嫌なニュースでした。後味の悪さではトランプ・ミャクミャク・熊・早苗、の四天王を押さえて、この夏一番だったと思います。
JICA(独立行政法人国際協力機構)が、アフリカの4ヶ国と国内4都市をペアリングして国際交流をすすめる「アフリカ・ホームタウン」構想を今年8月に発表しながら、移民の大量受け入れにつながるとの批判を受け、9月に撤回してしまいました。
昨今の排外主義化の一例とされそうな話ですが、この件は一方的にJICAの不手際と考えるべきだと思います。まず、あまりにも関係諸国、諸都市に対して失礼だからです。こちらから声をかけながら、移民に来て欲しくないという理由で一方的に話を壊したのですから、先方の担当者はかなり顔を潰されているはずです。もしかしたら、熱心な反日主義者の誕生です。
一方、国内の都市では、「今の行政は市民に隠れて移民を大量に受け入れようとしている」との勘ぐりを受けました。自治体の側にそこまで遠大な計画があったとは思えないですが。これだけ話が広がってしまうと、日本人が排外主義的だとの第三国での評判も結構深刻です。
つまり、「アフリカ・ホームタウン」は、構想結構な額の税金を使いながら、あちこちに迷惑をかけたあげく、成果どころか多額の「借金」を残して撤退したわけです。なんでこんなことになったのでしょう。
ジャイカがわしい独立行政法人
もともと、公益法人とか行政法人とかいう組織には、利権や腐敗の温床になりやすい構造があります。つまり、「本当に公益やら行政やらを実行するなら、選挙という統治が(曲がりなりにも)機能している国なり自治体に、なぜさせないのか」という疑問をどうしてもつきまとうからです。
JICAの場合も、国際協力一般に関与する団体であり、ODAを事実上司り昨年度の行政コスト(予算?)が、約3000億円もある組織です。青年海外協力隊をやっていることでも有名です。独立行政法人とのことですが、何のために何から「独立」しているのでしょうか。世論から独立して官僚やOBの利権を守る組織......とまでは言いませんが、「感情的で無知な俗論から外交の専門家の判断を守る」ぐらいのイメージだと思うのですがいかがでしょうか。
ただし単純にこうした発想を、傲慢で非民主的であると断罪してしまうことにも問題はあります。最高裁判所・日本銀行そして「今は亡き」日本学術会議など、世論と一定の距離をおくことで社会の安定を守る組織というのは、どんなに民主的な国でも必要ありそうです。JICAに関して例を考えれば、たとえばODAにふるさと納税のような制度を持ち込み、途上国どうしの返礼品競争になるのは、さすがに具合が悪いでしょう。
けれども、意図的に世論から距離をおく組織というのは、戦前の統帥権干犯問題と同じ構造とメンタリティーがあり暴走する可能性が常にあるということは、当事者を含めて警戒をしておくべきことです。
一発退場ホームタウン
今回の「アフリカ・ホームタウン」構想がいきなり炎上したのは、JICAという組織のわかりにくさも根底にありそうです。特に移民労働者に対する態度が不明なことです。たとえば、ホームページに「NGO、民間企業、地方自治体等のパートナーと連携した活動や、日本に対する適正な労働者の送出しの促進を目的とした開発途上国と術協力事業の推進のために活用いたします」などというすごい言葉が出てきます。いつから「労働者」を途上国から受け入れを推進する国に、日本はなったのでしょうか。普通なら「研修」やら「高度人材」やらの言い訳を付けて書くところですが、ダイレクトに本音の?「労働者」という言葉を使っています。外国人労働者の受け入れの是非以前に、こんな大問題を平然と広報していられる組織が、何千億の税金を使っていることの方が恐ろしい気がします。
ところが、「アフリカ・ホームタウン」構想撤回を伝えるページでは、「その上で(今後も国際交流を促進する取組を支援していく上で)、JICAとしては、これまで移民を促進するための取組は行ってきておらず、今後も行う考えはないということを、改めてこの機会に表明いたします」と断言しています。「労働者」と「移民」の違いはあっても、矛盾したことを平気で書いているのです。
セキショナリズムの意思統一ができていないのなら、国際的な分断に手を付ける前に、組織内の分断をなんとかしてくれと言いたくなります。もし、広報の統括責任者がこの矛盾を放置して良いと考えているのなら、国際世論どころか国内世論をなめるなと言いうべきでしょう。いや、せめてもう少し上手な嘘をついてくれとお願いしましょう。
外国人材受入れ・多文化共生支援,https://www.jica.go.jp/activities/schemes/multicultural/index.html
「JICAアフリカ・ホームタウン」構想について,https://www.jica.go.jp/information/notice/2025/1573131_66416.html
さらに 「アフリカ・ホームタウン」構想について調べてみましょう。まず、対象国と相方になる自治体を並べます。(かっこ)内はおよその人口や公用語、主な鉱産資源です。また、自治体の方も人口を入れておきました。
モザンビーク(3100万 ポルトガル語 LPG) → 愛媛県今治市(14.1万)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82
ナイジェリア(2億3200万 英語 石油) → 千葉県木更津市(13.7万)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%B4%E6%B4%A5%E5%B8%82
ガーナ(3200万 英語 金 石油) → 新潟県三条市(8.9万)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E5%B8%82
タンザニア(6700万 英語 金 ニッケル) → 山形県長井市 (2.4万)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%8B%E3%82%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E4%BA%95%E5%B8%82
場所を確認しておきましょう。ナイジェリアとガーナは大西洋に、モザンビークとタンザニアはマダガスカル島の裏側でインド洋に面した国です。日本を基準にすれば地球の裏側にあるような場所で、直行の航空便はなく乗り換えを含めて15時間以上。格安航空券をつかっても往復で15万円ぐらいはします。はっきり言えば、地理的に遠い国々なのです。
鉱産資源にも恵まれ、これからの経済発展に期待ができそうで、念のため言えば、戦乱や大規模な自然災害などで大量の難民が出るような失敗国家ではありません。欧米列強の元植民地ということで、旧宗主国の言語などが国内の共通語・公用語として使われており、小学校以上の授業は英語という国もあります。つまり、大量の移民希望者が出る理由も、移住先にわざわざ日本を選ぶ理由もないのです。
JICAは、こんな遠方から多数の移民を呼び込むことを本気で考えていたのでしょうか。おそらく違うと思います。事実上最大の移民呼び込みプロジェクトである悪名高き技能実習生制度の胴元は、厚生労働省とその関係法人です。何か移民利権のようなものは、基本的にこっちに行くはずです。
JICAは良くも悪くも国際交流を促進するための組織です。なぜ、国際交流を進めるかといえばJICAだからです。よく言われるように、日本人の作る官僚型組織は、最初に組織の目的が与えられると、そこを疑うことは一切せずに、価値が形骸化しようが弊害化しようが、いつまでも動き続けるものです。おそらく国際交流のために作られた組織は、誰かが叩き潰すまで国際交流活動をやっているのでしょう。
もう少し具体的に説明すると、官僚組織は予算と権限を守るために実績を上げ、それを大げさにアピールするものです。JICAとしては、おとなりの中国と比べて、見劣りするアフリカ諸国とのパイプを太くして、関係予算と権限と人員を確保することに最大の関心があるのです。
だから、今回のように現地との関係悪化の可能性が大きくなると、さっさと撤退するのです。多くの日本人の作る組織は、こういう場合には延々と悪あがきをして傷を拡げるのですが、さすがは国際社会の荒波で鍛えられた逃げ足、見事でした。
奴隷としての技能研修生
世界中でほとんど誰も言っていないことですが、移民にならない権利というのがあるべきだと思います。多くの人は、自分が生まれた国で幸せに生涯を送りたいと思うはずです。ただし、一部の例外として外国に祖国より魅力的な「何か」を見つけた人のみが、一時的にしろ永久的にしろ異国で生活をすることになる。「何か」は仕事や宗教かもしれません。自然環境やスポーツかも知れません。かけがえのない誰かなのかもしれません。文化や民族などという「ばけばけしい」方もおられるでしょう。
けれども、祖国にいては健康で文化的な生活どころか命さえ守れないというような難民じみた移民。もうすこし言えば、自国に大きな不満がありどこか別の国で生きたいという国民が大量に出る場合の話です。「大きな不満」には、所得の少なさ、治安や衛生環境の悪さ、教育問題、いわれのない差別などがありそうです。こういう場合、移民を受け入れることは緊急援助としての意味はあっても、問題の根本的な解決とはほど遠いものです。どう考えても、不満を持っている人のうちごく一部しか、移民として脱出することは出来ないのですから。さらに言えば受け入れ国側には、「帰れない移民」の弱みにつけ込んで、思う存分に搾取してやろうという輩が、官民を問わずウヨウヨ居ます。
さっきも名指しにした技能実習生制度など、公設民営のタコ部屋です。こう言うと、制度の本来の趣旨やら成功例やらを持ち出しての反論がありそうですが、一定の期間やってみて一定以上の失敗例が出るものを、いつまでも税金でやってはいかんと思うのですが。ちなみに、「一定」というのは幅のある概念ですが、技能実習生制度に関しては十分、ボロクソに批判されるだけの「一定」でしょう。
もう少し具体的にやりましょうか。途上国から連れてこられた「実習生」は、多くの場合、日本の若者が寄りつかないような劣悪な職場で実習することになります。もちろん、まともなオンジョブトレーニングなんかある訳ありません。
現場で先輩の背中を見て「技」を「盗め」などと寝言を言わないで下さい。語学の壁もなく故郷からの移動も楽な日本人が、一向に「盗み」に来ない「技」って何なんでしょう。猿にでもできそうな仕事を、猿以下の待遇でやらされている例だって少なくありません。何を学ぶのでしょう。
さらに、たとえば農業の場合、気候も食習慣も違う国で技術を身につけても、故郷でどの程度役に立つのか心許ない話です。工業製品の場合も、同じような機械で同じような製品を作るときにしか使えないノウハウを学んでも仕方ないでしょう。確かに鋳物や旋盤など町工場系の職人技というのも確かにありますが、こういうのは機械に代替される可能性が常にあります。製品もろとも技術自体が不要になることさえあります。日本人の若者が学びに来ないものを、日本語の通じない外国人に短時間で教えようとして、うまく行くと考える発想が恐ろしいと思います。
途上国の若者を騙して連れてくるとハッキリ自覚しているのなら古典的悪人ですが、工場や畑から実習生が大量に脱走したあと、「最近の若者は辛抱が足らん」などとピンボケした感想をもつ経営者は古典的愚者です。。
ならない権利・出さない義務
この長屋の大家さんは、昨今の排外主義的な動きを見て「日本人は幼児的なので、これ以上移民を入れる能力がない」とおっしゃっていますが、少し補足が必要かと思われます。幼児的なのは排外主義者だけではなく、移民受け入れ主義者の大部分がそうなのではないでしょうか。
我が国で少子化対策など労働力不足の話をすると必ず出てくるのは、IT化と外国人の受け入れのセットです。つまり外国人は機械と同列なのです。機械とはある目的を達成するための人造物で、破損や劣化で機能しなくなったり、より効率的な新しい機械を入手したり、目的自体が消滅したりすれば、粗大ゴミになる代物です。生身の人間をこういう風に扱えば、それは立派な奴隷制度です。
移民を積極的に受け入れる側は彼らを「連れてこられた連中」だと思い、排除する側は「乗り込んできた連中」と見なす。それだけの違いです。これらを幼児的と呼ぶのは、さすがに幼児に失礼な気がします。どちらも、ただただ薄汚い思想です。そして、さらに救いがないのは、移民というものの実体を見れば、こうした見立てはあながち間違っているとも言い切れないことです。前者の例は、バビロン捕囚、奴隷貿易......、後者はゲルマン民族大移動、メイフラワー号......、「連れてこられた」わけではなく、「乗り込んできた」わけでもない移民なんて、地球上に存在したことがあるのかどうか不明です。
移民という発想には、多かれ少なかれ人間の醜い部分が投影されやすく、このことは受け入れ側だけではなく、一旗揚げにやってくる側にも言えると思います。言い方を変えれば、人間の「悪い意味で幼児的」な部分を反映してできた社会システム、つまり必要悪のひとつが移民なのでしょう。
理想を言えば「人間には移民にならない権利があり、統治者には移民を出さない義務がある」とするべきです。そしてこのことを誤魔化さずに、何をやっても矛盾がでる現状にゲッソリしながら、それでもなお目の前にいる人たちに何をしたら良いのか悩むのが、大人の態度だと思います。