ジャズ界巨星との遭遇と再会

先週、ある作品を観るために、最終レイトショーのシネコンにいた。
「BLUE GIANT」
 東北の田舎から、テナーサックスを抱いて世界一のjazzのサックスプレイヤーを目指し、上京する青年。ひとりの若者が、音楽と己の力を信じて道を切り拓き、夢に向かっていく姿は見ている者を感動させずにはおきません。
 決められた楽曲・楽譜の制約の中で自己表現を行うクラッシックに対して、瞬間の自由な感覚による演奏で自己表現(インプロビゼーション)を行うジャズ。このふたつは、同じ音楽でも対局の関係にありますが、どちらもその素晴らしさを映像で表現することは至難の業と言わざるを得ません。
 漫画で実際の楽曲や演奏の素晴らしさを表現出来るのか?それがアニメーション映画になり、どんな作画とサウンドで観客の目と耳を魅了するのか?
 BLUE GIANTが、コミック雑誌に連載した頃から愛読。当時から「絵の中から音が聴こえる」との評判でした。漫画が動画としてスクリーン上のアニメーション映画となり、ジャズの演奏がどのように表現され劇中に流れるのかを、公開前からとても楽しみにしていたのです。
 音楽監修は、日本を代表するジャズピアニストの上原ひろみ。ピアニスト雪祈(ゆきのり)の演奏を上原、主人公・大のサックスを馬場智章、ドラムの玉田の演奏を石若駿が担当し、予想を遥かに上回る楽曲と演奏、そして作画の見事さに圧倒されました。ジャズのイメージは、その来歴から退廃的で暗いイメージで扱われる傾向がありますが、キラキラと煌めく管楽器の放つ光のようなサウンドとともに、弾ける希望を感じさせる作品に仕上がっておりとても嬉しくなりました。
ジャズといえば、アメリカで奇跡のような経験をさせていただいたことを懐かしく思い出します。
 マディソン43丁目「寿司田」という鮨屋に夕食に行った時のこと。カウンターに二人の先客。同行のH川さんがそのひとりに話しかける。
 会話の後、戻ってきて開口一番、
「ジャズが好きだったよね。明日、ジュリアード音楽院に行きましょう」と。
 話しかけたその人物こそ、juzz界の至宝、現代有数のトランペッター、ウィントン・マルサリス、その人でした。
 ウィントン・マルサリス。
 ウィントン・マルサリスは、アメリカのトランペット奏者であり作曲家。現代において最も著名なジャズ・ミュージシャンの一人であるだけでなく、クラシック奏者としてもよく知られています。また同時にジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督でもあります。そのテクニックは凄まじく、アンサンブルは端正、フレーズは流麗、歌心満載、繊細かつ大胆なアドリブと完璧すぎるトランペッターです。
 私が音楽愛好家であり、ジャズも好きなことを知っていたH川さん(リンカーンセンターのオペラハウス建設の際に、多額の寄付をされた)が、言葉を交わし、授業を見学させてもらえるようお願いしてくださったという経緯です。
 リンカーンセンター入り口でチェックを受けて学内へ。指定された教室は、三角形で天井が8mほどもあるガラス張りの教室で開放感に溢れていました。
 すでにピアノ、ベース アルトサックス、テナーサックス、トロンボーン専攻の5名の学生がスタンバイし、楽器のチューニングの真っ最中。少し遅れてスティックとスネアドラムを抱えた学生が入ってきて、慌ててセッティングを開始。授業の担当教授に続いて、コーヒーを片手に、スーツ姿で颯爽と現れた長身の男性。褐色の肌がベージュのスーツにとてもよく似合う。我々と軽くアイコンタクトをした後、すぐに授業に入る。
 マルサリス氏が、最初に課題曲の注意点を述べた後、カウントと共に生徒の演奏が始まりました。が、すぐに中断。ウッドベースとドラムのふたりに、リズムのアドバイス。やはりリズムセクションがバンドの要であることは、クラッシックであろうがジャスであろうが変わりがありません。学生たちは、おそらく全体から選ばれし生え抜きの学生と思われましたが、各メンバーの顔には緊張とマルサリス氏に対しての尊敬の表情がみて取れました。途中、何度かマルサリス自身がピアノを弾き、声を上げてリズムをとるシーンが。個人的にトランペットを吹いての指導シーンを期待してしまいましたが、さすがにそれは叶えられず。
 映画「セッション」のようなパワハラの片鱗もなく、愛情に満ち、とても洗練された授業に感じました。授業後、教室の外で会話を交わし記念撮影。その際に彼に伝えたひと言。
 I did not understand the difficult music theory in the class, but I did understand one thing clearly. I 'm a very lucky Japanese man.
 両親も兄弟も有名ミュージシャンの音楽一家で育ったマルサリス。マイルスやコルトレーンとは対極の恵まれた環境で育った彼のジャズやクラッシックのCDがグラミー賞を総なめにしてしまう。そんな彼に苦悩があるとしたら、そのありがたみと同時に、まわりから期待され、常に新しい何かを求められ、さらに表現することが困難になっていくスパイラル...エリート故の難しさを考えずにはおれません。
 音楽配信が全世界に普及し、CDが売れない時代。音楽ファンにとって、コンサート会場で生音を聴くことが何よりも貴重な経験になってしまったこの時代に「棚からぼた餅」、「瓢箪から駒」、「千載一遇」、そんな言葉がぴったりな体験。その後フワフワとした足取りで、どのようにしてスカースデイルまで帰宅したのか...今もよく思い出せません。
 この春、マルサリス氏が来日。東京と大阪でコンサートが実現。フェスティバルホールにて、屈指のトランペッターと再会できるのを楽しみにしています。