スーさん、ラヴェルを語る

11月27日(火)

今日は、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」が初演された日である。

“1931年11月27日、ウィーンでロベルト・ヘーガー指揮、ウィトゲンシュタインのピアノで初演が行われたが、ウィトゲンシュタインは楽譜通りに弾き切れずに勝手に手を加えて演奏し、その上ピアノがあまりにも難技巧にこだわりすぎていて音楽性がないと非難したため、ラヴェルとウィトゲンシュタインとの仲はこれ以降険悪となった。その後、1933年1月27日に、ジャック・フェヴリエの独奏によりパリで再演されたのが、楽譜どおり演奏された初めての演奏となった。”(@Wikipedia)

ちなみに、初演のピアノ演奏をしてラヴェルと険悪な関係になったピアニストは、かの有名な哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄である。
彼は、第一次世界大戦に参戦して右腕を失ったため、左手だけで演奏ができるピアノ協奏曲をラヴェルに作曲依頼した。依頼を受けたラヴェルは、当時既に構想していたピアノ協奏曲と並行してこの曲を作曲することに挑戦した。結果、この「左手のためのピアノ協奏曲」の方が一年早く完成し、これがラヴェルの初めてのピアノ協奏曲となった。

ピアノを弾いたことのない方でも、鍵盤の左側ほど低い音で、右側が高い音という配列になっていることはご存知であろう。そういう鍵盤の配列から、一般的に左手は低音の伴奏パートを、右手は中音から高音域の旋律パートを受け持つことで、一つの楽曲を演奏することが多い。
そんな基本的には両手で弾くピアノを、左手だけで演奏しようというのだから、これは通常の演奏よりもかなり高度な技術を要求されるということは想像できよう。

ましてや、ラヴェルが作曲したこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、左手だけで簡単に弾けるようには作られてはいない。初演者が「難技巧にこだわりすぎ」と非難したように、たとえ左手だけであってもラヴェルは一切の妥協をせず、自らが表現しようとしたことを最優先させて作曲したはずなのである。

実際に曲を聴いてみよう。
全曲は単一楽章であるが、一般的なピアノ協奏曲のように3部から構成されている。
冒頭、低弦が何やら地下でうごめくものをあらわすかのように、不気味な雰囲気を醸し出す。そんな中からテーマらしきものが形作られ、それがフルオーケストラによって奏でられたところで、ややエキゾチックに彩られた独奏ピアノがお出ましする。そうして、長いカデンツァを奏する。
このカデンツァ、とても左手だけで演奏しているとは思われないカデンツァである。
そのカデンツァが終わって、オーケストラの間奏が入る。間奏が終わると、再びピアノが戻ってくる。それにしても、ここでのピアノソロの美しさと言ったら!
ピアノソロは、途中から木管楽器との掛け合いになって、第2部への橋渡しとなる。

第2部は行進曲のように刻まれるリズムに乗って、ピアノが自在にメロディーを紡ぎ出す。途中、ピッコロやフルートとの掛け合いの部分が、これまたたいへんに可愛らしいくていい。

再び第1部の主題がフルオーケストラで戻ってきて、曲は第3部に入る。この第3部のピアノの最後のカデンツァは、まさに凄絶と言えるほどの美しさである。
そう、とにかくこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、特に独奏ピアノのカデンツァがとても美しい曲なのである。

愛聴盤は、サンソン・フランソワのピアノ、アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏である。
フランソワについては、以下のように記されている(@Wikipedia)。
“フランソワの演奏は他の演奏家とは一線を画す独特なもので、非常に個性的であるため、ピアノを演奏をする人の範とはなり難い。それでも、フランソワの演奏は文化的価値の高いものであるため、没後も何度も版を重ねてCDが発売されている。”

そんなフランソワの演奏であるが、「左手のためのピアノ協奏曲」が演奏至難の曲であったことと、きわめて個性的であったことが、同じく個性的なフランソワの自負心をいたく刺激したのであろう、思い入れと熱のこもったすばらしい演奏を聴かせてくれる。
まず、第1部のカデンツァの出だしを聴かれよ。これほどの音色を他の何人が出せるであろう。
速い音の動きの部分の流麗さ、そうして、何より随所に聴くことができる濃厚な抒情…。

ロン=ティボー国際コンクールにわずか19歳で優勝したこの早熟な天才は、ショパンやドビュッシー、ラヴェルなどの限られたレパートリーに、その天才ぶりを遺憾なく発揮した。
そうなのだ。別にオールラウンダーでなくてもいいのだ。
わたしたちは、どんな作曲家の曲でもそれなりの演奏で聴かせてくれる演奏家を求めているのではない。
自分の感性が訴えかけてくるところを信じて、その内奥から湧き出てくるところのものを、それこそ全身全霊を傾けて演奏するような演奏家をこそ求めているのだ。

フランソワが、このラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」をレコーディングしたのは、彼が35歳のとき。まさに無人の荒野を行くがごとき、他の追随を全く許さないほどのすばらしい演奏である。
もちろん、クリュイタンスのサポートも、単にサポートに徹しているというのではなく、フランソワの感性に火を点けるようにオーケストラを鳴らしている。
つまり、両者が互いに刺激し合いながら、曲が持つ芸術性をより高めている演奏なのである。

初演者が「難技巧にこだわりすぎていて音楽性がない」と非難したこの「左手のためのピアノ協奏曲」は、サンソン・フランソワという天才を得て、その曲の持つ音楽性がいかに高いものであるかということを多くの人に知らしめることになった。
この演奏を聴けば、作曲者であるラヴェルもさぞかし喜んだことであろう。