サイモン・ラトル来日公演

「サイモン・ラトル、ロンドン交響楽団による来日公演(マーラー交響曲第9番)を聴いて」

9月28日、横浜みなとみらいホールでのサイモン・ラトル、ロンドン交響楽団による日本公演を聴いた。

サイモン・ラトルは、今年(2018年)の6月にそれまで16年間務めたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を辞した。そして、9月からはロンドン交響楽団の音楽監督に就任した。
今回の来日公演は、新たに手勢となったロンドン交響楽団を率いての公演ということで、どんな演奏を披露してくれるのだろうとの興味から、公演のことを知った4月、すぐにチケットを手配して5ヶ月後の公演を楽しみに待っていたのだった。

僕がサイモン・ラトルという指揮者のことを知ったのは、確か彼がベルリン・フィルの首席指揮者に就任する経緯を取材したテレビ番組であったと思う。その番組内では、ラトルがマーラーの交響曲第7番をリハーサルしている場面が紹介されていた。第4楽章のセレナーデの後半部分を、できるだけ弱音で演奏するようにリハーサルしているシーンが印象的だった。

その指揮者としての実力を思い知ったのは、ラトルがベルリン・フィルの首席指揮者に就任した直後に演奏したマーラーの交響曲第5番の演奏だった。首席ホルン奏者であるシュテファン・ドールを指揮者のすぐ横に立たせ、まるでホルン協奏曲のように演奏した第3楽章もよかったが、何より感心させられたのは終楽章の演奏であった。
どちらかと言えば、最後のフィナーレに至るまでが間延びしがちな演奏の多いこの楽章を、ラトルは聴き手をまったく飽きさせることなく、それぞれのパッセージを有機的に際立たせながらフィナーレへとなだれ込んでいったのである。僕はすっかり彼の演奏の虜になってしまった。

それから、次々とラトルによるマーラー演奏のCDを買い求めた。ベルリン・フィルとのCDはまだ少ししか発売されていなかったので、ほとんどは前任のバーミンガム市交響楽団との演奏であったが、これが粒揃りの名演(3番はあまりよくなかったですが)ばかりであった。
中でも、とびっきりの名演は交響曲第2番と6番であった。2番は、演奏に25分近くも要する長大な第1楽章が少しも長いと感じることなく聴けた。どうやら、サイモン・ラトルという指揮者は、やや退屈に聴こえるような楽章でも、いかに興味深く聴かせるかというところに特異な能力を発揮するらしいということがわかった。
6番は、第1楽章の出だしから圧倒された。かつて聴いたことのなかった迫力でリズムを刻むコントラバス!そして、まさに阿鼻叫喚という形容が相応しい終楽章。スコアをその細部に至るまで徹底して読み込み、あらゆるパッセージを「意味あるもの」として位置付けるとともに、それらの音符の背後にある作曲者のパッションを余すところなく表現した演奏であった。

そんなサイモン・ラトルが、世界屈指のヴィルトゥオーソの集まりであるベルリン・フィルの首席指揮者に就任したということで、その期待はいやが上にも高まっていったのであった。

ところが、である。もちろん、ラトルがベルリン・フィルの首席指揮者に就任してからのCDもいくつか買い求めてみたのだが、どうも心にぐっと迫ってくるものがないのである。
典型的だったのは、マーラーの交響曲第9番。かつて、ベルリン・フィルはジョン・バルビローリの指揮で、この交響曲第9番の後世に残る名演を残している。ラトルにもそんな名演を期待したのだが、期待が大きすぎたためか、僕の耳にはバルビローリの演奏を超えるような感動はなかった。
何がよくないのか。バーミンガム市響との演奏では、指揮者ラトルがイニシアチブをとって演奏しているということが実感させられたのだが、ベルリン・フィルとの演奏では、そんなイニシアチブがあまり発揮されていないように感じたのである。サイモン・ラトルといえども、歴史があり世界一と言われる名手揃いのオーケストラを前にして、演奏者の自発性を重んじたところが裏目となって出たのであろうか。
そんなこともあって、それからはサイモン・ラトルとベルリン・フィルによるCDは、あまり買い求めなくなってしまった。
CDは買わなくなったが、ヴァルトビューネ・コンサートやヨーロッパ・コンサートなど、BSで時折り放送されるライブ映像は、録画してよく見ていた。ライブでは、CDから受けるような印象を感じることはなかった。

そして、ついにサイモン・ラトルがベルリン・フィルを去る日がやってきた。最後の定期演奏会に選ばれたのは、マーラーの交響曲第6番。その一部始終がBSで放送されることを知った。かつてバーミンガム市響との名演を思い出して、これは絶対に見逃せないとの思いで、録画予約をして放送される日を待っていた。

7月、録画したマーラーの6番を聴いた。かつて驚愕した第1楽章の出だしは、まあこんなものかという感じ。ところが、テンポが落ちるところになると途端に音楽が流れなくなった。
6番では、サイモン・ラトルは緩徐楽章であるアンダンテ・モデラートを、よく演奏される第3楽章ではなく、第2楽章に置く版で演奏する。今回もそうであったが、この緩徐楽章が流れないのである。まるで、川の水が淀みで流れなくなっているかのように。

僕は、個人的にこの6番の緩徐楽章が、マーラーのすべての交響曲の楽章の中でも特に好きな楽章である。安らぎと平安に満ちた生活も、時にどうしようもない悲しみで包まれることがあるが、この楽章の最後ではそんな人の力ではどうしようもない運命に苛まれる者の慟哭を聴くような感じがするからだ。
かつて、レナード・バーンスタインは、ウィーン・フィルを指揮した演奏で、この場面を唸りながら指揮していた。ところが、ラトルの演奏では、そんな思いが伝わってこないのである。ベルリン・フィルとの最後の定期演奏会なのに。

そんな経緯もあって、今回のロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲第9番では、実際にサイモン・ラトルがどんな指揮をするのだろうとの興味から、通常の演奏会では舞台とは反対側の観客席ではなく、舞台側のパイプオルガンが設えられたところの下の席をチョイスすることにした。これなら、最初から最後までサイモン・ラトルの指揮ぶりを堪能することができるからだ。

演奏会は金曜日の夜であった。午前中の仕事を終え、その日が仕事休みだった家内と連れ立って、トゥインゴにて集中工事の期間中であった東名高速道を横浜町田インターまで、さらには保土ヶ谷バイパスを経て、横浜スタジアム近くのホテルにチェックイン。中華街にて早めの夕食を取り、地下鉄にてみなとみらいホールへ。

地下鉄みなとみらい駅の改札を出て3階分のエスカレーターを上ると、ホールは目の前である。既に入口には入場を待つ観客の列ができていた。さすがの人気と思っていたのだが、実際に舞台側の席に着席してみると、反対側の客席にはかなりの空席が目立った。開演直前でも7割弱の入りではなかったろうか。平日の夜ということも空席の理由だったかもしれない。

開演を知らせるゴングが鳴り、楽団員が入場してきた。チューニングが終わって、サイモン・ラトルの登場を待つ。まもなく、黒の詰襟風の服を着用したラトルが登場してきた。
最初は、イギリスの作曲家ハンス・グライムの「織りなされた空間」という現代曲。変拍子を交えた曲なので、指揮をするのは容易ではないと思われるのだが、ラトルは難なく振り分けて、きちんとクライマックスも作り上げていた。

20分間の休憩を挟んで、次はいよいよマーラーである。
第1楽章、前奏に続いて、ところどころにルバート(テンポを加減しながらの演奏)を効かせながら、主題をたっぷりと歌わせる。ゆったりとしたテンポではあったが、ここではベルリン・フィルとの最後の定期演奏会でのような「淀み」は感じられなかった。
第2楽章は、スコアに「レントラー(舞曲)風のテンポで」というマーラー自身の指定があるように3拍子で演奏されるのだが、ここでも主題にルバートを効かせたためか、あまり「舞曲」らしく聴こえない感じがした。
第3楽章では、ロンドン交響楽団の演奏技術の高さに驚愕させられた。中でも、首席トランペット奏者は、フィリップ・コブ(コプ?)という若者が務めているのだそうだが、この奏者が超絶的にうまかった。トランペットの二重奏のところではその抒情性を遺憾なく発揮し、フォルテッシモでは突き刺すような鋭さを付け加える。まちがいなく、彼は世界でもトップクラスのトランペッターであると確信させられた。
また、ラトルはシンバルのキュー(打ち鳴らす際の合図)をほとんど出さなかったのだが、いかにもぴったりのタイミングでシンバルを打ち鳴らしたロンドン響の打楽器奏者もさすがであった。そして第4楽章。この交響曲の中では、最も感動的な楽章だ。それはラトルももちろん心得ていて、時に大仰な身振りも交えながら、楽団員から精一杯の演奏を引き出そうとしていることが、その指揮ぶりからも十分に伝わってきた。

演奏の全体的な印象としては、ベルリン・フィルとの最後の定期演奏会のときのような、テンポの緩いところでの流れの悪さのようなものは感じられなかった。いい演奏であったと思う。
終演後のカーテンコールでは、ラトルが楽団員たちの間を巡回しながら、それぞれのパートの首席たちを讃えていた。就任してちょうど1ヶ月であったが、やはり自分の故国のオーケストラということもあってか、楽団員たちとはいい関係が築かれているように感じた。

以前、佐渡裕がベルリン・フィルにデビューする際のドキュメンタリー番組を見たが、どうやらベルリン・フィルはプレーヤーが指揮者を「値踏み」するようなところがあるらしい。それはそれで、楽団員たちにしてみれば民主的な集団として演奏者の意向が大切にされているという実感が持てるかもしれないが、指揮者からしてみればたいへんに敷居の高い演奏者集団ということになる。

いかなサイモン・ラトルとて、それは感じていたのではなかろうか。彼がベルリン・フィルの首席指揮者に就任する前のバーミンガム市響とのレコーディングの数々と、ベルリン・フィルとのセッションとを比較すると、どうも後者の演奏が見劣り(聴き劣り?)するように感じる(もちろん個人的な印象である)のは、そんなところも影響しているかもしれない。

オーケストラと指揮者の関係というのは、そのどちらにイニシアチブがあるかというような単純な問題ではないにしても、どちらかといえば指揮者の方にイニシアチブのあった時代の演奏の方が、聴く者の心に訴えるところがあるように感じてしまう。
尤もそれは、僕らのようなレコードの時代に育った者は、その年代的な印象に左右されすぎているのかもしれないのだが、ことベルリン・フィルの演奏に限っても、フルトヴェングラーやカラヤンの時代の演奏の方が心に迫るものがあるように感じるのはどうしたことか。やはり、指揮者はオーケストラに「君臨」しないと、いい演奏はできないということなのだろうか。

そんなことをあれこれ考えさせられた横浜の夜だった。