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久しぶりです。

11月16日
Happy Birthday to Me.
Grattis Fordelsedagen!
あれ、スペルはこれであっていたっけ?
スウェーデンでは、誕生日の朝は家族全員が早朝の寝室を襲い、祝います。
そして、ベッドで朝ごはんが食べられる特権的な日でもあります。
留学から帰国して数年間は、時差を勘定しながら、日本時間に合わせてホスト・ファミリーが毎年、国際電話で祝ってくれていました。
今はありません。理由は簡単。疎遠になったのではない。家を出て、一人暮らしをはじめてから、留守電になっていることが多いからです。
京都まで通うのに朝早くに出た日などは、夜まで留守電を聞く事もなく、留守電に向かって誕生日祝いソングを歌うのも、ホスト・ファミリーにしてみればむなしいものであったと思われます。そのうち、電話がかからなくなってしまいました。
でも、クリスマスなどは、今でも連絡を取っています。ああ、思い出したらスウェーデンに行きたくなったよ。

とりあえず、37歳になりました。
とうとう雷蔵がなくなった年齢に達してしまいました。
うーん。「人生50年」「命短し芸は長し」と言っていた雷蔵は、癌のため37歳で逝去しました。きっと、今の私の37年間よりもずっとずっと厚みのあるそしてハードな人生を送っていたのだと思います。
私もそんな厚みのある人生を、いや毎日を送りたいと思いながら、結局は極悪非道な自己中心的な毎日を送っております。
性格やさかい、いたしかたないやんけ。

昨日はボージョレー・ヌーボーの解禁日。
今日は、同僚宅でB.N.を飲んで、ひと時の楽しみを送る予定。
ぐふふ。

11月11日
1ヶ月ぶりのお稽古。しかも特別特訓日。
仕方ない。
週末がなかったのだから。
昨日だって、本当は研究会だったのに、午前中から昼過ぎまで大学に出勤したために、間に合わなかった。
悔しい。
舞がまだ完成しておらず、びしびしと叱られる。
ああ、どないしよう。

11月9日
大学の出入り業者が、いろいろなシステムの展示会をやるというので、授業がないのをいいことに、朝から出かける。
気になっているのは、データベースが簡単につくれるシステム。一つは編集システムで、もう一つは配信・表示システム。
これを組み合わせて、環境を整えると、どこの教室からで無線LANで蓄積したデータを見せることができる。
もちろん、このようなシステムはこれまでにだってある。(日文研でもデータベースのお手伝いは一応していたんだし・・・システムは全然理解していなかったけれど)
ただ、かなり簡単にできるようになってきた。まあ普及してきたということか。
でもねえ、お値段がねえ。
大学のいや、学科存亡の危機なのに、どこから予算が・・・
他にも興味深いシステムはあるが、いくらこっちが涎を流してみていても、大学構内の環境が整わない限り、無理やわなあ。

夕方は学科主催の講演会。
他学科の学生のほうが発言に積極的で、どっちが主催なんやら・・・

11月6日
3回生のゼミで、就職対策セミナーをお願いする。(大学にある就職課みたいなところの担当者にはっぱをかけてもらうのだ。)
面接時を想定した服装で臨むように通達し、服装チェックもしてもらう。
ゼミ生が全員スーツであらわれると、全然雰囲気が違う。
おお、大人っぽいねえ。
企業の出足が年々はやくなっているとか。
でもねえ、「就活」を水戸黄門の印籠のように振りかざして、まったく授業に来ないのもどうかと思うんやけどねえ。
先日、同僚は「今の大学は就職までの腰掛け」と断言していた。
まあそうなんかもしれんわなあ。
なにせ、自分が企業に出向く就職活動というものをほんの少ししかしていないので、(2~3社ぐらいかなあ)学生に相談されてもよく分からない。(今の職に就くための履歴書は、かなりたくさん書いて応募したけれど、まあ普通の会社の職ではないので、参考にならない。)
一緒にいろいろな話や対策と傾向などをきいてみるのは、なかなか面白い。
よく聞くと、書類審査の履歴書等の書き方、または読み書きや作文などの筆記で落ちている学生が山のようにいるということがわかった。
なんだ、事情は全然変わっていないじゃないか。
しかし、「就職格差」とかなんでもかんでも「格差」という言葉が横行してしまって、ちょっと暗い気分。
なんか、流行の言葉で自分の位置づけを決めて、安心ってどうかと思うのだが。

11月4日
一昨日から大学祭。
大学祭なのに、教員が借り出されて週末をつぶされているのはどうかと思うが、オープン・キャンパスを兼ねているといわれると、のうのうと家にいられない悲しい状況。
2日は平日だし、大学祭実行委員会の勝手な都合で、「おたくらの場所では、この日は展示などはせんといて」と言われ、準備に費やす。
昨日と今日は、着物を着てうろうろ。
今日は最初の試みで高校生の映像コンクールを開催してみた。
だが、作品を応募してくれた(正確には頼み込んで、応募してもらいかき集めたのだが)造り手高校生が一人も来校してもらえなかった。
受験や文化祭など、いろいろな行事と重なってしまったのが原因らしい。
作品自体は面白かったので、とにかく時期を考え直して、継続していくことが大事だろう。
皆さんの協力で、無事に終了した。感謝している。
でも、疲れた。

ココに赴任してから疑問なのだが、大学祭のための準備期間がないこと。普通ならば、前日の午後は休講になって準備していると思うのだが・・・
本当にばたばたと走り回ることになるのは、時間がないためでは?
ああ、来年も頭が痛い。

10月28日
AO入試。
昨日は、AO入試ガイダンス。
とにかく週末が全部つぶされていく。
これって、士気が下がりませんか?

昨日は、午前のガイダンスを終えたあと、中部支部会に参加。
このあたりの大学の先生方と懇親会で交流。
小規模なのか、集まっている人々の良さなのか、なかなか面白かった。
今後ともよろしくお願いいたします。

10月20日
時間がない。
おそらく物理的に考えると、私のこなしている仕事の量や拘束されている時間なぞ、少ないほうで、何が急がしいねんといわれそうだが、人には物事をこなす要領というものがあるのだ。
要領が悪いため、精神的にも追いやられてしまう。
だが、逆のこともある。
些細なこと、今、直接に必要とするものと関連するわけではないが、それでも、今日もまたつながりが起こった。
シンクロしているというのとは、ニュアンスが違うのかもしれないが、とにかく何かをしていてふと気に留めたことが、別のものでも出会うのだ。

『村上春樹にご用心』を読んでいると、「失われるものにだけ私たちは美を感じる。失われるものだけに私たちは美を見出す。」(p.230)という話が出てくる。
そうだよなあと思いながら読んでいた。
その後、映画『トロイ』を観ていると、「終わりがあるものに美がある」というような台詞をアキレスが言っていた。
もちろん使われているコンテクストからしてニュアンスは微妙に違うが、私には「おお!またつながった!」とビビッと来たのである。
きっと、これは漠然と考えている何かにまたつながるのであろう。

土曜日なのに、出勤してなんとなく暗い気持ちがちょっと晴れやかになった瞬間である。
明日も頑張ろう。

10月19日
学生が演劇をやっているというので、観にいく。
そういえば、演劇を観にいくのは久しぶり。(歌舞伎も演劇か、能も演劇か、それは別にして・・・)
結構、頑張っている。なかなか面白かった。
しかし、やはりプロの小劇団を観て来たせいか、どうも声の出し方とかが気になってしまう。(腹から出している人と喉でがなっている人の差が・・・)
週末にかけてマチネーで公演するらしい。喉を潰さず頑張れ!
そういえば、知人にも何人か演劇を、女優を目指していた人がいたが、結局、趣味で終わってしまったように思える。それだけ役者で食っていくのは困難なのだ。
もしかしたら、そんな本気でやっていないのかもしれないけど。

10月15日
昨日は、御園座に顔見世を観にいく。
団十郎の鳴神に、海老蔵のきつね忠信。
以前、三階席で見ているので、見せ場はわかっている。
今回は1階席で堪能。
顔見世は楽しい。

終わってから、どこかで食事をと思ったけれど、御園座の周辺はビジネス街なので、日曜日は全滅。
イングリッシュ・パブが空いていたので、とりあえずそこに入った。
すると、スクリーンで野球がやっている。
忘れていた。クライマックス・シリーズだったのだ。
しかし、今シーズンで力を使い果たしている阪神が勝てるなんて思っていないし、はなから気にかけていなかった。(ひどいファンだ。)
だが、ちょうどピッチャーが交代しているところ。
やはり気になってしまい、ビールをカウンターに買いに行った時に、おもわずスクリーンを見つめて、桧山の犠牲打を見た。(それだけで満足して席についたのだが。)
案の定、阪神は負けて、そして私が好きだったひいの、それが最後の打席だったことを今日のニュースで知った。
ひい、お疲れ様でした。

10月13日
いやあ、いろいろと楽しかった二日間だった。
昨日は、ミニ・シンポジウムを開催。
テーマは日本映画にあらわれた茶の湯をめぐる。
パネリストには、建築家や現代美術作家、そしてもちろん研究者も。
非常にスリリングな場となったと思う。
刺激が与えられるし、勉強になるし、茶室を堪能できるし。
研究意欲が高まります。

その後の懇親会は、残念ながら一人は所用のために帰ってしまったが、あとの3名は我が家に流れて、夜中の3時半まで騒いでいました。
面白かった。
翌日は、昼までだらだらしていたので、あちらこちら観光も出来ず、とりあえず熱田神宮に行くことに。
建築家と行くと、いろいろ説明してもらえるので楽しい。
そこでおみくじを引いたのだが、そこに書かれていた植物の名が(今風に言うとラッキー・プレイスと言うかラッキー・ウッドと言うか)が、太郎庵椿。
一緒におみくじを引いた人は、大楠だった。これは熱田神宮内にある木の名前が書いてある。
この太郎庵椿の由来は、茶人である。
おお、なんと昨日からの流れで「茶の湯」つながりではないか。
なんか、今は呼ばれているのかもしれない。

そういうつながりは他にもある。ご縁があるというか・・・
実は、名鉄で名古屋から行ったのだが、熱田神宮前で降りるのを、喋っていた全員忘れていて、特急に乗ったものだから、15分ほど次の駅まで止まらず、往復30分のロスをして引き返してきたという珍道中だった。
その引き返した駅というか、乗り過ごしてたどり着いた駅が「ちりゅう」だった。
夕方に、蓬莱軒の「ひつまぶし」だけは食べて、みんなと別れて帰宅。
一息ついて、東映の『あばれ街道』を観ると、いきなり「ちりゅう」という地名が。
そう、三河が舞台の映画だったのだ。そしてそのなかでも「ちりゅう」という地名が出てくるとは。
また、この映画は市川右太衛門主演の映画だが、彼の役が「三河の団十郎」と呼ばれる役者(で、もとやくざの若親分)である。地元の知立にて小屋をかけているとき、本物の市川団十郎一行が通りかかって、ひと悶着。これが、冒頭のシーンである。
明日は、御園座で市川団十郎を観にいくのだ。
なんか、どんどんつながっていく。
こういうときは、テンションもあがっていく。

切羽詰って、逆にセンサーがよくなっているのか、アンテナが立っているのか。
なんか明日も起こるかもしれない。ワクワク。

10月10日
またもや近親者を失った。
10月は鬼門か?
水難事故で、溺れかかっている人を助けようとして逆に自分が溺れた。
溺れかかった人は助かった。
おそらく、この類のニュースは山のようにあるだろう。
特に夏場や台風の季節に多い。
交通事故よりは少ないかもしれないが、よくある事故である。
しかし、それが自分の近しい人に降りかかると、重みが違う。
人間なんてそんなものだ。
助けにいった人の勇気をたたえつつも、聞き流すニュースであるが、結果をみれば溺れかかった人が助かった事実だけが残る。突如「他人なんてほっておけばよかったものの」という矛盾する気持ちを抱え、突然の死をどう悲しみ、悼み、気持ちに整理をつけていいのかわからなくなる。
「他人が亡くなろうとも、近しい人は生きていてほしい」という利己的な考えを悪とする世間体との葛藤なのか、偽善的に貫き通したいという世間体への己の見栄か。
自分のうちにある邪悪さが噴出する中、死者に対する敬意や弔意は神聖であってほしいという矛盾。

それでも、明日には日常の生活に戻り、私は普通に生活していくのだ。
どんなに邪悪で非道と呼ばれても、明日には笑ったりしているのだ。

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2007年11月17日 09:26に投稿されたエントリーのページです。

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