皇室制度のあり方が揺れています。本質的な論点はひとつ、「男系男子のみの
天皇制を守るために、旧皇族の独身男性を養子として天皇家に迎え入れるべきか」
ということです。男系男子派の根拠は、基本的に2つです。ひとつは、単に「長い
間続いてきたのだから」という素朴な伝統擁護論。もうひとつは、Y染色体の唯一
性という「遺伝学的」根拠です。
 伝統云々の話というのは、基本的に循環論法になります。伝統だから守る。守
られてきたから伝統になる。本質的な根拠は無く、「伝統と因習はどこがちがう
んだ」という反論にもさらされます。
 さて、もうひとつの遺伝子論。価値判断とは別に、科学的に意味のある話なの
かを検証してみたいと思います。


 皇統染色体論を支える2つの前提

 染色体について、簡単に説明しておきましょう。性染色体はひとりの人間に2
本1対あります。女性はX型の染色体を2つ。男性はX型とY型とをひとつずつで対
を作っています。受精卵ができるときには、両親からひとつずつ染色体を受け継
いで一対の自分の性染色体ができます。
 だから、全ての男性がもつY染色体は父親から引き継いだものです。そのため、
正確な家系図があれば、男性は自分の持っているY染色体は誰から引き継いだもの
か特定できる訳です。
 皇室の万世一系を遺伝子的に定義するならば、「今上の陛下を含む全ての男性
天皇は、初代、神武天皇と同じY染色体を持つ」ということになり、男系男子論者
はこれを永遠に守るべきだと主張しているわけです。
 「Y染色体は皇統内で永遠に不変である」これを前提1としています。もう一つ、
これは暗黙の前提2として、「そのY染色体は周辺の他の男系のものと、明らかに
違う」ということがあります。いくら、万世一系の染色体でも多くの日本人のも
のと全く同じでは、それにこだわる意味がありません。男系男子主義とそのため
の旧宮家養子論というのは、この2つの前提のもとに成り立つものです。



なぜ女系天皇はいけないのか、鈴木幹子、高千穂大学
http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/104275/060421.html

 不敬の極み不倫男系説

 養子反対論によくあるパターンは、前提1を疑うものです。長い皇統の間に、他
の男性の染色体が紛れ込んでいる可能性を示唆するもので、はっきり言えば不倫
男系説です。たとえば、アゴラのオーナー社長?である池田信夫先生。

「中国の後宮には(性器を切断された)宦官しか入れなかったが、日本の後宮は
出入り自由で、側室を監視する宦官がいなかったので、現実にはDNAが天皇家では
ない天皇がかなりいたと思われる。」

 すごいことをおっしゃいます。根拠・証拠・エビデンス一切なし、具体的に人
物を特定するわけでもなく、「あんたらかて、ヤっちゃって、デキちゃったこと
あるやろ」と邪推して、万世一系を否定するのです。「不敬」という言葉が適切
かどうかは知りませんが、古今の関係者全員に対して失礼極まりない話です。
 酒席でのヨタ話や、逆に学問的な議論ならこういう嫌疑もありでしょうが、国
の制度を決めるときに、根拠のない嫌疑を持ち込んでしまうと、「そもそも皇統
というものは存在するのか」という話に行き着きかねません。それでもなお不倫
男系説を唱えるのなら、責任をもって独自に、天皇制を再定義するべきだと思う
のですが、いかがでしょうか池田先生。



男系天皇」が古代からの伝統だという話は明治時代の創作(アーカイブ記事)、
池田信夫、アゴラ、

https://agora-web.jp/archives/2038831.html


Y染色体アダム氏の恐怖

 少し理系的な視点でこの話を整理してみましょう。そもそも、男系というもの
は断絶しやすいものです。プライバシーの中枢に関わることなので、自分の家系
を例にしますが、息子のいない私のY染色体は、おそらく近い将来断絶します。
兄弟もいませんからから、同時に父の染色体も断絶します。父は二人兄弟ですが
叔父にも男児がなく、父方の祖父の染色体も、このときに断絶するでしょう。
 このように男系というのは簡単に断絶して行きます。特に、現在のように出生
率が低かったり、乳幼児死亡率が高かったりすると、男児の父親になれない男性
が増えて、あちこちの家で男系の断絶がおこります。新しいものが生まれないの
ですから、男系の系統数は必ず減っていきます。
 そのため、人類のY染色体は過去に一度、今から20~30万年前のアフリカ大陸で、
たった一つの系統に絞られました。その持ち主を「Y染色体アダム(y
chromosome ADAM)=YCアダム」氏とします。他の男系は全てその後に消滅したま
したから、彼が男児をつくれなければ、人類は恐らく滅びていたかもしれません。
現存する男性は全て彼の子孫です。
 これは男系男子論者にとって恐ろしい事実です。もし、Y染色体が何世代遺伝し
ても全く不変のものであるとすれば(前提1)、現存する世界中の男性は同じY染
色体を持っていることになります。モーゼもカエサルも、孔子もキング牧師も、
英国王もトランプ大統領も、大谷翔平やメッシも、この長屋の大家さんも私も、
Y染色体については今上天皇と全く同じものを持っていることになり、皇統Y染色
体の固有性(前提2)は、もともと存在しないことになります。
 もし逆に、世代を経るにつれて少しずつ遺伝子が変化するとすれば、皇統Y染色
体の同一性(前提1)、言い換えれば遺伝子的万世一系が疑わしくなります。
 このように遺伝子の一貫性と独自性は、完全には両立しませんから、もともと、
前提1と前提2は矛盾しているのです。これを「万世一系のジレンマ」と呼ぶ事に
しましょう。
 ですから、直近の小マシな男系男子論では、「Y染色体は少しつ変化するが、皇
統ではほとんど同一」という、かなり苦しい主張をしています。この場合、染色
体の同一性は原理的な話ではなく程度の問題になるわけですから、論点は「今後
は、それをどうやってどれぐらい守るべきか」という話になります。
 法律的にも倫理的にも問題の大きい、養子論が必須になるような問題ではなく
なります。



天皇が男系男子の理由を説く、正論、

https://japan-forward.com/ja/%E3%80%90%E6%AD%A3%E8%AB%96%E3%80%91%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%8C%E7%94%B7%E7%B3%BB%E7%94%B7%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1%E3%82%92%E8%AA%AC%E3%81%8F/


染色体の交差と万世一系

 もう少し詳しく、遺伝子が変化するメカニズムを見てみましょう。主なものは
交差と突然変異です。性染色体は2本一組になっていて、男性の性染色体の場合、
母方から受け継いだX染色体と父方から受け継いだY染色体が一対になっているこ
とは、すでにお話しました。
 交差とは、対の片方であるY染色体の一部分が、相方のX染色体の同一部分と入
れ替わる現象をのことです。少し模式的に説明しますと、仮にY染色体の遺伝情報
が、"ABCDEF"でX染色体は"OPQRST"だったとします。通常は、この男性の子供
のうち男児は、"ABCDEF"を女児は"OPQRST"をそのまま受け継ぐ事になります。
けれども、もし交差がおこると、たとえば"ABCrst"のY染色体と"OPQdef"の
X染色体のセットをもった精子が発生し、もし受精して妊娠すれば、Y染色体"
ABCRST"を持った男児が生まれる事になります。言い換えれば、Y染色体の一部の
遺伝情報が、母親由来のX染色体のものと、入れ換わることになります。
 その男児の系統の男性は、次の交差か突然変異が怒らない限り、全員が交差後
のY染色体"ABCRST"を受け継ぐことになります。つまり、Y染色体には、男系の
先祖のみでなく、女系から交差によってコピーされた遺伝情報も保持されている
のです。ただし、交差がおこるのは、Y染色体の両端だけですから。同時に保存さ
れるのは、最大、女性2名分のものだけで、その後さらに交差がおこれば両端のど
ちらかは上書きされてしまいます。まとめて言えば、全ての男性のY染色体は、
YCアダム氏のをベースに、歴代の父方の配偶女性のうち最大2名の遺伝子を受けて
ついでいることになります。
 この記事の初めの方に、「新しい男系の生まれない中」と書きましたが、厳密
に言えば、交差がおこるたびに新しい男系は生まれるのです。だから男系は断絶
を免れたとしても、永遠に続くことはなく、交差によっていずれ別のものになっ
てしまうのです。
 皇統に当てはめてみると、受け継がれているY染色体は、YCアダム氏のものをベー
スに、いずれの御代かの母君の遺伝子が、最大二人分、組み込まれているもので
す。そして、それがどなたかを特定するのは、多数の御陵を開かせていただいて、
遺伝子調査でもしない限り難しいでしょう。また、今後も交差によって書き換わ
る可能性が常にあります。
 ただし、このことは男系男子論にとって致命的なものではありません。これま
で皇統の独自性を保証するものを「Y染色体全体」としていたのを、「交差のおこ
らない中心部分」に変更すれば済む事です。
 交差によって皇統のY染色体は部分的に変化をした可能性はありますが、交差が
何回行われても不変な部分はあり、これが男系男子の遺伝的安定性を保証してい
ると、考えればよいのです。


突然変異という名の奇跡

 もう一つ、遺伝子に変化をもたらす要因に突然変異があります。宇宙などから
やってくる放射線が主な要因ですが、卵子や精子などの生殖細胞の遺伝子が突然
書き換わるわけです。原子炉を使って、農作物に放射線を当てて新種を作り出す
研究は、大学や農業試験所などで古くから行われてきました。
 けれども、これは戦場でマグレ当たりを期待して拳銃を乱射するような話で、
植物体の小さな一部である種子の、そのまた小さな一部である染色体に、放射線
が命中する確率は微々たるものです。
 ましてや、自然環境下でのヒトのY染色体の突然変異となると、宇宙から細々と
やってくるX線が、精子やその元になる細胞のY染色体に当たるということで、確
率はさらに下がります。
 もうひとつ大事なのは、交差がいわば「書き換え」であるとすれば、ランダム
な「落書き」みたいなものだということです。デリケートなY染色体になんらかの
影響を残して、なおかつ生殖能力を失わせないような都合のよい落書きは、よほ
どの偶然以外ではおこりません。性染色体の異常は他の遺伝よりもダイレクトに
生殖能力に影響しますから、突然変異男子が子孫を残すことは、他の染色体の場
合よりもさらにハードルが上がります。そのため、他の染色体よりも性染色体は
突然変異は見つかりにくいとされています。
 皇統で考えた場合、神武以来のわずか千数百年の間に、突然変異がおこったと
は思えません。だから、この問題に関しては前提1の同一性は守られてる可能性が
高いでしょう。
 YCアダム氏のY染色体が、皇統が始まるまでの最大30万年の間、突然変異をおこ
した可能性はあるでしょう。その場合、現皇統のY染色体を最初に保持した、いわ
ばYCイザナミ氏が神武以前におられたはずです。ただし、YCアダム氏と違い、全
ての日本人男性がその系統のみというわけではありません。
 YCイザナミ氏は神武天皇のご本人なのか、お父上なのか、あるいは1000代前の
御先祖なのかは不明です。言い方を変えれば、YCイザナミ氏はYCアダム氏から神
武天皇までの最低でも数千世代のどこに位置するのか不明なのです。けれども、
普通に考えれば、YCイザナミ氏から神武天皇までは、少なくとも10世代程度は開
いていたはずです。とすれば、その間に、皇統以外にも同じY染色体の中心部が拡
散した可能性はかなり大きく、前提2である皇統Y染色体の独自性に疑問符がつく
ことになります。少なくとも、調査もせず、強引に独自性を主張するのは科学で
はありません。
 また仮に、皇統のY染色体が他の人類とは違うユニークなものであっても、染色
体には遺伝上の空白部分が多くあります。こうした部分が突然変異をおこして、
ユニークなものに進化しても、その系統で生まれる男児の形質が他と違うという
ことは全くありません。
 まとめて言えば、皇統のY染色体の遺伝子は、他の男系にも同じか、ほぼ同じも
のが存在する可能性を排除できないのです。YCアダム氏やYCイザナミ氏との間の
突然変異による差異は、間違いなく交差によるものよりも小さいでしょう。
 つまり、前提2には疑問の余地が大きく、現状でどの程度成り立っているかは、
やはり遺伝子調査をしてみない限り解らないということになります。


 男系養子論のむなしさ

 では、「万世一系のジレンマ」を考慮しながら、今回の皇室典範改正の最大の
論点、旧皇族養子論を考えてみましょう。
 何回も書きますが、旧皇族家からの男系養子が遺伝子的に意味があるのは、当
該養子の方が保持しておられるY染色体が、「現皇族の方のものと同じであり、か
つ一般男性のものと差異がある」という二つの前提が必要にになり、ここを本気
で確認するのなら遺伝子検査がどうしても必要です。
 旧宮家の養子候補が天皇系とY染色体的にどの程度の近さなのかを調べて、近い
順に皇位継承権を定めるような話になるのでしょうか。万世一系を守るためとは
言え、なんとも不気味で不愉快な話です。
 また、旧宮家と言っても数家しかありません。候補になる男性も多くて10数名
です。さまざまな条件がたまたま揃って、今目出度く養子縁組が成立したとして
も、それは今回限りの話です。男系というものの絶滅しやすさを考えれば、本質
的には問題の先送りでしかありません。


不敬で利己的な万世一系

 そんなことをするぐらいなら、先端的な生殖技術を使う方がまだしも問題が少
ないようです。たとえば、体外受精は一般的な科学技術でも簡単ににできます。
ただし、男児が生まれるという保証はありませんから、クローン技術を使ったほ
うが良いかもしれません。生命倫理問題の例外と考えれば、おそらく今すぐでも
可能でしょう。
 残された難題は、誰が産むのかということです。まず、皇后陛下ご本人なら倫
理的な問題はありませんが、それが難しい場合は女性皇族が代理母ということに
なるのでしょうか。
 あるいは宮内庁職員などの一般女性からボランティアを募るのでしょうか。そ
の場合、代理母をされた方を出産後どう処遇するのでしょう。皇族として迎え入
れるとしても、その後に一般男性と結婚したり自身の子をもつことは許されない
でしょう。側室ならぬ則母というべきことになります。逆に、出産経験者の能力
を積極的に活用した場合、生まれる皇太子の兄弟姉妹をどう扱うのでしょうか。
 人工子宮や動物を使えば、生む女性の人権問題は発生しませんが、こういうの
をまともな国民が納得するはずがありません。さらに過激な方向に行けば、「い
っそのことAI化してしまえ(電脳陛下?)」みたいなことになりかねません。


 皇統優生学が絵に描いた餅

 Y染色体の議論を突き詰めれば最終的には、「不敬」云々以前にグロテスクで極
端な人権侵害になりかねません。なんでこうなるのかと言えば、遺伝子にこだわ
るのは作物や家畜に対する態度、つまり優生学的発想だからです。
 名著「利己的な遺伝子」で1980年代に一世を風靡したイギリスの進化生物学者
R.ドーキンス博士は、「生物は遺伝子の乗り物である」と議論を呼びました。け
れども、これは見かけほど過激なことでは無く、「生物の振る舞いを遺伝子側か
ら描写すると、そうも見えるよ」というだけの話だと思います。
 ただし、「生物乗り物論」を具体的な人間や集団にこの思想を当てはめると、
しばしば奇妙なことになります。だから万世一系のY染色体を守ることばかりに固
執すると、皇族や皇統は「乗り物」ということになり、いろいろなところで不敬
や非常識、人権侵害が多発するわけです。



リチャード・ドーキンス、ウィキペディア(Wikipedia)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9

 


 旧皇族の養子論も両陛下にしてみれば、これまでろくに面識すらなかった若者
を養子にすることを強制されるという、酷い話です。陛下がこういうのを拒否す
るのも憲法違反なのでしょうか。
 ちなみに、若者の方も15歳以上ということですから、若くても高校生です。逆
に、サラリーマン経験者が皇族になるのも現実的ではありませんから年齢的な上
限もあり、高校以上の学生か、それに準じる青年から選ぶことになります。将来
の夢もあり進路について考え始める年頃。彼女と呼べる相手がいる可能性もあり
ますが、結婚どころか交際を続けることも、養子になれば難しくなるでしょう。
だいたい恋愛経験はスキャンダルの温床。「私を捨てて二重橋を渡った男」と呼
ばれるリスクは無視できません。リベンジポルノなんか出てきたら国辱ものです。
 また、学生時代に恋愛も家族も、将来の夢も簡単に捨てられるのは、かなり良
い加減な人物で、どう考えても皇室不適格者です。逆に、優秀で真面目な少年が
覚悟を決めて養子になったとしても、24時間受け続けるメンタルな圧力は、歴代
の皇后陛下が経験されたものさえ比較にならないでしょう。本当に、二十歳前後
の多感な男の子が耐えられるのでしょうか。今度は真面目さが仇になりそうです。
 では、旧宮家に生まれた候補の少年たちを、今から「他日を期した」帝王教育
をしておくのはどうでしょう。余計な夢は芽のうちに潰し、スカートをはいた悪
い虫の接近も排除。事実上の養子生活のはじまりです。
 けれども、それまでの義務教育との齟齬が大きい上、養子縁組が成立しなかっ
た場合、全てを捨てた少年のその後の人生を、どう収拾するのでしょうか。英才
教育を受けた芸術家やアスリートの卵が、怪我などで挫折したのと同様になりま
せんか。世間の関心が大きいだけに、さらに深い傷を負ってしまうかもしれませ
ん。
 なんとか養子になったとしても、言動は一般人の感覚のままですから、あまり
特殊な公務は担当しにくそうです。一挙手一投足に国民的関心が集まるわけです
から、宮内庁も当たり障りのない仕事しか割り振らないでしょう。人生を捨てて
やってきた自分の役割が遺伝子の継続ということがあからさまになり、酷い言い
方をすれば種牛扱いです。やはり遺伝子保護を第一の目的にした皇統優生学は、
必ずや不敬を伴う人権侵害がをもたらすのでしょう。だから、結局、今回の養子
縁組制度は絵に描いた餅になるように思います。こういう話は、具体的になれば
なるほど、問題が噴出するからです。
 皇統というものは、本質的にはその国の文化にかかわることですから、「遺伝
的に無意味だから男系男子には意味がない」などと言うつもりはありませんが、
女性差別をはじめ人権的には蛮習と思われかねないような規定の根拠に、疑似科
学的な染色体談義を持ち出すのはやめていただきたいと思います。諸外国から文
明国としての資質を疑われ、日本人自然科学者全員の恥辱になるからです。

劣化世論を叱る

 最近、私の記事に「劣化世論」という言葉がよく登場します。詳しい意味をご
存じでしょうか......「ハイ」と答えられた方はウソつきです。先月ごろ私が作っ
たことばだからです。この機会に定義しておきましょう。

1)事実認識や
2)論理展開に大きな欠陥がある
3)感情的な意見が、
4)何らかの形で増幅され、
5)大きな社会的影響を持ったもの

 こんなところですか。そして、たいていの場合、「もし実現したら、支持者に
とって利益にならないどころか破滅に繋がりかねない、過激で危険な主張」なの
です。あえて攻撃的な造語をしなくても、従来からある「衆愚」とか「デマゴ
ギー」という言葉で説明すれば良さそうなものですが、どうも我が国の世論の劣
化は、そういった概念とは違うようなものに思えます。
 「衆愚」というのがしっくりこないのは、「愚かな人々が多数いて、彼らがい
つもいつも馬鹿な意見を叫ぶ」という訳ではないからです。自分の周辺だけでも、
大先輩や先生方あるいは友人で、医師・研究者・法律家などとして立派な見識を
もっている人が、専門分野意外では、ある種の劣化世論の熱心な支持者で、極端
で暴力的な主張をサラっと言ってのけたりすることが増えたように思えます。常
識も教養も、そして専門分野の修羅場で研ぎ澄ましたはずの論理的思考も、まっ
たく機能していないようです。
 偉そうに言う私自身もやらかす可能性は常にあるので、SNSに長い文章を書
くことは避けています。「アゴラ」や「サキシル」に書いていたときは編集者が、
この長屋では大家さんが、掲載前に目を通して下さるので、あまり酷い記事を書
いて劣化世論の火だねや燃料になることは免れていると信じています。


劣化防衛力整備論

 ここで、最近の例でケーススタディーをしてみましょう。国会の場で立憲民主
党の古賀千景参院議員が「私も教えた子がいっぱい自衛隊にいるんです。いっぱ
い苦しんでますよ。でも、分かってほしいのは、自衛隊に行く子供たちって、経
済的に厳しい子どもたちが行くんですよ。豊かな子どもたちは、自衛隊とかなり
ませんよ」などと発言して、その場で抗議を受けて訂正(情けないなぁ)。でも、
SNS上では炎上が続き、それに乗っかる形で、K防衛大臣が「許せない」などと
批判しました。一連の流れの中での、もとの発言と批判の両方について、劣化世
論の病理を前段の1)から5)の視点で整理してみましょう。
 まず、発端の議員の発言。についてですが、事実関係1)については、大きな問
題はなさそうです。最近ブレイクしたある女芸人さんなどが典型ですが、貧しい
若者は豊かな若者よりも自衛官になりやすい、というのは事実です。
 けれども、おかしいと思うのは、次の「いっぱい苦しんでいます」です。意味
不明。「いっぱい」というのは、「苦しみが大きい」ということなのか、「苦し
む者が多数」ということなのかわかりません。また、いつ・どういう理由で「苦
しんで」いるのでしょう。あえて解釈すれば、「入隊後に訓練の理不尽さや、衣
食住など待遇の悪さに苦しむ」のか、「給料や退職手当が悪いので引退後の生活
が苦しい」のか、「貧しさに負けて『人を殺す悪の組織』に身を落とした恥ずか
しさに苦しむ」のか、発言の意味がまるで違ってきます。
 昔々の左翼系の人がよくやったことですが、主張のうち肝心なところで、意味
のはっきりしない決まり文句(「苦しい」以外では、「明るい」「力強い」「し
たたか」「抑圧」「疎外」「反革命」など)を持ち出すことで、内容はないけれ
ど勢いのある文書ができあがります。今回の「苦しむ」は、近頃ではまれな典型
例と見なせそうです。
 次に論理展開の2)。「私の教え子に関しては」と自分の経験に限定するか、一
般論にするなら「多くの場合」としておかないと、「自衛官は全員例外なく貧乏
人の子」というウソになってしまいます。文系特有な言葉足らずだと思うのです
が、これだけなら批判は単なる揚げ足とりになります。
 そして自衛隊嫌いという感情3)が露骨過ぎて、内容の公平性に疑問の目が行き
ます。 安保闘争時代に左翼系学生などがよく使った「古典的劣化世論の種」で
した。当時は組織内にはアナログのエコーチャンバーがあり4)、あっという間に
若者の間に劣化世論が形成されました5)。けれども、今では説得力が全くないの
で、「左向き劣化世論(絶滅種)の化石」とでも呼ぶべき代物です。


 隊員を侮辱する防衛大臣

 次に批判側。まず議員の発言に反論するなら、「貧しい家の子供は自衛官にな
りやすい」というのが間違っていることを、統計的事実を示して否定するべきで
す1)。というより、これをやっておけば、話はそこで終わります。防衛大臣なら、
たやすいことでしょう。きれに「論破」してもまだ気が済まないのなら、「デタ
ラメを言うな」と一喝しておきましょう。
 けれども、当の防衛大臣を含めて誰もこういう真正面からの反論をしないとこ
ろを見ると。「貧しい家の子供は自衛官になりやすい」という経験的な俗論は、
どうやら正しいのではないでしょうか。
 次に論理性2)。議員の発言で、「自衛官や家族の皆さんが傷ついている」とし
ながら、事実関係を否定しないとすれば、「事実ではあるが不名誉で恥ずかしい
ことをあえて指摘した」ことを非難しているのでしょうか。
 だとすれば、「貧乏な家に生まれることは恥ずかしいこと」なのでしょうか、
「貧乏青年のくせに自衛官になるのは、おこがましいこと」なのでしょうか、あ
るいは「貧乏人を集める自衛隊とは不名誉な組織」なのでしょうか。つきつめて
考えると、もとの発言よりもよほど、自衛官にも自衛隊にも失礼な話のように思
いますが。
 自衛隊が好きで左の政党が嫌いという今の空気は、かなり歴代の自民党政権が
洗練されたメディア戦略で作ってきたものでしょうが、あくまで感情3)でしかあ
りません。けれども、よく言われるようにSNSのエコーチャンバーが作用する
事4)で、炎上がはじまりました5)。
 げっそりするのは、発言者の古賀議員や議員が所属する立憲民主党幹部も、こ
の流れに乗せられていることです。訂正や謝罪をするにしろ、もう少し論理的に
がんばっておかないと、気の弱いただのアホに見えてしまうと思うのですが。



小泉防衛大臣「大臣として黙っていられない。隊員と家族が傷ついている」 
立憲議員の「豊かな子は自衛隊とかならない」発言を改めて批判、FNNオンライン、



https://www.fnn.jp/articles/-/1060691?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink


 志願制という名の美しきウソ

 ここまでなら、「脇の甘い左の発言に、右がイチャモンを付けた」という、最
近よくある話ですみます。けれども、当事者はあえて無視したのか、興味の方向
が違ったのかわかりませんが、表に出なかった本質的問題があります。ありてい
に言えば、誰がどんな手続きで国防に参加するのか、或いはさせられるのか、と
いうことです。
 兵士を集める方法は、基本的に志願・傭兵・徴兵の3つです。このうち志願の
話を議論してもあまり意味がありません。一般民衆が兵士になることを禁じてい
る国は、古今東西皆無です。例外は、インドなどのヒンズー教圏のカースト制や
かつての我が国の士農工商のように、戦闘員であることが階級と結びついている
ような場合だけです。
 だから、志願という制度は世界中にあって、世界中で機能していません。国家
間の紛争を武力で解決することへの批判が高まっていることを考えると、単純に
自国(実態は現政権)の正義を信じて危険を顧みずに、一兵卒ではせ参じる若者
は世界的に減少するでしょう。近年は、自国側の不都合な真実も瞬時にSNSなどで
拡散され、多くの紛争は「どっちもどっち」という部分が露わになり、およそ国
家というものに、身を捨ててまで通すほどの義は感じられなくなってきています。


 トクリュウ対督戦隊

 志願の動機を愛国からゼニに変えると、傭兵制度が出来上がります。彼らは国
家の大義などには興味がなく、与えられたミッションのためなら、どんな残酷な
ことでもしますから、ある意味では使い勝手のよい連中です。経験や能力によっ
て値札がついていることもありますから、安くかつ手っ取り早く必要な戦力を補
充する最適な方法、と言ってよいでしょう。
 けれども、よく考えてみると、金銭的な契約に基づいて、見ず知らずの他人に
致命的な暴力をふるうビジネスですから、特殊流動型犯罪と同じ構造になります。
忠誠心など期待する方が愚かです。当然、戦況が悪化すれば真っ先に逃げ出すで
しょうし、無条件降伏したあげく敵に寝返ることをよくあるパターンです。
 この長屋の大家さんの話によく出てくる「督戦隊」という味方を監視する組織
の設置も考えられますが、もともと優秀かつ冷酷だから傭兵をやっているような
連中を、少人数で制御できるほど有能な督戦隊を組めるのなら、最初から彼らを
前線に送ったほうがよほど効率的でしょう。


教育論と組織論、内田樹の研究室、

http://blog.tatsuru.com/2025/06/13_0920.html

 まとめて言えば、傭兵を機能させるためには、最初から不利な戦況を覚悟でき
るぐらいの高額報酬を用意するしかありません。なにしろ最強トクリュウですか
ら、きわめて高くつく軍隊で、あきらかに侵略戦争向きです。


 裁判員制度の前科

 というわけで、低コストで一定の量と最低限度の質の兵士を確保するには、徴
兵制が王道ということになります。
 実際、我が国は徴兵制のための準備が着々と進めています。まず、裁判員制度。
考えてみれば唐突な導入でした。刑事裁判の一審だけですから、時代に即した画
期的な判決が出たとしても、原告・被告のどちらかが控訴するでしょう。そうな
るとプロの法曹人が、素人の「斬新」な判断をそのまま追認するとは思えません
から、高裁は弁論を開始することになり、慣例的な落としどころに刑量は落ち着
くでしょう。つまり、時間と経費の無駄です。
 私の見たところ、裁判員制度の最大の狙いは、裁判所を奴隷的徴用の共犯にす
ることです。今後、防災、福祉などの場で、緊急性と公共性を口実に民間人に労
働を強制しなければ、国家の機能が果たせなくなる可能性が出てきています。ク
マと猟友会の関係を思い出して下さい。
 こうした徴用を、憲法18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、
犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」 b>を盾に拒否する「非国民」たちを、裁判員制度という「前科」を持つ裁判所は、
守りにくくなるという寸法です。ここまで来れば、徴兵制まであと一歩です。
 あるいは、まず徴兵制度を作っておいて、「良心的徴兵拒否者」を福祉や防災、
場合によっては公共事業に安く使おうというのもアリです。「銃を持つのが嫌な
らボランティアしようね」......まことに国家というものは、若者にとって陰険で
やっかいなものです。



日本国憲法、G-Gov法令検索、

https://laws.e-gov.go.jp/law/321CONSTITUTION


「ぬちどぅたから」を憎む国家

 けれども、先進国を中心に徴兵制度は流行らなくなっています。あまりにコス
トがかかるからでしょう。ひとたび定数の人員を徴用すれば、除隊か戦死するま
で、彼らの衣食住の面倒を見なければなりません。当然ですが給料もいります。
特に名誉の戦死の場合、遺族に保証金ないしは年金を支給することになります。
しかも、良質な若年労働者である彼らが、ほとんど生産的な活動をしないのです
から、経済の足をひっぱる効果は無視できません。実際、ウクライナ戦争で数十
万単位の戦死者と同じ規模の逃亡者を出しているロシアの経済は、徐々に翳りが
出てきました。
 けれども最大の問題は士気でしょう。少なくとも志願する気のなかった人間を
狩集めたのですから、最初から高いモチベーションは期待できません。「徴兵さ
れた。日本死ね」と思っている人間も一定数混じるでしょう。生まれて初めて撃
った実弾で上官の頭を吹き飛ばすような「ありがちな狂気」には、一定の対応マ
ニュアルが作れそうですが。虎視眈々と逃亡や反乱の機会を伺い面従腹背をして
いる「賢者」も少なくないでしょう。
 なにしろ、国に命を捧げても何の成果がなかった我が帝国陸海軍の将兵の話は、
あちこちにころがっています。だから、愛国や大儀と言っても命あっての物種だ
というのが、戦後日本人の常識的な見解です。英霊だの靖国だのと、宗教染みた
ことを言われれば言われるほどシラけるでしょう。
 特に、地上戦があり、かつて多くの親族が殺された現場で日常生活をおくって
いて、戦争の阿保らしさが骨身にしみこんでいる沖縄の人たちが、「ぬちどぅた
から;命は宝物である」と主張して、それが他の日本人に伝播することを、国防
側の人間は心底恐れています。だから、辺野古にしろPIAFSにしろ、少しでも沖縄
でトラブルがあると、露骨なヘイトが発生するのです。
 話を戻します。ごく普通の令和の若者をランダムに徴兵しても、士気の点で兵
士として使い物になるのか甚だ疑問です。もちろん、洗脳をすることも可能なの
でしょうが、これまた膨大なコストと時間がかかりそうです。とても有事には間
に合いそうもありません。
 同じような話は、世界のあちこち特に先進国と呼ばれる国では多かれ少なかれ
おこっていることで、志願制(ある種の傭兵制)が軍のリクルーティングの基本
になっています。となると問題になるのが、国家が負担できるコストです。
 志願する側からいえば、万一の有事に前線で戦死する可能性をどの程度のコス
トと考えるかということです。「ぬちどぅたから」という観点だと、お金をいく
らもらっても引き合わないことになります。とすると、どうしても貧しい出自の
若者ほど、軍に志願しやすくなります。これは常識に類することですから、「いー
や、わが自衛隊は違うんじゃ」と言うのなら、さっきも書いたように、データを
もって反論して下さい。でも、できないようですね。図星だったと考えざるを得
ません。


 どっちが本当の侮辱なのか

 事実だとすれば、「それを開示すること」と、「それを隠蔽して放置すること」
のどちらが当事者を傷つけることになるか、考えるべきです。つまり、自衛官は
貧しい家の子供が多いという不都合な事実を公表するのと、あらゆる若者が進路
の選択肢と考えるだけの十分な報酬を自衛隊に用意しないのと、本質的に自衛官
を侮辱しているのはどっちか、ということです。
 防衛関係の方で、これを機会に予備役制度を服も自衛官全体の待遇をよくすべ
きだという議論をされている方もおられますが、そういう主張をするのなら、最
初に声を上げた古賀千景参院議員にまずは謝意を示すべきです。そうでしなかっ
たら、こうした主張が国民の目に触れる機会は激減していたでしょうから。



自衛官への敬意を「制度」に変えよ:議員が侮辱する国で、誰が国を守るの

アバター、九条丈二、アゴラ、


https://agora-web.jp/archives/260618051656.html


劣化世論が守る経済的徴兵制

 経済的徴兵制という言葉があります。地方の疲弊や格差社会の進行で、一定数
の若者が軍隊に入らないと生活ができなくなるような状況を言います。政府にと
っては美味しい話。まず、徴兵制を持ち出すという巨大な政治的リスクを避けら
れます。何があっても「あくまで、志願ですから」と言い切れます。また、自衛
官の待遇を低いまま放置することもたやすくなります。「食わせてもらっている」
という負い目から、必要最小限の士気は確保できそうです。自爆的な反抗のリス
クも徴兵制度より格段に低いでしょう。
 こうした状況にはもちろん倫理的な問題があります。端的に言えば、「貧しい
家の子供ほど戦死のリスクが高くてよいのか」という議論です。けれども、前提
となる不都合な事実を指摘した議員に、劣化世論に乗った大臣が見当違いの反発
を投げつけるような国では、選択的徴兵制は政権側の最適解として、当面生き続
けるでしょう。

国旗毀損法が今国会で審議されています。別名、那須与一等規制法とは言わな
いでしょうが、まことに結構なもののようです。たとえば、公人が日の丸の前で、
外国元首に対してキャバ嬢じみた振る舞いをすることなどは禁止されるのでしょ
う。
 それにしても政治的な立場を超えて、あの光景には国辱を感じたのではないで
しょうか。日の丸を焼いたり泥靴で踏みつけたりする動画より、よほど国旗を辱
めているように思います。
 本気で日の丸のイメージをよくしたいのなら、まずは公人が(特に国外での)
振る舞いを戒めましょう。また、ヘイトデモや街宣車などが、周囲に嫌がられる
ことを承知で国旗を誇示したり、特定の宗教団体の儀式の場で使用することもや
めさせましょう。
 もうひとつ、学校などが掲揚の場で起立や脱帽を、無理にやらせるのも禁止す
るべきです。「強制になりませんように」という、平成の時代に誰よりも国旗国
歌を大事にしておられる方の声を思い出してください。


 官製歌姫の哀歌

 国旗の次は国歌です。なんとも情けない事件がありました。こともあろうに特
定の政党(特に名を秘してJM党とする)の集会で、音楽隊の自衛官が君が代を
独唱しました。もちろん自衛隊法違反です。場合によっては公務員法違反にもな
りそうです。
 歌ったのはプロのソプラノ歌手ですから、経済学的にはサービス財の提供です。
酔った政治家がカラオケのマイクを手にする(聞かされる方がサービス提供?)
のとは訳が違います。報酬を貰えば国家公務員の闇営業、無償なら特定政党への
支援で自衛隊法違反になります。
 JM党側の公式見解では、「私的な行為だから政治的行為でも問題ない」との
ことですが、本当にそうでしょうか。自衛隊法を見てみましょう。



第六十一条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他
の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これら
の行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為を
してはならない。

 まず、この条文の主語は隊員です。隊員の行為を規制する条文のはずです。
「国会議事堂に突撃せよ」なんて命令が出るはずはありませんから、禁じている
「政治的行為」は公務ではありません。
 次に条文中にある政令を見ましょう。



自衛隊法施行令 第87条 (政治的行為の定義)

一 政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること。
二 政治的目的のために寄附金その他の利益を提供し、又は提供せず、その他政
治的目的を持つなんらかの行為をし、又はしないことに対する代償又は報酬とし
て、任用、職務、給与その他隊員の地位に関してなんらかの利益を得若しくは得
ようと企て、又は得させようとし、あるいは不利益を与え、与えようと企て、又
は与えようとおびやかすこと。

 - 中略 -

十 政治的目的をもつて、多数の人の行進その他の示威運動を企画し、組織し、
若しくは指導し、又はこれらの行為を援助すること。

 - 中略 -

2 前項各号に掲げる行為(第3号の場合においては、前項第16号に掲げるものを
除く。)は、次の各号に掲げる場合においても、法第61条第1項に規定する政治的
行為となるものとする。

 - 中略 -

 三 勤務時間外において行う場合


 まず最初の「一」です。音楽隊員と紹介され、制服を着ているのですから「公
私の影響力を利用」しているとしか思えません。
 「二」はややわかりにくいのですが、要は「政治的目的のために利益を提供し
て、見返りを求めてはいけない」というのです。何の利益もないのに、プロが本
気で歌うことはあり得ない話です。本人のみならず、上官たちに「利益を得させ
ようと」いうのもアウトです。
 「十」がJM党の党大会が、党内外への「示威運動」でないはずがありません。
 そして「2-三」です。勤務時間外でも、政治的活動ではない理由にはならない
のです。
 こうした嫌疑を払拭したいのなら、なんのためにこの場で歌ったのかを説明し
なければ話になりません。

 自衛隊法以外にも問題があります。制服は公共物です。「クリーニングは自腹」
などと言い訳をするのでしょうか。これが認められるなら、燃料代さえ払えば、
自衛官は休日に戦車や走行車両で出かけてもいいのでしょうか。公私混同の典型
です。
 まして制服には隊の名誉がかかっています。正装して街宣車の上で熱唱しよう
が素人AVに出ようが、「個人としてなら」自衛隊は構わない......わけがありま
せんよね。
 そもそも、万一「(自衛隊法違反が)疑わしい行為」を勝手に個人がやったの
なら、隊の名誉を傷つけたことになり、それなりの処分があって当然です。



自衛隊法,G-GOV,
https://laws.e-gov.go.jp/law/329AC0000000165/



自衛隊法施行令,LawZilla,
https://lawzilla.jp/law/329CO0000000179?n=ln87&mode=only


 難曲が招く難局

 さて、ここまでの話は曲目とは関係がありません。歌ったのが「六甲おろし」
でも「可愛いだけじゃダメですか」でも同じ議論になりますが、これらとは別に
「君が代」独自の問題があります。恐ろしく難しい歌だからです。
 よく、体育会系のパワハラ教員などが「最近の選手は大きな声で国歌を歌わな
い」などとおっしゃりますが、そんなとき私は「そうですね。ぜひこの機会に先
生の『君が代』をお手本に聴かせてください」といって拍手することにしていま
す。これまでに数回、よせばいいのに本当に歌い始めた猛者がいました。でも、
完唱することはまれで、たいていは途中で赤面してリタイア。今後は国歌毀損罪
で通報することにいたしましょう。だから、私は決して人前で歌ったりしません。
 見かけより音域が広く「千代に八千代に」などの難所があり、音程のアラが目
立ちます。そして、独特の和洋折衷の終わらせ方の難しさ。とても、われわれ素
人の手には負えない難曲なのです。
 よく、サッカーの国際試合の前などで、斉唱中の選手にマイクを回す演出があ
りますが、キックオフ前に恥をかかせてどうするのでしょうか。特に、相手国が
行進曲風のノリノリ国歌だったりしたら、最初から気合い負けしてしまいそうで
す。君が代は器楽か大御所のアカペラを、一般人は心静かに拝聴するのが無難な
演奏法だと思います。ちなみに、世界には歌詞のない国歌?も多く、儀式では黙
って聴くスタイルが一般的です。

 君が代独唱(たいていは無伴奏)では、ベテラン歌手でも緊張のあまりトチる
ことがよくあります。問題の制服歌手さんはどんな準備をしたのでしょうか。ど
うやら得意のレパートリーだったみたいですが、まさかぶっつけ本番ではありま
すまい。おそらく公務時間中にも、みっちり練習していたはずです。でなかった
ら、所属の音楽隊長はあまりにも無責任です。  
 万一、音程をはずしたり声がかすれたりして失笑が漏れようものなら、その場
で自決、あるいは帰営後直ちに銃殺......とはならないまでも、自衛官としても音
楽家としてもキャリアに汚点を残すことになります。「ああ、あの音痴の隊員さ
んね」......多くの国民が自分のことなど棚にあげて笑うでしょう。
 そこまで失敗しなくても、「巧いけど、なんか心がこもってないな」などと、
党幹部たちから評価されでもしたら、音楽隊自体が困ったことになります。もと
より、「なんで銃の代わりにラッパを持つやつが、俺たちと同じ給料をもらうん
だ」という議論が世界中の軍隊にあります。予算のうち少なからざる部分を日米
両方の防衛産業に吸い上げられている自衛隊ですから、本隊から「君が代も満足
に歌えない連中に払う金はない」などと言われても不思議ありません。
 だからおそらく、JM党大会に向けて隊をあげて歌姫を鍛え上げていたのでは
ないでしょうか。少なくとも、直前のコンディションチェックさえせずに本番に
送り出したとしたら、そんな度胸の良すぎる連中が国防を担うことに私は強く反
対します。
 仮に個人であっても、重要な場での演奏に所属音楽隊が関与していないことな
ど、常識ではあり得ない話です。そして、そんなことをしているとすれば、音楽
隊ぐるみでJM党に肩入れをしたか、あるいはゴマをすったかということが疑わ
れます。だとしたら丸ごとの自衛隊法違反です。
 法律的な追求はまぬがれたとしても、今回の代償は大きかったと思いますJM
党はもちろん、自衛隊にも音楽隊にも歌手自身にも、そして君が代にも泥をぬっ
てしまいました。ある意味で気の毒なことですが、この歌姫さんが晴れの舞台で
歌うことは当分なさそうです。



「独断で参加を決められるわけがないのに...」 小泉防衛相にハシゴを外され
た「自衛隊の歌姫」の素顔,デイリー新潮,

https://news.yahoo.co.jp/articles/03659249230c648f2526372ae48bf81036d620d7?page=2



自衛官が自民党大会で「君が代」歌唱して "自衛隊法に抵触" と物議も...関
係各所は "政治的行為" を全否定,Smartflash,

https://smart-flash.jp/sociopolitics/403703/


 セルフセクハラ

 というような原稿をまとめていて、チェックのために例のワシントンでの動画
を見ていて、見落としていた重要な事に気がつきました。早苗さんは明らかに身
体が逃げているのです。考えてみれば、ヤンキーガールでもプロのホステスでも
ない日本人女性が、さして親しくない男の腰に手を回したりする事には、大きな
抵抗があったはずです。生身の女として、ものすごくイヤだったのではないでし
ょうか。
 トランプ氏の名誉のために触れておきますが。大統領も、あまり面識のない外
国人女性(ハグが絵にならない)にひっつかれて、困惑しておられたようでした。
けれども、嫌そうに振り払ったりして恥をかかせては、東洋一の支持者を失脚さ
せることになりますから、とりあえず付き合っておかれたのでしょう。
 ただし、心から喜んでいると思われるのは国内的には具合が悪そうなので、わ
ざわざ、会談後に早苗さんが放心している醜態動画を別途流したのでしょう。言
いたい事は「変な女ですが、決して私たちには逆らいません」......やはり国辱も
のです。
 「どうしてこんなことになったか」と言えば、この長屋の大家さんがよくおっ
しゃるように「戦争に負けたから」です。クリントン夫人やハリスさんが、安倍
氏や石破氏にしな垂れかかることなど想像もできません。敗戦後80年たっても
まだこんな状態なのです。一方、同じ敗戦国の女性トップでも、ドイツのメルケ
ル元首相やイタリアのメローニ首相は毅然と、かつての戦勝国に対峙しています。
日本だけは敗戦が永続しているのです。戦争に負け続けているのです。
 私自身も含めて、ほとんど全ての日本人は、先の開戦にもその結果の敗戦にも、
個人としては何の落ち度もありません。けれども、せっかくアメリカ大統領に先
駆けて誕生した初の女性総理に、あんなことをさせる国にしてしまった責任の一
端は、全国民にあるはずです。これまでずっと「敗戦国の心地よさ」にしがみつ
いていたのではないでしょうか。
 そのことを悲しく恥ずかしく思い、女性としての高市早苗さんに私は謝罪しま
す。同時に、日米関係がそんな現状についての最大の責任は、国民の代表たる現
総理大臣にあると考えます。

脊椎反射で反論
 
 自慢じゃありませんが、私は遅筆なのに、新しい話題に次々と飛びつくのが大好きです。けれども、進行中の話は状況が変化したり、いろいろな方がいろいろな視点で記事を書いたりします。そのため、キーボードの前でモタモタしているうちに、内容がどんどん陳腐化して、俗に「原稿が腐る」という状況にしばしばなります。
 さすがに事実関係が大きく変化したら自主没にしますが、新しい視点と思っていたものを他の論者に先を越された場合は、気にせず(本当は舌打ちしながら)そのまま出稿します。そして、内容に間違いが見つかっても、人類を滅ぼしたり(出来るもんならやってみな)私自身の犯罪になったりしかねない場合以外は訂正はしません。続報記事を出す場合でも、少し時間をおいて、ネタが貯まって自分なりの整理がつくまで手をつけません。
 でも、今回は違います。原稿を長屋の大家さんに送ってから、1時間後に書いています。同じ内容であまりにも酷い記事を見つけたからです。
 本日(2026/05/28)の朝日新聞夕刊第一面の「素粒子」です。ご存じの方が多いと思いますが、歴史有る寸鉄コラム「素粒子」は、ツイッターぐらいの小パラグラフを3~5個ぐらい連ねて、一つのテーマを論じるスタイルで、朝の天声人語と並ぶ同紙の顔と言ってもいいものです。
お恥ずかしい話ですが、カタい話題でもあんなお洒落な文章で扱える「素粒子」は、子供の時からの憧れでした。今でも、「さすが」と言いたくなる修辞や論理展開をよく見かけます。ところが、本日のものは真面目に書いたとは思えない代物、ファンとしては目を覆いたくなる低品質でした。


 酔っぱらいが書いたコタツ記事

 テーマは巨人軍阿部元監督の事件で、論調として元監督を擁護する方向の世論を批判するものでした。自他とも認める弱者の味方である同紙らしいポジションですが、問題は事実関係が無茶苦茶なことです。素面なんでしょうか。現場取材はともかく、webぐらいちゃんと読んで下さい。以下、極力著作権を侵害しないよう配慮しながら引用します。



素粒子(2026年5月28日),朝日新聞,
https://www.asahi.com/articles/DA3S16472194.html

 
 まず、冒頭。「どうして少女を責めるのか」。いろいろな先行記事やコメントを見ましたが、単純に「少女を責め」ているものを、ほとんど見ませんでした。基本的に被害者で、「素粒子」自身も触れているように冷静さを欠く状態に追い込まれているわけですから、少々のことでは責められる理由はないでしょう。
 けれども、彼女の行動が全て正しかったかどうかは別の問題です。言い換えれば、もし今後誰かが同じような状況になったとき、同じ行動をすることを推奨できるかということです。実際、本人が予想も希望もしていない方向に事態が進行したのですから、全面的に正しい行動だったとは、とても言えないと思います。
 特に、重大な判断にAIを関わらせたことには、大きな論争の余地があります。朝日新聞を代表とするいわゆる旧メディアは、平素はAIに対して懐疑的な立場をとっていて、若者が頼りすぎることに批判的だったはずです。その視点で議論するなら「被害を受けたら、呑気にAIなんかに相談せずに、すぐに警察に通報するべきだった」と書くべきなのです。もし、AIが「通報はやめなさい」というアドバイスを出し、躊躇している間に重大な追加被害が発生する可能性を「素粒子」氏は無視するのでしょうか。まさか「AIは絶対に間違わないから、その場合は殺されておきなさい」などと主張するつもりはないでしょう。
 なにしろ前例のない問題ですから、いろいろな立場からいろいろ予想や意見が出てくるのは、当然かつ好ましいことです。その中で、少しでも彼女の行動の問題点を指摘すると「責めている」と言って非難するのは、一種の言いがかりです。

 次のパラグラフは、児相を擁護する内容です。言っている事は正しいのですが、とりあえず今回は正しかったというだけの話です。けれども、「通報は、機械的に警察に連絡する」という対応では、何のために警察とは別に児相が夜中も窓口を開けているのか、という疑問に繋がります。通報と同時に、相談員を現場に派遣するのが理想なのでしょう。そうしたことへの言及もほしかったと思います。たとえば、素粒子らしく......

「児相に予算と人員の壁。通報は仕方ないけれど、本当は自ら現場に行きたかったろうに」

 
 真打ち登場

 さて、ここまでだったら、いちいち批判記事など書きません。3番目のパラグラフに、誤読誤解誤報の真打ちが登場します。

 「被害者の手紙を公開したのは正解だったのか」......一瞬、目を疑い、手紙の全文を読み返しました。この手紙は、文面からも代読者の弁護士さんの紹介からも、世間一般に向けたものであることは明らかです。「正解」も何も、はじめから「公開」目的のものです。これをあえて「公開」しないほうが良いのは、次の3つの場合しかありません。
 まず、手紙の内容が被害者の意思ではない場合です。具体的には捏造や脅迫が考えられます。こうした疑いを常に持つのはジャーナリストとして当然ですが、万一もし捏造や、ましてや脅迫だったら刑事罰の対象になりません。その状況での弁護士さんによる発表なのですから、一定の信憑性はあります。
 これを否定するだけの材料を、朝日新聞社が持っているとは思えません。もしあったら、素粒子ではなくスクープ記事で発表するはずです。また各メディアが、「捏造を疑って公開しそびれた場合」と「捏造だったのに公開してしまった場合」の被害は、前者の方がはるかに大きいかと思われます。また、後者は訂正もできます。
 次に、内容が嘘まみれだという場合です。けれども、この手紙は、ほとんど被害者の心情と「お願い」のみで構成されています。嘘をつく余地はあまりありませんし、つく理由はもっとないでしょう。
 3番目に、反社会的なことやプライバシーやセキュリティーを脅かす内容を含んでいる場合ですが、これは論外。
 つまりどう考えても、「公開」するのが「正解」なのです。そして、弁護士さんがすぐにメディアに公表しなかったら、この想いが世間の目にふれることは永遠になかったでしょう。被害者だからと言って、声を上げる事を封じられて良いはずがありません。
 全ての言論人がやりがちなことですが、言論の自由について、自分たちに不都合なものは(おそらく無意識的に)排除しようとする。特に、朝日新聞は伝統的にこの傾向が強いと思うのですが、いかがでしょうか。

 ゴミ記事はAIをも汚染する

 さて、ほとんど誰も指摘しない事ですが、AIは今回の騒動をも織り込みつつあるということです。平素から、それぐらいの情報収集をしていなかったら、「DV」と「児相」とを結びつけて、警察より優先的に通報を推奨することなど、出来るはずがありません。
 だから、「素粒子」のような社会的影響の強い記事がネット空間に排出されると、AIが読み取って、「うかつに児童相談所に連絡すると大騒ぎになって、エキセントリック連中が出てくる」ということを「教訓」としている可能性が無視できません。そのため、今後、同様の相談があれば、児相への通報を抑制する方向に動くことになりそうです。だとすれば、「素粒子」は日本の情報空間に毒をまいた事になります。
 今回、私が例外的に腰椎反射で反論しているのは、少しでも社会的解毒をしたいからです。大家さんの影響力で、この長屋にもAIの目が届くことを祈るのみです。


 橋下元知事の正論

 社会的影響力が強い論者で、一番まともなコメントを出されたのは橋下元大阪知事です。念のため書いておきますが、私は維新支持者ではありません。それどころか、都構想や国旗国歌に対する考え方など全く理解できません。けれども、今回は簡潔でド・ストライクの正論を出されたと思います。
 


橋下徹氏 巨人・阿部監督辞任で提言「児相・警察は過剰気味に動く。説明があれば社会は許すべき」,東スポWEB,
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/389631

 内容を要約します。
 児童相談所・警察は「その時に厳しく対応せずに子供の命が失われて後から後悔するよりも、間違ってもいいから過剰に対応」する。「しかしその後の当事者の説明で、家庭内で対応できそうであれば、社会は家庭に委ねるべき。」「ファン商売である巨人も、世間からの反発を気にしてこのような対応を取らざるを得ない」が「過剰な社会的制裁は、むしろ児童相談所や警察の動きを鈍らせる」

 こういうのを本当の法曹人というのでしょう。専門家のコメントは、こうありたいと思います。今後、AIがこうした良質の議論を吸収して、より洗練されたものになることを期待したいと願います。

子育ての矛盾

プロ野球読売の阿部監督が家庭内暴力を理由に逮捕されました。東京ドームでの対阪神戦三連敗の直後でした。野球で負けていちいち子供に手を上げていたら、大阪には児童相談所がいくつあっても足りまへんがな......などと混ぜっ返す気はありませんが、深刻な問題でありながら、どこかコミカルな事件です。

 正義の基本設計図

 「どんな状況でも暴力はいけない」......現代社会の基本ルールのひとつでしょう。「親は子供に、どんなことをしてでも教えなければならないことがある」......子育てをしたことのある人なら、おそらく賛成してくれると思います。でもこの2つは相容れません。「子育ての矛盾」と呼びましょう。
 矛盾を解消するだけなら簡単な方法があります。あらゆる暴力を解禁してしまえばいいのです。実際、野生の世界では弱肉強食です。そして何億年もそのシステムが回っています。人類についても、本格的な「万人の万人に対する戦い」にしてしまえば矛盾はなくなりますが、そんな社会に住みたいとは思いません。そもそも、そういう状態を社会とは言えないでしょう。
 暴力の制御は社会の本質的部分です。どういう暴力を容認するかというのは、必要な価値判断ですが矛盾の温床にもなります。反戦論や死刑廃止論は、現状では公認されている暴力に異を唱える議論で、言い換えれば矛盾との付き合い方を変えようという話です。だから、それらを正しいとか間違っていると言っても、あまり意味がありません。
 社会的矛盾の解決方法の体系、すなわち正義の基本設計図をイデオロギーと言うのでしょう。同じ土地でも可能な都市計画が複数あるのと同様に、イデオロギーも多様であり、相互に矛盾しあっていて、よく揉めます。
 現実の問題に、いきなり外部から生のイデオロギーを持ち込むと、あちこちで新たな矛盾が発生して混乱やら反発やらを招き、必ず状況を悪化させます。この長屋の大家さんの口癖のひとつ「原理の問題ではなく程度の問題」というのは、イデオロギーを安易に振り回すことへの、戒めだとも言えそうです。


 豊かさで忘れられたこと

 昭和の時代の話ですが、元将棋名人の米長邦雄氏は「すべての子供は体罰を受ける権利がある」という名言?を述べておられます。別に親による全てのDVを肯定している訳ではありません。「子育ての矛盾」への対応が暴力否定の方向に寄りすぎているのを、修正しようという意図があったことは確かでしょう。この時代には、こういう話は程度の問題として解決することへのコンセンサスがあったのでしょう。
 さて、令和の現代。普段はうるさいの球界一の御意見番も、この事件には、散々歯切れの悪いコメントを残したあげく、チーム内での教育の話に話題を変えています。差別や暴力など、政治的に正しくないものは、程度の問題ではなく原理の問題として、完全に排除してしまおうというのが常識化しています。「程度の問題論」をあからさまに言うと、それだけで公の場から排除されます。どうやら、数ある近代的価値の中で言論の自由だけは、原理ではなく程度の問題として扱うことが決まっているようです。
 正義の原理化は人権の堅牢化という意味では良い事なのでしょう。また、人間が豊かになり余裕ができたことの成果のひとつなのでしょう。自然災害や肉食獣、あるいは家族以外の人間からの攻撃によって乳幼児死亡率が高かった時代には、子供が危険なことを始めたら殴ってでも止めさせるのが正解でした。やさしく言って聞かせているうちに、我が子は波にさらわれ、虎に食われ、拉致されて奴隷にされてしまうでしょう。
 あらゆる人権が理想に近い形で存在可能になったのは、土台に豊かさ有っての話なのです。その代わり、そうなると「子育ての矛盾」のような不都合な真実は、多くのひとには忘れられるようになります。けれども、今回の事例のように、大きな災害や今回のような社会システムにほころびで、いきなり矛盾が噴出します。原理ではなく程度の問題として解決する知恵が失われた社会では、これはかなり危険なことです。



巨人・阿部慎之助監督が辞任 広岡達朗氏は「残念で仕方がない」と語る 「親が子の間違いに怒るのは当然。暴力は間違い」「同じようにチーム内で選手を叱り、育てられていたのか。私にはそうは思えない」,週刊ポストセブン,


https://www.news-postseven.com/archives/20260526_2111814.html?DETAIL

ある「原理」主義者のコメント

 「子育ての矛盾」を無理矢理に、原理の問題として解決しようとして支離滅裂になった例がみつかりました。「児童虐待事件にくわしい飛田桂弁護士」のコメントです。



巨人・阿部慎之助監督の暴行事件、児相・警察の迅速対応も「長女」に批判の声...児童虐待の専門家に聞く,弁護士ドットコム,塚田賢慎 ,


https://www.bengo4.com/c_1009/n_20455/

 おそらくインタビュー取材の切り抜き記事ですから、ニュアンスなどはもしうまく表現できていなくても仕方有りません。突然コメントを求められ、専門家としてはこうとしか答えようが無いかったのかも知れませんが、それにしても私から見れば卑怯かつ無責任なコメントに見えます。申し訳ありませんが、笑えるレベルです。


 「親から子どもへの暴力が、きちんと第三者に対する暴力と同等に受け止める力を全国民が持つことが求められています」

 「求められています」というのが、50年ぐらい前からある定番の無責任スタイルです。どこの、誰が、どういう理由で「求め」ているのでしょうか。私も一応日本国民ですが、求めた覚えも求められた覚えもありません。
 「きちんと......受け止める力」という表現も鳥肌ものです。「本当に同等に受け止めるべきなのか」、という本質的な議論を省略して、「力」の問題にしてしまう......つまり「きちんと受け止められないのは力(=能力)のない劣った人である」という判断を、すり込もうとしていますね。でも、ここまで露骨だと、憤りよりも気色悪さを感じます。
 もう少し内容に踏み込みましょう。今回の事件が議論を巻き起こしているのは「親から子どもへの暴力が、きちんと第三者に対する暴力と同等」とは言い切れないと、多くのひとが思っているからです。もし、被害者が第三者(たとえば同年齢の巨人ファンの女性)だったりしたら、逮捕後すぐに釈放した警察の対応は、「有名人への忖度」と言われ、非難炎上していたでしょう。
 普通に考えれば、親子と第三者は「同等」ではないのです。けれども同時に、暴力の重大性は加害者や被害者の立場とは無関係です。こういう「子育ての矛盾」から逃げておいて、上から目線で無難なイデオロギー表示しておく。控えめに言っても卑怯で無意味なコメントですが、......まあ、面白いから引用を続けますか。


「本来、子どもの安全に関する通報・通告窓口が、一元化されていないこと自体が大きな問題です。
 今回のように刑事事件化する可能性があるケースでは、結果的には、警察への通報のほうが迅速かつ強い対応につながります。ただし、子どもにとって、いきなり警察に連絡することは心理的ハードルが高い。
 その点、児童相談所は子どもからのSOSに慣れており、比較的アクセスしやすい存在です。」

 通報窓口が「一元化されていない」と批判した直後に、「迅速かつ強い対応」の窓口と「比較的アクセスしやすい」窓口、を使い分ける話が出てきます。わざわざ御自分で矛盾を追加しておられる訳ですね。
 今回の問題は話が逆です。警察への通報を明らかに望んでいなかった被害者が児相を選んだのに、結局警察に話が行ってしまった。窓口が別でも結果的に処理が「一元化」されたことが問題なのです。ある意味でコミカルな展開になったのも、これが大きな原因だったと思います。


「今回は、児相が迅速に対応したことで、深刻化を防ぐことにつながったと思います。」

 確かに「迅速」ですが、児相がかなり無神経に対応したため問題が「深刻化」しました。だいたい、放っておいても「深刻化」などしようがなかったんじゃないでしょうか。


「海外でも、自分の子どもへの暴力は、第三者に対する暴力よりも軽く受け止められがちな傾向があります。その中で、児童相談所や警察が、家庭内の暴力であっても第三者に対する暴力と同等に対応したことは、素晴らしかったと思います。」

 タリバン支配下の原理主義家庭やアマゾン奥地の狩猟民も含む「海外」ですか......などと野暮は言いませんが、欧米「先進国」(これだって多様性がありますから一括りにするのは無理でしょ)を想定しているのなら、はっきりそう書くべきです。
 一般的に「海外でも」というのなら、あえて人類共通の見解に反する判断を、勇敢にもわが日本国の児相や警察がしたことになります。こんな褒められ方をされては、関係者は迷惑極まりないでしょう。
 「素晴らしかったと思います。」......通報者が望まない大事件なったせいで、家族全員が必要以上に傷つき、警察や児相の信用がゆらぎ、そして本物の暴力被害者が相談しにくくなりましたが、こういう副作用に全く思いが至っておられません。つくづくお気楽な方ですね。司法や行政システムの限界と不備が露わになっているのに、法律家として遺憾に思うどころか、「素晴らしい」ですか。


しかし、日本でも、親から子どもへの暴力を「家庭内のこと」と矮小化せず、きちんと第三者に対する暴力と同じように受け止める視点が求められています。

 もう一度言います。「子育ての矛盾」に対しても、従来以上に「暴力絶対禁止」のイデオロギーを適応しようとするのは一つの見解です。賛成はしませんが、有力な意見として耳を傾けるつもりです。けれども「私は......求めます」と責任をもって書けばいいところを「日本でも......求められています」などと上から目線を維持したまま逃げを打つ。こういう卑怯さや格好悪さは、「やはり法律家は杓子定規でよくないよね」という乱暴な「常識論」を強化して、体罰教師やDV親父を勇気づけかねません。人権思想そのものにまで泥を塗っているとさえ思います。


 AIが生成したコント

 今回の事件が大きく議論されている最大の原因がAIの関与です。深刻な問題でありながら、どこかコミカルさが拭えない原因にもなっています。
 報道によれば、被害者の女性は最初AIに相談しました。この時点で、もともとの親との関係、暴力を受けた経緯、受けた暴力の内容が過不足なく入力されていたのでしょうか。ここいらへんは、もし最初から警察に相談したのなら、丹念に聞き取りが行われるはずです。この種の状況をスマホで描写するのは作家でも無い限り難しいでしょう。
 AIの側だって事例が少なく対応が洗練されているとは思えません。AIが止めたせいで通報が遅れて殺された事例など発生するといけませんから、安全率を考えれば通報するほうに誘導するはずです。
 児童相談所の担当者にも同情します。ただでさえ人手不足の深夜に、訪問はもとよりあまり時間をかけて話を聞く事も難しかったでしょう。経験的な職業上の感で対応を決めるしかありません。その際、「深夜、子供がわざわざ児相に連絡してきた」という事実は有力な判断材料になるでしょう。問題は、「匿名だからとAIに促されて」ということを、どの程度考慮したが、やはり最悪のことを考えて、また公務員の原則として、警察に回す事になります。
 一番責任が重いのは現場の警察官でしょう。状況が一番よくわかるのですから。けれども、「本人が児相に相談した」という事実が重くのしかかります。防犯相談を受けていながら発生してしまったストーカー殺人などの事例が影響したのかも知れません。説諭だけして引き上げた後、重大なことになったら警視庁全体の責任問題です。
 被害者が児相や警察に通報したということが、加害者の心理に悪影響を残している可能性もあります。やはり、大事をとって逮捕ということになったのでしょう。だから、大丈夫そうだとわかると速攻で釈放されました。結果的には逮捕は行き過ぎだったことを認めたようなものです。でも、それでいいのです。
 関係者の誰もが、間違った判断や極端な選択をしたわけではないのでしょう。私がそれぞれの立場だったら、おそらく同じことをしていたと思います。けれどもその結果、国民の多くが不当だと思うような事がおこってしまいました。報道サイトへの圧倒的多数のコメントや各識者の発言からも、「今回はやり過ぎ」というのが常識的な見解だと思います。



全文 巨人・阿部監督の娘が手紙で説明「父が警察に連行された姿見て泣き崩れてしまいました」電撃辞任,サンスポ,

https://www.sanspo.com/article/20260526-3SN7APA3LFDL5OVMB45IWLDKDM/?outputType=theme_giants

 技術的な意味での原因は、最初に時点でのAIの関与の影響を誰もが処理できなかったことにあると思いますが、それでも関係者を非難する気にはなりません。AIを作る側もそれに対応する側も、あまりにも事例が少なく判断が難しい状況で、全員が少しずつ過剰に反応することで大事件になってしまった訳です。
 落語やコントの定番パターンに、「些細な問題が誤解によってエスカレートしていく」というのがあります。落語なら「金明竹」か「あみだが池」、コントなら「ゴキブリを殺した話がいつの間にか殺人事件のようになる」というようなやつです。AIが関与する事で、普段は常識的に働いているシステムが誤動作した......というのが、今回の事件のコミカルさの原因だと思います。


 原理主義の欺瞞が加速する少子化

 もうひとつ。あえて大きな論点を指摘しておきましょう。今回の事件当時、阿部監督の巨人は、東京ドームでライバル阪神に三連敗した直後でした。野球に限らずプロスポーツというものは、勝ったり負けたりするものです。スポーツ観戦に限らず、ゲームやギャンブルなど勝負事は、敗北の痛みがあるからこそ娯楽として成立しています。昔阪神が本来の弱さを発揮していたころ、甲子園で(巨人が)勝ったり(阪神が)負けたりするのを見て、ファンは選手・球団・監督をボロクソに言いながら楽しんでいました。
 けれども、負けの原因をつくったとされる選手や指導者を本気で詳細に分析して非難し、人格までも否定するとなると話が変わってきます。「怠惰だから体が動かない、弱気だから打てない、軽率だから打たれた」......親しくもない他人が言う事ですか。これはスポーツの世界だけではありません。
 経済成長が頭打ちなゼロサムゲーム社会で成果主義を持ち出すと、多くの職業人は常に非難されている事になります。なにせ普通は「勝ったり負けたり」ですから。そして負けるたびに人格を否定されていたら、社会全体のストレスが限りなく増大してしまいます。
 社会から余裕が消えて、縄文以前の野生時代や戦中戦後の貧困時代に似て来たとも言えます。こうなると「子育ての矛盾」から目を背けて擬似的に「原理の問題」として解決できる幸せな欺瞞が、少しずつ通用しなくなるでしょう。これからは一層、家族間の暴力に関しても、程度の問題として事例ごと場面ごとに丁寧に判断される知恵が求められるはずです。
 ただし、もうひとつ別の「解決方法」もあります。子供さえ作らなければ「子育ての矛盾」に、自分ごととして直面することはありません。他人の子育てを程度ではなく原理に基づいて非難する事も可能で、誠に賢い生き方です。多くの若者が家族を持ちたがらない理由のひとつでしょう。わざわざ非難される側に回るには、相当の覚悟がいります。
 今回の事件で、ジャイアンツの若手が「野球で食えるようになったら結婚して子供を作ろう」と、以前ほど思わなくなったとしたら、大変悲しく困った事です。けれどもこうした傾向は、他球団や他のスポーツにも留まらず、じわじわと若者全体にひろがっていくでしょう。
  

けったいな話

教会版町内会

 それにしても、けったいな話です。アゴラという評論サイト。玉石混淆......と
言っても執筆者の中に「玉」と「石」が混じっているわけではありません。いつ
もは知識量も豊富で読み応えのある文章を書いている著者が、突然、トンデモ記
事を書くことがあるのです。
 サプライズが出るテーマには著者ごとのツボがあるようで、オーナーライター?
のI氏は、財政や経済のことは面白くて堅実なのですが、原発のことになると推進
派というより猪突猛進派になります。歴史分野で研究者ハダシのトリビア記事を
書くY氏は、医者と京都が鬼門。ここに着火すると読んでて怖くなるほどです。コ
ンスタントに「石」ばかり書いていたのは、数年前に石屋をやめてこの長屋に拾
われた私ぐらいです。
 今回、紹介しますH氏。普段は、ヨーロッパ中心に国際政治について味わい深い
コラムを書いておられるのですが、私の見る限り今回はやっちゃったみたいです。
辺野古沖の同志社国際高校修学旅行事故について、妄想じみたことを書いておら
れます。



「右翼」と「左翼」のルーツについて、アゴラ、長谷川良、
https://agora-web.jp/archives/260426191502.html

「そしてキリスト教主義の同志社国際高が戦後、左傾化した日本基督教団と
深い関係があること、事故の背後に左翼的イデオロギーが大きな影響を与えてい
たことなどが次々と明らかになってきた」

 こう書かれてしまうと、「同志社国際高と極悪カルトとの闇の関係がついに明
るみに出た」みたいな印象ですが、実態はかなり冴えないものです。まず、日本
基督教団は、戦中に日本政府がキリスト教団体を監視する目的で、プロテスタン
ト諸派を一つにまとめるための団体でした。目的は敵性宗教の押さえ込みで、軍
歌みたいな聖歌を歌わせたり、唯一神より皇室を上位に置くように要求したりと、
無理難題を各教会に効率よく押しつけるための組織です。戦後、この異常な状態
からもとの普通のキリスト教に戻れば、自動的に左傾化になるのです。
 もうひとつ、カトリック教会との比較で言えば、聖職者の妻帯があり洗礼制度
が実質的に存在しないこと、聖書をやたらに細かく読むことなど、プロテスタン
ト諸派はラジカルで左っぽく見えないわけでもない......ぐらいの話です。だから、
日本基督教団は所属教会間で教義を統一する気はまったくなさそう。ルーツは軍
国翼賛団体だったけれども、便利だから戦後も残ったという感じです。教会版の
町内会といったところでしょうか。



日本基督教団とは、日本基督教団、
https://uccj.org/about_uccj

 さて、同志社グループとの関係ですが、大学のホームページにも、「新島がア
メリカで所属していたのは、プロテスタント教会の流れをくむ「組合教会」
(Congregational Church)でした」とあるように、同志社は自他とも認めるプロ
テスタント系の宗教教育をする学校です。だから、「日本基督教団」とは結成時
からのつきあいであったことは、「つぎつぎと明らか」になるどころか、もとも
と常識中の常識です。
「左翼的イデオロギー」 呼ばわりもどうかと思います。あるイデオロギーを信
奉する団体から危害を加えられた者が、そのイデオロギーに対して警戒ないし反
発の態度をとるのは当然の話です。日本のキリスト教徒が戦前の国体、あるいは
戦後のゾンビ国体、もしくは昨今の帯状疱疹型国体(免疫が弱るとゾロゾロ出て
くる)に親和的でないのはイデオロギーの問題というより、自己防衛的な反射で
す。線路沿いの住民が騒音に抗議し、沖縄県民が米兵の性犯罪を警戒するのは、
電車や米国人が嫌いなのでは無く、迷惑をなんとかしてくれと言っているだけな
のです。
 「事故の背景」というのも、あらかじめ言い訳を用意した便利な表現です。さ
すがに、「事故の原因は極左偏向教育」だなどとはおっしゃらないでしょうね。
「神風が吹いて抗議船を沈めた」というのと同じことだからです。単に「背景」
だけなら、ビッグバンも太陽系の形成も、人類の登場も全て「背景」です。「揚
げ足をとるな」とおっしゃるのなら、そもそも、沖縄に米軍がいることが最大の
「背景」ではないのですか。
 このひとに限らず、事故を理由に「平和教育」を批判する声がありますが、ど
う頑張っても無茶な議論です。どんなすばらしい理念の教育実践でも、安全管理
を怠れば事故は起こりえます。逆に、統一教会の洗脳研修でもオカの上でやって
いる限り、海難事故はおこりません。教育内容の善し悪しと安全には何の関係も
ありません。自然の脅威の前では、こざかしいの政治思想など何の意味のないか
らです。


 小役人の利権あさり

 それにしても、けったいな話です。文部科学省。教育現場で起こった事故は第
一義的本来は自治体の教育委員会の管轄です。いじめや校内暴力と同じです。
 ところが、今回は始めからキリスト教系学校や平和教育にケチをつけたい自民
党政治家の意を受けてなのでしょうか、文科省の小役人どもがノコノコと京都ま
でやってきました。しかも国土交通省(外局の海上保安庁)による報告が出るま
では、学校側の管理責任など議論のしようがないはずです。いったい何を調べに
来たのでしょうか。
 褒められた話ではありませんが、同志社の教員は誰一人事故現場にはいません
でした。弁解の余地のないことですが、船上に「いなかった」のですから、さら
に調べてどうなる問題でもありません。唯一やれるとしたら、乗船していた生徒
の話を聞く事ぐらいですが、事故から一月もたってから素人の文部官僚が聞き取
れることなど、たいしてあるとは思えません。
 政権与党の意を受けて、事故を口実に「偏向教育」の証拠を取りに来たとの批
判が多いようですが、小役人の嫌らしさを舐めてはいけません。明確な「偏向」
の証拠が見つかれば、戦利品として意気揚々と持ち帰るでしょうが、過去40年間、
同志社がやってきた実習なんですから、下手に問題が見つかれば「なんで今まで
見逃してきたのか」という批判が自分や先輩(つまり上司)にも降りかかります。
いくつかの小さな落ち度を指摘して、「行き過ぎや、誤解を招く点があった」ぐ
らいの線が落としどころでしょう。
 おいしいのはここからです。関西屈指の巨大学校法人に貸しをつくれば、大き
な見返りが期待できます。具体的には天下り先でしょうか......入省以来のブルシ
ット激務で消耗しきったポンコツOBを、最低でも事務方管理職、うまくいけば
教授で引き取ってもらえます......とまで言うのは、さすがに嫌み・因縁・陰謀論
の世界です。けれども、良くも悪くも官僚の本能として、彼らは所轄の民間活動
に先手先手で介入しようとします。そして、たいていの場合、介入によって適法
で退屈で存在意義の怪しい活動になってしまいます。


原因不明は陰謀論の温床

 それにしても、けったいな話です。海上保安庁。いっこうに事故の全貌を発表
しません。産経・八重山新報といったゴロツキ新聞が、気合いを入れてあら探し
をしています。これらを寄せ集めたウィキペディアの記事では、船の長さをセン
チ単位で報じているのに、転覆の瞬間は、「10時10分頃、高波に煽られ『不屈』
が転覆」「『平和丸』も約2分後にほぼ同じ場所で転覆した」とあるだけです。
 フライトレコーダーがあるわけでなし、船体が沈没したわけで無し、基本的に
は乗船者の話をまとめれば、精度はともかく一通りの事実関係は分かるでしょう。
けれども、「船の構造や整備に問題はなかったのか」、「転覆時には巡航中だっ
たのか停船していたのか」、「予定のコース上にいたのか」、「現場の水深と岸
までの距離」、「どんな波や風をどちら側から受けたのか」、「船長(船頭さん
と言うべきか)はどんな対応をしたのか」、「近くに別の船はいたのか」。これ
らの重要な情報は、事故後一ヶ月以上経過した今も以上一切発表がありません。



辺野古沖抗議船転覆事故、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BA%E9%87%8E%E5%8F%A4%E6%B2%96%E6%8A%97%E8%AD%B0%E8%88%B9%E8%BB%A2%E8%A6%86%E4%BA%8B%E6%95%85#

 船頭が操る小型船での死亡事故例には、2023年に京都保津川での川下り船のケー
スがあります。当時の報道は「大高瀬付近で舵取り役の船頭が水を掻こうとした
ところ、空振りし川に落ちた。他3人の船頭が舵を取ろうとしたがコースから外れ
岩に衝突」とあり、簡潔ですが明確な事故の経緯が記録されています。



保津川川下り船転覆死亡事故、フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E5%B7%9D%E4%B8%8B%E3%82%8A%E8%88%B9%E8%BB%A2%E8%A6%86%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E4%BA%8B%E6%95%85

 「細かい話はどうでもいい。とにかく抗議船は怪しからん」などと主張するの
は勝手ですが、報道としも批判としてもほぼ無意味でしょう。断っておきますが、
この事故はそれほど単純ではありません。
 日常的に航行している場所で、2隻の船が次々と転覆。両船から各一名だけが
犠牲になり、その後、「監視にあたっていた那覇海上保安部所属の小型船も転
覆」。かなり特殊な状況だったのではないでしょうか。また、『不屈』の船頭さ
んについては、死因や外傷の有無すら報道されていません。
 こいつまでも事故原因がはっきりしないと、「船頭さんが事故直前に急病死し
ていて操船不能だった(自動車事故ではたまにあるケース)」とか「誰かが故意
に船を転覆させた」とか「一部の生徒が船を揺らすなど悪ふざけをした」とか
「小型船にとって致命的で特殊な波が発生していた」など、常識的に見れば珍説
や陰謀論のようなものまで、仮説としては可能になってきます。
 断っておきますが、こういう突飛な推定を支持するような情報は一切ありませ
ん。極めて可能性が低い話だと思っています。けれども、これらを明確に否定で
きるだけの説得力がある公式の事故原因は、いまだに発表されていません。
 事故の詳細が謎だらけで、学校関係者を含め誰にどの程度の過失や責任がある
のかが不明のままだと、刑事責任や損害賠償などの法的な立証が難しくなり、ど
んどん遺族にとって不利な状況になります。なんでメディアは海上保安庁に食い
ついて行かないのでしょうか。


 遠巻きの自己満足

 それにしても、けったいな話です。海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民
主化を求める協議会(以下;反対協議会)。いつもは、いったい何をしていたの
でしょう。
 現在、辺野古沖は米軍基地ではなく埋め立て工事現場です。米軍幹部も日本政
府関係者も常駐していません。いや、多分いつ行ってもいないでしょう。現場に
いる末端の作業員には、基地建設に関して何の権限もありません。テロ・妨害・
嫌がらせの類いをしないのなら、反対協議会が洋上で出来る事はないはずです。
だから、数隻の小舟で現場を遠巻きにしていても、「また来てるな」ぐらいのイ
ンパクトしかありません。「自己満足」の烙印を押したいところですが、あまり
満足そうですらないので保留しておきましょう。
 反対協議会が本気で、「戦争につながる工事に協力している」と現業者に抗議
をしたいのなら、その業者の役員会や株主総会に合わせて本社(那覇か名護か知
りませんが)前で活動した方が、命がけで海に出るより、はるかに費用対効果が
大きいでしょう。陰険にやるなら、その工務店の別の現場を調べ上げて、「反沖
縄的な業者に仕事を回すな」と施主に要求するのもありでしょう。


 事実の前では偏向は無力

 それにしても、けったいな話です。同志社国際高校の平和学習。京都出身の私
から見れば、昔から同志社はボンボン学校でリスクに敏感な校風です。過剰なぐ
らい安全対策を旅行業者に要求しそうなものです。いや、実際そうだったのでし
ょう。ところが、今回の洋上実習は、牧師さんどうしの個人的つながりで企画さ
れていました。いくら宗教的・人格的にすぐれた人物でも、自然相手のリスク管
理訓練を受けているとは限りません。現地の旅行代理店が、「この船、危ないで
すよ」ぐらいの耳打ちはしたかも知れませんが、学校自身の主催となると、それ
以上強く言えるものではなかったでしょう。
 そもそも、この実習は平和学習とは言いがたいものです。繰り返しますが辺野
古の沖に出たところで、米軍や自衛隊は影も形もありません。軍用機が上空を飛
ぶのは沖縄本島のどこでも同じです。
 埋め立て工事は見えるかも知れませんが、これは平和学習というより環境学習
です。土砂をぶっかけられる珊瑚やイソギンチャクにとっては、目的が米軍基地
なのかリゾートホテルなのかは、どうでもいい話です。
 では、なぜ船を出したか。右翼メディアがよく言う「抗議活動の資金かせぎ」
というのも、あり得ることだと思います。だとしたら、生徒たちはなぜそんな退
屈なコースを選んだかというと、私の推定はオマケ説です。「あまり面白くない
基地移設反対派の話を聞いたあとは、亜熱帯の海の生き物を間近で見られる」と
いうような形で、学校側が宣伝したのではないでしょうか。埋め立て地からやや
離れた珊瑚礁の端に、船がいた理由の説明にもなる仮説です。
 一方、偏向教育という批判ですがこれは的外れだと思います。現物を見せる実
習授業は、偏向とは折り合いが悪いからです。しょぼい抗議船に乗れば、基地建
設反対が必ずしも沖縄県民の総意ではないことが、一発でわかってしまいます。
なんで支持が広がらないのかを考えてみるだけでも、学校側のもくろみとは異な
りますが、沖縄に来た意味は十分にあったと思います。
 事実の重みの前では、ケチくさい偏向などあっけなく吹っ飛んでしまうもので
す。私自身の経験ですが、某大学の学生を兵庫県南部地震の被災地に連れて行っ
たところ、瓦礫の山や広大な焼け跡では涙していた子が、避難所のお祭りでさん
ざん御馳走になり、ふと「被災地って楽しいな」と漏らしました。巨大災害のあ
と、ときには一種のアジールが生まれることを身をもって経験できたのは、こち
らの意図をはるかに越えた学習成果だったと思います。



あれから30年(後半)、この長屋、村山恭平、
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/01/06_1644.html

 話を沖縄に戻します。実習先で、基地被害や戦争の悲惨さばかりを見せるのは
不公平だ、という批判はあり得るでしょう。バランスをとるには、たとえば米軍
の広報にでもかけあって、基地見学をさせてもらい、日米安保の必要性や在中米
軍の健全性について拝聴できればいいのですが、そのような話は聞いた事があり
ません。
 修学旅行で沖縄を訪れる学校の数は膨大ですが、米軍や防衛省はアピールしな
いのでしょうか。基地必要論を学ぶ機会がないのですから、反対派の主張をとり
あえず聞いておくのを偏向と呼んでも仕方ないでしょう。


 ドナルドにはお願いしないのですか

 それにしてもけったいな話です。保守派の愛国心。彼らは、旧日本軍の沖縄で
の奮戦や献身的な住民の犠牲を美談にしがちですが、もし、元気な若者が、米軍
基地の迷惑があらわな現地でそういう話を聞けば、「自分たちも勇敢にアメ公ど
もと戦って、いつの日か沖縄を取り返そう」という気分になるのが自然です。け
れども、多くの保守派は、「米軍には目一杯協力して台湾有事では積極的に貢献
しよう」と主張します。間違っても、「台湾有事は米軍の寝首をかくチャンス」
などと口走ったりしません。
 親米保守と反米保守のねじれは深刻だといいますが、「外国軍の巻き添えや侮
辱はいやだ」というシンプルで愛国的な主張は、反米保守の中でさえ皆無です。
「実現性のないことは口にしない」というのなら、「北方領土返還」の旗印も引
っ込めるべきでしょう。
 保守派が「安保という名の米軍支配」を容認するのなら、旧日本軍の戦いをど
う評価するのか、かなり困った事になりませんか。「国のために命を捧げた人に
敬意を表するのは、イデオロギーや敵味方を越えて当然のこと」と逃げるのなら、
なぜ訪日した米国大統領を靖国に連れて行こうと誰もおっしゃらないのでしょう。
はるばる広島まで足を伸ばしたオバマ大統領(当時)も、帰り道に九段の鳥居を
くぐろうとはしませんでした。ちなみに、日本の総理がワシントンを訪問した際
には、アーリントン墓地に参拝するのが慣例になっています。日米英霊格差と言
うべき屈辱的状況でしょう。
 この春、ワシントンで喧嘩......じゃなかった献花をした高市総理は、一般的な
アメリカ人が抱いている「正義の戦没者と戦犯戦没者の区別」を、認めるのでし
ょうか。そうでないなら、一刻も早く行動するべきです。いきなりドナルドにお
願いするのは敷居が高いというのなら、まずはご近所のよしみで韓流ドラマー氏
を、英霊たちの社にご招待申し上げてはいかがでしょうか。



高市首相、アーリントン墓地で無名戦士の墓に献花...帰国の途に、読売新聞、

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20260321-GYT1T00096/

  旧日本軍の壊滅的な敗戦と現在の在日米軍の特権的地位......その両方が一番よ
く見える場所が沖縄です。矛盾に目をつぶっているのか、矛盾に気がつかないの
か知りませんが、政権に近い劣化保守が、無神経な平和運動批判を繰り返して、
かえって南の島の国防を脆弱化している。これが一番けったいな話だと思います。



反国防的活動、この長屋、村山恭平、
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2026/04/27_1726.html

反国防的活動

 那覇から帰って来ました。前回の訪問時には、西田参議院議員の「ひめゆり失
言」がありました。今回も、辺野古での沈没事故。もしかしたら私は疫病神では
......などと、一瞬自意識過剰になりましたが、よく考えてみると毎日のように同
じような事件が、沖縄ではおこっています。


 辺野古問題の始まり

 たとえば、先日の「沖縄タイムズ」の第一面の記事。


政府、沖縄県内移設に固執 米軍ヘリ岩国案に反対 日米協議「前提損なう」
 普天間返還合意、きょう12日で30年
、沖縄タイムス、

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815381

 30年前、せっかく「海兵隊の大型輸送ヘリコプター基地を普天間から、広島県
の岩国への移転」を米側が提案してきたときに、こともあろうに日本政府が話を
潰してしまったというものです。移転話が表に出て、「本土」での与党票を減ら
すことを危惧しての政策なのでしょう。「日米安保の負担は君たち離島の二級国
民が一手に引き受けなさい」という、自民党政権からの大変分かりやすいメッセー
ジになっていました。
 反対理由は「海兵隊との一体的運用を損なう」とのことですが、天下の合衆国
海兵隊に軍事指導しちゃったわけです。随分大胆な話です。おそらく鼻で笑われ
たと思われますが、これが辺野古の新基地建設につながったのですから、笑い事
ではすみません。
 けれども、沖縄タイムスのスクープは県外のメディアでは、大きな扱いにはな
っていません。県民と県外の間で認識ギャップが、少しずつ広がってきているよ
うです。


 維新らしい斬新な失言

 同じ紙面のお隣の記事。これは最近の話です。
 那覇に来ました。前にもこちらで原稿を書いた時、西田参議院議員のひめゆり
失言がありました。今回も、辺野古での沈没事故。もしかしたら、日頃行いの悪
い私のせいで......などと、一瞬自意識過剰になりましたが、よく考えてみると、
規模の大小はあれ、同じようなタイプの事件は沖縄で毎日のおこっています。


PFAS「反国防的運動に使われているのでは」 衆院環境委で維新議員が持論 
汚染不安の訴えに誤認識、沖縄タイムス


https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815382

維新所属の北関東の地方議員が、「一連の沖縄でのPFASへの抗議行動は、思
想的に偏った反国防運動だ」という趣旨の言いがかりをつけた、という話です。
「反国防」とはまたすごい表現ですね。とりあえず一回、笑っておきましょう。
 発言のなかで、その議員は「PFAS(の有害性は)医学的にも科学的にもま
だ証明されていない」ということを上げていました。この部分だけなら、私も支
持できます。有機フッ素化合物(以下PFAS)には膨大な種類があり用途も毒
性も違うのに、一括りにして議論されています。問題の発見直後は仕方ないにし
ろ、こんな大雑把なくくりで規制だの安全基準だのと言い出すのは、とても科学
的態度とは言えません。けれども、この議論を持って行く相手は沖縄では無く、
環境庁のはずです。
 PFASについては、環境上の努力目標であったのが、本年4月から規制化さ
れたような状況ですから、他県民と同様に沖縄県民が不安に思い、水道関係者が
対応するための協力を米軍関係者に求めるのも当然のことでしょう。


 軍用機には消火器がつきもの

 先日、嘉手納基地での「アメリカフェスト2026」(要は米空軍の「学園祭」)
を見てきました。わずか数時間の滞在でしたが、米軍基地内は実質治外法権だと
いうことがよくわかりました。
 入場者に野戦用のタンクから飲料水を呑ませたり(食品衛生法違反?)、機関
銃の台座に子供を座らせて引き金を引かせたり(弾は無くとも銃刀法違反?)、
やりたい放題。圧巻は飛行場上空での花火大会です。羽田や関空で同じ事をした
ら、所轄の消防署が激怒するでしょう。
 会場ではオスプレイを含む10機程度の米軍機が展示してあったのですが、そ
れぞれ機首の前に大型洗濯機サイズの消化器がおいてありました。戦闘が身近に
ある米軍は、「飛行機は時には炎上するものである」と、はじめから織り込んで
いるようにも見えます。ちなみに、横にあった航空自衛隊機の前には消化器はあ
りませんでした。
 おそらく、嘉手納では通常の空港よりは頻繁に消火訓練が行われているはずで
す。また、滑走路の舗装も通常の空港よりかなり簡単なもので、ひび割れも多く
何か液体を流せば簡単に地下水層まで染みこむでしょう。基地周辺には大規模な
化学工場はありませんから、常識的に考えればPFASの出所は米軍しか考えられま
せん。水道局が、詳しい調査をさせてほしいと言うのは当然です。
 水道水は県民だけでなく、米軍将兵や家族も飲むものです。安全な水を提供す
るのは、日米地位協定上も義務のはずです。水道関係者と基地関係者との間で技
術的に協力しあえる部分はあるはずで、こういう地道な活動を通じて人間どうし
の、あるいはプロとしての信頼関係を現場で作ることは、「国防上」も必要なこ
とだと断言できます。


 国防の基礎は不愉快さの最小化にある

 沖縄在住者が、米軍に何かを要求をすると、仮にそれが些細のなことや当然の
こと、あるいは簡単に対処できることでも、ただちに政治的な「極端な」反米運
動と考えて糾弾するのは、失礼でありかつ愚かなことです。
 80年前、私たち「内地」の日本人は、沖縄を捨石にして「国体」を守る事を選
びました。その後、「国体」は日米安保体制を選び、私たちはさまざまなかたち
で利益を得て、沖縄の人たちはさまざまなかたちで迷惑を受けています。
 県外での、沖縄に対する思いやりのない発言や礼を失した行動が、少しずつ積
み上がっていけば、「本土の連中のために誰が犠牲なんか払うものか、むしろ戦
中・戦後の貸しを回収させてもらう」という考え方が多数派になっても仕方ない
でしょう。
 米軍基地を支える電気・水道のインフラ、県内基地間の道路、そして約5万人
の米軍関係者(軍人・軍属・家族)の食料・医療などは、県内の民間人の協力が
なければ、とても確保できるはずがありません。有事の場合、これらは米軍の士
気や戦闘能力に大きく影響します。
 県民にとって米軍は不愉快な隣人たちです。米軍将兵のほうだって、同じよう
な気分でしょう。だからこそ、お互いの不愉快を最小限にして、間違っても許容
範囲をこえるようなことが無いようにするのが、日米安保体制下での国防の基礎
のはずです。政治家の無神経な発言は、仮に内輪向けのものでも、明らかに無知
に基づくものでも、かなりタチの悪い反国防的活動だと言えるでしょう

恐れていた事

 この長屋では、北陸新幹線をはじめ公共事業などの技術論を書いているつもりですが、あまり一般的には注目されていない危惧も指摘するよう務めてきました。
 見方によっては、重箱の隅のあら探しです。けれども、記事にした「恐れていた事」の2つが、立て続けに現実化してしまいました。報告しておきます。


 鋼鉄のタケノコは二度死ぬ

 暖かくなってきました。春と言えばタケノコ。今年の出色は、一夜にして梅田の路上に生えた、高さ13mの鋼鉄製の「タケノコ」です。不謹慎かも知れませんが、生えて来るところを是非ともライブで見たかったと思います。
 原因は多分浮力です。人間の心理なのでしょうか、物が沈んでいく事に関しては恐怖心が働くのですが、沈んでいた物が浮き上がってくることはあまり気にしません。そういえば、鹿児島の道路トンネルの崩壊事故もその例でした。

本当は恐ろしい浮力の話(この長屋),村山恭平,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/08/29_0556.html

 今回の「タケノコ」騒ぎも同型の話です。正体は鋼鉄製のパイプ、大雨のとき地下3mの下水(雨水)管から24m下にある地下貯水層へ汚水を落とすための縦の送水管だったそうです。つまり巨大な雨樋です。
 こういう場合、通常の工事ではまずは穴を掘りながら上のパイプと繋いでいきます。たぶん作業中に少しずつ地下水が浸入して来るでしょうが、底の部分が完成したらポンプで吸い上げて捨てます。こうすれば中は空っぽになります。
 なにしろ水を一切通さない直径3.5m高さ27mのパイプを地下に立てるわけです。地表から地下27mまでの途中に地下水の層があれば、そこからパイプの周囲を伝って水が下へ落ちて行き底に回り込んで貯まりはじめます。
 地面の下に巨大な注射器を押し込んだようなものです。血液検査のときなど、注射針を刺しただけで、ピストンを引かなくても注射器の中に血が入ってきます。低血圧症などで血が貯まらない場合に、力づくで医師がピストンを操作して血を吸い上げることを強行採血と言います......嘘です。
 梅田の地下は「高血圧」だったのでしょうか、鋼鉄パイプは穴底に貯まった水に浮かぶ形でどんどん持ち上げられ、地上に出てきたのです。
 報道では「浮力あるいは地下水の圧力」などいう表現もありましたが、実は同じ物です。水中で物体が受ける圧力のうち、「上から下に押し込む力」と「下から上に押し返す力」を比べると、水深が深い分だけ後者の方が大きいのですが、その差が浮力になります。大きさは、水に沈んでいる部分の体積に比例します。
 船の設計などでは、積分なんぞを使った面倒な計算になりますが、今回の「タケノコ」は、直径3.5mの円筒で、これ以上ないほど単純な形です。上面は空中に出ていて側面は鉛直ですから、底面にかかる水圧がそのまま浮力になります。13m飛び出した状態では、地下に残っている部分の体積は、1.5 × 3.5 × 3.14 × 17 で、だいたい650立方mぐらいですから、浮力は最大で650t分になります。鋼鉄管の重さは約56t。まだまだ余力があるのに上昇が停まったのは、地下水の深さのせいでしょう。パイプの長さは約30mで地上に13m出ているということは、地下17mまで刺さっているということで、ここいらが地下の水面なのではないでしょうか。

大阪の鋼鉄管最大13m隆起...専門家「地下水の圧力でありうるが、これだけ
巨大な事例聞いたことない」,読売新聞オンライン,
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260311-GYT1T00407/

 この「タケノコ」ですが、中に水を入れると浮力に対抗できる重さになり、ズブズブと再び地中に沈んでいきます。なにしろ注射器のようなものですから、上から押してやれば沈みますが押すのをやめれば浮き上がります。だから最後に地上に残った1.6mほどの先っぽは、切らない方がよいでしょう。先っぽが無くなればパイプは軽くなり、その分また地上に上がってきそうだからです。
 もともとの目的が大雨時の送水管なのですから、完成後、平時には常に鋼鉄管の中を空っぽにしておかなければなりません。大阪市は地盤の補強が終わったら再び鋼鉄管内の水を抜いて工事を続行するとのことですが、やめた方が良いと思います。
 今回の事故でさらにはっきりしたのは、この地域は地下水が多く地下にある中空の構造物は、浮力で浮き上がって来るリスクがあることです。周辺に固着剤を流し込んで鋼鉄管を周辺の地盤にくっつけるとの事ですが、なにせ軟弱地盤です。固着したはずの土砂ごと持ち上げられ、「タケノコ」の回りに土砂の衣がへばりついて、もう一回、上がってくることになりかねません。地元の人は絶対に許さないでしょう。大阪では「二度漬け禁止」は常識です。いつまでも「タケノコ」にこだわらず、最初から設計をやりなおすのが、実は一番早くて安上がりなのではないでしょうか。

 身近な市街地でも、地下のことは案外見落とされているものです。たとえば、降った雨のほとんどは地下水になるのに、その先の流れはほとんど解明されていません。ですから、十分な地質データの無い場所や大深度地下での工事では、これまでの常識では考えられないような問題や、経験したことのなかった事態が発生するのです。
 ところで、浮力と関係ないところでも、地下水によってよく考えてみると恐ろしい事態が進行しています。見てみましょう。


 甘過ぎた私の危惧

 福島第一原子力発電所に関して、先日、ある報道がありました。内容は2022~23年ごろの調査です。2026年3月9日付けの朝日新聞の朝刊一面でしたが、スクープというより、どちらかと言えば地味な震災記念日がらみの回顧記事です。けれども、見出しを見て冷や汗が出ました。

原子炉直下に新たな想定外「消えたコンクリート」 15年後の今も謎,朝日新

https://www.asahi.com/articles/ASV2W33C4V2WUTFL01BM.html

 やっぱり来たか......恐れていた老朽化がいよいよ始まったようです。地震翌日にメルトダウンして以来、いまだに大量のデブりが残る一号機。原子炉本体とも言える格納容器を支える台座の中心部分で、鉄筋だけを残してコンクリートがゴッソリと無くなってしまっているようです。
 現場の担当者の方は、「横からの支えもあることなどから、大規模な損壊に至る可能性は低い」などと呑気なことをおっしゃいますが、とんでもない話です。調査で分かったのは「中心部分が無くなっている」ということだけで、当てにしている周辺部分がどの程度残っているのかは不明です。
 下に破片がほとんど落ちていないことから考えて、台座のコンクリートは「崩れた」というより「溶けた」ということです。あるいは両方かもしれませんがメカニズムは不明。今後、崩落(熔解?)が進行しないと考えるのは、あまりにも楽観的でしょう。
 地震や津波などのリスクもあります。明治になってから3回も大きな津波が来た場所です。無視できる危険ではありあせん。いずれにせよ、格納容器がそう長く保つことは期待できません。この前の記事で、「どんなに頑張っても、あと100年もすれば建屋が崩壊」と書きましたが、見積もりが数10年単位で甘かったようです。

新春備忘録(この長屋),村山恭平,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2026/01/14_1820.html

 鉄筋コンクリートのジレンマ

 最近まで知らなかったことですが、鉄筋コンクリートは鉄筋のないコンクリートよりも寿命が短いそうです。理由は鉄筋が錆びるからです。ローマの円形競技場が残っているのも鉄筋が入っていないからとのことです。
 それでは、なんで鉄筋なんか使うのでしょうか。コンクリートは押しつぶす力には滅法強いのですが、引っ張られるとたわいなく割れてしまいます。タイルを考えると分かりやすいのですが、少し腕力のある人なら普通の10cm角のタイルをへし折るのは簡単でしょう。しかし、たとえレスラーや力士でも、壁に張ってある同じタイルを、指で押しつぶすのは無理でしょう。
 地震時など、コンクリート製の柱や壁を引き延ばしたりねじったりするタイプの力に備えて、補強をするのが鉄筋なのです。だから、地震国ほど建物に鉄筋をしっかり入れる必要があります。
 これまた不謹慎な話ですが、ガザやキーウの爆撃で倒壊しかけているビルは、えらく安普請に見えませんか。けれども地震の少ない地域の建築はあれぐらいで十分です。それを、わざわざ壊しに来るほど人類が馬鹿なのは、設計者やコンクリートの責任ではありません。
 けれども、鉄にも弱点があります。国内の普通の建物では、何十年かすると鉄筋はさび始め、元に戻ることはありません。さびが進むと鉄筋は膨張して周囲のコンクリートにひびが入り、そこから入った水分でさらに鉄筋がさびるというという悪循環が始まります。
 古いビルの外壁が剥がれて、中から赤茶けた鉄筋が顔を出していることが時々ありますが、そのビルは倒壊への王道コースを進み始めたことになります。ここまで来てしまうと、いくらお金をかけてもメンテナンスすることは困難です。コンクリートの中にある鉄筋を全て新しい物に取り替えることなど不可能だからです。中古マンションなどでこういう個所を見つけたら、いくら外見が丈夫そうでも絶対に購入しようなどと思わないで下さい。
 まとめて言えば、耐震などの「短期的な丈夫さ」と「長期的な安定性」は、本質的に矛盾しているのです。鉄筋を減らせば地震に弱くなり、増やせばさびのリスクが増えるからです。


 メンテが分けた二つの被曝建築物

 ただし、建築時に鉄筋のさびを防ぐ工法や完成後のメンテナンスで、鉄筋の寿命も延ばすことも可能ではあります。たとえば、広島の原爆ドームは1912年の完成で、終戦の時点ですでに耐用年数に近かった可能性があります。被爆で福島よりもはるかに強烈な熱と放射線と爆風を浴びているのですが、その後、80年にわたって(少なくとも台座部分は)原型を保っています。戦争遺構になったことで十分なメンテナンスが行われ、築後100年以上残っているという訳です。まさに歴史の皮肉なのですが、原爆投下がなかったら、おそらく戦後の早い段階に老朽化で取り壊されていたことでしょう。
 では問題の福島の原子炉格納容器はどうなのでしょう。まず、完成は1970年頃、海砂やアルカリ骨材反応などの問題が知られる前の施工ですから、もとのコンクリートとしての完成度は期待できるとは思えません。
 また、原子炉の寿命は40年とか60年とか言われているわけですから、百年単位の使用を前提に設計されたはずがありません。むしろ、短期的な丈夫さを優先して鉄筋を多様するのが常識ですから、さびに対してはあまり工夫のない、当時の普通のコンクリート基礎だったのでしょう。
 そして、「そろそろ寿命かどうかをチェックしよう」という時期に、震災が起こったわけです。もともと耐用年数が近づいていたときに、地震・津波・メルトダウン・水蒸気爆発・海水の流入とダメージのフルコースを耐え忍んでいるのですから、最初の設計施工者はある意味でヒーローです。けれども今後はどうなるのでしょうか。
 もちろんメンテなど夢のまた夢です。格納容器には人間が近づけないですから。それどころか、デブリで加熱された海水が常に循環し、弱くなったとは言え今でも放射線にさらされているのですから、これまでと同じかそれ以上のスピードで、腐食が進んでいくでしょう。


 呑気な現場と忍び寄るXデイ

 さて、その現地で何が行われているかと言えば、デブリの取り出しです。いつ終わるのでしょう。事故から10年以上たって、「0.9グラム取り出せたぜ」と技術者が興奮している状態です。デブリの総量は880tで取り出せた量の約10億倍。
「100億年仕事。それまで太陽系がもつかどうか」とか「ウランの半減期は最大47億年だから、そのころには放射線もかなりマシになってるやろう」などと嫌味を言うつもりはありません。
 けれども、デブリ取り出しの完了時期は、東電「大本営」の発表では、本格的な取り出し開始が2037年以降、建屋の解体終了が2051年ごろとのこと。怪しげな数字が並んでいます。ほとんどの関係者や科学・技術者が鼻で笑う、この楽観的な見積もりでさえ、取り出し終了は今から25年後、つまり震災から今までよりも長い期間になり、そのころには一号機は築80年を迎えることになります。格納容器が頑張りきれるかどうかは、微妙なところだと思います。
 デブリの受け入れ先問題なども無視した楽観的な工期見積もりでさえこれなのですから、格納容器のコンクリート劣化問題は深刻だと言わざるを得ません。最悪の場合、2040年ごろのある日、一号機の格納容器が建屋ともろとも倒壊してしまい、大量のデブリが外気に露出し、それまで健気に汚染水を除染していたALPSも停止するでしょう。
 こうなると敷地に近づくことすら危険ですから、事故の対処どころか逃げ遅れた人の救助も不可能です。大気中や海水中の放射性物質は海外でも観測されるまでになり(チェルノブイリ事故では日本国内のモニタリングポストにさえ異常値が出ました)、なすすべも無く汚染物質を垂れ流し続ける日本は、世界中から呆れられ天文学的な損害賠償を求められるでしょう。
 最後に私なりの対策を書いておきます。まず、デブリの取り出しは早期に諦めるべきです。出来そうもないことに経費と人員、そして何よりも時間を費やすべきではありません。諦めきれない夢(ここでは完全な現場の除染)のために、着実に危険が増す事を放置しがちなのは私たち日本人の(あるいは人類の共通の)悪い癖です。
 地元福島県の方には本当に申し訳ないのですが、デブリを含む放射性汚染物はその場で密閉処理するより仕方有りません。具体的には、まず、既存の原子炉施設(格納容器や圧力容器)が曲がりなりにも機能して放射線を遮蔽できているうちに、周囲に土手を作るような方法で建屋もろとも隔離してしまい、最終的には埋めてしまうより仕方有りません。そして、一帯の地下水やら海水やらをくみ上げて、冷却と除染を続ける......こんな方法しかないでしょう。
 それで何とかなるのかと聞かれたら、「分かりません。無理かもしれません。多分無理でしょう」としか答えようがありませんが、今のままデブリ相手のママゴトで遊んでいて、「突然の倒壊で手の付けようもなくなる」となるよりは、はるかにマシだと思います。少なくとも、日本は最後の最後まで勇敢に戦い抜いて破綻した国家として、と歴史に名を残すことができるからです。

 青少年に有害なコンテンツを勝手に送りつけて、後日、料金を取りにやってく
る......こんな反社のような押しつけ商法が野放しになっています。もっとも予防
法はわりと簡単で、テレビを持たなければ良いのです。学生などひとりぐらしの
若者は、「NHKが来る」という理由で、はじめからテレビ受像機を買わないよ
うになっています。
 けれども、有害コンテンツ自体は野放しのまま。言論の自由とは誠に難しいも
のです。一般的には、気に入らない番組なんか放っておけば良いのですが、明ら
かに誰かを傷つけたり、セキュリティーやプライバシーを侵害したりする表現を
見かけたとき、どうしたらいいのか。さらに、事実関係は正しく表現に穏当を欠
いていないけれども、この発想が社会に広まってはマズイと思われる場合などど
うしたものでしょう。
 やはり言論には言論で対抗するのが筋というもの。特に、若い時に税金で教育
を受けた人間は、自分の専門分野に無茶苦茶な話が広まるのを止めにかかる義務
があるように思います。
 前にも書きましたが、私はNHKの「プロジェクトX」は有害コンテンツだと
思っています。嘘八百並べているとか、詳細で迫力のある性的動画の宝庫とかい
うのでありませんが、番組の根本にある科学技術思想を、社会が共有してほしく
ないからです。「科学技術は万能で、解決できない問題はない」という、「理化
学的根性論」とか「技術者ドラえもん化思想」とか「ヘルメットをかぶった水戸
黄門」とでも呼びたくなるやつです。
 同じNHKでも「魔改造の夜」などは、失敗の重要性を教える優良な番組だと
言えます。本当に新規性のあるプロジェクトは、構想段階も含めれば99%失敗す
るという経験則があるようですが、私に参画させていただければ、あと1%上乗せ
する自信があります。

 トンネル穿かず、見方を穿て

 今回、私が見逃せないと思ったのは、2026年1月24日(土)に拡大版で放送され、
いまでもNHKプラスでも視聴可能な、「新プロジェクトX~挑戦者たち~」にて
「半世紀の悲願 北陸新幹線~飯山トンネルを穿(うが)て~」です。


半世紀の悲願 北陸新幹線~飯山トンネルを穿(うが)て~,NHK,
https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-P1124VMJ6R

 最初に断っておきますが、内容の真実性にケチをつける気はありません。それ
どころか、大きな落盤があっても、一人の犠牲者も出さなかった熊谷組などの安
全管理には、最大の敬意を払うつもりです。
 けれども、いかがわしいのは「悲願北陸新幹線」「トンネルを穿て」といった
昭和的な見出しが、「小浜・京都ルートも頑張ればなんとかなる」というメッセー
ジを含んでいることです。念のためもう一度結論を言いましょう。いくら頑張っ
ても、何ともならんもんは何ともなりません。飯山と丹波では条件が違いすぎま
す。小浜ルートが不可能性に満ちた悪夢のプロジェクトだという話は、これまで
に記事30本も書いてきたので、いまさら焼き直しをしても仕方ありません。今回、
飯山トンネル関連を調べていて新たに分かった事を書き留めてみましょう。
 まずはトンネルの長さです。現在の発表では、新小浜駅(仮称;以下同様)か
ら京丹波市のあかり区間まで35kmほどのトンネル(仮に「東小浜トンネル」と
呼びましょう)に対して、飯山トンネルは23km以下でかなり短めです。
 貫通までの工期は、飯山が約7年半とのことですが、乱暴に計算すると23000m
÷(7.5×365)で、一日あたりの掘削速度が8.4mということになります。工区
の数は6で、両端の工区では各1か所、それ以外の4つでは各2か所の「切羽(き
りは)」があります。切羽とは掘削作業の最前線となる場所のことで、合計10か
所の切羽で同時にトンネルを「穿って」いたということです。
 一つの切羽の掘削速度は平均で0.8~0.9m/日ということになります。多めに
見積もって1.0m/日としましょう。ちなみに、この見積もりは以前の北陸新幹線
の記事で私がしたものと、大きく変わりません。


竹槍戦隊大本営【北陸新幹線 その12】,長屋(村山恭平),
http://nagaya.tatsuru.com/mt/mt-search.cgi?search=%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93&IncludeBlogs=17&limit=20&button=

 では、長さ35kmぐらいはある問題の「東小浜トンネル」について計算してみま
しょう。予定の掘削期間は15年とされていますから、最低でも6か所の切羽が必要
で、工区を4つ以上に分けることになります。両端以外の中の工区は斜坑を作って
現場の地下まで行き、トンネルの中程から掘り始めるしかありません。
 工事中に斜坑から運び出す残土の量を計算してみましょう。トンネルの断面積
は80平方m。毎日1m進むとすれば、80立方mで約200tの残土が発生します。1つ
の工区には切羽が両側に2つありますから、斜坑から出てくる土砂は400t。10t
積みの大型ダンプで40回分。往復で80回、ダンプが毎日通る作業道が、斜坑から
最寄りの幹線道路(国道162号しかない)まで必要になります。1日に16時間(た
とえば朝6時から夜10時まで)稼働したとしても、1時間に5台。つまり、15年間に
わたって12分に一回は大型ダンプが走りことになり、そんな道はとても生活道路
としては使い物になりません。そのため、土砂搬出要の専用道路が必要になり、
それだけでも結構な環境破壊です。用地買収に応じる地主がどれぐらいいるので
しょうか。それやこれやで掘り始めるまでに数年は要するでしょう。着工後の
「土埃」とか「騒音」とか「交通事故」とか「道路沈下」とか言わないで下さい。
そこまで面倒見切れませんから。
 そもそも、作業道以前に斜坑自体がつくれるのでしょうか。トンネルの半分以
上(20km前後)を占める京都府内の2市のうち、北よりの京丹波市は熱心な新幹
線反対派で、早くから議論を先取りして、わざわざ「斜坑」という言葉を使って
拒否宣言をしています。南よりの京都市も市議会が反対決議を上げています。も
し彼らを説得できるとしても何10年単位の時間がかかるでしょう。その問題を回
避して、斜坑なしで20kmのトンネルを一気に「穿つ」と、27年以上かかることに
なります。まあ、どっちにしろ30年仕事、非常に気の長いことです。

  想定された想定外と想定外を想定しない行政

 これまでの計算は全てが順調にいった場合の話です。「プロジェクトX」に出て
くる飯山トンネルでも落盤などのトラブルはありましたが、東小浜トンネルでも、
せいぜいその程度(おいおい......)のトラブルで済むと仮定しての工期計算です。
 状況を比べてみましょう。長野・新潟県境にある飯山トンネルのルートは、飯山
街道と呼ばれた古くからの交通の要路で、現在は国道292号など多くの道路が併走
しており、古くから開発されたエリアです。だから、地元の建築会社などにはか
なりの地質データの蓄積があったはずです。
 さらに、トンネルを掘るに際しても、十分な時間と人員とコストをかけた調査
研究が行われていました。着工の12年前にすでに、現地での工法に関する研究論
文まで書かれています。最終的には、この専門雑誌だけで、「飯山トンネル」が
表題・副題になった論文が13本掲載されました。十分な調査と研究に基づき、満
を持して工事を始めたことがよく分かります。


 膨圧層克服に自信を深めた飯山トンネル 北陸新幹線調査坑試験報告,鉄建公団
他,
 トンネルと地下6月号,1988,
 https://tunnel.ne.jp/underground/3829-6052/

 一方、我らが「東小浜トンネル」は、手つかずの自然林と言われる「芹生の森」
付近を延々と行くルートで、併走する国道どころかまともな道路もほとんどなく、
集落さえ皆無な場所に「穿ち」に行くわけです。地質データの蓄積など皆無でし
ょう。
 ルートが決まっていないので仕方ないのかも知れませんが、上に引用した学術
専門誌にも敦賀以南のトンネルに関しては、いまだに(2026年2月現在)1本の論
文も出ていません。それでも「今年度中に着工を」などと叫ぶ人がいます。「目
をつぶって突撃せよ」と言われるのと同じですから、現場で何がおこるか不明で
す。
 敵情を調査研究し、それに基づく戦術を徹底的に訓練して事に望んだ「真珠湾
攻撃」と、相手の戦力を甘く見て突っ込んだ「ミッドウェー海戦」の違いで、す
でに結果は目に見えています。
 こんなことを書くと、「また年寄りが悲観的なことを言って社会の足を引っ張
る」などと言われをうえですが、「着工後に想定外のことが次々とおこり、いつ
まで立っても完成時期の予想や建設費の全体像すらわからない」という泥沼状態
は、リニア中央新幹線や北海道新幹線の現場で、今実際におこっていることです。
 そのリニアや北海道に関してさえ、上記の専門誌に多数の研究論文が掲載され
ています。だから論文0ということは、ゼネコンの研究部門でさえ「東小浜トンネ
ル」については、ほとんど何の知識も何の準備もないとしか思えません。もしか
したら、着工となっても落札する気がはじめから無いのかも知れません。大手が
見向きもしなかった万博工事の悪夢が思い出されます。

 少なくとも、小浜ルートの工期や工費に関して現在発表されている数字は、専
門家が資料に基づいて計算したものではなく、ただのファンタジーです。いつも
のポエムで申し訳ありませんが、工期はエンドレス、工費はプライスレス、採算
性はホープレスということになります。それでも、とにかく着工してしまおうと
する小浜ルート関係者の度胸と無責任と反知性主義に、改めて悪寒が走る思いで
す。

 令和の川口浩探検隊

 プロジェクトXからだいぶ話がそれました。今回、飯山トンネルについて調べ
ていて、一番笑ったのは、トンネルコースの1km横に「地滑り資料館」という博
物館があったことです。同館によれば、約700年前の鎌倉時代末にはすでに付近が
地滑り地帯だということはよく知られており、人柱伝説にまで作られていました
(伝説どころか人柱と思われる人骨まで出土しました)。同館の開館でさえ
1992年ですから、2000年の着工時点では付近一帯が「ブランド物」の地滑り地帯
であることは、周知されていました。


 人柱供養堂,新潟県,
 https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/jouetsu_sabou/1354572113082.html

 トンネル工事中の地滑りによる落盤事故も、ある程度は着工前から織り込まれ
ていたから、犠牲者が出なかったのでしょう。これはもちろん偉大な事なのです
が、いわば「想定された想定外」で、「プロジェクトX」が描く、「突発事故に
現場が機転と根性で対抗した」というシナリオとは随分と印象の違う話です。現
場の技術力や決断力には大きな敬意を払いますが、それが発揮できたのは事前の
地味な準備と、それを容認した経営陣や施主である行政があってのことです。逆
に、想定を怠ったための想定外は、たいてい大惨事になります。
 「テレビなんだから仕方ないじゃない」と言ってしまえばそれまでですが、だ
とすれば「プロジェクトX」は民放のバラエティーと大差ないということになり
ます。政財界はともかく教育関係者からもそれなりに評価されている分、タチが
悪いとさえ言えます。有害番組だという根拠はここにあります。
 現実の医師がドクターXではなく銀行員が半沢直樹ではないのと同様。現場技
術者は川口浩探検隊長ではありません。出来ない事は出来ないのです。


川口浩探検シリーズ,テレビ朝日,
https://douga.tv-asahi.co.jp/program/37089-37088

 何を考えているのでしょうか。「北陸新幹線延伸ルート、維新が8案の再検討
要求...与党PT」,「出直しダブル選挙」,「自民党と日本維新の会が85選挙区
で激突」......批判派はもちろん、維新の支持者でも意図がさっぱりわからないと
嘆いています。
 関西万博の収支をなかなか公表しない事やいわゆる国保逃れなどは、褒められ
た話ではありませんが、よくある問題の範囲です。けれども、昨秋以降の維新は
トチ狂ったとしか言いようのない政策が続いています。

 時間稼ぎで嫌がらせ

 まず、北陸新幹線の新大阪延伸問題。京都・小浜ルートの目処が立たない中で
の米原ルートの再検討は、昨年の参議院京都選挙区での維新候補の公約ですが、
なんで8本ものルートが出てくるのでしょう。中には、これまで誰も提案したこ
とのない珍妙なルートまで含まれています。
 たとえば小浜・舞鶴・京都のルート。何しろ、湖西線と比べて距離が2倍近く
にりそうな上、最速列車でも舞鶴に停まるとすると、京都・敦賀間の時間では現
行のサンダーバード(約52分)どころか、新快速(約90分)にも負けかねません。
料金も2倍以上でしょう。丹波山地の長大トンネルや京都盆地の大深度地下工事
などの致命的欠陥は、現状の京都・小浜ルートと同等かそれ以上です。さまざま
な延伸ルートの欠点だけを集めてきたようなプランです。
 ただの当て馬(他のルートをマシに見せるため)なのかも知れませんが、北陸
新幹線の一日でも早い延伸を素直に期待している人から見れば、時間稼ぎの嫌が
らせにしか見えません。実際、こんな代物の検討資料を作らされる現場担当者は、
たまったものではありません。
 この件は、昨年末、下の記事にまとめましたので、興味のある方はお読みくだ
さい。

小浜ルートの駆除が始まった  【北陸新幹線 その28】
村山恭平
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/12/22_0935.html


 アホな有権者に再挑戦

 うんざりするのが都構想です。大阪府市政を牛耳っているのに2回続けて住民
投票で否決されたことを、もう一回住民投票にかけようというのです。自分の任
期中はやらないと言っていた吉村知事の心変わりです。というより、与党になっ
て本音がうずいたのでしょうか。
 政治家が前言を撤回することは、必ずしも悪い事ではないと思いますが、大き
な説明責任が発生します。吉村知事の場合、過去2回の住民投票の結果をどう評
価するかということを明言すべきでしょう。理論的に考えれば、次の3つの可能
性しかありません。

 1)否決されたときと、今回は状況が大きく変わった。
 2)否決されたのとは、今回は別の提案をもってきた。
 3)否決は誤った判断だと考えている。

 順に検討しましょう。
まず、否決時点と比べて状況が変わった事は、維新が与党になったことです。け
れども、国家の財政も民間の経済状況も大幅に悪化し、「都構想どころじゃない」
という状況になっています。
 では、新しい画期的な提案があるのか。どう考えても何もありません。都構想
の信を問うと言いながら、具体的な内容は全く聞こえてきません。吉村知事自身
が、「有権者の審判を仰ぎ、〝大阪都構想の設計図〟を作らせていただきたい」
なんて、いまさら言っています。まともな脳味噌の持ち主ならば、「設計図」を
作ってから「これはいかがでしょうか」と、「有権者の審判を仰ぐ」はずですが。
内容を議論するのではなく、「俺に白紙委任しろ」と言いたいわけです。維新と
いう政党には良い点もたくさんあると思うのですが、議論より独裁という体質に
はゲッソリします。
 彼らは恐らく本心で「大阪都構想について有権者の審判をあおぐ必要はない」
と考えているのでしょう。だから、過去2回の否決は、「馬鹿な府民どもの誤っ
た判断であった」と思っていることになります。「再挑戦」という言葉もよく出
てきますが、誰に「再」び「戦」いを「挑」むのでしょうか。大阪の民意と戦う
気だと理解しました。

出直し大阪府知事選、都構想「設計図」是非を問う 吉村氏、府市一体の成長
を訴え,
47news
https://weekly-osakanichi2.net/archives/45922

 白票で冷や水を

 そもそも都構想に何のメリットがあるのでしょうか。二重行政の廃止と言って
も、大阪市を複数の基礎的自治体である「区」に分割して、なんで二重行政じゃ
なくなるのでしょうか。だいたい、約十年にわたって府市両方の行政を牛耳って
きていながら、なぜ「二重行政」とやらの解除ができなかったのでしょうか。そ
もそも、都道府県の他に市区町村という基礎的自治体を置く制度は、はじめから
手厚い二重行政を指向するもので、大阪だけに限った話ではありません。
 つまり都構想のメリットがよく分からないことが、過去2回の住民投票での否
決に大きな影響があったと考えるべきではないでしょうか。さらに、ここ半年ほ
どは副首都の話が出てきてさらに、議論が混乱しています。
 念のために書いておきますが、副首都とは災害などで東京が機能不全になった
ときに、代わりに首都の働きをする都市を予め造っておこうという考え方で、別
に特別区が構成する都である必要はないのです。また、国全体に関係する事です
から、大阪府市だけで決められるわけではありません。実際、長野や福岡なども
手をあげています。恐らく、我が国は独裁制ではなく一応は民主主義国家である
限り、この話は実現しないでしょう。
 副首都になることのメリット(確かに大阪にとっては大きい)と都構想そのも
ののメリット別物です。あたかも、都構想が成立すれば自動的に大阪が副首都に
なれるような幻想を振りまくのはやめるべきでしょう。
 もうひとつ、あまり知られていないことですが、住民投票以下の手続きが進ん
でも、国会での法改正が無い限り、大阪都にはなりません。考えてみれば当然の
話で、道府県が自分たちだけの判断で「都」を名乗れるのなら、北海都、青森都
......なんてことにもなりかねません。大阪市が区に分割されても、大阪府は府の
ままです。前回の住民投票でもそうなっていたのに、なぜかみんな都構想と平気
で言っています。
 ちなみに、今回の知事・市長選挙では私は白票をいれるつもりです。選挙の開
票では白票は他の無効票とは別途集計されます。つまりひとつの意思表示として
認められているわけです。たとえば選挙を行うことへの抗議としては、認められ
ていることです。
 過半数が白票だったら面白いのですが、そこまで行かなくても大阪府なり市で
行われた過去の選挙と比較して突出して多い白票が出れば、ゾンビのような都構
想に盛大に冷や水をぶっかけられ、簡単には住民投票に踏み切れなくなります。
今回の知事選・市長選に納得の行かない有権者の方におすすめしたいと思います。
白票が歴史を動かすという前代未聞の民主主義に参加してみませんか。

最後に衆院選。維新は与党になりながらも自民党と選挙区調整しないため、小
選挙区に与党候補が2人立候補するという複雑怪奇な事が、数十選挙区で起こっ
ています。高市総裁は、「あたらしい連立の形」などと力なく笑っておられまし
たが、自民党の候補者はたまったものではありません。特に、与党の現職がいる
選挙区に、あえて立候補するということは、与党の政策を認めないということで
す。ひとつやふたつなら、その議員の例外的な話なのでしょうが、これが何十選
挙区にも及ぶとなると、「どこが連立なんじゃ」と思います。
 ビートたけし氏などは、「自民党の寝首をかく気じゃないか」などと言ってい
ますが、与党の一角に加わることで国民の信用を得て、結党以来のいかがわしさ
を粉飾するのが最大の目的ではないでしょうか。
 右も左も次々と新党が結成され、自分たちが目立たなくなったからと言って、
奇をてらったことばかりするのは、落ち目の芸人が舞台で裸になるのと同じよう
なもの、みっともない限りです。