高松での裸婦像の撤去について議論を続けます。もし、以前の記事をこれから読んでくださる方がおられましたら、以下のリンクをお使いください。

 日本人ファーストの民度 【裸婦像をめぐるラフな議論 その1】,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/12_0749.html
 困難な彫刻 【裸婦像をめぐるラフな議論 その2】,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/13_0750.html
 多産の量産、もうたくさん 【裸婦像をめぐるラフな議論 その3】,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/15_0820.html

 次に、「アジア太平洋戦争後平和になり、戦前戦中に作られた軍人さんの立像の代わりに、公的な場に裸婦像が多作されるようになった」とする説を検証してみましょう。
 武士や軍人の銅像は造りやすそうです。戦わせて良し、武器を持たせてよし、倒れてより、耐え忍ぶもよし、ビッグネームなら平服で前を睨んでいても絵になります。寄付も公金も獲得しやすかったでのしょう。
 すぐには何の人か分からない文民では、こうは行きません。たとえば、財界人にソロバンを持たせるわけにもいかず、別に説明がいります。文民の像で一番多いのは、おそらく学者さんたちでしょう。たいていの大学には、創立者の胸像があります。毎年末には、サンタクロース姿の碩学も多数おられます。歴史のあるキャンパスでは、そこらじゅう像だらけだったりします。
 面白いところでは、渋谷のハチ公の飼い主さんも駒場の大学におられます。もちろん研究者としての功績によるもので、模範愛犬家としてではありません。キャンパスの改装で一時撤去するとき、わざわざ学生たちが渋谷まで運んで、ハチ公と対面(再会?)させたという話もあります。
 けれども、戦後は軍人に代わって研究者や文化人の胸像が量産されるようになったわけではありません。民主的な価値観の中で、そんなことを望むのは恥ずかしいと思う人が増えたからでしょう。
 院生時代の私の指導教授。学生たちと各種胸像の横を歩くとき、「間違ってもこういうの作るなよ」と何度もつぶやいておられました。私たちは「これだけおっしゃるのは、よほどお姿を残されたいのだな」と解釈して、「オレたち成功したら、カニ鍋屋の看板みたいにギッチンギッチン動く巨大なやつを建てよう」と誓い合いました。幸い今のところ誰一人として成功しないまま、世間に散らばっています。代わりに、この長屋で大家さんの......やめておきましょう。
 さて、軍人・政治家・作家・科学者......偉人には全て固有名詞があります。建ててしまったあと、革命のスキャンダルでモデルが極悪人認定されてしまうと、叩き壊さざるを得ないことになります。一種の公開処刑ですから像の芸術性は一切考慮されません。
 こうした事情もあり、固有名詞のある像やイデオロギー色の強い像の建立を、本人も含めて誰も希望しなくなったことが、裸婦像量産の契機になったというのはありそうな話です。    
 けれども、二つの大きな疑問が残ります。まず第一に着衣ではだめなのかということ、第二になぜ女性ばかりなのか、ということです。一つずつ見て行きましょう。

 昔、ジーンズにはメッセージがあった

 第一の問いのヒントになりそうな作品を、数年前に見かけました。ジーンズをまとい上半身だけが裸という女性のブロンズ像です。この作品で一番印象に残ったのはジーンズ生地の質感でした。金属で布を表現するのですからかなり無理があり、デニム地が、ブリキ製のバケツのように見えてしまいました。材質上の違和感が強烈過ぎて、モデルさんの事などは全く覚えていません。
 けれども、考えてみれば県立美術館に出品するような彫刻家が、技術的な難しさを知らずにジーンズを使用しとは考えられません。また、美術館がわざわざ失敗作を収蔵品にするとも思えません。
 歴史的にジーンズは思想性の強いアイテムでした。まず、黒人奴隷の労働着という暴力的なルーツがあります。学園紛争のころ若い女性がジーンズを着用するのには、「私たちは、男性と同じように活動する」という強いメッセージがありました。
 約半世紀前の学生運動全盛期の話ですが、大阪大学で外国人非常勤講師がジーンズ着用の女子学生を授業から閉め出したため、学生たちから猛反発を受けて辞任に追い込まれるという騒動までありました。ちなみに、その先生の本務校は、この長屋の大家さんが長年教鞭をとっておられらた泣く子も黙る某女子大で、決して女性差別的な人ではなかったようです。逆に言えば、それだけ強烈な意味が、当時は女性のジーンズ姿にはあったのでしょう。

働く女性の50年史(9),福沢恵子公式サイト,http://www.keiko-fukuzawa.jp/15733036764245
北原恵,ウィキペディア,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E6%81%B5https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E6%81%B5

 話を作品にもどしますが、おそらく制作者は何らかのメッセージを込めて、モデルにジーンズを着用させたのでしょう。たとえば私が思いついたのでは、伝統的なジェンダー(上半身)と男性と同等に活動する女性(下半身)との分裂です。
 こういう作品には時間の概念もはいってきます。裸婦がジーンズを着用したのか、さらに何か着衣が加わる途中なのか、逆に脱ごうとしているのか......多様な解釈が可能とは言え、作品の方向性が、着衣によってかなり限定されているように思います。言い方を変えれば「ジーンズが威張っている」のです。当然、制作者の意図なのでしょうが、こうしたことを避けたい場合もあるでしょう。
 もうひとつ、日用的な衣類が登場したことで、その裸婦の具体性・個別性に注目が集まります。こうなってしまうと、「この女性(実在するとして)はどこまで納得してモデルになったのか」とか「この作品は彼女の人生に、どんな影響をおよぼしたのだろうか」とか「有名作品として自分の裸像が半永久的に展示されることを、どう思っているのか」などと余計なことを考えてしまいます。こうした思慮を芸術に持ち込むことが適切なのかどうかは、議論の余地がありそうですが、少なくとも制作者が意図したことではなさそうです。ですから、着衣像を裸婦像とでは、意図するものがまるで違い、抽象的なテーマの場合、着衣がノイズになってしまう可能性がありそうです。
 さて、今回記事をまとめるにあたって、記憶をたよりに該当の像をさがしてみました。おそらく滋賀県守山市の佐川ミュージアムで見た佐藤忠良の作品だったようです。残念ながら、その彫像そのものの画像は公開されていませんので、別の場所にあるよく似た像の画像を示しておきます。

「ジーンズ・夏」佐藤忠良,屋外彫刻の青空広場,https://publisann.com/%E3%80%8C%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E5%A4%8F%E3%80%8D%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%BF%A0%E8%89%AF/

 また、唯一の着衣が大きな意味を持つという私の考えは、どうやら作者なり佐川美術館の意図だった(知らなかった)らしいということも付け加えておきます。

佐藤忠良 身にまとう,佐藤忠良館,https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2014/02/post-38.html

 高松での裸婦像の撤去について議論を続けます。もし、以前の記事をこれから読んでくださる方がおられましたら、以下のリンクをお使いください。

日本人ファーストの民度 【裸婦像をめぐるラフな議論 その1】,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/12_0749.html

困難な彫刻 【裸婦像をめぐるラフな議論 その2】,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/13_0750.html
 それにしても、戦後、公共の場所に量産された人物像は、なんで女性が圧倒的に多く、それも裸像なんでしょう。よくある説明は、「多産ということが豊穣につながるから伝統的に女性の性が強調される」というものです。ギリシャのペルセポネー、縄文のビーナスなどを引き合いに出す議論です。
 けれども、出産や性交をリアルに表現した像は、一神教による性的タブーが強くなった中世以降どころか、ギリシャ・ローマ、東洋美術でも、さらには埋蔵文化財でも皆無です。人間の生殖と農業の豊穣を無理に結びつけるよりは、すなおに健康的な体型の人物像は豊かな社会の象徴、ぐらいに考えた方が実体に合うような気がします。人間にかかわる全てのことを、性や性欲に結びつけて解釈しようとするのは、フロイト信者の常習的勇み足なのではないでしょうか。

ペルセポネー,ウィキペディア,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%83%BC  

縄文のビーナス,ウィキペディア, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9

 ただし、性器自体をモティーフにした広い意味での彫塑は多数存在します。よく知られているものは2つのタイプに分けられると思います。まずは各地の神社にある男女の生殖器をかたどった各種の御神体です。
 もうひとつのグループと考えているは小便小僧、ほぼほぼ100%が男児です。ルーツはベルギーらしいのですが、「若き日の王が戦場で敵に向かって放尿した」とか「火事を消した」というのが由来だそうです。この逸話からフロイト的に、「性的抑圧の強いキリスト教文化圏で、男性器や射精の攻撃性を象徴してる」と考えられなくもありません。
 けれども、オリジナルの少年像も世界中にある多数のレプリカも、こうした攻撃的なイメージを表現しているとはとても言えない、あどけない姿です。御神体にも共通することですが、生殖器を立体的に造形すると豊穣どころか退廃や攻撃性までも失い、「微笑ましさ」という言葉がぴったりくる造形になりがちです。
 実は、高松の像の作者も、生命力の象徴として少女を選ぶ理由に生殖を上げていますが、よくある形式的な説明だと思います。ある個体を自身の生命力と別の個体を作る生殖とは、似ているようで全く別の概念だからです。近未来に新たな生命を宿す可能性があることを理由に、「女児は男児にはない特別な生命力がある」というは、よく考えてみれば変な理屈なのです。
 誰かが発見した「生命力に溢れた女児」というモチーフが、あちこちで採用されているうちに、いつのまにか「女児は男児にはない生命力に満ちている」という、ぼんやりした話になってしまったのではないでしょうか。女児のみが多用されるようになった本当の理由が、別にあるように思います。もう少し別の議論も見てみましょう。

 母性とはほど遠い裸婦像

 類似の思想に、裸婦は母性を通じて豊穣を表しているという考え方があります。ちなみに、「母性」という言葉も誤解が多いものだですが、もともとは、「子供を産み育てる機能」ぐらいの即物的な言葉なのでしょう。「母性保護」なんていう言い方もありました。「女性従業員の母性保護のために、社員食堂を禁煙とします」なんていう感じです。
 フェミニズム界隈では、ジェンダー差別の要因のひとつだからという理由で、「母性など存在しない」とか「母性神話」などとクソミソですが、母性というモノが存在するのかという議論と、もし存在するとしたらフェミニズム的な「男女平等の徹底」というイデオロギーと、どう整合させるかという議論は分けて考えるべきです。
 フェミニズムは価値判断を含むのですからイデオロギーの一種で、それが正しいかどうかは、主観ないしは宗教でしか判断できないはずです。言い換えれば「正しい」かどうかの議論は無意味。「なんで男女は平等なのか」と聞かれたら、答えようがないでしょう。
 ついでにもうひとつ、「フェミニズム的な社会がうまく機能するか」というのも、さらに別の問題です。男女平等を尊重する西洋文明的な国(日本やロシア、イスラエルなんかも含む)で、多かれ少なかれ少子化がおこっていない所はありません。社会が消滅したらどんなイデオロギーも同時に消滅します。この論点だけで本一冊ぐらい書けそうですので、今は深入りしませんが、いずれ長屋でやってみたいと思います。で、裸婦像への母性の影響の話に戻ります。
 単体の人物像で明確に母性を表現しようとしたら乳房ぐらいしか、アイテムがありません。確かに、縄文のビーナスなど一部の埋蔵文化財では乳房が異様に強調されています。ほぼ草食だった古代のホモサピエンスにとって、一番身近な動物性タンパク食品は母乳でしたから、母性が豊穣の象徴だった時代や文化があったとしても不思議ではありません。
 けれども、同じ母性のイメージが近現代の裸婦像にまで継続していると考えるのは、無理がありそうです。現代人の感覚では、性器ほどではありませんが乳房も、やはり強調してしまうと滑稽になります。巨乳という言葉には少なからず侮辱的な響きがあります。戦後日本で量産された裸婦像で、胸が強調されたものはあまり見かけません。
 聖書に源泉をもつ聖母子彫刻など、母性が重要なモチーフになっているアートもありますが、絵画と比較すれば作品数が少なく、またそれらを裸婦と呼ぶことにも無理があります。そもそも異教徒の国日本では、およそはやらないテーマです。
 それどころか、特に戦後の日本に限定すれば像のモデルは年少者が多く、ときには「ロリコン」呼ばわりされるぐらいで、これらが母性を表現しているとはとても言えません。なぜ低年齢の女性の像が多いのかは後で考察するつもりでが、ほとんどの裸婦像作者は最初から母性など表現する気はないのでしょう。
 戦後のある特定の時期に、日本で裸婦像が量産された理由については、その前の時代のことなども含めて、じっくり検討したほうが良さそうです。

 前回に続いて、高松での裸婦像の撤去について議論していきます。もし、最初から読んでくださる方がおられましたら、以下のリンクをお使いください。

日本人ファーストの民度 【裸婦像をめぐるラフな議論 その1】,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/12_0749.html

 学生時代、日本画を専攻していた友人が「彫刻のやつはいいなぁ。いまだにギリシャ時代と同じ裸婦を作ってりゃいいんだから」とぼやいていたことがあります。これを彫刻専攻の友人に伝えると、
「絵描きさんはええなぁ。どんな形でも筆先ひとつで作れる。おれたちには物理的な限界があって、マルグリットの城みたいなのはとても無理。どうしても人物が題材になる」
「確かに、お前の抽象彫刻、公園に置いたら本格的な粗大ゴミや」
「熔けたブロンズ、頭からぶっかけて固めてやろうか」
「現代美術を代表する傑作を作りたいのやな」
「いや、どこかに穴でも掘って捨てる」
「なるほど、埋蔵文化財ねらいか」

ルネ・マグリット「ピレネーの城」,artpedia,https://www.artpedia.asia/the-castle-of-the-pyrenees/

 その年の卒業制作展。こやつの同級生は巨大なアスパラガスの素焼き像を出品しましたが、高評価を受けたという記憶はありません。確かに、絵画と比べて、石膏・ブロンズなどの彫塑(彫刻)は、色彩がなく細部を作り込みにくくなっています。緑でも白でも無いアスパラガスは、やはり辛かったようです。
 そして何よりも、彫刻にはこの長屋の大家さんのおっしゃる「額縁」がなく、背景も基本的にないことが特徴です。ゆえに彫刻は絵画にはない圧倒的な訴求力を持つ反面、そのパワーが作品の方向性の制御を難しくしています。企画段階でも制作段階でも、ちょっとした計算違いや些細な不手際で、とんでもない代物が出来あがってしまいます。

額縁とコミュニケーション,内田樹の研究室,http://blog.tatsuru.com/2025/08/12_0927.html

 さらに、学生など無名の作者の場合、材料費や展示・運搬上の制約も無視できません。失敗作の処分といった敗戦処理も、絵画よりはるかに面倒です。つまり、彫刻というメディアは極めて制約が大きく、困難なアートなのです。

「慰安婦像」の失敗

 このように、彫刻というのはまことに不器用な表現方法だと思います。だから、企画から設置までの総合的なプロデュースを誰かがする必要がありそうです。そのせいで失敗した例として、有名な通称「従軍慰安婦像」をあげたいと思います。
 この作品には「旧日本軍の組織的性暴力を糾弾する」という明確なメッセージが、最初からありました。作品として特徴的なのは、モデル座ってるのと同じ椅子が、左にもう一脚配置されていることです。また、参加型芸術なので鑑賞者はその椅子に座ることが出来ます。
 これはよくできた仕掛けで、「不特定多数の一時的なパートナーがめまぐるしく交代し、しかも女性の側には選択権も拒否権もない」という状況を表しているのでしょう(あくまで私の解釈です;以下同様)。そして、椅子に座ることで「誰でも状況によっては加害者側になってしまうことがある」ことに気付いてもらうみたいなことが、意図されているのでしょうか。
 ところで、この作品では「被害者」をどこまで一般化しているのでしょう。特定の「慰安婦」個人なのか、「従軍慰安婦」全体なのか、近現代の韓国人女性、もっと言えば地球上の女性全員なのでしょうか。
 オリジナル作品は、この点に関して明確な意図を持ち、注意深く設計されていると思われます。モデルは当時11歳で、像の制作者御夫婦のお嬢さんでした。いわゆる「従軍慰安婦」は建前上17歳以上でしたので、まずこの点で史実とかけ離れています。また、椅子は小学校にあるような明るい色で木製のもの。「慰安所」を意識するような造形は避けられ、作品の具体化を巧妙に避けています。
 けれども問題はチマチョゴリです。テーマがテーマですから裸婦というわけには行きません。一方、ジーンズなど、「慰安婦」が着たはずのない衣類も使えません。そこで、当時の朝鮮で最も一般的な衣装にしたわけです。けれども、この女性は近現代の韓国・朝鮮人のみを表していて、それ以外はとりあえず対象外なのでしょう。チマチョゴリは民族衣装であるだけに、アフリカや欧米の女性に想像を広げることを邪魔しています。
 この「慰安婦像」。コンセプトは良かったと思うのですが、出来上がった作品は素人目で見ても(意図的だったのかも知れませんが)完成度が低すぎるように思います。素材は、強化プラスチック、少なくとも日本では真面目な人物像にはほとんど使われません。不二屋の「ペコちゃん」や奈良の「せんとくん」など、ゆるキャラ向きの素材なのです。政治的な意図は別として、「なんでこんな脱力系の素材を使ったのか」とため息が出ます。
 もうひとつ、レプリカなのでしょうか。同じ配置(右にモデルが着席、左に空席の椅子)のブロンズ像がありますが、素材の違いで女性の年齢や服装は分かりにくくなっています。日本で報道されている「慰安婦像」と言えば、ほとんどがこちらのタイプです。屋外展示用とのことですが、プラスチック製のオリジナルとは全くの別物です。
 さらにあとひとつ、ソウル市内を走るバスに一時期設置されていた像は、プラスチック製ですが横の空き椅子がありません。もしかしたら、チマチョゴリ姿の若い女性像を展示してしまえば、なんでも「慰安婦像」として機能すると考えていたのでしょうか。アート、特に彫刻の場合、不用意に政治の世界に踏み込んでしまうと、作品が本質的にどんどん小さくなるような気がします。
 さらに、屋外展示の「慰安婦像」ではボランティアスタッフが、日本人と見れば横に座らせ写真をとるということが行われていたそうです。作品のメッセージを届けたいという気持ちは分かるのですが、来館者を無理にでも加害者ポジションに座らせるというのは、「アーティスティック・ハニートラップ」とか「3D美人局」などと呼びたくなります。ピカソの「ゲルニカ」の前に、来館者をわざわざ鍵十字の軍服姿で立たせるようなものです。政治的意図は嫌というほど伝わっても、芸術性は雲散霧消してしまうでしょう。一言で言えば、悪趣味です。

慰安婦少女像の展示中止愛知の国際芸術祭,日本経済新聞,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48186080T00C19A8CZ8000/

 日韓関係が少しずつ安定してきている昨今、できれば同じ作者が腰を落ち着けて、同じモティーフをリメイクしたら、また新しい展開があるのではないでしょうか。

この夏、高松市の公園に長年展示されていた裸婦像が、市民からの苦情を理由に市が撤去を決定するという事件がありました。1998年に市が彫刻家に委嘱して制作した像でした。いわゆるキャンセルカルチャーの問題です。

裸婦像は時代に合わない?,FNNプライムオンライン,https://www.fnn.jp/articles/-/923656
 
もともとSNSなどでは、キャンセルカルチャーや政治的正しさは問答無用で嫌われています。よって、賛否両論と言われながらも実態は、市側が一方的に糾弾されているように見えます。
 結局は民度の問題なのでしょう。令和を代表する外国人差別語でもある「民度」とは何か。私は「想像力の及ぶ範囲の大きさ」と定義したいと思います。よく日本人の民度の高さの例になる話。「街にゴミを捨てない」のは片付ける人のことが想像できるから。「電車に乗るとき整列する」のは、我勝ちに乗ると発車が遅れることが想像できるからです。
 だから、民度は個人でも集団でも、生きている(存在している)限り常に変化しているものです。「日本人の民度」と言えば、「今現在の日本人の民度」という意味になります。個人の思想の民度や自治体の施策の民度も考えられます。
 ちなみに、街頭インタビューで「日本人ファーストについてどう思いますか?」と聞かれて、「当たり前や。外国人なんかいらん。一塁は大山で決まりやろ」と答える我々タイガースファンの想像力はアルプススタンドを超えません。この秋、世界有数の民度の低さです。でも数年後には、「どこぞにエエ外人おらんかな。日本人なら大谷やで」と地球の裏側まで勝手極まりない想像力を駆使して、民度を向上させているでしょう。
 自分の民度を一気に低下させるスローガンがあります。「今だけ金だけ自分だけ」というやつです。ここまで簡潔に自分の想像力を破壊する言葉は他にないでしょう。ちなみに、私なりの対策は、「今・金・自分」の3つを同時に並べないことです。「今の金のことだけを考えて行動するとき、そのせいで誰かが酷い目にあっていないか配慮する」「今の自分のことを考えるとき、お金だけでなく健康や人間関係にも気を配る」「自分のお金の話なら、将来困らないかも検討してみる」これぐらいで、随分民度があがると思います。
 ちなみに、民度が高ければなんでも良いわけではありません。国体護持のための特攻や大東亜共栄圏構想など、「今・金・自分」よりも想像範囲が広くて、民度が高いのは確かですが、無意味だったり迷惑だったりしました。

文化行政の民度

 今回、像を撤去しようとする高松市に向かって、「田舎者に芸術は無理。像を溶かして鍋にして、讃岐うどんでも茹でてなさい」と言い放つか、逆に「地球上の全ての裸婦像を殲滅せよ」というような極論に居着いているのは、まずは民度の低い態度でしょう。今回から6回に分けて、さまざまな立場や視点から、裸婦像について考えていきたいと思います。芸術、人権、公共、歴史......時には相矛盾するような多用な価値観について、民度という考え方を補助線にして整理・分析していくつもりです。
 素人のことですから荒唐無稽なことを叫んだり、陳腐な自説を延々と説いたりするかも知れませんが、議論の土台がつくれればと思っておりますので、どうかお付き合い下さい。「北陸新幹線」に次ぐ長い論考になりそうです。

 最初に、私自身の結論を述べておきましょう。

 アートの中で彫刻、特に裸婦という分野は個人的には苦手です。違和感が強すぎて落ち着きません。この記事を書くにあたって、自分の違和感の理由について自省してみたのですが、理由はどうやら「ポルノではないから」のようです。
 成人女性が、自らの裸体を他者に誇示するとしたら、ほぼ確実に性的なアピールです。つまり、誰かと性的なコミュニケーションを望んでいるわけです。当然、誘うような視線や身もだえするような仕草・ポーズが、相応しいはずです。確かに印象派絵画などには、そのような傾向の作品もありますが、彫刻では皆無です。
 詳しくは次回以降に議論しますが、どんな素材を使っても彫刻では技術的に無理があり、ときには猥褻どころか滑稽になってしまうからだと思います。
 もうひとつ、塑像には、「この長屋の大家さん」がおっしゃる「額縁」が存在しません。額縁を通して中の世界を垣間見る絵画と違い、制作者の熱や衝動が向こうから襲いかかって来ます。まして、美術館ではなく公園などでの裸婦像は、檻から抜け出した猛獣が、さらに動物園からも脱走して街をうろつくのと同じです。だから、「公園から裸婦像を撤去して欲しい」という感覚は十分に支持できます。
 そのため、ある種の野外彫刻では日常生活の中に唐突にセクシーでない裸体が登場するように見えます。これは耽美でも妖艶でもなく狂気です。もともと、写実的な人形や胸像は、状況によって気持ちの悪いものですが、それが不条理な佇まいであったとすると、強い恐怖を含んだ違和感を感じることになります。

 ただし、何の議論もせずに強制的な施政権の行使というのは実にもったいない事です。時間はかかるかもしれませんが、作者は像の意図を、抗議者は不快感の理由を、誰にでも理解できる言葉で説明する場(出来れば像の前)を設けるべきです。
 とりあえず数年は、園内で像を移動したり遊歩道を整理したりして、要所に「この先に裸婦像がありますので、見たくない方は進まないで下さい」というような掲示を上げる、ぐらいでどうでしょうか。

額縁とコミュニケーション,内田樹の研究室,http://blog.tatsuru.com/2025/08/12_0927.html

 いくらなんでも、一度委嘱して作った像を撤去するというのは極めて穏当を欠く処置で、極力やめた方がいいと思います。自治体などの公が何かを設置するよりは、何かを撤去する方がはるかに強いメッセージを出してしまうからです。
 嫌がっている市民の存在や時代の変化を理由にしていますが、これほど制作者(幸か不幸か存命の方でした)を侮辱した行為はありません。どう言いつくろっても「君の作品は時代遅れのわいせつ物だ。市は有権者の嫌悪感を公認し、ゴミとして処分する」と宣言しているわけですから。
 自治体からの委嘱制作となれば、ほとんどの彫刻家にとって一世一代の大仕事で、代表作であるのが普通です。後になってこんな仕打ちを受けるのはたまりません。実際、作者は激怒しているそうです。
 「残して欲しい」という側の声も、積極的に調査したのでしょうか。たとえば、幼くして娘を亡くしたある老夫婦が像を心の支えしているとしたら、撤去は残酷な仕打ちです。そこまで行かなくとも、何年も見てきた作品に素朴な親しみを感じている市民がいても、不思議はありません。
 批判者は、特定の芸術作品を公の場に設置することの暴力性を、声を上げた方は指摘したかったのでしょう。けれども、それを撤去することには、それよりはるかに大きな暴力性がありそうです。こんなことが許されるのなら、私も大阪市に言いたいことがあります。「町中にあるミャクミャクとかいう汚物を、さっさと始末してくれ」。

久しぶりに北陸新幹線がメディアを賑わせています。これまで、「一刻も早い大阪延伸」をなどと言っていた面々が、続々と現実路線の「米原」に舵を切り、福井県が悲鳴を上げ始めました。消えたはずの米原ルート......ゾンビに油揚げさらわれたと言いたいところでしょう。けれども油揚げを好むのはゾンビではなくビーガン、そもそも油揚げ自体が幻だったのです。

 小浜いじめが始まった 

 昨年(2024)夏、小浜ルートの詳細が発表されると、これが無茶苦茶なプロジェクトで、技術的問題を意図的に先送りしまくっていることが、少しずつ露見し始めました。正直言って、よくこんなものを人前に出したものだと驚くレベルでした。
 最初に反対運動の狼煙を上げたのは、京都市伏見の酒造組合と京都の仏教会です。大深度地下工事による水質悪化や地盤沈下は死活問題です。彼らの懸念には誰も答えられませんでした。というより、自信をもってルートを選定したはずの技術者たちの声が全く聞こえません。「私がプロジェクトリーダーです」と名乗り出る方もおられません。根拠不明の怪しげなレポートで「影響はほとんどありません」などと言われても、関係者が納得できるわけがありません。脱力と嘲笑あるのみ、反感さえ満足に買えたかどうか疑問です。
 こんな有様で、小浜ルートは泥沼化することが確定的になり、次に思わぬところから火の手があがりました。北陸の「首都」金沢を擁する石川県です。商工会や一部の県議など、もともと米原派(小浜懐疑派)が潜伏していたようですが、ついに県知事自ら、国会議員や各首長など関係者の集まる「北陸新幹線建設促進大会」で、主催者に無断で米原推進のビラを撒きました。さすがは元レスラー、場外乱闘はお手の物です。
 維新軍団の大阪府がこれに続きました。あまり話題になりませんが、小浜ルートは大阪府にも高額の費用負担が来ます。だから、タイミング良く厄介払いにかかったのでしょう。また、政治的には反維新の市長が率いる交野市も、水源をほぼ全て地下水に依存していることから、別働隊のような立場で小浜反対の声を上げています。
 同じ頃、京都市も事実上の小浜反対決議を採択してしまいました。同時に採択された「丁寧な説明」を求める決議は満場一致でした。きちんとした事前調査をして問題が無いことを確認しない限り着工は認めないという、私に言わせれば、やっとまともな状態になったわけです。
 そして、2025夏の参議院選挙で小浜ルート派の「教祖」が大苦戦をしました。トップ当選は米原派の維新の新人。前回ゼロ打ち(開票率0%の段階で当確がでた)の御大は得票数を前回の半分以下の2位というのですから、キモを冷やしたのでしょう。突然、米原ルートの調査を容認すると言い出しました。つまり小浜派から模様見派への撤退です。なんだか、クラスのタブーが破られイジメがスタートするのと同じ構図のようです。素朴に新幹線がやってくるのを待っておられた小浜市民には、気の毒の限りです。
 そして、2026年度の予算。今年もまた北陸新幹線の大阪延伸予算は、時効要求じゃなかった......自公要求じゃなかった......事項要求になりました。つまり金額なしの予算要求。最大でも昨年度並みの予算で、再来年の3月まで細々と調査を続けて、なんとか小浜を維持しようということです。
 肝心の地質ボウリングは年間20本以下、これを米原ルートや丹波山地の山岳トンネルにも振り向けるのですから、京都市内やの新規ボウリングはせいぜい4~5本。京都市民を説得できるようなデータがとれるはずがありません。よって、「丁寧な説明」は来年度中も不可能です。これまでのデータが公表されていないところを見ると、もしかしたら既に、一発で「こらアカンわ」となる恐ろしいデータが出ているのかも知れませんが。
 しかも、財務省が異例である着工決定前の調査(私は良いことだと思うのですが)に、そう何年も予算を付けてくれるかどうか疑問です。特に、推進派はこれまで手つかずだった米原ルートの調査を優先する必要があるのですから、小浜ルートに使えるお金は今年よりかなり少なくなりそうです。
 昨年春に、こうした事態を予想した自分の先見性をひけらかしたいところですが、こんなもの少しばかり地質を勉強をしたことがある人(国内に数万人はいそうです)なら、誰でもが出す常識的結論のはずです。政治と行政がやっと常識に追いついたというべきでしょう。

 露わになる惨状、噴出するホンネ

 ところで、一度消えて復活した米原ルートはどうなんでしょう。
 ここでメンバー紹介。関係団体の本音を確認して行きます。まず、北陸三県、当たり前ですが、福井は小浜ルート死守、早く延伸を完成させたい石川は米原ルートです。真ん中の富山は現在は小浜ですが、本音は模様見と言った方がいいでしょう。
 通過される側の府県。まず、大部分の京都府民は当然ながら小浜阻止。大阪府も模様見から、財政負担のない米原にシフトしました。
 ややこしいのは滋賀です。県民にとって米原ルートには小浜にはない大問題があります。完成してしまう恐れがあることです。そうなれば巨額の負担が発生します。並行在来線(北陸本線・湖西線)の経営を三セクという形で押しつけられかねません。けれども小浜なら、着工後に頓挫することも大いに期待できます。完成するとしても早くて30年後。その頃には並行在来線問題もなんとかなりそうです。だから小浜推しなんです。
 ほぼ同じ事を考えていそうなのがJR西日本。国も地方も既に、財政は思い切りキツい訳ですから、政治家たちはこぞってJRの負担増を口にしています。冗談ではありません。 だからJRも何のかんのと理由をつけて米原ルートのハードルを高くしています。小浜なら完成しないから大丈夫と読んでいるのでしょう。ここいらへんの事情は、前に記事を書いたときとほとんど変わっていませんが、こうも早々に米原ルートが復活してきたのは、やや意外でした。

南北ルートが強いわけ【北陸新幹線 その15】,この長屋,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/12/20_0921.html

 これまでのように滋賀県としては、体裁の良いことを言いながら静観して、小浜ルートの自滅を待つ訳には行かなくなって来ました。隣県福井の恨みを一身に受けても、きっぱりと断る日が必ずやって来ます。
 けれども、京都の受け入れ拒否が認められた以上、滋賀だけがババを押しつけられる理由は全くありません。だから京都もダメ・滋賀もダメとって延伸コースがなくなります。よって、今の状態が北陸新幹線の最終形。永遠に敦賀止まりというのが最終結論です。

 昭和の遺物「整備新幹線」

 なんでこんな無様なことになったのでしょう。よく言われることですが「整備新幹線」という田中角栄時代の発想が、地方都市の人口減少が続く現状に合わないのです。虚しい仮定の話ですが、もし今、滋賀県の人口が激増中で湖西線の慢性的な混雑が問題になり、「サンダーバード(もちろんこちらも満員御礼)を新幹線に移して、新快速を増発しろ」という声が沿線から上がって、三セクの話には全国の企業が手をあげて利権まで発生するような状況なら、滋賀県は乗ってくるでしょう。ただし、環境問題や安全問題が大きすぎる京都府は、これさえも拒否せざるを得ないでしょう。つまり様々な理由で新幹線を整備してほしい県といらない府県に分断が発生しているのです。
 鉄道路線の新設で、通過地点の自治体や住民の不利益・負担が大きいのは今に始まったことではありませんが、それに見合うメリットがまるでない状況では、あらゆるところでトラブルになります。整備新幹線の場合、これは北海道や九州でも実際におこっていることです。
 おそらく、JRTT(鉄道・運輸機構)も西九州・北海道・北陸の新幹線の処理だけで、当分の間は手一杯のはずです。人口減少が特に地方でひどいことを考えれば、整備新幹線という枠組みは日本中どこでも、二度と機能することがないでしょう。

 実は、次回の「米原ルート」の最近の動きについての記事をまとめているときに、重大な見落としをしていることに気付きました。北陸新幹線の新大阪延伸プロジェクトの最大の問題は、京都での大深度地下工事ということになっています。私自身は丹波山地での山岳トンネルの方がより深刻だと思うのですが、京都盆地内での地下水問題なども重大な論点であることは間違いありません。
 記事をまとめるにあたって、今回、初めて「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法(以下;大深度法)」について調べていて......

大深度地下使用法の使用認可を受けた事業,国土交通省,https://www.mlit.go.jp/toshi/daisei/crd_daisei_tk_000014.html

 軽い衝撃を覚えました。1995年施行の法律なのに実施例が4件しかないのです。すなわち【神戸市大容量送水管整備事業(2007年認可;大深度部は約270mのみ以下同様)】【東京外かく環状道路(関越道~東名高速)(2014年;約14.2km)】【中央新幹線(東京都・名古屋市間)(2018年;50.3km)】【一級河川淀川水系寝屋川北部地下河川事業(2019年;2.2km)】の4例です。
 このうち、鉄道や道路といった交通関係の事業は2例しかなく、両方とも大規模な陥没事故をおこした「いわくつきのプロジェクト」と言って良いでしょう。ちなみに残りの2例は送水管工事で、長さ太さとも小規模なものです。つまり、日本列島内で成功例のないものを、地下水豊富でさらに難易度が高そうな京都盆地に持ち込もうとしているのです。
 しかも、この点も見落としていたのですが、大深度での工事は許認可事業です。これだけ反対の多い案件に、国土交通省がすんなりOKを出すはずがありません。
 調布・瑞浪に続いて京都でも事を起こせば、苦労して成立させた大深度法自体に見直しの声が上がりかねません。これは官僚としては悪夢ですから、京都での工事許可申請は門前払いするか、少なくとも徹底的な再調査を要求するでしょう。
 現状では、京都市民や酒造組合向けの説明会すら満足に開けるデータがとれていないのですから、これから大規模な追加調査が必要になります。前例のない工事なのですから、ボウリング調査など、あと20~30本は掘らなければならないでしょう。予算はどこから持ってくるのでしょうか。
 既に反対決議を出した京都市に協力を求めるなら、最低でもデータの公開を拒めなくなり、少しでも問題が見つかればそれで終わりです。仮に(万一)問題のなさそうな結果が出ても、そこから国土交通省の審査です。これだけで数年はかかりそうで、その間、関係者は不許可の悪夢を毎晩見ることになります。
 普通に考えれば、この件だけで小浜ルートが消えても不思議ありません。大問題を見落としながら、散々記事を書き散らかした自分の不明を恥じるかぎりです。でも、少しだけ言い訳をさせて下さい。これまでのメディア報道にも「大深度の前例は少なく、特に成功例が皆無であること」に触れたものは見たことがありません。また、自分の知る限り反対派の議論の中にもありませんでした。おそらく「JRや国がしている事だから、あまり非常識なものではないだろう」という思い込みが、メディアや反対派にもあったのではないでしょうか。間違いなく私にはありました。

 平成の悪法大賞にノミネート

 そもそも、大深度法とどのような法律なのでしょうか。要するに、「土地の所有権を一定の深さまでに限定して、公共性ありと認可された事業なら、その下を無償で使って良い」というルールです。都市部での地価高騰のせいで、大規模な公共事業が事実上不可能なったことが、背景にありそうです。加えて政権与党の弱体化、開発より環境重視の世論でますます大規模公共事業は難しくなっています......この問題を無理矢理解決する魔法が、用地買収不要の「大深度地下法」です。
 ではもう少し、前例である東京調布(圏央道)と岐阜瑞浪(リニア)での工事の現況をみてみましょう。

「東京調布道路陥没から4年地盤補修工事完了のめど立たず」,NHK,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241018/k10014612981000.html
「町の水が枯れた~リニア沿線で何が起きているのか」,OurPlanet-TV,https://www.ourplanet-tv.org/51428/
 ひどいものです。調布では数十件の立ち退き家屋が出ています。岐阜では、応急処置でしかない薬剤注入による地下水のトンネルへの流入防止すら、危険を理由に断念しています。つまり、原因究明・対策の検討どころか、後始末や被害の拡大防止すら満足に出来ていないということになります。何の対策もしないまま、家屋が密集していて地下水量の多い京都市内で同じような工事をして、同じような事がおこらなかったら、それはむしろ奇跡でしょう。そして、同じような事やもっと酷い事がおこったら、もう誰にも手のほどこしようがなくなります。
 結論として大深度法は現実の危険を無視した悪法で、その悪法に依存した小浜ルートは行政的にも死んだと言えるでしょう。

 萩生田光一という政治家を、私は心底嫌っています。T教会の件でも裏金の件でもありません。個人的な恨みがあるわけではありません......それどころか面識もありません。この人の失言(つまり本音の漏洩ですね)が、ある言葉の意味を変えてしまい、教育について世間の認識まで動かしてしまったからです。
 2020年、当時の萩生田文部科学大臣は、民間英語試験の大学入試への導入で、生まれた家や住む地域のせいで不利になる受験生に向かって「身の丈に合わせて」「勝負して頑張れ」とおっしゃいました。

確かに「身の丈」は存在するが

 もともと受験の世界で身の丈と言えば、基礎学力のことでした。「高二にもなって因数分解が怪しいんじゃ医学部は無理。もっと身の丈にあった進路を考えなさい」......これだって随分と嫌な言い方です。努力や成長への期待の簡潔な全否定だからです。
 けれども、子供たちに勉強を教えたことがあればわかると思いますが、この意味での身の丈の存在は、残念ながら無視できません。持って生まれた才能(のようなもの)プラス、その子の気持ちが勉強に向かっている度合いみたいなものに、ひとりひとり大きな違いがあるのです。
 ただし、背丈と同様に身の丈も、いつの間にか伸びたりもします。勉強に興味がまるでなかったニキビ面の少年(たいていは部活か恋愛に熱中)が、受験などをきっかけに目つきまで変わり、大きく伸びることもよくあります。何をやっても平均点という地味なタイプの女子が、あたかも日々伸びる植物のように、学年が終わってみればクラス1の優等生に成長していることもあります。
 こういうことがあるから教員は止められないのです。「いつもいつも入学時の学力差が卒業まで維持されるんやったら、アホらしいて教育なんかやれるか」とおっしゃっていたのは数学者の森毅先生でした。
 萩生田氏の「身の丈」は、これとは似て非なるものでした。確かに初期条件という点では似ています。けれども地域や家庭などの教育環境を「身の丈」というなら、それは本人の適性や基礎学力とは違って、限りなく平等にしなければならないものです。教育行政の最大の存在意義はこれです。明治維新直後、全国津々浦々の町で小学校が建てられ始めたのは、帝国大学の開学なんかよりも前のことです。
 そんな我が国で、時は流れ文部科学大臣が環境格差に「身の丈」という言葉を与えてしまい、政治が責任もって是正すべき教育機会の格差が、「あまり良くはないが、除去できないもの」という現状の一部になってしまいました。確かに、悪気はないのでしょう。タブーだった問題の存在を口にしただけだったのかも知れません。本質的には格差のもたらす人の痛みに無頓着な大臣を、引きずり下ろせなかった私たちの民度に問題があったのでしょう。でも、私個人はそんな政治家をどうしても許す気にはなりません。

 教育のトリレンマ

 世界中の自由主義国で教育をめぐる格差が拡大しています。背景にあるのが教育のトリレンマというやつです。トリレンマとは大切な目標が3つあるのに、そのうちの2つしか実現できない状況のことで、ここでは「自主性」「能力主義」「機会の平等」の3つの目標です。分かりやすくするために、かなり厳密性を欠く表現をあえて使っていますがご容赦ください。順に見ていきましょう。
 まず、「自主性」と言っても、本人のものではなく実際は親の教育方針ということになります。「きちんとした基礎学力を身につけさせるため、小三から塾に入れる」とか、「のびのび育てるのがわが家の教育方針。勉強は本人の自覚に任せる」とか言うやつです。「板前に学問はいりまへん。学校行ってる暇があったら鍋のひとつも洗いなはれ」とか「この子はできちゃった子なの。将来に興味はない」などという極端なもの以外は尊重するのが常識になっています。ただ、悪しき親ガチャ格差の根源のひとつであることは認めざるを得ないころです。
 我が国では、「能力主義」はあまり評判のよい言葉ではありません。だから、事実上の高校全入なんてことになっています。けれども、たとえば必修科目である数学Ⅰ程度の数学力を身につけた生徒は、高校卒業時点で半分もいないでしょう。大学に関しては輪をかけた状況です。入学後に分数を指導する経済学部や、アルファベットの補習をする西洋文学科は、今ではニュースにすらなりません。はっきり言って入試以外の場面では、学校教育の能力主義はほとんど機能していません。
 一方、「機会の平等」は、形式的にはかなり達成されていま......した。どんな田舎へ行っても、小中学校は最低限度のレベルは維持されていま......した。21世紀にはいる頃から、ずいぶん怪しくなっています。小学校低学年に手のかかる問題児が増えて、まともに授業ができないクラスが現れたり、保護者の権利意識が高くなり(それ自体は悪いことでは決してありませんが)状況次第でクレーマー化したり、政治家の恣意的な「教育改革」で教員の負担が増えたり。つまり、社会全般のツケが現場に押し寄せ、耐えられなくなって機能停止した学校がポコポコと出てきました。たまたま、居合わせた生徒はたまったものではありません。
 「これはまずい」とばかりに、行政がてこ入れをしようとすると、まともにトリレンマにぶつかってしまいます。たとえば「自主性」と「能力主義」を重視すると、ある生徒がどんな教育を受けてどんな人生を歩むかには、親ガチャが巨大な影響を及ぼすことになります。現状はその方向に向かっています。学力上位層(メシの食える教育を学校で受けられる学力)の競争激化に、公教育のレベルがついて行けなくなり、「平等」は完全に形骸化していきます。
 「自主性」と「平等」を最優先にしているのは義務教育です。小学校の授業が全く理解できなくても(たとえば、日本語のわからない子供)、たいていはイヤでも中卒までの学歴は手に入ります。逆に言えば、中学校卒業という学歴は学力に関しては何の意味もなく、個々の生徒の能力は完全に無視されています。教育というのは、広い意味での能力を高めることなのですから、この状況が高校・大学にまで拡大しても構わないとは、さすがに言いにくいと思います。
「能力主義」と「平等」......変な組み合わせであまり例がないのですが、たとえば資格などに結びつく専門性の高い教育はこれでしょう。医師の国家試験、文系なら司法試験、保護者にはもちろん本人にも「何を学ぶか」について自主性は完全に無視される一方、能力は平等かつ厳格に評価されます。もっと分かりやすいのは自動車学校です。これらは社会の安全というものを守る最後の砦でもあるのでしょう。

 格差社会の安定姓と限界

 最初の荻生田流「身の丈」は、「平等」を断念することでトリレンマを破り、「自主性」「能力主義」を最大化しようという、見ようによっては常識的でつまらない教育観が肥大化したもので、短期的には極めて合理的な教育システムが作れます。
 教育コストの大部分は保護者が負担します。負担できない......あるいは負担する気のない保護者の子供は無視しても大丈夫です。社会の指導者や高度が技術教育を受ける専門家は、一定数以上必要ないからです。
 たとえば、医師不足と言いますが、見ようによっては医療より生産性の低い産業はありません。全ての人間はいずれ死ぬのですから、壮大な時間稼ぎというのが医療の本質です。だから患者さん側の期待値を下げることができれば、社会は医療の量や質の低下に結構な耐性があり、無理して恵まれない子供を医師に育てるコストは不要なのです。
 だから、入り口を事実上「世襲+α」ぐらいにしておいて、極端なハズレ(性犯罪に専門化した医学生とか)を潰していけば、必要かつ「不十分」な数のエリートは確保できます。
 長く安定した社会システム(帝政ローマやら幕藩体制)には、必ず世襲の要素が含まれていて、それが過不足なく機能していました。けれども、世襲という名の安定格差を維持して「平等」を無視することで、トリレンマを解決してしまうと、長期的には重視したはずの「自主性」や「能力主義」も失われていくことになります。
 「平等」が損なわれれば、多様性はどんどん低下します。「自主性」と言っても世襲に近い連中は、良くも悪くも同じようなことを考えて、同じような事をして、同じように躓きます。変なヤツは構造的に矯正され、もっと変なヤツは排除されます。こうした社会は安定はしていても、変化には極めて弱くなり、「ゲルマン民族」やら「黒船」がやってくれば呆気なく引っくり返ります。
 「自主性」よりは「能力主義」はまだしも確保されそうです。「世襲+α」の中でも、一定の競争は維持されるからです。国家試験が医師の質を、司法試験が裁判官の質を維持しているのは事実でしょう。けれども、このやり方が通用しないのが起業家・発明家・研究者の世界です。
 ずば抜けた才能を持った人間はたいてい変で困ったやつです。というか、付き合い切れない人間です。たとえば、ニュートンやテスラーが晩年にオカルトに走ったのは有名な話です。また、エンゲレスなくしてマルクスなし、ケッヘルなくしてモーツアルトなし。天才には、世間と本人との間のクッションになる良い伴走者が必要だったりします。いずれにせよ、天才は絶対に自分の身の丈など考えません。だから、身の丈を無視できる環境でしか生育できないのです。

身の丈をわきまえるべきなのは

 身の丈という思想は必要悪なのでしょう。「オレには無限の可能性がある」と本気で信じていたり、信じることにしがみついている若者ばかりになったら、それはそれで困ったことになります。
 相撲や芸事の世界で、師匠の大きな役割のひとつに、ダメな弟子に身の丈を自覚させるということがあります。昔風に言えば「クニに帰って百姓やれ」というやつです。日本人の大部分が食料生産をして社会を回していた時代(漁師や猟師も百姓の一種)の話です。「地道に社会に貢献する側にまわりなさい」というのは、どんなに虚しくて後味が悪くても必要な指導なのです。
 けれども、弟子がこれに納得できるのは、絆と呼べるレベルの信頼関係があるときだけです。アカの他人に上から目線で、自分には責任のない教育環境を「身の丈」と言われても、反発しか感じないでしょう。
 荻生田氏は旧アベ派の重鎮として、今でもおそらく総理総裁の座を狙っていると思われます。けれども、カネやらツボやらで次から次に問題をおこし、政権与党をまるごと泥まみれにした上、自分ではケジメをつけることも出来ないような人です。日本のためにも本人のためにも、誰か強い絆のある方から「身の丈をわきまえなさい」と、言ってももらえることを祈るのみです。

 震度とマグニチュードはルーツが違う

 地震の解説書でたいてい最初に書いてあるのが、震度とマグニチュードの違いです。簡単に言えば、震度は揺れの大きさ、マグニチュードは地震の大きさです。だから震度は場所に違いますが、マグニチュードは一つの地震で一つしか値がありません......と、ここまではたいていの本には書いてありますが、せっかく長屋にお運び下さった皆様にはもっと役に立つ本当のことをお教えしましょう。前回お話しました私の分類で言えば、震度は「カテゴリーⅣ」、マグニチュードは「カテゴリーⅢ」ぐらいでのもの、つまりどちらも本質的には目安なのです。

 震度測定はしんどい

 まず、震度の方です。これは日本独自の基準で、海外では国ごとに違う指標があります。英語では、「seismic intensity 」ということになるそうです。私も、今調べて初めて見る英熟語です。
 この震度、実は本質的には人間の体感です。「震度」を計るための地震計が、本格的に使われるようになったのは、21世紀になってからで、1995年の阪神淡路大震災には間に合いませんでした。地震を測定するのが難しい......というより面倒くさいからです。
 地震というのは、いつおこるか全くわからないので、観測をするためには常に機械で記録をとり続けておくよりありません。紙の時代には、ロール紙(上質紙でサランラップぐらいの幅のトイレットロールだと思って下さい)に毎秒1cmスピードで記録しても一日分が25mにもなり経費がバカにならず、そうあちこちに置くのは現実的ではありませんでした。出来たロールを全部を保管するのはもっと現実的ではありません。
 だから、地震計の正確な記録が一定量残るようになったのは、電磁的な記録方法(テープなど)が普及する二十世紀の後半以降のことです。それまでは、震度の測定と記録は気象予報官の体感でやっていました。当然ながら、個人差や状況によって数字がばらつきます。「低めの震度を発表する予報官は麻雀好きが多い」などと言う都市伝説もありました。
 個人差をなくすために、野球の審判たちがするような研修をするとしても、その頃は複数の気象予報官が、地震時に偶然同じ場所に居合わせ、同じ揺れを体験することなど、奇跡みたいな話でした。せいぜい、「徹夜麻雀はほどほどに」と申し合わせるぐらいでしょう。

 頼りないけど仕方ない

 特に、震度5以上の大きな地震では体感自体が主観的過ぎるので、その地域の被害から推定するのが普通でした。「ブロック塀が倒れる」とか「瓦が落ちる」とかいうヤツです。この方法だと、気象台以外の場所での震度も計れます。どう考えても頼りない話ですが、他に方法が無かったのですから仕方ありません。
 20世紀末に震度計(地震計の一種)が普及すると、予報官の体感震度と突き合わせが行われました。過去の地震の震度と比較するためです。この時、従来の震度5と震度6の範囲が極めて大きいことがはっきりして、震度5強、5弱、震度6強、6弱とそれぞれ二つの震度に分けることになりました。また、予報官の判定と機械の測定が、必ずしも一致しないこともありましたが、これもしかたありません。
 気象台が出来る以前の大昔の歴史地震は、古文書にある被害の記録を中心に、地層に残る液状化などの痕跡を加味して判定していました。いい加減極まりない話です。たとえば、「大和高田」と「越前高田」を勘違いして幻の地震を自然創作した可能性まであります。それが原発の耐震設計に影響したりするので、ある意味で笑えない話なのですが、今の科学ではこうするより仕方ありません。

 先端機器でも目安は目安

 では、地震計の技術が進歩して震度用のもの(震度計)が各気象台などに普及した現在の震度は、正確なものなのでしょうか。実は、そうとも言い切れないのです。
 揺れの大きさには、地震の強さや震源からの距離のほか、その地点の地盤の質が大きく関係します。基本的に柔らかい地盤の方が揺れは大きいのですが、地盤のタイプが地盤のツボみたいなものにはまると、とてつもなく大きな揺れになります。極端な例では、東日本大震災のとき、大阪南港の高層ビルの天井が割れたなんていうこともありました。有名な長周期振動です。一般に大きな地震ほど揺れや被害には地盤の影響が大きいのです。
 「震度というのは、あくまで測定している地点の揺れのことなのだから、10m横のことは知らん」という考え方は、学問的には正しいのですが、○○気象台の揺れが○○市の揺れとして発表されるのですから、困ったものです。
 震度計の登場で、体感震度の時代よりも多少、客観的になったとは言え、あくまで目安としての意味しか無いということは、震度というものの本質的な限界なのでしょう。無理に国際統一基準を作ろう、という動きもありません。混乱を招く割に、無意味だからでしょう。

 マグニチュードも日本人の「発明」

 では、マグニチュードはどうか。その地震の放出したエネルギーの総量を表す数字で、歴代の世界中の研究者が測定技術を磨き上げてきたものです。けれども少し考えてみればわかることですが、地下深くにある巨大な断層の動きを、地表から完全に把握することなど不可能です。はじめから目安でしかなかった震度と違い、マグニチュードは物理的に意味のある数値ですが、問題は「一定以上の大きさの地震は、どう考えても計測が不可能だ」ということです。
 少し歴史を振り返ってみましょう。最初にマグニチュードという概念が、日米の研究者によって1935年に提唱されたころには、まだ、断層の運動(広義のですが)によって地震がおこるということすら、明確ではありませんでした。
 最初の定義は、「震源から100km離れた地点におかれた(当時の標準的な)地震計の針の、最大振れ幅をミクロン単位で表したものの対数」というものでした。最後の部分がやや解りにくいと思われますので例を上げて説明しましょう。
 たまたま震源から100kmの地点にあった地震計の針が、記録紙に描いたグラフの山のうち、最高のものが1mmだったとしましょう。1mm=1000ミクロンです。1000は10の3乗なので、その地震の大きさはマグニチュード3ということになります。同様に山の高さ10mmなら10の4乗ミクロンですから、マグニチュード4です。少し計算は難しくなりますが、2mmの山だったらマグニチュード約3.3となり、3mmだったら約3.5となります。
 では、都合良く震源から100kmの地点に地震計が無かったらどうするのか。当時から、地震計の針の振れ幅は、震源からの距離の2乗に反比例することが経験的にわかっていました。たとえば、震源から100km離れた地点のでは、基準である100km地点の地震計と比べて100分の1の振れ幅になるはずです。だから、1000km地点の地震計の振れ幅が1mmでしたら、もい100km地点に地震計があれば、その振れ幅は100mmつまり100000ミクロンとなってマグニチュード5ということになります。 
 ところが、震度の話でも出てきましたが、地震の揺れの大きさは震源からの距離だけで決まるものではなく、地盤の影響も大きいのですから、誤差の大きな数字しか出てきません。だから多数の観測点で計ったマグニチュードを総合して(単純に平均するとは限らない)、その地震のマグニチュードとすることになります。震度ほどではありませんが、やはり頼りない話です。
 実際、地震計が高性能になり観測地点の数も増えた現在でも、マグニチュードは2桁しか発表されません。マグニチュード5.5とか7.0はあっても、2.34とか5.67 というのは見たことがないでしょう。対数の値が0.1違うと言うことはものの振れ幅は約7%違うということですから、観測をもとに公式に発表される数字としては、結構いい加減なものです。気温で言えば、0度なのか20度なのかはっきりしないということですから(絶対温度の誤差が7%だとこうなります)。けれども、耐震とか保証とかいう話になると、こんな数字に大きなお金が絡みかねません。これまた、困ったものです。

 大地震ほど自信はなくなる

 これまでの説明で、「震源」とか「震源からの距離」とか、サラっと書いてしまいましたけれど、実は本質的な大問題があります。震源が一つの点ではないことです。東日本大震災の場合、震源断層の大きさは東西約500km、南北約200km。こうなると、震源がどこなのかはっきりせず、「100km地点の揺れ」を想定しても意味がありません。
 こういう場合、マグニチュードは、何1000kmも離れた国外の地震計のデータなどを使い速報値を出します。日本国内の大地震ではアメリカ地質調査所のデータがよく使われます。なんで、地震国でもないアメリカに高精度の計測システムがあるかと言えば、冷戦時代に核実験探知のために発展した技術や機材が流用されているからです。映画「オッペンハイマー」で脚光を浴びたロスアラモスなんか、いまでも世界の地震観測の拠点のひとつです。
 震源断層の大きいマグニチュード8以上の巨大地震(能登や阪神淡路でさえ含まれない世界屈指の大地震)の場合、上の方法だけで計算しても一定以上の値が出なくなっているので、代わりに地震断層の活動から計算する方法(モーメントマグニチュード)が使われています。地下にある断層の面積なんて調節測定できないものを、余震やら津波やらから推定するわけですから、かなりいい加減な話になります。この方式が地震学者から提唱されたのは、私の学生時代(1980年前後)のことで、地質系の教授がせせら笑っていたのを覚えています。普段から山野を歩き回って断層を観察している現場の人間が、こういう見解になるのは仕方ないでしょう。
 ただし、こうでもしないと地震の規模に比例する(ように見える)数字を定義できないのです。実際、今回のカムチャツカでもこれが使われています。つまり、小さな地震と大きな地震とで求め方が違うのです。こんな状況ですから地震のエネルギー全体を捉えるなんて、計ってるほうも自信はないでしょう。
 その地点での揺れの大きさを表す震度にしても、地震自体の規模を表すマグニチュードにしても、数字が一定以上大きくなると、物理的な値というよりも便宜的な目安としての性質が強くなるように思われます。被害や耐震・避難を議論するときには、こうした数値よりも地震の個性が重要になって来ます。なんだか、相撲の番付や武道の段級位の話と似ているように見えませんか。
 結論として、地震のニュースを見るときには、震度は「カテゴリーⅣ」、マグニチュードは「カテゴリーⅢ」で、同じ天気予報コーナーに出てくる「気温」や「気圧」(いずれも「カテゴリーⅠ」)などとは、色合いの違った目安としての数字であることを意識しておくべきだと思います。

 文系タイプの方と理系タイプの方で大きく異なるものに、数というものに対する感覚があると思います。理系の教育を受け、その教育を意図的に放棄しなかったひとは、たいてい数字の「質」に拘ります。数字の「質」とは何か。少し整理をしてみましょう

 値と目安

 大きく分けて数字には、値(あたい)と目安(めやす)の二つのタイプがあると思います。値とは、理想的には「明瞭な定義があり、計測が容易で再現性のある数字」のことです。「実態のある数字」と言っても良いでしょう。たとえば、一個のビー玉の重さは、まともなハカリをまともに使えば誰が計っても同じ値になります。これを「カテゴリーⅠ」の数字と呼ぶことにしましょう。ちなみに、このカテゴリー分けは私オリジナルです。他にも、国の地域の人口や何かの値段などもこのカテゴリーです(異論もありそうですが)。
 次に「カテゴリーⅡ」。定義が明瞭で計測も可能なのに抽象化している数字で、たとえば「太陽の重さ」です。直接計測は不可能なので重力の値から計算するのですが、正確な値は永遠に解らないでしょうし、求める必要もありません。それどころか、巨大なガスの固まりである太陽で、全体の重さというものを実体的に考えることができるのか疑問です。
 海水の総量とか地学天文関係の測定値や各国のGDPなどの経済指標なんかも、この類いだと思います。
 さらに目安寄りの数字には、「定義の意図は解るが、実態があるのかないのか疑問」という、「カテゴリーⅢ」があります。たとえば、気候変動でよく話題になる「地球(表面?)の温度」というやつなんかです。
 自然学的な計測値の場合、計測すべき(実際にできるかどうかは別)内容がはっきりしていないと、最初から話になりません。「地球の温度」なら、「地球上の大気全部の平均温度」あたりでしょう。ここまでなら「カテゴリーⅡ」ぐらいの話ですが、「大気とは何か」という議論がからんで来て、話がどんどん抽象的(目安的)になり、はたして意味のある定義が作れるのかどうかさえ、よく分かりません。
 そういえば、「地球の温度が毎年○度上がる」という話はよくあるのですが、「現在、地球は○度」の発表は聞いたことがありません。気候変動業界の研究者さんたちが、こうした問題に興味がなさそうなのは困ったことです。
 次に、定義も計測も主観的なものなのですが「なんとか客観的にするための努力」が当事者にみられるのが、「カテゴリーⅣ」の数字です。サッカーの国別ランキングや採点競技(体操やフィギアなんか)の得点などは、目安を客観化することに成功している例だと思います。癌の進行を表すステージや宝石の硬さを表す硬度なんかも、この仲間と言えます。
 もともと客観性を持ちようがないもの、あるいは当事者に問題意識がないまま数字を垂れ流しているのが、「カテゴリーⅤ」です。ジェンダー指数、報道の自由指数など「指数系」とも言えそうです。何を表しているのかも、どうやって求めたのかも不明で、比較にしか使えない数字、つまり目安です。
 ついでにもうひとつ、番外編として、どう考えても客観性も再現性もなく、目安として使うのもはばかられるのが。「カテゴリーⅩ」です。典型は某タイヤメーカーMがやっている料理店の格付けです。もともと主観でしかない料理の評価......少人数の審査員で世界中のレストランの総合力を4段階(星3~0)で表そうというのです。笑点の座布団の枚数みたいなものです。遊びでやっているのなら、個人的には文句はありませんが、結構迷惑しているひともいます。
 このカテゴリーで一番悪質なのは、「経済効果」というやつです。新幹線を作る、万博を開く、カジノを開帳する......大きなお金が動く基準なのに、誰がどういう方法で計算したのか公開しようともしません。
 予想ですから、はずれることもあるでしょう。「結果が三倍以上か三分の一以下になったら責任者は縛り首」なんて言いませんが、大外れしたときに信用を失う個人なり組織なりがはっきりしていないと、派手な数字の出し放題になります。さらに、算出方法が公開されていなければ第三者が検証することもできません。「ケアレスミスで桁を間違えた」なんていう数字が、一人歩きするリスクまであります。
 もうひとつ大事なのは、利害関係者が出した数字など信用する方がどうかしています。たとえば、整備新幹線の着工五条件のひとつに「B/C(費用便益費)」というのが有りすが、実際に作られるものは「経済効果」は推進者が雇ったコンサルが「費用」は地元のゼネコンが出したのでは、着工に都合のよい数字になるに決まっています。反対や批判をする側も、ここを徹底的に追求せずに「B/Cが大きいとか小さいとか」の議論に付き合うのには、心底がっかりします。算出する側の利害がからむ数字は、原則として全て「カテゴリーⅩ」扱いで良いと思います。

 応用問題

ここで私が作った「カテゴリ-(Ⅰ~Ⅹ)」自体も、当然ながら目安としての性質が大きい数字で、「カテゴリーⅣ」ぐらいに入るつもりで作っています。この分類法の賛否は別として、今扱っている数字がどの程度、値なのか目安なのかは、つねに意識しておきたいものです。
 政財界よりの評論家さんや社会学系の学者さんなんかの議論を聞いていると、えてして「カテゴリーⅣやⅤ」の数字を、あたかも「Ⅰの数字」のように扱うことが多く、不毛な議論をしてしまう原因になりそうです。たとえば、「わが国のジェンダー指数が下がった、今すぐ何か対策を打つべきである」というやつです。どこかの国民のジェンダー意識など、良くも悪くも安定しているもので、数年単位で急変したとすれば、数字の出し方に問題があるのです。
 ちなみにⅠからⅩに向かってカテゴリーが大きくなるほど、データとしての価値は下がると考えられます。なぜならば、値をそのまま目安に使ったり、複数の値を組み合わせて目安を作ることはよくありますが、その逆は不可能だからです。
 たとえば、健康診断なんかでよく出てくるBMIというのがあります。定義は体重(kg)を身長(m)の二乗で割った数字です。体重75kgで身長が1.73mなら25になります。この数字のカテゴリーはどう判定すべきでしょう。
 身長も体重もシンプルな測定値ですからカテゴリーⅠのようですが、算出のルールに意図がはいっています。なぜ身長の三乗ではなく二乗を使うのかは、経験的な説明しかできません。BMIの数字自体には実態がないので、カテゴリーⅢとします。同様に、日本の夏の風物詩みたいな熱中症指数も同類です。

 番付と段級位

 ここまでの議論、次回の地震の話の前ぶりのつもりだったのですが、最後の仕上げに、大きさによってカテゴリーの変わるタイプの数字の話をしましょう。相撲の番付や武道などの段位です。これらは数字の小さいものほどカテゴリーも小さくなります。
 序の口に定着している力士は三段目の力士には勝ちにくいものですが、前頭が横綱に圧勝することは、ひと場所に何回もあります。横綱・大関が終盤まで全勝という方が珍しいでしょう。
 将棋での世界では、藤井聡太名人が八・九段の強豪を連破して発タイトルをとったのは、プロ四段のときです。けれども、アマチュア5級の子供が1級の子供と本気で指したら(その級位が正確なら)まず歯が立ちません。この長屋の大家さんの著作でも、「合気道に段級位の考え方を持ち込むのは邪道だが、初心者指導の現場では便利なので需要がある(困ったことだ)」というようなお話を読んだことがあります。武道のことはよくわかりませんが、将棋の場合、アマチュアの級位は「カテゴリーⅣ」プロ高段者(四段以上)の段位は「カテゴリーⅤ」という気がします。
 卓越した実力者である(いわゆる)達人の場合、重要なのは段位(それがあればですが)ではなく個性だと思います。だいぶ前の話ですが、アメリカ人に巌流島の決戦の話をすると、「そのとき武蔵と小次郎は何段だったのですか」と聞かれて絶句したことがありました。日本人ならミーハーな宮本武蔵ファンでも、その段位など考えたこともないでしょう。
 本質的には、番付や段級位というものは「カテゴリーⅤ」程度の目安にしかならないと思います。勝負の世界では、段級位や格付けが絶対なら対戦すること自体が無意味です。ましてや勝ち負けのない世界では、ランキング自体が不要になります。ただし、初心者を指導する場合など、安全性や効率性のため便宜的にクラス分けのようなことが行われる、というだけの話でしょう。実は、これは地震の震度やマグニチュードと良く似ているのですが、この話は次回にしましょう。

 この夏、西田参議院議員のひめゆりの塔失言事件以来ずっと沖縄戦のことが気になっています。特に考えているのは、軍民ともにあまりにも稚拙だった最後の顛末についてです。平たく言えば、「なんでこんなに必要以上の損害をもたらし、膨大な数の無意味な死者が出る負け方をしたのか」ということです。もしかしたら、これは沖縄戦に限ったことではなく、日本人のあるいは日本文化のマイナス面が、もろに出てしまった典型例なのでないでしょうか。

 理想的な捨て石

 そもそも旧日本軍は何のために沖縄で戦ったのでしょうか。わかりきった話ですが、沖縄は「本土」決戦のための捨て石でした。なぜそう言い切れるか。最初から勝ち目が全くないのに、貴重な戦力を投入して徹底的に戦ったからです。
 よく、特攻隊や戦艦大和の出撃などを根拠に、「日本中が沖縄を守るために戦ったのだから、捨て石ではない」という議論をする人がいまだにいますが、これは理由になりません。なぜならば、軍の上層部、少なくとも大和や特攻隊に命令できるような立場の司令官が、「米軍を撃退して、沖縄を守り切れる」などと思っていたはずがありません。制空権も制海権も持たずに、艦砲射撃の射程内にほぼ全域がはいってしまうような島に、補給も無く立てこもった軍隊が壊滅するのは、時間の問題でしかないからです。
 国家間の戦争で、勝ち目がない戦闘をする合理的な理由は、時間稼ぎか嫌がらせしかありません。嫌がらせの目的は2つ、相手の戦力を少しでも消耗させるここと、「これ以上戦えば大きな犠牲が発生しそうだ」と相手に思い知らせることです。
 沖縄戦はその典型例でした。このことは資料的にもはっきりしています。たとえば、基本戦略を立案した八原博通(やはらひろみち)陸軍大佐は「沖縄戦の目的は、本土決戦を準備するための時間稼ぎ。一日でも長く持久することが最優先」などと発言しています。

「沖縄戦」多大な犠牲,読売オンライン,https://www.yomiuri.co.jp/sengo/war-responsibility/chapter3/chapter3-12.html

 実際、沖縄はこの上ない捨て石として機能しました。「本土」決戦のための時間稼ぎの他にも、手早く日本を降伏させて少しでもよい条件でソ連と対峙したい米軍を焦らせる効果も、かなり大きかったと思われます。
 嫌がらせの方も、膨大な数の砲弾の消耗(いまだに不発弾が日常的に見つかる)だけでも、同様の戦いを「本土」ですることを米軍にためらわせる理由になったでしょう。そして、なによりも将兵の犠牲です。米国世論はリメンバーパールハーバーで対日戦を支持しているのに、真珠湾とは比べものにならないほどの犠牲者を出し続けては、風向きが変わる可能性があります。また、「本土」決戦となれば満州など大陸に展開している日本陸軍が、「本土」に引き上げて来て(無事帰国できるかどうかは別として)、発生する力の空白にソ連や中国共産党軍が勢力を伸ばすことも確定的です。朝鮮半島が丸ごと中国共産党の手に落ちるかも知れません。
 だから、沖縄戦を終わった段階でアメリカには、「本土決戦」の選択肢はほとんど無かったのではないかと私は思います。同様の推定を専門家の方もされています。

神風特攻隊のサイエンス②:昭和20年「本土決戦」で日本勝利の可能性はあるのか --- 金澤正由樹,アゴラ,https://agora-web.jp/archives/250728052108.html

けれども、実際に「本土」決戦に突入して日本帝国の統治機構が崩壊してしまえば、ポツダム宣言を受諾することさえ不可能になります。占領する側から見れば、戦闘意欲満々の少人数グループが日本各地の山々に残存し、いつ都市部を占領している連合国に襲いかかるかわからない状況が何年も続くようなら、「日本人は全員殲滅してしまえ」という方向に、米軍が向かう可能性もありました。
 有色人種であること、奇襲攻撃で米国人を殺したこと、特攻や万歳突撃など西洋人には理解不能の自爆攻撃をすること......「殲滅やむなし」の理由は揃っています。少なくとも、ドイツ人が同じ白人のユダヤ人を殲滅するよりは、ハードルの低そうな話です。なにしろ平気で原爆を落とした米軍ですから、味方の犠牲を減らすためならやりかねませんでした。
 ポツダム宣言を受諾するタイミングとしては、沖縄戦のあとが最後のチャンスだったわけです。本当は、原爆投下やソ連参戦の前なら、もっとよかったのですが、これは結果論ということになります。
 つまり、沖縄は捨て石として予定通り機能したのです。「何のための捨て石か」という点が当然議論になるわけですが、明確化はされていませんが「皇統を守るため」というのが究極の目標でしょう。
 ただし、「沖縄は天皇制だけのために犠牲にされた」というのは単純すぎる議論です。極端な状況ですが、大日本帝国が全ての戦力を失い国民の大部分が死傷し、ベルリン陥落時のヒットラーの防空壕のように、皇居に数名の皇族が孤立するような状況になったら、皇統が守れるはずなどもありません。軍はともかく、民間にはある程度の余力があり、統治機構も残存している状態で降伏しておかないと、皇室を守ることなど不可能でしょう。
 最終的には皇室を守るためだったのかも知れませんが、ある程度、国民と国の形を残存させるために沖縄戦が戦われたということを考えれば、「本土」の住人やその子孫である私たちは、沖縄に大きな借りがあると認識すべきです。「沖縄が捨て石ではなかった」などというのは、われわれのために戦い多くの死傷者を出した沖縄に対して、失礼極まりない言い草なのです。
 このことを総括どころか謝罪しようともしない近年の「本土」の世論は、「次の有事には再び捨て石にされるのではないか」という沖縄住民の不安を、いっそうかき立てることになります。下手をすれば、沖縄住民の安全だけを考えれば、日本からは独立して、米中と独自外交をする方が有利だったりします。場合によっては「本土」を捨て石にすることもあり得る。

 バカ殿になった陸軍の世界的名将

 沖縄捨て石作戦を指揮したのは、帝国陸軍の牛島中将でした。私個人は、ある意味で第二次世界大戦最高の指揮官ではないかと思います。繰り返しになりますが、制海制空権もないヤラレ放題の条件下で、ほとんど補給も受けずに小さな島で、世界最高を苦しめたことは、空前絶後のことでしょう。たとえば、米軍側の最高司令官だったサイモン・B・バックナー中将が、沖縄戦末期の6月18日に戦死しています。開戦時の最高指揮官を先に失ったのは米軍側でした。これは第二次世界大戦中に敵の攻撃で戦死した最高位のアメリカ軍人で、いまだにこの「記録」は破られていません。
 けれども、牛島中将をはじめ日本軍の司令官3人は、この直後に自決してしまいます。辞世の句までつけた決別の電報を東京に参謀本部に送って(もちろん傍受されている)、最後は割腹自殺です。つまり、「沖縄の日本軍は司令官を失い組織的先頭をやめる」ということを敵にまで周知させた訳です。合理的に考えればこれは謎の行動です。
 しかも、直前に「最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」などという迷惑極まりない命令を自軍に送っています。はっきり言って、無責任な話です。組織的戦闘が終わったあとに戦いが泥沼化して、軍民の犠牲者を増やす大きな原因になったと言われています。
 二十世紀屈指の名将が最後の最後で、悲劇の戦国城主気取りのバカ殿になってしまったと言われてもしかたありません。上で私が「ある意味で」という保留を付けたのはこれが理由です。なぜこんなことをしてしまったのでしょうか。

 合理性のない決断

 まず、数日で占領するつもりで向かった沖縄で散々煮え湯を飲まされ、最高指揮官まで戦死している米軍の側から考えると、神出鬼没だった牛島中将らの自決はありがたい話です。今後、大規模な奇襲を受ける可能性はなくなるわけですから、かなり安心して島内各地で「本土」決戦の準備ができます。空爆や艦砲射撃に使う砲弾も大幅に節約できるでしょう。
 一方、死んでいく指導者に「あとは勝手に戦え。ただし降伏してはいかん」と言われて、日本軍の士気は大幅に低下します。集団で投降する部隊も現れ始めました。敗北へのステージが一つ進んだ訳です。
 一般論として、戦闘者が自死するのは「敗北が確定するなどして、戦う理由がなくなり、なおかつ生きて敗北を受け入れたくない場合」と考えられます。沖縄戦でも、「島内各部隊との通信が途絶しがちになり、組織的戦闘が難しくなりそうだったから」というのが一般的な説明です。けれども、最初から目的が時間稼ぎだったわけですから、いずれそうなることは最初からわかりきっていたはずです。その時点で判断を変えずに戦闘を継続するべきだったでしょう。仮に、司令官全員が戦死しても、それを敵に知られなければ、少なくともさらに数日の時間を稼いだり、敵の戦力を空費させることも可能でした。
 現地でささやかれている風説には、「松代大本営が完成したという連絡があったから」というのがありますが、これも考えられません。本土決戦の準備期間など1日でも多い方が良い訳ですから、自ら玉砕のステージを進めてしまうのは明らかな利敵行為です。
 ですから、敵にも丸見えの方法で自決することに、戦略上の合理性は全くありません。自死するにしても司令部から離れた場所で、指揮官であるとは悟られないような形で死んで行くべきだったと思います。けれども実際には、10日もしないうちに米軍に死体を発見されてしまいました。

 旧日本軍 牛島満司令官らの最期めぐる新資料 発見,NHK,https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20250626/5090031964.html

 自決の美学の背景

 最後の命令に出てきた「生きて虜囚の辱めを受くることなく」は、有名な「戦陣訓」の一節です。有名と書きましたが、実は「戦陣訓」とは何かはあまり知られていません。何やら古来より伝わる大和魂の基本原理のように見えますが、成立したのは1941年。沖縄戦の時点で5年も経っていません。もともとは日中戦争時に発生した略奪強姦や一般民の虐殺などを戒めるために起案されたものが、いつのまにか古典的な精神主義を前面に出したものにすり代わって成立したという、ある意味でいい加減な代物です。少なくとも、明治天皇の名前で出された「軍人勅語」よりも数段権威の落ちるものです。こんなのを根拠に、戦場で自決を迫られるというのは、たまったものではありません。

昭和陸軍の戦陣訓,ウィキペデア,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

 「虜囚の辱め」という思想の理由は、日清日露戦争で捕虜になったときの日本軍将兵の行動パターンが原因だったと言われています。収用側との間に少し人間関係ができると、自分の知っている秘密をペラペラしゃべってしまう者が多かったというのが実情で、それを教訓に、昭和の日本軍は極力捕虜を出さないようにするのが方針になったと言われています。
 けれども、この「捕虜になるより自決」という異常な思想は、大戦末期の数年で軍人のみならず民間人にまで広がっていきました。どうやら日本の美意識にはまってしまったようです。穢れを嫌う日本文化では、不完全な生よりも首尾一貫した死が選ばれる傾向にあったのでしょう。武家文化にある切腹など、様式化した名誉回復手段としての自死という、極めて特異な文化が成立しています。
 これは、基本的に自殺を「神に対する反逆」と考えて罪とするキリスト教文化圏とは、著しい対比をなすものです。たとえば、有名なデュルケムの「自殺論」では、自殺の定義を広くとらえ殉職のようなものも、無条件で賞賛するどころか、罪としての議論が展開されています。日本人の感覚で言えば、特攻や自爆テロなど生還を考えない攻撃であっても、それを自決の一種とは考えられないでしょう。
 逆に、「名誉を守るための自死」など、デュルケムには理解不能なのではないでしょうか。つまり、もともとは秘密漏洩を防ぐための自死が、いつの間にか一種の日本的美学になってしまったわけです。
 こう考えれば、牛島中将らの自決の背景が見えてくるように思えます。彼らは「捨て石として十二分に働いたのだから、最期ぐらいは武士として美しく死にたい」と思ったのでしょう。人生の最後の最後に、戦略的な合理性よりも個人的な美意識を選んだということです。
 こうした思想はその後の沖縄戦末期には、なかば脅迫観念的に発揮されます。米軍の側から見れば、敗残兵や民間人が最後まで戦わずに潔く自死してくれるのは、不気味ではあっても危険性はなく、捕虜を管理する手間まで省けます。だから、潔く自決してしまうことには軍事的な合理性は全くありません。にもかかわらず沖縄全域で、自死......なかには集団自決という呼ばれる強制大量死が繰り返されました。
 近年の自衛官への教育などでの牛島中将らの名誉回復の動きに対して極めて強い反発があるのは、こうした大和魂的な美意識が極めて有害なものであることを、沖縄の住民は身にしみてわかっているからなのでしょう。戦前の身勝手で不合理な思想の安易な再評価は、地政学的な合理性に基づく捨て石論よりも、さらに感情的な反発まどをも招き、かえって国防上の脆弱さをもたらすことも、私たちは留意すべきです。

 ひめゆり学徒隊の自主性

 先日、ひめゆり祈念館を訪れて、自分が思い込みのせいで間違った先入観をもっていたことをいくつか気がつきました。たとえば、ひめゆり学徒隊は看護学生の集団だと思っていたのですが、実は今で言う普通科と教員養成科の女子高生たちでした。沖縄戦以前の平時の学校生活の資料をみていると、東の桜陰・西の神戸女学院といった自主性重視の本物の現代のエリート女子校と、極めて文化的に似ていたように思えます。
 ひめゆりの塔も併設の資料館も、戦後、生き残りのOGが中心となって自主的に作られた全くの民間施設で、その歴史観も官製の「美しい自己犠牲の物語」とは一線を画すものです。西田議員など鷹派さんたちが、本能的に嫌悪感を感じるのも、もっともな事だと思います。
 そして、そうした「自分で考えて行動する」文化のせいなのでしょうか、非暴力で米兵に対峙して眉間を撃ち抜かれた生徒がいた一方、集団死(一般的に言われる「集団自決」)が極めて少ないことが際立っています。200名以上の(広義の)ひめゆり学徒隊の戦死者の中で、集団死だと確認されているのは10名だけです。おそらく彼女たちも自分で考えて死を選んだのでしょう。けれども、映画などで手榴弾による集団死の典型例としてひめゆり学徒隊を出してくるのは、史実に大きく反しています。
 ひめゆり学徒隊には、組織的戦闘が終わる数日前、牛島司令官が「決別の電報」を打ったのと同じ日に、「解散命令」が出されています。この措置は、生徒達を米軍包囲下に無防備で放り出す無責任なものとして批判されることが多く、確かに多くの悲劇の原因にもなったのですが、私は別の面を評価をしたいと思います。
 命令の主要部分は、「学徒動員は本日をもって解散を命ずる。自今行動自由たるべし」最後の一文を現代語訳すると、「これからは、自由に行動してよい」というなります。つまり、「戦うにしろ、逃げるにしろ、降伏するにしろ、自死するにしろ、自分で考えて行動しなさい」という指示です。例の「生きて虜囚の辱めを受くることなく」のような一節がないことが注目すべき点です。つまり、「なんとかして生き残れ」がこの命令の本当の意図なのではないでしょうか。
 官立学校の教育者として、立場上は「悠久の大義などという非合理な美意識に絡め取られずに、とにかく生き残って敗戦後の沖縄復興に尽力しなさい」などとは言えない状況で、ぎりぎりの言葉が「自今行動自由たるべし」だったのではないでしょうか。ぐずぐずしていたら、上から自決命令が飛んで来かねない状況なのですから。

 一応クリスチャンである私は自殺否定論者ですが、戦場のような極限状況で目的のために命を犠牲にするという人間が出てくることを、一方的に批判する気はありません。過去のそうした人たちのおかげで、我々は平和や繁栄の利益を得ていることに感謝をすることをためらう訳ではありません。
 けれども、合理性を無視して「潔く死ぬこと」自体に価値をおくグロテスクな美学には、不気味さと嫌悪感を感じます。ましてやそれを他人に強制したり、教育の場に持ち込むことは絶対に許せません。