12月31日(月)

2012年の10大ニュースです。

1)旅行
今年もいろんな所へ行った。
1月は家族で四国の丸亀へ。守さん主催のTFT講習会参加のためである。途中、神戸に前泊して「燕京」にて美味しい中華をいただいた。丸亀では、守さんにたいへんな歓待をしていただいた。
3月は熱海の梅園と河津桜を見物。梅と桜がいっぺんに見られるという贅沢な旅であった。
5月は西伊豆岩地の大漁祭りへ。カツオのなますは、ほんとうにおいしかった。
7月は大阪天神祭へ。「西成の叔父貴」ことホリノさんのご案内で、初めての大阪天神祭を見学。そのあまりの人出に圧倒された。昼は、サニーくんのご案内でお好み焼きを、夜はホリノさん、奈良のオーヤマ先生ご夫妻と焼肉。初物尽くしの旅だった。
10月は西伊豆の雲見温泉海賊料理まつりへ。伊豆の山中で突然プリウスが動かなくなった。JAFに連絡したら、車はそのまま浜松に回送するとのこと。とりあえず雲見まではバスで。帰りは、「救世主」スガイ先生に新富士駅まで送っていただいた。感謝してもしきれません。
11月は、スガイくんとアメフトの立命戦観戦後、京都へと移動して紅葉を見物。夜の永観堂のライトアップには感動。翌日は雨の紅葉見物となったが、それもいい思い出になった。

2)合気道の昇段審査
いつもにもまして合気道の稽古に熱が入った年だった。11月に昇段審査があったためである。
昇段審査は約40分。最後まで体が動くか心配だったが、何とか審査を終えることができた。
最近は、週に一度は稽古着を着けないと何かヘンな感じがするほどである。

3)インバル、都響のマーラー
3月、サントリーホールにて「大地の歌」、9月と10月は、横浜みなとみらいホールにて、それぞれ第2番「復活」と3番。どの演奏も深く心に沁みる演奏であった。
3月は、少し早めに行って両国界隈を散策した。柳橋とか見ることができて感動した。コンサートの翌日は築地にて海鮮丼を賞味。
インバルではないが、7月には「名古屋マーラー音楽祭」の最後を飾る8番も聴きに行った。アマオケによる演奏であったが、なかなかの演奏を聴かせてくれた。

4)オーサコくんとカンキくんの華燭の宴へ
4月はオーサコくん、12月はカンキくんの華燭の宴へ。
特にオーサコくんの結婚式では、仏前結婚式というものを初めて見た。内田先生をはじめ、本部のいろいろな方とお会いでき、ほんとうに楽しいひとときを過ごすことができた。本部の人たちと一緒になると、あまりに楽しくて、つい飲み過ぎてしまうのであった。

5)iPhone5
11月、iPhone5に機種変更した。iPhone5は、4に比べて軽いし速いし、快適そのもの。
ついでに、自宅の初代インテルmac miniがあまりに虹色風車頻発のため、最新のCore i7搭載モデルを購入。こちらも、サクサクそのもの。ネット環境は、モバイルを含めて劇的に改善された。

6)K.G.Fightersの応援
11月、関西学生アメリカンフットボールリーグ最終戦の立命戦へ。何とシャットアウトでリーグ優勝を決めてくれた。
12月の甲子園ボウルでは、法政大トマホークスと熾烈な勝負を繰り広げ、試合終了まで残り4分を切ってからの逆転劇を見せてもらった。最後のフィールドゴールは、手を合わせて祈っていた。すばらしい試合だった。
いよいよ年明けはライスボウルである。

7)鏑射寺の護摩行
守さんのオススメもあって、夏休みの終わり、ぜひ例祭に参加してみようということになった。
鏑射寺は、静かでとても居心地のいいところだった。護摩行と法話が終わって、中村山主が参加者全員をお見送りしていたのにも驚いた。機会があれば、またぜひ行きたいと思う。

8)健康診断
指定年齢健診で5年ぶりの人間ドックへ。膵臓のアミラーゼ値が高すぎるとのことで、MRIによる再検査を受けることになった。結果、異常なしだった。ほっとした。
ついでに、今まで受けたことのなかった脳ドックも受診してみることにした。こちらも異常なしだった。健康であることはありがたいことである。

9)スクーターとカメラを買った
なぜか突然、スクーターが欲しくなった。あれこれ健闘の末、ホンダのジョルノの中古を購入することにした。さっそく、浜名湖周辺を走り回ってみた。風が爽快だった。
カメラは、オリンパス・ペンのE-PL2というミラーレス一眼デジカメを購入した。それまで使っていたコンパクトデジカメと違って、雲の色の違いまではっきりくっきり写すことができて感激した。いろんな写真を撮ってみたいと思った。

10)村上春樹にハマった
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文春文庫)を読んで以来、どうしても村上春樹の小説やノンフィクションを読んでみたくなった。
実際読んでみたら、どの本もほとんど一気読みだった。村上春樹のよさを再発見した。

長屋住まいも8年目を迎え、ホリノさんの勧めもあって途中から音楽日記を書くことになった。実際に音楽のことを書いてみると、音楽を言葉で表現することの難しさをいろいろと実感させられた。今後も、自分への挑戦のつもりで音楽のことを書いていきたい。

では、どちらさまもよいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月27日(木)

2012年も残すところあと数日。
というわけで、今年仕事の行き帰りの車の中でいちばんよく聴いた曲のことについて書いてみたい。

その曲とは、武満徹の「From me flows what you call Time」である。
この曲は、昨年の5月に佐渡裕がベルリン・フィルを指揮した際に演奏したことでよく知られている。

作曲されたのは1990年。武満徹60歳の時の作品である。カーネギーホール創立百周年記念委嘱作品として作られ、小澤征爾指揮のボストン交響楽団とネクサス(打楽器演奏集団)によって初演された。
「5人の打楽器奏者とオーケストラのための」と題されているように、様々な打楽器とオーケストラが共演を繰り広げる。
佐渡裕がベルリン・フィルを指揮した時には、ステージ上の照明灯の近くから吊り下げられたチューブラーベルを、打楽器奏者が五色の布で引きながら演奏していたのが印象的だった。

作曲者自身の言葉を借りると、以下のとおりである。
「私がこの作品を書くように求められた、ちょうどそのとき、私はチベットの風習に関する書物を読んでいた。季節風がチベットに吹いてくるとき、人々は国の別な場所へ移動する。そのとき彼らはとても美しい祭礼をする。それは、'rlung-ta'(風の馬)と呼ばれている。
彼らは平原に長い紐を張り、五色(青、赤、黄、緑、白)の美しい着物を掛ける。これは幸運のシンボルであり、それぞれの色は特別な意味を持っている。青は空にかかわりがあって、白は透明だがあらゆる色を含んでいる。黄は収穫とかかわりがある等々。春になって季節風が吹きはじめると、彼らはこの風の馬と共にどこへ移動するかを決める。
そういうことで私は次のようなアイディアを得た:五つの色、五人の打楽器奏者。それぞれの奏者は、それぞれの色に照応して、独自の特別な役割をもっている。私はカーネギー・ホールにそのコンサート・ホールの全部を使いたいと言った。ホールに小さな鈴を垂らすつもりである。 − バルコニーの下に、右にも五つの鈴を、リモート・コントロールのように五つの色のリボンを結び付けて」。(@「翡翠の千夜千曲」)

また、この曲のタイトル「From me flows what you call time」については、
“題名は、大岡信の詩「澄んだ青い水」 −英訳は、大岡とトーマス・フィッツシモンズにより《Clear Blue Water》と題されている−の一節から、詩人の諒解をえて引用された。この詩を読んだ時、私はカーネギー・ホールから、その100周年を記念するための作曲委嘱を受けた直後だったが、From me flows what you call Timeという一節から、強く触発されるものを感じた。”(引用同じ)
とある。
以下の一節である。

“雪をかぶった青いこぶしを
天に振りあげ、
古代のその水の精は
叫んでゐるー

「この俺から
お前らの『時』は流れ出す」と。”

曲は、下降する5音と上昇しつつ戻る3音のフルートのソロで始まる。この主題の役割を果たすかのような音列が、曲全体を終始支配する。
オーケストラの前奏のようなパッセージに続いて、いろいろな鐘の音が響く。冒頭の主題音列をホルンが引き継ぎ、しばらくオーケストラの演奏が続いたあとで、打楽器群のソロとなる。
オーケストラとの掛け合いを経て、曲は新たな局面に入る。しかし、前進するかのようなオーケストラの響きは、鐘の音によって中断され、打楽器のソロが入ってくる。ここの響きの美しさと言ったら!まるで、どこか違う世界から響いてくるかのようだ。
暫しの沈黙の後、変形された主題音列が繰り返される。それにドラムが加わる。多少は野趣を感じさせる雰囲気は、再び主題音列によって中断されるが、最後はそのドラムのソロが戻ってくる。鐘の音に続いて、オーケストラが小さなクライマックスを作る。コーダは、低弦の伴奏をバックに五色の布に結び付けられたベルが消え入るように鳴らされて曲を閉じる。

家から職場までは、車でおよそ30分の道のりである。この「From me flows what you call time」の演奏時間が約35分であるから、行き帰りに聴くにはちょうどよい長さということもあってか、何度も繰り返し聴いた。
何より、打楽器群の得も言われぬ響きが気持ちを随分とリラックスさせてくれ、仕事へ向かう気持ちや、仕事を終えたあとの疲れを癒してくれたように思う。

愛聴のCDは、初演のネクサスの打楽器、カール・セント=クレア指揮、パシフィック・シンフォニ・ーオーケストラによる演奏(輸入盤)である。
初演者ということもあって、曲の雰囲気と作曲者の意図を伝えてくれるいかにもいい演奏である。

音楽は、現実の音符や楽器を使用して「結界」を作り出し、聴く者を異世界へといざなってくれるものである。
よい演奏とは、畢竟そんな「結界」を作り出せる演奏のことである。
異世界へといざなわれたわたしたちは、そこで過去を回想したり、未来を夢見たりしながら、この上ない癒しと励ましを受ける。そうして、現実の世界で生きていくための勇気をもらって異世界から戻ってくる。

そんな音楽を、これからもたくさん聴いていきたい。

12月11日(火)

師走もそろそろ中旬、日本列島も本格的な冬将軍の到来を迎える時期となった。
特に、この週末は強風とともに気温もぐっと下がり、ふだんはほとんど雪など降ることのない浜松でも風花が舞ったりした。

寒くなるとお鍋が恋しくなるように、音楽はショスタコーヴィチが聴きたくなる。
もちろん、ショスタコーヴィチが旧ソ連という寒いお国柄の作曲家であるということもあるのかもしれないが、空気が冷たく乾燥してくると、どうもそれがショスタコーヴィチの音楽とよくマッチするような感じがするのである(だからといって、ショスタコーヴィチの音楽が冷たく乾燥した音楽であるというわけではない、
もちろん)。

ショスタコーヴィチは、生涯に150曲近くの作品を残している。多産な作曲家だったのである。
そんな数多くの曲の中から、とりあえず1曲だけを取り上げようというのはなかなか難しいのであるが、今回はちょうど1ヶ月前にNHKのBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」で放映されたスラトキン指揮、N響による演奏がなかなかの名演だった交響曲第7番を取り上げてみたい。

この第7交響曲は、「レニングラード」と呼ばれる。
レニングラードは、今は世界地図上に存在しない都市(現在の都市名はサンクトペテルブルク)である。この第7シンフォニーがそのかつての都市名で呼ばれるのは、作曲者自身が「わが故郷レニングラードに捧げる」と表明した(1942年3月29日、プラウダ)ことに由来している。
さらには、作曲の開始された時期が、その後900日に及んだ凄惨な「レニングラード攻囲戦」が開始された直後であったということも大きく関与しているのであろう。

ナチス・ドイツがソ連への侵攻作戦を開始したのは1941年6月。短期間に侵攻して8月の終わりにはレニングラードに通じる全ての鉄道・道路が遮断され、9月には市内への砲撃が開始された。
ショスタコーヴィチが作曲を開始したのは、まさにレニングラードが包囲されようとしていた8月のことであった。
作曲を開始して間もなく、ショスタコーヴィチは市民に向けて以下のようなラジオ放送を行なった。レニングラード市内への砲撃が始まって2週間ほど経った9月17日のことである。
「わたくしは、かつて一度も故郷を離れたことのない根っからのレニングラードッ子です。今の厳しい張り詰めた時を心から感じています。この町はわたくしの人生と作品とが関わっています。レニングラードこそは我が祖国、我が故郷、我が家でもあります。何千という市民の皆さんも私と同じ想いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、一番美しい広場、建物への愛情を抱いていることでしょう。」
と述べ、現在作曲中の交響的作品を市民の前で発表することを誓っている。(@Wikipedia)

作曲はわずかに4ヶ月ほどで終了した。
これからどうなるのであろうかという、漠然とした不安を抱えた市民をどう励ますか。ショスタコーヴィチの念頭にあったのは、ただそのことのみであったろう。その思いが、作曲者をして異例の速さで曲を完成させることに駆り立てた。

実際に曲を聴いてみよう。
第1楽章。元気よく始まる第1主題は「人間の主題」と呼ばれる。さらに「平和な生活の主題」と呼ばれる第2主題。戦争が始まる前の平穏な生活が描かれる。
展開部に入ると、小太鼓のリズムに乗って「戦争の主題」が始まる。ラヴェルの「ボレロ」を彷彿とさせる技法で徐々にクレシェンドしていくのだが、どうもメロディの明るさが気になる。とても「戦争の主題」とは思えない、まるでピクニックにでも行くかのようなメロディなのである。軽妙な旋律にすることで、ドイツ軍の侵攻が大したものではないということをアピールしようとしたのかもしれない。
「戦争の主題」は、フルオーケストラによるクライマックスを迎えて再現部に入る。再現部はファゴットのソロで静かに始まり、戦争の暗い雰囲気を感じさせながら終わる。

第2楽章と第3楽章は、戦争前の平和な生活が回想される。全編に哀愁に満ちたメロディと祈りが溢れる。
曲はそのままアタッカで終楽章へ。
漠然とした不安を感じさせる始まりに続いて、実際の戦いを描写していると思しきモチーフが奏される。重苦しい雰囲気の中から、少しずつ光明が見えてくる。
まるで、「この戦いは辛く苦しい戦いになるであろう。しかし、最後まで希望を捨てずに戦い抜こう。勝利は約束されているのだ。」とショスタコーヴィチが市民に語りかけているかのようだ。
そうして、第1楽章の冒頭の「人間の主題」が戻ってくる。約束された勝利が高らかに宣言されて曲が閉じられる。

レニングラードでの初演は、攻囲戦最中の1942年8月9日に行われた。この曲の演奏が、絶望の淵にあったレニングラード市民をどれほど勇気づけたかは想像に難くない。
この曲が、旧ソ連のプロパガンダであるとして、「壮大なる愚作」と評されたこともあったとのことであるが、それこそ「後知恵」と言うべきであろう。
ショスタコーヴィチは、自分と周囲の人間が置かれている状況の中で、自分が音楽家として何ができるのかを問うた。そうして、止むに止まれぬ思いでこの第7交響曲を作曲した。傑作と言わずに何と言おうか。

しかし、ショスタコーヴィチの思いとは裏腹に、実際の「レニングラード攻囲戦」が終結したのは、この第7交響曲が作曲されてから2年以上経過してからであった。
その間の攻囲戦は悲惨を極めた。特に、補給路を遮断されたことによる寒さと飢餓が、さながらこの世の地獄のような様相を呈したとのことである。何より、死者の数の多さ(一説によれば100万人と言われる)がそのことを物語っている。
ショスタコーヴィチは、市民を勇気づけるつもりで作曲した7番だけでは、その凄惨な攻囲戦を物語ることができなかった。暗く悲しみに満ちた交響曲第8番は、こうして生み出されるのである。

この第7交響曲を初めて聴いたのは、ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルによる演奏であった。確か、大学のクラブの先輩が持っていたレコードを聴かせてもらったのだと思う。
ひどく感動して、同様のレコードを買い求めようとも思ったのだが、違う指揮者の演奏も聴きたいと思い、バーンスタイン指揮のレコードを買い求めたことを覚えている(残念ながら、バーンスタインの演奏は録音の悪さも手伝ってか、ノイマンのような深みのある演奏ではなかった)。

CDでは、バルシャイによる全集版と、ロストロポーヴィチとナショナル管によるものがある。
バルシャイ盤は、指揮者がショスタコーヴィチに師事していたこともあって、作曲者へのリスペクトが随所に感じられる好演である。ロストロポーヴィチ盤は、残念ながらチェロを弾くようにはオーケストラを鳴らすことができなかったという感じがする。
こうして書いていると、どうしても初聴のノイマン盤を聴きたくなってきた。

第7交響曲が完成したのは12月17日である。その日までには、ノイマン盤を手に入れて聴いてみようと思う。

11月27日(火)

今日は、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」が初演された日である。

“1931年11月27日、ウィーンでロベルト・ヘーガー指揮、ウィトゲンシュタインのピアノで初演が行われたが、ウィトゲンシュタインは楽譜通りに弾き切れずに勝手に手を加えて演奏し、その上ピアノがあまりにも難技巧にこだわりすぎていて音楽性がないと非難したため、ラヴェルとウィトゲンシュタインとの仲はこれ以降険悪となった。その後、1933年1月27日に、ジャック・フェヴリエの独奏によりパリで再演されたのが、楽譜どおり演奏された初めての演奏となった。”(@Wikipedia)

ちなみに、初演のピアノ演奏をしてラヴェルと険悪な関係になったピアニストは、かの有名な哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄である。
彼は、第一次世界大戦に参戦して右腕を失ったため、左手だけで演奏ができるピアノ協奏曲をラヴェルに作曲依頼した。依頼を受けたラヴェルは、当時既に構想していたピアノ協奏曲と並行してこの曲を作曲することに挑戦した。結果、この「左手のためのピアノ協奏曲」の方が一年早く完成し、これがラヴェルの初めてのピアノ協奏曲となった。

ピアノを弾いたことのない方でも、鍵盤の左側ほど低い音で、右側が高い音という配列になっていることはご存知であろう。そういう鍵盤の配列から、一般的に左手は低音の伴奏パートを、右手は中音から高音域の旋律パートを受け持つことで、一つの楽曲を演奏することが多い。
そんな基本的には両手で弾くピアノを、左手だけで演奏しようというのだから、これは通常の演奏よりもかなり高度な技術を要求されるということは想像できよう。

ましてや、ラヴェルが作曲したこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、左手だけで簡単に弾けるようには作られてはいない。初演者が「難技巧にこだわりすぎ」と非難したように、たとえ左手だけであってもラヴェルは一切の妥協をせず、自らが表現しようとしたことを最優先させて作曲したはずなのである。

実際に曲を聴いてみよう。
全曲は単一楽章であるが、一般的なピアノ協奏曲のように3部から構成されている。
冒頭、低弦が何やら地下でうごめくものをあらわすかのように、不気味な雰囲気を醸し出す。そんな中からテーマらしきものが形作られ、それがフルオーケストラによって奏でられたところで、ややエキゾチックに彩られた独奏ピアノがお出ましする。そうして、長いカデンツァを奏する。
このカデンツァ、とても左手だけで演奏しているとは思われないカデンツァである。
そのカデンツァが終わって、オーケストラの間奏が入る。間奏が終わると、再びピアノが戻ってくる。それにしても、ここでのピアノソロの美しさと言ったら!
ピアノソロは、途中から木管楽器との掛け合いになって、第2部への橋渡しとなる。

第2部は行進曲のように刻まれるリズムに乗って、ピアノが自在にメロディーを紡ぎ出す。途中、ピッコロやフルートとの掛け合いの部分が、これまたたいへんに可愛らしいくていい。

再び第1部の主題がフルオーケストラで戻ってきて、曲は第3部に入る。この第3部のピアノの最後のカデンツァは、まさに凄絶と言えるほどの美しさである。
そう、とにかくこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、特に独奏ピアノのカデンツァがとても美しい曲なのである。

愛聴盤は、サンソン・フランソワのピアノ、アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏である。
フランソワについては、以下のように記されている(@Wikipedia)。
“フランソワの演奏は他の演奏家とは一線を画す独特なもので、非常に個性的であるため、ピアノを演奏をする人の範とはなり難い。それでも、フランソワの演奏は文化的価値の高いものであるため、没後も何度も版を重ねてCDが発売されている。”

そんなフランソワの演奏であるが、「左手のためのピアノ協奏曲」が演奏至難の曲であったことと、きわめて個性的であったことが、同じく個性的なフランソワの自負心をいたく刺激したのであろう、思い入れと熱のこもったすばらしい演奏を聴かせてくれる。
まず、第1部のカデンツァの出だしを聴かれよ。これほどの音色を他の何人が出せるであろう。
速い音の動きの部分の流麗さ、そうして、何より随所に聴くことができる濃厚な抒情…。

ロン=ティボー国際コンクールにわずか19歳で優勝したこの早熟な天才は、ショパンやドビュッシー、ラヴェルなどの限られたレパートリーに、その天才ぶりを遺憾なく発揮した。
そうなのだ。別にオールラウンダーでなくてもいいのだ。
わたしたちは、どんな作曲家の曲でもそれなりの演奏で聴かせてくれる演奏家を求めているのではない。
自分の感性が訴えかけてくるところを信じて、その内奥から湧き出てくるところのものを、それこそ全身全霊を傾けて演奏するような演奏家をこそ求めているのだ。

フランソワが、このラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」をレコーディングしたのは、彼が35歳のとき。まさに無人の荒野を行くがごとき、他の追随を全く許さないほどのすばらしい演奏である。
もちろん、クリュイタンスのサポートも、単にサポートに徹しているというのではなく、フランソワの感性に火を点けるようにオーケストラを鳴らしている。
つまり、両者が互いに刺激し合いながら、曲が持つ芸術性をより高めている演奏なのである。

初演者が「難技巧にこだわりすぎていて音楽性がない」と非難したこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、サンソン・フランソワという天才を得て、その曲の持つ音楽性がいかに高いものであるかということを多くの人に知らしめることになった。
この演奏を聴けば、作曲者であるラヴェルもさぞかし喜んだことであろう。

11月15日(木)

今日は、指揮者フリッツ・ライナーの命日である。
誰それ?と言われる方のために略歴(@Wikipedia)を。

1888年、ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学び、バルトーク、コダーイ等に師事。
1910年(22歳)のときに、ビゼーのオペラ『カルメン』で指揮者デビュー。
1914年(24歳)、ドレスデン国立歌劇場指揮者。リヒャルト・シュトラウスと親交を持つ。
1922年(32歳)、渡米してシンシナティ交響楽団音楽監督、ピッツバーグ交響楽団音楽監督、メトロポリタン歌劇場指揮者などを歴任。
1953年(63歳)、シカゴ交響楽団の音楽監督。死去までの10年間、同楽団の黄金時代を築く。
1960年(70歳)、心臓病の発作で入院。それ以降、指揮活動に制限が加わる。
1963年11月15日、ニューヨークで死去。

ライナーは独特の指揮をする人だったらしい。
実際、1950年代前半にライナーの指揮ぶりを目の当たりにした音楽評論家の吉田秀和氏は、そのときの印象を以下のように書かれている。
“いまだに一番はっきり思い出すのは、彼のバトンのふり方である。バトンを下にさげてぶらぶら振っている指揮者の姿は、私は、後にも先にも、この時のライナーのほか見たことがない」「とにかく指揮棒の先端が上を向いていなくて、下を向いているのだから、びっくりした」「楽員たちは、頼るものがなくなるから、当然恐ろしくなり、全神経を集中し、緊張そのものといった表情で演奏する」と述懐し、ライナーの指揮を「指揮の技巧の巧拙というものが考えられるとしたら、ライナーはまれにみる指揮のヴィルトゥオーゾであった”(『世界の指揮者』、ちくま文庫)

そんなライナーは、主にシカゴ交響楽団との多くの録音をRCAに残している。レパートリーは広く、ハイドンから始まってバルトークまで多岐にわたっている。
そんな数多の録音の中からとびきりの演奏を探すのは至難の業だが、自分の持っているレコードやCDの中から一枚を選ぶとするなら、レスピーギの「ローマの松」であろうか。これは、ほんとうにすばらしい演奏なのである。

当時のシカゴ交響楽団は、特にブラスセクションにヴィルトゥオーゾが揃っていた。トランペットのアドルフ・ハーセス、ホルンのデール・クレヴェンジャー、トロンボーンのジェイ・フリードマン、チューバのアーノルド・ジャイコブスなどの錚々たるメンバーである。
そんな名人たちをまとめ上げ、その持てる力を十分に発揮させたのがライナーだったのである。

「ローマの松」の第1部は、「ボルゲーゼ荘の松」。いきなりファンファーレ風トランペットのいかにも賑やかな吹奏で始まる。作曲者自身の解説によれば、「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。」とある。
突然、曲は中断されて第2部へ。

第2部、「カタコンブ付近の松」。「カタコンブの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」
弦の静かな伴奏にゴングが厳かな雰囲気を添える。舞台裏のソロ・トランペットが、聖歌のようなメロディーを奏する。心に染み入る美しさである。このソロを吹いているのがアドルフ・ハーセスであろうか。
悲嘆の聖歌は、トロンボーンの斉奏で頂点に達する。ここもシカゴ響ブラスセクションの聴きどころの一つである。

第3部は「ジャニコロの松」。ピアノのアルペジオとソロ・クラリネットが静かな夏の夜のような雰囲気を醸し出す。「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」
曲の終盤では、テープに録音された実際の鳥の鳴き声が流される。そんな夜明けを告げるかのような鳥の鳴き声の中から、静かに足音が聞こえてくる。

第4部、「アッピア街道の松」。有名なローマ軍の行進である。低弦の刻むリズムが遠くから近づいてくるローマ軍の足音を伝える。「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」
最後は、客席に配されたトランペットとトロンボーンのバンダに、舞台上の金管楽器群が呼応して壮大なクライマックスをつくり上げる。
このクライマックスでのシカゴ交響楽団の金管楽器群の目も眩むばかりの華麗さは、いかばかりであろうか。まさに、黄金時代と言われたシカゴ交響楽団の実力を耳にすることができるのである。

現代は、「ものわかりのよさ」が求められる時代である。
「よくわからないもの」は「よくわかるもの」に変換され、またそんな変換をしてくれる人を求める。
指揮者についても、まったく同様のことが言えるのではなかろうか。
楽団員からもオーディエンスからも「よくわかる指揮」が求められ、指揮者もできるだけはっきりと分かるように指揮棒でリズムを刻み、キューのサインを出す。
でも、そんな懇切丁寧な指揮などしなくとも、ライナーのようにオーケストラからすばらしい演奏を引き出すことができる指揮者はいたのだ。
団員が「全神経を集中し、 緊張そのものといった表情で演奏する」からこそ生み出される至高の演奏。

そんな指揮者がいなくなった。
さて、次はライナーが生前敬愛していたバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴くとしよう。

11月9日(金)

今日は、ブラームスのピアノ協奏曲第2番が初演された日である。
今から131年前の1881年、場所はブタペスト、指揮はアレクサンダー・エルケル、ピアノを弾いたのはブラームス自身であった。

このブラームスの2番のピアノコンチェルトは、「不評だったピアノ協奏曲第1番と異なり、この作品は即座に、各地で大成功を収めた。」(@Wikipedia)とある。
ブラームスは、しばしば春のイタリアを訪問し、その際に得たインスピレーションを作曲に生かしたとのことだが、このピアノ協奏曲第2番もそんな明るいイタリアの印象が随所に感じられる曲となっている。それが多くの人々に好印象を持って迎えられた大きな要因ともなっているのであろう。

第1楽章、まるでホルンが語りかけることを、ピアノが頷きながら聞いているような感じで始まる。突然、ピアノが意を決したように自らの思いを語り始める。それに呼応するかのように、全オーケストラが力強く主題を奏でる。
聴きどころは、再現部でピアノの伴奏に乗って冒頭のホルンによる主題が帰ってくるところ。何かと心細い思いをしていたところへ、頼りになる知人がやってきてくれたような感じである。

第2楽章はスケルツォの楽章である。通常3楽章構成をとることが多いピアノ協奏曲では、スケルツォの楽章を置くこと自体が珍しいとされる。そういうところが、この協奏曲をして「ピアノ独奏部を持った交響曲」と言われる所以であろう。
全体を通して、ニ短調という調性が悲劇的な印象を醸し出す。

第3楽章は、第2楽章とは打って変わって、チェロの穏やかなソロで始まる抒情的な楽章である。
この楽章に限って言えば、ピアノは脇役に徹しているような感じだ。こういうところも、第2楽章と同様に「ピアノ独奏部を持った交響曲」と言われるところなのであろう。
それにしても、ため息が出るほどに美しい。春、満開の夜桜の下をそぞろ歩きしているような感じだ。溢れるロマンティシズム。

第4楽章では、副主題がいかにも愛らしい。全曲を結ぶというような印象ではないが、イタリアの明るい印象を思わせるような、舞曲風な軽妙さに溢れた楽章である。

初めて購入したこの曲のレコードは、ウィルヘルム・バックハウスがピアノを弾いたモノラル盤であった。バックはカール・シューリヒト指揮のウィーン・フィル。1952年の録音である。
どうしてバックハウスの演奏を選んだのかはよく覚えていない。たぶん、その前にバックハウスによるベートーヴェンの後期ピアノソナタのレコードを買っていて、それがけっこう気に入っていたからなのかもしれないし、誰かに「ベートーヴェンやブラームスは、誰が何と言ってもバックハウスやで」と教えてもらっていた(例えば、神戸三宮にあった「マスダ名曲堂」のおっちゃんとかに)からかもしれない。
とにかく、何度も何度も繰り返し聴いた。中でも特に第3楽章を。チェロのソロは、モノラル録音でも十分にその細かな演奏のニュアンスまで聴き取ることができた。

その後、ベームとウィーン・フィルが伴奏を務めたバックハウスのステレオ盤(1967年録音)のCDも購入した。さすがのバックハウスも80歳を超え、モノラル盤のときのような凛々しさは感じられなかったが、その分落ち着きのある、いかにも大家らしい堂々たる演奏であった。

バックハウス盤に負けず劣らず何度も繰り返し聴いたのは、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ、ラインスドルフ指揮シカゴ交響楽団のレコードである。
この演奏のことは、大学時代の恩師である畑道也先生から教えていただいた。ご自身もチェロを弾かれた先生は、第3楽章のチェロのソロを弾いたロベルト・ラマルキーナが殊の外お気に入りだった。いかにも天才肌を感じさせる、嫋やかな演奏である。

それにしても、このときのリヒテルの凄さと言ったら!中間部もインテンポでぐいぐいと押しまくる第2楽章など、もう縦横無尽にピアノを鳴らしているという感じだ。
リヒテルがRCAにこの演奏を録音したのは1960年。東西冷戦下で、初めて西側での演奏を許された年である。そんな喜びが、演奏の随所から伝わってくるような気がする。

かように、この2番のコンチェルトに限って言えば、バックハウスとリヒテルの演奏は、もちろんバックの指揮者とオーケストラも含めて、他の追随を許さぬ完成度の高みに達していると思われる。

この2番のコンチェルトにおける独奏ピアノは、かなりの技量が要求される難曲とのことであるが、それを初演したということなのだから、ブラームス自身も、相当な技量を持つピアニストだったのであろう。
そんなことを想像しながら実際の曲を聴いてみたい。
さて、演奏はバックハウスかリヒテルか、どちらの演奏にしようかしら。

11月1日(木)

先週の土曜日は、インバル・都響によるマーラーの交響曲第3番を聴くため、横浜のみなとみらいホールへ。
9月の2番に続いての3番である。以前の日記(http://nagaya.tatsuru.com/susan/2012/08/05_1737.html)にも書いたように、自分はマーラーの全交響曲中、この3番が最も好きである。
いちばんの理由は、とにかくいろんな音色が聴けることである。ポストホルンのソロあり、アルトのソロあり、女声合唱や児童合唱ありで、まさに「ダイバーシティ・シンフォニー」なのである。

今回も、第3楽章のポストホルンは、思わず息を止めて聴き入ってしまうようなすばらしい演奏であった。舞台裏での演奏ということで、どちらかと言うと舞台上のホルンとの掛け合いでは音が小さくなって聞こえない場合もあるのだが、今回はたぶんインバルの指示によるのであろう、かなり大きな音量でソロを吹いてくれたため、件のホルンとの掛け合いが絶妙であった。

さらには終楽章!都響の弦楽器群は、奏者一人一人が思いのこもった演奏でインバルの指揮に応えていた。奏者たちの熱い思いが、そのまま客席にもひしひしと伝わってくるような感動的な演奏であった。

この3番、自分の場合は、レコードだけでなくCDもいろんな指揮者の演奏を購入している。タッチミスなどの瑕疵のない演奏を聴きたいのであれば、CDを聴くに如くはない。
でも、それ以上に、なんとしても実演が聴きたくなってしまうのは何故なのであろう?
人は、実際の演奏に何を聴こうとするのであろうか?

終演後、久しぶりに家族3人(自分、家内、娘)でおでんをいただきながら、そんなことをあれこれ話した。
娘は、「それは演奏者の息づかいを感じたいからじゃない?」と答えた。「だって、演奏って、身体的なものでしょ?」と。
演奏とは、楽譜に記された音符を再現する行為であるが、生身の人間演奏するわけだから、当然そこには演奏者の情感が込められるはずである。それが、オーケストラのように百人近くの人間が揃えば、百様の情感があるはずだ。
その情感は、指揮者というまとめ役によって、一つの方向に導かれる。そして、その方向性は演奏を聴いている聴衆にも当然影響を及ぼす。すなわち、それが演奏者と聴衆が一体となった「感動」になっていくということだ。
尤もな意見と思う。

自分の場合は、今回の演奏を聴きながら、これは一つの「祝祷」であるという印象を受けた。
今夏、神戸市の鏑射寺で体験した護摩行のことを思い出した。
鏑射寺で毎月22日に行われる月例祭では、境内の護摩堂にて中村山主による大護摩供の勤行が開催されている。
法要は、真言密教の作法に則って始まる。山主が、あれこれ法具を使いながら、護摩壇の炎をだんだんと高くしていく。護摩壇には両側に20cmくらいの細く短い柱のようなものが立てられていて、紐状のものが張り渡されてある。山主が法具を使う際、それが顔をそれ以上前に進めないような役割を果たしている。
そうなのだ、そこが結界なのだ。つまり、そこから先の護摩壇は神が宿る場所なのである。
護摩壇を取り囲んだ僧侶や参列者たちは、般若心経や不動明王の真名(サンスクリット語)を唱え、一種のトランス状態を作り出す。自分の目には見えなかったが、たぶんあのときの護摩壇には神と呼ぶべきようなものが降臨していたのであろう。そんな感じがした。

今回のインバル・都響のマーラー3番を聴いていると、舞台の上が結界であるかのように思われてきた。そこが結界であるならば、さしずめ指揮者は神を招来する司祭という役どころであろうか。
舞台上の人間が音曲を奏でることで、そこに神と呼ぶべきようなものが降臨する。それを二千人近くの聴衆が感得する。
その神と呼ぶべきようなものとは、異教の神かもしれない。でも、そんなことは問題ではない。なぜなら、その場に居合わせることで、確実に慰藉を受けることができるからである。
それは、終楽章に及んで、ますますその感を強めた。
すばらしい演奏会であった。

演奏を聴いて感じたことを、もう一つ書いておきたい。
それは、オーケストラにおける第2ヴァイオリンの役割である。今までは、第2ヴァイオリンといえば、第1ヴァイオリンを補佐する役割というような印象しか持っていなかった。
しかし、今回マーラーの3番を聴いていると、弦楽器群の中で第2ヴァイオリンの果たす役割がいかにも素敵なものに思えてきた。
確かに、第1ヴァイオリンの補佐的役割を果たしていることも多い。でも、これはマーラーだけに限ったことではないのだろうが、ちゃんと重要な主旋律を奏することも数多くあるのだ。しかも、伴奏も第2ヴァイオリンが入ることで、一気に盛り上がったり、リズミックになったりするのである。
一見地味な役どころのように思われて、しかしオーケストラの弦楽器パートにおいてはなくてはならない存在。それが第2ヴァイオリンなのである。

これでまたオーケストラの実演を聴く楽しみが増えた。
身体性と、祝祷と、第2ヴァイオリンである。

10月25日(木)

今日は、ドイツの名指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュの命日である。

クナッパーツブッシュについては、Wikipediaに以下のように紹介されている。
“ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日)は、ドイツの指揮者。ミュンヘンやウィーンで活躍し、第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭を支えた指揮者でもあった。リヒャルト・ワーグナーやアントン・ブルックナーの演奏で有名だった。
193センチの長身でいかつい顔の指揮者で、ドイツや日本では「クナ」(Kna) の愛称で親しまれた。”

さっそく、家に帰って、ウィーン・フィルを指揮した「ワーグナー名演集」(DECCA)のCDを聴いてみた。
1曲めは、楽劇「神々の黄昏」から「夜明けとジークフリートラインへの旅」。ウィンナ・ホルンによる角笛の動機が、いかにもジークフリートのイメージにぴったりである。これは、かつて何度も何度も聴いた曲だから、懐かしい演奏という感じで聴いていた。
続く第2曲は「ジークフリートの葬送行進曲」。これも有名な曲だ。葬送の歩みを表現するかのような8分音符の連打。でも、この8分音符を聴いて、自分が昔聴いたイメージと違うことに気がついた。

そんな印象は、5曲めに入っていた「トリスタンとイゾルデ」の第1幕への前奏曲を聴いて決定的となった。
ん?クナッパーツブッシュの演奏って、こんなにも表情豊かだっけ?という印象だったのである。
これには少なからず自分でも驚いてしまった。

というのも、クナッパーツブッシュについては、今まで、「豪放磊落」、「細部を気にしない演奏」、「即興性」などという言葉で表されるような印象を持っていたからなのだ。
これは、多分に新聞・雑誌のレコード評や、ジャケットのライナーノーツに影響されてのことであったろう。
実際、そのような印象を持ってレコードを聴いてみると、確かにそんなふうに聴こえるような気がしていたのである。

これは、クナッパーツブッシュの指揮にかかわる以下のようなエピソードにも影響されていたのであろう。
1)クナッパーツブッシュは大変な練習嫌いで通っていたが、たとえ練習なしの本番でも、自分の意のままにオーケストラを操ることができる類稀なる指揮者であった。
2)一度も振り間違いをしなかった、譜面にはまったく眼をやらなかった、という楽員の証言もある程である。
3)第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、1955年に再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演で、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『薔薇の騎士』を上演することになった時には、練習場所のアン・デア・ウィーン劇場でメンバーに向かって「あなたがたはこの作品をよく知っています。私もよく知っています。それでは何のために練習しますか」と言って帰ってしまった。
4)練習のはじめに「みんな、こんなことやめてメシでも食いにいこう」と呼びかけたり、オーケストラの要請がありリハーサルをして臨んだ本番でミスが生じたら、「それみろ、練習なんかするからだ!」と怒鳴った。(@Wikipedia)

このようなエピソードを読んでいると、いかにも「豪放磊落」、「細部を気にしない演奏」、「即興性」というようなイメージがいかにもぴったりするように思われてしまうのである。
でも、そんなイメージと、この「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲の演奏とは、どうも一致しない。

クナッパーツブッシュが、あまりリハーサルをしなかったことは事実なのかもしれない。特にそれがウィーン・フィルのような超一流のオーケストラだった場合には。
でも、いくら超一流のオーケストラだとしても、指揮者の意図を隅々にまで浸透させようと思えば、ある程度のリハーサルが必要とされるであろう。
クナッパーツブッシュはあまりリハーサルをしなかったとのことだ。であるにもかかわらず、どうしてこの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲のような演奏が可能になったか。

もちろん、そういうことを可能にしたからこそ、クナッパーツブッシュが類稀なマエストロであったということを証するのであるが、では、クナッパーツブッシュはいかにしてそのような演奏を可能にしたのか。
それは、特にウィーン・フィルのような超一流の演奏集団が、クナッパーツブッシュをまるで自分たちの「師」であるかのように仰ぎ見ていたからであったろうと想像される。

細部にわたるリハーサルをしないクナッパーツブッシュに対しては、本番の演奏の際して、楽団員たちは「師」と仰ぐクナッパーツブッシュが何を考えて(感じて)いるのだろうということを想像した。そのためには、クナッパーツブッシュの一挙一投足を見逃すまいとした。そうして、クナッパーツブッシュがどんな演奏をしようとしているのかということに自分の感性を同期しようとした。

楽団員との間にこのような関係が出来上がっていると、クナッパーツブッシュは、たとえリハーサルをほとんど行わなかった曲目であれ、演奏会当日にはそれぞれの演奏者に少しのキューを与えるだけで、全体の音量のバランスを取り、メロディーラインを際立たせることが可能になった。
また、高揚する楽想の場面では、指揮棒を少しだけ速くすることでテンポを調整することを可能にしたし、
指揮棒を持たない左手を思い切り高く挙げれば、それに応えるかのようなフルオーケストラの大音響を響き渡らせることができたのである。

もう一度、「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を聴いてみる。
それにしても、主題を演奏する弦楽器群の表情の豊かさはどうであろう!音の一つ一つに微妙なニュアンスが付けられている。そうして、少しずつアッチェレランドがかけられながら、だんだんとクライマックスへと向かうテンポのすばらしさ!

クナッパーツブッシュの演奏は、決して細部ないがしろにした豪快な演奏などではなかった。
むしろ、細部まで指揮者の思いが行き渡った、それでいて即興性を失っていない比類なき演奏だったのである。

残念ながら、現在の指揮者の中には、クナッパーツブッシュに匹敵するような指揮者を上げることができない。
だからこそ、私たちは今でもクナッパーツブッシュの演奏を聴きたくなるのである。
合掌。

10月18日(木)

ソロ・クラリネットのCDを初めて購入した。
「ジョンソン・アンコールズ」と題された、イギリス出身のクラリネット奏者エンマ・ジョンソンのソロ・アルバムである。

彼女のことを知ったのは、NHKのBSプレミアムで録画したBSプレミアムシアターを見ていたときだった。
クラウディオ・アバドによる今年のルツェルン音楽祭と、アーノンクールによるベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」が終わったところで、「これから2分間休憩します」のテロップとともに、ハープの伴奏に乗ってとてもきれいな曲が流れたのである。
曲目は、「組曲ヴィクトリアン・キッチン・ガーデンから夏」(リード)と表示されていた。演奏者は、クラリネット:エンマ・ジョンソン、ハープ:スカイラ・カンガ」とあった。
なんとも可憐な曲だった。
映像は、山と湖の景色を映し出していた。スイスとかオーストリアあたりであろうか。とにかく、音楽が映像にいかにもマッチしていた。

それもそのはずだった。
曲名で検索したところ、youtubeの動画のいくつかの他に、都響のティータイムコンサートを紹介したブログがヒットした。
その中に「ポール・リードはイギリスの作曲家。この作品は、イギリスBBC放送の自然や伝統料理文化を伝える為の番組のテーマ音楽として作曲された。特にクラリネット演奏で人気がある。」という解説を見つけた。
この組曲は、映像に付けた音楽だったのである。

作曲者のリードについても調べてみた。吹奏楽の作曲者なら知っていたから、ひょっとしてと思っていたが、どうやらそれらしき人物はヒットしなかった。
でも、イギリスでは著名な作曲家で、劇音楽など数多くの音楽を手がけているとのことだった。

「組曲ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」ということは、「夏」以外にも何曲かあるはずである。
youtubeの動画では、「夏」以外の4曲(「1.Prelude」、「2.Spring」、「3.Mists」、「4.Exotica」)も聴くことができる。
でも、せっかくなら初めて聴いたエンマ・ジョンソンの演奏で全曲が聴きたい。

さっそく、アマゾンでエンマ・ジョンソンを検索してみた。
いくつか手に入るCDはあったのだが、肝心の「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」が入ったアルバム(「くまん蜂の飛行」)は、「再入荷見込みが立っていないため、現在ご注文を承っておりません」とのことだった。
何とも諦めきれない気持ちで、引き続きアマゾンをあれこれ検索していたところ、マーケットプレイスに中古品として出されているCDに、「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」の入っているものを見つけた。
中古品ではあったが、どれも3千円以上の値段が付けられていた。でも、その半額以下の中古品があった。
「おお!」とさっそく注文しようとしたが、よく見ると「イギリスからの発送のため、商品発送から18日ほどお待ちくださいませ。また、全ての商品は厳重な検品作業のうえ発送しておりますので、安心してお買い求めくださいませ。」とあった。

え?イギリスから?
でも、ついその値段の安さのあまりに、「ええい!」と思い切って注文してみることにしたのであった。
それから2週間以上が経過した。だんだんと不安になってきた。ほんとうに送ってくるのだろうかとか、「別途航空運賃を請求いたします」とか通知が来たらどうしようとか。

確かに18日くらいが過ぎたある日、ポストに海外からの荷物が届いていた。
ひょっとして、と思いつつ開けてみると、はたして件のCDであった。中古品との触れ込みであったが、新品そのものであった。

さっそく聴いてみた。
「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」は、いちばん最初に入っていた。全て聴いても10分とかからない組曲である。
1.Prelude
夜明けを思わせる始まりである。どんな一日になるのだろうという期待と、少しの不安が交錯する。
2.Spring
咲き乱れる花と小鳥の鳴き声。春になったうれしさが満ち溢れる。
3.Mists
立ち込める霧。緑の葉に浮かぶ雫。
4.Exotica
異国の踊りを思わせる旋律が、遠い異国への憧れを醸し出す。
5.Summer
夏が過ぎ、ひと夏の思い出を回想しているかのような懐かしい旋律。クラリネットという楽器が持つ音色の美しさが余すところなく表現されている。

このCD、「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」以外にも、マリア・テレジア・フォン・パラディスの「シチリアーナ」や、モーツァルトの「ツァイーデ」より「Ruhe Sanft」など、いい曲がたくさん入っている。

それにしても、イギリスの、それもフランスに近いケルト海に浮かぶチャンネル諸島のジャージー島から送られてくるCDを手に入れられる時代になった。
どんな仕組みでそういうことができるのかはよくわからないのだけれど、まさに「有難い」ことである。

10月11日(木)

今日はブルックナーの命日。
個人的にはブルックナーの最高傑作と信じる、交響曲第8番を聴くことにしよう。

ブルックナーが、その主たる作品である交響曲の作曲を始めたのは39歳になってからだから、ずいぶん遅咲きの作曲家と言える。
初めのうちは酷評された曲もあったが、次第に作曲の技法も深め、7番の成功によって自信を得たブルックナーが、満を持して作曲に取りかかったのがこの8番のシンフォニーだった。
ブルックナー60歳のときである。

自信の程は、例えば、第3楽章に初めてハープを使用したということにもあらわれているように思う。もはやブルックナーは、周囲の批評などを気にすることなく、自身の心の命ずるままにオーケストレーションを施し、どうしても必要とされる音色を響かせただけでなく、優れた主題法、対位法も駆使して、自らが表現したかったことを追求したのである。
そんな、「自分の思いの丈をすべて表現した」と思われるところが、この交響曲の最高傑作たる所以であると思う。

ブルックナーの「思いの丈」とは何であったろう。
それは、人がこの世に生きていくということの哀しみである。
人は死にゆく存在である。どんなにうれしいこと、楽しいこと、心ときめかすこと、感動することなどがあっても、いつかはこの世に別れを告げなければならない。不条理であるとは思うけれども、それをどうすることもできない。となれば、心を澄ませ、粛々とその事実を受け入れていくしかないのである。
そうは思うのだが、目の前の美しい自然、人とのふれあいが、死によって断ち切られてしまう哀しみがどうしても伴う。
そんな哀しみが、この8番のシンフォニーの全て楽章の随所に鳴っている。美しい主題と和音で。

第1楽章は、ブルックナーに特徴的な弦楽器のトレモロで始まる。
少しずつ何かが近づいてくるような16分音符と複付点4分音符による主題が低弦を中心に奏される。この主題は、その後全楽章を支配する。
展開部の最後では、ブルックナーが「死の告知」と呼んだハ音の繰り返しが、ホルンによって斉奏される。
人間にとって死は避け得ざるものというのが、この楽章の主題であろうか。
コーダでは、冒頭の主題が静かに奏されてこの楽章を閉じる。このコーダを、ブルックナー自身は「諦め」と呼んでいる。

第2楽章は、ホルンと弦楽器の掛け合いで始まるスケルツォである。
ブルックナー自身が「ドイツの野人」と名付けた主題が弦楽器群によって奏される。4分の3拍子だが、まるで8分の6拍子のように聞こえるリズミカルな主題である。
中間部を挟んで何度も繰り返されるこの主題を聞いていると、「野人=鈍重な田舎者」でも自信を持って生きているという気概が感じられる。でも、どこか少し哀しげではある。

第3楽章は、壮大なアダージョ。
ブルックナーには珍しいハープが使用され、天国的な雰囲気を醸し出す。そのハープが入るところで奏でられる弦楽器には、その一音一音に魂が清められて高みに上っていくような感じがする。
白眉は、ホルンと弦楽器にワグナーテューバが加わって、互いに対話するように始まるコーダだ。
「これでいいのか?」、「いいのだ」、「そうか、これでいいんだな」と、納得しながら静かに安息の境地に入っていくかのようだ。荘重なアダージョを締めくくるに相応しいすばらしいコーダである。

第4楽章は、弦楽器の力強い伴奏から、ブルックナーによれば「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」主題が、金管楽器によって奏でられる。
でも、何と言っても美しいのはジグザクの音形で始まる第3主題からである。ここでブルックナーは、自身の思いの丈を思い切り表現しているような印象を受ける。激情がほとばしり出ている感じがするのである。
その激情は、しかし、求めて得られぬ哀しみに満ちた激情である。
最後は、第4楽章冒頭の進軍のファンファーレが何度も繰り返され、哀しみを乗り越えて生きていく決意を自らに言い聞かせるようにして、力強く全曲を閉じる。

初めてこの交響曲を聴いたのは、ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団による2枚組のレコードであった。
セルによって徹底的に鍛え抜かれたクリーブランド管の透明なアンサンブルが、このブルックナーの「響きが濁りやすくなる」といわれる和声をくっきりと際立たせて聴かせてくれる。名盤である。
このレコード、一面グレーの背景に三日月が出ているジャケットがとても印象的だった。

CDは、何と言ってもカール・ベーム、ウィーン・フィルの演奏。これもほんとうにすばらしい演奏である!
70年代の、円熟の極みにあったベームとウィーン・フィルの団員一人一人の気合が伝わってくる。とにかく、オケがよく鳴っている。
ベームのブルックナー(3,4,7,8番)は、どう評価されているのか寡聞にして知らないが、個人的にはどれもたいへんにいい演奏であると思う。

ブルックナーの交響曲には、作曲者自身が何度も改訂を行ったということもあって、版の問題が付きものである。
“第二次世界大戦後、国際ブルックナー協会はレオポルト・ノヴァークに校訂をさせた。ブルックナーの創作形態をすべて出版することを目指しているとされる。ハースが既に校訂した曲もすべて校訂をやりなおし、あらためて出版した。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番・第4番・第8番については早くから、改訂前後の譜面が別々に校訂・出版されており(第3番は三種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている。”(@Wikipedia)
どうやら、版の問題は問題にならないと言ってよいのであろう。

秋の夜長。ブルックナーの8番をしみじみと聴くのもよき哉よき哉。