スーさん、ライナーの命日にひとこと

11月15日(木)

今日は、指揮者フリッツ・ライナーの命日である。
誰それ?と言われる方のために略歴(@Wikipedia)を。

1888年、ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学び、バルトーク、コダーイ等に師事。
1910年(22歳)のときに、ビゼーのオペラ『カルメン』で指揮者デビュー。
1914年(24歳)、ドレスデン国立歌劇場指揮者。リヒャルト・シュトラウスと親交を持つ。
1922年(32歳)、渡米してシンシナティ交響楽団音楽監督、ピッツバーグ交響楽団音楽監督、メトロポリタン歌劇場指揮者などを歴任。
1953年(63歳)、シカゴ交響楽団の音楽監督。死去までの10年間、同楽団の黄金時代を築く。
1960年(70歳)、心臓病の発作で入院。それ以降、指揮活動に制限が加わる。
1963年11月15日、ニューヨークで死去。

ライナーは独特の指揮をする人だったらしい。
実際、1950年代前半にライナーの指揮ぶりを目の当たりにした音楽評論家の吉田秀和氏は、そのときの印象を以下のように書かれている。
“いまだに一番はっきり思い出すのは、彼のバトンのふり方である。バトンを下にさげてぶらぶら振っている指揮者の姿は、私は、後にも先にも、この時のライナーのほか見たことがない」「とにかく指揮棒の先端が上を向いていなくて、下を向いているのだから、びっくりした」「楽員たちは、頼るものがなくなるから、当然恐ろしくなり、全神経を集中し、緊張そのものといった表情で演奏する」と述懐し、ライナーの指揮を「指揮の技巧の巧拙というものが考えられるとしたら、ライナーはまれにみる指揮のヴィルトゥオーゾであった”(『世界の指揮者』、ちくま文庫)

そんなライナーは、主にシカゴ交響楽団との多くの録音をRCAに残している。レパートリーは広く、ハイドンから始まってバルトークまで多岐にわたっている。
そんな数多の録音の中からとびきりの演奏を探すのは至難の業だが、自分の持っているレコードやCDの中から一枚を選ぶとするなら、レスピーギの「ローマの松」であろうか。これは、ほんとうにすばらしい演奏なのである。

当時のシカゴ交響楽団は、特にブラスセクションにヴィルトゥオーゾが揃っていた。トランペットのアドルフ・ハーセス、ホルンのデール・クレヴェンジャー、トロンボーンのジェイ・フリードマン、チューバのアーノルド・ジャイコブスなどの錚々たるメンバーである。
そんな名人たちをまとめ上げ、その持てる力を十分に発揮させたのがライナーだったのである。

「ローマの松」の第1部は、「ボルゲーゼ荘の松」。いきなりファンファーレ風トランペットのいかにも賑やかな吹奏で始まる。作曲者自身の解説によれば、「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。」とある。
突然、曲は中断されて第2部へ。

第2部、「カタコンブ付近の松」。「カタコンブの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」
弦の静かな伴奏にゴングが厳かな雰囲気を添える。舞台裏のソロ・トランペットが、聖歌のようなメロディーを奏する。心に染み入る美しさである。このソロを吹いているのがアドルフ・ハーセスであろうか。
悲嘆の聖歌は、トロンボーンの斉奏で頂点に達する。ここもシカゴ響ブラスセクションの聴きどころの一つである。

第3部は「ジャニコロの松」。ピアノのアルペジオとソロ・クラリネットが静かな夏の夜のような雰囲気を醸し出す。「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」
曲の終盤では、テープに録音された実際の鳥の鳴き声が流される。そんな夜明けを告げるかのような鳥の鳴き声の中から、静かに足音が聞こえてくる。

第4部、「アッピア街道の松」。有名なローマ軍の行進である。低弦の刻むリズムが遠くから近づいてくるローマ軍の足音を伝える。「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」
最後は、客席に配されたトランペットとトロンボーンのバンダに、舞台上の金管楽器群が呼応して壮大なクライマックスをつくり上げる。
このクライマックスでのシカゴ交響楽団の金管楽器群の目も眩むばかりの華麗さは、いかばかりであろうか。まさに、黄金時代と言われたシカゴ交響楽団の実力を耳にすることができるのである。

現代は、「ものわかりのよさ」が求められる時代である。
「よくわからないもの」は「よくわかるもの」に変換され、またそんな変換をしてくれる人を求める。
指揮者についても、まったく同様のことが言えるのではなかろうか。
楽団員からもオーディエンスからも「よくわかる指揮」が求められ、指揮者もできるだけはっきりと分かるように指揮棒でリズムを刻み、キューのサインを出す。
でも、そんな懇切丁寧な指揮などしなくとも、ライナーのようにオーケストラからすばらしい演奏を引き出すことができる指揮者はいたのだ。
団員が「全神経を集中し、 緊張そのものといった表情で演奏する」からこそ生み出される至高の演奏。

そんな指揮者がいなくなった。
さて、次はライナーが生前敬愛していたバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴くとしよう。