以前、電気自動車について書かせていただきましたが、その続きを書いてみました。ネットやCNNのニュースからピックアップしてまとめてみました。新たな情報が日々、発信されるため期間限定の短命な内容であることをご海容の上お読みください。
 ありがちなんですが、「失って初めて、そのありがたみを知る」と感じています。
 その理由は最後に...。
 過去の事例を紐解くと、「モビリティ・イノヴェーションを制するものは経済を制する」という事実はよくご存知の通りですが、古くは帆船から汽船のギリシャの海運王アリストテレス・オナシス、荷車から鉄道のコーネリアス・ヴァンダービルト、馬から自動車のヘンリー・フォードと、時代時代でパイオニアが現れ、大富豪として君臨し世界経済を牽引してきました。
 そして今、ガソリンから電気へのシフトの真っ只中。その過程において、電気自動車の最大の欠点である充電システムに大変革がもたらされつつあります。すなわちカートリッジ式のバッテリー交換システムの実用化と普及です。
 以下のURLは、YouTubeに挙げられたNIOのカートリッジ型のバッテリー交換の解説動画です。
 https://youtu.be/kBY6nkkyD7M
 わずか5分間ほどでバッテリーの交換が完了してしまいます。
 中国の自動車メーカーのNIOは18年にステーションの整備を開始し、22年末までに中国で1300カ所に設置しましたが、今年中に2500箇所に増設すると発表。インフラの整備も着々と進みつつあります。
 世界経済を回していくためのモータリゼーションが、電気自動車へのシフトしていくことに異論を唱えるひとはいないでしょう。ステーションの性能も段階的に改良されており、現行のシステムでは約5分で充電済みの電池に交換できるのです。
 大容量電池を搭載した通常のEVの場合、高出力の充電器でも充電に1時間以上(家庭用200vだと8時間)の充電時間かかりますが、交換式ならガソリンスタンドでの給油と変わらない時間で充電できる。まさに画期的です。
 さらに、車両コストの3割程度を占めるといわれる電池をサブスクリプション形式で提供することで、EV本体の初期費用を低減できる利点も大きい。NIOは23年に中国で1000カ所のステーションを新設するとともに、昨年から始めた欧州でのインフラ整備も加速すると伝えられています。
 交換式ステーションの展開に取り組む企業はNIOだけではありません。
 中国でNIOに続く規模のステーションを展開する奥動新能源(Autlon)は、自社製品のオーナー向けにステーションを展開するNIOと異なり、自動車メーカー各社と連携し、幅広いブランドのEVが利用できるステーションを展開しています。
https://blog.evsmart.net/electric-vehicles/nio-aulton-geely-a-look-into-chinas-ev-battery-swapping-big-3-ja/?amp
 米国ではENEOS(エネオス)も出資するスタートアップ企業のアンプルが、ウーバーのライドシェア車両向けのステーションをサンフランシコで運営中。
 一方、日本では、いすゞが伊藤忠商事、ファミリーマートなどと交換式電池を搭載したトラックの実証実験を22年11月に開始。ホンダは23年3月、「N-VAN」に交換式電池を搭載したコンバージョンEVを公開。日本では二輪が中心となって普及が進み始めている交換式(企業向け二輪では実用済み)ですが、四輪への適用も一部で検討されています。
 そして、ここでしっかりと把握しておくべきファクターが自動運転システムの動向です。
 AIが、頻繁にネット上の話題になる昨今ですが、Chat GPTなどの生成AI市場の10倍の規模の可能性のあるといわれるのが自動運転の市場。自動運転の市場規模は2030年に約150兆円に達するとも予測されており、生成AIの約10倍の市場規模が予測されているそうです。現在、自動車メーカーも各社、必死で自動運転実用化の取り組みに励んでいる現状が見て取れます。
 ゼネラルモーターズは2023年3月7日、次世代の先進運転支援システム(ADAS)「Ultra Cruise」を開発中であると明らかに。
 フォード・モーターは3月2日、自動運転支援システムの開発を手がける新会社を設立したと発表。
 テスラも、年内に完全自動運転技術をローンチする可能性があると発表。
 このように自動運転の話題には事欠きません。
 また自動運転時代の到来を目指す企業、米インテル傘下で自動運転の技術開発を行っているMobileye(モービルアイ)の上場は2022年の米国上場案件で最大規模となりました。
 日本企業の株式会社ヴィッツは自動運転関連の取り組み発表後、株価が急騰し1日で8.1%高になるなど、今世界中で注目されているのです。(注2
 エヌビディア(注1)が出した予測ではEVよりも自動運転の市場規模の方が2倍以上大きくなるだろうと予測されています。
https://www.youtube.com/watch?v=cJHi0wbyUBw
その理由として、
・今後世界中で高齢化が進み、高齢者の運転のハードルが高くなること。
・世界の人口増加に伴い、車の需要も増すこと
・事故の減少、渋滞の緩和
 この3点を考えるだけでも、自動運転は、さらにどんどん利用・普及していくことに異論を唱えるひとはいないでしょう。現在、自動車の自動運転システムに関しては、中国が先陣を切っていると言って間違いありません。以前は日本のお家芸であったはずの自動化の分野での復活を期待したいと願ってやみません。
 最近、カフェでひとり、スマートフォンや雑誌を見る時間が増えました。というのも、諸事情あり自宅を売却。取り付けていた200V充電器が無くなり、高速充電器のあるディーラーで充電する間、近くのカフェに行かざるを得ないからです。
 個人的なことになりますが、実は日頃の足として15年落ちの古いガソリン車を購入しました。逆行じゃないとの声が聞こえてきそうですが、日々のニーズと時間とのバランスを考えた上での答えがこれです。
 この2年ほど自動車で走っていて、ガソリンスタンドの価格掲示に目がいかなくなっていたのですが、スタンドの数字を追いかけています。さらに高騰するガソリン価格に驚くばかり。
 エネルギー転換の過渡期がいつまで続くのか。ドローンによる空飛ぶクルマの実用化も時間の問題となっている現在、これより先、モビィリティ(mobility)の動向から目が離せません。

注1:
NVIDIA RTX™ と NVIDIA Omniverse™ は、世界中のプロフェッショナル、クリエイター、開発者、学生がクリエイティブ ワークフローを強化し、メタバース アプリケーションを構築、運用、接続するための性能を提供
注2:
日本の自動運転関連銘柄の株価が急騰した。その企業とは株式会社ヴィッツで、5月24日の株価は前日比8.18%高の1,150円となった。
 同社などが取り組む仮想空間ソリューション「WARXSS」が、経済産業省と国土交通省が主導する「自動運転レベル4等先進モビリティサービス研究開発・社会実装プロジェクト」(RoAD to the L4)における取り組みで活用されたことが好感された。

先週、ある作品を観るために、最終レイトショーのシネコンにいた。
「BLUE GIANT」
 東北の田舎から、テナーサックスを抱いて世界一のjazzのサックスプレイヤーを目指し、上京する青年。ひとりの若者が、音楽と己の力を信じて道を切り拓き、夢に向かっていく姿は見ている者を感動させずにはおきません。
 決められた楽曲・楽譜の制約の中で自己表現を行うクラッシックに対して、瞬間の自由な感覚による演奏で自己表現(インプロビゼーション)を行うジャズ。このふたつは、同じ音楽でも対局の関係にありますが、どちらもその素晴らしさを映像で表現することは至難の業と言わざるを得ません。
 漫画で実際の楽曲や演奏の素晴らしさを表現出来るのか?それがアニメーション映画になり、どんな作画とサウンドで観客の目と耳を魅了するのか?
 BLUE GIANTが、コミック雑誌に連載した頃から愛読。当時から「絵の中から音が聴こえる」との評判でした。漫画が動画としてスクリーン上のアニメーション映画となり、ジャズの演奏がどのように表現され劇中に流れるのかを、公開前からとても楽しみにしていたのです。
 音楽監修は、日本を代表するジャズピアニストの上原ひろみ。ピアニスト雪祈(ゆきのり)の演奏を上原、主人公・大のサックスを馬場智章、ドラムの玉田の演奏を石若駿が担当し、予想を遥かに上回る楽曲と演奏、そして作画の見事さに圧倒されました。ジャズのイメージは、その来歴から退廃的で暗いイメージで扱われる傾向がありますが、キラキラと煌めく管楽器の放つ光のようなサウンドとともに、弾ける希望を感じさせる作品に仕上がっておりとても嬉しくなりました。
ジャズといえば、アメリカで奇跡のような経験をさせていただいたことを懐かしく思い出します。
 マディソン43丁目「寿司田」という鮨屋に夕食に行った時のこと。カウンターに二人の先客。同行のH川さんがそのひとりに話しかける。
 会話の後、戻ってきて開口一番、
「ジャズが好きだったよね。明日、ジュリアード音楽院に行きましょう」と。
 話しかけたその人物こそ、juzz界の至宝、現代有数のトランペッター、ウィントン・マルサリス、その人でした。
 ウィントン・マルサリス。
 ウィントン・マルサリスは、アメリカのトランペット奏者であり作曲家。現代において最も著名なジャズ・ミュージシャンの一人であるだけでなく、クラシック奏者としてもよく知られています。また同時にジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督でもあります。そのテクニックは凄まじく、アンサンブルは端正、フレーズは流麗、歌心満載、繊細かつ大胆なアドリブと完璧すぎるトランペッターです。
 私が音楽愛好家であり、ジャズも好きなことを知っていたH川さん(リンカーンセンターのオペラハウス建設の際に、多額の寄付をされた)が、言葉を交わし、授業を見学させてもらえるようお願いしてくださったという経緯です。
 リンカーンセンター入り口でチェックを受けて学内へ。指定された教室は、三角形で天井が8mほどもあるガラス張りの教室で開放感に溢れていました。
 すでにピアノ、ベース アルトサックス、テナーサックス、トロンボーン専攻の5名の学生がスタンバイし、楽器のチューニングの真っ最中。少し遅れてスティックとスネアドラムを抱えた学生が入ってきて、慌ててセッティングを開始。授業の担当教授に続いて、コーヒーを片手に、スーツ姿で颯爽と現れた長身の男性。褐色の肌がベージュのスーツにとてもよく似合う。我々と軽くアイコンタクトをした後、すぐに授業に入る。
 マルサリス氏が、最初に課題曲の注意点を述べた後、カウントと共に生徒の演奏が始まりました。が、すぐに中断。ウッドベースとドラムのふたりに、リズムのアドバイス。やはりリズムセクションがバンドの要であることは、クラッシックであろうがジャスであろうが変わりがありません。学生たちは、おそらく全体から選ばれし生え抜きの学生と思われましたが、各メンバーの顔には緊張とマルサリス氏に対しての尊敬の表情がみて取れました。途中、何度かマルサリス自身がピアノを弾き、声を上げてリズムをとるシーンが。個人的にトランペットを吹いての指導シーンを期待してしまいましたが、さすがにそれは叶えられず。
 映画「セッション」のようなパワハラの片鱗もなく、愛情に満ち、とても洗練された授業に感じました。授業後、教室の外で会話を交わし記念撮影。その際に彼に伝えたひと言。
 I did not understand the difficult music theory in the class, but I did understand one thing clearly. I 'm a very lucky Japanese man.
 両親も兄弟も有名ミュージシャンの音楽一家で育ったマルサリス。マイルスやコルトレーンとは対極の恵まれた環境で育った彼のジャズやクラッシックのCDがグラミー賞を総なめにしてしまう。そんな彼に苦悩があるとしたら、そのありがたみと同時に、まわりから期待され、常に新しい何かを求められ、さらに表現することが困難になっていくスパイラル...エリート故の難しさを考えずにはおれません。
 音楽配信が全世界に普及し、CDが売れない時代。音楽ファンにとって、コンサート会場で生音を聴くことが何よりも貴重な経験になってしまったこの時代に「棚からぼた餅」、「瓢箪から駒」、「千載一遇」、そんな言葉がぴったりな体験。その後フワフワとした足取りで、どのようにしてスカースデイルまで帰宅したのか...今もよく思い出せません。
 この春、マルサリス氏が来日。東京と大阪でコンサートが実現。フェスティバルホールにて、屈指のトランペッターと再会できるのを楽しみにしています。

 1973年製のピンボールマシーンに、"ビン"と弾き出されたボールのような滑らかな加速。森の木々から指す木洩れ陽のような微量の風切り音。
「嗚呼、なんてイイクルマなんだ!」初めてドイツのM社の電気自動車のハンドルを握った時の正直な感想です。走り出した時のトルクのその分厚さは筆舌に尽くし難い。初速スピードに乗った新幹線をイメージしていただければ、なんとなく感じてもらえるかもしれません。とにかく素晴らしく速い。
...のですが、良いことばかりではありません。
 まずは充電の問題。ヨーロッパ、特に最もEV化の進んでいるノルウェーでは、なんと2022年の新車販売の約8割がEVに。しかし、普及速度に対して充電設備が追いつかず、チャージのために長蛇の列ができているそうです。
 そもそもEVの充電には、多くの時間がかかる。
 私は自宅にてM社提供の200V家庭用蓄電器で充電していますが、やはり8時間ほどはかかってしまいます。ガソリン車は数分で燃料補給が完了しますが、EVの場合、インターチェンジなどで見かける高電圧充電器でも30〜40分。それもフル充電の約半分くらいがせいぜいです。
 おまけに購入時には、8時間でフル充電出来ていたのですが、2年経過した現在ではフル充電に12時間はかかるようになりました。なおかつ、メーカー発表で420kmの航続走行距離であったのですが、現在では12時間フル充電でも360kmしか充電されない状態になってしまいました。同じような現象は、お持ちのスマートフォンの充電でも経験されていると思います。液体リチュウム電池の最大のウィークポイントと言えるでしょう。
 そもそもカーボンニュートラルは、気候変動問題の解決に必須という理由でEVの急速な普及が始まりましたが、世界の電気の6割強は石炭やLNGなどの化石燃料を燃やして作られていることから、説得力に欠けると言わざるを得ません。
 EV普及期の現在の日本では、それほど問題視されていませんが、先行しているヨーロッパ、アメリカ、中国では、昨今の電気代の高騰も相まってEVがバラ色では ないという認識が確実に定着しつつあります。このあたりは、テスラ社の株が、1年間で約65%も下落したことからも明らかかと。(これはイーロン・マスクの人間性が明らかになってきたことの影響もあるかと思いますが...)
ウクライナ侵攻で、ヨーロッパではさらに電気代が高騰。カーボンニュートラルの推進をゴリ押ししたヨーロッパの国々がさらに大変なことになっています。
 スイスでは、節電対策のためEV自動車の販売を禁止する法案を提出。加えてヨーロッパ各国が石炭による電力発電所を再稼働することを決定。
 加えて2020年にEUから新たに「ユーロ7」という規制法案が提出され、クルマが走行時にタイヤやブレーキパッドから排出する粉塵も規制の対象とする内容に。つまり、トルクが強くリチュウム電池による重量過多のEV車は、粉塵を排出しやすく、さらに厳しい制限を受けるわけです。違反した場合、高額のペナルティは免れません。
 ヨーロッパだけでなくアメリカでも、先ごろ発火の恐れがあるとしてテスラのリコールが相次いで発表され、まさに化石燃料に逆戻りの状況を作り出しています。
 私見ですが、これから先、トヨタが固形リチュウム電池を開発完成して電力補充がカセット化されるか、数分で補充可能な水素エンジン普及になるまで待つ方が賢明のように感じています。
「電気自動車購入は、まだまだ待て」というのが現在の結論のようです。

令和の維新

「撤退のために」の寄稿文依頼を読ませていただいて、私なりに感じることがございましたので、以下の文章を取り急ぎまとめてみました。長屋のブログとしてアップをお願いいたします。根拠となる数字文献などの記載がございませんが、ご海容ください。

 長引く不況。
 日本国民全体の不安材料の最たるものは、先行きの老後への不安。安心安全な将来が保証されるならば、増税さえも納得する国民は確実に多数存在するだろう。
 日本撤退策として、まず最初に「現状維持を条件に、年金制度を諦める」ということを提案したい。
 そのために第一段階として、途上国からの移民の受け入れ増加を行うこと。
 これにより、労働力の確保をして年金減少問題の悪化をくいとめる。少しでも将来的な不安材料を減らし、子育てのリスクを軽減することで、人口増加を期待できると思うのです。
 これには前提として、低所得者への保護救済が必須となります。受け入れる移民に対して、ビザ発給のフィルターをしっかり作り、現在、ガソリン供給がままならないイギリスのように、職業限定で一定期間のビザ発給を行っていく。
 平行して移民者並びに低所得者の保護と教育に注力していく。ODAのようにお金で渡すのではなく、魚の捕り方漁業法、農業法指導などのごとく、生活を維持していくための職業訓練、ライセンス獲得などの援助や補助をさらに強化して行なっていくのです。
 この3〜4年、日本とNYを行き来させていただき、気づいたことがあります。アメリカの社会は、低所得者に対して優しいシステムを社会が残す努力をしている。
 まずひとつの例としてチップの習慣が挙げられます。お客は、お店で使った費用の5%〜20%をチップとして個人やお店に支払います。この習慣は、サービスの向上に加え、低所得者の所得に多大な貢献をしています。ほとんどチップを頼りに生活している労働者層が存在しますし、確実に個人に利益を享受出来るシステムとして秀逸であると思われます。
 他の例として、NYの北や東を結ぶメトロノースレイルロードやロングアイランドレアルロードの料金システムが挙げられます。乗車中、未だに紙の切符を車掌が切りに来ます。識別のため、切り終わったチケットを座席の上に挟んでいくのです。日本のようなSuicaやICOCAのような便利なシステムは存在しません。定期券にあたるものとして、乗客がスマートフォンの画面の定期券サイトを、車掌に提示します。いちいち車掌が、それを確認しにやってくるのです。車両が長いので、何人かの車掌が乗り込んでいます。機械化せずに、彼らの仕事を残しているのです。
 もうひとつ、これからの若い次世代に向けては、教育カリキュラムの改善を行いたい。
 まず、お金の勉強を学校教育に取り入れる。株式の仕組み、為替の仕組み、起業(昨今、IT関連の起業の低年齢化は著しい)、海外株への投資あるいは、イデコ、積み立てニーサのような貯蓄の具体的知識の教育を行う。これにより、将来的な失業者、生活保護者の減少と社会貢献の実現を狙うわけです。
 同時に日本古来の文化、伝統工芸や技術技法などの学習カリキュラムも取り入れる。日本古来の優れた文化に誇りを持ち、引き継いでいく人材の育成と確保を行う。
 これには、ドイツが小学生高学年時に、学業か実業かを選択されるように、中学・高校から大学と同様に単位制とし、本人による教科選択の導入→学術、研究、専門分野におけるスペシャリストの育成→国力増強を目指すことが必須と考えます。
 このように、将来への不安の解消を行いつつ、国力の増大を目指すことが、これからの日本の再興には必要であると思います。明治維新のような意識改革を行うことにより、日本が世界に先駆けて少子高齢化対策を指し示していければと願うばかりです。
 以上、よろしくお願いいたします。

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口座と小切手

 Citibankで口座と小切手帳を作成する
 マンハッタンのど真ん中、5thアーベニューとマジソンアーベニューの角、43丁目にある45年続いている美容院を、引き継ぐプロジェクトには、いくつもの問題がありました。
 公正な資金計画に基づく契約の完了が出来るのか、長期滞在のためのビザの申請、すでに出来上がっているルールの基に経営されているサロンのスタッフとの人間関係を、うまく構築していけるのかどうか。
 朝、目覚めて、すぐにベットメイキング。そして、シャワー室に向かうというルーティン。
 H川さん(81)とSammyさん(72)という大先輩2人と、NY郊外のハーツデイルのマンションに同居し、先輩のルーティンに学び、とにかくNY生活に慣れることから。
 シーツの端と端ををビシッと張ってのベットメイキングの後、まずはシャワー室へ直行。頭から熱いお湯を浴びて、ようやく頭が冴えてくる。
 朝食は、トーストとコーヒーとサラダです。たまにクルマで10分ほど走り、一駅向こうのスカースデイルにあるベーグル屋さんに行くのが楽しみでした。
 焼き立てのベーグルを求めて、緑深い森の中、アップダウンヒルの道をクルマで疾走する。親子で経営されているベーグル専門のお店で、プレーン、チーズ、セサミ、粟、サーモンとサワークリームなどから選んでオーダー。歯応えがしっかり、中はもっちりのベーグルは、柔らかめのベーグルが主流の日本とは異なり、ここでしか味わえない食感です。
 この日、お気に入りのシャツにネクタイを締めてジャケット姿。H川さんとグランドセントラル駅を目指す。たぶん、アメリカの口座を作るということで、緊張していたのでしょう。
 時計台のある中央広場の右側のエレベーターに乗る。上がってすぐ右側、駅構内のCitibankに突撃。たくさんの書類や面談が始まるぞ。大袈裟ではなく、私的にはそれくらいの気持ちで望んだわけです。
 入り口に扉はなく、すぐにキャッシュディスペンサーが並んでいる横をすり抜け、シンプルで機能的なカウンターの前で、言われるがまま名前やNYのハーツデイルの住所を書類に記入。自動車の国際免許を提示。
 かなり厳しい審査があるのではと、予想していたのですが、2〜3分ほどてあっさりと終了。
 同行のH川さんの口座に紐付けされたからなのか?現在では不可能と思いますが、その当時は、そんな簡単にことが進んだのです。これで口座を作成、カードを申請し、小切手帳が1週間ほどで届くと知らされてやや拍子抜け。
 でしたが、小切手の書き方を習って驚いた。日本の銀行口座から、引き出すときに記入する用紙の内容と大差はないのですが、印鑑の代わりにサインを書き込むと、そのサインをキャッシュディスペンサーの機械が読み取ること。手書きで記入した数字とサインが書かれた7×15cmの薄い紙を差し込み、金種を指定すると、あら不思議。現金が出てくる。
 どういう読み取りの仕組みなのか、未だに理解は出来ませんが、筆跡などを機械が判断するあたりは、サインによって承認するというアメリカの伝統的文化に、改めて敬意を感じたわけです。
 昨今、日本では印鑑での書類作成の煩雑さが、仕事の速度の妨げになっているとの問題提起がされていますが、指紋認証や顔認証や瞳孔認証が主流になる時代にはまだまだ時間を要するのでしょう。
 この数年で、キャッシュレス化がかなりのスピードで進んでいますから、世界共通の通貨として仮想通貨のように、新札発行を機に日本独自の仮想通貨を作成し、タンス預金をすべて巻き上げようとする喜ばしくない政府の企みも噂されているようです。
 いまだに小切手が、現金の代わりとして一般人の間でやり取りされていることは、日本のキャッシュレス化の波とは対局にあるアメリカの風習文化。
 帰宅前に、グランドセントラル駅の中にあるマーケットで、夕飯の材料を購入することに。
 グランドセントラルターミナルは、NYの象徴的な存在。映画やTVドラマにもよく登場する場所。とても美しい建築物で、ニューヨークを代表するグルメやショッピングスポットが集まっています。地下に独特のフードコートやオイスターバーなど歴史のある老舗のレストランの存在も魅力のひとつ。
 この日、チーズやバケットなどを求めてマーケットを見て回りました。その模様は次回に。

日系弁護士 in New York

 いかつい黒人の男に名前と目的の会社を書き込む用紙を渡される。
 グランドセントラル駅を抜けてパークアベニューの交差点を渡り、ドアマンが高層ビルの入り口のドアを開けると、天井高が10mはある広い空間のエントランスに圧倒された。
 黒人女性の係員から、身分証明書の提示を求められ、氏名や訪問先の弁護士事務所の名前を記入。名札をもらってセキュリティを通過。エレベーターホールから八階へ。扉が開くと、また花がいっぱいの受付カウンターがあり、笑顔の白人女性係員がドアを指定し、中に通される。
 木製の大きなテーブルのまわりに、豪華な背もたれの椅子が並ぶ。鋭利に削られた鉛筆とメモ用のノートはご自由にとのこと。窓の外にパークアベニューの通りが見えて、目の前にメットライフビルの窓が光を受けて輝いていた。
 同行のH川さんと待っていると、ドアを開けて爽やかな笑顔の小柄な日本人の弁護士が女性秘書を携えてやって来た。握手を求められ、名刺交換の後、経緯と依頼内容を話し始めるH川さん。
 丸紅の駐在員から始まり、その後独立。ニューヨークの石油輸入の重鎮として長く活躍され、現在は隠居の身。日本とニューヨークを行き来して悠々自適、80歳を超えたお爺さんですが、その英語力と押し出しの強さに、歴戦の強者の片鱗が見え隠れするのです。
「ニューヨークで45年続いている美容サロンの株を買収して、経営権の譲渡までの契約書の作成をお願いしたいのです」と同行のH川さんが話を切り出す。
「意図は事前にお伺いして理解しています。細かな条件などは、元のオーナーのS氏と交渉中だということですね」とN藤弁護士。物腰が柔らかく、分かりやすい言葉を選んで発せられるひとこと一言のなかに、聡明さと人柄の良さを感じて気持ちが楽になる。これまでの経緯や諸条件のすり合わせ、スケジュールなど、会見は50分ほどで終了。
 このN藤弁護士、元々は競走馬のジョッキーから弁護士に転身されたそうで、高いトーンと歯切れの良い声から独特のオーラを感じた。日本語が通じることで、細かなニュアンスをやり取りできる。まさに暗い雲の隙間から、パリの街の光を見出したリンドバーグの心境。
 このN藤弁護士を始めとして、いくつかの案件に合わせて何人かの弁護士と会見していきます。ロビーストとして前述のH川さんにセッティングや交渉も、まさに俎板の上の鯉状態。
 私個人のビザ取得の専門のユダヤ系白人弁護士(奥さまが、建築の大好きな日本人)。同じく5カ国語を操る、ビザ取得のスペシャリスト、インド人の女性弁護士(日本語が恐ろしく堪能でビックリ)。そして、まさに輝かしいキャリアを積み重ねてきたであろう、パワーと自信に満ち溢れたアメリカ女性。典型的なセレブ弁護士(Netflixのドラマに出てくるような素敵な方でした)と接見させていただいた。
 帰り道、グランドセントラルステーションからメトロノース鉄道で、ホワイトプレイン行きに飛び乗る。横に座ったH川さんが、低い声で話し出す。
「これからたくさん勉強してもらわないといけませんね。日々の生活もですが、まずはお金の使い方から。これから小切手帳が必要になる。来週、銀行口座を作りにいきましょう」
 NYは、旧態然としたアナログな仕組みと最先端のシステムが共存している街だ。
 小切手が、普通に商取引や個人間でも頻繁に取り引きで使われる。銀行に並んでいるCD(キャッシュディスペンサー)が小切手を読み取るのだ!複雑なサインや多種多様な筆跡の数字など、どのようにして認識しているのか。
 
 次の週、グランドセントラル駅構内にあるCiti bankにて口座を開いた。
 この模様は次回。

NYの水先案内人

 ニューヨークのサロン買収の話しをご依頼いただいた美容学校の理事長・T添氏から、
「紹介したいひとがいるんや。日本の石油輸入の要として、長くニューヨークで活躍した人で、H川さんという80歳を超えたお爺さんやけど...」と食事会の設定を頼まれる。
 かなりの美食家だという情報を得ていたので、西宮で最も新鮮なネタが揃う苦楽園の鮨屋にお連れした。内田先生と何度かご一緒させていただいた切り札の一軒である。
 市場の仲買から、お金に糸目をつけず、その時期に揚がる旬の魚が、ネタ箱から溢れているお店なので、細い目をさらにほころばせながら、T添理事長共々、終始ご満悦のH川氏の横顔を眺めつつホッと一安心。
「あなたが、ニューヨークで望むことを全力でバックアップしますよ」と目を細め、静かに笑うH川氏の一言に、私がシンパシーを感じたのは仕方のないことだろう。
「チャンスは、常に人からもたらせる」
 長年、会社を営んできて学んだ教訓が、脳の中でリフレインする。
 少し腰が曲がってはいるが、矍鑠と歩く姿。ほとんど残っていない髪にカラーリングをして身だしなみを忘れず、眼光鋭く自信に満ち溢れた言動。ジャケットの下に、リンゴのマークの入ったブルーのTシャツ。そのいでたちに、初めは違和感を感じたが、息子さんがAppleで Siriの開発に携わった研究者だと知らされ納得した。 
 これはまさにスターウォーズでスカイウォーカーを指導するジェダイ「ヨーダ」そのままだなと独りごちたのを覚えている。
 H川氏の最大の関心事は、クラッシック音楽。それも、ベルリンフィルやウィーンフィルの超一流ソリストとの深い交流。
 ベルリンフィルのフルート主席奏者のエマニュエル・パユー、ベルリンフィルオーボエの主席奏者ハンスイェル・シュレンベルガーなどなど、たくさんのクラッシックの一流ミュージシャンのコンサートに同行させていただいた。楽屋に入れていただき、コンサート後の食事会をアテンドさせていただきました。
 さらりと書いているが、クラッシックファンにとっては夢のような出来事。ニューヨークであのカーネギーホールの楽屋に潜入し、指揮者のグスターボ・ドゥダメル氏とお会い出来たことは一生の思い出となった。
 この詳細は、別の機会に詳しく書かせていただくとして、この水先案人に導かれ、NY郊外のスカースデイルのアパルトマントで、生活をともにしながら、4人の弁護士とお会いし、揉まれ学び、感じたことを順を追って振り返っていきたい。

「頑張ろう」という掛け声を、自分自身に、そして周りにかけ続けて、気がついたら30年たっていた。
 例に漏れず、大半の報われない中小企業の経営者と同じく、四苦八苦を繰り返した半生でした。
 成長している時も、衰退している時期にも「頑張ろう」という合言葉を唱えるのがビジネスの世界の定番。すべての起業家、すべての事業主、あらゆるビジネスマン、周りの状況に必死でついて行こうと、もがく人々にとっての口癖、あるいは呪文のようなものだと。
 他の誰よりも長時間働き、テキパキと仕事をこなして必死に頑張ったものが、報われると信じて、日々の責務に精を出す。たまに見え隠れするチャンスらしきものを探し求めて走り続ける。ほとんどに経営者はペースを測り、長い距離を行くのではなく、全力疾走の短距離を何十回も繰り返そうとする。高度成長期の時代は、それでも良かったのですが...。
 29歳で起業し、長年、美容院を運営してきた。経営というより運営。お客様に似合うヘアスタイルや癒しを提供することが生業ではあったが、途中から自立した職人を育てる職業訓練校を運営している意識に変化した。
 技術とセンス、接客が抜きんでていれば、少々場所が悪くても必ずお客様でいっぱいにできる。そんな根拠のない自信を持っていた。
 今考えると、いくつかの商売の鉄則を軽視していた自分が恥ずかしく、苦い想いがこみ上げてくる。繁華街を避け、最寄駅から多少遠くても問題にしなかった。仕事の良さを解っていただけるお客さまがおられる住宅地ならば、必ず流行らせることが出来る。そんな根拠のない自信が、当時はありました。
 なんとか続けてこれたのは、周りの人たちに恵まれ、支えられていたからだと思い知るのは、ずっと後のことになります。
 頭を下げ、印鑑をつき銀行から融資を引き出し、その金を労働により膨らませて、適正に分配することが経営の大まかな流れ。それに加えて、自身の技術を試行錯誤、スタッフに鼓舞指導を繰り返し、自分の分身を育てることに専念した時代を経て、新たなビジネスモデルを探し続けできました。
 人生の意味が、まわりにどれだけの影響を与えられたかとすると、次のような自問自答を繰り返す。
「お前は自分の人生の目的を果たせているのか? 他者のために何かお役に立てたのか?それによって、どれだけの愛を手にできたのか?」と。その答えになるとは到底思えないが、永遠のドリーマーである初老のおじさんの無謀と思えるアメリカでの生活、顛末記を書き残しておこうと思うのです。

NYでサロンを経営する。
 
 そもそも、そんな無謀な賭けにでる気になったたのは、人材難に起因していると言っても過言ではないでしょう。リクルート、リジョブ、indeed、など様々な求人サイトに高額の料金を支払い求人をかけても、ひとりも応募者がいない。まさに求人難の時代に突入している。いや、働き方改革の流れから、社会変化と共に働き方の感覚自体が変質していると。
 2018年を境に、長期的に人口減少が始まり、技術を媒体として、手に本物の技術を身につけて、一生を費やす職をつくことを志向する若者の減少に拍車がかかる。
 お金儲けの手段として、美容師の道に入り、出来るだけ家の近くの美容院で働き、ちゃらんぽらんと遊びながら練習し、そこそこの仕事が出来るようになれば、より高い収入を求めて転職を繰り返す。手塩にかけて美容師を育てても、仁義や恩義も無く顧客を持って独立していく。
 そのような安直な目的で美容の世界に入ってくるひとが後を立たなくなりました。(勿論、真剣に技術習得に取り組み、素晴らしいデザインで多くの顧客を笑顔にしている美容師もたくさんおられます)
 従来の技術を教え、教えられ、切磋琢磨して技術の追求をしていくことを志す自立した若者が少なくなっている現状を憂いている経営者が多数存在するのは間違いありません。それが、いまの日本の美容界です。
 なんとか志しの高い人材を確保し、技術者として、社会人として自立した人財を育てることができないだろうか。
 そんな折、ある美容学校の理事長から、「NYにあるサロンを引き継いで経営してみないか」との降って湧いたような、思いもかけない話を賜るわけです。
 すぐに頭に浮かんだのは、世界の文化に触れ、技術を海外でと願う若者を日本全国から集め、NYで勉強してもらい日本に送り返すビジネスモデルでした。
 長年続けて来た美容院経営の集大成として、何か残しておきたい。ケンタッキーのカーネルおじさんのように、60からトライして、前のめりに笑顔でぴんぴんころり出来たら。
 今思い返すと、浮かれていたなと恥ずかしく思い出されるのですが、その時は差し出されたおもちゃに飛びつく子犬のように、その先の展開まで予測出来なかった。
 ビザの獲得、サロンの売買契約のために何人もの弁護士とセッションを繰り返し、プライベートでも、ジュリアード音楽院で、JAZZ界の最も著名なトランペット奏者である、ウィントン・マリサリス氏の授業を参観させていただいたり、NYドライカットの第一人者 ジョン・サハグのトップスタイリストである山根エイジと仕事をしたりと、稀にみる貴重な経験をたくさんさせていただきました。
 
 徒然なるままに、そのあたりを順番に書かせていただきたく思います。

その2

さまざまな色合い、複雑に入り組んだ形状。

紅葉のシーズンの兜山から摩耶山、再度山、鉢伏山と続く六甲山系さながらに個性的な面々が集う内田ゼミに参加して、脳天気な私も、さすがに緊張からスタートしました。

このゼミは、現在も寺子屋ゼミとして続いていますが、先生が「寝ながら学べる構造主義」など数冊のご本を出されたころで、ほぼ無名でらした時代のことです。

当年度のゼミでは内田先生がいくつかのテーマを出され、それについての考察を参加者の有志が発表する形が取られていました。

初回は前述の京阪神の情報誌Meetsの編集者、江さんから。初年度は指名された発表者に、いくつかのテーマの中から選択の自由が任されていたように記憶しています。

発表の後、ディスカッションが始まり、先生の総括。400字詰め原稿用紙2枚の感想文の宿題が出されて、次回提出という流れ。

後に内田ファミリーの主力メンバーのドクター、ナベジンさん、ウッキー、ダイハクリョク、シャドウ、ジョンウィル、ミヤタケさん、タニグチさんなどなど。先生からあだ名で呼ばれるほど、フランクで明るい雰囲気の講義。

ここでひとつエピソードを。

数回目の講義の後、ウッキーさん、ミヤタケさんに突然拉致されるが如く呼びだされ、先生と食事の場へ。訳も分からず、私なんかがいいんですかの戸惑いのなか...

その席で開口一番、先生が「僕さ、奥さんに捨てられて独り身なんだよ」

ええっ!!私は心のなかで、こんなに言いにくいことを、自らの弱点を、ほぼ初対面の私に最初から伝えるなんて...どっ、どういうことですか?

すっ、すごい!

圧倒されたのを、いまもはっきりと覚えています。

正直、目の前に先生と諸先輩。別件の約束があったことが気にかかり、何を食べたのかもさっぱり記憶にありません。

途中、「ミツヤスくん、合気道はいいよ〜」と満面の笑みで、ひとことおっしゃったのが鮮烈に印象に残ってます。

誰かひとりが、おかしなことを発言すると、周りから集中砲火を浴びる場面もありで、かなりテンションの高いシチュエーション。ゼミでは、まさにとんがったり、曲がったりの凸凹メンバーがキラ星のごとくに登場して、戦国時代の様相を呈してましたっけ。

それぞれに好奇心、向学心、立身出世の志で、意識の高い方々が集まっておられたと思います。いま振り返ると、無邪気で楽しい時代でした。

私はというと、このゼミ自体、先生がおられるアカデミックな場所とは異なる世間、一般人からリアルな発想や興味や問題点を喚起され、拾い上げる場所として開かれたのかな...と考えてました。

水戸黄門ならば、風車の弥七、島耕作ならグレさん、ONE PIECEならばロビンのごとく、先生の好奇心くすぐるアンダーグラウンドな話題やホットな情報をお伝えすべく心がけよう。

今思えば、結構、レポートを頑張って書いてましたね。それについての感想と評価を毎回、楽しみにしていて、Aとかを貰って年甲斐もなくワクワクしたものです。今考えると、規定も責任も一切必要無いんですから、どのレポートにもA評定されてたのかな(笑い)

それは、現在も床屋談義として続いていています。先生は世間話くらいにしか思っておられないかもしれませんが...。

この一年目のゼミで、私が先生の言葉で印象に残っているご指導をひとつあげますと、

「大きなビルに入り込んで、ドアを全部開けようとするな」ということでしょうか。

一度にたくさんの事柄を伝えようとするのではなく、全体を俯瞰。何十も並ぶドアのひとつだけを開け、内部の様子がリアルに伝わるよう語るべし。人前でのスピーチ、コミュニケーションのノウハウの重要な肝。


季節は秋のころだったと記憶してます。
柳田國男さんの提唱された「ハレとケ」の発表のとき、携帯の呼び出し音が鳴り、「父危篤、すぐ帰れ」との緊急の知らせが...

以下は次回

全ては必然と考える...

たまたまとか、偶然とかいうものはこの世に存在しないのではないか。

 

十数年前、いつものようにサロンで仕事をしている最中に、たくさんの雑誌が入れてある、床のマガジンラックが、光り輝くように見えた。今でも不思議だけれど、確かにモザイクがかかったようにそれは、その瞬間、揺れて輝いていた。

雑誌の中の一冊の Meets に、私は呼ばれたのだ。

パラパラとページをめくり、あるエッセイに惹きつけられる。文字がひと際、鮮明に大きく見えた。

「パートナー・デバイドの光と影」

タイトルからしてステキ。4ページほどのその文章を読み終えて、私は圧倒された。大人になるとはどういうことなのか。人が仕事をする意味など、こんな小難しい内容を、TV アニメの登場人物(それも少女漫画だ)を交えて、面白おかしく、これほどわかりやすく書けるなんて...。

専門用語を多用して、いかにもな文書くことは、ある意味容易だ。私のようなボンクラの一般庶民に語りかけるが如く、わかりやすく解説されたコンテンツは、めんどくさい計算を重ねて編まれた緻密さを感じさせる。フランクで、他にはない構成に驚きを隠せなかった。

こんなに頭の良い人がこの世には存在する。今思えばそれが、私の運命的な出会いとなった。

すぐさま、作者を検索し、HP を閲覧する。自宅から数駅先にある女子大の先生なのに、毎回ウィットに富んだコンテンツに溢れていて、毎回更新されるのをワクワク楽しみにしたものだ。

そんなある日の HP 冒頭に、「今度、うちの女子大で社会人を集めたゼミをやることになりました。女子大なんだけど、男子も参加できるから遊びに来てね〜」なる一文を見つけて、好奇心と下心に小躍りしつつ、私は頭を抱えた。

参加したいけれど、仕事もしているし、果たして続くであろうか。幸い授業は火曜日の夕刻だから休みだけれども、経営者というのは休みでも休みではない。逆に、社員に勉強会をしたり、銀行に融資を頼みに行ったり、税金や経費の振込みなどせねばならない仕事が多々ある。

規定の参加動機を書いた一文と大学の卒業証明書を取り寄せ送付して、後日送られてきた日時に女子大学の門をくぐった。

緑多い女子大の急な坂道を登る。指定された教室に入ると、50〜60人の応募者が集まっていた。社会人、大学生、大学の先生などなど、それぞれ心に一物を秘めた個性的な顔の集団。

その中心に頭半分ほど抜きん出た、大柄の人物が目に止まる。これが、私の師匠でありメンター、内田樹氏とのファーストコンタクトであった。

独特の高いトーンで響く声(正直、こんな高い声で江戸弁の方だとは予想だにしていなかった)と、周りにプラス・エネルギーを発する所作に、ワクワクし緊張したものだ。

 

さて、懐かしさに横道に逸れてしまった。ここからゼミに参加し、数々の出会いを重ねていく。これより先の話は、折々、後日に譲ることにして話を戻そう。

 

私は、生を受けてよりこのような不思議な巡り合わせ、偶然と呼ぶにはふさわしくない稀有な体験を何度か経験してきた。皆さんにも覚えがおありになるのではないだろうか。

後で振り返るに、偶然と思える点が線になり、線が繋がって平面を形つくる。やがてその面が立ち上がって立体を形成していく。

ひょっとしたら偶然なんてこの世に存在しないのでは・・全てのことには意味があり、説明できない出会いや別れによって人生は出来上がっているかもしれない。人との巡り合わせ。人はそれを運とか女神とか神と呼ぶのではないだろうかと。

そう考えると、「自力だけでなく何かに生かさせて存在している」という感じがしてくる。生きることが少しだけ楽になる。誤解されないでいただきたい。宗教的な話を伝えたいわけではありません。

人生では嬉しい事楽しいことだけでなく、辛い事も悲しいことも、時として死にたくなるような出来事も起こり得る。

全てのことには意味があり、自身を幸せに導くために存在すると考えたい。良いことも悪いことも、時が来れば自らの幸せにつながっていくとしたら、かなりの面で心配することが少なくなる。

 

「偶然に見える必然」・・シンクロニシティーという言葉の意味に集約される。Sting の曲を思い出す方も多いかもしれない。

はるか昔、学生時代に、私は電車の中で偶然再会した高校時代の友人からバイト先を紹介される。それによって私は、全く新しい世界を知ることになった(これは実際に私の身に起こったことだ)。

彼の紹介で家庭教師のバイトを始めた私は、そこで私には縁のなかった富裕層のお家に出入りすることとなる。その家は、とある会社の副社長のお家で、三姉妹の末っ子のお嬢さんに英語を教える仕事を手に入れた。

貧乏な家に生まれた私が、それまで知り得なかったお金持ちの所作、ルールみたいなものを、ここで知ることになるのだか...

 

いささか長くなりそうなので、初回は、このあたりで。

ではまた。