4月10日
内田先生のお書きになられた「ミーツ」の5月号の「結婚は得か?」の続きを読むためだけに渋谷のブックファーストに行く。関西のタウン情報誌はおそらく東京では売られていないだろうと思っていたけれど、とりあえず今のところ渋谷のブックファーストと池袋のパルコブックセンターで「ミーツ」が売られていたことは確認している。
それで、内田先生は上野千鶴子またはその他のフェミの人ではないので当然ながら「結婚は得か?」という問いに対しては「お得」という結論を出している。
しかし、この文章を読みながら「うー。でも最近の人々というのは『他者と一緒に共生する』ことを可能にするほど成熟していないのかもしれませぬ。」とも思ったりもした。
おそらくわたくしたちが異性に対して心引かれるというのは、性を別にする人々に対して「その人の考えを想像することも、理解することも絶対に不可能であるような他者」の性質を投影しているからなのでしょうけど、最近の人々は「その人の考えを想像することも、理解することも絶対に不可能であるような他者」のまなざしを内面化する能力とそういう人と共生してみようかなという意志を著しく欠いているようにも思える。わたくし的には。
これは元来日本人特徴的に存在していたものなのか、戦後、共同体が崩壊してエゴイズムが加速した結果こうなってしまったのか、ちょっと気になるところである。
おうちに帰ってから、「トラックバック」がいったい何を意味する物なのかずっと気になっていたので、gooで検索をかけてみて調べてみた。ちょっとだけ賢くなったような気がした。
(詳細はこのホームページを参照してみてください→http://kotonoha.main.jp/weblog/000138_trackbackguide.html)
4月9日
きのうはものすごく長くお風呂に入っていたので、夜11時台のニュースは見ずに寝てしまったのだけど、朝起きてTVをつけてみたら大変なことになってしまっていた。とは言っても、「イラクで日本人3人が拘束」という事態は全くの想定外の出来事ということではない。むしろ、日本がイラクに自衛隊を派遣したときから懸念されていたことがついに現実のものになってしまったというべきなんだろうか。
連合軍がファルージャのモスクを空爆して以来、イラク国民の外国人に対する感情は最悪中の最悪になっていたのだから、単独でイラク国内で行動しようとするのは見通しが甘かったのだという考え方もあるのかもしれない。しかしイラクの子供たちを何とか救おうとして個人ができる範囲で最大限の努力をしていた人がこういった事件に巻き込まれてしまったのだというのは本当に辛い。イラク戦争そのものにしても、昨年末の外交官殺害事件にしても、犠牲になるのは罪もない子供たちだったりあるいは本気でイラクの復興を目指した善意の人だったりで、このような事態を引き起こした当事者はのうのうしているというところに、ひどい矛盾を感じてしまう。
ところで、「サラム・アルムジャヒディン(イスラム聖戦士旅団とでも訳すんでしょうか?)」という名前は日本で右翼まがいの人々が「建国義勇軍」と名乗っているようなネーミングの安易さを感じる。これはあくまでわたくしの想像に過ぎないのですが、日本人を物取りの目的で襲ったのに彼らが十分な額のお金を持っていなかったので、腹いせに拉致監禁してイスラム原理主義者のような名前を名乗って日本政府を脅迫しているのではないかとも思える。いずれにしても、無事に解決できれば良いのですが。そして3日後のシーア派の祭りの日であるという4月11日に、何も起こらなければ良いのですが......。
4月8日
昨日は病院に行った後に結局職場に行って仕事をしたのだけれども、どうも体力がいまいち回復していないようなので午前中はお仕事をお休みして様子を見ることにする。
今まではおかしいとは気づかなかったけれども、部屋の中が妙な感じで散らかっている。ここ1か月くらいのどこかの時点でお部屋を整頓する能力が著しく低下してしまったらしい。部屋中のエントロピー量が増大して大変なことになってしまっているので、あんまり身体に無理をかけない範囲でお片付けをする。
出典が何だったのかは完全に忘れてしまったのだけど、多重債務者や精神を患った人間の部屋というのは多くの場合非常に散らかっているのだという話をどこかで読んだ覚えがある。きっとこういう人々の場合前頭連合野の働きが鈍ってしまっているので田口ランディさんのいうところの「段取り力」、つまり物事を計画し順序立てて整理し実行する力が落ちてしまっているのだろう。わたくしもかつて精神が少しずつ鬱病の深海に徐々に引き込まれていこうとしていた時にお部屋がものすごく散らかって完全に収拾がつかなくなってしまっていたことがある。もちろん今だってお掃除が大好きで2日に1日は必ず掃除をしている人から見たら綺麗な状態が保たれているとは言えないかもしれない。でも一応はお部屋には一定の秩序が保たれているのが以前とは違うところだと思う。
午前中いっぱいだらだらして休養を取ると、大分体調が回復してきたので午後からお仕事に行く。電子の書類なので山状にはなっていないけれど、書類の山がわたくしを待っていたので泣きそうになった。
4月7日
このところ1か月くらいずっと変な咳が出ていたので、周りの人々から「もしかしたら結核かもしれないんじゃないの???」などと言われ続けてたのだけど、ついに向かい側の席に座っているお兄さんに変な咳がうつってその人が病院に行くような事態になってしまったので、わたくしもさすがにいたたまれなくなってしまい、変な意地を張らずに素直に病院に行くことにした。
そして胸部のレントゲン撮影をして、特に結核とか肺炎とかの病気ではないという診断を受け、1週間分の咳止めの薬と4日分の抗生物質をもらって帰る。
中村天風先生の説かれているところによると、「病というのは、心の持ち方や活き方に対して何か天理に悖った部分があるので、それに対する警報として天がくだされたもの」として考えるべきなのだそうだ。ということで最近のわたくしの行動を振り返ってみると、心当たりのあることでいっぱいだ。どうしよう。
とりあえず一番大きな原因としては、やはりここしばらく合気道のお稽古をサボり倒していたからなのだろうか。継続的に身体を動かすことをしていなかったので体調がおかしくなっているらしい。そろそろ再開しようかと思う。
でも、今日のところは変な咳がぶり返すと嫌なので安静にしておく。