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   <title>スーさんの熱血うなとろ日記</title>
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   <updated>2008-11-18T01:58:11Z</updated>
   <subtitle>since Jan 2004</subtitle>
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   <title>スーさん、音楽を聴く</title>
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   <published>2008-11-18T01:57:43Z</published>
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   <summary>１１月１７日（月） ２週続けて雨模様の土日。 土曜日は、お隣の磐田市にて行われた...</summary>
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      １１月１７日（月）

２週続けて雨模様の土日。

土曜日は、お隣の磐田市にて行われたソフトテニスの研修大会に参加。
日没の早まりに加え、この時期はどこの学校も文化発表会、合唱コンクール等の学校行事が入っていることから、練習がままならない。が、今月末には県大会も控えていることから、少しは試合感覚もなくさないようにしておかなければならない。そんな思惑あって参加させていただいた大会である。
結果はベスト８。今回は、１年生と組んだペアが公式戦で初勝利したことが収穫であった。これで自信をつけてくれればよいのだが。

試合が多少は早めに終わったので、ソッコーで浜松スポーツセンターへと向かう。この日は、北総合気会から山田師範をお迎えして、午後から合気道浜名湖道場の昇級・昇段審査が行われていたからだ。
会場に駆けつけた時には、ちょうど昇段審査が始まろうとするところであった。もしも自分が審査を受けるとしたらどうだろうという気持ちで食い入るように審査を見つめる。
審査は凡そ４０分ほどであったが、はたして自分がやると考えると身体が動くのかどうか甚だ心許なくなった。気を入れて稽古しなければ、と気持ちを新たにさせられた。

日暮れて、旗亭まことにはいつものメンバーが参集。「マトリックス」と岸田秀の話題で大いに盛り上がる。
最近は、麻雀をするより飲む方が楽しい。もちろん、麻雀が勝てないからだが（この日はちょっとだけ勝った）。

明けて日曜日からは、部活動はテスト休み。
テスト問題作成のため、午前中は学校へ。誰もいないと問題作成もはかどる。２時間ほどで解答用紙まで作成し終えて自宅に戻る。

この日の午後は、仕事が休みだった妻と連れ立って、チケットをいただいた「浜松マンドリンオーケストラ」のコンサートを聴くためにアクト中ホールへ。
このマンドリンオーケストラ、前任校でご一緒させていただいたハシモト先生がコンミス（女性の場合にはコンマスをコンサートミストレス＝コンミスって言うんですか？知らなかった）を務めている（もちろん、チケットはそのハシモト先生からいただいた）。

マンドリンオーケストラの演奏をしっかり聴くのはたぶん初めてである。
どちらかと言えば、ポピュラーな音楽を演奏することが多いという印象であったが、クラッシックを演奏することもあるということくらいは知識として知っていた。

開演は午後２時であったが、既にホールはほぼ満席であった。見知った顔もちらほら。
コンサートは３部構成（第１部がオリジナル、第２部がポピュラー、第３部がクラッシック）で、約２時間のプログラムであった。
演奏が始まった。
マンドリンという楽器そのものが、そんなに大きな音を出せる楽器ではない。だから、迫力という点ではもちろんオーケストラや吹奏楽にはかなわないのであるが、いかにも弦楽器らしい繊細な音を出せるところが特徴と言えようか。
不覚にも、マンドリンオーケストラのためのオリジナル曲があるとは知らなかった。

トリは、ホルストの組曲｢惑星｣より｢木星｣。中間部のサビのところだけをやるんだろうかと思いきや、何と
全曲演奏であった。これは熱演であった。迫力も十分。マンドリンの合奏でも、これだけの演奏ができるということだ。
よく練習してある曲とそうでない曲との演奏差は感じられたが、総じて演奏レベルの高さは保持されていたように思う。
ハシモト先生、お疲れさまでした。

でも、こうやってアンサンブルすることって、人間は好きなんだ。
一人で演奏したり、歌歌ったりするのもいいけど、それより何より誰かと一緒に｢合奏｣することもすごく好きなんだ。
そう思った。
他者と何かをコラボレーションすること。そうして、そのことで何かを成し遂げたという実感を得ること。そういうことが、人間は好きなのだ。そういう生き物なのだ。

音楽っていいもんだ。

      
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   <title>スーさん、読書の神器を入手す</title>
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   <published>2008-11-10T23:08:57Z</published>
   <updated>2008-11-10T23:10:29Z</updated>
   
   <summary> １１月１０日（月） 雨の土日であった。 こういうときは、ひたすら家にこもって読...</summary>
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       １１月１０日（月）

雨の土日であった。
こういうときは、ひたすら家にこもって読書をするに限る。

でも、土曜日は雨がそぼ降る中、午前中２時間みっちりと市営コートにて部活動の練習を行った。市ソフトテニス協会事務局から、ジュニアソフトテニス教室用のコートが２面余ったから使ってほしいと頼まれていたので、せっかく２面もあるのならとオータ先生のH中やモリ先生のI中も誘って、３校で合同練習をしたのである。

練習終了後は、すぐに家に帰って着替え、簡単な昼食を済ませて炬燵へと潜り込む。足下がぽかぽかしてくると眠くなる。そのままうとうとと１時間ほど午睡。
前から思っていたのだが、本を読んでいると眠くなるというのは、日常生活用の脳システムを読書用にリセットするための時間のような気がするのだが。と言うのは、そうやって少しだけ眠ったあとの読書というのは、自分でも感心するくらいのスピードで読めてしまうからだ。

今回集中的に読んだのは岸田秀。『ものぐさ精神分析』（中公文庫）と、『古希の雑考』（文春文庫）。
これらの本は、以前に購入してはじめの方を少し読んだだけで、そのまま書棚に戻されていた本だった。時に、そんな本がふと書棚を目にしたときに、本の方から「読んでよ」と呼びかけてくることがあるのだ。

前回、『シーシュポスの神話』（カミュ、清水徹訳、新潮文庫）を読んだときにも感じたことだが、今回の岸田秀もまさに映画『マトリックス』のアナロジーで読めるところがあった。
“そもそも人類は本来の意味での現実を見失った存在である。もはやそれを取り戻すことはできない。われわれは、見失った本来の現実の代理物として、われわれ各個人の私的幻想を多かれ少なかれ共同化した共同幻想をつくりあげ、その共同幻想をおたがいの暗黙の合意によってあたかも現実であるかのごとく扱い、そのなかに住んでいる。つまり、われわれの知っている現実とは、疑似現実であり、作為された現実である。”（中公文庫『ものぐさ精神分析』240頁）
『マトリックス』ですよねえ。
こうもいろんな著作に類推がはたらくということは、『マトリックス』が傑出した映画であったということであろうか。

他にも唸らせられたところがあった。「擬人論の復権」と題された章の最後である。
“現代医学は、擬物論的生理学に立脚しているかぎり、決して癌の治療法を発見し得ない出あろう。発想の転換が必要であろう。精神疾患と同じように、癌の現象もコミュニケーション学の領域に属するのではなかろうか。癌の治療は、国家のなかの反乱分子の駆除に似ている。タバコなど、癌の原因とされているものと、癌の発生との関係は、物のレベルの因果関係ではなく、たとえば、社会不安と暴動の発生との関係のようなものではなかろうか。それゆえに、物をモデルとする立場に立ついっさいのアプローチを拒絶するのではなかろうか。癌は、実態というより一つの思想、たとえばある独裁国家のなかの反逆的危険思想と考えるべきであろう。（…）癌細胞を取り出してすりつぶし、その構成要素を調べて癌の本質を知ろうとするのは、たとえばテレビをぶっこわしてその構成材料を調べて、テレビが伝えていた情報の内容を知ろうとするようなものではなかろうか。癌の治療法が発見されるときは、われわれのコミュニケーション学が、動物のレベルからさらにはるかに進んで、細胞のレベルのコミュニケーションまでも明らかにできたときではなかろうか。”（同書、216～217頁）
こんなこと、誰も思いつかないのではないか。癌の治療法にコミュニケーション学を使うとは！

『古希の雑考』では、「わが友アルベルト・フジモリ」がおもしろかった。
“ペルーは騙しと殺戮と虐殺の上に成立した国である。史的唯幻論を俟つまでもなく、このような異常な成立事情がこの国の社会構造を歪なものにしないわけがない。公務員が平気で汚職をするとか、テロリストが平気で無辜の一般人を殺すとかはその症状である。わたしは、フジモリの十年間の治世がこの国の歪な社会構造を是正する第一歩を画したと思っている。その第一歩を逆戻りさせようとあせっている者たちがあれやこれやの因縁をつけてフジモリを告発しているのである。”（110頁）
日本のメディアは、いったい何を報じていたのだろう。
岸田秀、いいっす。

これだから本を読むのは楽しい。
読書をするに適した季節になったということはあるが、実は読書をするアイテムが整ったということも、読書欲（？）の亢進に大きく与っている。称して、「読書用三種の神器」。
まずは、「遠近両用眼鏡」。ようやくにして、と言うべきであろうか、さすがに新聞も含めて見づらい場面が多くなってきたから購入することにした。
それにしても、よく見える！
もっと早く購入すればよかったと思った。
次は、「ブックスタンド」。ELECOM社製のEDH-004というシロモノである。
今までは、「ふーん、ブックスタンドねえ。いらないなあ」と思っていた。でも、アマゾンのカスタマーレビューの評価があまりにもよいので、つい注文してみようという気になったのだ。
週末に届いたので、すぐ実際に使用してみた。
いいっすよ、これ！
だって、本読んでる間、両手が自由になるんだから！（それがどうかしたのと言われればそれまでですが）
でも、ずいぶんとリラックスして本が読めることは事実である。ってか、集中して読める。これは「買い」です。
さらには、I.D.E.Ainternational製の「LEDブックライト」。「コンパクトにたためる、飛行機や新幹線で手元を明るくするのに便利、置くのはもちろん雑誌・本にはさめることもできる」という触れ込みの品である。とにかく、本だけを照らしてくれるのがいい。大きさは、ちょうどケータイほど。持ち運びも手間がかからない。
かくして、これら「神器」のおかげで、どんどんと頁が繰られていくのであった。

さて、土曜日は夕方から市の中心部へとお出掛け。
その日は市中体連の反省会があったのだが、それに出る気がない本校職員たちとプチ懇親会が予定されていたからだ。
中体連の反省会には、市内中学校の全ての管理職が勢揃いする。いつも思うのだが、そうやって宴会しているときに、何かコトがあったらどう対処するのだろう。校長・教頭ともに、酩酊状態で対処ができるのだろうか。せめて管理職のどちらかは、不測の事態に備えておくべきだと思うのだが。
特に合併後は、参加校数も増え、宴会場はテーブルと座席が所狭しと並べられ、とてもゆっくり酒など飲めた状態ではないと仄聞する。さらには、宴の後半は相変わらずこぞって管理職の席へと出向いて献酬とのこと。本来なら、管理職が各部顧問のところへ出向いて日頃の指導を労うのが筋というものであろう。
そういうこともあって、ここ数年は出席していなかった（今後も出席することはないであろう）。
飲み始めてまもなく、反省会に出席していたオノちゃんとヨッシーが合流した。「もう、ぜ～んぜんおもしろくないっす」と仏頂面である。「次回からもう参加しません」とも。
年季の入った指導者たちの言だ。会の持ち方を一考すべき時期に来ているということではないか。
でもま、「自閉的共同体は内部の都合でしか動かない」（＠岸田秀『古希の雑考』65頁）のだから、たぶん変わることはないのだろうけれど。

明けて日曜日も、朝からそぼ降る雨。すぐに主将のところへ電話を入れ、部活動の練習中止を連絡してもらう。
もちろん、朝食後はのんびりと「おこた」で読書。本を読んでいると時間の経つのが早い。
昼食後は近くのホームセンターで日用品の買い出し。帰りに、TUTAYAで「時をかける少女」アニメ版ほか１本を借りてくる。
読書の合間にまずは「時をかける少女」を見る。「今ふう」である。いつ「フカマチくん」が出てくるかと思いきや、身近なチアキくんが「その人」だったとは。あんまり懐かしさとかは感じなかったけど、高校時代とかって一種独特な時代なんだよなあと、遠い昔のことを思い出すような気持ちにさせられた。

こういう日曜日って、いい。

      
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   <title>スーさん、芝生のコートについて考える</title>
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   <published>2008-11-06T06:27:54Z</published>
   <updated>2008-11-06T06:29:21Z</updated>
   
   <summary>１１月４日（火） 以下は、先月末のニュース。 “文部科学省は２８日、サッカーくじ...</summary>
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      １１月４日（火）

以下は、先月末のニュース。

“文部科学省は２８日、サッカーくじ（ｔｏｔｏ）の収益によるスポーツ助成金の配分先を決める中教審特別委員会を開いた。来年度から小中高など公立学校の校庭を芝生にする事業を対象に加えることを決めた。くじを運営する独立行政法人日本スポーツ振興センターが年内に、全国の自治体に希望を募る。（…）従来も公設の野球場やテニスコートなどの芝生化は助成してきたが、校庭への助成は初めて。芝生にすると「けがをしにくく、年齢を問わず緑に囲まれて運動を楽しめる」（文科省）とされ、特別委も「国民に身近な助成制度とする上で有効だ」と校庭芝生化への助成を支持。放課後や休日に校庭が地域住民のスポーツ活動に開放されていることを条件に、対象に加える。小中高だけでなく、公立の幼稚園や特別支援学校も助成対象になる。”（＠４７News）

芝生ですか。

いいっすね。
でも、誰が管理するんです？
専用のキーパーとか配置してくださるんで？
じゃないと、夏休み明けとか、雑草だらけになりゃしませんかね。
冬の間に枯れて、そのまま春になっても再生しなかったとか。
ってか、枯れない芝生を植えていただけるんでしょうか？

でも、今、公立学校に必要な助成って、ほんとうに「芝生」なんですか？
文科省のお役人様方は、本気でそんなことを考えてらっしゃるんでしょうか？

時には、以下のような新聞社説の一説もご勘案願いたいのですが。

“文部科学省が昨年公表した公立学校の勤務実態調査結果で、小中学校教員の残業時間が平均２時間に及ぶことが分かった。また、日教組による最近の調査でも、先進国と比べて授業以外の業務が際立って多いことが明らかになっている。現実に、教員は本来の学習指導以外に、いじめ問題や親への対応などに追われている。多忙で厳しい状況にさらされて心を病む教師も後を絶たない。「教師にゆとりを」との声も高まっている。そのためには、教職員の定数増が有効な解消策に違いない。”（＠神戸新聞）

ちなみに、本校教員の週あたりの平均授業持ち時数は19.9時間。週28コマで時間割を構成しているので、何とか日に１単位時間（50分）は職員室で執務できる時間を確保し得ている計算になるが、日に２単位時間の執務時間（通称「空き時間」）はほしいところだ。そうすれば、教科に関することも学級事務に関することも執務する余裕ができる。

では、どうすればそんな余裕ができるか？
もちろん、神戸新聞の論ずるように、「教職員の定数増が有効な解消策」であろうことはまちがいない。

公立義務教育諸学校の教員定数は、「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」という長ったらしい法律によって規定されている（第７条）。
これは、「学級総数」に「当該学校規模に応ずる（第７条の）表の下欄に掲げる数」を「乗じて得た数（１未満の端数を生じたときは、１に切り上げる）の合計数」によって、教員数が決定される仕組みになっている。例えば、本校の総学級数は12なので、12×1.720（表に掲げられた数）=20.64、つまり教員定数は21人となる。
さらには、「指導法の工夫改善が期待できそう」と教育委員会に認められた学校には、地教委の「推薦」という形で、「加配」という増員をしていただけるシステムもある。これは、たとえば「来年度は１年生の英語と２年生の数学で全ての時間をＴＴで実施するよう計画してます。ついては、週あたり24時間も授業時数が増えてしまいます。」などと書面にして懇請すると、それに見合った教員が増員される（その関係書類を全て作成するのが教務主任の仕事である。うげげ。）という仕組みだ。
でも、そんなややこしい手続きを経てでも、教員を増員してもらいたいというのが現場の願いなのである。

現場にとって何よりうれしいこと、それはゆとりをもって授業や行事指導などができるようになることである。そのためには、教材研究や学級事務、校務分掌を処理する時間を確保することが必須となる。そのためには、まずは教員の定数を増やしてほしいのである。芝生はそのあとでいいのだ。

ま、いっか。
芝生のテニスコートってか。
それもいいかもな。
芝刈り機持参でコートへってか。
おしゃれだ。

      
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   <title>スーさん、業務連絡する</title>
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   <published>2008-11-01T08:57:41Z</published>
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      １１月１日（土）

業務連絡。

手前の拙日記のことについて、ご心配の向きがわざわざ教育委員会にまでご注進に及んだとのことで、くれぐれも誤解のないよう以下に注記させていただく。

・この「うなとろ日記」は、筆者個人のＨＰではなく、神戸女学院大学の内田樹先生のＨＰ内「長屋」にてアップされているものである。
・アップのシステムは、筆者が書いた日記のテクストをいったん内田先生のところに送信し、それを「大家さま」である内田先生が読まれ、「題名」をつけていただいてアップしてくださるというものである（まあ、こんなことは内田先生のＨＰに親しまれてきた方たちにはわざわざ言わずもがなのことなのですが）。
・日記を送信するのは、だいたい週はじめの月曜日の夜であることが多い。まかりまちがっても、勤務時間中に送信しているということはない（先生のメーラーの着信記録で確認できます）。
・たぶん、ご心配の向きは、日記のアップされている時間が勤務時間中であるということに注目してご注進に及んだものと推察されるが、アップされるのはあくまで内田先生のご都合で、先生がメールをご確認されて筆者の日記を読まれた後のことになるので、筆者がアップする時間をコントロールするということは不可能である（今までだと、先生はだいたい火曜日の午前中にアップしてくださっている）。

以上である。
今後もご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。ぺこり。

      
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   <title>スーさん、勝負について考える</title>
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   <published>2008-10-28T04:17:56Z</published>
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   <summary>１０月２７日（月） 土日は県西部地区中学校対抗フトテニス大会。 先週、本校の２年...</summary>
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      <![CDATA[１０月２７日（月）

土日は県西部地区中学校対抗フトテニス大会。

先週、本校の２年生は月曜日から３日間、野外活動に行っていた。もちろん、その間は練習などできようはずはない。帰ってきた翌日（木曜日）は雨だった。さらに試合前日（金曜日）も朝から雨だったのだが、何とか夕方には上がったので、すかさず市営コートの空き状況を調べると、２面だけ使用可能なコートがあった。すぐに１面予約を入れ、コートへと移動することにした。
何とか練習は行えたが、そんな練習だけではたしてどの程度のプレーができるのだろうかと不安が残った。

明けて土曜日が団体戦。
本校は第６シードであった。シード下には、先日の市内大会でも対戦したＭ中が入っていた。一度対戦して勝っている相手というのは難しい相手になるといわれる。「今度こそ負けないぞ！」と闘志をむき出しにして向かってくることが予想されるからであろう。それを受けて立っては劣勢となってしまう。「もしも相手がＭ中に決まったら、逆にこちらがチャレンジャーのつもりで試合をするんだぞ」と選手たちには言い聞かせていた。
案の定、Ｍ中が対戦相手になった。Ｍ中の２番手ペアは、先日の市内大会の個人戦でもベスト８に入っていて、めきめき力をつけてきているとの評判であった。その２番手がトップに出てきた。ゲームを先行されるとイヤな展開になると思っていた。こちらは大将ペア。多少はミスも出たが、特に競り合う場面もなく勝ってくれた。
次の対戦は相手が大将ペア、こちらは１年生ペアである。随所にいいプレーも見られるのだが、そこはやはり１年生のペアである。ミスも多い。結果、何とか１ゲーム取っただけで敗戦、３番勝負となった。
新チームになってからは、３番勝負が踏めるようかなり早い時期から殿を務めるペアを決めていた。そのおかげか、３番は多少はもたつく場面も見られたが何とか勝ってベスト８、県大会出場が決まった。

準々決勝の相手は、第３シードのＨ中。本校にも何度か生徒を連れて来たこともあるオータ先生が監督を務める学校である。それなりのレベルで平均化されたペア３組を擁している。
この対戦では、初戦でミスの目立った１年生ペアの片方を入れ替え、２年生の前衛と組ませて２番目に出してみた。このペアが相手の大将ペアとほぼ互角に渡り合った。どころか、ゲームカウントを３－２とリードしてそのまま勝ちきるほどの勢いであった。ところが、タイブレークに追いつかれて失速した。同じパターンで攻められてミスを繰り返し、善戦したもののあえなく敗戦となった。それでも、実戦でこれだけのゲームができるというところを見せてくれたのは収穫であった。
試合は３番勝負。シーソーゲームになったが、終始リードし続けた本校ペアが勝ってベスト４。

準決勝の相手は、１年生大会でも対戦して負けているＡ中。相手はなぜか２－１－３のオーダーを組んできた。相手のトップに出てきた後衛選手、ひたすらラケットを振ってきた。いいボールがびしびしとコートに打ち込まれてくる。こちらの前衛目がけても厳しいアタックを仕掛けてくる。結果、２－４でこちらの大将ペアが負けてしまった。２番目はＨ中戦で善戦した１，２年生ペアだったが、相手の大将ペアはなかなかこちらのペースでゲームをさせてくれない。結果、ストレート負け。これで、準決勝での敗退が決まった。

３位決定戦が残っていた。相手は、ジュニア育ちの大将前衛を擁するＫＨ中。互いに大将戦となったが、その大将戦を制した本校が、またしても３番勝負の末に勝って、３位となることができた。
望外の結果と言ってよいだろう。練習らしい練習もできないままに迎えた大会である。それでも、選手たちはそれなりのパフォーマンスを見せてくれた。練習の裏付けがあってのことと思う。

その日の夕方からは、いつもの旗亭まことにて小宴。「これ、ゼッタイ！」という女将さんに勧められるままに、赤芋焼酎「紅一刻」をキープして飲む。う、うまい！まるで水を飲むように飲んでしまった。
さらに、いつもの雀荘に移動して東回し。何と、オーツボくんがオーラスの海底で四暗刻を自摸ってしまった。よかった、２抜けで抜けてて。オチが着いたということで散会となる。

さて、翌日曜日は個人戦。本校からは２年生の２ペアがエントリーしていた。２試合勝てば、県大会出場が決まる。
ドローを見た。２番手ペアの組み合わせが厳しかった。２回戦で、新人戦の個人戦版とも言える市民スポーツ祭で対戦して負けているペア（その試合では３位に入賞）とまた対戦することになっていたからだ。もちろん、初戦を突破できるという保証はないのだが、そうなったらどういう戦術でゲームをさせるかということを考えていた。

２ペアとも、初戦は難なくクリアした。さて、問題の２番手ペアの２回戦である。選手たちを呼び、ゲームプランを話し、具体的な戦術を確認して送り出した。
試合が始まった。相手は、特に前衛選手が秀でている。どうやって彼に仕事をさせないかということが主な眼目である。その前衛選手、どうやらこちらの意図に感づいてくれたらしい。必要以上に警戒していることが見ていてわかった。こうなれば、あとはサインプレーを徹底させるだけである。
結果、２ゲームは落としたものの、どのゲームも先行してゲームの主導権を握り、勝利をものにすることができた。選手たちの喜びようも一入であった。

大将ペアの２回戦は苦戦であった。前後衛ともにミスが目立って、先に３－２とゲームをリードされてしまう。それでも、気を取り直して何とかタイブレークに持ち込むことができた。ところが、このタイブレークも一進一退。先にリードしつつも結局ポイント５－５と追いつかれてしまう。最後は、相手が力尽きて２本連続でミスしてゲームセット。どちらに勝敗が傾くかまったく予断ができない試合であった。これで、２ペアとも県大会に出場できることになった。

さすがに、前日の疲れやら接戦の疲れやらもあったのだろう、その後は両ペアともいいところなく負けてしまい、結局それぞれ９位と１６位で県大会には出場することになった。
でも、これも上出来である。
なぜなら、選手たちはこの新人大会のシリーズは県大会に出場することを目標にしていたからだ。選手たちの健闘を讃えたい。

実は、この大会の前日、『<勝負脳>の鍛え方』（林成之/講談社現代新書）を読んだ。
２カ所を引用させていただく。

“すぐれた勝負脳の持ち主は、決して目的＝勝負の結果に執着しません。勝つためにどのようなゲームプランを立て、何を目標に戦いを進めていくかというプロセスに常に気持ちを集中させることが、結果として目的達成につながることをたくさんの勝利の経験からイメージ記憶しているのです。”（80頁）

“「勝つ」という目的ではなく、「勝ち方、あるいは勝つために求められる技や作戦」という目標に向かって全力を傾けることです。”（132頁）

やっぱり、「勝つこと」を求めても、いいことはないってことなのだ。
今回の試合で、ウチの２番手ペアが第３シードに勝てた試合が、まさに「勝つためにどのようなゲームプランを立て、何を目標に戦いを進めていくかというプロセスに常に気持ちを集中させ」た結果であった。そうして、それが「目的」（本校の場合は県大会出場）達成につながったということである。

そろそろ「勝つ」ことを目的にするの、やめませんか？
いいこと、あんまないっすよ。
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   <title>スーさん、読書する</title>
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   <published>2008-10-20T22:48:08Z</published>
   <updated>2008-10-20T22:49:54Z</updated>
   
   <summary>１０月２０日（月） ふつうの土日だった。 午前中は学校で部活動の練習、午後は買い...</summary>
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      １０月２０日（月）

ふつうの土日だった。
午前中は学校で部活動の練習、午後は買い物やら読書やら。こういう週末の時間は貴重である。

土曜日の午後は、ずっとカミュを読んでいた。以前、内田先生がその文体を絶賛されていた『シーシュポスの神話』である。
とは言え、あくまで内田先生の場合は原語で読まれての話であって、邦訳でその感じがつかめるかどうかは、偏に訳者にかかっているのであるが。
その訳者、清水徹氏は、
「カミュの姿勢がつくりあげた、ときに抽象的な思索にふけり、ときに飛躍し、ときに叙情的にうたうこの本の文体を何とかときほぐしながら、原文のつたえるところを浮かび上がらせようと、訳者なりに努力した」
と「あとがき」に書かれていた。ますます原語で読んでみたい気持ちにさせられたが、さすがに今からフランス語のリテラシーを身に付けようという意欲は湧いてこない。

読みながら、｢不条理｣って映画『マトリックス』のアナロジーで読むとよくわかるという気がした。
“ふと舞台装置が崩壊することがある。起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく月火水木金土、—こういう道を、たいていのときはすらすらと辿っている。ところがある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる。すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてがはじまる。《はじまる》、これが重大なのだ。機械的な生活のさまざまな行為の果てに倦怠がある、が、それは同時に意識の運動の端緒となる。意識を目覚めさせ、それにつづく運動を惹き起こす。それにつづく運動、それはあの日常の動作の連鎖への無意識的な回帰か、決定的な目覚めか、そのどちらかだ。そして、目覚めの果てに、やがて、結末が、自殺かあるいは自己再建か、そのどちらかの結末が訪れる。”（清水徹訳、新潮文庫28頁）
まさに、『マトリックス』の世界そのものじゃありませんか！

他にも、
“《なにもののためでもなく》仕事をし、創造する、粘土に彫る、自分の創造には未来がないということを知る、自分の作品が一日のうちに壊されるのを眺め、しかも他方では、それも、数世紀のあいだ長持ちすることを予定して建築することも、どちらも本質的にはたいして重要ではないと意識している。—これこそが、不条理な思考がよしとする辛い叡智である。”（同書200頁）
というところなど、感心しながらせっせとアンダーラインを引いていた。

日曜日の午後は、内田先生の『女は何を欲望するか』（角川oneテーマ21新書）を読んでいた。
この著作は、以前に単行本を読み、そのまま誰か（たぶん女性）に貸したまま行方不明となっていたのだが、内田先生によれば、
“新書版は単行本にかなり加筆修正を加えた。ほとんど原形を止めないほどに書き換えたところもあるし、言っていることが「単行本とはまったく逆」というような箇所も散見される。だから、同じタイトルの本だけれど、「あれはあれ、これはこれ」ということでご了解いただきたい。”
ということだったから、新鮮に読めるだろうと思っていた。

「おおお！」と感動して、またせっせとアンダーラインを引いた箇所があった。
あとがきにこう書かれていた。
“人間は誰でも「そういうもの」を欲しがっているというのはほんとうなのだろうか。私自身は「そういうもの」には他人を競争的に排除してまで手に入れなければならないほどの価値があるとは思っていない。「あれば愉しい」のかも知れないが、「なくてもどうということはない」ものだと私は思っている。男たちが眼の色を変えて「そういうもの」を追い求めているときに、女たちには「どうしてあんな『空しいもの』を欲しがるの？」と頭から冷水を浴びせかけるような態度をとってくれたらと思う。その方がシステムの生理学的な安全のためにはずっと好ましいことだ。”（216頁）
それこそ、｢冷水を浴びせかけ｣られたような感じがした。
われらが中学ソフトテニス界の多くの顧問に、「そういうもの」を｢勝つこと｣に置き換えて読んでほしかったからだ。

実は、地元の新聞には県内の各地市町村にて行われたスポーツイベントを、その結果だけ報じるコーナーがあるのだが、｢ソフトテニス｣のところを見ていたら、またぞろ「研修大会」と銘打った結果が載せられていた。出場校は、いつも同じような学校ばかりだ。よくやるよ、と半分呆れながら見ていたのだが、
つい研修会で伝達講習があった改訂学習指導要領のことを思い出した。
その｢総則｣には、部活動についても触れられている箇所がある。
第４の13項、｢生徒の自主的、自発的参加により行われる部活動については、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること｣と書かれている。
この｢総則｣については、来年度から施行である。
いいですか、｢学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意｣しなければならないんですよ。
毎週のように、レギュラーメンバーだけを引き連れて｢研修大会｣を渡り歩くのは勝手だけど、その間レギュラー以外の部員は顧問がどうやって指導してるんだろうか？「地域の人々の協力」？でも、｢学校教育の一環｣でしょ？そんな配慮がどうなされているのだろうか？
ぜひとも、こういう学校の顧問に、｢指導者講習会｣をやってほしい。
勝つことを求めるのはいい。でも、そんなレギュラーだけを中心とする部活動経営は、｢学校教育の一環｣と言えるのだろうか？
こういう経営をしている顧問は、もしも自分がレギュラー以外の部員だとしたらどう思うかということを想像したことはないのだろうか？
どう考えても、レギュラーオンリーの部活動経営は、遅かれ早かれその歪みを露呈するだろう。そうなったときには、そんな部活動経営を放置していた管理職の責任も問われることとなろう。

でも、先生は続けてこう書かれていた。
“価値観はばらけている方がよい、というのは私の持論である。有限の希少財に同じ欲望を持つ多数の人が雪崩を打って殺到することは、誰にとっても生き延びる上で不利なことである。だからこそ太古から人間社会では、その成員たちを細かく下位集団に分割し、それぞれが自分の欲望を｢他の集団と競合しないもの｣に照準するという知恵を働かせてきたのである。”

先生、わかりました。こういうことも、人間社会の「価値観の散け」には必要だってことなのですね。
もう、この件についてあれこれ言及することはやめることにした。価値観はばらけている方がいいからだ。
でも、最後に先生の言葉をお借りして、こう言わせていただく。
｢私は（よくわからないけれど）正しいような気がする｣と。

      
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   <title>スーさんの連休</title>
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   <published>2008-10-15T23:14:35Z</published>
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   <summary>１０月１５日（水） ４連休だった。 ん？３連休のまちがいでしょ？って。 それが４...</summary>
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      １０月１５日（水）

４連休だった。
ん？３連休のまちがいでしょ？って。
それが４連休にさせてもらったんです。いえ、火曜日は年次有給休暇をいただいたってわけで。

土曜日は、旧浜北市を除く浜松市の市民スポーツ祭ソフトテニス大会中学校の部。新人戦の個人戦版とも言える大会である。各校からは５組ずつ、男子は計160組が参加してのトーナメント戦。ベスト32に残れば県西部地区大会に出場できる。
結果は、大将ペアが準々決勝で敗退して６位、もう１組の２年生ペアが２回戦を突破してベスト32入りして西部大会出場を決めた。他の３組はいずれも１年生が入っていたためか、残念ながら２回戦までで全て敗退してしまった。ま、こんなものであろう。

この日はすぐに自宅に戻り、この日休みだった妻と連れ立って映画を見に行くことにしていた。夫婦50歳割引きなら、１人千円で映画を見ることができるからだ。上映予定を確認すると、ちょうど「20世紀少年」がいい時間帯だった。「ちょっと早めに行って、軽く何か食べてから見ようよ」ということになった。
映画は面白かった。
何とも懐かしい思いにさせられた。主人公たちの少年時代が1970年代に設定されていたため、「そうそう、そうだったそうだった」など激しく頷かされる場面が多く見られた。ぜひ第２章以降も見てみたいと思った。

翌日曜日は、来年１月に予定されている市町村対抗１年生団体戦（ダンロップ・カップ）に出場する浜松市の代表選手選考会。
終日、勝てば上位コート、負ければ下位コートへと落とされる熾烈なサバイバルゲームが展開された。この時期、何と言っても小学校からのジュニア経験がある選手が強い。旧浜北市や天竜市の選手ばかりが目立った選考会だった。
終日運営に当たっていたシンムラくんやオータくんに、ジュニア選手にも負けない選手づくりをしていくための方策を考えるようハッパを掛ける。

その日の夜は久しぶりに支部定例会。
昨年もそうであったが、どうも秋口からツキに恵まれない。このところまたもやオノちゃんの猛追を受け、一時期100以上も離れていたトータルのプラスもほとんど差がない状態に並ばれた。それにしても和了れない。逆に、振り込むと大きい。まるで今季の阪神みたいだ。ってことは、トップにはなれないってことか。
途中、あまりの睡魔に襲われ、東回し２位抜けでやっていたので、「ゴメン先に帰るわ」と退出させてもらう。２日続けての試合で疲れていたのかもしれない。

さて、月曜日（体育の日）は、前々から妻と日程調整をして「ここしかない！」ということで決めた大沢温泉行。今年で３年目になる。
西伊豆松崎から那賀川沿いに山あいを東上、「ホテル」とは銘打っているが語感とは異なって歴史ある庄屋屋敷をホテルに仕立てた「大沢温泉ホテル」。
ライフプラン休暇で初めてこの宿に投宿し、得も言われぬ奢侈感と懐旧の情を引き起こされたことを契機に、妻と「これから毎年この宿に来よう」と約束して迎えた３年目。
昨年は、西伊豆の風光と佳肴を堪能させてもらった。今年は南伊豆がテーマである。

プリウスのナビに行き先を数カ所インプットし、ドライブミュージックのためのiPod touchとFMトランスミッタをセットして一路伊豆半島を目指す。
最初の目的地は「天城越え」でも有名になった旧天城隧道。事前に、ヤイリくんから「駐車場から歩くとけっこう距離あります」と聞いていたのだが、妻が「でも1.8キロでしょ？」と言うので、駐車場から歩くことにした。
歩き始めはよかった。「おお、いい感じじゃん。伊豆の踊子が通った道って感じだよなあ」などと軽口を叩いていた。ところが…。行けども行けども目指すトンネルは見えてこない。もちろん、道は登りなので足も息も苦しくなってくる。と、そのうちに上から車が降りてきた。「え？車で行けるのかよ」と知った瞬間から、急に歩く意欲が失せた。「な～んだ、車で来ればよかった」とぶつぶつ不平を言いながら歩く夫を傍目に見ながら、妻は「へえー、川の水きれい」などと嘆賞しつつ、スキップ交じりで歩いている。不平のない人である（だからこんな夫でもうまくやっていけるのだろう）。
ふうふう言いつつ、ようやくトンネル入口に辿り着いた。向こうに出口が見えた。せっかくだからとトンネルに入っていったのだが、ちょっと歩いただけでもう足下も何も見えない暗闇となった。妻は出口まで歩く意欲十分であったようだが、「もヤメよ」と引き返すことにした。

車に戻ると、正午を30分ほど回っていた。近くで昼食をとも思っていたのだが、事前に下田の昼食場所を調べていたこともあり、そのまま河津ループ橋を通って下田まで南下することにした。
１時間後、目的の店に到着した。下田港すぐ近くの「魚どんや」という回転寿司店である。
店の前まで行ってみると、何と店の外まで行列ができている。「どうする？」と顔を見合わせたが、妻が「どのくらい待つか聞いてくるね」と店内に入っていった。すぐに手招きをした。「あんま待たないみたいよ」と言うので、そのまま店内で待つこと10分ほど。ようやくテーブル席に案内された。もちろん、お目当ては地魚の握り。まずは金目鯛からいただくことにした。大沢温泉ホテルの夕食はボリュームたっぷりなので、あまり食べてはいけないと了解しつつも、「おお、これうまそう」とつい手を出してしまう夫婦であった。

ビールを飲んだ夫に代わって、そこからは妻がプリウスを運転する。そのまま大沢まで向かってもよかったのだが、翌日は雨が予想されていたので、何とか天気のよいうちにと半島最南端の石廊崎まで行ってみることにした。
ここでも、灯台まではずいぶんな坂を登るハメになってしまった。しかも、今度はビールが入っている。５メートルほど登っただけでイヤになってしまった。妻は呆れていた。
ようやくの思いで灯台まで辿り着いた。絶景！であった。来た甲斐があった。やはり、苦労しなければすばらしい結果は得られないということである。

下田から大沢までは、まっすぐ行ける道がない。「来た道を戻るのはちょっと芸がないかも」ということで、ナビを無視して道路案内に従って大沢まで行くことにした。これがとんでもない山越えになった。すれ違いも儘ならぬ狭い山道を、「も～！」と言いながらプリウスを駆る妻。その横でうつらうつらしながら「まだ着かないの？」と間抜けなことをほざく夫。

ようやく大沢温泉ホテルに着いたのは午後５時であった。もちろん、すぐに風呂へと直行である。
風呂に行くと、一人先客がいた。程なく、貸切となった。源泉掛け流しの湯を独り占めするこの贅沢を何と表現しよう。しかも、大沢の湯は掛け湯が必要ないほどに優しい湯温である。まさに「癒しの湯」である。そのまま半身浴やらを繰り返してほぼ１時間。でも、のぼせない。たっぷりと堪能して部屋に戻ると、ちょうど夕食の用意がされているところであった。
ここの夕食は、ほんとうに品数豊富である。さすがに、最後のデザートまでにはかなり時間をかけないと辿り着くこと叶わなかった。またもや、「お昼あんなに食べなきゃよかったね」と後悔する夫婦であった。
８時からはこの宿恒例の餅つきがあるのだが、それをパスして（逆にその時間ならまた風呂が貸切になる）大浴場へ。妻は夜が女性専用となっている屋上の露天風呂へ。
帰って来るなり「今夜って十五夜の月でしょ？すばらしいわよ！」と一頻り感心している。屋上の露天風呂は「満天の湯」と命名されている。しかし、それを堪能できるのは女性だけなのである。
湯上がりに冷えたオリーブ茶を飲みながらの四方山話に、伊豆の夜は深々と更けてゆく。
翌朝は、もちろん男女交代なった屋上の露天風呂へ。ここでも貸切状態で、朝の清々しい空気と鳥の囀りを愛でながら掛け流しの湯に浸かる。
確かに、大沢温泉ホテルは建物そのものは古いし（逆にそれが売りということもある）、他のホテルのように部屋付き露天風呂とかがあるわけでもない。でも、この湯だけは、たぶん伊豆半島のどの温泉にも負けない湯なのであろう。
そうなのだ。この湯に入りたいがために、また大沢温泉ホテルに来たくなってしまうのだ。

「また１年後ね」と大沢温泉ホテルを後にして、再び下田へと向かう。
下田港をめぐる遊覧船に乗ろうという目論見である。港に着くと、船が出たばかりだった。次の出航時間を確認して、それまで「開国博物館」を見学することにした。なかなかの展示であった。十分時間をかけて見る間もなく、遊覧船の出航時間が迫ってきたので港へ。
遊覧船は黒船を模して蒸気帆船を装っている。小雨が降ってきたが、それでも乗船客は20人ほど。カモメに見送られながら堤防の外へ出、ペリー艦隊が投錨したといわれる場所を遠くに見ながら、ぐるりと港を巡ること20分。吉田松陰が金子重輔とともに船を漕ぎ出した場所も見ることができた。
下船後、その場所へ行き松陰と重輔の像のあるところで写真に収まって下田を後にする。

帰りは、天城峠の道の駅で天然の山葵を購入しただけで、下田街道をひらすら北上する。昼も１時を過ぎて沼津港に到着、いつも行列ができていて入店叶わなかった「丸天食堂」にて、ボリュームたっぷりの昼食。
もちろん、そこでもビールを飲んでしまった夫に代わって、この日から集中工事が始まって渋滞必須の東名を避け、その影響でこちらも渋滞する国１をひたすら自宅へ向かってプリウスを駆る妻。どうやら、今回はこの構図がお決まりのようになってしまった。
東名は、清水・静岡間が渋滞していた。日本坂トンネルの手前では15キロ渋滞との情報も得ていた。そこで、沼津から焼津までは国１を走り、焼津から掛川までは東名を、掛川から袋井まではまた下道、最後は袋井から浜松西まで東名というドライブプランであった。
それにしても時間がかかった。ようやく家に辿り着いたのは午後６時。がんばって運転してくれた妻に感謝したい。

こうして、今年の大沢温泉行も終わってしまった。
来年が待ち遠しい。

＜追伸＞今回の旅行で撮った写真をmixiにアップしました。マイミク登録されてる方は、よろしければご覧ください。

      
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   <title>スーさん、負けて学ぶことについて考える</title>
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   <published>2008-10-06T23:17:46Z</published>
   <updated>2008-10-06T23:20:34Z</updated>
   
   <summary>１０月６日（月） 土曜日は、市新人ソフトテニス大会（団体戦）の決勝トーナメント。...</summary>
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      １０月６日（月）

土曜日は、市新人ソフトテニス大会（団体戦）の決勝トーナメント。
本校は、予選リーグを１位で通過し、第７シードで大会に臨んだ。

シードなので、２回戦からの登場である。
相手は、運動能力の高そうなサウスポー後衛を大将に擁するＭ中。オーダーは互いに１－３－２のがっぷり四つ。
サウスポー選手と試合をするときには、それなりの攻略法がある。事前にそのことを徹底させて臨ませると、いきなり３ゲームを連取することができた。そこから雑になって２ゲームを落としたが、続くゲームを引き締めて勝ってくれた。
真ん中は１年生ペアである。さすがに、簡単には勝たせてはもらえない。ミスが目立っていきなりゲームカウントは０－３。そこから１ゲームは取り返したもののそのままゲームセット。勝負は３番に持ち込まれた。そうなることは十分承知の上で、殿には主将のペアを配してある。やや前衛選手にミスが目立ったが、特に苦戦することなく勝ってベスト８入り。

準々決勝の相手は、優勝候補の一角である第２シードのＫ中であった。先日の日記で、ほとんど毎日夜９時まで練習していると書いた学校だ。しかも、主力選手はそのほとんどが今年の夏の大会を経験している。普通に考えれば勝ち目はない。
それより何より、今回の対戦でどうしても勝たねばならないというわけでもなかった。本校の１，２年生は他校に比べて練習のスタートがほぼ１ヶ月は遅れている。３年生が全国大会に出場したため、全中が終わるまでは１，２年生主体の練習に切り替えることができなかったからだ。
だから、まだまだ練習で積み重ねなければならない技術的な要素も多く、それを消化不良のままに今回の大会を迎えている。
ただ、毎日夜９時まで練習している学校などには、逆に負けたくないという気持ちもあった。予選リーグの試合ぶりなども見ていたので、どこをどう攻めればポイントが取れるのかもほぼわかっていた。
そこで、「来年の夏のことも考えて、今回はとりあえず相手をビビらせればいいよ。」ということで試合に臨ませることにした。

試合が始まった。
何と、相手がオーダーを組み替えてきた。着実に勝ちに来ているのか、多少とも弱気になっているのか。ただ、こちらの大将ペアとの対戦を嫌っていることだけは確かだ。豊富な練習の裏付けがあるのだから、堂々と大将ペアをぶつけてくればいいのにと思った。
実は、こちらも直前になってオーダーを組み替えてみた。大将ペアはトップ、そうして、いつもは殿に置いている２番手ペアをそのまま２番に起用した。万が一３番まで回らなかったことも考え、とにかく２番手にはＫ中と対戦させておきたかったからだ。

トップの大将ペア。いいテンポでゲームを進めてゲームカウントは３－０。続くゲームを競り合いの末に落としたが、第５ゲームは失ポイントなしで完勝してくれた。
次の対戦、相手は大将ペア。だが、トップが負けての登場だ。自分たちが負ければ団体戦は負けなのだから、それなりのプレッシャーがかかるであろう。対するウチのペアは、ボール回しのうまい後衛と、動きがよくクレバーな前衛の組み合わせ。いいマッチングだと思った。
それで、監督に欲が出た。勝てると確信した。そうして、それが負ける原因になった。
さて、具体的な戦術を確認して選手を送り出した。
案の定、相手後衛はボールが入らないし、強打もできない。サービスも弱々しく打つだけだし、もちろんダブルフォルトもあった。ゲームカウントを２－１とリードする。
ここから相手が慎重になりだした。無理をしなくなったので、ミスが減ってきた。逆に、こちらは勝てると思ったためか、「居ながらボレー」とかもミスするような所謂「凡ミス」が目立ちだ始めた。
ゲームカウント２－２から、続く第５ゲームをポイント３－１とリードしつつも、そこから連続して３本ミスが出て追いつかれ、さらにそこから競り合いの末にそのゲームを落として流れが変わった。結局、続くゲームも単調な攻めに終始してゲームセット。勝てた試合だった。

３番は１年後衛と２年前衛のペアである。対する相手は、既に今年の夏も団体メンバーに入っていた後衛選手のペア。２番手が負けた時点で勝負には負けていたのだから、まあお気楽に試合をさせようと思っていた。
試合が始まった。１年生後衛が、いいコースにびしびしとボールを打ち込んでいる。おいおい、どうなってんの？と思っていると、最初のゲームを取ってしまった。
続く第２ゲームは落としたが、第３，４ゲームは競り合いになった。何度もポイントが行きつ戻りつしつつも、最後はこちらのミスでゲームをものにできない。特に第４ゲームは、後衛同士の打ち合いから完全に打ち勝ったボールをこちらの前衛が思いきりアウトミスしたりして、流れをものにすることができないままに敗戦。この試合も、勝てる要素が随所に見られた試合であった。

結局、Ｋ中はそのまま決勝まで勝ち進み、そのまま１組も負けることなく優勝した。唯一３番勝負となったのが本校との対戦であった。
試合は負けてしまったが、ともかく優勝候補の一角である学校とこれだけ渡り合えたのは、本校にとっては大きな収穫だった。

それより、他校の選手ことながら、Ｋ中のある選手がいかにもつまらなそうにゲームをしている（そういうキャラなのかもしれないけれど）のが気になった。
テニス（ソフトテニス）って楽しいのに。
いくら好きな食べ物でも、毎日そればかり食べていたら好きじゃなくなるだろう。それと同じことになっていなければいいのだが、と老婆心ながら心配になった。だって、まだ中学生なのにテニスが嫌いになってしまうとしたら、それは全面的に指導する側に責任があるからでしょ？

今大会では、第１シードが初戦で敗退した。実力のあるチームと前評判は高かった（１年生大会は優勝）。その学校の試合ぶりを予選リーグで拝見した。本校の試合スタイルとは随分違うという印象であった。
シード校は、初戦で負けても敗者戦がある。来る県西部地区大会には、市内から１４校が出場できるからだ。でも、その順位戦も全て敗退したそうだ。
どうしてなのだろう。１年生大会で優勝して、満足してしまったのだろうか。
でも、もしもその敗退の理由が「テニスが楽しくない」ということだとするなら、これは考えなければならないことなのではなかろうか。

何度も何度も書いているが、スポーツを指導する人たちには「勝利至上主義」の弊害について、ぜひとも自覚的になってほしい。
もちろん、指導するからには試合で「勝つこと」を最優先していろいろな指導を展開するに決まっている。しかし、「試合で勝てるのなら」という条件文に、「何をしてもいい」とか、「マナーなんてどうでもいい」とか、「子どもの発達段階など考慮しなくていい」などというネガティブな字句が続くような指導（あるいは結果的にそうなっている指導）は、厳に慎まなければならないということである。

本校の選手たちを見てほしい。
今年の３年生たちのように、決して高いレベルの技術を持っているわけではないが、ほんとうにテニスの好きな選手たちばかりである。
現に、練習のない今日だって、昨日来の雨でコートに水がたまっていたところを、排水孔の枯葉を取り除いて排水し易くしたりしていたみたいだ。そんなこと、ひと言も指示してないのに。今年の２年生はつい最近までそんなことをしなかった。試合で負けたことが、有形無形の何かを彼らに与えてくれたのだろうか。
ってことは、負けて学ぶこともあるってことではないか。勝つことだけがすべてではないじゃないか。
手前味噌になることは十分承知の上で申し上げる。自然にそのスポーツが好きになるような指導こそ、私たちジュニア選手の指導者が目指すものではないか。

悪いけど、夏は本校の選手たちはすばらしいパフォーマンスを見せてくれるはずである。だって、彼らは本当にテニスが好きだから。

      
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   <title>スーさん、勝てばいいのかと懐疑する</title>
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   <published>2008-10-02T22:56:26Z</published>
   <updated>2008-10-02T22:57:57Z</updated>
   
   <summary>１０月２日（木） 新人大会が始まっている。 先日の日曜日には予選リーグが行われ、...</summary>
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      １０月２日（木）

新人大会が始まっている。
先日の日曜日には予選リーグが行われ、本校はなんとか予選を１位で通過することができた。

さて、久しぶりに市内の顧問の先生方と顔を合わせ、互いに新チームの状況などについて情報交換を交わす中で、はたしてそれは如何なものかと思える話も耳にしたので、以下に記しておく。

本市では、学校週５日制の完全実施（０２年）に伴って、当時の教育長の鶴の一声（だったと思う）で、第２・４土日に部活動を実施しない旨の申し合わせがなされ、活動の一切を自粛するようになった。生徒を家庭や地域に帰すというのがその趣旨であった（と思う）。でも、そんなことをしているのは県内でも浜松市だけであった。

同時に、部活動の指導に「外部指導者」を積極的に導入するようにもなった。それまでベンチ入りが許されなかった外部コーチも、学校長の承認があればベンチ入りできるようになったのである。
浜松市のように練習制限のない市町村の学校は、顧問と外部コーチとが手を携えつつ、着実に競技力を向上させていった。おかげで、部活動の大会では、どの競技においても浜松市のチームが周辺市町村のチームに勝てない状況が出来した。練習しないのだから、勝てなくなるのは当たり前である。

いくら「勝利至上主義」ではないと標榜しても、さすがにあらゆる試合で「出ると負け」状態が続くと、そんなことに我慢ができなくなるのは理の当然である。
ならばと、学校の部活動を主体にしつつ、保護者や地域の指導者が中心になって、「クラブチーム」を結成する動きが活発になった。クラブチームならば、市の申し合わせにとらわれることがないからである。
これにより、それまで活動制限により悶々としていた顧問の先生方は、ようやくその溜飲を下げることができた。

それから６年。途中、浜松市の合併もあり、さすがに旧市の申し合わせ事項は周辺市町村に強制できず、第２・４土日の部活動自粛申し合わせは撤廃された。
この間、結成されたクラブチームとしての活動は、着実にその根を下ろしていた。どころか、逆にそのことが弊害を産むようにもなっていた。
どういうことか。
保護者は、何より自分の子どもが活躍している姿、できれば我が子の勝利の姿を見たいと願う。
そのために、クラブチームの運営も引き受ける。
学校の活動だけでは不十分と思われるところを、保護者ができる範囲でカバーしていく。
そんな活動をしつつ、試合の応援にも駆けつけていくうちに、知らず活動が熱を帯びてくるようになる。
だんだん活動がエスカレートしてくる。
学校の正規の練習時間だけでは飽きたらず、平日の夜間も、地域の指導者等を動員して練習するようになる。
とまあ、こんな具合だ。

実は、そうなる前に顧問が歯止めを掛ければいい。「ちょっとそれはあまりに行き過ぎですよね。」と釘を刺せばよいのだ。でも、それで勝利を手にできると考えている顧問は、過度を承知でブレーキをかけない。それで勝てれば、そのことが自分に対する称賛や名誉になると思っているからだ（たぶん）。およそ教育者たるものが取るべき態度ではなかろう。
たとえそうではなくとも、自分が顧問として指導することにあまり自信がないために、熱心な保護者にものが言えないということもあろう。でも、指導できるできないということと、教育上の配慮から活動の行き過ぎを指摘することとは、自ずと別のことである。それが言えなければ教師とは言えまい。

Ａ中は、保護者が市営コートの予約に走り、ほぼ毎日、外部コーチの指導で夜７時～９時まで練習しているそうだ。「ウソだろ？」と思っていたが、昨日実際にそうやって練習しているところを目の当たりにしてしまった。
昨日は雨上がりで本校のコート状態が悪かったので、市営コートで練習できそうか予約状況を確認してみたところ、運良く午後５時から７時まで１面だけ空いていたので移動することにした。コートに着くと、件のＡ中が何と平日でなかなか予約が取れない屋根付きコートを２面も使用して練習をしていた。「よくまあ、コートが取れるもんだ。」と感心しつつ、自分たちの練習を終えて帰途に着こうとふとＡ中が練習していたコートを見ると、顧問とは別の人物が７時以降も指導しているではないか。どうやら、噂話は本当のようだった。

もう一度言う。
保護者や地域の指導者に部活動のお手伝いを願うことは、決して悪いことではない。寧ろ奨励されることである。
そのためにクラブチームを結成するのも悪しきことではない。
だが、一度クラブチームとしての活動となったときにはなかなか歯止めが利かないということも承知しておきたい。
子どもも保護者も顧問コーチも、試合で勝ちたいという気持ちに変わりはない。だが、そのために子どもに過剰な練習を課してよいということにはならないはずだ。
何を持って過剰とするか。子どもの生活が、学校での正規の活動時間以外にそのことによってかなりの時間を占められるものがあるとするなら、それは過剰なものである。
例えば、夕方７時まで学校部活動の練習を行い、そこからさらに２時間も練習を行うとするなら、中学生としての発達段階を考慮してそれは過剰と言うべきではなかろうか。
中体連の大会とは、中学校体育連盟が主催して行う、「部活動の大会」のことである。まちがっても、「クラブチーム」の大会ではない。そこを勘違いしてはいけない。
ただ勝つためだけに、部活動としてではなくクラブチームとして過剰な練習をしているところは、ぜひクラブチームの大会に出場すべきであって、中体連と銘打った大会に出場すべきではない。

中体連も、そろそろこういうことを十分に議論すべき時期に来ていると思うのだが。
幸い、昨日本校に本市中体連会長から電話があった。たまたま手前が電話を取った。「よろしければ、ちょっとお耳に入れておきたいことがあります。」と申し上げると、「なあに？」と聞いてくださった。「いいことを聞いたよ。」とおっしゃっていただいた。今後の中体連の動きに注目していきたい。

      
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   <title>スーさん、追悼する</title>
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   <published>2008-09-24T23:18:27Z</published>
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   <summary>９月24日（水） 月曜日、帰宅してこの日記を書いていた。書き終わって、内田先生の...</summary>
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      ９月24日（水）

月曜日、帰宅してこの日記を書いていた。書き終わって、内田先生のところに送信し終え、その日の郵便物を見ていた。
大学同窓会からの「母校通信」が届いていた。春と秋に２回発行される同窓会誌だ。見るとはなしにパラパラと見ていた。

突然、「故畑道也元院長の学院葬」なる文字が目に飛び込んできた。
漢字ばかりが並んでいてどれが名前か見分けがたいところであるが、「畑道也」なる文字だけははっきりと確認することができた。誰がまちがえよう、大学時代のゼミの恩師だったからだ。
思わず、「えっ！！」と、隣で炊事の支度をしていた妻も驚くような声で絶句してしまった。
「畑先生？畑先生って、あの畑先生？？」
何度も何度も記事を見直した。まちがいない。恩師、畑道也先生の葬儀を伝える記事であった。

記事によれば、学院葬が執り行われたのは、今年の４月２６日とある。しかも、「３月２５日に逝去された」とある。
なんで、なんで誰も教えてくれなかったのだろう。いくら関西圏に住んでいないとは言え、誰か教えてくれたっていいではないか。
この半年間、誰も先生が逝いたことを知らせてくれなかったのだ。何という不徳の致すところであろうか。それほどに、先生に関わる人たちとの交流がなかったということだ。

確かに、先生からは、「便りのないのはよい知らせ」だから年賀状とかは自分のところへ出さなくともよい、と教えられていた。
同期のゼミ生もたった４人で、それぞれ卒業後は音信不通のままであったから、同期生からの連絡というのも考えにくいことではあった。
唯一、連絡の可能性があるのは、先生と同じ教会へ通っている大学時代のクラブの先輩からの連絡であった。
すぐに電話を入れてみた。

「畑先生、お亡くなりになったんですか？」
「ああ、そうや、何やスズキ知らんかったんか。」
「ハイ、今母校通信で初めて知りました。」
「そうかあ、いや、たぶんゼミの関係とかで知ってるもんと思てたんや。いやあ、教えてやればよかったなあ、悪かったわ。」
その後、いろいろと状況を教えていただいた。
風邪をこじらせて肺炎になったこと、医者が嫌いだからなかなか診てもらわなかったこと、入院したことはごく一部の人にしか知らされていなかったこと、どうやら院長職が激務で体力を消耗されたのではと思われること、などである。

動揺が収まらなかった。
まだ信じられなかった。
先生とは、つい５年ほど前、ライフプラン休暇をいただいたときに、西宮北口で待ち合わせをして、ほんとうにしばらくぶりで酒を酌み交わしたことを、つい昨日のことのように思い出した。その時は、全然お元気であった。まさか、お亡くなりになるなんて…。

すぐに奥様のところに電話を入れた。
電話口の向こうから、「スズキさん、お久しぶりね。」という、いつもの奥様の落ち着いた声が聞こえた。
ひたすら不義理を侘びた。
それから、お亡くなりになるまでの経過を詳しく聞かせていただいた。
言葉がなかった。

畑先生には、ゼミの指導だけでなく、クラブのことでもいろいろとお世話になった。
大学時代、所属していたクラブは、大学吹奏楽界においては知る人ぞ知る名門の吹奏楽部であった。何しろ、全日本吹奏楽コンクールでは、大学の部において初優勝して以来、ずっと日本一の座を守ってきたからだ。
他大学がプロの演奏家を指揮者に迎えても、われらが吹奏楽部は頑として学生指揮の伝統を曲げず、あくまで学生が主体的に運営するという姿勢を貫いてきた。
初優勝以来、１７年目の指揮者が私であった。
コンクールで演奏した自由曲は、本吹奏楽部が日本初演した曲の一部である。
この曲は、阪急少年音楽隊・百貨店吹奏楽団の指揮者をされていた故鈴木竹男先生が渡仏された際、作曲者から直に総譜を手に入れられた曲である。その総譜を、鈴木先生が本吹奏楽部に寄贈された。そんな経緯があっての本邦初演であった。
だが、曲の解釈は学生には難しかった。
総譜を読んでいく過程で、当時本学の交響楽団の指揮者もされていた畑先生のご助力を仰いだ。
夏休み、その総譜を持って、汗を拭き拭き自転車をこいで、上ヶ原から先生のご自宅のある甲陽園まで日参した。
そんな甲斐あってか、かなり自信を持って指揮ができるようになった。

コンクールが近づいてきた。
まずは、８月の終わりに行われる関西大会。会場は、大阪森ノ宮の青少年ホールである。
練習の裏付けもあったし、曲の解釈にも自信があった。
結果、関西代表で全日本へ出場できることが決まった。

全日本吹奏楽コンクールは、１０月、東京・杉並の普門館にて行われた。
演奏順は最後。金賞をとる自信はあった。
演奏が終わった。しばらくして発表である。演奏団体は、４名が代表でステージに上がることになっていた。手前は、部長と３年生２名とともにステージへと向かった。
いよいよ発表だ。出演順に、結果が発表されていく。例年、金賞校は２校である。本校の発表までに、既に２校が金賞だった。「あれ？今年は３校が金賞かあ？」とのんびり考えていた。本校の番だ。
銀賞だった。
わが耳を疑った。「は？そんなアホな、金のまちがいちゃうんか！」と、部長と顔を見合わせた。血の気が引いていく気がした。

まだ結果が信じられないままに表彰式を終え、部員たちのいるところへ戻った。みんな泣いていた。不思議と涙は出なかった。自分の中では、まだ結果を受け入れられていなかった。
外へ出ると、応援に駆けつけてきてくれていたＯＢたちがいた。そのＯＢたちも、口々に「何であの演奏で銀なんや！」と泣いていた。その姿を見たとき、初めて「ああ、オレは何ということをしてしまったんや！」と急に胸が詰まって涙が零れた。

その日の夜は、どうやって過ごしていたのかほとんど記憶にない。神田の居酒屋で後輩たちと飲んだことは覚えているが、その後どうやって宿舎に帰ったのか、宿舎で眠ったのかどうかも記憶にない。
とにかく、結果だけは報告しようと、先生のご自宅に電話をかけた。しかし、先生は学会で岡山に行かれていて留守であった。「明日は戻ってるわよ」と、奥様からお聞きした。無性に先生の声が聞きたかった。
それからは、ただ一つのことだけを呪文のように心の中で唱えていた。「大学に戻ったら、死んでお詫びをしよう」と。

翌日の夕方、大学に戻った。大学は学園祭の最中であった。すぐに先生のところに電話を入れた。
「すみません、先生、負けました。」と報告をすると、先生は「今すぐ家へ来いや。」とおっしゃった。
先生のところへ報告し終えたら、須磨の浦公園にでも行って、入水しようかとぼんやり考えていた。
悄然と先生宅へ向かった。家に着くと、「まあ飲めや。」と酒を注いでくれた。
その時先生がおっしゃった言葉が、生涯忘れ得ぬ言葉となった。
「鈴木、コンクールは負けてしもて、吹奏楽部にとったら残念な結果やったけど、おまえのことだけとって言うたら、負けてよかったな。勝ったらアカンかってんで。」と。
自分の中で何かが堰を切ったようだった。
声にならない声をあげて号泣した。
この先生の教え子でよかった、と心から思った。
これから、生涯この負けを背負っていこうと決意した。

教員になって、テニス部の顧問になった。部員たちに精神的な支えを持たせようと、大学体育会のモットーであった“NOBLE STUBBORNNESS”という言葉を教えた。
この言葉は、大学で庭球部の部長もされていた畑先生の父上が考案された言葉である。畑先生の教え子である自分も、この言葉を何らかの形で受け継ぎたかった。

もちろん、私の結婚式にも来ていただいた。
その時、コンクールのこともお話ししていただいた。また泣けてしまった。
２次会で、先生も加わって大騒ぎをした。そのことも忘れられない。

前回、西宮北口でお会いしたのが、先生とお会いした最後になってしまった。まさかそんなことになるとはつゆ知らず。
その時、先生は飲んでいたウイスキーのコースターに、中村天風氏の言葉を書き付けてくださった。
「ありのままに我ある世とし生き行かば、悔いも恐れも何物もなし」
これが遺品となってしまった。

先日の日記で、「ベートーベンの交響曲第１番。初めて聴いたのは大学時代、大学オーケストラの定演だった」と書いた。実は、その演奏の指揮をしたのが、畑先生だった。何かの知らせだったのだろうか。
先生は、チェリストでもあった。学生時代には、自ら桐朋音大まで出かけていき、当時日本でも有数のチェリストだった齋藤秀雄氏に師事したともお聞きした。その際には、当時桐朋音大のオーケストラを指揮していた小澤征爾の下でチェロを弾いたこともあるという。
そんな先生が、「あれはホンマええでえ」と言っていた演奏があった。ラインスドルフ指揮、シカゴ交響楽団によるブラームスのピアノ協奏曲第２番である。ピアノはリヒテル。第３楽章の有名なチェロのソロを弾いたのが、Robert LaMarchinaである。
いかにも嫋やかな演奏であった。こういう演奏が先生の好みだと知った。

先生の講義もすばらしかった。特に、今でも鮮明に覚えているのは芸術学特殊講義。モーツァルトの交響曲第３６番「リンツ」のアナリーゼである。モーツァルトの作曲法がそれまでの作曲家たちとどう具体的に違っているのかを、和声法から解明した画期的な講義であった。毎回、興奮しながら講義を受けたことを思い出す。

書き出せばきりがない。

畑先生、葬儀に参列するどころか、身罷られたことすら半年間も知らないままでいた、この不義理な愚か者をどうかお許しください。
先生に生かされた命と思っております。
これからも、先生から教えていただいたことを心に刻み、一人でも多くの人にそれを伝えていきたいと思います。

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」（ヨハネ福音書４章１４節）

やすらかにお眠りください。

      
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   <title>スーさん、オケが欲しくなる</title>
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   <published>2008-09-23T00:29:20Z</published>
   <updated>2008-09-23T00:31:15Z</updated>
   
   <summary>９月22日（月） 台風の週末だった。 市内新人大会の予選リーグが次週に迫っている...</summary>
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      ９月22日（月）

台風の週末だった。
市内新人大会の予選リーグが次週に迫っているので、何とか練習はしたいと思っていた。
その土曜日、はたして前夜のうちに台風は本州のはるか南海上を通過して、関東の沖合にまで達しており、朝から青空だった。
この日は、Ｈ中のオータ先生が選手を連れて一緒に練習することになっていた。少し早めに学校へ行き、コートの状況はと見ると、下のコートはまだ水が残っていたが、上のコートはちょっと整備をすれば使えそうであった。登校してきた選手に、「上のコートを整備するぞ」と伝えて部室の鍵を渡す。
30分もかからずにローラーかけも終わって、コートが使用できるようになった。その頃には本校に到着していたＨ中の選手たちも加わって、練習が始まった。

オータ先生は、オノちゃんの中学時代の教え子（ソフトテニス部）である。中学時代に、オノちゃんのような教員から部活動の指導を受けた生徒は、およそものの道理というものがわかっているし、それなりの洞察力も備わっている。何より、熱心に指導しようとする情熱がある。こういう次代を担う若者は大切に育てなければならない。
だから、こうして他校の選手たちと合同で練習するときには、自分とこの選手たちだけでなく、他校の選手も含めて気づいたことは指導するようにしている。
よほど来る前に言い含められてきたのか（「いいか、あの先生はとてつもなくコワイ先生だからな、言うこと聞かないと何されるかわかんないぞ」等）、どの選手も一様に、こちらの指導には熱心に耳を傾けてくれる。何より、話を聞いているときの表情がいい。みんなテニスが好きなんだと実感させられる。

あっという間に昼になって、練習はお開き。すぐに自宅へ戻って、この日は休みだった妻と、近くのラーメン屋さんにて昼食を共にする。このお店、地元のタウン誌などに紹介されたこともあって、特に昼時は賑わっている。妻は初めてつけ麺を食べたそうだが、「ほおぉ、美味し～い」と感心していた。
帰宅後、今度は自転車で近くのTUTAYAへ。この土日から秋分の日までは「レンタル100円」というチラシを見ていたからだ。未見の「ダイハード４.０」を借りてきた。

実は、この日は夕方からコンサートに出掛ける予定になっていた。井上道義指揮の「オーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会である。
この演奏会のことは、週の初めに妻から聞いた。妻は保育士であるが、勤めているところは浜松市の文化振興財団の施設である。その関係で、文化振興財団の主催事業があるときには、観客として駆り出されることがあるそうなのだ。
「ワタシは行くけど、どうせあなたは麻雀でしょ？」と言われていたのだが、運良くこの日は支部定例会が開催されないことになっていた。みんな何だかんだと都合が悪かったからだ。
「いや、この日は定例会がないんだよ。行くよ。で、どこの演奏会？」
「それが、あんまりよく知らないのよ、今度職場に行ったときにチラシもらってくるね。確か～指揮者は井上道義だったと思うけど」
さっそく、ネットで調べてみた。室内オケの演奏会だった。井上道義は知っていたが、不覚にもオーケストラ・アンサンブル金沢については寡聞にして知らなかった。
プログラムがよかった。ハイドンの96番とチャイコフスキーの弦楽セレナード、後半がモーツァルトのディベルティメントとベートーベンの１番。ハイドンは聴いたことがなかったが、それ以外は好きな曲ばかりだ。楽しみになった。
「雨で体育大会ができなければ、休みですから行きたいです」というオーツボくんに詳しいことを知らせて週末を待った。

「ダイハード」を見終わらないうちに時間になった。開演は午後５時。通常の演奏会よりは、１時間から２時間ほど早い。４時半には会場に着けるよう家を出た。オーツボくんも、体育大会が延期で休みなったから「行きます」とのことだった。
会場はアクト中ホール。室内オケが演奏をするにはちょうどよい大きさのホールだ。オーツボくんと合流して座席へ。
人の入りはいまいち。これが「音楽の街」を標榜する浜松の現状だ。パンフレットを見ると、演奏団体であるオーケストラ・アンサンブル金沢は、今年で創立20年を迎える「公立」のオーケストラで、金沢市と石川県が運営資金を供出している。亡き岩城宏之氏の肝煎りで誕生したこともわかった。

演奏が始まった。最初はハイドンの交響曲第96番「奇蹟」。いい音だ。極上のブレンドコーヒーの味わいとでも形容できようか。ため息が出た。
同時に、どうして浜松はこういうオケを持とうとしないのか、と不思議に思った。
「音楽の街」とは、「楽器製造の街」のことなのか？ハードがあってもソフトはない。所詮は箱もの行政。
悲しくなった。

２曲目、チャイコフスキーの弦楽セレナード。美しい演奏だ。あとで聞くと、妻もオーツボくんもこの演奏がいちばんのお気に入りだったそうだ。
休憩を挟んで、後半はモーツァルトのディベルティメント。これも、モーツァルトの定番のような曲である。自分は個人的にはこれがいちばんよかった。
そしてトリはベートーベンの交響曲第１番。初めて聴いたのは大学時代、大学オーケストラの定演だった。以来、好きな曲の一つになった。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンと、まるで音楽史を辿るような曲目を聴くことができ、それぞれの違いも再確認することができた演奏会だった。

後半が始まる前、指揮者の井上道義が、直接観客に語りかけた。主にはオケの宣伝であったが、いい感じであった。いかにも、市民のオーケストラという感じがした。これが浜松のオケだったら、どんなにか誇りに思えたであろうか。金沢市民がうらやましくなった。

西洋音楽が日本に紹介されて早１世紀半。今や、日本人の指揮者が名門ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるような時代だ。
楽器の演奏技術も目覚ましく向上していると思うし、才能のある若い演奏家は、それほどごまんといるのであろう。でも、そんな有能な音楽家たちを生かす場がどれだけあるのだろう。
だからこそ、公的な援助が必要なのではないか。ペイするとかしないとかではなく、まずは身近なところで本物の音楽に触れる機会を増やしていく。そうすることで、市民に親しみを持ってもらう。親しみを持つから、演奏会へも出かけるようになる。そうすることで、市民の耳も肥え、さらに演奏家たちのレベルも上がってゆく。
オーケストラ・アンサンブル金沢は、まさにそうした取り組みが見事に結実した好例なのであろう。ぜひ、わが町浜松も以て範とすべきであろうと思うのだが。
終演後、妻とオーツボくんと３人で、ホール近くの居酒屋へと立ち寄り、そんなとりとめもないことを話していた。

明けて日曜日は、隣の中学校へ近隣の３校が集まって終日練習マッチ。明け方に雨が降っていたのでどうなるかと思っていたが、会場校の献身的なコート整備のおかげで、９時にはコートが使用できるようになった。おかげで、たくさんゲームができた。新人大会で使おうと思っていた選手の目処も立った。ヤマモト先生とＳ中ソフトテニス部員に感謝である。

そうそう、８月25日からドイツへ語学実習に行っていた娘が帰ってきた。
途中、何度か電話があったが、とにかくいい報告ばかりであった。ホームステイ先の両親にもずいぶんと可愛がってもらったらしい。電話で、「日本食とか、食べたくなるだろ？」と聞いても、「ううん、そんなこと思わないよ、だってこちらの食事っておいしいんだもん」という返事であった。
どうやら、娘にはドイツがかなり水に合っているという感じである。帰国前には、ベルリンで、ベルリンフィルの演奏を聴いてきたらしい。それも、ブルックナーの８番を。いいなあ。詳しくは、また浜松に戻ってから聞こうと思っているが、ひょっとして「留学したい」とでも言いそうな勢いである。
それはいいんだけど、先立つものが…。今のうちから、そのつもりで用意しておくとしようか。幸い、タバコはやめたし、パチンコとかも一切してないし、車はプリウスだからガソリン代もずいぶんと節約できているし。あとは、酒を…。おっと、こればっかりはやめられないなあ。
でも、日本って、娘にとっては住みにくい国なんだって思わされた。悲しいことではある。

      
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   <title>スーさんのいそがしい三連休</title>
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   <published>2008-09-17T04:10:10Z</published>
   <updated>2008-09-17T04:11:17Z</updated>
   
   <summary>９月16日（火） ３連休だった。 でも、あんまりのんびりできなかった。 土曜日は...</summary>
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      ９月16日（火）

３連休だった。
でも、あんまりのんびりできなかった。

土曜日は、中・高体連ソフトテニス部指導者講習会に講師として参加するため、朝から静岡市へ。
家まで迎えにきてくれたオノちゃんのアルファードに、ヨッシーと同乗。講習会場である静岡市北部体育館までは１時間半ほどの道のりである。

この講習会の講師については、６月くらいに打診されていた。
中学校の顧問の先生方は、初心者をどうやって指導するのか詳しく知りたいとのこと、また、高校の顧問の先生方は、どうやって中学校の顧問の先生たちが初心者を育てているのかを知りたいとのことで、両者の意向を満足させるべく、講師の人選を考えたところ、｢先生しかいないんです｣と担当の先生に言われ、「んじゃ、しょうがないよなあ」と、渋々受けることにしたという経緯である。

だからと言って、この日のために何か特別な指導法を考えるということもない。いつも学校でやっていることを見てもらうだけだ。
ただ、実際に体を動かしてもらうのは顧問の先生たちだ。無理なく、怪我のないよう、そして飽きさせず楽しく行えるプログラムを考えなければならなかった。

こういうときって、なぜか朝早く目が覚める。あれこれ、実際の指導場面を想像していると、もう眠れなくなってしまった。
と、一部の資料を学校に置き忘れてきたことを思い出した。仕方がないので、起き出して取りにいくことにした。
そうしていると、だんだんとイメージがわいてくる。おおよそのプログラムはプリントしておいたので、あとは、それにどう色をつけていくかということを考えればよい。
大切なことは、実際に指導しての反応を見ながら進めることだ。要するに、授業と同じってことだ。

会場に到着した。何人かの見知った顔が見える。まずは、担当の先生に挨拶。凡そ、午前中２時間、昼食休憩を挟んで、午後２時間で講習を行う旨を確認する。
既に、体育館内では、50名ほどの先生方が実際にボールを打ったり、ストレッチをしたりしていた。
開会の時間になり、司会の先生に紹介されて講習会が始まった。

ラケットの持ち方から始め、ラケットワークでだいぶん時間を取り、フォアとバックのストロークの指導までで午前中を終えた。
外は雨まじりで気温はそんなには高くはなかったのだが、体育館内は蒸し暑い。こちらは指導する側なのでそんなには汗はかかないのだが、やっている先生方はもう汗だくである。でも、ずいぶんと笑顔も見られ、みなさん楽しそうにやっている様子であった。よかったよかった。

昼食後は、ノーバウンドを交えたストロークの練習を中心に行った。
実際にボール出しもうまくできない顧問の先生もおられるとのことで、それもやってみたが、さすがにこればかりは練習を積まないことにはなかなかすぐにはできるものではない。

あっという間に午後の２時間も過ぎて、講習会も終わりを迎えた。何とか務めを果たすことができてほっとした。一刻も早く宿舎に戻ってシャワーを浴び、冷たいビールを飲みたいと思った。
この日は、夕方から懇親会が予定されていたので、参加者が泊まるホテルも用意されていた。とりあえず、そのホテルへチェックインしてシャワーを浴びると、そのまま小１時間ほど眠ってしまった。

目が覚めると、懇親会まで１時間もない。
懇親会場までは、駅の南側からバス。どうやら、結婚式の披露宴などでも使う宴会場らしい。ひどく雰囲気がよいところであった。
宴会が始まった。
講師ということもあり、いろんな先生が次々にビールを注ぎにきてくれる。その度にあれやこれや話が弾むので、料理はほとんど口にすることができない。
隣で、｢忍者｣ハットリくんが紹興酒を飲み始めた。つい、「ではオイラも」と飲んでしまった。

いい気分でバスに乗り込んで、ホテルまで。
そこからは、もう静岡では行きつけになりつつある雀荘へなだれ込む。それなりの人数だったので、２卓で東回し２抜けで行うことになった。
結果は…。紹興酒の飲み過ぎが災いした。講習会担当者である、富士宮のタカシ先生の一人舞台であった。ま、いろいろとお膳立てして気も遣ったからね。当然の結果ということにしておこう。
麻雀終了後は、前回の県大会の折に立ち寄って食べたラーメン店で夜食。これが腹部を膨満させる原因と知りつつ、そのままホテルに戻って爆睡。
翌朝は、近くにある「松屋」へと出向いて朝食後、浜松へと戻る。午後から部活である。
さすがに、この日の夕方は「定例会」の話も出ない。

明けて、３連休の最終日は、部活動もテスト休み。
「とりあえず問題を作らねば」と学校へ出向くと、「おお、そうだ、これ忘れてた」といくつも書類の準備をしなければならないことに気がついた。
その合間にテスト問題を作成する。ようやく目処がついたのは午後３時過ぎ。あんまりPCの画面ばかり見ていたので、ずいぶんと目が疲れてしまった。ぐったり疲れて帰途に就く。

途中、レンタルビデオもある「本の王国」が、この日から１週間「レンタル半額キャンペーン」をやっていることを思い出した。
さっそく、立ち寄って会員になり、内田先生ご推奨の『秋刀魚の味』を借りてきた。

どういう映画と言えばよいのだろう。
何か大事件が出来するというわけではない。家族の間で、ひどい言い争いやトラブルがあるわけでもない。
なぜか、お酒を飲む場面が多い。
で、とにかく物語は淡々と進行する。
でも、なぜか最後まで見てしまうのだ。
次どうなる？とわくわくするわけでもない。でも、どうなるのかなあ、と自然に続きを見てしまう。
そうして、見終わった後にほっこりとした気分が残る。
不思議な映画だった。

つい、ちょっと遅めに帰宅した妻に、「スパゲッティでも食べに行こか？」と誘ってしまった。
忙しい３連休だったが、最後に落ち着いた気分で週明けを迎えられるようになった。ありがたいことである。次は、『秋日和』でも見ることにしよう。

      
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   <title>すうさんの夏の終わりの小旅行</title>
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   <published>2008-09-10T03:06:28Z</published>
   <updated>2008-09-10T03:07:08Z</updated>
   
   <summary>９月８日（月）  ２学期が始まって１週間が過ぎた。 それにしても、長い１週間であ...</summary>
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      ９月８日（月） 

２学期が始まって１週間が過ぎた。

それにしても、長い１週間であった。ルーティーン・ワークに順応するのに、かくも時間がかかるのか。それだけ、着実に年を取っているということなのだろう。 

夏休みの最後の土日（30日～31日）は、妻と伊豆に旅していた。

娘が大学に行くようになった昨年から、ちょうど８月の終わり、30日という妻の誕生日に合わせて小旅行をするようにした。昨年は、三重県の相差まで出掛け、瀟洒な民宿で、伊勢海老やら取れたてのウニやらの海の幸を堪能させてもらった。

今年はどこへ行こう、とＲ天トラベルを見るとはなしに見ていたら、「【露天風呂付客室】日にち限定♪１日１組のみ早いもの勝ち！○得海鮮プラン！」なる惹句が目に飛び込んできた。「ほほう、露天風呂付客室ねえ、いいじゃんいいじゃん、けど高いんだろうなあ」と独り言ちつつ、場所は？と見ると、伊豆の戸田である。「戸田なら、浜松から２時間とちょっとで行けるなあ。で、いくらだあ？」と見ると、二人で38Ｋ以下である。露天風呂が付いている部屋でこの値段はリーズナブルである。さっそく妻に聞いてみた。妻は、こういうことについて何らの注文もつけない人である。「へえ、いいじゃん。楽しみ！」という、いつもの返事が返ってきた。これで戸田行きが決まった。 

出発の当日、天気はあまりよくなかった。時折、小雨が落ちてくる。そう言えば、昨年もミキモト真珠島近くで昼食を取ろうとしたとき、土砂降りの雨であった。が、どういうわけか妻と出かけるときには天気はあまり気にならない。どうしてだろう？よくわからない。

車検から戻ってきたばかりのプリウスに乗って、一路伊豆半島を目指す。 

こういう旅行は、何が楽しみって、まず食べ物である。昼食を、どこで、何を食べるのかというのが重要な問題なのである。選択肢は様々あったのだが、とりあえず、修善寺でガイドブックにも紹介されていた「独鈷そば」を食すことに決定した。 

週末は混雑が予想される沼津インターを避け、東名は清水インターで降りて国１を沼津へ向かう。道中の音楽は、プロコフィエフの作品集と、先日神戸で購入してきたハイドンの交響曲集。曇天のドライブにはなぜかよくマッチする。

案の定、沼津に近づくと道が混み始めた。渋滞を避け、海岸沿いの旧東海道を走って、そのまま414号線を辿って伊豆市へと入り、大仁を経由して修善寺に到着。時間はちょうど12時。いい時間である。 

修善寺は古くからの温泉場ということもあり、とにかく道が狭い。車ですれ違いするのに難儀するような道幅である。目指すそば屋は、「独鈷そば大戸」。店はわかったのだが、駐車場が見つからない。一度通り過ぎて戻ってきてみると、店の反対側にある駐車場が見えた。

昼時ということもあって、店の中はほぼ満員である。メニューは２種類、ざるそばとかけそばだけ。それぞれ一つずつ注文することにした。

待つこと暫し。注文の品が来た。ざるそばには天然の葉付き山葵が添えられていた。この山葵、「もしも全部使わなかったら、お持ち帰りくださいね」とのことだ。さっそく鮫皮卸しで卸してみる。「円を描くように卸すとうまく卸せますよ」とアドバイスを受けてやってみると、おお、山葵のよい香りが漂ってくる！

卸したての山葵を蕎麦つゆに入れ、薬味も少々入れて、さっそく蕎麦をいただく。う、うまい。「最初はつゆだけ、後でとろろを入れていただくと、また違った味わいがあります」と言われ、そのとおりにしてみる。どのようにして食べようが、うまいものはうまい！

他に、蕎麦と一緒に副えられていたのは、馬鈴薯と南瓜の煮付け。そばのいいアクセントになる。

妻の頼んだかけそばも、椎茸や人参、葱などが具として入っていて、それがまたつゆと絶妙にマッチしている。ま、そばだけで1,260円は決して安いとは言えないが、それだけの味わいはあるということなのだろう。 

満足して、次の目的地である｢虹の郷｣へと向かった。

昨年、ミキモト真珠島へ入場する際に、JAFの会員カードがディスカウントチケットになるということを知り、今回も虹の郷の窓口へと差し出してみると、はたして２割引で入場することができた。持つべきは、JAFの会員カードである。 

ちょうどこの頃になると、雨がほとんどやんでいた。これなら、傘なしで歩けそうであった。

「虹の郷」は、何と形容すればいいのだろう。「庭園」か。しかし、ちょうど夏の盛りは見るべき花もなく、なんとなく殺風景であった。

途中、漱石が滞在したという旅館の一部を移築して、資料館になっている建物があった。上がり框で靴を脱いでいると、いきなり奥の棚の陰から女の人がぬっと顔を出した。思わず、「うわあぁ、で、出たあぁ」と叫びそうになってしまった。人がいるなんて思ってなかった。もー、「いらっしゃいませ」くらい言ってくれてもいいではないか！

「ったくよう」と靴を履いて建物の外へ出、ふと側を流れている小川を見てみると、川岸に蛇がいた。「う、うわあぁ、へ、蛇だあぁ」と、その場から少なくとも50メートルほどはダッシュしたと思う。

もう二度と｢虹の郷｣に来ることはなかろう。 

時間は午後２時を過ぎていた。ここから戸田峠を下れば、ちょうどチェック・インの時間になる。

途中、戸田峠を越えたところで、遠くに戸田漁港が一望に見渡せる場所があった。標高が高いためか気温は低く、薄靄がかかっていたが、はっきりと遠望することができた。

そのまま山を下りきったところが、宿泊場所であった。まだ、多少時間があったので、漁港の方へ行ってみることにした。

戸田漁港は、ちょうど港を取り巻くように突き出た御浜岬に抱かれた天然の良港である。その御浜岬は、先端にある諸口神社まで車で行くことができる。漁港を見守るように建てられた鳥居まで歩いてみると、シュノーケリングを楽しんでいる人たちがいた。水が澄んでいる。

そのまま、漁港でちょっとした買い物を澄ませてホテルへ。 

宿泊先は、「魚庵さゝ家」。築７年という、まだ新しい宿だ。外見はホテルのようだが、旅館と民宿を合わせたような雰囲気もある。

部屋に案内してもらうと、はたしてベランダに露天風呂があった！案内してくれた仲居さんの話では、「チェックアウトされるまで、いつでもご自由にお入りになれます。」とのことだ。

でも、やっぱり露天風呂付き大浴場にも入らないと。誰もいない大浴場に入るのは、ほんとうに気持ちがいい。何とも贅沢な気分にさせられる。

湯上がり後は暫しうたた寝。目が覚めたところで夕食。この宿の特別料理は、高足ガニだそうだ。館内にはその生簀があった。でも、そんな特別料理は頼まなくとも、十分に美味しくいただける料理ばかりである。もちろん、二人で一品も残すことなく平らげてしまった。

妻は、どうやらここの温泉がひどく気に入ったらしい。「ねえ、湯上がりからしばらくすると、お肌がすべすべになるのよね」と喜びつつ、その後もせっせと大浴場や貸切露天風呂へと足を運んでいた。何よりである。 

ぐっすり眠った後の、朝の部屋で入る露天風呂の気持ちがいいこと！昨日とはうってかわって、さわやかな青空だ。そんな青空の見ながら、のんびりと風呂に浸かる。至福の時間である。

朝食も、もちろん一品も残すことなく平らげた。チェックアウトする前に、もう一度大浴場に。この時も、貸切状態であった。部屋は満室だったらしいが、あまりそんなことが感じられないところもよかった。

思い切り満足して、宿を後にする。 

帰りは、西伊豆の海岸線を走って沼津まで戻ることにした。途中、あわしまマリンパークに寄ってみた。アシカやイルカのショーを楽しんで、昼食は以前一度立ち寄ったことがある沼津港の鮨店「たか嶋」。絶品の締鯵などをいただく。

ここでビールを飲んでしまった運転手に代わって、帰途は妻がプリウスを運転。そのまま、助手席でしばらく意識不明になる。 

かくして、美味しいものとすべすべの湯を堪能した今年の｢妻の誕生日小旅行｣も終わった。

２学期の始まりの１週間が、どうして長く感じたのか、その理由がお分かりいただけたであろう。 

さて、来年はどこ行こうかしらん♪

      
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   <title>浜冦 神戸の中華に涙し、城崎に勝ち鬨をあげる</title>
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   <published>2008-08-30T15:42:37Z</published>
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      ８月29日（金） 

今週の月曜日からは、浜松支部の面々（オーツボくん、ヤイリくん、シンムラくん、ヨッシー、オノちゃん）と２泊３日の神戸・城崎行。 

例年ならば、内田先生宅にて本部との交流戦、そうしてさらに城崎にて極楽温泉麻雀というところなのだが、今年は内田先生が２年に一度のフランス行きの年に当たっている。本部との交流戦は諦めていたところへ、「次期総長」のかんチきくんから「お相手いたしましょう」との連絡をいただき、さらには城崎へも同行できるよう予定合わせをしてくださったとのことで、支部会員一同喜んで神戸へと向かうことに相なった。 

到着はちょうど正午。何を食べるかは、行く前から決めてあった。『やっぱり神戸はモノがちがう』（枻出版社）に紹介されていた、春日野道の「ひかりや」さんである。

さっそく「そば焼き」を注文する。もちろん大。ソースが絶妙である。ついついビールが進んでしまう。

隣のオーツボくんが頼んだモダン焼きも、つい「どれどれ」と食べてしまった。

佳店である。メニューには載せられていなかったが、次回はぜひ「そばめし」を食べてみたい。 

満腹になったところで、三宮のホテルへと出向いてチェックイン。まだ部屋には入れなかったので、とりあえず荷物だけ預かってもらうことにする。

夕方までは、各自フリータイム。さっそく、センター街のＨＭＶへと向かう。

購入したのは、ハイドンの『ロンドン交響曲』集（コリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管）、マーラーの『交響曲第３番』（ズービン・メータ指揮ロス・アンジェルスフィル他）、同じくマーラーの『交響曲第10番』（ダニエル・ハーディング指揮ウィーンフィル）。

マーラーの３番は、マーラーの前期交響曲群の中で最も好きな曲なので、聴いたことない演奏で誰かが推奨していたＣＤとかがあると、つい衝動買いしてしまう。

ハーディングの10番は、指揮者ではなく、かつてはマーラー自身も指揮したことがあるウィーンフィルの初録音という触れ込みに負けて買ってしまった。この未完の10番も、マーラー自身のスケッチから様々な音楽学者たちが独自の「完成版」を作っていて、どの版を使用しての演奏かということで購入意欲をそそられるところがある（購入したハーディングの演奏は、オーソドックスなクック版を使用してのものだったけど）。

ハイドンの交響曲は、実は今まで一度も購入したことがなかった。でも、ハイドンって、なかなかいいみたいだ。コリン・デイヴィスは、好きな指揮者の一人なので、迷うことなく購入した（２枚組で安かったし）。

聴けるものなら、すぐにでもホテルへ戻って聴きたいとおもうＣＤばかりである。 

さて、夕方からは、かんチきくんたちと待ち合わせの元町「別館牡丹園」へ。

ここの激ウマ中華は、昨年アオヤマ姉御のご紹介で初体験させていただいた。驚異のうまさであった。毎年食べるのはもったいないとも思っていたのだが、まだ食べたことない支部会員もいるということに気を遣って、かんチきくんが予約を入れておいてくれたのである。

お店に入ると、既にかんチきくんに加え、「シャドウ」カゲウラくん、さらに何と内田先生の「ＩＴ秘書」ことイワモトくんも参会してくれていた。特に、イワモトくんはめでたくも進路が明確に見えてきたというお祝いも兼ねての小宴になった。そんな会に、「別館牡丹園」はほとんど形容ができないほどの美味しい料理で応えてくれた。ビールが進んだのは言を俟つべくもない。 

そろそろ会もお開きという頃になって、画伯が参入された。かんチきくんのところへは、「麻雀をするようなら行くから」と連絡があったそうだ。

昨年の城崎では、さんざん和了っておきながら、最後に支部のオノちゃんにハコ下に転落させられたことを覚えておられるのだろう、「さあ、オノちゃん、やろう！」という勢いである。

たまたま、別館牡丹園のすぐ隣のビルに雀荘があった。こうして、画伯を囲んでの本部・支部交流戦が始まったのであった。

二更過ぎにまで及んだ「激闘・神戸元町編」。トップは、地元の利を生かしたかんチきくん（＋59）。第２位が同じく本部のカゲウラくん（＋47）。支部のシンムラくんが最下位（-74）に沈んだ。

そのまま、三宮まで画伯を送ってホテルに戻ったが、勝負は翌日の「激闘・城崎温泉編」に持ち越されることになった。 

明けて火曜日は、阪急六甲までかんチきくんを迎えに行き、昨晩の別館牡丹園で同行を嗾されてその気になった「シャドウ」カゲウラくんも同乗して、六甲山を抜けて一路出石へ。

ちょうど昼に出石に到着、しばらく行ってなかった「永楽」にて皿そばをいただく。皿そば初体験のかんチきくん、カゲウラくんともに、うまいうまいと言いつつ皿を重ねていく。「ビールを飲まなければもう少しいけましたね」とは、かんチきくんの談。 

こんもりと盛り上がった腹部を撫でながら、車は城崎へ。宿は、このところ定宿化しつつある「湯楽」。チェックインまで多少時間があるとのことで、「海を見に行きたいっす」と言う若者たちと、「２時まで待って外湯行こ」というオジさんたちに意見は分かれる。

手前は、近道がよくわからないという「若者」組と一緒に竹野まで。さすがに、多少なりとも荒れ気味の海へ入ることは叶わなかった。さらに足を伸ばし、美しい海岸線を走って香住まで。

もしも遊覧船が出ているのなら乗船しようとも思っていたのだが、生憎「本日欠航」とのことであった。そのまま桟橋のあたりを散策して宿へと戻る。 

宿に帰った後は、何をさておいても外湯である。このために城崎へと来たのだ。「湯楽」からは、「鴻の湯」、「まんだらの湯」、「御所の湯」が近い。内田先生のお気に入りは、「御所の湯」である。志賀直哉ゆかりの「三木屋」の前を通って「御所の湯」へ。

この「御所の湯」、流れ落ちる滝を見ながらの露天浴が最高に気持ちいい。ミストサウナもありがたい。

湯上がりに向かいの店でソフトクリームを食べて宿へ。ヨッシーらはまんだらの湯へも行ってみたそうだ。 

さて、夕食までの寸暇を惜しんで「激闘・城崎温泉編」が始まった。

ちょうど２卓ということで、東回し、上位下位リーグ毎回入れ替え、毎回場替えの壮絶なバトルである。

前半戦はかんチきくんがだんとつのトップ。さすがに本部の厳しい洗礼を受けているだけのことはある。やる度ごとに腕を上げているのがよくわかった。夕食を挟んでもかんチきくんの好調さは変わらなかった。

このままいくはずはないと思っていたところ、ちょうど水入りのように「城崎夢花火」の時間になった。夏は日によって午後９時から10分間だけ花火を打ち上げているのだそうだ。

これはよく考えられている。夜も９時を過ぎようかという時間ともなれば、あまり外へ出歩くことはない。しかし花火見物となれば、「じゃ、見に行こか」ということなる。当然、花火が終わった後は、温泉街の土産物店などを冷やかしながら、ちょっとしたものを飲み食いしたりする。とかく宿に閉じこもりがちな客を外へ連れ出すには恰好の花火なのである。

他にも、木屋町小路なる横丁が新設され、いかにも若い女性向けのお店が軒を連ねていた。どおりで、若いカップルが多く見られるはずだと実感させられた。集客の工夫を凝らさなければ、たとえ昔からの温泉場とはいえ生き残ってはいけないということなのだろう。

そういう意味では、城崎温泉は確実に変わりつつあると感じた。 

この花火見物から流れが変わった。かんチきくんが下位リーグ卓へと下ってきた。

手前が親で、清一色ドラ３を聴牌していたところに、かんチきくんが「勝負だあ！」と立直をかけてきた。しかし、ツモることなく親に三倍満を放銃してくれた。

ここからかんチきくんの打牌が乱れた。そのまま彼は、二度と上位リーグ卓へカムバックすることはなかった。

逆に、上位リーグに定着して和了り続けたのがシンムラくんであった。終わってみれば、トータルでトップ（＋32）。以下、２位オノちゃん（＋30）、３位支部長（＋18）、４位ヨッシー（＋９）、５位かんチきくん（＋７）、６位カゲウラくん（-２）、７位オーツボくん（-18）、最下位ヤイリくん（-76）という結果であった。いつもは、神戸遠征に強いヤイリくんであったが、どうやら今回はその神通力も発揮されず仕舞いであったようである。 

翌朝は、朝食前に内湯へ。かんチきくんとのんびりと露天風呂に浸かりながら四方山話をする。

この宿の朝食はおそろしくうまい。つい、ご飯を４杯もお代わりしてしまった（かんチきくんも）。この夏、さんざん飲んだビールでメタボ化したお腹がいっそう膨らんでしまった（かんチきくんも）。何とかしないといけない。

食後は、ヨッシーが持参したコーヒー。いつもそうだが、こういう事に関してヨッシーはほんとうに手回しがいい。 

宿をチェックアウト後は、そのままかんチきくんを六甲まで送り、さらにカゲウラくんを大阪まで送って、ミナミまで下り、黒門市場内で遅めの昼食。

「ＤＶＤのソフトがほしい」というシンムラくんに付き合って日本橋を散策。初めて「かしみん焼き」を食した。微妙な味であった。 

こうして、ようやく訪れた夏期休暇は終わった。

内田先生とのご縁で、いろんな人たちと楽しく交流するようになった。そのおかげで、今までに増して楽しい時間を過ごせるようになった。ほんとうにありがたいことである。 

さて、夏休みもいよいよ最後の土日を残すだけになった。

明日は妻の誕生日。昨年は三重県に出かけたが、今年は伊豆の戸田へ行く予定にしている。このところ、伊豆がお気に入りである。十分にリフレッシュして２学期に備えたい。

      
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   <title>スーさん、全国大会でちょっとがっかり</title>
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   <summary>８月20日（水） 全国大会から帰ってきた。 結果は、戦前の予想どおり初戦敗退。た...</summary>
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      ８月20日（水）

全国大会から帰ってきた。
結果は、戦前の予想どおり初戦敗退。たった１試合やるためだけにわざわざ富山まで？などと申すまい。それが全国大会というものである。

大会が開催される富山県高岡市は、浜松市のほぼ真北。車で行く場合は、東海環状道から東海北陸道を経由していくのが