8月13日
13日の金曜日。
実は、昨日親友と飲んでいて、その時は気付かなかったが、後で思うと、すごく自己反省する行動をしていた気がする。
親友は、さりげなく流していたが、思い出せば思い出すほど、自分が醜くて朝から自己嫌悪。
こんな風では、私は人格破壊者になる。
いやいや、十分極悪非道人である事は認めるが、やはり気がついたという事は、相当ひどい振る舞いというか、反応というか・・・
たびたび振り返っては、反省のふりをしているが、これまでずっと余裕がなく、限度を超える毎日を送ってきている。
今でも、8月中に仕上げなくてはならない事が遅々として進まず、にもかかわらず、またもや予定を入れて、非常に危うい。
そんなとき、気を許している親友の前で、疲れやストレスがふっと嫌な形になって出てしまったのであろう。
「親しき仲にも礼儀あり」である。
はあ、自己嫌悪。
自己嫌悪のせいか、朝早くから目覚めて、それでも体調が悪く貧血を起こしながら、一日を精一杯生きる。
そういえば、昨日、町蔵が中島らもの追悼記事を書いていた事を知り合いから教えてもらい、日文研で探して、新聞記事をコピーしてきた。
今朝、思い出して、読むと、不覚にも涙が出てきた。
そうして、さまざまな思いが、呆然とした私の中を巡り、何とも言えない気分に陥る。
見栄をはって、虚勢をはって生きる。
自分のやりたい事をやる分、リスクも背負う。
そう誓って、「死」の誘惑と向き合って今日まできた。
明日はどうなっているのか分からないが、とりあえずもう少し生きたい。
やりたい事がたくさんあるのだから。
馬鹿だから、ちっとも成果が上がらないし、学習もしないが、それでも考えていきたい。
お盆だから、ご先祖さんがよんでいるのかなあ。
己は何者かと、きっと私にとって一生かかっても答えのでない問いを突きつけられた。
ただひたすら、我が存在が社会にとって害悪である事に反省。
8月11日
疲れたが、ほっとした気分もある。
ずっとお世話になり、就職浪人の私を雇って下さっている先生のプロジェクト室のお披露目会だったのである。
私も、居場所がないので、仕事場所とはいえ、居場所が出来て嬉しい。
すっかり食料・料理担当になった(自薦かも)私は、先生からご融資いただいたポケットマネーを使い、ちょっとしたアレンジをしたのである。
なかなか好評ではなかったかと、自負している。
先生、ありがとうございます。
ちょうど、7月30日に来日された中国からの先生の息子さんも参加。
まだ6歳の元気な男の子で、はしゃぎ回っていたが、いかんせん大人ばかりの集まりの上、まだ来日したばかりなので、日本語も分からない。
いろいろな人に相手にしてもらっていたとはいえ、皆さんも都合があるし、6歳のパワーについて行けない状態になっていた。
そこへ、私の精神年齢がばれる事態が発生。
私も、あらかた会が終了したので、ほっとしたところへ、紙を円筒にして、刀がわりにチャンバラごっこをしたがっている姿がかわいくなって、本気で?彼とちゃんばらごっこをはじめてしまったのである。
これがまた、楽しくて、楽しくて。
結構、斬られてしまうのだが、「円月殺法」とか、「逆手斬り」とか叫びながら、斬り合い、うめき声を上げて床をごろごろのたうち回る。
挙げ句の果てに、「ブルース・リー」と言いながら「アチョー!」とかやるが、6歳の彼にはブルース・リーは通じなかった。
あ、その前も通じてないか。
「オガワさん、演技派ですね」と笑われながらも、髪を振り乱し、一緒になって汗を掻きながら嬌声をあげて一緒に遊んでいる自分もなんだか。
でも、正直言って、ちゃんばらごっこなんか今の日本の男の子はするのだろうか?
身体を使って、紙でも何でも「刀」や「銃」やいろいろなものに見立てて、遊ぶのは大事なことじゃないか?
きっと、彼は今晩、疲れてぱったりと眠れた事だろう。
ここちよい夢を見られるといいね。
私は・・・歳も考えず本気で遊んでしまったので、疲労困憊している。
ああ、なんでこんなに後先かんがえんのやろう。
しかし、眠れない・・・
8月9日
あれ、だんだんコントロールがきかなくなっているのか?
相変わらず就職できない私は、なんとかせねばと焦っているせいか、どうもあれもこれもと自分の限界を超えるものを抱え込んでしまっているようだ。
甲野先生に、いろいろ抱えていると指摘されてもう何年にもなるが、ちっとも状況は変わっていないのか?
明らかに自分で、もう駄目だとへたっているときなら分かるが、今日はそんな意識はなかった。
だが、夕食を食べた直後、久し振りに思いっきりもどしてしまった。
別に無理して食べた気分ではなかったのだが・・・
しかし、一向に吐き気は止まず、吐き続けている自分がいる。
遊んでいるような日があるとはいえ、昨日までいっぱいいっぱいになって仕事をしていたせいか?
今日も、日文研に出勤し、その後、両親へのつきあいだったのである。
はあ、親不孝者といわれても、身体が受け付けないときは堪忍して。
気分悪~い。
げえ。ぜいぜい。
8月4日
先日、映画三昧したが、今日もまた映画堪能の1日。
今春の予定?では、2日から明日まで4日間、神戸女学院にて行われている高橋源一郎さんの集中講義にもぐりに行っているはずだった。
だが、パートで雇われて、次々と入ってくるお仕事や、年中行事の日程が発表されて、やっと高橋源一郎さんの講義日程を入手すると、全然予定が合わなくなってしまった。
悔しいが、雇って頂いている以上、どうしても振り返られない日程があり、お仕事が優先してしまう。
そして、今日も、本当は勤務日なのだが、さんざんいろいろな予定をやりくりして、見たかった映画に行ける日が今日しかなく、今一番優先するべき仕事を考えると、待機状態で振り返られそうだったので、無理矢理空けたのである。
そう、これは、もし日記を読まれた私の雇い主への言い訳である。
すみません。
明日からまた働きますし、映画を見るのも仕事、いやいや研究のためなのです。
まず、朝は新開地に行き、KAVCで土方巽「夏の嵐」をみる。(これが見たかった!!)
スクリーンで見ると、画質が悪いとはいえ、やはり感動してしまう。
あの動き、不安定なようでいてどこかしっかりしていて、なんて表現していいのか分からないが、迫力が伝わる。
1973年の京大西部講堂の時の映像をもとに再現された映画だが、この1973年に土方巽自身は踊りを人前で踊る事をやめたと伝えられている。
なぜなのだろう?
これを生で見た人が羨ましい。
きっと、全身に鳥肌が立ったのではないだろうか?
舞台をこうして記録として映像で見る事が出来るのはありがたい事だが、やはり舞台というのは、生で見てこその雰囲気、感動があるだろう。
どんなに逆立ちしてもそれは二度と体験できないのが、悔しいというかもどかしい。
断片の映像でこんなに引き込まれるのだから、生で見たらどんなに興奮するだろうと思いを馳せると止まらない。
私が映画を対象にした理由の一つは、舞台芸術を研究対象にしたときにもどかしく感じるこの「ライブ」な体験が処理できないからである。
もちろん映画もその当時の観客と映画館の雰囲気は追体験できないが、少なくともそこで上映される映画は、舞台よりも再現度が高いと思っているからである。
屁理屈かなあ。
それから、またもや大移動して、京極東宝にて、知り合いと待ち合わせ。
『ブラザーフッド』を見る。
チャン・ドンゴンは『友へ チング』以来、見ていなかったので、なんだかちょっと太った気がする。
戦争映画というのは、どこか似たようなニオイがするものなのだが、考えてみれば、これまで頻繁に目にしてきた戦争映画は、アメリカ映画であった。
上手く言えないが、アメリカの作る戦争映画と、とても似ているようで、何かが違う。
見ていて、どこか「恐い」と思うのだ。
そして、監督が同じためか、『シュリ』と同様に、私にはプロパガンダ映画に見えてしまった。
レディース・デイだったので、観客のほとんどが女性であったが、途中すすり泣き、半ば号泣に近い観客がいて、確かに私も涙を流してはいたが、そこまで泣く映画なのだろうかと突然、冷めた気持ちになった自分が少し憎らしい。
戦争映画は興味深い題材であるが、以前ほどすすんで戦争映画を見る事がなくなったのは、このジャンルを優先順位として、後回しにしてしまう無意識があるのだろう。
しかし、『ブラザーフッド』を見て感じたアメリカ映画とは違う戦争映画の違和感を、もっと他の国制作の映画とまとめてみて、比較してみたい気になった。
うーん、日本の戦争映画もあまり見ていないんだな。
ぱっと思いつくのが、『ハワイ・マレー沖海戦』というのも、古いなあ。
『バトル・ロワイヤル』は戦争映画じゃないからね。
まずは話題になった『シルミド』を2番館に回ってくるのを待ってみてみるか。
幸い韓国映画ファンの知り合いがいるので、一緒に行って語り合えるのが楽しみである。
8月2日
なんてこった。
下界とは隔離された山の中で、2泊3日映画三昧&宴会という至福の時を送ってきたはずなのだが・・・
緑に囲まれた気持ちいい環境の避暑に来たせいか、映画ばっかり見ていて動かないせいかよく分からないが、1泊目を終えて朝起きると、目が開かない。
眠くて起きられないのではない。
なんと、顔がぱんぱんに浮腫んで目が一重になってそれ以上開かないのだ。
さんざん泣いて、泣き疲れて眠ってしまった翌日、目が腫れてあかないといった状態に近い。
確かに、初日の夜も、いつものように宴会をして飲んだ。
ただ、疲労していたのと、どうも足がだるくて浮腫んできたのが気になって、「もう歳やね」と自覚して、1時半には退散。
顔を洗ったり、明日の準備などをこっそりしていて、2時半ぐらいには就寝。
夜中寒くて起きたが、それでも5時間は眠っていたので、満足していた。
だが・・・浮腫んでいたのは顔だけではなかった。
足が象のように浮腫んでいて、押しても戻らない。
最近、こんなにひどく浮腫む事が少なくなっていたので、うろたえる。
恥ずかしいなあと思いながらも、サングラスで目を隠し、朝から映画三昧。
夕方、御飯前にお風呂に行くと、ラッキーな事に誰もいない。
そこで、広いお風呂を独り占めにして、誰かが入るまでストレッチをしたり、マッサージをしたり、足湯をしたりと、ゆっくりお風呂に入って、冷房で冷え切った身体と朝から全く改善の余地がない浮腫んだ足をいたわる。
シンポジウムが早く終わったので、一度部屋に帰り、持ってきた本を読み終え、明日の準備をして、またもや宴会。
ある先生に、「君はいい声をしているね。ずっとそばで聞いていたい声だ。アナウンサーになれば向いていると思うのだが・・・」とお世辞を言われ、ホステスのように接待。
手慣れたものである。
「アナウンサーといわず、非常勤ありませんか?」など戯れてみるものの、聞きながされる。哀しい。
その後、学生さんたちと盛り上がる。
宴たけなわと思ったけれども、やはり調子が悪いと思い、昨晩と同じく先に1時半ぐらいに撤退。
朝起きると、顔は昨日ほど浮腫んではいないが、足がさらにひどい事になっている。
つらい。
なんだか、身体が重い。
最後の映画を2本見て、少し遅れたバスで下山。
四条大宮まで下りてくると、暑くて、貧血を起こしそうだ。
とぼとぼと家に帰り着き、暗くなるまで足を高く上げて転がって呆然としていた。
だめだ、むくみが取れない。
ゆっくりと映画三昧で休養に行ったはずなのに、下手に疲れが出てしまったせいか、体調が絶不調になって帰ってきてしまった。
ちなみに、今回のテーマは「女優論」。
見た映画は、『瞼の母』(戦後の東映、加藤泰監督版)、『鬼龍院花子の生涯』、『火宅の人』、『伊豆の踊子』(無声映画、五所平之助監督)、『鶴八鶴次郎』、『忍ぶ川』、『曽根崎心中』、『晩春』、『夜の河』である。
まあ、主役がすべて女優というわけではないが、誰がメインに取り上げられたか分かりますか?確かに、一つの映画にもたくさんの女優さんが出ているので、これは今回のゼミナールの対象である。
木暮実千代、大川恵子、夏目雅子、岩下志麻、いしだあゆみ、原田美枝子、松坂慶子、田中絹代、山田五十鈴、栗原小巻、梶芽衣子、原節子、山本富士子。
どの人も本当に綺麗である。
それでも、例えば吉永小百合や、美空ひばり?、高峰秀子、花柳小菊、京マチ子などなど個人的には他にも気になる女優さんが取り上げられていないので、本数による制限とはいえ、どういう基準で選択したのかは気になる。
まあ、見ていない映画もあったので満足、満足。
夏目雅子の「なめたらいかんぜよ」を聞いたとき、小さい頃の記憶がよみがえって、身震いしてしまった。
木暮実千代を取り上げるのなら、個人的には『お茶漬けの味』の方が好きかなあ。
でも小津は『晩春』を取り上げているから、大川恵子も取り上げるのなら『瞼の母』か。
成瀬は『鶴八鶴次郎』があるけれど、女優といえば、『浮草』でもいいかなあ。
梶芽衣子も私の好きな女優さんで、一緒に写真を撮ってもらったのを大切にしている。
『曾根崎心中』は恥ずかしながら初めて見る作品なので、楽しめた。
『晩春』は何度見た事か、という気がするのは、台詞をところどころ覚えているせいか。
「だって、不潔よ」などは、間が空いているので、先に心の中で台詞を心で思い浮かべてしまっている自分がおかしい。
語り出すときりがないが、体調不良により、やめよう。
明日から仕事、体調を戻さなくては。
7月30日
あっという間に7月も終わり。
毎月振り返ると、本当に反省のない、いやいや学習のない毎日を送っている。
さすがに、今日はリタイア。
でもないが、今日しか自分のために時間を使えないと思い、自分のために1日を空ける。
ふらふらの7月をらもさんの死によってノックアウトされて、もう倒れると思ったからである。
まず、折角自分の癒しのために行った美容院でのパーマがぜんぜんあたらなかったので、当て直しに行く。
専属の美容師さんは申し訳なさそうに謝りながら、美容院独り占め状態でパーマを当て直してもらう。
ちょうど見たかった雑誌があったので、それを選んで、あて直してもらっている間、真剣になって読みふけってしまった。
なんだか、雑誌を只読みに来たようだ。
きっと、美容院で雑誌を渡されるお客というのは、時間つぶしにさらりと見て、合間を見て別のに変えてもらったり、美容師さんとおしゃべりしたりする人だと思う。
それを、一心不乱に読みふけっているなんて、「こ、この客は・・・」とかなり惹かれていたと思う。
あてなおしの上に、金曜日の午前中なんて他にお客はいなかったから。
まあ、いいか。
さて、今度ははじけたようにあたったようだ。
目の前が大丸なので、ちょうどバーゲンだし、気晴らしにふらっと入るが、冷房と人の多さに参ってしまい、早々に退散。
それから、念願の主治医の所に到達。
相変わらず混んでいるが、それでもまたしばらく行く事が出来ないので、今日行かなくては死んでしまうと思ったからだ。
主治医の顔を見るなり「もう、倒れます」と泣きついてしまった。
なんだか夏やせしたのか、疲れが溜まったのか、しんどかったので、久し振りに血液検査をしてもらう。
しかし、結果を聞きに行けるのはいつになることやら。
家に帰って、明日からの夏期ゼミナールの準備。
ちょっと掃除。
週末は、映画三昧で休養するぞー。
コメント (3)
おひさしぶりです。
先日、ピカソ展を観にいきまして、
ドラマールの肖像を見ていて
なぜか小川さんを思い出してしまいました。
(まこと、勝手な連想で申し訳ありません・・・)
最近、なんだかちょっぴり不眠気味でして、
(大勢の方とお会いした日は特に。)
明け方になっても眠くならないのです。
そんなわけで、ちょっと長屋へ
ご挨拶にまいりました。
不眠も一日であれば
仕事がはかどっていいな、
とは思ったのですが、
続くと疲れがさらにさらに累積されていって、
辛いものですね・・・。
わたしは、「色んな人に呼ばれて眠れない」
感じがいたしました。
その「色んな人」が特定できると
よいのだけれど。
さらにその色んな方の望みが分かると
よいのだけれど、と思いました。
先日って(お盆のとき)、
猛烈に「さびしい」気持ちがして、
これはほんとに眠れず困っておりました。
田口のおとうさんと話していたら、
ふと、明石の田口のおばあちゃんの話
になりまして。
「そういえば、しばらく帰ってないね。」
という話をしたらその瞬間「さびしさ」が
消えたのでした。
呼ばれていたのですね。
小川さんを呼んでいらっしゃる方々が
どういう方々なのか、
何を望まれているのかは
わかりませんけれど、
お彼岸の頃には、
きっと喜んでいただけるよう
祈りを運ばせていただきますね。
投稿者: 田口亮子 | 2004年08月27日 04:06
日時: 2004年08月27日 04:06
お久しぶりです。
いやいや、どんな連想でも思い出して頂ければ嬉しいです。
なんだか、最悪の8月を迎えてしまい、今では、日記も更新する余裕も気力もありません。
不眠は、やはり精神状態に左右されますね。
もちろん、疲れすぎると逆に眠られないことは、健康時でもよくありましたが・・・
よくわからないんですが、どうも私は色々なものを背負い込んでいるみたいです。
見える人には見えるみたいですが・・・
どうも、お盆の間に無茶なことをしようとしたために、誰も帰ってくれなかったようです。
心に余裕がないとダメですね。
投稿者: ogawa naoko | 2004年08月27日 12:47
日時: 2004年08月27日 12:47
お返事ありがとうございます。
心の余裕ですか。
きっとおやさしいんですよ。
不眠でいらっしゃりながら、
中島らもの死を悼んだりしないといけないし。
合掌。
投稿者: 田口亮子 | 2004年09月02日 17:41
日時: 2004年09月02日 17:41