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2004年04月 アーカイブ

2004年04月05日

3月13日 春合宿出発前日

3月12日

 タイトル:春合宿出発前日の日記。
春合宿合流の一日前。
なので、旅行かばんに道着などの必要な物資を詰めていったり足りないものを買い揃えたりする。
 直前まで体調を崩していたので、咳止めとハンドクリームとヴァームゼリー5袋と貼るタイプのホカロンミニをドラッグストアで購入する。薬系の品がやけに多いけれど、仕方がない。
 荷物はいつものごとく旅行かばんのファスナーが閉まらないくらいの量があるので、少しずつ荷物に体重をかけて圧縮しながら持ち物を詰めていく。
 気分的には、不安と期待が6:4で入り混じったような感じ。
 それでは、行ってきます。

3月13日・合宿合流一日目

わたくし的には合宿の1日目。(でもみんなは3日目。)
K澤さんとまっすーとK谷さんと合流して、電車で九十九里浜まで向かう。
 この日はたまたまJR東日本のストライキと重なっていたので、千葉方面の電車の運行本数が半分程度になっていたけれどそれでも十分余裕がある時間に成東駅までたどり着く。
 途中で電車待ちをしている間にK谷さんに今年の春合宿のしおりを見せてもらう。最終ページの1つ前に「多田先生名言集」というコーナーがあって、その中に「とらわれない とらわれない」「マイナスの言葉は非常に強力なので、自分にも、人に対しても、決して言ってはいけない」というような、比較的真っ当な言葉に交じって「K野くんは一九会がどういうものか本当に知っているのか!?」という一文を見つけてしまい、これはちょっとかわいそうかも。笑ってはいけないかも。と思いつつも、個人的にはものすごくツボにはまってしまって大笑いしてしまった。(春合宿のしおりには実名で記載されていたのですが、ここに書いてしまうとあまりにもかわいそうなのでいちおう仮名にしておきました。)
 成東駅で多田先生とI川さんと合流し、それから旅館の方が出してくださったマイクロバスに乗って宿に向かう。
 菜の花が見える道を20分くらいバスに揺られていると、宿の看板が見えてきて、とうとう着いてしまったんだなという気になってきた。
 昼食後に少し休憩を取った後に、午後のお稽古から練習に参加する。
 最初に呼吸法と足捌きを相当入念に行った後に、もうすぐ新入生が入ってくるということもあるので受け身の動きとと攻撃を払う動きを集中的に練習する。その後に中段突きの技をいろいろと練習していく。
 このところずっと体調がよろしくなかったので、今日のお稽古では甲野善紀先生のホームページ(http://www.shoseikan.com)に書かれていた「体調が思わしくない時は尾骨を温めるとよい」という文章を参考にして、尾骨の上あたりに貼るタイプのホカロンミニを貼ってみていた。そうすると、ヴァームゼリーに頼らなくても身体のエネルギーが持続するような感じでいつになくちゃんと身体を動かすことができたように思う。
(本当はにがりの入った天然塩を使って尾骨を温めるのが正式なやり方らしいです。もしもやってみようという方がいたら甲野先生のホームページの「随感録」の3月4日付けの記述に目を通してみてください。)
 お稽古の後は、夕食を取った後に多田先生のありがたいご講義を聞く。
 講義の内容は、「対象にとらわれない心の使い方」「呼吸法の重要性」「心にイメージを描くことの重要性」など、どちらかと言えば基本事項を再確認するような形。でも、そのような基本的な事項を改めて確認することが今のわたくしたちにとって、とても重要なことなのだろう。 

3月14日・合宿二日目

 わたくし的には合宿の2日目。(でもみんなは4日目。)
 まず、6:30〜7:30の朝稽古では主に呼吸法を中心に行い、午前中の稽古では体術と杖を中心に行い、午後の稽古では最初に基本技をを一通り行ってから昇級・昇段審査を行う。(ひどく大雑把に書いてしまうとすれば。細かいことはメモを取っていなかったので忘れてしまいました。)
 今日も尾骨の上あたりにホカロンミニを貼ってお稽古に臨んだけれど、けっこういい感じにお稽古ができたとわたくし的に思う。 
 審査では、毎回の恒例行事ではあるけれど、ずーっと正座をして審査の過程を見守る。前回の夏合宿の時と比べると審査を受けた人間の数は半分くらいなのだけど、それでも普段正座をすることはほとんどと言っていいくらい無いし、脚の血行もそんなに良い方ではないので脚はしびれてとっても大変になる。
 今回昇級・昇段審査を受けた皆様、お疲れ様です。とても綺麗な感じにできていたのではないかと思います。
 審査が終わった後は、夕食の後に打ち上げの飲み会。
 そしてこの打ち上げの中で来年度の幹部の発表と引き継ぎも行われた。  
 今年1年間幹部としてサークルを支えてきた王子様とN口くんと朝ちゃん、お疲れ様でした。
 そして来年度の幹部に選ばれたひろたかくんとやまきょーくんとT谷さん、一年間頑張ってください。 
 ところで、わたくしの話に戻すと、打ち上げの飲み会で高濃度のキールロワイヤルを作って飲んだりウォッカの原液をかぱかぱと飲み干していたりしたら、途中から記憶が怪しくなり、気がついたら朝になっていて自分の部屋の布団の上に突っ伏して寝ていました。何か人様に迷惑をかけるようなことをしていなければよいのですが。。。。。。 

3月15日・合宿最終日

 春合宿の最終日。(今日はみんなも最終日。)
 昨日のウォッカが残っているせいで、一応は動くことはできるけどやっぱり気持ち悪い。ということで体術はきちんと動けない。でも杖は何とかぶんぶん振る事ができる。
 杖のお稽古は、「一の杖」を一通り練習した後に、植芝盛平先生の行った「和歌山の杖」を練習する。(と書いても、合気道をやっていない人には何のことだかさっぱり分かりませんね。すみませぬ。)杖というのは、動きを覚えるまでは難しいのだけど、動きのパターンが身体に刷り込まれると割合簡単にぶんぶかぶんぶかとトランス状態に入るくらいにまで振ることができるようになる。その領域まで達すると杖を振るのはけっこう楽しい。
 お稽古の最後に1年生と「一の杖」を合わせる。そして最後の最後にサークルの旗をバックにして全員で記念写真を撮る。
 これで合宿も終わりかと思うと、「ああ、これで終わったのだ」という気持ちと「これでもうおしまいなのか」という気持ちが入り交じった奇妙な虚脱感にひたってしまう。 
 その後は昼食を食べて、しばしの間ぼーっとした後にバスで東京に戻る。
 皆様、本当にお疲れ様でした☆ 

3月16日・まだ現実の世界に戻ってきたような気がしません

 一応は日常の世界に戻ってきたけれど、まだ身体が普段の状態に戻ってないような感じ。背骨の腰の部分から妙な感じの波動が出てきているような感覚があるのであんまり業務に手がつかなくて何だか身体がふわふわしてしまう。
 仕事の帰りに靖国神社の桜の開花様子を見てみる。
 一日中ずっと  
 およそ1本の木に2、3輪ずつくらいの割合で桜の花は開花しているけど、これが満開になるのは1週間から10日くらい必要なんだろうか???
 桜が満開になったら、ボートに乗って水面に映る桜を眺めてみたい。
 井の頭公園の桜か、不忍池の桜か、千鳥が淵の桜を。
 もう春は、すぐに手の届くところにまできているのだろう。

3月18日・フリーズと言えば

「フリーズ」と言えば。
 もう10年以上前になってしまうけれども、高校のラグビー部の先輩がアメリカ留学中に銃撃されて死亡した事件を思い出した。
 あの時も「フリーズ!!!」と言われたときに意味が一瞬わからず動いてしまったために撃たれてしまったのだと聞いている。
 そういえば、高校の文化祭に「服部君銃撃事件メモリアル」という展示コーナーがあってそこに遺体写真があったことをはっきりと覚えている。
 20口径のマグナムで至近距離から撃たれたので、遺体の背中には直径20cmの穴が開いてしまったのだと説明書きには書かれていた。
 「せめて最初に威嚇射撃をしていたのならば、直径20cmの穴を身体に開けられるということはなかったのだろうに」「せめて最初は手か足を狙っていれば死亡するということはなかっただろうに」と日本人の常識の中に生きているわたくしは思ってしまう。でも、それは日本人の常識であってアメリカ人(特に南部の人)の常識とはかけ離れているのだろう。わたくしはそれを到底理解することはできないけれど。

袴練にいってきました

体調悪し。
 でも身体を動かさないとやばそうな気がしたので、袴錬に参加する。
 そして「二人掛け」のいろいろを練習する。
 だけど体がいつもより非常に重く感じたので、やっぱり行かないほうがよかったのかもと後悔する。
 とっとと家に帰って入浴したらものすごい大量の老廃物が出てくる。
 まだ、身体の状態が急激に変化している途上にあるのかもしれない。

3月22日・ハルウララちゃん

 高知競馬でハルウララに武豊が騎乗して出走した、とのこと。
 一連のハルウララブームというのはある程度競馬の事情を知ってしまっているわたくしはどうしても少し冷めた目で見てしまう。お馬が100敗するのはプロ野球チームが100敗するのとはちょっと違い、相当大変なことである。まずお馬がレースに100回出るするということ自体が極めて稀であり、相当に丈夫な馬ではないと100戦なんてとてもとてもできない。(体が弱い馬だと一回もレースに出ることなく引退したり、一回レースに出ただけで骨折したりする。)それに、お馬を厩舎に預けておくということはかなりの金額が必要になる。JRAと地方競馬では当然金額が異なってくるけれども、一説によれば1ヶ月に30万円くらい必要になってくると言われている。普通なら、負け続けている馬をずっと厩舎に預けておくということはしない。おそらく、ハルウララちゃん(人間の年齢に換算すると50歳前後になるから)に関しては20連敗くらいしたあたりから「じゃあどうせなら100連敗くらいさせましょう」と馬主さんや調教師さんがかなり意図的に100連敗を目指したのではないかとわたくしは思
ってしまうのでした。高知競馬もずっと赤字続きだと聞きますし・
 でも、だからといってハルウララブームはやらせだからいけないとかいう事を主張するつもりはなくて、ハルウララちゃんを見て自殺するのを思いとどまる人がいたり応援することによって癒されたりする人がいればそれはそれで良いのかもしれない、などと私は思ったりする。今の日本には毎朝毎朝、負け戦になるとはわかっていても戦場に出ざるを得ない人々が大勢いるのだから。

2004年04月06日

花見をしたり大学時代のむかつく指導教官の著書を焚書にしたりする

4月5日

 祝!「ホムンクルス」第2部連載再開。
 ついでに「昴」の連載も再開してほしいな、とスピリッツ編集部の中の人にお願いしたくなる。

4月4日

 本当は今日サークルのお花見の予定だったのだけど、今日の天気予報が雨ということだったのでお花見は中止。そういうことなので例のごとく一日中爆睡。
 このところ変な咳がずっと止まらなくて体力が消耗していたせいなのか、18時間くらいを余裕で死んだように眠ってしまう。
 こういうときにはやはり誰かが傍にいてくれればいいと思う。普段は別にずっと一人で孤独でも生き抜いてみせると思っているけど。
 そういえば、今日のお花見のために買ってきた日本酒はどうしよう。
 東大農学部前の酒屋さんのおばさんのおすすめの1本だったのに。。。。

4月3日

 今日はまりりんちゃんとお寿司を食べに行く約束をしていたので、午前8時に築地本願寺の前で待ち合わせ。途中、地下鉄のホームでわたくしのスカートの中身を勝手にのぞきこもうとする人に遭遇する。ものすごくむかついたので怒鳴りつける。
 築地本願寺の前でまりりんちゃんと合流して、最初にホームページで前もって調べていたまぐろ丼のお店に向かう。まぐろ丼のお店はホームページで見て想像していたのと違って、良く言えば庶民的、悪く言えば小汚いという感じでちょっとがっかり。でも大トロ&中トロ丼2500円は、まぐろはサシが霜降り状になっているし、帆立貝の貝柱は肉厚で新鮮で甘味があっておいしかったので、味そのものについては特に大きな不満はなし。
 その後、築地場外売り場でまぐろの切り身やほほ肉が売られているのを見ながら歩いているうちに、目の前にお寿司屋さんがあるのに気づいてしまう。
 最初のまぐろ丼のお店が別にものすごく不満だった、という訳ではないけれどわたくしの胃袋はお寿司で満たされることを欲していたらしく、2人で顔を見合わせて「入って少しだけ食べない???」ということになって入ってしまう。そしてまりりんちゃんは大トロと中トロとあぶりトロとまぐろの手巻き寿司を、わたくしはぼたんえびと子持ち昆布とあぶりトロとしめサバを注文する。やはり、こちらの方の大トロは牛肉か鴨肉と見間違えるほどに脂が乗っていておいしそうだった。その他のネタも十二分においしかったです。はい。
 ここで10時30分くらいまでマシンガントークをした後、場所移動をする。
 まりりんちゃんに「諸般の事情があるので、千鳥が淵でボートに乗りながらお花見をしたいんですけど」と頼み込むとOKをもらったので、九段下まで地下鉄に乗りお花見をすることにする。
 今日はちょうど桜が満開でさらに明日の天気予報が「雨」ということもあるので、武道館および千鳥が淵近辺はものすごい人出だった。それに、散った桜の花びらが浮かんでお堀の水面を桜色に染めている様子がとても綺麗。あのお兄さんも断らずに来てみればよかったのに、とふと思う。でもまりりんちゃんとわたくしは「やおい」についての話と「週刊わたしのおにいちゃん」についての話をしながらこの最高に美しい桜を眺めていました......。
 ボート乗り場でしばらく順番待ちをした後に90分間ボートに乗る。水面から見上げる桜の花は格別に美しい。格別に美しいのでボートから手が届くくらいの高さに生えている桜の木の枝に近づいてみたら、枝にボートがぶつかってしまい身動きが取れなくなってしまった。でも千鳥が淵は広いのでボートを漕いでいるとなかなかに爽快である。井の頭公園のボート池ではこういう感じにはいかない。
 その後すぐ近くにある靖国神社の桜も見にいくことにする。でもそこで「靖国神社で同期の桜を歌う会」の方々が同期の桜を歌っている場面に遭遇する。70歳以上の人に交じって海軍士官の服を着た人や特攻隊の服を着た人もいる。かなりびっくりする。
 それから「最後の締めに神保町で飲むことにしましょう」ということになったので、徒歩で神保町に移動。ヘタレなのかこれだけ歩いたら脚が疲れてしまう。神保町についた時点でまだ飲み系のお店が開いていない時間だったので、なぜかやおい同人誌と「週刊わたしのおにいちゃん」の実物を見てみようではないかといういことになり、書泉ブックマートに行く。そこでやおいの人々とロリコンのお兄さま方の毒気に当てられて体力が消耗する。
 そして最後の最後にアジア系ダイニングで飲み。トーストにえびのすり身を塗って焼きタイ風のたれをつけて食べるのが非常においしい。でもタイ風ビーフンがちょっと辛すぎて泣きそうになる。
 まりりんちゃんとドラマの話などをしているうちにあっという間に11時をまわってしまう。こんなに遅くなるとは思っていなかったので、「グータン」の第1回オンエアを見逃してしまう。それがちょっと残念と言えば残念。

4月1日

 エイプリルフール。
 でも人をだまくらかそうとかそういう悪いことはしていない。
 諸般の事情があって、しばらく日記を書こうとしてもなかなか筆が進まなかったり体調を崩して文章を書けなかったりしていたけど、やはり日記の連載は続けていこうと思い直す。10日分くらいの日記が書きかけなので、ちゃんと書こうと決心する。明日から。
 今日は職場でのプロジェクトの打ち上げということで、業務が終わった後にビートたけしが常連だったという四谷三丁目にある焼き肉屋さんに出かけることにする。(とは言ってもわたくしはこのプロジェクトに関してはほんの少ししか係わっていないのですが。)先週のものを燃やす会の後の焼き肉ではあまり肉類を消費することができなかったので、今日はちゃんと気合を入れて消費しようと思う。自分はほとんど仕事をしていないくせに。
 ちょっとここでは書けないいろいろな出来事があってそれでしばらくブルーになったままだったのだけど、レバ刺しを食べてユッケを2.5人前食べてレモンサワーを一杯空けると、「少しくらい嫌なことがあっても、こうして会社のお金で焼き肉を食べられるのだからトータルで考えるとまあ幸せ、ということかな。」と思い直すことにする。
 その後、ねぎカルビ・ハラミ・豚の三枚肉の部分をロール状にしたもの・レバーなどを頂く。焼き肉がおいしいのでだいぶ機嫌が直る。
 どうもごちそうさまでした☆
  
3月28日

 多田塾研修会の日なので行こうと思っていたけど、目が覚めたら既に午後の2時を回っていたので「ああもう間に合わない。しょうがないので2度寝しよう」
と思って2度寝して目が覚めたらもう夕方の6時になっていた。
 体調がいまいち良くないせいか、最近はこういうのが多いなあ。。。。

3月27日

 今日は「ものを燃やす会」を開催した。
 「ものを燃やす会」というのは、嫌な思い出が詰まっているものや人生において焼却処分にしたいものを燃やす(ただし紙類のみ。)というイベントである。最初は飲み会の時におとなしく花火をしていたりしただけだったのだけど、2年前の野外での飲み会の時にわたくしが大学時代のむかつく指導教官の著書をたき火の中に投げ込んで燃やした時から少しずつエスカレートしたらしく、最近ではみんなが嫌な思いをしたプロジェクトの資料とか嫌いな人の写真とかを持ってきては燃やして遊ぶというイベントになってしまった。 今回は駒場野公園のデイキャンプ場を借りて、気合を入れてものを燃やすことにする。ということで1:30に駒場東大前改札で待ち合わせ。まりりんちゃんとM本さんと合流する。そして勢いよく物を燃やし始める。
 わたくしは今回特に気合を入れて燃やしたいものはなかったのだけど、大学時代のむかつく指導教官の本が一冊残っていたのといらない紙類があったので、それを燃やすことにする。今月末で会社を退社するまりりんちゃんは相当嫌な思い出が詰まっている書類があったらしく、表に「駒場野公園」と大きく書かれた封筒に大量の書類を入れて持ってきており、相当気合を入れて紙を燃やす。
 風が強かったのですぐに3人とも灰を大量にかぶってしまう。
 燃やしているのは紙類だけではなく、いちおう焼きいもと鶏の塩釜焼きの準備もしており、ものを燃やすついでにこれらを加熱する。1時間くらい紙類を燃やして気分を晴らしているとさすがに空腹になってきたので、一度ものを燃やすのは中断して焼きいもと鶏の塩釜焼きを食べることにする。そこに、1時間ほど遅れると前もって連絡のあった“ステキマン”さんが登場したので、4人でにわとりと焼きいもを分けることにする。
 焼きいもはきちんとおいしくできていたのだけど、鶏の塩釜焼きの方はわたくしがレシピの何かを間違えたらしくものすごく塩辛い鶏の丸焼きになってしまった。次回に対してリベンジを誓うことにする。 
 ある程度空腹が満たされたところで、再びものを燃やすのを再開しようとしたけれど、やはりものを燃やしてると周りから怪しげな目で見られていたらしく3時30分になったら公園の管理人の人に「火を消せ!!!」ときつく言われてしまう。ということなので、おとなしく火を消して後片付けをすることにする。
 この後、下北沢の「まるき」に行って焼き肉を食べることにする。カルビやユッケを死ぬほど消費したかったのに、焼きいも1本でお腹がいっぱいになっていたらしくほとんど肉類を食べられなかった。しょうがないので杏仁豆腐やアイスクリーム類を消費しながらマーベラスちゃんの到着を待つことにした。アイスばっかり食べていたせいか、やたらとトイレに行く回数が多かったような記憶があります。
 今日のわたくしの服装が80年代ちっくでおかしいというような話をしたり、まりりんちゃんが田中康夫のものまねをしたりしているうちに時間が11時を過ぎていたのでお開きということになる。
 こういうことを書くとものすごく怪しい人に思われるかもしれないけれど、ものを燃やすのは楽しかったです。多少は良心の呵責も感じてはいますけど。

2004年04月12日

結婚・誘拐・風邪

4月10日

 内田先生のお書きになられた「ミーツ」の5月号の「結婚は得か?」の続きを読むためだけに渋谷のブックファーストに行く。関西のタウン情報誌はおそらく東京では売られていないだろうと思っていたけれど、とりあえず今のところ渋谷のブックファーストと池袋のパルコブックセンターで「ミーツ」が売られていたことは確認している。
 それで、内田先生は上野千鶴子またはその他のフェミの人ではないので当然ながら「結婚は得か?」という問いに対しては「お得」という結論を出している。
しかし、この文章を読みながら「うー。でも最近の人々というのは『他者と一緒に共生する』ことを可能にするほど成熟していないのかもしれませぬ。」とも思ったりもした。
 おそらくわたくしたちが異性に対して心引かれるというのは、性を別にする人々に対して「その人の考えを想像することも、理解することも絶対に不可能であるような他者」の性質を投影しているからなのでしょうけど、最近の人々は「その人の考えを想像することも、理解することも絶対に不可能であるような他者」のまなざしを内面化する能力とそういう人と共生してみようかなという意志を著しく欠いているようにも思える。わたくし的には。
 これは元来日本人特徴的に存在していたものなのか、戦後、共同体が崩壊してエゴイズムが加速した結果こうなってしまったのか、ちょっと気になるところである。
おうちに帰ってから、「トラックバック」がいったい何を意味する物なのかずっと気になっていたので、gooで検索をかけてみて調べてみた。ちょっとだけ賢くなったような気がした。
(詳細はこのホームページを参照してみてください→http://kotonoha.main.jp/weblog/000138_trackbackguide.html)

4月9日

 きのうはものすごく長くお風呂に入っていたので、夜11時台のニュースは見ずに寝てしまったのだけど、朝起きてTVをつけてみたら大変なことになってしまっていた。とは言っても、「イラクで日本人3人が拘束」という事態は全くの想定外の出来事ということではない。むしろ、日本がイラクに自衛隊を派遣したときから懸念されていたことがついに現実のものになってしまったというべきなんだろうか。
 連合軍がファルージャのモスクを空爆して以来、イラク国民の外国人に対する感情は最悪中の最悪になっていたのだから、単独でイラク国内で行動しようとするのは見通しが甘かったのだという考え方もあるのかもしれない。しかしイラクの子供たちを何とか救おうとして個人ができる範囲で最大限の努力をしていた人がこういった事件に巻き込まれてしまったのだというのは本当に辛い。イラク戦争そのものにしても、昨年末の外交官殺害事件にしても、犠牲になるのは罪もない子供たちだったりあるいは本気でイラクの復興を目指した善意の人だったりで、このような事態を引き起こした当事者はのうのうしているというところに、ひどい矛盾を感じてしまう。
 ところで、「サラム・アルムジャヒディン(イスラム聖戦士旅団とでも訳すんでしょうか?)」という名前は日本で右翼まがいの人々が「建国義勇軍」と名乗っているようなネーミングの安易さを感じる。これはあくまでわたくしの想像に過ぎないのですが、日本人を物取りの目的で襲ったのに彼らが十分な額のお金を持っていなかったので、腹いせに拉致監禁してイスラム原理主義者のような名前を名乗って日本政府を脅迫しているのではないかとも思える。いずれにしても、無事に解決できれば良いのですが。そして3日後のシーア派の祭りの日であるという4月11日に、何も起こらなければ良いのですが......。
 
4月8日

 昨日は病院に行った後に結局職場に行って仕事をしたのだけれども、どうも体力がいまいち回復していないようなので午前中はお仕事をお休みして様子を見ることにする。
 今まではおかしいとは気づかなかったけれども、部屋の中が妙な感じで散らかっている。ここ1か月くらいのどこかの時点でお部屋を整頓する能力が著しく低下してしまったらしい。部屋中のエントロピー量が増大して大変なことになってしまっているので、あんまり身体に無理をかけない範囲でお片付けをする。
 出典が何だったのかは完全に忘れてしまったのだけど、多重債務者や精神を患った人間の部屋というのは多くの場合非常に散らかっているのだという話をどこかで読んだ覚えがある。きっとこういう人々の場合前頭連合野の働きが鈍ってしまっているので田口ランディさんのいうところの「段取り力」、つまり物事を計画し順序立てて整理し実行する力が落ちてしまっているのだろう。わたくしもかつて精神が少しずつ鬱病の深海に徐々に引き込まれていこうとしていた時にお部屋がものすごく散らかって完全に収拾がつかなくなってしまっていたことがある。もちろん今だってお掃除が大好きで2日に1日は必ず掃除をしている人から見たら綺麗な状態が保たれているとは言えないかもしれない。でも一応はお部屋には一定の秩序が保たれているのが以前とは違うところだと思う。
 午前中いっぱいだらだらして休養を取ると、大分体調が回復してきたので午後からお仕事に行く。電子の書類なので山状にはなっていないけれど、書類の山がわたくしを待っていたので泣きそうになった。

4月7日

 このところ1か月くらいずっと変な咳が出ていたので、周りの人々から「もしかしたら結核かもしれないんじゃないの???」などと言われ続けてたのだけど、ついに向かい側の席に座っているお兄さんに変な咳がうつってその人が病院に行くような事態になってしまったので、わたくしもさすがにいたたまれなくなってしまい、変な意地を張らずに素直に病院に行くことにした。
 そして胸部のレントゲン撮影をして、特に結核とか肺炎とかの病気ではないという診断を受け、1週間分の咳止めの薬と4日分の抗生物質をもらって帰る。
 中村天風先生の説かれているところによると、「病というのは、心の持ち方や活き方に対して何か天理に悖った部分があるので、それに対する警報として天がくだされたもの」として考えるべきなのだそうだ。ということで最近のわたくしの行動を振り返ってみると、心当たりのあることでいっぱいだ。どうしよう。
 とりあえず一番大きな原因としては、やはりここしばらく合気道のお稽古をサボり倒していたからなのだろうか。継続的に身体を動かすことをしていなかったので体調がおかしくなっているらしい。そろそろ再開しようかと思う。
 でも、今日のところは変な咳がぶり返すと嫌なので安静にしておく。

2004年04月20日

Qちゃん、自己責任と「おパンツ」について考察す

4月18日

 最近ずっとお稽古に行ってなかったので今日はおうちで念入りに呼吸法を行ったり杖を振ってみたりする。
 身体の調子は微妙。最悪の状態は脱したものの身体になにか澱のようなものがたまっているような感覚がある。まあこれもほとんど外出せずに考えても結論の出ないことをいろいろと思い悩んだりしているのが原因だとは分かっているけれど。呼吸を入念に行った後にものすごい長風呂をして身体をこするとと尾骨の辺りから大量の老廃物が出てくる。するとちょっと身体の調子がましになったような気がしてきた。ついでに身体が見た感じだいぶ細くなっているようにも思える。(体重的にはあんまり減っていませんが。)身体の覚醒の度合いは半年前くらいと比較するとそれなりには進んではいるけれども自分の目標とする地点までにはまだまだ届かない。
 そろそろ来週こそちゃんとお稽古に行かなくては。ひろたかくんに3000円立て替えてもらったままでまだ研修会のお金払っていないし。

4月16日

 イラクの日本人人質事件は無事に3人が解放された、ということでとりあえずは「ほっ」といったところ。
 でも、3人が無事に生還したのはよいのですがこれに前後して2ちゃんねるの書き込みやら政府関係者の話やら週刊誌の記事やらに3人の行動や家族の対応についての批判的または中傷的な書き込み・今回の救出作業にかかった費用を全額負担させようではないかという意見・人質の3人のあまり触れられたくないだろう過去や家族がとある政党に属していることなどなどが噴出してきたりしているのでこれもまた偏頭痛のするような事態になってしまっている。
 人質の3人やその家族に何か非があるとすれば現在の状況をマッピングする能力とか他者からの視線を内面化する能力がちょっとばかり足りなかったのかもしれない。(自分たちの行動でどれだけの人間が尽力する破目になったのかをリアルに想像したのならば解放された時に「またイラクに行って写真を撮りたい」というような言葉は出てこないだろうとは思うしこの辺りの発言でキレてしまった人も多いと予想されるけれど。)でもこの2つの能力についてはたいていの日本人だって足りないのでこの3人ばかりを責めるわけには行かないような気もする。
 ちょっと怖いのは、今回の事件に関して「プロ市民などは見殺しにしてもかまわない」とか「今回のような事件については自己責任で何とかすべし」というような意見が流通していること。何でしょうかね。自分と意見とは異なる人間は同じ共同体の一員としては認めないとか、何か窮状に陥った人間に対して本来セーフティネットの役割を果たすべき共同体の側の人間が「自己責任」という言葉を盾にして窮状に陥った人間を救済せずに力づくで地面に叩きつけるということが増えていくようであればもはや共同体としての意味がなくなってしまうようにわたくしには思われるのですが。でも流れ的にだんだんそっち側の方向へ事態は推移していくのでしょう。気をつけなければ。

4月15日

 そういえばこの日記を書き始めてからもうすぐ半年になる。
 日記を書き始めてから変わったことと言えば、一言で書けば「想定外のできごとがたくさん起こって大変だった」ということであり、具体的に書くとけっこういろいろと微妙な話になるので、内心ここに全てぶちまけてしまおうかという衝動に駆られたりするけれどもやっぱり自分の身がかわいいので書くことができません。気になる人はお酒の席でわたくしに直接聞いてください。
 これまでの人生の中で「日記」と名のつくものは小学校の時に強制されて書いた夏休みの絵日記くらいしかちゃんと書いた事がなかったので、けっこう自分に「えらいえらい」といってあげたいような気分になる。
 この半年間に全く筆が進まなくなったことが1回、ホームページの連載を止めてしまおうかと思ったことが1回ある。でも、今は内田先生のご好意にお甘えして書くネタと気力が続く限り連載は続けようと思う。物を書くことによって自分のアイデンティティが少しずつ確立していったという部分も多いので。
 ということで、もうしばらくよろしくお願いします☆

4月14日

 生理痛がものすごく痛い。(という一文が日本語としておかしいことは十分に承知していますが今のわたくしの状態を表現するのに他に適切な言葉がないのであえてこういう書き方をしました。)
 「生理痛が痛い」と泣き言を繰り返していると、「まあなんて軟弱なんでしょう。そんなことを言っているから女性には責任のある仕事を任せられないと言われるのよ。」などと思われる人もいるかもしれませぬが、わたくしの場合生理痛がものすごく痛い時には3〜4時間くらい連続して腹部にボディブローを喰らい続けたのとほぼ同レベルの痛みが発生するので、全く仕事にならないし体力の消耗はひどいしとっても大変なのである。 
 こんな感じに体に痛みと疲労が蓄積していくと、思考がだんだんDQN化していって複雑なことを考える余地がなくなってくる。思考の軸が徐々に「とりあえずこの痛みを抑えることはできるのか、できないのか???」とか「とりあえずわたくしの言ったことを聞いてくれるのか、聞いてくれないのか???」くらいの2つに集約されていってしまい、通常なら曖昧でどっちつかずのものやよく分からないものでもなんとか受け入れようと知性は働いてくれるはずなのだけどそのあたりの機能がほとんど停止状態になってしまう。 おそらくもっと精神的に負荷がかかるような「戦場」という場では「とりあえず貴様は私の味方なのか、それとも敵なのか???」「君はわたしにお金をくれるのかな、それともくれないのかな???」の2つくらいに思考が集約されてしまい、日本の自衛隊はイラク復興のために派遣されているなどと説明しても理解の枠をはるかに越えてしまっているんだろうななどと想像してみたりした。

4月12日

 イラクの日本人人質事件は未だに解決の兆しを見せない。
 何か新しい情報はないかなと思って2ちゃんねるなどをさくさく閲覧してもイラクの日本人人質事件に関する新たな情報は見つからない。その代わり、早稲田大学の教授でワイドショーのコメンテーターとしても有名だった植草一秀容疑者が女子高生のスカートの中身を手鏡でのぞいた容疑で逮捕された事件のスレッドがものすごい勢いで伸びており、それを読んでいるうちに貴重な昼休みのほとんどの時間を浪費してしまい激しく後悔する。あーあーあ。
 ところで、女子高生のおパンツには華麗なるキャリアや社会的地位を投げ打ってまで見る価値があるのだろうか???わたくしなどは「無い」と断言してしまうことができるけれど実際に華麗なるキャリアや社会的地位を放り投げてしまった人がいるわけだから、女子高生のおパンツに何らかの価値を投影してしまっているのでしょう。しかし、女子高生のおパンツや15歳以下の少女などに過剰な価値がつけられている状態は明らかに正常ではないはず。。。なんでしょうけど、タガがぶっ飛んだ人間が急激に増殖しているのが最近の日本なので、中学生以下の少女や幼女が大きなお兄さんの欲望の対象になる事態はまだまだ続くのでしょう。このあたりの事についてはもう少し時間的に余裕があるときにもう少し深く掘り下げて書いてみたい。
 補足:ところでわたくしは今キャミソールにおパンツ全開という服装でこの文章を書いています。でも圧倒的多数の人は「何てだらしのないやつだ」とお思いになるでしょう、きっと。


 

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