2009年05月05日

追悼忌野清志郎

5月3日
昨日、清志郎が死んだ。
癌だったので、いつかこの日が来ることはわかっていた。
58歳。まだ若い。

清志郎に恋をしたのは、小学校五年生の時。
はじめて、自ら雑誌の切り抜きを集めまくり、こつこつためた小遣いでアルバム(RCの)を買いそろえていったミュージシャンである。
それまでは、なんとなく兄や周りが聞いている音楽を自分も一緒に「好きだ」と思っていたのだが、今から思えば、誰が何と言おうとRCがそして清志郎が好きと公言した最初のミュージシャンだったと思う。
今でも、当時集めた切り抜きはきれいに保管されて手元にある。
ファンになった当時すでに絶版になっていた写真集?も、古書屋をまわって探したこともよく覚えている。
当時は、ネットもブックオフない。
レコード屋や中古レコード、古本屋をめぐるきっかけは、RCへの狂熱的な思いだったかもしれない。
あの奇抜なファッションを真似しようとしたし、まわりが「たのきん」などのアイドルに奇声をあげていたのを尻目に、RCのファンクラブに入り、ステッカーをカンぺ(懐かしい)の裏に貼って、こっそり授業中にそれを見ながら夢想に耽っていた小学生。
ませていたというか、あほな子やった。
もちろん、その後は一筋にならず、他のミュージシャンに興味が広がっていった(うつった)。年を重ねることで、世界が広がっていったからである。
だが、清志郎熱が少しさめた原因の一つは、シャイであまりメディアに出ないという独特のスタンスが好きだったのだが、ある時期からメディアへの進出率が急激に高まったことにある。
なんとなく必死で情報を集める必要がなくなり、RCの活動よりも清志郎を含め、メンバーのソロ活動が高まり、それらも自然とある程度すぐにキャッチできるのなら、まああれほど熱を上げなくてもいいかあと思っていたのかもしれない。
とはいえ、清志郎(及びRC)を好きなったことは、少なからず後年の様々な行動に影響を及ぼしている。
たとえば、大学時のゼミ選択である。
デビュー当時の屋根裏の話がゼミ面接の時に出ていなかったら、おそらく別のゼミにしていたかもしれない。(先生、すみません。動機不純で)

報道されている清志郎の死に少し戸惑いを隠せない。
清志郎が死んだことへの戸惑いではなく、メディアが「国民的」な扱いとしてコメントしているように見えてしまう報道への戸惑いである。
ファンではないような発言かもしれない。
「日本のロック(Jポップ)の礎」など解説されていると、まあそうなんやなあとは思うのだが、なんだか違和感。
忌野清志郎の軌跡を振り返るとある番組が取り上げていたが、流される映像は同じものばかり。しかも古いものはない。
そりゃそうでしょう。
「夜のヒットスタジオ」事件や、発売禁止、放送禁止など、マスコミは排除していたではないか。
それらを含め、「偉大な」ミュージシャン的に取り上げられても…
地球のやさしいサイクリストとしての姿はあがっていたが、ポルシェの話は?
など、ひねくれたファンの視線で、斜交いに構えてしまっている。
まあ、それでも死んでもほとんど取り上げられなかった江戸アケミと比べると、彼の活動が評価されたことを素直にうれしいと思うべきなんやろう。(どんととかも、音楽雑誌などでは大きく取り上げられたけど、テレビの記憶はもちろんない。)まあ、もともとテレビなどとは縁がないミュージシャンではあったが。

でも、ショックではないとは言えない。
今日はほとんど何もする気が起きず、You Tubeで在りし日の姿をあさる。
ああ、ありがたい便利な世の中だ。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

5月1日
はあ、もう五月かあ。
先月からすでに五月病気味。
忙しすぎる。
いや、単に要領が悪いだけなんやろな。
先週末が寒かったせいか、熱っぽいし、体調悪。

それでもやっと大型連休や。
連休中にすまさなあかんことをリストアップすると眩暈が。
なんやろうな。
なんか見失うしのうてしもうてる気するような、あかんたれ精神がのさばる。
はあ、身体は横になりたがってるんやけど、頭がねむらへん。
そのせいか、ひながぼーっとしているような要領の悪さ。
あかん。テンション低い。

4月29日
世間は祝日だが、うちの職場は営業。
なんか、空しいなあ。
授業はあらへんけど、会議があるし、明日の授業準備があるんで出勤。
毎日、仕事が増えていっているような気するな。
ちゃうな、確実に仕事をこなしてへんからたまってくんか。
何とか帳尻あわせなあかんな。

4月27日
息切れし、主治医の所に転がり込む。
春はしゃあないな。
盲腸疑惑はなんも異常なし。
でもなあ。
人間は数値だけでは測れん生きもんやしな。
よわっちいわ。

2009年04月13日

久しぶりに日記復活

4月12日
右下腹が痛い。
盲腸かもとこれまで何度も思ってきたが、しばらく放置すると治るので、ほったらかしてきた。
今日はいつもと違い、痛みがなかなかひかない。
しくしくと痛む。
思わず、盲腸の初期症状をネット検索。(便利な世の中だ)
あてはまるもんとあてはまらんもん。
うーん。
吐き気や食欲不振はないし、耐えられない激痛でもない。
でも、症状は人それぞれっていわれてもなあ。

明日になっても痛むのなら、腹をくくって病院に行くか。
休講にできへんさかいな。
なんか、激痛になってくれたら、救急で運ばれるっていう手もあるのだが。
まあ、それがええのかどうかもわからん。
しくしくと痛むのも、難儀やなあ。
気持ち悪い。

4月11日
多治見の陶器祭りに行く。
念願やったのだが、昨年まで春学期は関西でアルバイトやったんで、週末は名古屋にいることがなかった。
桜がほんまにええ時期にあたり、天気もいい。
あまりに良すぎて夏日。太陽光線に耐えられずに、途中ふらふらっとなったけど。
自分で言うのもなんやけど、結構器にはうるさい。
同僚がこまごまと買いもんをしてはるなか、じっくりと器と対話する。
多少気に行ったぐらいで手を出しては、破産する。
私を魅了してやまない器にしか手を出さないと頑なに心に決める。
そうせな、次々と欲しくなるし、家に置くスペースもあらへん。
震災で「陶器」がどれほど空しいもんかようわかっているし。

いろいろと窯があるなか、全部を見て回るのは無理。
一つの窯だけでも楽しくて仕方がない。
で、とうとう一つの酒杯に出会うてしもうた。
美しい。
いつかは割れるとはいえ、やはり惚れた器は買うてしまいました。

昼は、川べりで花見。
のどかな日。
満開で、風が吹くたびに花吹雪。
リフレッシュできた。

4月10日
ああ、いやなことがあった。
どない考えても理不尽や。
組織に属すことは、理不尽なことにようけぶちあたることや。
それはわかっているが、上の方々がそれぞれ違うことをいいはるさかい、現場は振り回されるだけや。
あほらしい。

こんなあほなとこ辞めてやるって啖呵が切りたいが、切ってしもうては借金背負うて路頭に迷うのは己やさかい、そうもできへん。
なんて小心者なんや。
ううう。。。
寝付けへん。
しゃあない。今日はちょっとだけ薬を増やすしかあらへんなあ。

4月9日
授業が始まる。
年度の切り替えに失敗し、息切れ。
1日が終わって、また腱鞘炎がぶり返す。
家に帰ってご飯を作って、ほっとしたら箸が持てない激痛が…
不器用に左で箸を使ってみるが難しい。
余計肩がこる。

4月5日
昨日は新入生オリエンテーション。
あまりにも遅刻者が多くて唖然。
大丈夫かいな。

研究室の掃除が終わらない。
はやく今年度の体制に片づけなくては。
雨がふって寒い。
ここのところ、気温の変化が激しくて、体がついていかない。

授業が始まる前に、同僚たちと飲みに行った。
馬刺しと手打ちそばと看板がかかっている店があり、前から気になっていた。
ときどき夜に通ると黒板が出ていて、いろいろな旬の魚の造りなどが書かれており、一度行きたいと思っていたのだが、家の近くの店に一人で飲みに行くことはない。
かといって、誰かと行こうと思っても、家で飲んだ方が安いので、つい家で自分で作ってしまうことが多い。

熊本出身の同僚が一押しするだけあって、これだけの馬刺しは食べたことがない。
満足。
飲みすぎてしまったけど。

今日は、うちに泊まっていったもう一人の同僚と一緒に、近くの公園に花見。
おいしいパン屋と成城石井が隣の駅との間にあるのを、今になってはじめて知る。
まあ、普段はあいている時間帯に帰ることがないから、利用することはほとんどないけど。
でも、チーズとパンとハーブなどが確実に手に入るところが徒歩圏内にあることを発見できた収穫は大きい。
実は、こっちへ越して来て一番不満だったのが、輸入食材が入手しにくいことだった。
ちょっと変わったスパイスなどは、売れないためか、あまりない。
これで、思う存分アジア料理などが作れるし、チーズとパンとワインの美味しい時間を持つこともできる。
そう考えるだけで幸せだ。

4月3日
入学式。
また、新なる年度が始まる。

教員総会なるものもある。
モチベーションがさがる。

3月30日
オリエンテーション。
なんで、3月やのに、来年度がはじまるねん。
全然切り替えできへんし、疲れがたまる一方。
そういえば、昨年はこの時期に高熱出して倒れたなあ。
やばいなあ。

3月25日
HPのリニューアル作業。
師匠に泣きついて、HPリニューアルをしてくれはる貴重な人を紹介していただいた。
機械音痴なので、やりとりはかなり頓珍漢やったため、先方には随分と迷惑をかけたが、漸く今日になってリニューアルが完成した。

ほんまはもっと早く終わる予定やったんだが、ぐずぐずしてこっちでやっとかなあかんことを、昼過ぎまでやっていたために、最後まで迷惑をかけてしまった。

時間が少なくなったが、お礼を兼ねて犬山城に行く。
お礼と言いつつ、ほんまは自分が犬山に行きたかったんで、喜々としてお供したんやけど。
ええ人やった。
また、何かで御縁が続くとええなあ。

3月24日
卒業式が終わっても、年度内の仕事はまだまだ続く。
今日は非常勤懇談会。
来年度の非常勤の先生方との懇親である。
学科の方針や、最近の問題など話しつつ、よろしくお願いしますと頭を下げる。

夕方からは、明日の準備で結局夜中。
なんか、今年に入ってから帰る時間が遅い。
23時過ぎまで残っていることが、あまりにも多い。
車通勤はやっぱあかんな。
はあ、しんど。
右手首に激痛。
疲れると腱鞘炎が出ていたい。

3月23日
卒業式。
やっと、怒涛の2008年度が終わろうとしている。
心配していた雨もやんで快晴。昨日は嵐やったからなあ。
まあ、風が強いのが難儀やが。

今年のゼミ生は8名。
ひやひやした学生もいるが、晴れて全員そろって卒業となった。
ゼミの2期生である。
そうや、私も大学の時はゼミ2期生やったんや。
なんか遠い昔のことやけど。
1期生は、もうはじめてのことで何が何だかわからず、ただがむしゃらに突っ走っていた気がする。
その分、2期生になるとすこーし大学にも慣れてきたし、ゼミっちゅうもんにもなれてきたさかい、なんか余裕があったんかなあ。
まあ、卒論指導は死にそうやったけど・・・
もちろん、ゼミ生たちのノリもあるけど、この2期生たちとは、去年とは違う楽しみがあった。
恒例の卒論提出後(締切は12月15日)の忘年会では、おやつとアロマ・フューザーをプレゼントしてくれた。
アロマ・フューザーは、それから研究室で大活躍である。
卒論の口頭試問が無事にすみ、最終訂正版を立派に?書き終えたあとは、ゼミ生と温泉に1泊旅行。
昼間から馬刺しと日本酒に舌鼓を打ち、夜は3時頃まで宴会。
卒業式目前には、今度はうちで大宴会。(一人来られなかったのが残念やったけど)
そして、今日を迎えた。
みんな、立派なもんや。
卒業パーティー(前も書いたかもしれんけど、謝恩会という言葉は死後らしい)では、またもや花束、フォト・フレームに焼酎サーバーをもらってしまった。
うう、泣かせる子たちや。
ええ子たちに恵まれて、ほんまに感謝します。

しかし、後で聞いたところによると、プレゼント選びをしているときに、第一候補は「木刀」やったらしい。まあ、持っているけど。
みんな、卒業おめでとうさん。

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