スーさん、『春の祭典』を語る

2月4日(月)

今日は立春。暦の上では今日から春になった。
とは言え、まだまだ寒い日が続くし、本格的に春になったことが実感できるのは、1ヶ月以上先の3月中旬以降になってからである。
そんな、まだ寒い中での春の訪れを描いた曲と言えば、「ロシアの暴虐な春、それはたちまちにして起こり、あたかも大地全体がバリバリと音をたててくだけるようである」と作曲者自身が書いた曲、ストラヴィンスキーの「春の祭典」である。

「春の祭典」は、当時ロシアにおける「芸術プロデューサー」のような役割を果たしていた、ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために作曲されたバレエ音楽である。
ディアギレフは、バレエ・リュスに多くの芸術家を動員し、「総合芸術としてのバレエ」という、これまでになかった芸術スタイルを確立した。
動員された芸術家としては、フォーキン、ニジンスキー、マシーン、ニジンスカ、バランシンらの振付師、ストラヴィンスキーのほかに、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフ、サティ、 レスピーギ、 プーランクらの作曲家、そうして、舞台美術を手がけたピカソ、マティス、ローランサン、ミロなどの画家たちが挙げられる。錚々たるメンバーである。当時の最先端をゆく芸術家たちばかりが集められたと言ってよいだろう。

そんな流れの中で「春の祭典」は生み出された。初演は、バレエ・リュスが結成されてから2年後の1913年。今からちょうど100年前(大正2年)のことである。
上演は、パリのシャンゼリゼ劇場。ピエール・モントゥーの指揮、振付け担当はニジンスキーであった。
このニジンスキーの振付けがまた変わっていた。それまでのクラシック・バレエでは考えられなかった、足を内股にし、頭を曲げるという振付けだったのである。しかし、この振付けがまさに20世紀バレエの扉を開くことになった。

変わっていたのは振付けだけではない。音楽も、強烈な変拍子のリズムと不協和音が連続して、当時の聴衆からすれば、まるで騒音のように聴こえたのではないかと想像される音楽だったのである。
そんな従来のバレエやクラシック音楽の常識を覆すような上演であったから、初演時は大混乱であった。
“曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合りあい、野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。
ディアギレフは照明の点滅を指示し、劇場オーナーのアストゥリュクが観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだほどだった。
サン=サーンスは冒頭を聞いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと伝えられる。ストラヴィンスキーは自伝の中で「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」と回顧している。”(@Wikipedia)

曲は2部構成で、それぞれ「大地の讃仰」、「生贄」と題されている。
第1部は、ファゴットの高音域のソロによる「序奏」から始まる。春の喜びを表現するというよりは、何か神秘的なことが始めることを予感させるような音色だ。
序奏に続く「春の兆しと若い娘の踊り」では、弦楽器の足踏みするような8分音符が刻まれる。アクセントが2拍→3拍→4拍と変化して付けられる有名な部分である。
激しい「誘拐遊戯」を経て、静かな「春のロンド」へ。美しいロンドも途中激しく盛り上がってはまた静まり、「競い合う部族の戯れ」の場面に移る。低音弦の唸るような伴奏に乗せてホルンを中心とする金管楽器群が咆哮する。「賢者の行列」が静かに入場して大地への祈りを捧げると、最後はその大地を礼賛する「大地の踊り」で終わる。

第2部は、静かな序奏で始まる。神秘的で美しい「若い娘たちの集い」を経て、激しい4分の11拍子に続いて「選ばれた乙女」の踊りが始まる。1小節ごとに拍子が変化する印象的な場面である。
神秘的な「祖先への呼びかけ」と「儀式的行為」が終わって、最後の「いけにえの踊り」。3/16拍子、フェルマータ休符、2/16、3/16、3/16、2/8、2/16と、目まぐるしく拍子が入れ替わって、最後に生贄は息絶える。

初めてこの曲を聴いたのは、ピエール・ブーレーズ指揮、クリーブランド管弦楽団によるレコードだった。いかにも精密な演奏の中に、静かな抒情も感じさせられるすばらしい演奏であった。
第2部の変拍子がどうなっているのか知りたくて、オーケストラスコアも購入した。ブージー・アンド・ホーク社のポケットスコアシリーズの中の一冊(輸入版)である。
自分が指揮しろと言われたら、どうやって指揮するのだろうと思いながらスコアを眺めていたが、とてもこのような楽譜の指揮はできないと絶望的になるようなスコアだった。
一説によると、作曲者ストラヴィンスキーは、自身がこの曲を指揮する際には、単純に2拍子で指揮をしていたとのことであるが、はたして真実はどうだったのであろうか。
いずれにしても、このスコアを小澤征爾などは暗譜で指揮するとのこと。マエストロとは、そういう人たちのことなのである。

「春の祭典」と言えば、映画「RHYTHM IS IT」(邦題、「ベルリン・フィルと子どもたち」)のことも忘れられない。子どもたちにもっとクラシック音楽のよさを感じてほしいと、サイモン・ラトルの呼びかけによって発足した教育プロジェクト(2003年)を追ったドキュメンタリー映画である。
出身国、社会階層の異なる8歳から20歳代前半の子どもたち250人が、ベルリン・フィルの演奏をバックに、「春の祭典」の踊りに挑む。
振り付けを担当したのは、ロイストン・マルドゥーム。物珍しさに参加した踊りの素人である若者たちを、まずは私語を慎むことから教え、悪戦苦闘の末に、何とか4週間で舞台に載せようとする。その過程で、何かと斜に構えていた若者たちが確実に変わっていく。
最後の本番の舞台は感動的である。「音楽にできるのは、人々を分断するでなく、結びつけることだ」というサイモン・ラトルの言葉が心に残る。

「春の祭典」の初演から100年。一世紀を経た今でも、「春の祭典」はその新しさをまるで失ってはいない。