スーさん、ブラームスを語る

11月9日(金)

今日は、ブラームスのピアノ協奏曲第2番が初演された日である。
今から131年前の1881年、場所はブタペスト、指揮はアレクサンダー・エルケル、ピアノを弾いたのはブラームス自身であった。

このブラームスの2番のピアノコンチェルトは、「不評だったピアノ協奏曲第1番と異なり、この作品は即座に、各地で大成功を収めた。」(@Wikipedia)とある。
ブラームスは、しばしば春のイタリアを訪問し、その際に得たインスピレーションを作曲に生かしたとのことだが、このピアノ協奏曲第2番もそんな明るいイタリアの印象が随所に感じられる曲となっている。それが多くの人々に好印象を持って迎えられた大きな要因ともなっているのであろう。

第1楽章、まるでホルンが語りかけることを、ピアノが頷きながら聞いているような感じで始まる。突然、ピアノが意を決したように自らの思いを語り始める。それに呼応するかのように、全オーケストラが力強く主題を奏でる。
聴きどころは、再現部でピアノの伴奏に乗って冒頭のホルンによる主題が帰ってくるところ。何かと心細い思いをしていたところへ、頼りになる知人がやってきてくれたような感じである。

第2楽章はスケルツォの楽章である。通常3楽章構成をとることが多いピアノ協奏曲では、スケルツォの楽章を置くこと自体が珍しいとされる。そういうところが、この協奏曲をして「ピアノ独奏部を持った交響曲」と言われる所以であろう。
全体を通して、ニ短調という調性が悲劇的な印象を醸し出す。

第3楽章は、第2楽章とは打って変わって、チェロの穏やかなソロで始まる抒情的な楽章である。
この楽章に限って言えば、ピアノは脇役に徹しているような感じだ。こういうところも、第2楽章と同様に「ピアノ独奏部を持った交響曲」と言われるところなのであろう。
それにしても、ため息が出るほどに美しい。春、満開の夜桜の下をそぞろ歩きしているような感じだ。溢れるロマンティシズム。

第4楽章では、副主題がいかにも愛らしい。全曲を結ぶというような印象ではないが、イタリアの明るい印象を思わせるような、舞曲風な軽妙さに溢れた楽章である。

初めて購入したこの曲のレコードは、ウィルヘルム・バックハウスがピアノを弾いたモノラル盤であった。バックはカール・シューリヒト指揮のウィーン・フィル。1952年の録音である。
どうしてバックハウスの演奏を選んだのかはよく覚えていない。たぶん、その前にバックハウスによるベートーヴェンの後期ピアノソナタのレコードを買っていて、それがけっこう気に入っていたからなのかもしれないし、誰かに「ベートーヴェンやブラームスは、誰が何と言ってもバックハウスやで」と教えてもらっていた(例えば、神戸三宮にあった「マスダ名曲堂」のおっちゃんとかに)からかもしれない。
とにかく、何度も何度も繰り返し聴いた。中でも特に第3楽章を。チェロのソロは、モノラル録音でも十分にその細かな演奏のニュアンスまで聴き取ることができた。

その後、ベームとウィーン・フィルが伴奏を務めたバックハウスのステレオ盤(1967年録音)のCDも購入した。さすがのバックハウスも80歳を超え、モノラル盤のときのような凛々しさは感じられなかったが、その分落ち着きのある、いかにも大家らしい堂々たる演奏であった。

バックハウス盤に負けず劣らず何度も繰り返し聴いたのは、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ、ラインスドルフ指揮シカゴ交響楽団のレコードである。
この演奏のことは、大学時代の恩師である畑道也先生から教えていただいた。ご自身もチェロを弾かれた先生は、第3楽章のチェロのソロを弾いたロベルト・ラマルキーナが殊の外お気に入りだった。いかにも天才肌を感じさせる、嫋やかな演奏である。

それにしても、このときのリヒテルの凄さと言ったら!中間部もインテンポでぐいぐいと押しまくる第2楽章など、もう縦横無尽にピアノを鳴らしているという感じだ。
リヒテルがRCAにこの演奏を録音したのは1960年。東西冷戦下で、初めて西側での演奏を許された年である。そんな喜びが、演奏の随所から伝わってくるような気がする。

かように、この2番のコンチェルトに限って言えば、バックハウスとリヒテルの演奏は、もちろんバックの指揮者とオーケストラも含めて、他の追随を許さぬ完成度の高みに達していると思われる。

この2番のコンチェルトにおける独奏ピアノは、かなりの技量が要求される難曲とのことであるが、それを初演したということなのだから、ブラームス自身も、相当な技量を持つピアニストだったのであろう。
そんなことを想像しながら実際の曲を聴いてみたい。
さて、演奏はバックハウスかリヒテルか、どちらの演奏にしようかしら。