1、インバル・都響のマーラー10番
2月、エリアフ・インバルと東京都交響楽団によるマーラー・チクルスが再開されるとのことで、まずはその最初の公演であるマーラーの交響曲第10番を聴くため東京芸術劇場へ。
都響の演奏を聴くのは久しぶりであったが、管も弦も以前より着実にレベルアップしている印象であった。指揮者インバルも、88歳とは思えないエネルギッシュな指揮ぶりで(第1楽章の途中で指揮棒が吹っ飛んだのには驚いた!)感心しきりであった。
2、西伊豆へ
今年の自分の誕生日小旅行は、いつもの「伊豆まつざき荘」へ。
まずは、予約しておいた駿河湾フェリー乗り場の清水港まで行くことにしたのだが、東名に入ってしばらく経った頃、件の駿河湾フェリーの乗り場から、この日の第2便までは天候急変のため欠航しますとの連絡が入った。仕方がないので、清水インターで高速を降り、陸路でとりあえず松崎を目指すことにした。
宿舎に着いたのは午後3時過ぎ。町内を少し散策してから、源泉掛け流しの湯に入り、夕陽を堪能してから夕食。「伊豆まつざき荘」に泊まるのは3年ぶりだったが、やはり定宿としての安らぎを感じることができた。
翌朝は、チェックアウト後に土肥港から駿河湾フェリーで清水まで戻ってくる予定だったが、フェリーの出港時間までやや時間が空きすぎるので、そのまま陸路で戻ってくることにした。
今年も楽しい誕生日小旅行であった。
3、第35回都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会
3月の終わり、今年も県中学生女子選抜チームを率いて三重県伊勢市へ。
本県チームの団体戦の結果はベスト16であった。どのペアも、接戦に怯むことなく立ち向かっての全国ベスト16は、胸を張っていい結果であったと思う。
今年の指導コンセプトは、チームとしての力をいかに高めさせるかということがテーマだったが、それについてはかなり成果があったと感じた。この4ヶ月間、熱心に指導してくださったコーチ陣、いろいろと協力を惜しまなかった保護者の方々に感謝したい。
4、浜名湖畔杯麻雀大会
例年、8月に城崎にて開催していた浜松支部主催の温泉麻雀であるが、諸般の事情で中止することとなり、代わりに地元浜松にて開催できないかと考えていたところ、ちょうど5月の終わりに内田先生が横浜からお帰りになる途中、浜松にて途中下車していただけることになり、「第1回浜名湖畔杯麻雀大会」を開催する運びとなったのであった。
今回の会場は、浜名湖畔の夫婦二人で切り盛りしている宿。料理が抜群においしかっただけでなく、「プレイルーム」という貸切の別棟にて麻雀することができるナイスな宿であった。
内田先生を始め、支部のメンバーもひどく気に入ったとのことで、第2回以降もここで開催しようということになった。なんとも楽しい一夜であった。
5、iPhone14
3年と9ヶ月使用したiPhoneSE2。バッテリーが日に二度も充電しないといきなり落ちる日々が続いていたが、iPhone14に機種変するキャンペーンのお話を聞き、家内のSE2もホームボタンが損傷していることなども考慮して、思い切って家内の分と2台とも機種変しようということになった。
iPhone14には、使い慣れたホームボタンはないのだが、すぐに慣れた。SE2より画面が大きいので、見やすくて年寄りにはありがたいモバイル端末である。
6、稚内と利尻島へ
8月、今年の家内の誕生日小旅行は、6年ぶりに北海道へ。
コロナ禍の期間中は、遠くへ行くこともままならず、お隣の甲州や信州を訪れていたのだが、今年は今まで行ったことがない北海道の稚内と利尻島を訪れることにした。
稚内へは羽田から稚内空港までANAの直行便がある。台風10号の影響が心配されたが、新幹線も運休しておらず、羽田発着の便も欠航となっていないので、とりあえずは稚内まで行くことができた。
空港からは、レンタカーを駆って日本最北端の宗谷岬へ。エゾシカがのんびりと草を食んで、なんとも言えない雰囲気であった。
翌日は早朝発のフェリーにて利尻島へ。鴛泊港にて予約しておいたレンタカーで、富士野園地展望台にてポンモシリ島をカメラに納め、島の名物(らしい)「ミルピス商店」にてミルピスを飲み、仙法志御崎公園にてウニ漁の現場を見学し、最後はオタトマリ沼へ。たぶんもう来ることはないだろうなあと思いつつ、帰りのフェリーから利尻富士を眺めていた。
最終日、とりあえず羽田までは帰ってきたのだが、台風10号の影響で新幹線は三島駅まで折り返し運転で、そこから先は運休とのことなので、急遽三島まで行って泊まることになった。三島に宿泊するので、お隣の沼津の菅井先生に連絡して、久しぶりに飲もうかと話していたのだが、その際に菅井先生からは「明日どうしようもなければ浜松まで送りますよ」提案されたのだった。
とにかくJRが運転再開されるのを期待して待つことにしたのだが、翌朝6時の時点で新幹線は三島〜名古屋間全面運休、在来線も熱海〜豊橋間全面運休、東名バスは夜まで空席なしという絶望的なお知らせであった。仕方がないので、菅井先生にメールして、浜松までの送りをお願いすることにした。おかげで、何とか三島から午前中に浜松まで帰ってくることができた。菅井先生には本当に感謝しかない。
7、十日町市へ
10月の終わり、新潟県十日町市へ。
今回、十日町市に行こうと思ったきっかけは、ネットで市内にいくつかある日帰り温泉が紹介されていたことと、温泉だけではなくて日本三大峡谷の一つである清津峡の紅葉が絶景と知り、温泉とともにぜひ訪れてみたいと思うようになったからである。
浜松から十日町市までは車で約400キロ。休憩なしで走っても5時間以上のドライブである。
初日、午前9時少し前に浜松を出発して、新東名、中部横断道、中央道、長野道を経由、信越自動車道の豊田飯山ICで高速道を降り、そこからはR117を十日町市まで北上。十日町市に着いたのは、途中の昼食休憩を挟んで15時過ぎ。
すぐに宿には行かずに、道の駅に併設された「越後妻有交流館キナーレ」内にある「明石の湯」(ここも訪れる予定の温泉の一つだった)へ。サウナもある湯にのんびりと浸かって、まずはドライブの疲れを癒すことにした。
同じ建物内には「越後妻有里山現代美術館MonET」があり、ちょうど3年に一度の「大地の芸術祭越後妻有 アートトリエンナーレ」が7月から開催されていて、いくつかの巨大なオブジェなども展示されていた。
宿へはそこから10分ほど。客室10室、夫婦二人できりもりしている小さな宿である。トイレと冷蔵庫は共用だったが、何より食事のおいしい宿で、特に地元の魚沼産コシヒカリ新米の炊き立てご飯は絶品で、つい何杯もおかわりをしてしまうほどだった。
翌朝は、十日町市博物館へ。国宝・新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器(57点)の中に含まれる、著名な火焔型土器・王冠型土器など、縄文時代の土器文化のなかなか充実した展示を見ることができた。
そして、今回の目的地の一つである清津峡へ。この期間は清津峡のトンネルも有料の事前予約制となっていたので、11:00〜12:30までの時間帯をネットで事前予約しておいた。
清津峡に近づくと、いちばん近い駐車場は終日大型車両専用となっていたため、別の駐車場からシャトルバスで清津峡まで行くことになった。シャトルバス降りると、平日なのにびっくりするほどの人出であった。
トンネルの長さは全長750m。途中に3か所の「見晴所」なる横坑が設けられていて、そこから峡谷の迫力ある柱状節理を見ることができる。トンネルの最奥部は「パノラマステーション」と名付けられた水盤鏡となっていて、逆光の水盤に映し出された人影が背景の峡谷の景色と相俟って、なかなか見応えがあった。
昼食に地元名物の「へぎそば」(そばを盛る容器のことを「へぎ」というのだそうだ)をいただいてから松之山温泉へ。近くまで来ると、松之山温泉からさらに奥に入った大厳寺高原の紅葉が見頃だと知り、標高700メートルの大厳寺高原キャンプ場へ。確かに下界とは違って見事な紅葉を見ることができた。
松之山温泉に戻って訪れたのは「 鷹の湯」。源泉が90℃とのことだけあって、内湯はかなり水を注さないと入れないほどの熱さであったが、露天風呂は風も川のせせらぎも心地よく、草津、有馬と並ぶ日本三大薬湯と言われる湯を満喫した。
最終日は朝から雨。朝食後に荷物をまとめ、宿を後にしました。途中、117号線沿いにある津南町の物産所に立ち寄り、「鬼もろこし」という有名なとうもろこしを購入。自宅に帰ってから茹でて食べてみたが、まるでフルーツのような甘さであった。
初めて車で新潟県を訪れたが、何より驚いたのはガソリン価格の安さ。いつもはコストコの給油所で入れているのだが、C石油でクーポンを使って給油したところ、コストコよりもさらに安価で給油できた。おいしいお米と日本酒、そして温泉ととうもろこし、さらにはガソリン価格。新潟県はいいところである。
8、関西学生アメリカンフットボールリーグ最終戦
11月、KGファイターズvsパンサーズの試合観戦のために大阪へ。
初めて東大阪に泊まることになったのだが、せっかくなのでホテル近くにある司馬遼太郎記念館へ。何よりその蔵書の数に圧倒された。書斎も外から見ることができたが、ここで多くの作品が生み出されたと思うと、感慨も一入であった。
翌日は、試合会場である万博記念競技場へ。JRの駅も近鉄の駅もホテルに隣接しているので、とりあえずはJRで淡路まで。そこから阪急千里線に乗り換えて山田駅にて下車、早めの昼食を食べてから大阪モノレールにて万博記念競技場へ。
試合は残念ながら負けてしまったが、観客の少ないのが気になりました(主催者の発表では6,500人)。一時期は1万人を軽く超えていたと思われる。これも大学選手権のトーナメントの影響なのかもしれない。
その日は、東大阪に戻ってから大阪の下村先生ご夫妻と、近鉄今里駅近くの小料理屋さんにて、2年ぶりのてっちりを堪能した。
9、母親の手術
11月の終わり、92歳になる母親が大動脈瘤破裂に伴い、緊急入院・手術を行った。幸い、破裂した部分を人工血管で繋ぐ手術は成功して2週間ほどで退院することができた。
退院後は、デイケアのご指導もあり、母親もだいぶ自分から動けるようになってはいたのだが、その後も夕食中に急に意識がなくなって救急外来へ入院したりして、何かと心配な状態が続いている。
今回の一連のことでは、病院のいささか疑問を持たざるを得ないような対応(真夜中の1時過ぎや早朝6時半の緊急を要しない電話、患者の家族のことに想像力の及ばない医師の言動など)には、ほとほと呆れると同時に、少しく腹立たしい思いを持った。
10、支部年間王者
4年前には年間最下位に沈んだ支部長であったが、年々順位を上げ、昨年は年間王者3連覇のオノちゃんに次ぐ第2位まで浮上。そして、ついに今年は堂々の年間王者に輝いたのであった。
振り返ってみると、トータルでマイナスに沈んだのは1月のみで、以後はずっとプラスを続けていたのである。今までは、立直をかけるとすぐにオノちゃんに追っかけ立直をかけられて1発振込みというパターンが多かったのだが、今年は「天敵」オノちゃんにあまり振らなくなったのが大きな要因と思われる。このまま来年も好調を維持したいものである。
<番外>
今年読んだ本ベスト3
『プラトン』(世界の名著6、中央公論社)
権力に立ち向かいながら、人が正しく生きるということはどういうことなのか、2千年の時を超えても主張されていることは不滅なのである。
『蹇蹇録』(陸奥宗光、岩波文庫)
外交という虚々実々の駆け引きが日常茶飯の舞台で、押したり引いたりの交渉をしながら、自国にとって何が最も優先されるべきかを考え尽くしてその任に携わった稀有な記録。
『風景の裂け目』(田仲康博、せりか書房)
戦後の沖縄の状況について、自分は何も知らなかったし、知ろうともしなかったという忸怩たる思いを新たにした。
昨今のわが国のさまざまな状況を見るにつけ、この国は大丈夫か?と思えることも多いのですが、そんな中でも自分を見失わずに毎日を送りたいと思っております。来年もどうぞよろしくお願いいたします。