スーさん、レスピーギを聴く

2月27日(水)

前週の金曜日から3日間、信州白馬村の八方尾根スキー場にてスキーをしていた。
土曜日、朝から夕方まで終日滑って宿に戻り、お風呂に入ってほっとひと息、夕食までの間メールのチェックをしていると、NHKネットクラブから登録しておいた「番組表ウォッチ」メールが入っていた。日曜日の早朝にいつも放送している、BSプレミアム「特選オーケストラ・ライブ」の案内だった。

今回の放送は、昨年12月7日にNHKホールにて行われたN響の第1743回定期公演で、曲目はベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲、リストのピアノ協奏曲第2番、そうしてメインがレスピーギの「ローマ三部作」(交響詩「ローマの祭り」・「ローマの噴水」・「ローマの松」)であった。ピアノはルイ・ロルティ、シャルル・デュトワの指揮である。
いつもは、興味惹かれる演奏しか録画しないのであるが、ローマ三部作の連続演奏となれば、これはぜひとも録画しておきたい。すぐに家内のところにメールを入れ、BDに録画予約してもらうよう頼んだ。
スキーから帰ってさっそく視聴したが、ローマ三部作は特に「松」と「祭り」が熱演だった。

ローマ三部作はレスピーギの代表作で、どの曲も管弦楽曲中の傑作である。好みはいろいろと別れるであろうが、自分の場合は「ローマの祭り」がいちばんのお気に入りである。
曰く、とにかく派手、ご機嫌なリズム、色彩豊かでいろんな音色が楽しめ、抒情も味わえる、などがその主たる理由である。
作曲された順は、「噴水」(1916年)→「松」(1924年)→「祭り」(1928年)。もちろん、年を経るにしたがって、作曲技法にも円熟味が増していったであろうことは想像に難くない。

その「ローマの祭り」。曲は4つの部分からできているが、実際の演奏では切れ目なしに演奏される。各部には、作曲者による標題と簡単なコメントが付されている。
第1曲「チルチェンセス」
“チルチェンセスとはアヴェ・ネローネ祭ともいい、古代ローマ帝国時代にネロが円形劇場で行った祭で、捕らえられたキリスト教徒たちが衆人環視の中で猛獣に喰い殺される残酷なショーである。咆吼する金管群が飢えた猛獣を、中間部の聖歌が猛獣に襲われるキリスト教徒の祈りを表している。”
標題のとおり、惨劇の雰囲気を伝えるかのような弦楽器群のトゥッティに続いて、バンダのブッキーナ(古いトランペット)がチルチェンセスの始まりを高らかに宣言する。中低音の金管楽器群が、猛獣の不気味な足音を想像させる。聖歌を歌いながら恐れおののくキリスト教徒たち。その歌をかき消すかのように襲いかかる猛獣たち。阿鼻叫喚の地獄絵が映し出される。

第2曲「五十年祭」
“古い賛美歌をモチーフとし、ロマネスク時代の祭(聖年祭)を表している。世界中の巡礼者たちがモンテ・マリオ (Monte Mario) の丘に集まり、「永遠の都・ローマ」を讃え、讃歌を歌う。それに答えて、教会の鐘がなる。”
前曲とは打って変わって、静かな巡礼の足音で始まる。その中の一人が歌い始めた賛美歌は、やがて鐘の音も加わっての大きく盛り上がった讃歌となる。

第3曲「十月祭」
“ローマの城で行われるルネサンス時代の祭がモチーフ。ローマの城がぶどうでおおわれ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌に包まれる。やがて夕暮れ時になり、甘美なセレナーデが流れる。”
実りの秋の祭りの始まリを告げるかのようなソロ・ホルンのファンファーレ。弱音器付きのトランペットが合いの手を入れながら、祭りは陽気に盛り上がってくる。いったん静まると、どこからか鈴の音が聞こえ、また別の踊りが始まる。それらが一段落した後は、マンドリンが導く夜曲。ソロ・ヴァイオリンのメロディが哀愁を誘う。そのまま辺りは夜の深い帳に包まれていく。遠ざかる鈴の音…。

第4曲「主顕祭」
“ナヴォーナ広場で行われる主顕祭の前夜祭がモチーフ。踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔っ払った人などが続く。強烈なサルタレロのリズムが圧倒的に高まり、狂喜乱舞のうちに全曲を終わる。”
クラリネットが祭りの開始を告げる。強烈なリズムに乗って、人々の踊りが始まる。祭りが行われている広場のありとあらゆるものが音で描写される。物売りの声はトランペット、酔っぱらいはトロンボーン。そうして、祭りは最高潮に達する。

演奏は、もちろん初演者(1929年)でもあるトスカニーニとNBC交響楽団によるもの。
1949年~1953年にかけて録音されたモノラル盤であるが、その迫力たるや、いかなすばらしい録音であろうとも他の追随をまったく許さないほどである。
圧巻は終曲の「主顕祭」。特に、練習番号46の4分の4拍子が2分の2拍子に変わるところでは、ほとんどの演奏が、「ストリンジェンド・モルト」というスコアの指示を、「だんだんせき込んで」という意味でとらえているのか、いったんテンポを落としてからだんだんと速めていくのだが、トスカニーニは「きわめて速度を速めて」という意味にとらえているのであろう、インテンポのままどんどんとスピードアップしていく。それが、いかにも歯切れのいいリズムと迫力を作り出して、クライマックスへと雪崩れ込む。思わず、快哉を叫びたくなるような演奏なのである。

この「ローマの祭り」が完成した1928年は、イタリアで王国議会が解散させられ、政治権力がムッソリーニに集中して独裁体制が確立された年である。そんな政治的な背景から、まるで「ビバ!イタリアーノ」と叫んでいるようにも聴こえるこの作品を、「ファシズムの台頭がもたらした芸術家のイタリア礼賛と無縁ではないとみなされることもある」(@Wikipedia)そうだが、それはいかにも眇めというものではなかろうか。

レスピーギの大きな功績の一つとして、17世紀とその前後のイタリア音楽に対する熱心な研究・調査から、モンテヴェルディやヴィヴァルディの作品を校訂して出版したことが挙げられる。それらの研究は、例えば「リュートのための古代舞曲とアリア」という管弦楽曲などとして結実した。自らの私利私欲や、権力欲を満足させるためにこれらの研究・作曲を行ったわけではないのだ。
レスピーギの作品が、結果としてファシスト政権に好評だったとしても、それは彼の作品群が多くのイタリア人の心の琴線に深く触れるものがあったからなのである。

レスピーギの死後わずか10年も経ずしてファシスト政権は崩壊した。
しかし、レスピーギの作品は、現代に至るまで世界中の人々に愛され、演奏され続けている。イタリア人の心を揺り動かした音楽は、その後、世界中の人々を魅了したのである。
いい音楽とは、そういうものなのだと思う。