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   <title>スーさんの熱血うなとろ日記</title>
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   <updated>2012-01-31T11:14:14Z</updated>
   <subtitle>since Jan 2004</subtitle>
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   <title>スーさん、インフルエンザに罹患する</title>
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   <published>2012-01-31T11:13:49Z</published>
   <updated>2012-01-31T11:14:14Z</updated>
   
   <summary>１月３１日（火） 気がつけば今日で１月も終わろうとしております。 たいへん遅くな...</summary>
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      <![CDATA[<p>１月３１日（火）</p>

<p>気がつけば今日で１月も終わろうとしております。<br />
たいへん遅くなりましたが、みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。</p>

<p>いつもはほぼ週一のペースで日記を更新していたのだが、年明けとともに更新が滞ってしまった。<br />
なんでだろう？<br />
そうだ、インフルエンザに罹ったんだっけ。</p>

<p>あれは１８日の水曜日。<br />
朝は別に何ともなかった。ただ、その前夜くらいから咳がコンコンと出てはいた。「今日の夜は合気道のお稽古だから」と家内に言い残して出勤した。<br />
午前中は授業を２コマ。ところが、お昼に近づくにつれ体がどよーんと重くなってきた。なんかヘンだと思ってお熱を計ってみた。７度６分だった。こりゃいかん、と思ってすぐに午後から休暇の申請をして帰宅。<br />
着替えてコタツでうとうとしながら、３時ちょっと前に行きつけの内科医へ。受付で「熱あります？」と聞かれたので、「７度６分くらい…」と答えると、「じゃ、も一度計ってくださいね」と言われて計ると、３８度を超えていた。「インフルエンザかもしれないですね」と言われ、すぐにベッドに誘導され、カーテンで囲われてしまった。<br />
果たして、診断はインフルエンザＡ型だった。お医者さまからは、「タミフルと咳止め、鼻水止めと頓服を出しておきますね。でも、頓服はあまり飲まれない方が早く治ると思います。いずれにしても、今週いっぱいは職場にも行かないでくださいね。」と言われた。<br />
熱で体が水分を欲していたのだろうか、帰りにスーパーマーケットで１００％ジュース３本と、アルコール消毒液等を購入して帰宅。家内に感染させては申し訳ないので、インフルエンザと診断された旨メールを入れ、帰宅と同時に玄関のドアノブやらトイレのドアノブやらを念入りに消毒。いつものドライマンゴーとジュースを飲んで、すぐに処方どおりタミフルを服用してお布団に。<br />
２時間ほど寝て熱を計ると、うれしや７度５分くらいに下がっていた。いやはや、タミフルの効能やよし。<br />
またマンゴージュースなどを飲んでお布団へ。それにしてもよく寝られるものだ。２時間ほど寝て熱を計ると、今度は８度２分に上がっていた。タミフルの援軍が必要だと思った。家内が帰ってきたのは午後９時過ぎ。雑炊を作ってくれたのでそれを食べ、またタミフルを飲んでお布団へ。熱は８度をめぐって上がり下がりを繰り返していた。</p>

<p>明けて１９日（木）。<br />
まだ体のあちこちが痛んだ。熱は７度１分。だいぶん下がっていた。あまり寝てばかりだと腰が痛くなるので、起きてコタツで過ごすことにした。<br />
こんなときこそ、いつもはなかなか読めない本を読もうとか思ったりもしたのだが、とてもそんな気にはならなかった。とにかく全体的に霧がかかったかのように頭がボーッとしているのだ。ふだんは見たこともないテレビの画面を見るとはなしに見て時間が過ぎていった。<br />
気がつくとお昼近く。ちょうどうまい具合にと言っていいのだろうか、この日から家内は５連休だった。お昼を食べてタミフルを飲み熱を計ると、６度６分にまで下がっていた。でも、体はしんどかった。話をするのも億劫なほどだった。<br />
午後も見るとはなしにテレビを見ていた。この時間帯に見ている人たちを想定しているからだろうか、どうも高齢者向けの保険やら入れ歯やらのＣＦばかりが目についた。<br />
夕方、夕刊を取りにこの日初めて家の外に出た。雨が降っていた。部屋に戻るとケータイが鳴った。それから立て続けに４本の電話が入った。ふだんはほとんど電話などかかってはこないのに、こういうときに限って電話がかかってくるものなのだ。電話口の向こうでは、異口同音に「えーっ！インフルエンザなんですかあー？お大事にしてくださいねー」と言われた。そりゃあボクだってインフルエンザにかかるコトもあります。<br />
前日はお風呂に入らなかったので、この日はゆっくりお風呂に入ってすぐに就寝。熱は７度以下に下がってきていた。</p>

<p>２０日（金）。<br />
ようやく平熱に戻った。体の痛みは多少残ってはいたが、だるさはなくなっていた。コタツに入って、iPadのFlipboardでGoogleReaderやTwitterをパラパラと見たり、テレビを見たりしていた。何となく、ＮＨＫの番組も民放化しているなあと思った。<br />
夕方から、翌日の神戸・丸亀行きに備えて支度を始めた。前日まで封印していたビールも１缶飲んでみた。８割以上は復調したと実感した。</p>

<p>２１日（土）。<br />
この日は朝から神戸へ行く予定になっていた。<br />
どういうことかというと、２２日に、守さんのご紹介で四国の丸亀でＴＦＴの講習会を受講することになっていて、初めは当日の朝に新幹線で行く予定にしていたのだが、娘もぜひ参加したいということで、ならば交通費が結構かかるから車で行こうかということになり、車だと時間がかかるから前日の土曜日に出発して神戸あたりで１泊してから行こうかという話になり、家内が「んじゃ芦屋のミツヤスさんとこで髪切ってもらおうかな～」と言うと、娘も「んじゃわたしももお～」ということなって、ミツヤスさんに連絡を入れたところ「午前１１時か午後４時からなら何とかなります」とお返事をいただいたので、午前１１時なら髪を切ってから時間あるから画伯の個展にも行けそうだねという話になって、娘とは当日午前１１時にＪＲ芦屋駅にて待ち合わせをして合流する手筈になっていたので、家内とともに何とか午前１１時前に芦屋へ到着するよう浜松を出発したのであった。<br />
要するに、丸亀への途中下車で神戸に前泊すること、ついては家内と娘はミツヤスさんとこで髪を切ってもらうこと、その間とーちゃんはバリのウブドツアー以来旧知となったSkype友だちフルタさん妹御と邂逅して妹御のミネソタツアーのおみやげ話を聞かせてもらうこと、画伯の個展には大阪駅に集合して歩いていくこと、夜は神戸でアオヤマさんオススメの中華料理店にて舌鼓を打つことが計画されたのであった。</p>

<p>道中、渋滞らしい渋滞もなく、予定どおり午前１１時前にはミツヤスさんのお店に到着、歩いて芦屋駅まで娘を迎えに行き、自分はプリウスを宿舎のホテルに置かせてもらい、古田さん妹御と再会してお昼を一緒に食べながらあれこれ話を聞かせてもらい、それから大阪駅へと取って返して家内・娘と合流、iPhoneの地図を頼りに「番画廊」へ行って画伯の個展を鑑賞、再び神戸へ戻ってホテルにチェックインした後、アオヤマさんオススメの燕京にて中華料理の数々を３人で賞味したのであった。<br />
もうインフルエンザは完全に雲散霧消していた。</p>

<p>２２日（日）。<br />
守さんからは１１時半前には丸亀に来てくださいねと言われていたので、神戸を９時前に発つ。<br />
垂水のＪＣから明石海峡大橋へ。もちろん渡るのは初めてである。壮大な橋を渡るのは何とも気持ちがいい。渡り終わった淡路ハイウェイオアシスにて記念撮影。前日の神戸は雨だったが、この日は朝から気持ちのいい青空が広がっていた。陽光がキラキラと反射する穏やかな瀬戸内海に架かる大橋は、いかにも見栄えがした。<br />
気分がよくなって、そのまま淡路島を通過、大鳴門橋から四国に入る。<br />
四国に入った途端、後ろの座先の娘が「四国の山って、ちょっと形が違うわよね」と言い始めた。確かに、「〇〇富士」と名付けたくなるような形のいい山が其処此処に見られた。<br />
そのまま高松道を一路丸亀へ。<br />
守さんとは、坂出ＩＣを出たところで待ち合わせていたのだが、坂出ＪＣとは違うだろうと思ってそこを取り過ぎてしまい、次の善通寺ＩＣで降りて丸亀市内へ戻ることになった。守さんと連絡を取り合い、昼食場所近くで待ち合わせることにして合流、そのまま永楽亭へ。<br />
何とも静かな永楽亭にていただいたものは、うどんではなかった。「え？まさか丸亀で？」というものをいただいた（何かはご想像にお任せいたします）。たいへんに上品な味であった。</p>

<p>昼食後、ホテルに車を置かせてもらい、そのまま歩いて講習会場である丸亀市民会館へ。<br />
ＴＦＴについては、ご存じの方も多くいらっしゃるだろう。日本ＴＦＴ協会のＨＰには、“ＴＦＴは、Thought Field Therapy のことで、日本語にすると「思考場療法」といいます。 米国心理学のパイオニアの一人であったロジャー・キャラハン博士が1970年代の終わりに発見し、発展させてきたもので、鍼のツボをタッピングすることで心理的問題の症状を改善させていくものです。”（http://www.jatft.org/introduction.html）とある。<br />
講師は森川綾女先生。ひと通りの説明のあとで、実際にクライアントへの実践も見せていただいた。たいへんに興味深いものであった。<br />
終わって夕方からは、その森川先生を囲んで、この日お休みだったお店を特別に開けていただいたという明水亭にて小宴。<br />
みんなで鍋をつつきながら、あれこれ先生からお話を伺う。もちろん、最後のシメはうどん。「コシがあるのにモッチリしている！」とは娘の弁。<br />
終わって、丸亀の名産品などを売っているショッピングセンターまで守さんにご案内いただき、職場への土産物等を購入してホテルへと戻る。守さんとはここでお別れとなった。</p>

<p>２３日。月曜日ではあったが、この日はインフルエンザに関わりなく、以前から休暇申請を出していた。<br />
浜松まで帰るだけなので、途中大阪に寄ってお昼を食べて帰ろうかということになっていた。娘は道頓堀を見たことがないと言っていたので、昼食は難波、できれば年末に行けなかった「銀平」でと考えていた。<br />
再び、高松道、大鳴門橋、淡路島、明石海峡大橋を経て神戸へ。途中、阪神高速３号線が混んでいたので、５号湾岸線で大阪へ。難波近くのコインパーキングに車を停め、お目当ての「銀平」へ。もちろん、iPhoneのマップに導かれてである。<br />
それにしても、「銀平」はちょうどお昼時であったにもかかわらず、落ち着いた静かなお店であった。もちろん、有名な鯛飯をいただきたかったのだが、それはまた次回のお楽しみということでお昼の定食をいただく。<br />
満ち足りた気分で道頓堀へ。<br />
「はり重」でお肉の佃煮を、りくろーおじさんの店で焼きたてのチーズケーキなどを購入して帰途に着く。<br />
いやはや、おいしいものをたくさんいただいた３日間だった。</p>

<p>２４日（火）。<br />
この日は翌日からのスキー教室のために１年生はお昼前に出発式を行い、午後は帰宅して準備をすることになっていた。インフルエンザの流行も心配されたが、さほどに欠席者もなく、何とか行けそうな状況であった。</p>

<p>２５日（水）。<br />
職員の集合は午前６時。生徒の集合は６時５０分。計７台のバスに分乗して、一路長野県のヘブンスそのはらスキー場を目指す。<br />
中央道のトンネルを抜けると風景が一変して、まさに雪国だった。昼神ＩＣを降りてスキー場へ。<br />
ウェアを着替え、ブーツを履いた者からどんどんゴンドラに乗ってゲレンデへ。その間にインストラクターの責任者らと２日間の実習の打ち合わせを行う。<br />
開校式を終える頃から雪がひどくなってきた。そのまま夕方の実習終了まで雪が降り止むことはなかった。<br />
実習を終えて、この日の宿舎である昼神温泉のホテルへ。<br />
大広間で２５０人超の生徒が夕食を食べるのはさすがに圧巻である。同時に、インフルエンザに罹患する生徒が出なければいいのだがと心配だった。</p>

<p>２６日（木）。<br />
前日の雪混じりの天気とは打って変わって晴天が広がっていた。心配されたインフルエンザと思しき生徒もなく、ゲレンデは青空に新雪が眩しく輝いていた。<br />
前日は実習の途中で気分の悪くなる生徒も出ていたのだが、この日はリタイアする生徒もなく、予定どおり実習を行うことができた。<br />
閉校式を済ませてスキー場を出発したのが午後３時過ぎ。浜松着は午後６時前。とにかく無事に終わってほっとした。</p>

<p>２７日（金）。<br />
勤務の割り振りの関係で、出勤は午前１１時。生徒の方はやや欠席者が目立った。疲れていたのだろう。しかし、インフルエンザ罹患生徒が一気に増えていたのが気になった。</p>

<p>２８日（土）。<br />
この日は部活動でソフトテニスの１年生大会（団体戦）が予定されていた。<br />
スキー教室もあって、ほとんど練習らしい練習もできていなかったし、レギュラー選手の中にはインフルエンザでスキー教室にも参加できなかった者もいて、はたしてどうなることだろうかと思っていたが、何とか予選リーグを全勝で勝ち上がり、決勝トーナメントも２回戦を突破してベスト８まで進出してくれた。<br />
準々決勝以降は翌週の土曜日に予定されていたので、この日はここまで。それにしても、よくがんばってくれたと思う。<br />
この日は２週間ぶりの支部例会。何と、大三元を和了ることができた！インフルエンザで苦しんだ分、いいことあるなあと思った。</p>

<p>２９日（日）。<br />
完全オフ。ほとんど終日コタツに入って読書していた。『ほぼ日刊イトイ新聞の本』（講談社文庫）を一気読みした。たいへんにおもしろかった。こういう休日が何より貴重である。</p>

<p>３０日（月）。インフルエンザ罹患生徒が急増した。午後の授業をカットして対応することにした。</p>

<p>そして今日３１日（火）。<br />
相変わらずインフルエンザは猛威を振るっている。今日も授業は午後カット、部活動もこの２日間は休止することになった。げに感染症は恐ろしい。</p>

<p>というような今月後半の日記でした。<br />
最後までお読みいただきありがとうございました。再度、本年もどうぞよろしくお願いいたします。（拝礼）<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、２０１１年の重大ニュース</title>
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   <published>2012-01-06T02:51:32Z</published>
   <updated>2012-01-06T02:51:50Z</updated>
   
   <summary>１２月３１日（土） 今年も残すところあとわずかということで、いつもの３×１０大ニ...</summary>
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      <![CDATA[<p>１２月３１日（土）</p>

<p>今年も残すところあとわずかということで、いつもの３×１０大ニュースを。</p>

<p>＜出来事＞<br />
①転勤<br />
新任地は佐鳴湖畔の高台にある大規模校である。第１学年の学年主任を拝命した。たぶん、ここが教職最後の勤務先となるはずである。<br />
②台風１５号<br />
浜松を直撃した。猛烈な暴風雨だった。テニスコートの被害もひどかった。あらためて自然災害の恐ろしさを実感させられた。<br />
③フィッシング詐欺に遭った<br />
Twitterのスパムメッセージをクリックしたのが原因だと思われるが、iTunesからアプリを不正にダウンロードされてしまった。被害防止のためにAppleがアカウントを停止してくれたのはいいのだが、その後アプリのアップデートができなくて困った。かような詐欺行為は絶対に許されるものではない。</p>

<p>＜くわばらくわばら＞<br />
①Ｋ県警◯◯駅前派出所<br />
進入禁止の標識がない（代わりに「許可車以外は入れません」という立札）ところに進入したということで、家内が違反切符を切られた。<br />
②教員免許更新講習<br />
夏休みに都合５日間、締めて３万円の講習を受けた。コストパフォーマンスはあまりよろしくないという印象だった。<br />
③蜂に刺された<br />
まさか夏の大会のベンチで蜂に刺されるとは。思いもよらないことだった。でもその日の試合は優勝した。<br />
  <br />
＜感動＞<br />
①内田先生の最終講義<br />
神戸女学院大学講堂にて行われた感動的な最終講義、緊張してスピーチをした夜のパーティー。生涯忘れ得ぬ一日となった。<br />
②凱風館道場開き<br />
ついに内田先生の凱風館が完成、道場開き当日には多田師範による稽古を受けることができた。引き続いてのパーティーは、そのあまりの心地よさに前後不覚になるほど飲んでしまった。<br />
③甲子園ボウル<br />
４年ぶりに母校のアメフト部が甲子園ボウルに出場、見事大学日本一の栄冠に輝いた。久しぶりに大学時代の雰囲気を思い出した。</p>

<p>＜旅行＞<br />
①内田ゼミ卒業生全員集合バリ島ツアー<br />
新婚旅行以来となるバリ島へ。ウブドへ初めて行った。宿泊したアヨドヤ・リゾートは、何と今年のASEANの主催会場でもあった。<br />
②セブ島<br />
バリでアジアンリゾートのよさを再発見したということもあり、ちょうどライフプラン休暇が取得できる年でもあったので、銀婚式記念のセブ島ツアーへ。ホテルから一歩も出ず、ビーチとプールとサンミゲルを満喫した。バカンスな５日間だった。<br />
③畑ゼミ合同同窓会<br />
久しぶりに大学を訪れた。先生の奥様にも久しぶりにお会いすることができた。出席者の誰の胸にも、畑先生との特別な思い出が刻まれているのだと実感させられた。<br />
 <br />
＜武道＞<br />
①韓氏意拳静岡分館<br />
守さんをお迎えしての講習会も、入門者が会を追うごとに増えてきたことから、ついに静岡分館設立の運びに。めでたいことである。<br />
②甲南合気会春合宿<br />
初めて３日間フルエントリーした。しかし、往復の交通渋滞にはひどく悩まされた。<br />
③けいぞうさん二度目の浜松講習会<br />
前夜祭がたいへんな盛り上がりだった。もしも機会が許せば、大人対象の講習会を計画したいと思う。<br />
 <br />
＜グルメ＞<br />
①沼津「丸味屋」<br />
中華料理店なのに、お刺身や干物が食べられる（普通は食べられません）のも、全てはスガイ＆ハラ先生のおかげ。もちろん、海老そばが絶品であることは言うまでもない。<br />
②舞阪「てっちゃ」<br />
浜松オープンの前夜祭を開催。ここの魚料理は、舌の肥えた京都人たちにもいたく好評だった。<br />
③大阪なんば「一芳亭」<br />
「大阪人」別冊「ちゃんとした大阪うまいもんの店」に紹介されていた華風料理店。とろけるような焼売が絶品だった。<br />
 <br />
＜読書＞<br />
①『アースダイバー』（中沢新一、講談社）<br />
地誌学的にはいろいろな解釈が試みられると思うが、そんな解釈にとらわれない自由な発想の豊かさを感受できる一冊。<br />
②『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』（池田純一、講談社現代新書）<br />
扱っている材料はなかなか大きすぎて料理しにくいと思われるのだが、それを力技でなく平易な語り口の中に収めようとした筆致はお見事のひと言。<br />
③『フランス的思考』（石井洋二郎、中公新書）<br />
内田先生の『寝な構』以来、久しぶりに思想関係の本を読んで興奮した。<br />
 <br />
＜音楽＞<br />
①ショスタコーヴィチの「２４の前奏曲とフーガ」<br />
冬の間、毎日行き帰りの車の中で繰り返し繰り返し聴いた。演奏はニコラーエワの最初の録音。<br />
②ヤナーチェクの「利口な女狐の物語」<br />
吉田秀和氏の著作でこの曲のことを知った。「セリフなどわからなくても、そのすばらしい音楽を聴くだけでよい」というような記述がされていたと思う。確かにそのとおりだった。<br />
③バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」<br />
特にパルティータ第２番をよく聴いた。年齢のせいか、室内楽の静かな音楽を好むようになった。<br />
 <br />
＜エンタテイメント＞<br />
①「坂の上の雲」第３部<br />
３年にわたったドラマもついに完結。児玉源太郎と東郷平八郎のキャストだけがイメージと違った。<br />
②「阪急電車」<br />
大学時代のことを思い出した。懐かしい場所をたくさん見ることができた。<br />
③「トラ・トラ・トラ」ＢＤ版<br />
日米開戦７０年ということでＢＤ版をレンタルして見た。あらためて気づくことも多くて感心させられた。 <br />
 <br />
＜モノ＞<br />
①iPad２<br />
ＳＢの「アレ・コレ・ソレ」キャンペーンでげとした。噂以上のガジェットだった。Flipboardというアプリに仰天した。<br />
②７Dのドライマンゴー<br />
セブのお土産で買ってきたのだが、一晩プレーンヨーグルトに漬けてから食べると、得も言われぬ美味しさであることを発見した。以来、わが家には欠かせぬ食品である。<br />
③ScanSnap<br />
年末に「密林」でポチリ。すぐに配送されたので、さっそく糊の取れかかった写真集をスキャン。ＰＣからWi-Fi経由でiPhoneやiPadに転送できるスグレもの。「自炊」の楽しみができた。</p>

<p>＜おまけ＞<br />
今年の後半から読書量が一気に減った。特に理由はないのだが、自分の中で読書することへの考え方が少し変わったからかもしれない。読みたい本はたくさんあるのだけれど。</p>

<p>では、どちらさまもよいお年をお迎えください。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、甲子園ボウルにゆく</title>
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   <published>2011-12-21T00:48:20Z</published>
   <updated>2011-12-21T00:49:32Z</updated>
   
   <summary> １２月１９日（月） 日曜日は、甲子園ボウル（全日本大学アメリカンフットボール選...</summary>
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      <![CDATA[<p><br />
１２月１９日（月）</p>

<p>日曜日は、甲子園ボウル（全日本大学アメリカンフットボール選手権大会決勝戦）観戦のために家内と甲子園球場へ。<br />
激戦の関西学生リーグを勝ち上がり、西日本代表決定戦も制して、４年ぶりに「聖地」と呼ばれる「甲子園ボウル」へと駒を進めた我らがＫＧファイターズの応援のためである。<br />
相手は、これまた「聖地」で相まみえるには相応しい日本大学フェニックス。出場３１回を誇る関東の古豪である。</p>

<p>両校の対戦はこれまで大会最多の２５回。フェニックス１６勝、ファイターズ７勝で、２度の引き分け（両校優勝）という結果である。<br />
前回の対戦は４年前。この試合は、甲子園ボウル史上に残る名勝負であった。残り１０秒を切っての劇的なタッチダウンでファイターズが３０年ぶりに対フェニックス戦の勝利を飾ったのであった。（詳しくは４年前の日記にて http://nagaya.tatsuru.com/susan/2007/12/18_2224.html）</p>

<p>この３年間、ファイターズは甲子園ボウルへの出場から遠ざかっていた。<br />
８０年代後半から台頭してきた京大ギャングスターズ、９０年代からは立命館大パンサーズ、さらには２年前から関西大カイザーズなどのチームが、秋季リーグでファイターズを破るようになって、そう簡単には関西学生リーグを抜けることができないような状況を呈するようになっていたのだ。<br />
昨年も、リーグ優勝（３校同率優勝）はしたものの甲子園ボウル出場をかけたプレーオフで敗れていた。<br />
ようやく、並み居る強敵を撃破してリーグ優勝を勝ち取り、ファイターズにとっては「聖地」と称される甲子園へと戻ってきたのである。</p>

<p>ＫＧの卒業生を含む関係者にとっては、甲子園ボウルは同窓会に出席するようなものだ。<br />
ＫＧアメリカンフットボール部のＨＰに掲載されているコラム（「スタンドから」）に、石井晃氏は以下のように書かれている。<br />
“「キラー・コンテンツ」という言葉がある。広告業界発祥の用語で、決定的な、極めつきの、という意味を持たせて使われる。例えていえば、水戸黄門なら「葵の印籠」、阪神タイガースなら「六甲おろし」、巨人なら「王、長嶋」。いま風なら、ユニクロの「ヒートテック」というところか。<br />
この季節の関西学院でいえば、クリスマスと甲子園ボウルがそれに相当する。（…）<br />
試合終了の笛が鳴るまで、両軍とも一歩も譲らない戦いは、過去の歴史が証明している。４年前、長居スタジアムでの関学と日大の決戦は、試合終了３秒前のタッチダウンでファイターズが逆転勝ち。1984年の甲子園ボウルでは、ファイターズが残り４秒で８点差を追いつく粘りを見せ、両校優勝にこぎ着けた。こんな試合を目の前にすれば、それはその場にいた人すべてが生涯語り続ける伝説となる。そういう伝説を胸に刻んだ人が数多く存在することによって、ファイターズの活動がスクールスポーツとして敬意を払われ、キラーコンテンツとしての地位を獲得できたのである。”（１２月１０日、「いざ聖地へ」より）<br />
かくして、「何をさておいても甲子園へ」ということになったのである。</p>

<p>前日は「武道な夜」だった。<br />
夕方４時からは、北総合気会山田師範による剣・杖の特別稽古。前夜から月一回の師範稽古のために来浜されていた山田師範が、「せっかくだからもう一泊して剣と杖の稽古をしようか」と言ってくださったのだ。願ってもないことだった。<br />
杖の基本的な持ち方・振り方から始まって、組杖の一つ一つの動きがどこでどう噛み合わされていくのかというところまで徹底的に教えていただいた。今まで適当にしか覚えていなかった組杖を見直す得難い機会となった。</p>

<p>この日の夜は、翌日に予定されていた韓氏意拳講習会のために守さんが来浜されることになっていた。忘年会のシーズンということもあり、駅周辺で懇親会の場所を確保するのが困難であったため、いつもの中華料理店を何とか予約して守さんをお迎えしようということになった。<br />
ソッコーで帰宅して、守さんを迎えに行ったオノちゃんも同乗した家内の車で件の中華料理店へ。<br />
守さんからは、今回もいろいろなお話を伺うことができた。いつもそうだが、新しい「グッズ」もご紹介いただいた。なんとも楽しいひとときであった。</p>

<p>さて、日曜日である。<br />
チケットは、事前にアメフト部ＯＢである「ゑびす屋さん」こと谷口さんが手配してくださっていた。なんと、ＯＢ会で用意した指定席である。これなら、場所取りを心配する必要はない。<br />
今回は、同じソフトテニス指導者仲間である奈良県のオーヤマ先生も同行されることになっていた。ぜひ見てみたいとのことだったのである。</p>

<p>内田先生オススメの「ひかり」に乗車して１時間半足らず。新大阪には１０時過ぎに到着。オーヤマ先生とは、１０時半にＪＲ大阪駅御堂筋口で待ち合わせていた。少し時間があったので、改札を出たところにあった書店にて、『呪いの時代』（新潮社）と『原発と祈り』（ダ・ヴィンチブックス）を購入。<br />
程なくオーヤマ先生と合流して、まずは早目の昼食をということで阪神の地下へ。フードテリア内「銀杏屋」にて焼きそばとビールで再会を祝す。</p>

<p>谷口さんとの待ち合わせは、ちょうど１２時に甲子園内野スタンド入口。<br />
事前に「スタンドをＫＧブルーに！」キャンペーンということで、当日に青い服やタオルを身に付けてきた人には先着4,500名に甲子園ボウル限定ステッカーをグッズ販売テントにてプレゼントということだったので、ちょっと寒かなあとは思いつつも、ちょうど青色のフリースがあったのでそれを着用していったのだが、なんとキャンペーンは中止になってしまったとのことだった。せっかくなので、記念のＴシャツを購入する。<br />
そうこうするうちに１２時。内野５番出入口のところに行くと、谷口さんの顔が見えた。チケットのお礼を言いつつスタンドへ。</p>

<p>既に、フィールドには両校の選手たちが出ていて、試合前の練習が始まるところだった。甲子園の緑の芝に、青と赤のユニフォームがよく映える。思わず、心が高ぶってきた。試合前の選手たちの意気込みが、自然とスタンドにも伝わってきていた。これは、実際にスタンドに足を運ばないことには感じられないものである。だからこそ現地に行くのだ。</p>

<p>国歌斉唱に続いてコイントス、いよいよキックオフである。前半のファイターズはレシーブをチョイス。<br />
立ち上がりは両校ともにオフェンスはパントに終わった。静かな立ち上がりだった。<br />
先制したのはファイターズ。第１Ｑもそろそろ終わろうかというところだった。フラッグが投げられたので、ひょっとしてＴＤ不成立かと思われたのだが、どうやら反則はＴＤ後に発生したらしかった。これでファイターズはモメンタムをつかんだ。<br />
第２Ｑに入った直後にも、相手のファンブルからゴール前のチャンスを掴んで追加点。<br />
フェニックスもテンポよく攻め込んでこちらのゴール前に迫るのだが、なかなかＴＤを奪うことができない。前半終了間際に何とかＦＧを返したのだが、直後のファイターズはロングパスを決め、それをＦＧに結びつける。取られたら直後に取り返す理想的な展開だった。結局、前半は１７－３で折り返しとなった。</p>

<p>後半はフェニックスがミドルパスを次々とヒットさせてファイターズのエンドゾーンに迫るも、肝心なところでそのパスをインターセプトされたりして、ＴＤを奪うことができない。<br />
互いにオフェンスが手詰まりの様相を呈して第４Ｑへ。ファイターズの追加点は１０分過ぎ。エンドゾーンに走りこんだＲＢにショートパスを投じてＴＤ、２４－３。これがファイナルスコアとなった。ファイターズ、２４回目の甲子園ボウル制覇となったのである。</p>

<p>谷口さんにお礼を言い、「プロ野球の阪神・中日戦とはえらい雰囲気がちゃいますなあ」と感心しきりのオーヤマ先生と一緒に梅田まで戻り、行きと同じく大阪駅御堂筋口にてオーヤマ先生とも別れて帰途に就く。<br />
日常を離れ、甲子園のフィールドいっぱいに覇を競う学生たちの姿を目の当たりにし、得も言われぬ清々しさを感じることができた。<br />
些末的なことに汲々とすることなく、いつも心にこの日の空気を留めておこうと思った。<br />
帰りの新幹線で、オーヤマ先生からのおみやげである柿の葉寿司を家内といただいた。<br />
格別な味だった。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさんの師走</title>
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   <published>2011-12-16T08:11:10Z</published>
   <updated>2011-12-16T08:11:28Z</updated>
   
   <summary>１２月１２日(月） 土曜日は、県中学生選抜男子ソフトテニスチームの第１回練習会。...</summary>
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      <![CDATA[<p>１２月１２日(月）</p>

<p>土曜日は、県中学生選抜男子ソフトテニスチームの第１回練習会。<br />
先月末に行われた県新人大会個人戦で選抜された選手たちが、一同に会しての練習会である。</p>

<p>この県選抜チームというのは、最終的に毎年３月末に三重県伊勢市にて開催されている都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会に出場する選手を育成するために編成される。<br />
もちろん、その前段階として日本連盟が主催する「競技者育成プログラム」（U-14）のための選考会もあるのだが、その時期は夏休みである。そうして、各県から選抜された選手たちが集う東海ブロックレベルの選考会（Step３）も、ほぼ８月の終わりに行われる。最終的にStep４に進む全日本レベルの選手育成ということを考えれば、夏休みの時期に開催されてもよいと思うが、翌年３月の大会に参加するための県レベルでの選手選考ということになると、夏休みの選手選考の結果をそのまま適用するというわけにはいかないところもある。<br />
選手の成長が著しい中学生の場合は、特に実戦を通してその実力が培われていくということがあるからだ。となると、各地区で新人大会が行われる１０月以降の試合結果も勘案しなければならなくなる。</p>

<p>その辺の事情も踏まえて、県連盟の中学生委員会では都道府県対抗戦に出場する選手選考のための内規を設け、県新人大会個人戦をその選手選考の場とした。実際の試合でそれなりの結果を出した選手を、その将来性も考慮しつつスタッフで協議して９ペア選ぶことにしたのである。</p>

<p>９ペアというのは、冬休み中に愛知県で行われる東海地区各県選抜チームによる対抗戦（東海インドア）に出場する、団体３チームの選手たちということである。<br />
そうして、それらの選手の中から、２月に関東・東北・北信越各ブロックの選抜チームを招いて富士宮にて行われる研修大会に出場する選手、団体２チーム６ペアを選考する。その試合結果を踏まえて、最終的に都道府県対抗戦に出場する選手４ペアを決定するのである。<br />
もちろん、試合だけで選考するわけではなく、その間に何度か行われる練習会でのパフォーマンスも十分に考慮される。技術面はもちろん、精神面でも県代表選手に相応しいかどうかということが検討されることは言うまでもない。</p>

<p>昨年度は、東日本大震災が発生したばかりということもあり、都道府県対抗戦は中止となった。<br />
監督として３年目、内心ここで区切りと考え、結果についても秘かに期すところがあったのだが、幻の大会となってしまった。<br />
そのまま監督も辞退しようと思っていたのだが、中学生委員会からは監督続行を要請された。最初の２年は団体戦は初戦負け。今年こそと臨んだ３年目は大会が中止。このまま何も結果を残せないままに監督を辞めてもいいのかという自問もあった。<br />
あれこれ思案の末に、今年も監督を受諾することにした。</p>

<p>スタッフも替わった。最初に監督を引き受ける条件として主務に要請したヨッシーは、家庭の事情もあって<br />
続行が難しいとのことで、代わりにオノちゃんがその役を引き受けてくれることになった。<br />
これまで、主に前衛コーチとして練習の面倒を見てくれていたヤマガタくんも、家庭の事情でコーチを降りることになった。代わりに強力な助っ人をお願いすることにした。<br />
富士宮のオノダくんは、引き続いてヘッドコーチ格で残ってくれた。あとは、同じく富士宮の若手代表でサノくんがお手伝いしてくれることになった。以上が実働スタッフである。</p>

<p>さて、今年の選手たちである。<br />
件の県新人大会では、後衛選手ばかりが目についた。前衛選手は、練習を通して育成しなければならないだろうというのが、スタッフの一致した見解だった。<br />
しかし、実際に練習をしてみると、なかなかどうしてどの前衛選手もそれなりのパフォーマンスを見せてくれた。特にゲーム練習では、いつものペアと違って新鮮だったためか、県大会では見られなかったプレーを随所に見ることができた。今後の練習でレベルアップしていけそうな印象も持てた。これはうれしい収穫だった。<br />
来る東海インドアでは、レベルの高い岐阜県選抜などと対戦することで、選手たちが多くのことを吸収してくれることを期待したいと思う。</p>

<p>練習会が終わって、その日の夜は久しぶりに支部の例会。<br />
まずは、新装オープンした中華料理店で腹ごしらえをして、いつもの寿荘へ。メンツは、ヨッシー、オノちゃん、オータくん、支部長である。<br />
この日の夜は、月食だった。<br />
月が陰り始めるのとほぼ時期を同じくして、わが点棒は次々と放出されていった。<br />
逆に、第２ラウンドに入って俄然トップに躍り出たのは、育成組からステップアップしたオータくんだった。親で和了ったのをきっかけにして次々と和了り続け、終わってみれば６万点超の堂々たるトップ。<br />
支部の仲間入りをして以来、記念すべき初の１勝を挙げたのである。<br />
「いやあ、月食の夜は何かが起きますね。このこと、日記に書いてくださいね」とはオータくんの弁。そのオータくんの初勝利を多として、ここに記すことにしたのである。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、凱風館にゆく</title>
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   <published>2011-11-21T21:03:18Z</published>
   <updated>2011-11-21T21:03:36Z</updated>
   
   <summary>１１月２１日（月） 凱風館道場開きのことを書いておきたい。 道場開きの前日（１２...</summary>
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      <![CDATA[<p>１１月２１日（月）</p>

<p>凱風館道場開きのことを書いておきたい。</p>

<p>道場開きの前日（１２日、土曜日）は、建築に携わった中島工務店さん主催の完成披露記念イベントである「オープンハウス」が予定されていた。以下のようなプログラムである。<br />
引渡し式は午前１０時から。正午から内田先生による合気道の稽古。夕方６時から完成記念イベントとしてお能の披露。引き続いて施主である内田先生、設計者である光嶋さん、つくり手である中島工務店社長による鼎談などである。</p>

<p>このオープンハウスに浜松から参加したのは、支部長、支部長の妻、オノちゃん、ハットリくんと、浜名湖道場からタカバさん、ヤマダさん、シンムラさんの計７名であった。<br />
支部会員はハットリ号に、道場生たちはタカバ号にそれぞれ分乗して、東名の新城Pで落ち合い、一路神戸を目指したのであった。<br />
道路情報によれば、伊勢湾岸道はいつものように四日市付近で、名神は一宮ＪＣ付近で渋滞とのことだった。どちらのルートを選んでも、京都までの到着予想時間は変わりがなかった。ならばと、そのまま東名・名神を走ることにした。<br />
情報どおり名神一宮付近は渋滞していた。完全に止まってしまうことはなかったが、それでも４０分以上は遅れた。ようやく渋滞を抜けたが、京都東ＩＣ辺りでまた渋滞とのことだった。迷わず京滋バイパスへ。途中、吹田で簡単に昼食を取り、名神を降りたのが正午少し前。</p>

<p>この日、家内はわれわれが合気道の稽古をしている時間に、「るるさま」こと芦屋のミツヤスさんのところで今夏以来の髪を切っていただく予定にしていた。そのまま４３号線を走って芦屋のミツヤスさんのお店へ。<br />
ミツヤスさんにご挨拶をして家内を残し、住吉へと急ぐ。もう稽古が始まっている時間だ。そろそろ到着というところで、先行した浜名湖道場生たちから到着したとのメールが入った。追って程なく私たちも到着、そのままオノちゃん（そう、オノちゃんも合気道を始めたんです）と更衣室で着替え、稽古に参加する。</p>

<p>初めて目にする凱風館の琉球畳。ふかふかしていて、いい匂いがする。道場にはざっと７０名ほどが稽古をしていた。内田先生の稽古を受けるのは、今年３月の合宿以来である。<br />
浜名湖道場生たちも、中に混じって楽しそうに稽古している。初めはかなり遠慮して隅の方にいたオノちゃんも、うっきひ師匠に発見されて稽古入りし、ころんころんと転がっている。新築なったばかりの道場で、気持ちのいい汗をかくこと２時間。</p>

<p>終了後は、その後の予定もあるので、ソッコーで妻を迎えに行き、ホテルへと向かう。実は、この日は神戸に投宿することができなかった。三宮周辺のビジネスホテル系は、まったく空きがなかったのだ。仕方なく、少しでも神戸に近いところということで尼崎に宿を取っていた。でも、結果的に家内の送り迎えを考えるとこれは正解だった。<br />
稽古着のままでホテルにチェックインし、シャワーをさっと浴びて着替え、再び凱風館へ。私たちのホテルからＪＲ尼崎駅までは、タクシーで１０分以上はかかる距離だった。どうしようと相談していたところ、お酒を飲まないハットリくんがドライバーを申し出てくれた。たいへんにありがたかった。そのままハットリ号で再び凱風館へ。</p>

<p>完成記念イベントは、お能から始まった。山本画伯の描いた老松が正面に見える。お能の披露が終わると、内田先生から凱風館建設に携わった人たちに感謝状の贈呈が行われた。<br />
その後は鼎談である。何より、中島工務店社長のお話がおもしろかった。「３０年で建て直さなきゃいけないなんておかしいんです。１００年は住める家を建てなければ」木の家に住むことがいかに素敵なことであるかということを教えていただいた。</p>

<p>鼎談終了後、近くにいた山本画伯から、老松完成までの経緯を詳しく聞かせていただいた。これまたたいへんに興味深いお話だった。絵のあらゆる部分に画伯の強い思い入れが込められていることがわかった。<br />
その間に、道場にはシートが敷かれて、工務店さんから食事と祝いのお酒が振舞われる。一人一人に配られた枡で、いろんな日本酒をいただくことができた。隣のナカノ先生がどんどん注ぐので、つい調子に乗って飲んでしまった。何とも愉しい時間だった。</p>

<p>明けて日曜日（１３日）は、道場開きに先立って、午後から多田師範による稽古が予定されていた。この稽古のために千葉から来神される北総合気会山田師範を駅までお迎えに行き、早目の昼食をご一緒して凱風館へと向かう。<br />
１４０名超が集まった多田師範による稽古は、午後１時から。これだけの人数でも稽古はできるものだと思った。たっぷり３時間、多田師範を始め高段者の方たちの技を目の当たりにできた得難いお稽古であった。</p>

<p>稽古終了は午後４時。まだこの日投宿予定の神戸のホテルにはチェックインしてなかったため、すぐに三宮へと向かい、チエックインを済ませてスーツに着替える。<br />
道場開きは六甲アイランドにあるベイシェラトン。道はどこも混んでいた。ようやくたどり着こうかというところで、カンキくんから「まだですか？」と電話が入った。開宴は６時からだとばかり思っていたので、「もうすぐ着くよ」と返事したのだが、開宴は５時半開宴だったのだ。受付に行くと、アオヤマさんから「もう始まってますよ」と言われてしまった。ちょうど多田先生がご挨拶をされているところだった。なんという失態！<br />
中から拍手が聞こえてきたところで会場へ。中は、３００人近くの人たちでひしめき合っていた。司会は「ゑびす屋さん」ことタニグチさんだった。<br />
この日、日帰り参加の浜松支部員（ヨッシー、オーツボくん、シンムラくん、オータくん）らの顔ぶれも見えた。</p>

<p>乾杯が終わったあとは、主にヒラオさん夫妻、けいぞうさんとあれこれお話をしていたのだが、その間にもバリ島でご一緒した人たちともお会いして、まるで同窓会をしているような雰囲気になった。その愉しさと言ったらなかった。時間の経つのを完全に忘れた。<br />
その雰囲気は、ホテル内での二次会になってさらにヒートアップした。この二次会では、小田嶋隆さんがけいぞうさんのすぐ隣に座っていらっしゃった。おかげで、あれこれお話をすることができた。何と、小田嶋さんのご母堂は浜松の出身とのことだった。浜松市のローカルな町名をお聞きして、思わず嬉しくなってしまった。<br />
また、この二次会では内田先生のご令嬢るんちゃんの歌も拝聴できた。このあたりから、お酒の量がリミットを超え出した。まるで水を飲むようにワインや焼酎を飲んでしまったのである。</p>

<p>三次会は、江さんと元町へと繰り出した。「あまりやってる店がないんですわ」と言いながらも、案内していただいたお店でこれまたワインをしこたま飲んでしまった。実は、このお店を出た以降の記憶がない。<br />
翌朝、家内からは「昨晩はタイヘンだったんだから。部屋に戻ると同時に靴も履いたままベッドで寝てしまうんし！」と言われてしまった。返す言葉がなかった（一緒に帰ってくださったエビちゃん、ありがとうございました）。</p>

<p>月曜日は有給休暇をいただいていた（浜名湖道場生の３人は前夜のパーティー終了後浜松に戻っていた）。<br />
この日は午後から凱風館に甲野先生がお見えになるとのことだった。それまで午前中は、三宮で買い物をすることにした。<br />
すかさず、ジュンク堂にて小田嶋さんの『地雷を踏む勇気』（技術評論社）を購入。それにしても、時間が経つにつれ、頭痛はひどくなるばかりだった。<br />
昼食は、家内の希望もあって春日野道の「ひかりや」へ。もちろん、「焼き飯モダン」の大を注文して４人でいただく。<br />
いっこうに回復の兆しの見えない頭痛を抱えて凱風館へ。<br />
午後２時、甲野先生のお稽古が始まった。「つい最近気づいたばかり」という技もご披露していただいた。これまた得難い機会だった。<br />
後ろ髪を引かれる思いで神戸を後にしたの夕方の午後４時。参加したそれぞれが、それぞれの忘れ難い思い出を胸の奥に大切にしまっての帰浜だった。</p>

<p>こうして、まことに濃い３日間が終わった。<br />
新たな出会いが、またこれからどのようなテクスチュアを織り成していくのか、そんな期待が膨らむばかりの３日間だった。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、セブ島にゆく</title>
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   <published>2011-11-10T00:37:03Z</published>
   <updated>2011-11-10T00:37:27Z</updated>
   
   <summary>１１月８日（火） ライフプラン休暇を中心にした、先月末から今月初めの１０日間の日...</summary>
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      <![CDATA[<p>１１月８日（火）</p>

<p>ライフプラン休暇を中心にした、先月末から今月初めの１０日間の日記です。</p>

<p>１０月２９日（土）<br />
・この日は、週休日を振り替えての合唱コンクール。会場は、浜松市教育文化会館（はまホール）。<br />
・自分とこの学年（１年生）は、学年で行ったプレコンのときよりはずいぶんとうまくなったという印象で安堵したが、とにかく３年生の合唱がすばらしかった。中体連の夏季大会もそうだが、中学校最後だからという思いは、いろいろな場面で子どもたちを一種のファナティシズムへと掻き立てるものなのかもしれない。<br />
・勤務時間終了とほぼ同時にソッコーで帰宅。この日は、翌日の県西部地区中体連ソフトテニス部主催の審判講習会講師として、京都からお越しのミヤタ先生をお迎えしての小宴が予定されていた。市中体連ソフトテニス部首脳陣も顔を揃えて、来年の東海大会浜松市開催を視野に入れた審判技術向上の取り組みのお話を中心に盛り上がる。</p>

<p>３０日（日）<br />
・件の審判講習会は、オノちゃんの学校のテニスコートにて。５０名以上の参加者が熱心にメモを取りながら講習に参加。何より、「せっかく休日返上で参加しているのだから、できるだけ楽しく講習をしよう」というミヤタ先生のスタンスがよかったと思う。終了後はミヤタ先生を囲んでの昼食会。つい最近ミヤタ先生も「あいぽん」のお仲間入りをされたばかりなので、アプリのことなどを情報交換しつつ中華をいただく。途中から降り出した雨の中、お帰りになるミヤタ先生をお見送りして散会。<br />
・午後は散髪へ。旅行用である。</p>

<p>３１日（月）<br />
・午前中は部活動の指導に行く予定だったが、コートコンディション不良につきお休みにして、まだ何もしていなかった旅支度に集中する。キャリーケースを持ち出して服やらビーサンやらを詰め、１時間ほどで終了。やはり、旅行は暖かなところへ行くに如くはない。<br />
・午後は手荷物用のバッグの整理。デジカメの充電器やらiPadやらをせっせとバッグに入れる。愉しい時間だった。<br />
・この日は早めに帰宅した妻と簡単に外食を済ませ、早めに就寝。いよいよ明日からセブ島だ。気持ちが高まる。</p>

<p>１１月１日（火）<br />
・朝４時に起床。支度をして外はまだ暗い５時前に自宅を出る。浜松西インターのバス停からセントレア行きの直行バスに乗車。バス内はほぼ満席。この時間の利用が多いことに驚く。<br />
・東名に乗ってしばらく走ると、事故のため豊川インターから音羽蒲郡インター間が事故のため通行止めになってしまった。私たちの前の座席の夫婦は８時の飛行機だそうだ。「これじゃ間に合わんなあ」とぼやくことしきり。しかし、こればっかりはどうしようもない。幸い、私たちの飛行機は９時半の搭乗予定だったのでそんなに焦ることはなかったが、前途が心配される出発だった。<br />
・セントレアには４０分ほど遅れて到着。すぐに国際線の出発ロビーへ。出国手続きを済ませて、まずは朝食。到着遅れについては、けいぞうさんから「現地でなにもないように、税金を払われたのですよ」とツイートが。なるほどそう考えればいいんだと納得。<br />
・搭乗は９時過ぎ。いよいよ出発だ。それにしても、A３３０のエコノミー席は狭い。４時間ほどのフライトなのでがまんがまん。<br />
・すぐに機内食が出た。もちろん、おいしいものではなかった。とにかく座席が狭いので、縮こまって食べなければならないのもつらかった。ビールを飲んで寝ようとしたが、どうも眠たくはならなかったので読書。持参したのは、『悲しき熱帯』（レヴィ＝ストロース、中公クラシックス）と、『コロンブスの犬』（管啓次郎、河出文庫）。何となく今回の旅に合っている感じですらすらと読める。<br />
・午後１時過ぎ、ニノイ・アキノ国際空港に到着。ここでセブ島行きの飛行機に乗り継ぎとなる。これがよくわからなかった。入国手続きをして国内線の乗り場へ向かおうとしたのだが、どこへいけばよいのやらさっぱりわからない。日程表のイラストも確認したのだが、どうもそれだけではどこへどのように行ったらよいのやらさっぱり要領を得なかった。仕方がないので税関の人や荷物受け取りのところにいた人に国内線乗り場はどこへ行けばいいのかを聞く。どうやら、一度出口を出て階段を登って行くらしい。言われたとおりに行ってみたが、国内線の乗り場へ行くには何度もセキュリティチェックを受けないと行けない仕組みになっていた。親切に案内してくれた人もいたが、すぐに「チップ、チップ」と要求してくる。言葉がわからないふりをしてようやく国内線の乗り場へ。かなり焦った。<br />
・セブ島行きの飛行機に乗ったのは午後４時過ぎ。マニラからはおよそ１時間ちょっとのフライトだ。<br />
・薄暮のセブ島マクタン空港に到着。待ち受けるガイドと落ち合い、流暢な日本語で滞在についての説明をあれこれと聞き、待っていたホテルからの車に乗り込む。<br />
・途中、コンビニに寄ってもらって、夜食になりそうなつまみやらワインやらを買い込む。マクタン空港からホテルまではだいたい１時間半程かかるとのことだった。<br />
・この日は祝日だったらしい。とにかく通りには多くの人が出ている。この地に特有の「トライシクル」や、複数人乗ったバイクをかわしつつ、車は猛スピードでホテルへ。まるで映画を見ているようなドライブだった。<br />
・アレグレビーチリゾート＆スパに到着したのは、日もとっぷりと暮れた午後８時過ぎ（現地時間）。生花のレイで出迎えてくれたのは、日本人スタッフのタカノさんだった。チエックインの手続きをしてまずは部屋へ。<br />
・ここの部屋は、それぞれが独立したコテージになっている。エントランスから部屋まではかなりの距離がある。暗い道を歩いていったのだが、とにかく自然が豊かなところだと思った。明るくなったところを見てみたいと切実に思った。<br />
・旅装を解き、まずは食事。レストランへと移動してほっと一息である。</p>

<p>２日（水）<br />
・起きて外に出てみると、ちょうど海から朝日の昇るところが見えた。思わず写真に収める。<br />
・そのままビーチへと降りてみる。早朝、誰もいないビーチを歩くのは気持ちがいい。<br />
・レストランに行ってみると、昨晩はわからなかったプールが見えた。たいへんにキレイなプールだった。そのプールを眺めながら朝食。<br />
・朝食後、エントランス付近で使えるWi-Fiで写真のアップを試みる。Facebookでやってみたが、思いの外うまくいった。これで期間中の写真は問題なくアップできると思った。<br />
・午前中はプールへ。誰もいないプールで泳ぐのは何とも気持ちがいいものだ。<br />
・午後は、スパへ出かけて無料のマッサージを受ける。サービスで３０分だけやってくれるのだそうだ。これがまた何とも気持ちがよかった。家内ともどもへなへな状態に。<br />
・マッサージの後は再びプールへ。ここのプールはなぜかプールの水がクリームソーダのように見えてしまうから不思議だ。いちばん深いところが５フィート。子供用に２フィートや３フィートの深さのプールも作られている。反対側で子どもたち３人が泳いでいる他は誰もいない。貸切の気分でのんびりと泳いだりプールサイドで本を読んだり。贅沢な時間だった。<br />
・夕方、この日の写真などをアップしようとしたのだが、なぜかFacebookが受け付けない。どうやら、いつもと違う場所からのアクセスで、アカウントを一時停止してしまったらしい。あれこれとやってみたのだが、さらにアクセスを制限させる方向にいってしまった。Facebookでのアップは諦めることにした。</p>

<p>３日（木）<br />
・何が美しいって、それはいつもベタ凪の海だ。刻一刻とその表情を変える。そのままずっと見ていても飽きない。<br />
・アクセスできないFacebookに代わって、Google+を試してみることにした。これが案外正解だった。写真のアップもずいぶん簡単にできることがわかった。<br />
・朝食時にいつも添えられているフルーツがこの上なく美味しい。普段はあまりフルーツなど食べない自分も、積極的に食べるようになった。何より、バナナの色が濃い。もちろん味も濃い。ついでに食事の味付けも濃い。南国は何もかも濃厚なのであった。<br />
・着替えてこの日はビーチへ。海に入るなんて何年ぶりであろうか。少なくとも１５年以上は海に入っていない。遠くにブイが浮かんでいるが、そこまでは腰ほどの深さだった。<br />
・海に入ると、すぐに魚が寄ってくる。透明の鯉に似た魚だ。透明度が高いので、よく見るとヒトデや大型イソギンチャクの中にいるクマノミが見えた。カメラを持って海に入り、海からビーチを撮ってみたりした。<br />
・お昼近くなったので海から上がり、一度部屋に戻ってから昼食。<br />
・午後はプールへ。ちと泳ぎ疲れたので部屋に戻って昼寝。<br />
・夕方、iPhoneのアプリでWi-Fiだけの接続で無料通話ができるかテストしてみた。ご協力いただいたのは京都の先生方。ちゃんと通じた。いやはや、とんでもない世の中になったものだと実感した。<br />
・夜はビーチでバーベキュー。明かりが灯され、椅子やテーブルに白布が掛けられると、まるで日中とは趣が変わってなかなかの雰囲気だった。思わずサンミゲルを追加。</p>

<p>４日（金）<br />
・のんびりできるのもこの日が最後。明日は早起きして空港へ行かなければならない。<br />
・夜明けには曇っていた空も、朝食を食べ終える頃にはすばらしい青空に変わっていた。すぐ部屋に戻り、日焼け止めを入念に塗布してビーチへ。この日は、マリンスポーツクラブに行ってシュノーケルを借りて（終日レンタルで６ドル）海に入ることにした。家内はシュノーケリングが初めてだったらしく、最初は「どうやって付けるの？」とか言っていたが、実際に装着して海中を覗いた瞬間からその虜になった。それからほぼ午前中いっぱい、サンゴの周りを中心にシュノーケリングを堪能した。特に、サンゴの中にいる魚たちが「なんだ、何か用か？」とでも言っているかのようにこちらを見てくるのがとても笑えた。<br />
・午後はプールへ。プールサイドでカクテルを飲むということを、一度はやってみたかった。レストランのバーでバナナダイキリをオーダーしてプールサイドへ。幸福感は絶頂に達した。<br />
・そのままプールサイドで気持ちよくなってお昼寝。目が覚めると、けっこうプールも混み合ってきた（と言っても１０人くらいだったが）ので、部屋へと退散。<br />
・そう言えば、プールサイドにはツバメが舞っていた。そのことをツイートすると、オノちゃんから「越冬してるんです」と返ってきた。自分たちもこのままここで越冬したいと思った。<br />
・夕方はいきなり曇ったかと思ったら雷が鳴り出した。一瞬ではあるが、何回か停電もした。雨季も終わりなのである。この日の夜はいつまでも雷鳴が轟いていた。<br />
・アレグレ最後の夕食は、翌朝のこともあって早めに済ませる。仲良くなったレストランのウェイトレスのお姉ちゃんと記念撮影。彼女も来月は別の職場に移ってしまうとのことだった。なかなか現地の就業事情は厳しいらしい。<br />
・部屋に帰って荷造りをする。いよいよアレグレともお別れだ。</p>

<p>５日（土）<br />
・朝は４時に起床。日本を発つ時と同じ時間だ。身支度を済ませると、５時少し前に荷物を運びに来てくれた。エントランスまで行きチェックアウト。滞在中の全ての飲食やオプションの支払いはルームナンバーを告げてサインだけで済ませられた。支払いは全てカードである。らくちんなものだった。<br />
・来た時と違って、さすがに夜明け前の道は空いていた。まるで高速道路のように走ってマクタン空港へ。途中、ドライマンゴーをお土産に買いたいとドライバーに告げると、空港近くの知り合いと思しきお店に立ち寄ってくれた。<br />
・空港では契約ガイドが待っていた。てきぱきと手続きを済ませてくれた。すばらしく手際がよかった。家内と「チップたくさんあげた方がいいね」などと言っていたら、ここでお別れというところで、そのガイドから「ガイドさんに千円チップね」と要求された。しっかりしてるなあと思った。こちらが思っていたチップのほぼ１０倍の値段だった。<br />
・搭乗までは時間があったので、アレグレで持たせてくれた朝食のサンドイッチとフルーツをいただく。いとおしきセブのマンゴーの味だった。<br />
・マクタン空港を発ったのは８時過ぎ。そのままニノイ・アキノ国際空港へ。またしても乗り継ぎがよくわからなかった。とにかく、案内に従って行くと、バリケードがあってそれ以上進めないのである。大回りをしてセキュリティチェックを何度も受けないと乗り継ぎができない。マニラの治安はあまりよくないと聞いていたが、それはこのようなところでも実感させられた。<br />
・今回の旅行で最もネックだったのは乗り継ぎの待ち時間が長かったこと。セントレア行きの飛行機に搭乗するのは午後１時。３時間はたっぷり待ち時間があった。仕方がないので、残ったペソで簡単なお昼とお土産を買うことにした。サンミゲルもしばらくは飲み納めである。思わず２缶続けて飲んでしまった。<br />
・待ち時間が長いとあれこれ人間観察などもするのだが、とにかく傍若無人の振る舞いをしていたのは、上海行きの飛行機を待っていた中国人。かような振る舞いを続けるとしたら、中国の人たちはそのうちに世界の人たちから嫌われていくと確信した。<br />
・ニノイ・アキノ国際空港を発ったのは午後１時半。セントレアまでは、来た時と同様に約４時間のフライトである。日本との時差が１時間ほどだから、到着は日本時間で７時近くになった。日本に帰っての第一印象は、とにかくきれいだということ。家内は、空港のウォシュレットのトイレに感動していた。<br />
・フィリピン航空はけっこう時間にルーズな航空会社だと思った。行きも帰りも、乗り継ぎの出発はかなり遅れた。でも、そのことについてのアナウンスは一切なかった。時間にきっちりしているのは、日本人の美徳なのか、それともそんなにあくせくすることないじゃないかというのが世界のスタンダードなのか、よくわからなくなった。<br />
・セントレアからは直行バスで浜松まで。帰りは順調だったが、隣の席のおばはんがあれこれうるさくて閉口した。遅くなったので、帰宅の途中でいつもの中華料理店にて晩ご飯。久しぶりに食べる中華はひたすらおいしかった。</p>

<p>６日（日）<br />
・起床した際、一瞬ここがどこかわからなかった。朝から雨だった。部活動に行く予定だったが、お休みにした。休めという天の声だと思った。とにかく、終日ぼーっとしていた。「今ごろセブの海は…」と、そんなことばかりが思い浮かんできた。気がつくと夕方になっていた。<br />
・この日仕事だった家内は、帰宅と同時に「今日はいつもよりやる気が出て、集中して仕事ができた」と言っていた。いい休みになってよかったと思った。</p>

<p>７日（月）<br />
・ネクタイをして出勤。職場に行くと、「日に焼けましたね」と言われた。お礼を言いつつ、勤務時間終了とほぼ同時に帰宅。<br />
・またいつか必ずセブ島には行きたいと思った。</p>

<p>こんな１０日間だった。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、悪戦苦闘する</title>
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   <published>2011-10-18T23:13:59Z</published>
   <updated>2011-10-18T23:15:26Z</updated>
   
   <summary>１０月１８日（火） フィシング詐欺のその後のことを。 Appleがすぐにアカウン...</summary>
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      <![CDATA[<p>１０月１８日（火）</p>

<p>フィシング詐欺のその後のことを。</p>

<p>Appleがすぐにアカウントを停止してくれたことは、前回の日記に書いた。<br />
これで一安心と思っていたが、実はとても困ったことが出来した。<br />
それまでにiTunesで購入したiPhoneアプリのアップデートができなくなってしまったのだ。<br />
つまり、停止されているアカウントで購入されたアプリは、そのアカウントでなければアップデートができないようになっていたのだ。<br />
それはまあそうだろうと思う。勝手にアカウントを変えておいて、「このアカウントを使う人物は、前のアカウントの人物と同一だから」なんて、簡単には証明できない。</p>

<p>何度かAppleにアカウント凍結解除のメールを送信してみたが、何も返信はなかった。<br />
そのうちに、アップデートされるアプリは日に日に増えていった。<br />
自分のiPhoneには、５００を越えるアプリが入っている。<br />
どうしてそんなに入れてるのかと問われる方もおられよう。そんなにたくさん入れて、どこに何があるのかわかるのかと。<br />
仰せのとおりで、「ん？このアプリ何だっけ？」と思うことはしょっちゅう、使い方がわからずネットでその使用法を確認することもしばしば。<br />
でも、アプリ紹介のサイトで「期間限定無料！」とか紹介されていると、つい「おお今のうちに入れておかねば！」と思ってしまうのですこれが。</p>

<p>かてて加えて。<br />
その間にiPhoneのOSがiOS５にアップデートにされた。<br />
その対応ために、いろいろなアプリが次々とアップデートされていった。そして、未アップデートの数はついに１００を越えてしまった。<br />
アカウント解除の方法は一つしかない。ひたすらiTunesのカスタマーサポートにキックを入れ続けることだ。<br />
でも、相変わらず返信はなかった。</p>

<p>iOS５が発表された翌日、我慢できずに思い切ってiPhoneのOSアップデート作業をしてみることにした。<br />
自宅のADSLでダウンロードにはおよそ２時間ほどかかった。<br />
そうして復元。アプリの数が多いためか、いっこうに終わる気配がない。仕方がないのでそのまま放置して寝ることにした。<br />
翌朝確認してみると、エラーが出ていた。原因は不明。とりあえずアプリの復元は諦め、何とかiOS５だけでもインストールできたiPhoneを持って出勤。その日は、一刻も早く帰宅してアプリの復元を試みようと思っていた。<br />
帰宅してバックアップからアプリの復元を試みた。これはうまくいった。<br />
ひょっとして、OSの変更と同時にアプリもアップデートされているかと淡い期待をしていたが、もちろんそれぞれのアプリはそのままであった。</p>

<p>実はこの日、帰宅途中にソフトバンクのショップに立ち寄って、「アレコレソレ　キャンペーン」のことを聞いてきた。<br />
iPhoneをすでにSoftBankで契約中だと、iPad2を月額0円から利用できる「（iPad専用）ゼロから定額プラン」に加入でき、さらに契約事務手数料も無料になるというプランだ。無料になるのは１００MBまで。でも、Wi-Fiのみで使えば完全に0円でiPad2が使えるのだ。<br />
キャンペーンの実施は翌日の金曜日から。「予約できますか？」と尋ねると、「すみません、直接お店に来ていただくことになります」とのことだった。<br />
でも、その翌日はiPhone４Ｓの発売日だった。「既に予約だけで１００人以上いただいておりまして、明日は相当に混み合うと予想されます」と言われたので、「確実に契約しますから、もしもお店に実機があれば取り置きしておいていただくことは可能ですか？」と聞くと、「どの機種がご希望ですか？」と言われたので、<br />
咄嗟に「３２GBの白です」と答えた。<br />
店員さんが奥へ消えた。程なく戻ってきて「あります。お取り置きしておきますね」と言ってくださった。「よ、よろしくお願いします。できればこの土日に取りに来ますから」とお答えしてお店を後にした。天にも昇る思いだった。</p>

<p>週末の土曜日。<br />
終日雨で部活動はお休み。夕方から、浜松駅近くのビックカメラにiPadのケースと保護フィルムを買いに行った。あまりに高価なのでびっくりした。純正品は諦め、手帳風のカバーとフィルムを購入して帰った。</p>

<p>明けて日曜日。<br />
朝起きてメールを確認すると、iTunesのカスタマーサポートから待望の返信が入っていた！<br />
ようやくかつてのアカウントの解除が行われたとのことだった。「ただし、パスワードをより強固なものに変更されること」を要望されていた。<br />
すぐにパスワードの変更を行い、おそるおそるiPhoneアプリのアップデートを実施してみた。<br />
おお！<br />
App Storeのバッジからみるみる数が減っていく。まるで枯葉でせき止められていた側溝の雨水が、枯葉を除去した瞬間一気に流れ出していくようだった。<br />
１週間ほど続いた便秘から解放されたような感じがした。</p>

<p>その日の午前中は部活動の練習が予定されていた。雨は上がっていたが、明け方まで降り続いた雨で、コートコンディションが悪いのではないかと思っていた。<br />
実際にコートに行ってみると、とても整備ができるような状態ではなかった。練習は簡単なランニングだけに済ませて終了。<br />
もちろん、まっすぐソフトバンクのお店へ。</p>

<p>お店に行ってみると、契約待ちの客はまだ少数だった。<br />
待つこと暫し。<br />
ついにiPad２がわが家にもやって来ることになった。<br />
その日の午後が、いかに愉しい時間であったかはご想像にお任せする。</p>

<p>iPadがやって来たヤァヤァヤァ！<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、詐欺に遭う</title>
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   <published>2011-10-14T00:11:07Z</published>
   <updated>2011-10-14T00:11:20Z</updated>
   
   <summary>１０月１１日（火） ３連休中日の日曜日、朝起きて朝食も済ませ、そろそろ部活動の指...</summary>
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      <![CDATA[<p>１０月１１日（火）</p>

<p>３連休中日の日曜日、朝起きて朝食も済ませ、そろそろ部活動の指導に行こうかとiPhoneを手に取ると、何やらホーム画面に見慣れぬアプリのアイコンが並んでいた。<br />
ん？なんだこれ？とよく見てみると、何と１４本もの購入した覚えのないアプリがダウンロードされていた。<br />
アプリのダウンロードの際には、家内も娘も私のアカウントを使用していたので、ひょっとして娘が新しいアプリを入れたのかと一瞬思ったのだが、それにしては到底娘が入れそうもないアプリばかりが並んでいた。そのほとんどは、GPS情報を知るためのアプリばかりだったのだ。わざわざ娘に確認するまでもなかった。</p>

<p>してやられたのだ。<br />
一瞬、血の気が引いた。いつかはこういうことがあるかもしれない、と思っていたことが発生したのだ。<br />
すぐにPCのiTunesを起動してサインアウトし、アカウントを変更した。<br />
気分が悪いので、すぐにそれらのアプリも削除してしまおうかと考えたが、「証拠」として残しておくことも必要かと思い、iPhoneを同期してiTunesにアプリを記録し、そののちに全て削除することにした。</p>

<p>この事実をAppleに知らせなければならない。<br />
iTunesのサポートをクリックすると、ネットのiTunesサポートのページに繋がった。いくつかの項目があったが、ここならよかろうと思われるところ複数へ、「購入してないアプリが勝手にダウンロードされてます。どうすればよろしいですか？」と問い合わせを送信した。</p>

<p>同時に、電話で問い合わせはできないだろうかと考え、あれこれ調べてアップルストアに電話をかけるということも思いついた。調べてみると、午前９時から無料で問い合わせができる番号がわかった。<br />
部活動の開始時間が９時だったから、電話は学校へ行ってからかけてみようと思い、とりあえず学校へと向かった。<br />
途中、たいへんなことに気づいた。アカウントを変更したのはいいが、元のアカウントはただサインアウトしただけで、パスワードの変更をしていなかったのだ。<br />
青ざめた。<br />
とりあえず、iPhoneのiTunesからパスワード変更をしてみようと思った。</p>

<p>テニスコートに到着したので、すぐにアップルストアに電話をかけてみた。音声ガイドに従って番号をプッシュすると、最後は「iTunesに関するお問い合せは全てメールでお受けすることになっております」という音声が流れるだけだった。<br />
ダメだこりゃと思い、すぐにiPhoneのiTunesを立ち上げてみた。すると、Wi-Fi環境下でなければ利用できないことが判明した。<br />
目の前が真っ暗になった。<br />
近くのマクドにでも行けばWi-Fiは使えるのだろうが、はたしてiPhoneでパスワードの変更までできるのかは疑問だった。<br />
仕方がないので、部長を呼んで練習メニューを指示し、一旦自宅に戻ってパスワードを変更することにした。</p>

<p>とりあえずはこれで一安心である。<br />
それにしても、どこでどうしてこんなことになってしまったのだろうと思った。思い当たる事実はなかった。<br />
幸い、iTunesで１回に購入できる金額は１万円が限度である。それに、高価なアプリも確かにあるが、そのほとんどは８５円、１７０円、２５０円のいずれかだ。被害金額は、総額５０５円だった。</p>

<p>翌日、iTunesStoreのカスタマーサポートから２通のメールが入っていた。たぶん、前日の問い合わせを２ヶ所に送信したからであろう。<br />
１通は、「お問い合わせ頂いている案件について迅速に調査したいと考えておりますが、お問い合わせのメールではApple IDをご入力頂けず、お客様のアカウントを特定することができませんでした。恐れ入りますが、未承認購入があったアカウントを特定致します為、下記の情報をご提示頂けますでしょうか」とあり、<br />
不正に使用されたアカウントや、購入されたアプリの注文番号等の報告が求められていた。<br />
もう１通は、「被害拡大を早急に防ぐことが最重要と判断させていただきましたので、これ以上の不正購入を防ぐために、誠に勝手ながらアカウントを無効にし、このアカウントでの購入がおこなえないようにさせていただきました。また、問題のあった購入に使用されましたクレジットカードも今後 iTunes でご利用して頂けないように設定させて頂きました。」とあった。<br />
しかも、今回の被害金額については、今回に限って返金してくれるとのことだった。</p>

<p>まてよ、ひょっとしてこのメールもインチキじゃないのか？だって、確かAppleはiTunesストアで不正に購入された事実があってもそれを補償したりはしないって言ってなかったっけ？ということを思い出した。他人のアカウントを使って不正にダウンロードしたヤツが、今度は新しいクレジットカードの情報を盗もうとしているんじゃないのかと疑ったのだ。<br />
２通のうちの「クレジットカードを無効しました」以外のメールに、「このメールは大丈夫ですか？」と内容をコピペした問い合わせメールを入れてみることにした。<br />
それでも、早急に対応してもらうためには必要な情報は報告しておいたほうがよかろうとも思い、求められた情報を双方のメールにはクレジットカード以外の情報について返信しておいた。</p>

<p>そして今日。<br />
iPhoneのAppStoreでアプリのアップデートをしようとしたら、「このアカウントは無効化されています」とのメッセージが出てきた。<br />
あ、やっぱ無効化されているんだと思った。てことは、あのメールはインチキじゃなかったのだ。カスタマーサポートの方には、失礼なメールを送ってしまったと後悔した。</p>

<p>Ｔｗｉｔｔｅｒを見ていたら、こんなTLが流れてきた。<br />
「英語で"a bad blog about you?"という記述のあるDMはフィシングです。安全のため、被害にあわれた方のパスワードをリセットしています。新たなスパムDMを発見された場合は、@spamまでご連絡ください。よろしくお願い致します。」<br />
思い出した。<br />
少し前、フォローしている方からＴｗｉｔｔｅｒにDMが入っていた。<br />
何だろうと思って見てみると、“a bad blog about you?”とあり、URLが添付されていたのだ。え？オイラの日記のこと？と思ってついクリックしてしまった。クリックした先には、なにもそれらしき頁は存在していなかった。<br />
これだ！と思った。</p>

<p>フィシングとは、“悪意の第三者が会員制ウェブサイトや有名企業を装い、「ユーザーアカウントの有効期限が近づいています」や「新規サービスへの移行のため、登録内容の再入力をお願いします」などと、本物のウェブサイトを装った偽のウェブサイトへのURLリンクを貼ったメールを送りつけ、クレジットカードの会員番号といった個人情報や、銀行預金口座を含む各種サービスのIDやパスワードを獲得することを目的とする。”（＠Wikipedia）行為のことだ。<br />
よくわからないけど、Ｔｗｉｔｔｅｒのアカウントとパスワードが盗まれ、それが同じパスワードを設定していたAppStoreでも使われたということなのだろう。<br />
もちろん、Ａｍａｚｏｎや楽天トラベル、HMVやタワレコ等のネットショップのアカウントとパスワードも全て変更したのは言うまでもない。</p>

<p>それにしても、まさか自分がこのような詐欺に遭うとは思いもよらなかった。<br />
よく、「オレオレ詐欺なんかに自分は絶対にひっかかったりはしない」と言っている人に限って、ころりんと騙されてしまうというのと同じだったのかもしれない。</p>

<p>みなさま。<br />
どうかお気をつけください。世の中、悪いヤツがいます。<br />
そういう人には、きっと天罰が下ります。それは間違いないのですが、十分に気をつけておくことも必要かと思います。自戒を込めて。<br />
</p>]]>
      
   </content>
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   <title>スーさん、セブ島にゆく（ことに決定）</title>
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   <published>2011-10-04T00:05:45Z</published>
   <updated>2011-10-04T00:11:15Z</updated>
   
   <summary>１０月３日（月） またライフプラン休暇の年が巡ってきた。 ライフプラン休暇とは、...</summary>
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      <![CDATA[<p>１０月３日（月）</p>

<p>またライフプラン休暇の年が巡ってきた。<br />
ライフプラン休暇とは、３５歳から５年ごとの有休消化のための休暇だ。土日の前後３日間で取得するのが原則で、合わせて５日間は連続で休めるのである。<br />
自分の場合は、今回が退職前の最後の休暇となる。<br />
前回は、前半は伊豆の大沢温泉へ<a href="http://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/24_2113.html">http://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/24_2113.html</a>、後半は神戸・大阪へと出掛けて（<a href="http://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/28_1023.html">http://nagaya.tatsuru.com/susan/2006/11/28_1023.html</a>）至福のときを過ごした。しかし、これが最後の休暇となると、いきおいその時期と行き先とを熟慮せねばならないという気持ちにさせられた。</p>

<p>管理職からは、休暇該当職員が多いのでなるべく早めに時期を決めてほしいと言われていた。Googleカレンダーを眺めながら、学校行事や部活動の試合が入っていないところを探していたところ、何と８連休になるところを見つけた。<br />
本校の合唱コンクールは１０月２９日（土）に行われる。もちろん、翌３０日（日）はお休みで、３１日（月）が合唱コンクールの代休。１１月１日・２日と休みを取れば、３日が文化の日で５連休。さらに、４日に休みを取れば、次の５日・６日が土日なので、合わせて８連休！<br />
それが認められるかどうかはわからなかったが、とりあえずそれで希望を出してみた。<br />
夏休みに入る前、幸いなことにその日程で休暇が取れることになった。</p>

<p>せっかくそれだけ休めるのならと、思い切って海外旅行でもしようかと考えるようになった。<br />
きっかけとなったのは、今年２月の内田ゼミによるバリ旅行である。久しぶりの海外旅行だったが、生涯忘れえぬほどに楽しいツアーだった。バリに行ったのは新婚旅行以来だったが、年齢相応に違った楽しみがあるということを知ったのである。</p>

<p>あれこれ考えて、最初はハワイに行こうかと思っていた。何と言っても、世界有数のリゾート地であるし、まだ行ったことがなかったからだ。<br />
でも、ハワイツアーについての情報収集をしていくうちに、どうやらあまり安価には行けそうにないことと、どこへ行っても人が多そうで、あまりのんびりとはできそうにない感じがしてきた。<br />
それからというもの、いくつか旅行社の人が学校に来るたびに、どこかおススメのところはないかと尋ねてみた。<br />
ベトナムは物価が安いのでけっこう豪遊できると聞き、ついでにお隣まで足を延ばしてアンコール・ワットを見てくるというようなツアーも候補に上がったが、予算がけっこうかかってしまうことがわかってボツ。<br />
でも、行くんなら予算的にもアジアだよなあということは決まった。</p>

<p>そんなとき、BSでマレーシアのランカウイ島のリゾートホテルを紹介した番組を見た。つい、食い入るように見てしまった。そして、ランカウイ島のことをあれこれネットで見ていて、『ふたりで行くアジアの「隠れ家」ホテル』（増島実、PARCO出版）という本を見つけた。すぐに「密林」のマーケットプレイスでポチった。<br />
程なく本が届いた。写真集のような本だったから一気読みした。そうして、ランカウイももちろんいいが、日本から４時間ほどで行けるフィリピンのセブ島もなかなかよいではないかと思うようになった。</p>

<p>その本に紹介されていたセブ島のホテルは「プルクラ」という。全３７室、オールスイートのコテージタイプで、どの部屋にもプライベートプールが付設されている。<br />
件の本には、美しい「プルクラ」の写真とともに以下のような紹介文が付されていた。<br />
「東京を飛び立って４時間あまり、飛行機はセブ島・マクタン空港に到着する。そこからプルクラまでは約１時間２０分のドライブを要す。ホテルの敷地に入って、さらに数分。車はゆっくりとエントランスに滑り込む。ベルボーイに荷物を渡し、エントランスホールかに足を踏み入れたとたんに、あなたは、これから始まる滞在が心地良いものになることを感じるはずだ。（…）天井が高く、吹き抜けになっているため、海からの風がさわやかに通りすぎて行く」（５０頁）<br />
今すぐにでも行きたくなった。</p>

<p>ネットで調べると、いくつかプルクラへのツアーが出てきた。<br />
もちろん、それで頼んでみてもよかったのだが、さすがに海外旅行となると何かあったときにきちんと対応してくれそうなところを選んでおきたかった。<br />
幸い、JTB浜松支店には、教え子のカコくんという営業部長がいた。すぐに連絡を取った。<br />
「あのさあ、セブ島行きたいんだよね。それも、プルクラっていうホテルに泊まりたいの。ツアーある？」と聞いてみた。<br />
後日、そのカコくんが資料を持ってやって来た。どうやら、プルクラは３７室の中にも部屋のランクがあって、大きさとか設備が微妙に違っているらしかった。ネットに載せられているツアーは、そのほとんどがいちばん安い部屋のものだということだった。<br />
また、JTBのツアーならわざわざ成田まで行かなくても、セントレアから行けるツアーもあるとのことだった。成田までの交通費を考えれば、もちろんセントレアから行ける方がよい。<br />
というあれこれを勘案した上で、やっぱりカコくんとこにお願いすることに決定した。その時点で１１月のツアーはまだ出ていなかったので、「時期になってツアーが確定したら、またパンフレットを持って来ますから、それで確定しましょう」ということになった。</p>

<p>ところが。<br />
９月のお彼岸を過ぎた頃、そのカコくんから申し訳なさそうな声で、「先生、こちらもうっかりしていたのですが、プルクラは部屋数が少なくて、ハネムーナーがもう半年以上前から予約を入れていたりして、部屋が取れそうにないかもしれないんです」と電話が入った。「時期が違えば取れる可能性もあるんですが」とも。<br />
時期を変えることはできなかった。学校には既にその日程で休暇申請を出してしまってある。他の先生の休暇取得とも調整の上でのことだから、今さら休暇時期の変更は不可能だった。<br />
「何とかがんばってみてよ」と頼むしかなかった。<br />
それから待つこと１週間。<br />
「先生、ホントにすみません。やっぱり１１月１日からの滞在はお取りすることができませんでした」との返事だった。「３週間ほど後ならキャンセルが出たので取れるのですが」と。<br />
プルクラは諦めるしかなかった。</p>

<p>でも、そう簡単には諦めることができなかった。<br />
仕方がないので、プルクラと同じようなホテルはないか探してみることにした。<br />
しかし、予算と時間を考え合わせると、なかなかセブ島のように条件のいいリゾートはなかった。諦め切れないままに、もう一度JTBのパンフに目を通していた。<br />
プルクラを恨めしく眺めてふと見やった次のページ。同じセブ島で「総客室数３８室、自然に囲まれた隠れ家的リゾートホテル」として紹介されていたホテルがあった。ホテルのグレードはプルクラよりもワンランク下のLグレードだったが、どうやらプルクラと同じような感じのホテルらしかった。</p>

<p>そのホテル、「アレグレ・ビーチ・リゾート」という。すぐにネットで調べてみた。<br />
ホテルのHPで見ると、プルクラとよく似てかなりいい感じのホテルだということがわかった。<br />
さらに、「セブ島、ホテルランキング」でググッてみたところ、ホテルの「口コミ人気ランキング」がトップヒットした。見てみると、何とプルクラよりも一つ上にランクされていた。<br />
すぐカコくんに、「セブ島のアレグレっていうホテルなら取れる？」とメールを入れた。<br />
翌日、そのカコくんから「予約できました」というメールが入った。飛び上がらんばかりだった。できればオーシャンビューの部屋がよかったから、部屋のグレードアップもお願いしたおいたのだが、それも予約できたとのことだった。<br />
かくして、銀婚式記念の年、家内と一緒に行くセブ島「アレグレ・ビーチ・リゾート」への旅が決まったのである。</p>

<p>iPhoneには、指定された期日まで「あと何日」をバッジでお知らせしてくれる「あとマル」というアプリがある。さっそくそれをホーム画面のトップに置いた。<br />
セブ島まで「あと２８日」である。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、台風に襲われる</title>
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   <published>2011-09-29T03:15:36Z</published>
   <updated>2011-09-29T03:16:13Z</updated>
   
   <summary>９月２７日（火） 台風から１週間。 まだ各所にその爪痕が残っているが、それにして...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nagaya.tatsuru.com/susan/">
      <![CDATA[<p>９月２７日（火）</p>

<p>台風から１週間。<br />
まだ各所にその爪痕が残っているが、それにしても凄まじい雨風だった。</p>

<p>台風１５号の接近が報じられていたちょうど一週間前の火曜日（２１日）は、その前の土曜日に行われた体育大会の代休だった。天気は朝から曇っていて、明け方には雨も降っていた。そんな天気だったので、部活動はお休みにした。<br />
家にいると、朝からひどく耳鳴りがした。こういうときは、読書をする気にもならない。朝から何をするともなく、ぼーっとして過ごした。アオヤマさん（＠aoyama_kobe）から聞いたのだが、台風のような低気圧が近づいてくるような気圧の変化が激しいときには、ひどく耳鳴りがする人がいるらしい。自分もその一人なのだということがわかった。<br />
本を読む気にならなかったので、午後からは録画しておいたアオヤマさんやジロー先生（＠jiro50）オススメの「サン・ジャックへの道」を見ていた。結局、その日は夜まで雨はほとんど降らなかった。<br />
夜、メディアは岐阜県多治見市の大雨の様子を報じていた。ソフトテニス仲間のりょうさん（＠ryousan777）にTwitterで様子を尋ねると、実際に多治見市に勤務しているワタナベさん（＠Branpus22）の勤務先の方がひどい状態らしいということがわかった。mixiの日記にその様子がアップされているとのことで、さっそく覗いてみると以下のように書かれていた。<br />
「①我が社のテニスコートへ山から濁流が押し寄せ、テニスコートがひどいことになりました。②その濁流が、そのまま社屋に侵入。１階が床上浸水となりました。パソコンをつないでいるランケーブルもしっかり水浸しとなりました(T_T) 水の威力をまざまざと見せつけられ。なんとも防ぐことのできないものだと体感しました。こんなわけで、昼からは復旧作業にいそしみました。しかし、私の最も大切にしているテニスコートはまだ手もつけられず。何本もの大きい流木がコート上にゴロゴロしてる。完全にコートが川になって、凸凹。表土はしっかり流されてしまい。悲惨なものです。社屋内の１階の掃除だけでもうヘロヘロ。明日は、１日かけて復旧作業。」 <br />
すぐにお見舞いのメッセージを入れた。りょうさんの方も、「縦横に走る高速が止まっているせいで１９号も２４８号も大渋滞。瑞浪から２時間半がかりで帰宅しました。」とコメントがあり、実際に大雨による避難勧告が出ている地区を通って帰ったとのことだった。<br />
浜松も明日は大丈夫だろうかと心配になった。</p>

<p>明けて２１日（水）。起きてテレビを付けると、既に浜松市には暴風警報が出されていた。浜松市の場合は、朝７時の時点で暴風警報が出ていた場合、午前１０時まで小中学校の児童生徒は自宅待機となる。 しかし、職員は待機ではない。時折、叩きつけるような雨が降ってくる中を出勤する。<br />
午前９時、視界がほとんど得られないほどの雨が降ってきた。風も相当に強まってきた。<br />
午前１０時、引き続き暴風警報が発令されていたので、学校は休校。翌日の連絡を各家庭にメール配信または電話連絡ののち、職員会議に入る。この会議は、台風に備えての会議ではなく、本来次週の月曜日に予定されていたものを、休校になったために午前中に行うことになったものである。<br />
１１時、会議中ではあったが校舎のガラスが割れるのではないかと思われるほどのひどい雨風となった。どうやら、台風はまっすぐに浜松に向かって来ているらしかった。<br />
１２時。情報を見ると、台風は浜松の南西１２０キロの海上を北上していた。外はまさに「滅茶苦茶」と形容するのが相応しい風と雨の状況を呈していた。<br />
１４時。浜松市内の一部に避難勧告が出された。それと呼応するように、風向きが変わって一時凪いだような状態になった。台風の中心部が浜松付近に上陸したと報じられた。雨風がだいぶん弱まった。外を見ると、新幹線が線路上に止まったままだった。<br />
校地内を見回りに行った教頭から、テニスコート付近の松が折れて、道路上の電線に引っかかっていること、他にも折れている木が多数あることを報告してくれた。市内は停電しているところが出ていることも報じられていた。<br />
雨風が治まっていたのも束の間、すぐに今度は西からの猛烈な風雨が吹き始めた。吹き返しだ。この吹き返しも、台風の接近に伴う風雨に負けず劣らずの凄まじさだった。家のグリーンカーテンのことが心配になった。せっかくここまで順調に育ってくれてきていたのに、たぶんこの風に吹き飛ばされていることだろうと思った。<br />
１６時。ようやく吹き返しも治まってきた。外が少し明るくなった。雲が東の空へ飛ぶように流れていく。先ほどまで線路上に止まったままだった新幹線も、いつのまにか動いていた。ようやく台風が抜けたのだ。<br />
勤務時間終了と同時に、ソッコーで帰ろうと思っていたが、その前にテニスコートの様子を見に行ってみた。水没あり、倒木ありで悲惨な状態だった。家の様子も心配になった。</p>

<p>帰宅してみると、グリーンカーテンは原型を留めていた。土台が少しずれただけで、葉も蔓も大丈夫だった。いやはや、強いものだと感心した。プランターの花がいくつか根こそぎ吹き飛ばされていた。家内が植えたシシトウとオクラもかなり傾いていたが、何とか根こそぎにはならずに済んでいた。それらを修復し、海水をたっぷり含んだ雨に晒されたプリウスを洗車して、ようやく一息ついたのが午後７時。それにしてもひどい台風だった。</p>

<p>明けて２２日は、前日の台風が嘘のような青空。午後からは先日の体育大会でできなかった競技の残りを行うことになっていた。<br />
グランドに出て競技の様子を見ていたとき、ふと振り返るとどこかで見たような顔を認めた。すぐに誰かわかった。新卒２校目の学校の２年目に、部活動でも指導し、担任もしていたクミちゃんだった。まちがいないと思ったが、かれこれ２０年以上も会っていない。もしも人違いだったら失礼だよなあと思い声もかけられずにいた。そうこうしているうちに、クミちゃんと思しき人は帰ってしまった。後を追いかけて声をかけようとしたが、もう一人の保護者と二人連れだったのでそれもできず仕舞いだった。帰る前にＰＴＡ役員の人としゃべっていたので、その役員の方に聞いてみた。「先ほどしゃべっていた保護者の方、お名前わかります？」と尋ねると、「あら、お二人いたのでどちらの方かしら」と言いつつ、そのお二人の名前を教えてくださった。まちがいなかった。そのうちの一人は確かにクミちゃんだったのだ。「息子さんはサッカー部ですよ」とも教えてくださった。競技終了後、すぐにサッカー部顧問に聞いてみた。「え？保護者会の会長さんをしてくれているので、じゃあ今から電話してみますか」と言いつつ、電話をかけてくれた。電話を替わってもらった。聞き覚えのある声が受話器の向こうから聞こえてきた。どうやら、４月に自分が赴任してきたことはもちろん知っていたのだが、なかなか声をかけられずにいたとのことだった。「いつもテニスコートにいるから。近いうちに顔出してよ」と言って電話を切った。</p>

<p>その日の部活動はテニスコートの後片付けからだった。一面に飛び散った松の木の枝や葉を集め、折れた木をコートの外まで運び出し、土表面の砂を補充したりして、部員全員でかなり時間をかけて修復作業を行っていた。<br />
と、そのときについ先ほど声をかけようとした保護者がコートまでやってきた。<br />
クミちゃんだった。<br />
懐かしかった。前回会ったのがいつのことだったか、それすら覚えていなかった。でも、教え子というのは不思議なものだ。こちらがほとんど覚えていない小さな出来事も、ほとんど正確に細部にわたって覚えているのだ。そうして、そんな話をしているうちに、２０年の歳月の隔たりはだんだんと消え去っていった。今は２児の母となっていた彼女も、その時だけは中学生の少女に戻っていたのだった。<br />
台風は最悪だったけれど、去った後にはうれしい再会が待っていた。</p>

<p>追伸<br />
台風の来襲の際には、内田先生を始め、多くの方々からお見舞いのツイートやらメッセージやらをいただきました。この場を借りて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、雀徳を積む</title>
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   <published>2011-09-15T03:41:14Z</published>
   <updated>2011-09-15T03:43:43Z</updated>
   
   <summary>９月１２日（月） 先週の土曜日は支部定例会。 たいへんにうれしいことがあった。 ...</summary>
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      <![CDATA[<p>９月１２日（月）</p>

<p>先週の土曜日は支部定例会。<br />
たいへんにうれしいことがあった。<br />
かつて２０年以上通った麻雀荘、浜松支部の原点とも言うべきその麻雀荘は４年前にお店を畳んだのだが、その麻雀荘が復活することになったのである。</p>

<p>きっかけは、定例会の前に食事も兼ねて一杯やるお店を、どこにしようかと考えていたときだった。<br />
支部の「旗亭」にしていたお店が閉店して２年。その後には、夜から明け方にかけて営業するラーメン屋さんが入った。しかし、さすがに夜の間だけではなかなか営業も難しかったのか程なく閉店。その後は空きテナントになっていたのだが、最近「家族的雰囲気の居酒屋」という触れ込みの新しいお店が入った。<br />
どんなお店なのか、一度行ってみようということになった。しかし、さすがに一見のお店は、できれば誰かから情報を得て行く方がよかろうと思った。<br />
そのテナントの大家さんが、かつてわれわれが通いつめた麻雀荘のオーナーだったのである。<br />
さっそく大家さんに電話をしてみた。<br />
「あのお、昔よく麻雀しに行った者なんですけど」と言うと、電話口に出たオーナーの息子さんの奥方は、「ああ、声に聞き覚えあります」とおっしゃって、すぐに息子さんに代わってくださった。<br />
「あの、今度新しくテナントに入ったお店のことなんですけど」と切り出し、その様子を教えてもらおうとすると、「実はボクもまだ行ったことないんですよ。だっていつもお客さんでいっぱいみたいだから。それより、ウチの麻雀荘のすぐ下のお店にすればいいじゃないですか。ご夫婦が二人でやられているいいお店ですよ」と教えてくださった。そうして、「実は麻雀荘をまた始めようかと思ってるんですけど」とおっしゃった。<br />
「え！ホントですか？なんでまた？」と尋ねると、以下のような答えが返ってきた。<br />
息子さんはもともと料理人だった。麻雀荘のすぐ下のお店は、その息子さんが営む洋食屋さんだった。<br />
ところが、過労から心臓を患ってお店を続けることが難しくなり、店舗はテナントとして貸し出すことにした。後には和食のお店が入った。<br />
その間は、調理師の資格を活用していろいろなところに料理を作りに行ったりしていたのだが、自宅を改築したことをきっかけに、すぐ隣にある麻雀荘も改装してみようかという気持ちになったらしい。オーナーの名義を変更し、自分でペンキ塗りをするなどして内装も整え、今まであった全自動卓も古いものは廃棄して、何台か新しい卓を買い揃え、早ければ今月末くらいには再開しようと思っていた、とのことだった。<br />
「ちょうどよかった、よかったらお店を再開する前に、新しく入れた台の調子とかも見たいんで、ウチで麻雀してみてくれませんか？」とおっしゃってくれたのだ。<br />
即刻、かつての麻雀荘に集合する旨のメールが支部会員たちに発せられた。</p>

<p>その土曜日。集合は麻雀荘直下の居酒屋さん。<br />
店内には近所の主婦連と思しきオバちゃんたちが、あたりかまわず大声で話しかつガハハハ！と大笑いしながらコース料理の小宴を営んでいた。<br />
とりあえず店内に入って、オノちゃんとビールを飲みながら今回の経緯を話していた。そのうちにヨッシーが現れた。すぐにヤイリくんも。メンバーが揃ったので、隣にある息子さんの自宅に出向き、一度ご挨拶を<br />
ということになった。<br />
すぐに息子さんが出てきて、「じゃあ、麻雀するとこ見てもらいましょうか」ということになった。４年ぶりにかつての麻雀荘の店内に入った。タバコの脂で茶色に変色していた壁は明るいクリーム色に塗り替えられ、巨大な冷房装置は撤去されて普通の業務用エアコンに換わり、６台あった全自動卓は４台に減らされ、その関係で照明も一部場所が変えられて、ひどく明るい光を店内に投げていた。<br />
思わず、「おお！」と歓声が挙がった。<br />
「でもね、一つだけ他のお店とは違っているところがあるんです。店内を禁煙にしようと思うんです。もちろん、タバコを吸われるお客さん用には喫煙場所が用意してあります。それから、飲食の持ち込みも自由にして、冷蔵庫も勝手に使えるようにして、その分料金をお安くしようと思ってるんです」と息子さん。<br />
禁煙の麻雀荘！もちろん、異論はない。喫煙するオノちゃんたちも、何より昔から慣れ親しんだお店でまた麻雀ができることの喜びに前には、禁煙など何ほどのことがあろうということだった。<br />
「よろしければ、さっそく今晩にでもやってみてくださいよ」とのお言葉に、一も二もなく同意して、下のお店の小宴もそこそこに、すぐに麻雀荘へと上がって記念すべき復活の半荘が始められたのだった。</p>

<p>こういう夜には役満が出るようになっているのだろう。<br />
ヨッシーが四暗刻をツモった。それも、ラス牌の發。暗刻を我慢して揃える最もヨッシーらしい役満の和了だった。<br />
かくして、我らが支部麻雀荘復活記念の例会は、ヨッシーがトップ。３戦して２回最下位に沈んだ支部長が３戦目にして怒涛の和了を見せて２位。オノちゃんが支部長分を、ヤイリくんがヨッシー分をそれぞれ被ったという結果だった。</p>

<p>それにしても、まさか再びかの麻雀荘で打牌できるときが来ようとは。夢にだに思ってもいなかった。<br />
今回は、言わば「内覧会」のようなものであったが、来る正式オープンの日には、支部総出でその復活を言祝ぎたいと思う。<br />
まさに、その麻雀荘の名前に相応しい再出発である。<br />
「寿荘」よ、永遠に！<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、城崎でちょっと極楽を見る</title>
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   <published>2011-09-01T13:27:15Z</published>
   <updated>2011-09-01T13:27:44Z</updated>
   
   <summary>８月３０日（火） 今年の神戸・城崎行のことを書いておきたい。 今年もすばらしい３...</summary>
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      <![CDATA[<p>８月３０日（火）</p>

<p>今年の神戸・城崎行のことを書いておきたい。<br />
今年もすばらしい３日間だった。</p>

<p>出発は２４日。今回は、２日目の午後まで家内も同行することになっていた。実は、家内は今年のバリ旅行で一緒だったミツヤスさんのところでいつかは髪を切ってほしいと、秘かにその機会の訪れることを待っていたらしかった。今回その思いが叶いそうだとわかると、行きつけの美容院で髪を切ることもせず、そのため伸びた髪を整える手間も厭わず、ただひたすらこの日が来るのを一日千秋の思いで待望していたのであった。<br />
せっかく家内が行くのならと、自分もちょうど今月末には髪を切ろうと思っていたところだったので、さっそくミツヤスさんに「ボクも一緒にいいですか？」とお願いをして、夫婦揃って「変身」する手筈が整えたのだった。<br />
しかも、今回は何と内田先生も夕方から髪を切りにお見えになる予定だということだった！何という偶然！</p>

<p>今回はみんなあれこれと予定が入っているとのことで、支部からの同行はオノちゃん一人。ヨッシーがその日の夜に、それ以外のメンバーは２５日の朝に新神戸駅にて合流することになっていた。<br />
お盆も過ぎた平日のためか、高速道は空いていた。いつもお決まりのように渋滞する場所も、スピードダウンすることすらなく、ちょうどお昼過ぎにはその日宿泊予定のホテルに到着。<br />
ミツヤスさんとこの予約は３時。ＪＲ三宮駅近くでゆっくりと昼食を済ませ、「おお！こんなところにタワレコが」と、駅前の「ミント神戸」なるビルの６階にあるタワレコでＣＤを１枚購入してから、オノちゃんとは「んじゃ、また夕方に」と別れて、私たち夫婦はＪＲにて芦屋へと向かった。</p>

<p>芦屋駅からお店まではiPhoneの地図アプリで。目的地を設定してカメラを起動すると、ＡＲで案内してくれる（はずの）触れ込みだったが、どうやらヘディングアップへの対応がいまいちらしく、「たぶんこのへんなんだけどなあ」とうろうろ。「なあ？その辺にＳ保育園ない？」と暑い残暑の日差しを浴びながら汗を拭き拭きうろうろ。と、ちょうど道の反対側にあるお店がどうやらそれらしい雰囲気のお店であることが判明した。近づいてみると、お店の中にミツヤスさんの姿があった。<br />
ようやく到着。（後で地図をよくよく見て見れば、芦屋駅からそんなに難しい道のりではなかったことがわかった。機械に頼りすぎてはいかんということなのである）</p>

<p>一息入れて、さっそく髪を切っていただく。<br />
たいへんにお恥ずかしい話だが、自分はここで初めて「後ろ向きシャンプー」なるものを体験した。これはたいへんに気持ちがいいものである！<br />
それに、ミツヤスさんとこのお店のスタッフは、シャンプー時の頭皮マッサージがとてもお上手なのである！このシャンプー＆マッサージだけで、既に心とカラダはふにゃらふにゃらとなってしまった。（このシャンプー時に、何とウッキー師匠もご登場された）<br />
先に髪を切り終えて、家内が終わるのを待っていると、ちょうど内田先生もお見えになったところだった。<br />
家内はひどくご満悦の様子だった。始終、はしゃいだ声が聞こえてきた。よほど嬉しかったのだろう。程なく家内も髪をセットし終えて登場。だいぶん印象が変わった。女性の髪というものは不思議なものである。<br />
ミツヤスさんにお礼を言い、せっかくだからと一緒に写真に収まって、ちょうど髪を切り終えたばかりの内田先生に阪急芦屋駅まで送っていただく。<br />
この日の夜は、サニーくんの段取りで小宴が予定されていた。内田先生も車を置かれたら合流されるとのことだった。</p>

<p>小宴は、三宮の「良友酒家」。阪急三宮駅を降りると、いきなり雨が降ってきた。仕方がないので、近くのドラッグストアでビニール傘を買って件の場所へと急ぐ。<br />
ようやく到着すると、ちょうど前菜が終わろうかというところだった。メンバーは、サニーくん、ジロー先生、ヒラオさんとオノちゃん。料理はどれもたいへんに美味しい。ビールがくいくいと進む。程なく、内田先生もお見えになり、地元アオヤマさんおススメのミル貝の一品なども供されて宴は最高潮に。<br />
そろそろ料理も終わりかという頃になって、ようやくヨッシーが到着。<br />
せっかくなのでということで、内田先生の一言で河岸は「リセット」へ。<br />
リセットでは、部活動の指導のあり方などの話題で談論風発。「一人２杯までね」という先生のお達しもやや超過されつつ、三宮の夜は更けてゆくのであった。<br />
そろそろ終電の時間ということで、ようやくお開きになったが、まだまだいろんなお話をしたい聞きたい「濃い夜」であった。</p>

<p>翌朝は、新神戸駅まで支部会員（オーツボくん、シンムラくん、オータくん）を迎えに行き、そのまま内田先生宅へ。玄関にはジロー先生が既にお見えになっていた。<br />
出発に際して、先生に凱風館を見せていただけませんかとお願いしてみた。快諾してくださったので、そのまま先生のご案内で凱風館へ。<br />
もちろん、まだ建築途中であったが、中に入って道場に予定されている部屋や心柱などを見せていただいた。完成の暁にはどんなふうになるのだろうと心ときめくものがあった。１１月が楽しみである。</p>

<p>そのまま、城崎へ。<br />
先生のＢＭＷには私たち夫婦とジロー先生、オノちゃんアルファードには浜松支部会員がそれぞれ分乗して、六甲山をトンネルで北へ抜け、一路出石へと向かう。<br />
途中、俄にかき曇って豪雨に見舞われつつも、トンネルを抜けると日が差していたりする天候の中、出石にはちょうど１２時半頃到着。いつもの「永楽そば」へ。<br />
ここの皿そばは、いくらたくさん食べたからとて無料になるということはないのだけれど、つい「今なん皿目？」と、その数を競いたくなるのが不思議だ。<br />
だいたいが２０皿前後でもう十分となるの（１人前は５皿）だが、２年ぶりに参加のヨッシーは「２年分食べなきゃ！」とばかりに２７皿。さすがである。<br />
かなり膨れたお腹をさすりつつ、城崎へ。</p>

<p>城崎の宿は、これまたお決まりの「湯楽」。<br />
雨も止んでいたので、すぐに外湯の一つである「御所の湯」へ。これもお決まりのコースである。<br />
風呂上がり、家内はどうしても翌日は仕事が休めないとのことで、ここで別れて一人で城崎温泉駅から新大阪を経て浜松に帰ることになっていた。<br />
「あ〜あ、帰りたくないなあ」と言いつつ、湯楽の送迎バスで帰る家内を見送る。<br />
「チャラいかき氷を食べるのはヤメましょう」という先生のひと言で、湯楽に帰って館内で出されるかき氷を食べることになった。ここで、先生は初の「写ツイ」に挑戦された。ご覧になられた方も多かろう。</p>

<p>かき氷のあとは、さっそく囲卓。<br />
ちょうど８人ということで、２卓が用意されていた。夕食までの半荘である。<br />
仰けからジロー先生が絶好調だった。フリテンリーチでドラを即ツモ、三色を付けて倍満を和了るなど、手のつけようがなかった。<br />
半荘が終わって、それぞれの卓の上位２人と下位２人とを入れ替えて更に半荘。<br />
途中で夕食の水入りとなる。</p>

<p>湯楽の夕食のメインは、但馬牛のすき焼き。これがまた激うまなのである。<br />
次から次へと出される料理に、もう十分です！というところで、これまた例年予約サービスのフルーツが。<br />
mixiお仲間のリサさんを通じての予約ということで、飲み物も何本かサービスされる。いやはや、湯楽はいい宿である。</p>

<p>腹ごなしに内湯に入ったあとで後半戦に入る。<br />
そのまま半荘を計４回。<br />
トップは３勝を挙げたジロー先生。２位は２勝の支部長。以下、オノちゃん、シンムラくん、ヨッシーがそれぞれ１勝ずつ。「そろそろ育成組からの脱却を」と意気込んでいたオータくんが最下位に沈んだ。世の中、そう甘くはないのである。</p>

<p>翌朝は朝風呂に入って朝食。夕食に負けず劣らず、朝食も美味しい。<br />
朝食後は、これまたお決まりのヨッシーが用意してくれたコーヒー。<br />
部屋でだらんとしながらあれこれおしゃべりをする。コーヒーを飲む。大笑いする。歯を磨く。お菓子を食べる。コーヒーを飲む。「いや、こうやってだらだらすることが大切なんですよ」。<br />
楽しい。何ものにも代え難い時間である。この朝のコーヒーを飲みたいがために、毎年城崎に来ているのかもしれない。まったりした至福の時間。</p>

<p>帰りは、いつもの道の駅ならぬ「海の駅」に立ち寄って、それぞれおみやげを購入。<br />
舞鶴道の六人部まで先生のＢＭＷに同乗させていただき、あれこれ楽しいお話をたくさん聞かせていただく。贅沢な時間。<br />
「では１１月に」とお別れをする。<br />
今年も楽しい楽しい城崎極楽温泉麻雀であった。</p>

<p>いつも帰りは大阪で昼食を食べる。<br />
今回は、天満でサニーくんが待ってくれていた。Deepな天満でお魚料理を堪能する。緒言と結語がサニーくんだった。サニーくん、ありがとう！<br />
その後は、なんばにてそれぞれ買い物を済ませ、夕方大阪を後にする。</p>

<p>今年も楽しい楽しい旅だった。<br />
内田先生のエートスにたっぷり浸かることができた幸せな３日間だった。<br />
自分の中で、また何かが確実に変わった。<br />
まだ今はそれが何かは言葉にはできない。それが何かをこれからだんだんと考えていくのだ。</p>

<p>師が与えてくれるものとは、そういうものなのだと思う。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、この夏をふりかえる</title>
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   <published>2011-08-23T03:06:28Z</published>
   <updated>2011-08-23T03:06:50Z</updated>
   
   <summary>８月２２日（月） 気がつけば、夏休みも余すところ１週間ほどになってしまった。 そ...</summary>
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      <![CDATA[<p>８月２２日（月）</p>

<p>気がつけば、夏休みも余すところ１週間ほどになってしまった。<br />
その間の主だったことを備忘のために書いておきたい。</p>

<p>今月１１日〜１３日は、今年で２０回の節目を迎える浜松オープン中学校選抜ソフトテニス新人研修大会だった。<br />
何と、もう２０年もやっているのである。その間、来浜される顧問の先生も入れ替わったし、迎える浜松のスタッフもだいぶん入れ替わった。<br />
年によっては、３日間台風に見舞われたときもあった。この時はほんとうに大変だった。幸いにも、浜松市は市立公民館が付設体育館を持っており、その数も２０カ所を超えることから、それらの公民館を片っ端からあたって空き状況を確認し、使用できる体育館を確保して、何とか分散会場で試合を行った。この時のスタッフの機動力の高さには頭が下がる思いだった。<br />
こうして２０年もやって来れたのは、一つには地元運営スタッフの組織力、機動力の高さが挙げられる。それぞれのスタッフが、自分のチームの指導は二の次にして、まずは大会を運営することに専念してくれている。この下支えが大会をスムーズに運営させる大きな要因となっていることはまちがいない。</p>

<p>二つ目は、参加チームのマナーのよさ。もちろんこれは、指導されている顧問の先生の姿勢にも大きく与っているところである。とにかく、試合のジャッジをめぐってのトラブルや、保護者を含めた試合中のヤジ等への苦情、また個人戦などでの出場呼び出し等がほとんど皆無なのである。参加してみて、結果はともあれ気持ちのいい大会というのは、また参加したくなるものなのである。</p>

<p>三つ目は、顧問同士の親睦。「毎年この時期になるとお馴染みの顔に出会える」ということが、どれだけ楽しいことか。<br />
そのため、この大会では「前夜祭」を含めて毎晩懇親会が開かれる。もちろん、その間の選手たちの管理はそれぞれの保護者にお願いしてのことである。<br />
この懇親会の果たす役割は大きい。毎年のように参加してくださる他府県の先生方の中には、それこそ毎年のように全国大会に選手を出場させている先生もおられる。若い指導者たちにとっては、そんな先生方から「指導の秘密」を聞き出す絶好の機会なのである。つまりは、「パス」を受ける場なのである。<br />
今年は、京都府のチームがバス１台をチャーターして前泊するとのことで、その京都の先生方を浜名湖畔の小料理店でお迎えすることにした。部屋の窓を開ければ、窓の外が浜名湖というロケーションのお店である。このお店で、浜名湖の海の幸を堪能していただいた。これはたいそう好評であった。京都では、鰹の刺身などはよほど新鮮でないと食べる機会はないとのことであった。<br />
この場で、ついこの研修大会の２日前に終わったばかりの近畿大会のことが話題になる。審判講習会を含めた大会運営の具体的な方法等についても、貴重な意見を拝聴することができた。来年、浜松では東海大会を開催することになっている。シンムラくんをはじめとする若手には、その中心になって大会を運営してもらわなければならない。顧問の交流というのは、単に技術指導だけではないのである。<br />
参加してくださっている先生方がほとんど参加しての懇親会は、大会初日の夜。それまではホテルで行っていたが、昨年から結婚式会場として使われている施設を利用することにした。会場の外にバーベキューのテントを用意してくれていたりして、先生方にはいたく好評である。バイキング形式なので、食べ物や飲み物を取りに行きながら、他のテーブルに立ち寄ったりして懇親を深めていただく。<br />
大会二日目の夜の懇親会も含め、こうして親睦を深める中で、顧問の指導理念や具体的な指導法などが伝授されていく。事程左様に、この大会における懇親会の位置付けは重要なのである。</p>

<p>四つ目はレベルの高さ。過去、この大会に出場した選手の中からは、翌年の全国大会に出場するだけでなく、入賞する選手が輩出している。そんな選手たちと共に試合をすることで、顧問だけなく、何より選手が自分の目標とする選手像を明確にイメージすることができるのである。</p>

<p>今年も多くの選手・監督・コーチ・保護者に参加していただいた。２０回の節目の年であったが、特にイベント等も行うことはなかった。それでも、こうして２０回続いたこと、そして「また来年もお願いします」という先生方の声を聞かせていただいたことで、まだ暫くは頑張って大会を運営していこうという気持ちを新たにすることができた。<br />
大会が終わって帰り際、第１回からずっと参加してくださっている京都のミヤタ先生が、しみじみと「この大会終わって、京都に向かって帰っていると、なぜか今年の夏も終わりやなあという感じがして、なんか寂しいんですわ」語っていた。そんなふうに思っていただいているということをありがたく思いつつ、この場を借りて大会に関わってくださったすべての方々に感謝の意を表したい。</p>

<p>大会が終わって４日間ほどは、お盆休みをいただいた。ひどく暑かったこともあって、ほとんど家から出ずに本を読んだりして過ごした。</p>

<p>お盆休みが終わると、ヤなことが待っていた。教員免許更新講習である。<br />
都合５日間、参加費１回につき６千円で締めて３万円。自分が受講希望を出したのが国立大学法人だったためか、「テキストは自分でダウンロードせよ」、「車で来ることは相ならん」、「受講票には各自で写真を貼付せよ」などと、あれこれ「お上」からの御指図よろしく、「こっちだってイヤイヤやってやってんだかんな、やなら来なくていいんだぜ」みたいな感じで（もちろん個人的な印象です言うまでもなく）、受ける側にしても「ったく、この制度廃止するって言ってたじゃんかよう、なのに廃止されてないってどおゆうことだあ？責任者出てこいコラ！」（あくまで個人的な感情です言うまでもなく）という感じなので、ハナからそれが有意義な研修になろうはずがないということは、明確なことなのであった。</p>

<p>第１回は今月１日。自宅近くのＨ医科大にて行われた。お題は「発達障害と情緒障害」。お昼は担々麺を食べた。おいしかった。自転車で行ったのだが、帰りに後輪がパンクしてた。<br />
第２回以降は今月１８日〜２１日。何と、講習は土日だろうとお構いなしに行われるのだ。会場は、Ｓ大浜松キャンパス。<br />
第２回のお題は「小説・詩・現代語訳」。教科に特化した選択講習である。お昼は近くの中華料理屋さんで餃子定食。まるで揚げワンタンのような餃子にどんぶり飯が付属していた。満腹になった。帰りに、自転車の前輪の空気が抜けていた。呪われていると思った。近くの自転車屋さんに持って行って見てもらったら、単に空気が抜けていただけだった。<br />
第３回のお題は「情報モラル教育」。講義中、「めちゃモテ委員長」はすばらしい！との発言に、引いた。お昼は自転車に乗ってちょっと離れた中華料理屋さんへ。前日の餃子定食が重たかったので、この日は五目ラーメン。五目はそれぞれのお店の特徴がよく出ていると思う。ともかくもこれで選択講習は終わり。<br />
第４回からは必修講習。「教育の最新事情」」と題されていたが、内容は聞き知ったコンテンツばかりだった。お昼は、さすがに毎日中華というわけにはいくまいとて、近くのそば屋さんにてそば定食。何とトンカツが付いていた。満腹になった。<br />
そうして最終日。それまでの回とは異なって、年配の講義者に変わった。お昼は、前日のおそば屋さんでカレー南蛮うどん。これはおいしかった。カレー南蛮は、鶏肉が入っているとばかり信じ込んでいたが、ここのお店は豚肉だった。汁までしっかり飲んでしまった。<br />
午後の講義を担当したのは、中学校の退職校長だった。「〜だったんだよ」という「上から口調」の語尾が気になって、講義に集中できなかった。最後の試験は、Ａ３とＡ４の罫紙がそれぞれ１枚ずつ配られ、講義を聴いて自分が考えたことを記述させられた。ふだん、シャーペンで長文を書くという習慣がないので、肩が思い切り凝って腕が少々筋肉痛になった。帰りは雷雨になった。合羽を持参していたので着用して帰ったが、ズボンがびっちょりになった。<br />
自転車のパンクといい、雷雨といい、どうも意欲に欠ける受講者には天罰が待っているらしい。もう少し前向きに取り組めばよかったと少し反省した。<br />
だから、もうこの制度は廃止すべきと思う。</p>

<p>さて今週の後半は、このために夏期休暇を残しておいた毎年恒例城崎極楽温泉麻雀ツアーが待っている。この夏の疲れをすっかり癒して夏休みを終えたい。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、ちょっとだけ夏が終わる</title>
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   <published>2011-08-03T01:11:09Z</published>
   <updated>2011-08-03T01:13:20Z</updated>
   
   <summary>８月２日（火） あっという間の１週間だった。 県大会のため富士宮まで出掛けたのが...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nagaya.tatsuru.com/susan/">
      <![CDATA[<p>８月２日（火）</p>

<p>あっという間の１週間だった。</p>

<p>県大会のため富士宮まで出掛けたのが先週の火曜日。<br />
浜松は朝から雨模様の天気だったので、富士宮への出発時間をどうしようかと思っていたのだが、その日富士宮での練習場所としてお願いしてあった学校のＹ先生に電話をしたところ、「え？こっちは雨降ってませんよ」とのことだったので、「お昼過ぎには到着できるように行きます」と答えて、すぐに浜松を出発することにした。</p>

<p>富士宮に到着してまずは昼食。ちょうど女子が練習を終えるところだったので、旧知の女子部顧問のＭ先生にお聞きして、近くの富士宮焼きそばのお店へ。<br />
このお店、土日ともなれば県外からの客が列をなすほどの人気店なのだそうだ。焼きそばは店主自らがそれぞれのテーブルを回って焼いてくれる。確かにおいしい。もうこれだけで帰ってもいいやという気持ちになってしまった。<br />
そのまま夕方まで練習をして宿舎へ。</p>

<p>明けて水曜日は団体戦。<br />
しかし、朝から小雨が降っていた。<br />
とりあえず、前日と同じ学校へと出かけて練習をしようとしたのだが、雨はだんだんと本降りになってきた。仕方がないので練習は諦め、会場へと向かうことにした。<br />
受付を済ませ開会式を待つ。しかし、雨は一向に止む気配がない。そのうちに、本部より１０時開会式との放送が入った。確かに１０時くらいに一旦雨は小康状態になった。その間を縫って開会式。終了後すぐに試合開始と思いきや、またもや雨が降ってきた。そのまま待機。この頃には、学校からの応援部隊も駆けつけ、とりあえずテントを２張立てて、何とかそこで雨宿りをすることにした。結局、午後１時まで待つことになった。<br />
途中、ゲーム数を減らして試合を進行するとの連絡も入ったが、すぐに撤回されるなど、本部も対応に苦慮していることが伺われた。</p>

<p>お昼を過ぎて、ようやく雨が上がってきた。<br />
午後１時から試合開始との連絡が入った。使用できるコートから順次試合を入れていくとのことだった。<br />
本校の１回戦の相手は東伊豆の学校だった。この試合は３番に回ることなく勝つことができた。初戦は勝敗が決しても３番まで試合を行う。しかし、その３番の試合がタイブレークまでもつれた。結局、３番はそのまま敗れてしまった。嫌な感じがした。気の抜けたような試合をした３番には喝を入れ、次の試合までにちゃんと悪いイメージを修正しておくよう指示した。</p>

<p>２回戦の相手は第２シードだった。静岡市の優勝校である。<br />
この試合は２面同時進行となった。どうも２面同時進行というのは、なかなか集中して見ていることが難しい。つい、こっちのコートは？とか、あっちはどうなってる？とキョロキョロしてしまうのだ。そんなことも手伝ってか、トップは快勝したのだが、続く２番が途中までリードしながら敗れた。<br />
問題の３番だ。「さっきのようなゲームをしてはいかんぞ」と念押しをして送り出したのだが、気迫は相手チームの方が上回っていた。終始リードを奪われゲームの主導権を握られた。こちらは１ゲームを返すのが精一杯だった。そのまま敗戦。<br />
初戦の試合ぶりを見て選手変更も考えたのだが、そこまで思い切って選手起用をしなかった監督の責任である。</p>

<p>木曜日は個人戦。のはずだったが、またもや朝から雨。<br />
とりあえず会場へと行き、エントリーを済ませたものの、前日と同様にひたすらテントの中で雨宿りである。<br />
雨は、お昼を過ぎても一向に止む気配がなかった。午後１時、試合中止が決定された。しかも、翌日は会場を沼津市の愛鷹テニスコートへと変更して行うとのことだった。<br />
すぐに宿舎に電話を入れてもらって、キャンセルできるかどうかを問い合わせてみたが、やはり当日のキャンセルは少なくとも７０％のキャンセル料が発生するとのことだった。<br />
沼津へ移動しての宿泊は諦め、翌朝早くに沼津へと移動することにした。沼津での試合となれば、練習するところはお馴染みＫ学園高である。スガイ先生に連絡を入れ、会場入りする前にコートを借用させてもらうようお願いをした。快諾してくださった。ありがたいことである。</p>

<p>金曜日。雨は降っていなかった。すぐに沼津へと移動する。<br />
Ｋ学園高に着いてコートへと赴くと、インターハイの残留組の選手たちが練習の準備をしていた。すぐに副顧問のＳ先生もお見えになったので、お礼を言ってコートで練習。<br />
練習を終えて会場に到着すると、既に観客席のあらゆるところがテントで埋まっていた。<br />
こんな光景が普通になってきたのは、ここ数年のことである。ホームセンターで簡易テントが安価で手に入るようになったからであろう。簡易テントとキャンピング用の折りたたみ椅子が所狭しと並んで、まるでどこかのキャンプ場のような様相であった。<br />
受付を済ませ、試合を待つ。<br />
個人戦の東海大会への出場枠は県大会のベスト８。４試合勝たなければ出場権は得られない。</p>

<p>本校からの参加ペアは２組。<br />
２組とも、それぞれ２回戦までは危なげなく勝ち上がった。<br />
浜松市内大会個人戦を制した大将ペアは、そのまま３回戦もクリア。試合の遅れていたもう１ペアの３回戦とほぼ同時に、４回戦が始まった。<br />
もちろん、ベンチは大将ペアの試合に付く。試合の始まる前、相手がどう出てくるのか十分に話をしておいた。でも、厳しい試合になるだろうからこちらが挑戦者のつもりでやるんだぞと言い聞かせて送り出した。<br />
試合が始まった。予想どおり、相手後衛はこちらの前衛のサイドにプレースメントショットを打ってきた。しかし、こちらの前衛が反応しない。その後も、相手後衛はひたすら同様のボールを打ってきた。それでも、こちらの前衛はウォッチを繰り返すばかりだった。たぶん、自分が予想していた以上に相手のボールが速かったのだと思う。そのボールを通していたのでは勝負にはならない。結果、ストレート負けだった。<br />
隣のコートで試合をしていたもう1ペアも、その試合で敗退してしまった。<br />
３年生たちの夏が終わった。</p>

<p>彼らは、１年生の時から毎年顧問が替わった。特に、昨年１年間はあまり充実した練習を積み重ねては来なかったと聞いていた。<br />
４月から、何とか気がついたことは指導してきたつもりだったが、さすがに県大会を勝ち抜いていくまでの技術や精神力を身につけるところまではいかなかったというところであろうか。もちろん、全てはそこまで指導しなかった監督の責任である。<br />
そんな自分の指導に腹立たしい思いもしながら、浜松への帰途に就く。</p>

<p>明けて土曜日。練習はオフ。何もする気力が起こらず、だらだらと一日を過ごす。<br />
ちょうど家内も仕事が休みだったのだけれど、何やら高校の同窓会の会合があるとのことで、その会合が終わる夕方から、一緒に映画を見に行くことにした。いい気分転換になった。</p>

<p>日曜日。この日はＵ−１４の選手選考のために、またもや富士宮へと早朝から出掛けることになっていたのだが、何とラッキーなことに「天候不良につき延期」との連絡が入った。<br />
予想外のオフ！音楽を聴き、読書をして一日を過ごした。<br />
かけがえのない一日だった。</p>

<p>週が明けて月曜日は、教員免許更新講習のため、朝から浜松医大へ。<br />
終日、「発達障碍と情緒障害」というお題の講義を受ける。行く前は全く意欲はなかったが、実際に受けてみるとなるほどと思わされるところもあって、やや意外な感じであった。</p>

<p>そうして今日。<br />
午前中の校内研修のあと、午後からは部活動。<br />
新しい部長の下、新しいチームが発足した。<br />
</p>]]>
      
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   <title>スーさん、夏風邪のつぎは蜂に刺される（でも優勝）</title>
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   <published>2011-07-19T23:52:50Z</published>
   <updated>2011-07-19T23:56:24Z</updated>
   
   <summary>７月１９日（火） 土曜日は、市内大会個人戦の３回戦から決勝まで。 本校からの参加...</summary>
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      <![CDATA[<p>７月１９日（火）</p>

<p>土曜日は、市内大会個人戦の３回戦から決勝まで。<br />
本校からの参加は３ペア。<br />
とりあえず、３回戦を突破しなければ県大会への出場可能圏内には入れない。本市から県大会へ出場できるペアは２５ペア。ベスト３２（３回戦突破）に残れば、次の４回戦で負けても敗者復活戦があるのだ。</p>

<p>最初に登場したのは＃１４４のペア。相手は市内大会団体戦を制した学校の団体メンバーペア。実際、団体戦の時にはそのペアと対戦して、本校ペアが鎧袖一触のストレート負けを喫していた。<br />
個人戦での再戦がわかっていたので、本校ペアには重点的に練習しておくべきことを確認しておいた。<br />
試合が始まった。最初のゲームは落としたのだが、第２ゲームから徐々にポイントをリードし始めた。ゲームカウント２－２から続く第５ゲームを取ってそのまま行くかと思ったのだが、相手もそこから粘ってタイブレークに持ち込まれる。それでも、タイブレークは終始こちらのペースで進行した。そのままゲームセット。団体戦の借りを返す形になった。</p>

<p><br />
＃７０と＃１１６のペアは、無難に３回戦を突破した。だが、ちょうど＃７０のペアのベンチに入っていたとき、せっかく難敵の初戦を突破した＃１４４が４回戦で負けたという報告が来た。初戦で力を使い果たしてしまったということなのだろうか。いずれにしても、順位戦の初戦で勝てば県大会への出場が決まる。「とにかく二人でがんばって１勝してこいよ」と敗者復活戦に送り出した（しかし、結局その１勝を果たせず、県大会出場はならなかった）。</p>

<p>＃７０と＃１１６のペアは、特に苦戦することもなく４回戦も突破して、ベスト１６入りを果たす。両ペアとも県大会への出場が決まった。<br />
それで気が抜けたわけではなかろうと思うのだが、＃７０のペアは８本取りで第４シードに敗れてしまった。春にも対戦して負けている相手である。<br />
この試合では、ちょっとしたトラブルがあった。<br />
監督がハチに刺されたのである。<br />
ちょうど＃７０が第１ゲームを取ってサイドチェンジしたので、その指示を与えたあと、すぐ隣のコートで試合を始めようとしていた＃１１６のペアにひと言声をかけておこうと立ち上がった際、左手の平に棘が刺さったような痛みを感じたのである。ん？何だ何だ？とよく見ると血が滲んでいた。痛みもある。と、応援席にいた本校の生徒が「先生、ハチがいました」と言うではないか。<br />
げ、ハチに刺されたのかとは思ったのだが、そのままベンチを離れるわけにはいかない。すぐに応援席の生徒に会場詰めの養護教諭を呼びに行ってもらうよう頼んだ。程なく、養護教諭がコートまで降りてきて、刺されたところから蜂の毒を揉み出すように処置してくれた。<br />
そんなことが影響したのかどうかはわからないのだが、＃７０は第２ゲームから続けて２ゲームを落として逆転され、そのまま挽回することなく敗れてしまった。集中してコーチできなかったことは否めない。選手たちには悪いことをしたと思う。</p>

<p>すぐにコートから出て、養護教諭に言われたとおり刺されたところを水道水で洗い流してアイシングした。時々チクチクと痛みがくる。<br />
そうこうしているうちに、＃１１６の大将ペアの８本取りの試合が始まっていた。アイシングの氷等を用意して第４ゲームくらいからベンチ入りした。この試合も、特に競り合う場面はなく、順調にベスト８入りを果たしてくれた。<br />
続く準々決勝の相手は、第３シードを倒して勢いに乗る相手だった。しかし、試合が始まると、落ち着いた試合運びの本校ペアに比べて、何かしら力みがあったのか相手が要所でミスを繰り返してくれた。この試合も苦戦することなく勝ってベスト４。</p>

<p>準決勝の相手は、春の選手権で敗れている第２シードのペアだった。この試合は接戦になった。互いに意識するところがあったためか、どちらもミスの目立つ試合となった。勝敗の行方はタイブレークに。そのタイブレークも一進一退。ポイント５−５からようやく本校ペアが２点を連取してゲームセットとなる。<br />
結果は本校ペアが勝ったが、実際にはどちらのペアが勝ってもおかしくはない試合だった。ベンチでは、「まあ、どっちが勝ってもいいんじゃない？」と思って見ていた。そんなベンチのゆとりのようなものが、微妙に選手には伝わったのかもしれなかった。</p>

<p>さて、決勝である。<br />
選手たちには、「今まで本校選手による夏季市内大会の優勝はない。お前たちが新しい歴史を作るんだぞ」と話して送り出した。<br />
しかし、相手は準決勝で第１シード（６月の県選手権準優勝ペア）を倒した試合巧者のペア。後衛は、こちらの前衛選手の動きをよく見て配球し、思い切ってサイドにプレースメントしたボールを繰り出して得点を奪う。前衛選手も、思い切りのいい動きでこちらの後衛の打つボールを追いかけてポイントする。<br />
何とか１ゲームは返したものの、ゲームカウントは１−３。完全に劣勢の状態であった。<br />
流れが変わり始めたのは第５ゲーム。相手が勝ちを意識し始めたためか、単純なミスを繰り返して２−３。<br />
チェンジサイドのときには、どうやってポイントを取られているのかを選手に伝えた。特に、こちらの前衛選手の動きをどうやって相手後衛の配球にアジャストさせていくか細かく指示した。そんなことが少しずつ奏功し始めたらしく、続く第６ゲームを取ってタイブレークに。<br />
タイブレーク前は、だんだんと相手後衛にマッチし始めていた前衛選手に、再度その動きを確認させた。<br />
しかし、ようやく追いついて勝ちを意識し始めたためか、今度はこちらの後衛選手にもミスが目立ち始めた。ポイントは５−５からDeuceを繰り返す。マッチポイントが双方を行ったり来たりする。<br />
この時にも、準決勝と同様に「もう勝敗なんてどうでもいいや」と思っていた。中学生のゲームというのはそういうものなのではないか。<br />
ベンチが気を揉むより、実際に試合をしている選手たちがどんな気持ちでプレーしているかということだ。そんな気持ちに寄り添ってやるのが、監督・コーチの仕事だ。<br />
何度も繰り返したDeuceの果て、本校後衛選手が思い切って相手前衛のサイドにプレースメントショットを放った。勝負あったと確信した。最後は完全に相手後衛の配球を読み切った本校前衛がポイントをしてゲームセット。<br />
ベンチに戻ってきた選手たちとがっちり握手する。挨拶に来た相手選手には、「県大会でもがんばろうな」と声を掛けた。１８４ペアの頂上決戦に相応しいナイスゲームだったと思う。</p>

<p>前週来の夏風邪が、今回の個人戦優勝でようやく抜けた気がした。選手たちに、そうして陰に陽にバックアップしてくれた保護者のみなさんにも感謝したい。<br />
もちろん、ハチ刺されに適切な処置をしてくださった養護教諭のＨ先生にも、である。<br />
</p>]]>
      
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