金属ポルノの恥ずかしさ 【裸婦像をめぐるラフな議論 その4】

 高松での裸婦像の撤去について議論を続けます。もし、以前の記事をこれから読んでくださる方がおられましたら、以下のリンクをお使いください。

 日本人ファーストの民度 【裸婦像をめぐるラフな議論 その1】,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/12_0749.html
 困難な彫刻 【裸婦像をめぐるラフな議論 その2】,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/13_0750.html
 多産の量産、もうたくさん 【裸婦像をめぐるラフな議論 その3】,
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/09/15_0820.html

 次に、「アジア太平洋戦争後平和になり、戦前戦中に作られた軍人さんの立像の代わりに、公的な場に裸婦像が多作されるようになった」とする説を検証してみましょう。
 武士や軍人の銅像は造りやすそうです。戦わせて良し、武器を持たせてよし、倒れてより、耐え忍ぶもよし、ビッグネームなら平服で前を睨んでいても絵になります。寄付も公金も獲得しやすかったでのしょう。
 すぐには何の人か分からない文民では、こうは行きません。たとえば、財界人にソロバンを持たせるわけにもいかず、別に説明がいります。文民の像で一番多いのは、おそらく学者さんたちでしょう。たいていの大学には、創立者の胸像があります。毎年末には、サンタクロース姿の碩学も多数おられます。歴史のあるキャンパスでは、そこらじゅう像だらけだったりします。
 面白いところでは、渋谷のハチ公の飼い主さんも駒場の大学におられます。もちろん研究者としての功績によるもので、模範愛犬家としてではありません。キャンパスの改装で一時撤去するとき、わざわざ学生たちが渋谷まで運んで、ハチ公と対面(再会?)させたという話もあります。
 けれども、戦後は軍人に代わって研究者や文化人の胸像が量産されるようになったわけではありません。民主的な価値観の中で、そんなことを望むのは恥ずかしいと思う人が増えたからでしょう。
 院生時代の私の指導教授。学生たちと各種胸像の横を歩くとき、「間違ってもこういうの作るなよ」と何度もつぶやいておられました。私たちは「これだけおっしゃるのは、よほどお姿を残されたいのだな」と解釈して、「オレたち成功したら、カニ鍋屋の看板みたいにギッチンギッチン動く巨大なやつを建てよう」と誓い合いました。幸い今のところ誰一人として成功しないまま、世間に散らばっています。代わりに、この長屋で大家さんの......やめておきましょう。
 さて、軍人・政治家・作家・科学者......偉人には全て固有名詞があります。建ててしまったあと、革命のスキャンダルでモデルが極悪人認定されてしまうと、叩き壊さざるを得ないことになります。一種の公開処刑ですから像の芸術性は一切考慮されません。
 こうした事情もあり、固有名詞のある像やイデオロギー色の強い像の建立を、本人も含めて誰も希望しなくなったことが、裸婦像量産の契機になったというのはありそうな話です。    
 けれども、二つの大きな疑問が残ります。まず第一に着衣ではだめなのかということ、第二になぜ女性ばかりなのか、ということです。一つずつ見て行きましょう。

 昔、ジーンズにはメッセージがあった

 第一の問いのヒントになりそうな作品を、数年前に見かけました。ジーンズをまとい上半身だけが裸という女性のブロンズ像です。この作品で一番印象に残ったのはジーンズ生地の質感でした。金属で布を表現するのですからかなり無理があり、デニム地が、ブリキ製のバケツのように見えてしまいました。材質上の違和感が強烈過ぎて、モデルさんの事などは全く覚えていません。
 けれども、考えてみれば県立美術館に出品するような彫刻家が、技術的な難しさを知らずにジーンズを使用しとは考えられません。また、美術館がわざわざ失敗作を収蔵品にするとも思えません。
 歴史的にジーンズは思想性の強いアイテムでした。まず、黒人奴隷の労働着という暴力的なルーツがあります。学園紛争のころ若い女性がジーンズを着用するのには、「私たちは、男性と同じように活動する」という強いメッセージがありました。
 約半世紀前の学生運動全盛期の話ですが、大阪大学で外国人非常勤講師がジーンズ着用の女子学生を授業から閉め出したため、学生たちから猛反発を受けて辞任に追い込まれるという騒動までありました。ちなみに、その先生の本務校は、この長屋の大家さんが長年教鞭をとっておられらた泣く子も黙る某女子大で、決して女性差別的な人ではなかったようです。逆に言えば、それだけ強烈な意味が、当時は女性のジーンズ姿にはあったのでしょう。

働く女性の50年史(9),福沢恵子公式サイト,http://www.keiko-fukuzawa.jp/15733036764245
北原恵,ウィキペディア,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E6%81%B5https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E6%81%B5

 話を作品にもどしますが、おそらく制作者は何らかのメッセージを込めて、モデルにジーンズを着用させたのでしょう。たとえば私が思いついたのでは、伝統的なジェンダー(上半身)と男性と同等に活動する女性(下半身)との分裂です。
 こういう作品には時間の概念もはいってきます。裸婦がジーンズを着用したのか、さらに何か着衣が加わる途中なのか、逆に脱ごうとしているのか......多様な解釈が可能とは言え、作品の方向性が、着衣によってかなり限定されているように思います。言い方を変えれば「ジーンズが威張っている」のです。当然、制作者の意図なのでしょうが、こうしたことを避けたい場合もあるでしょう。
 もうひとつ、日用的な衣類が登場したことで、その裸婦の具体性・個別性に注目が集まります。こうなってしまうと、「この女性(実在するとして)はどこまで納得してモデルになったのか」とか「この作品は彼女の人生に、どんな影響をおよぼしたのだろうか」とか「有名作品として自分の裸像が半永久的に展示されることを、どう思っているのか」などと余計なことを考えてしまいます。こうした思慮を芸術に持ち込むことが適切なのかどうかは、議論の余地がありそうですが、少なくとも制作者が意図したことではなさそうです。ですから、着衣像を裸婦像とでは、意図するものがまるで違い、抽象的なテーマの場合、着衣がノイズになってしまう可能性がありそうです。
 さて、今回記事をまとめるにあたって、記憶をたよりに該当の像をさがしてみました。おそらく滋賀県守山市の佐川ミュージアムで見た佐藤忠良の作品だったようです。残念ながら、その彫像そのものの画像は公開されていませんので、別の場所にあるよく似た像の画像を示しておきます。

「ジーンズ・夏」佐藤忠良,屋外彫刻の青空広場,https://publisann.com/%E3%80%8C%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E5%A4%8F%E3%80%8D%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%BF%A0%E8%89%AF/

 また、唯一の着衣が大きな意味を持つという私の考えは、どうやら作者なり佐川美術館の意図だった(知らなかった)らしいということも付け加えておきます。

佐藤忠良 身にまとう,佐藤忠良館,https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2014/02/post-38.html