スーさん、武満徹を語る。

12月27日(木)

2012年も残すところあと数日。
というわけで、今年仕事の行き帰りの車の中でいちばんよく聴いた曲のことについて書いてみたい。

その曲とは、武満徹の「From me flows what you call Time」である。
この曲は、昨年の5月に佐渡裕がベルリン・フィルを指揮した際に演奏したことでよく知られている。

作曲されたのは1990年。武満徹60歳の時の作品である。カーネギーホール創立百周年記念委嘱作品として作られ、小澤征爾指揮のボストン交響楽団とネクサス(打楽器演奏集団)によって初演された。
「5人の打楽器奏者とオーケストラのための」と題されているように、様々な打楽器とオーケストラが共演を繰り広げる。
佐渡裕がベルリン・フィルを指揮した時には、ステージ上の照明灯の近くから吊り下げられたチューブラーベルを、打楽器奏者が五色の布で引きながら演奏していたのが印象的だった。

作曲者自身の言葉を借りると、以下のとおりである。
「私がこの作品を書くように求められた、ちょうどそのとき、私はチベットの風習に関する書物を読んでいた。季節風がチベットに吹いてくるとき、人々は国の別な場所へ移動する。そのとき彼らはとても美しい祭礼をする。それは、'rlung-ta'(風の馬)と呼ばれている。
彼らは平原に長い紐を張り、五色(青、赤、黄、緑、白)の美しい着物を掛ける。これは幸運のシンボルであり、それぞれの色は特別な意味を持っている。青は空にかかわりがあって、白は透明だがあらゆる色を含んでいる。黄は収穫とかかわりがある等々。春になって季節風が吹きはじめると、彼らはこの風の馬と共にどこへ移動するかを決める。
そういうことで私は次のようなアイディアを得た:五つの色、五人の打楽器奏者。それぞれの奏者は、それぞれの色に照応して、独自の特別な役割をもっている。私はカーネギー・ホールにそのコンサート・ホールの全部を使いたいと言った。ホールに小さな鈴を垂らすつもりである。 − バルコニーの下に、右にも五つの鈴を、リモート・コントロールのように五つの色のリボンを結び付けて」。(@「翡翠の千夜千曲」)

また、この曲のタイトル「From me flows what you call time」については、
“題名は、大岡信の詩「澄んだ青い水」 −英訳は、大岡とトーマス・フィッツシモンズにより《Clear Blue Water》と題されている−の一節から、詩人の諒解をえて引用された。この詩を読んだ時、私はカーネギー・ホールから、その100周年を記念するための作曲委嘱を受けた直後だったが、From me flows what you call Timeという一節から、強く触発されるものを感じた。”(引用同じ)
とある。
以下の一節である。

“雪をかぶった青いこぶしを
天に振りあげ、
古代のその水の精は
叫んでゐるー

「この俺から
お前らの『時』は流れ出す」と。”

曲は、下降する5音と上昇しつつ戻る3音のフルートのソロで始まる。この主題の役割を果たすかのような音列が、曲全体を終始支配する。
オーケストラの前奏のようなパッセージに続いて、いろいろな鐘の音が響く。冒頭の主題音列をホルンが引き継ぎ、しばらくオーケストラの演奏が続いたあとで、打楽器群のソロとなる。
オーケストラとの掛け合いを経て、曲は新たな局面に入る。しかし、前進するかのようなオーケストラの響きは、鐘の音によって中断され、打楽器のソロが入ってくる。ここの響きの美しさと言ったら!まるで、どこか違う世界から響いてくるかのようだ。
暫しの沈黙の後、変形された主題音列が繰り返される。それにドラムが加わる。多少は野趣を感じさせる雰囲気は、再び主題音列によって中断されるが、最後はそのドラムのソロが戻ってくる。鐘の音に続いて、オーケストラが小さなクライマックスを作る。コーダは、低弦の伴奏をバックに五色の布に結び付けられたベルが消え入るように鳴らされて曲を閉じる。

家から職場までは、車でおよそ30分の道のりである。この「From me flows what you call time」の演奏時間が約35分であるから、行き帰りに聴くにはちょうどよい長さということもあってか、何度も繰り返し聴いた。
何より、打楽器群の得も言われぬ響きが気持ちを随分とリラックスさせてくれ、仕事へ向かう気持ちや、仕事を終えたあとの疲れを癒してくれたように思う。

愛聴のCDは、初演のネクサスの打楽器、カール・セント=クレア指揮、パシフィック・シンフォニ・ーオーケストラによる演奏(輸入盤)である。
初演者ということもあって、曲の雰囲気と作曲者の意図を伝えてくれるいかにもいい演奏である。

音楽は、現実の音符や楽器を使用して「結界」を作り出し、聴く者を異世界へといざなってくれるものである。
よい演奏とは、畢竟そんな「結界」を作り出せる演奏のことである。
異世界へといざなわれたわたしたちは、そこで過去を回想したり、未来を夢見たりしながら、この上ない癒しと励ましを受ける。そうして、現実の世界で生きていくための勇気をもらって異世界から戻ってくる。

そんな音楽を、これからもたくさん聴いていきたい。