた。
店員さんが奥へ消えた。程なく戻ってきて「あります。お取り置きしておきますね」と言ってくださった。「よ、よろしくお願いします。できればこの土日に取りに来ますから」とお答えしてお店を後にした。天にも昇る思いだった。

週末の土曜日。
終日雨で部活動はお休み。夕方から、浜松駅近くのビックカメラにiPadのケースと保護フィルムを買いに行った。あまりに高価なのでびっくりした。純正品は諦め、手帳風のカバーとフィルムを購入して帰った。

明けて日曜日。
朝起きてメールを確認すると、iTunesのカスタマーサポートから待望の返信が入っていた!
ようやくかつてのアカウントの解除が行われたとのことだった。「ただし、パスワードをより強固なものに変更されること」を要望されていた。
すぐにパスワードの変更を行い、おそるおそるiPhoneアプリのアップデートを実施してみた。
おお!
App Storeのバッジからみるみる数が減っていく。まるで枯葉でせき止められていた側溝の雨水が、枯葉を除去した瞬間一気に流れ出していくようだった。
1週間ほど続いた便秘から解放されたような感じがした。

その日の午前中は部活動の練習が予定されていた。雨は上がっていたが、明け方まで降り続いた雨で、コートコンディションが悪いのではないかと思っていた。
実際にコートに行ってみると、とても整備ができるような状態ではなかった。練習は簡単なランニングだけに済ませて終了。
もちろん、まっすぐソフトバンクのお店へ。

お店に行ってみると、契約待ちの客はまだ少数だった。
待つこと暫し。
ついにiPad2がわが家にもやって来ることになった。
その日の午後が、いかに愉しい時間であったかはご想像にお任せする。

iPadがやって来たヤァヤァヤァ!

2011年10月14日

スーさん、詐欺に遭う

10月11日(火)

3連休中日の日曜日、朝起きて朝食も済ませ、そろそろ部活動の指導に行こうかとiPhoneを手に取ると、何やらホーム画面に見慣れぬアプリのアイコンが並んでいた。
ん?なんだこれ?とよく見てみると、何と14本もの購入した覚えのないアプリがダウンロードされていた。
アプリのダウンロードの際には、家内も娘も私のアカウントを使用していたので、ひょっとして娘が新しいアプリを入れたのかと一瞬思ったのだが、それにしては到底娘が入れそうもないアプリばかりが並んでいた。そのほとんどは、GPS情報を知るためのアプリばかりだったのだ。わざわざ娘に確認するまでもなかった。

してやられたのだ。
一瞬、血の気が引いた。いつかはこういうことがあるかもしれない、と思っていたことが発生したのだ。
すぐにPCのiTunesを起動してサインアウトし、アカウントを変更した。
気分が悪いので、すぐにそれらのアプリも削除してしまおうかと考えたが、「証拠」として残しておくことも必要かと思い、iPhoneを同期してiTunesにアプリを記録し、そののちに全て削除することにした。

この事実をAppleに知らせなければならない。
iTunesのサポートをクリックすると、ネットのiTunesサポートのページに繋がった。いくつかの項目があったが、ここならよかろうと思われるところ複数へ、「購入してないアプリが勝手にダウンロードされてます。どうすればよろしいですか?」と問い合わせを送信した。

同時に、電話で問い合わせはできないだろうかと考え、あれこれ調べてアップルストアに電話をかけるということも思いついた。調べてみると、午前9時から無料で問い合わせができる番号がわかった。
部活動の開始時間が9時だったから、電話は学校へ行ってからかけてみようと思い、とりあえず学校へと向かった。
途中、たいへんなことに気づいた。アカウントを変更したのはいいが、元のアカウントはただサインアウトしただけで、パスワードの変更をしていなかったのだ。
青ざめた。
とりあえず、iPhoneのiTunesからパスワード変更をしてみようと思った。

テニスコートに到着したので、すぐにアップルストアに電話をかけてみた。音声ガイドに従って番号をプッシュすると、最後は「iTunesに関するお問い合せは全てメールでお受けすることになっております」という音声が流れるだけだった。
ダメだこりゃと思い、すぐにiPhoneのiTunesを立ち上げてみた。すると、Wi-Fi環境下でなければ利用できないことが判明した。
目の前が真っ暗になった。
近くのマクドにでも行けばWi-Fiは使えるのだろうが、はたしてiPhoneでパスワードの変更までできるのかは疑問だった。
仕方がないので、部長を呼んで練習メニューを指示し、一旦自宅に戻ってパスワードを変更することにした。

とりあえずはこれで一安心である。
それにしても、どこでどうしてこんなことになってしまったのだろうと思った。思い当たる事実はなかった。
幸い、iTunesで1回に購入できる金額は1万円が限度である。それに、高価なアプリも確かにあるが、そのほとんどは85円、170円、250円のいずれかだ。被害金額は、総額505円だった。

翌日、iTunesStoreのカスタマーサポートから2通のメールが入っていた。たぶん、前日の問い合わせを2ヶ所に送信したからであろう。
1通は、「お問い合わせ頂いている案件について迅速に調査したいと考えておりますが、お問い合わせのメールではApple IDをご入力頂けず、お客様のアカウントを特定することができませんでした。恐れ入りますが、未承認購入があったアカウントを特定致します為、下記の情報をご提示頂けますでしょうか」とあり、
不正に使用されたアカウントや、購入されたアプリの注文番号等の報告が求められていた。
もう1通は、「被害拡大を早急に防ぐことが最重要と判断させていただきましたので、これ以上の不正購入を防ぐために、誠に勝手ながらアカウントを無効にし、このアカウントでの購入がおこなえないようにさせていただきました。また、問題のあった購入に使用されましたクレジットカードも今後 iTunes でご利用して頂けないように設定させて頂きました。」とあった。
しかも、今回の被害金額については、今回に限って返金してくれるとのことだった。

まてよ、ひょっとしてこのメールもインチキじゃないのか?だって、確かAppleはiTunesストアで不正に購入された事実があってもそれを補償したりはしないって言ってなかったっけ?ということを思い出した。他人のアカウントを使って不正にダウンロードしたヤツが、今度は新しいクレジットカードの情報を盗もうとしているんじゃないのかと疑ったのだ。
2通のうちの「クレジットカードを無効しました」以外のメールに、「このメールは大丈夫ですか?」と内容をコピペした問い合わせメールを入れてみることにした。
それでも、早急に対応してもらうためには必要な情報は報告しておいたほうがよかろうとも思い、求められた情報を双方のメールにはクレジットカード以外の情報について返信しておいた。

そして今日。
iPhoneのAppStoreでアプリのアップデートをしようとしたら、「このアカウントは無効化されています」とのメッセージが出てきた。
あ、やっぱ無効化されているんだと思った。てことは、あのメールはインチキじゃなかったのだ。カスタマーサポートの方には、失礼なメールを送ってしまったと後悔した。

Twitterを見ていたら、こんなTLが流れてきた。
「英語で"a bad blog about you?"という記述のあるDMはフィシングです。安全のため、被害にあわれた方のパスワードをリセットしています。新たなスパムDMを発見された場合は、@spamまでご連絡ください。よろしくお願い致します。」
思い出した。
少し前、フォローしている方からTwitterにDMが入っていた。
何だろうと思って見てみると、“a bad blog about you?”とあり、URLが添付されていたのだ。え?オイラの日記のこと?と思ってついクリックしてしまった。クリックした先には、なにもそれらしき頁は存在していなかった。
これだ!と思った。

フィシングとは、“悪意の第三者が会員制ウェブサイトや有名企業を装い、「ユーザーアカウントの有効期限が近づいています」や「新規サービスへの移行のため、登録内容の再入力をお願いします」などと、本物のウェブサイトを装った偽のウェブサイトへのURLリンクを貼ったメールを送りつけ、クレジットカードの会員番号といった個人情報や、銀行預金口座を含む各種サービスのIDやパスワードを獲得することを目的とする。”(@Wikipedia)行為のことだ。
よくわからないけど、Twitterのアカウントとパスワードが盗まれ、それが同じパスワードを設定していたAppStoreでも使われたということなのだろう。
もちろん、Amazonや楽天トラベル、HMVやタワレコ等のネットショップのアカウントとパスワードも全て変更したのは言うまでもない。

それにしても、まさか自分がこのような詐欺に遭うとは思いもよらなかった。
よく、「オレオレ詐欺なんかに自分は絶対にひっかかったりはしない」と言っている人に限って、ころりんと騙されてしまうというのと同じだったのかもしれない。

みなさま。
どうかお気をつけください。世の中、悪いヤツがいます。
そういう人には、きっと天罰が下ります。それは間違いないのですが、十分に気をつけておくことも必要かと思います。自戒を込めて。

2011年10月04日

スーさん、セブ島にゆく(ことに決定)

10月3日(月)

またライフプラン休暇の年が巡ってきた。
ライフプラン休暇とは、35歳から5年ごとの有休消化のための休暇だ。土日の前後3日間で取得するのが原則で、合わせて5日間は連続で休めるのである。
自分の場合は、今回が退職前の最後の休暇となる。
前回は、前半は伊豆の大沢温泉へhttp://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/24_2113.html、後半は神戸・大阪へと出掛けて(http://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/28_1023.html)至福のときを過ごした。しかし、これが最後の休暇となると、いきおいその時期と行き先とを熟慮せねばならないという気持ちにさせられた。

管理職からは、休暇該当職員が多いのでなるべく早めに時期を決めてほしいと言われていた。Googleカレンダーを眺めながら、学校行事や部活動の試合が入っていないところを探していたところ、何と8連休になるところを見つけた。
本校の合唱コンクールは10月29日(土)に行われる。もちろん、翌30日(日)はお休みで、31日(月)が合唱コンクールの代休。11月1日・2日と休みを取れば、3日が文化の日で5連休。さらに、4日に休みを取れば、次の5日・6日が土日なので、合わせて8連休!
それが認められるかどうかはわからなかったが、とりあえずそれで希望を出してみた。
夏休みに入る前、幸いなことにその日程で休暇が取れることになった。

せっかくそれだけ休めるのならと、思い切って海外旅行でもしようかと考えるようになった。
きっかけとなったのは、今年2月の内田ゼミによるバリ旅行である。久しぶりの海外旅行だったが、生涯忘れえぬほどに楽しいツアーだった。バリに行ったのは新婚旅行以来だったが、年齢相応に違った楽しみがあるということを知ったのである。

あれこれ考えて、最初はハワイに行こうかと思っていた。何と言っても、世界有数のリゾート地であるし、まだ行ったことがなかったからだ。
でも、ハワイツアーについての情報収集をしていくうちに、どうやらあまり安価には行けそうにないことと、どこへ行っても人が多そうで、あまりのんびりとはできそうにない感じがしてきた。
それからというもの、いくつか旅行社の人が学校に来るたびに、どこかおススメのところはないかと尋ねてみた。
ベトナムは物価が安いのでけっこう豪遊できると聞き、ついでにお隣まで足を延ばしてアンコール・ワットを見てくるというようなツアーも候補に上がったが、予算がけっこうかかってしまうことがわかってボツ。
でも、行くんなら予算的にもアジアだよなあということは決まった。

そんなとき、BSでマレーシアのランカウイ島のリゾートホテルを紹介した番組を見た。つい、食い入るように見てしまった。そして、ランカウイ島のことをあれこれネットで見ていて、『ふたりで行くアジアの「隠れ家」ホテル』(増島実、PARCO出版)という本を見つけた。すぐに「密林」のマーケットプレイスでポチった。
程なく本が届いた。写真集のような本だったから一気読みした。そうして、ランカウイももちろんいいが、日本から4時間ほどで行けるフィリピンのセブ島もなかなかよいではないかと思うようになった。

その本に紹介されていたセブ島のホテルは「プルクラ」という。全37室、オールスイートのコテージタイプで、どの部屋にもプライベートプールが付設されている。
件の本には、美しい「プルクラ」の写真とともに以下のような紹介文が付されていた。
「東京を飛び立って4時間あまり、飛行機はセブ島・マクタン空港に到着する。そこからプルクラまでは約1時間20分のドライブを要す。ホテルの敷地に入って、さらに数分。車はゆっくりとエントランスに滑り込む。ベルボーイに荷物を渡し、エントランスホールかに足を踏み入れたとたんに、あなたは、これから始まる滞在が心地良いものになることを感じるはずだ。(…)天井が高く、吹き抜けになっているため、海からの風がさわやかに通りすぎて行く」(50頁)
今すぐにでも行きたくなった。

ネットで調べると、いくつかプルクラへのツアーが出てきた。
もちろん、それで頼んでみてもよかったのだが、さすがに海外旅行となると何かあったときにきちんと対応してくれそうなところを選んでおきたかった。
幸い、JTB浜松支店には、教え子のカコくんという営業部長がいた。すぐに連絡を取った。
「あのさあ、セブ島行きたいんだよね。それも、プルクラっていうホテルに泊まりたいの。ツアーある?」と聞いてみた。
後日、そのカコくんが資料を持ってやって来た。どうやら、プルクラは37室の中にも部屋のランクがあって、大きさとか設備が微妙に違っているらしかった。ネットに載せられているツアーは、そのほとんどがいちばん安い部屋のものだということだった。
また、JTBのツアーならわざわざ成田まで行かなくても、セントレアから行けるツアーもあるとのことだった。成田までの交通費を考えれば、もちろんセントレアから行ける方がよい。
というあれこれを勘案した上で、やっぱりカコくんとこにお願いすることに決定した。その時点で11月のツアーはまだ出ていなかったので、「時期になってツアーが確定したら、またパンフレットを持って来ますから、それで確定しましょう」ということになった。

ところが。
9月のお彼岸を過ぎた頃、そのカコくんから申し訳なさそうな声で、「先生、こちらもうっかりしていたのですが、プルクラは部屋数が少なくて、ハネムーナーがもう半年以上前から予約を入れていたりして、部屋が取れそうにないかもしれないんです」と電話が入った。「時期が違えば取れる可能性もあるんですが」とも。
時期を変えることはできなかった。学校には既にその日程で休暇申請を出してしまってある。他の先生の休暇取得とも調整の上でのことだから、今さら休暇時期の変更は不可能だった。
「何とかがんばってみてよ」と頼むしかなかった。
それから待つこと1週間。
「先生、ホントにすみません。やっぱり11月1日からの滞在はお取りすることができませんでした」との返事だった。「3週間ほど後ならキャンセルが出たので取れるのですが」と。
プルクラは諦めるしかなかった。

でも、そう簡単には諦めることができなかった。
仕方がないので、プルクラと同じようなホテルはないか探してみることにした。
しかし、予算と時間を考え合わせると、なかなかセブ島のように条件のいいリゾートはなかった。諦め切れないままに、もう一度JTBのパンフに目を通していた。
プルクラを恨めしく眺めてふと見やった次のページ。同じセブ島で「総客室数38室、自然に囲まれた隠れ家的リゾートホテル」として紹介されていたホテルがあった。ホテルのグレードはプルクラよりもワンランク下のLグレードだったが、どうやらプルクラと同じような感じのホテルらしかった。

そのホテル、「アレグレ・ビーチ・リゾート」という。すぐにネットで調べてみた。
ホテルのHPで見ると、プルクラとよく似てかなりいい感じのホテルだということがわかった。
さらに、「セブ島、ホテルランキング」でググッてみたところ、ホテルの「口コミ人気ランキング」がトップヒットした。見てみると、何とプルクラよりも一つ上にランクされていた。
すぐカコくんに、「セブ島のアレグレっていうホテルなら取れる?」とメールを入れた。
翌日、そのカコくんから「予約できました」というメールが入った。飛び上がらんばかりだった。できればオーシャンビューの部屋がよかったから、部屋のグレードアップもお願いしたおいたのだが、それも予約できたとのことだった。
かくして、銀婚式記念の年、家内と一緒に行くセブ島「アレグレ・ビーチ・リゾート」への旅が決まったのである。

iPhoneには、指定された期日まで「あと何日」をバッジでお知らせしてくれる「あとマル」というアプリがある。さっそくそれをホーム画面のトップに置いた。
セブ島まで「あと28日」である。

2011年09月29日

スーさん、台風に襲われる

9月27日(火)

台風から1週間。
まだ各所にその爪痕が残っているが、それにしても凄まじい雨風だった。

台風15号の接近が報じられていたちょうど一週間前の火曜日(21日)は、その前の土曜日に行われた体育大会の代休だった。天気は朝から曇っていて、明け方には雨も降っていた。そんな天気だったので、部活動はお休みにした。
家にいると、朝からひどく耳鳴りがした。こういうときは、読書をする気にもならない。朝から何をするともなく、ぼーっとして過ごした。アオヤマさん(@aoyama_kobe)から聞いたのだが、台風のような低気圧が近づいてくるような気圧の変化が激しいときには、ひどく耳鳴りがする人がいるらしい。自分もその一人なのだということがわかった。
本を読む気にならなかったので、午後からは録画しておいたアオヤマさんやジロー先生(@jiro50)オススメの「サン・ジャックへの道」を見ていた。結局、その日は夜まで雨はほとんど降らなかった。
夜、メディアは岐阜県多治見市の大雨の様子を報じていた。ソフトテニス仲間のりょうさん(@ryousan777)にTwitterで様子を尋ねると、実際に多治見市に勤務しているワタナベさん(@Branpus22)の勤務先の方がひどい状態らしいということがわかった。mixiの日記にその様子がアップされているとのことで、さっそく覗いてみると以下のように書かれていた。
「①我が社のテニスコートへ山から濁流が押し寄せ、テニスコートがひどいことになりました。②その濁流が、そのまま社屋に侵入。1階が床上浸水となりました。パソコンをつないでいるランケーブルもしっかり水浸しとなりました(T_T) 水の威力をまざまざと見せつけられ。なんとも防ぐことのできないものだと体感しました。こんなわけで、昼からは復旧作業にいそしみました。しかし、私の最も大切にしているテニスコートはまだ手もつけられず。何本もの大きい流木がコート上にゴロゴロしてる。完全にコートが川になって、凸凹。表土はしっかり流されてしまい。悲惨なものです。社屋内の1階の掃除だけでもうヘロヘロ。明日は、1日かけて復旧作業。」
すぐにお見舞いのメッセージを入れた。りょうさんの方も、「縦横に走る高速が止まっているせいで19号も248号も大渋滞。瑞浪から2時間半がかりで帰宅しました。」とコメントがあり、実際に大雨による避難勧告が出ている地区を通って帰ったとのことだった。
浜松も明日は大丈夫だろうかと心配になった。

明けて21日(水)。起きてテレビを付けると、既に浜松市には暴風警報が出されていた。浜松市の場合は、朝7時の時点で暴風警報が出ていた場合、午前10時まで小中学校の児童生徒は自宅待機となる。 しかし、職員は待機ではない。時折、叩きつけるような雨が降ってくる中を出勤する。
午前9時、視界がほとんど得られないほどの雨が降ってきた。風も相当に強まってきた。
午前10時、引き続き暴風警報が発令されていたので、学校は休校。翌日の連絡を各家庭にメール配信または電話連絡ののち、職員会議に入る。この会議は、台風に備えての会議ではなく、本来次週の月曜日に予定されていたものを、休校になったために午前中に行うことになったものである。
11時、会議中ではあったが校舎のガラスが割れるのではないかと思われるほどのひどい雨風となった。どうやら、台風はまっすぐに浜松に向かって来ているらしかった。
12時。情報を見ると、台風は浜松の南西120キロの海上を北上していた。外はまさに「滅茶苦茶」と形容するのが相応しい風と雨の状況を呈していた。
14時。浜松市内の一部に避難勧告が出された。それと呼応するように、風向きが変わって一時凪いだような状態になった。台風の中心部が浜松付近に上陸したと報じられた。雨風がだいぶん弱まった。外を見ると、新幹線が線路上に止まったままだった。
校地内を見回りに行った教頭から、テニスコート付近の松が折れて、道路上の電線に引っかかっていること、他にも折れている木が多数あることを報告してくれた。市内は停電しているところが出ていることも報じられていた。
雨風が治まっていたのも束の間、すぐに今度は西からの猛烈な風雨が吹き始めた。吹き返しだ。この吹き返しも、台風の接近に伴う風雨に負けず劣らずの凄まじさだった。家のグリーンカーテンのことが心配になった。せっかくここまで順調に育ってくれてきていたのに、たぶんこの風に吹き飛ばされていることだろうと思った。
16時。ようやく吹き返しも治まってきた。外が少し明るくなった。雲が東の空へ飛ぶように流れていく。先ほどまで線路上に止まったままだった新幹線も、いつのまにか動いていた。ようやく台風が抜けたのだ。
勤務時間終了と同時に、ソッコーで帰ろうと思っていたが、その前にテニスコートの様子を見に行ってみた。水没あり、倒木ありで悲惨な状態だった。家の様子も心配になった。

帰宅してみると、グリーンカーテンは原型を留めていた。土台が少しずれただけで、葉も蔓も大丈夫だった。いやはや、強いものだと感心した。プランターの花がいくつか根こそぎ吹き飛ばされていた。家内が植えたシシトウとオクラもかなり傾いていたが、何とか根こそぎにはならずに済んでいた。それらを修復し、海水をたっぷり含んだ雨に晒されたプリウスを洗車して、ようやく一息ついたのが午後7時。それにしてもひどい台風だった。

明けて22日は、前日の台風が嘘のような青空。午後からは先日の体育大会でできなかった競技の残りを行うことになっていた。
グランドに出て競技の様子を見ていたとき、ふと振り返るとどこかで見たような顔を認めた。すぐに誰かわかった。新卒2校目の学校の2年目に、部活動でも指導し、担任もしていたクミちゃんだった。まちがいないと思ったが、かれこれ20年以上も会っていない。もしも人違いだったら失礼だよなあと思い声もかけられずにいた。そうこうしているうちに、クミちゃんと思しき人は帰ってしまった。後を追いかけて声をかけようとしたが、もう一人の保護者と二人連れだったのでそれもできず仕舞いだった。帰る前にPTA役員の人としゃべっていたので、その役員の方に聞いてみた。「先ほどしゃべっていた保護者の方、お名前わかります?」と尋ねると、「あら、お二人いたのでどちらの方かしら」と言いつつ、そのお二人の名前を教えてくださった。まちがいなかった。そのうちの一人は確かにクミちゃんだったのだ。「息子さんはサッカー部ですよ」とも教えてくださった。競技終了後、すぐにサッカー部顧問に聞いてみた。「え?保護者会の会長さんをしてくれているので、じゃあ今から電話してみますか」と言いつつ、電話をかけてくれた。電話を替わってもらった。聞き覚えのある声が受話器の向こうから聞こえてきた。どうやら、4月に自分が赴任してきたことはもちろん知っていたのだが、なかなか声をかけられずにいたとのことだった。「いつもテニスコートにいるから。近いうちに顔出してよ」と言って電話を切った。

その日の部活動はテニスコートの後片付けからだった。一面に飛び散った松の木の枝や葉を集め、折れた木をコートの外まで運び出し、土表面の砂を補充したりして、部員全員でかなり時間をかけて修復作業を行っていた。
と、そのときについ先ほど声をかけようとした保護者がコートまでやってきた。
クミちゃんだった。
懐かしかった。前回会ったのがいつのことだったか、それすら覚えていなかった。でも、教え子というのは不思議なものだ。こちらがほとんど覚えていない小さな出来事も、ほとんど正確に細部にわたって覚えているのだ。そうして、そんな話をしているうちに、20年の歳月の隔たりはだんだんと消え去っていった。今は2児の母となっていた彼女も、その時だけは中学生の少女に戻っていたのだった。
台風は最悪だったけれど、去った後にはうれしい再会が待っていた。

追伸
台風の来襲の際には、内田先生を始め、多くの方々からお見舞いのツイートやらメッセージやらをいただきました。この場を借りて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

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