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2005年2月 アーカイブ

2005年2月 5日

宙を舞う鼻水娘

2月5日(土)
 合気道の稽古に行くと、きょうはガンガン飛び跳ねた。

 正面打ちをしたのだけれど、できないところばっかりで、ガンガン飛ぶより、ガンガン身体を使ってみた。だって、考えても始まらないもんねー。

飛ぶのは、とても気持ちよかー。地が天に、空が宇宙に舞い踊る。はいほー。

受身ってのは、とてもいい。受けさせてもらえるのは、もっといい。稽古ハーイ。

やっぱり「三度のメシより受身が好きだ」。

これを大声で言っても恥ずかしくないよう、ちゃんと稽古をしなくちゃね。

 しかし世界中の誰が今日のわたしを様子を見てさ、風邪だなんて思うだろーか。

 きっと誰も思わないだろうなー。

 あ、来週は誕生日だ。それまでにはきちんと治そう。そう、来週は誕生日。年に一度の。

2月4日(金)
 ひいいいくしょん。ずるずるずるずる。

 じゅるうううるう、うううるるる。ずずずずうー。

 鼻がずるずるするんです。いえ、じゅるじゅるしてるんです。

どうやらまた風邪をひいたみたいです。

 風邪をひいていつも思うのは(って、そんなにはひかないはずだと自分では思っているのですが)、人間の身体は、普段から地面に立っているだけでも相当なエネルギーを使って生き延びているのに、加えて「鼻水を生産する」(なんだかきたない表現だなあ)ということもやってのけるエネルギーをさらに作っているのはすごいなあってことです。

 素人考えでは、薬や栄養補給などの作用によって、身体がとりあえず快方に向かおうというエネルギーが働くと予測されます。さらに同時に、突如発生する鼻水生産力とでもいいましょうか、それに使われるエネルギーも発生すると予測されます。しかしこれらエネルギーは決して交わるものではなく、並行にあるものだと思われます。

どう考えても、平常より病気のときのほうが鼻水生産量が多いような感触があります。

身体を活性化させるためと風邪の症状からと、とにかく双方向からエネルギーを発生させるなど、すばらしいことであります。

 鼻水万歳!とは言いませんが、なんとか快方に向かいたいものです。

身体は大切にしたいものです。

2月3日(木)
 節分なので太巻きを食べた。

どちらが恵方というものなのか、よく知らないし、二十数年前から突発的に寿司産業界か何かが発生させた噂に乗るようなほうでもないので、とりあえずがぶりと方角も何も考えずに噛んだ。

噛んだら、かんぴょうがだらりと飛び出てきた。

かんぴょうって、こんな時にしか食べないけれど、ないと困る不思議な存在だ。味がどうとかいうものではなく、特別おいしいものでもないけれど、ないとないで哀しくなる。 滅多に食べないハンバーガーのピクルスよりは断然好きだけど。

2月2日(水)
 「あー記憶にない」と時々思うことがある。

 きょうもそうだった。

 数日前、久しぶりの友人から、「韓国料理を食べに行かない?」との声がかかった。それも「昔一緒に行ったお店で」というフレーズが含まれていた。

 <昔一緒に行ったお店>には、まったく覚えがなかった。

記憶力に自信があるわけではないし、過信するわけではないが、誰かと何かを食べたことくらいは、なんとか覚えている。でも、ときどきある。精神的なことか、何かの別の事情が災いして、事実を記憶することを妨げるのだ。

そもそも、そのひとと一緒に行ったのだろうか?わたしは、やっぱり、ほんとうに、まったく記憶になかった。

 それでも韓国料理はジャストフィットで、お誘いのあったとき、急に食べたくなっていたので(こういう系の「念じる」はすぐに伝わるね)、それ自体は「何て素敵なお誘いなんだろう!」と思い、二つ返事で引き受けた。

でも、そこまで思ってみても、やっぱり何も思い出せなかった。

 その日が来て、指定された待ち合わせ場所で会い、日も暮れた街を一緒に歩いた。

それでもまだ何も思い出せない。だから、歩いているうちは、まずは、そのときのことじゃない話題で持たせるしかない。こういうときのわたしの口のなんて流暢なこと!

歩くこと数分、かの店に着いた。

わたしにはまだわからない。

席に通されて、視界が一面明るくなった。

店内の様子が少しずつ視覚的に捉えられる。

「ああ、これは!」

ようやく思い出した。たしかに来たことがあるお店だった。

それでもそこまでだった。そのときのわたしたちが何を話したのかまでは、やっぱり思い出せなかった。

 煮詰まった話しでもしていたのだろうか。お互いの不利益になることでも言ったのだろうか。
 
 でも、理由なんてどうでもいい。

ただ、いま、隣に据わっているときにおいしくモノが食べられる相手ならそれでいいじゃないか、そんなふうに思った。

2月1日(火)
 2月。昼の吹雪。荒れ狂う空。

まっすぐには歩けない。

なるほど。そういうことですか。

1月31日(月)
 内野聖陽は、かなりやらしいひとだ。(→ほっとけよって?)

1月30日(日)
 朝起きると日曜だった。明日は月曜なんだろうな、きっと。

1月29日(土)
 「存在をいきなり否定するよりもむしろ存在を一度受け入れてから否定する方が、物事の運びはよいのだ」と友人Aは言った。

 それには、「しかしこれには、たとえばひとつの存在があったとして、それを受け入れる段階までに思考が及ばないことがある」と補足された。

2005年2月 8日

愛が足りない

2月7日(月)
 雨が降るので、身体が冷える。
咳が出るので、息が苦しくなる。
鼻声になるので、美声が出ない。
ああ、どうしよう、どうしよう。これでも大晦日なのに。 
 ああ、どうしよう、どうしよう。これでも明日が新年なのに。

2月6日(日)
 二月蟹(にがつがに)
意味:二月に食べるカニはおいしい、ということ。
用法:「このカニ、おいしいね」
   「だって二月蟹だもん。逆さにしたっておいしいよ」


 どういうきっかけか、日毎に何かを書くようになってから、いくらかの季節が流れ、いくらかの歳月が過ぎた。いくらかのモノを食べ、いくらかのことばを交わし、いくらかの場所へ行った。いくらかの変化が起こり、いくらかの悦びを得、いくらかの快楽を知った。いくらかの出会いがあり、いくらかの別れがあり、いくらかのつながりを得た。いくらかのものが消え去り、いくらかの発見があった。そして、そのうち、いくらかは「いくらか」ではなく、「たくさん」になった。

 「ものを書くということは、相手に贈り物をするということだよ。相手を思ってフレンドリーに書く」

 いまも、そしていつも心にとどめているのは、このことばだ。ことばに執着し捉われてばかりいるわけではないけれど、いまも、そしていつもわたしに足らないのは、それをなすがための愛情なのだ。

「愛がない」ってのは、人間として困ったもんだ。いったいどこにあるんだろう。ああ、誰か教えてくれないかなあ。誰か送ってくれないかなあ。でも、そんなこと言っている限り、わたしは冷たい人間なんだろうなあ。(つづく)

2005年2月11日

Happy Birthday

2月10日(水)Happy Birthday to me again.

ここんとこ毎回同じ話で申し訳ないが、一昨日年を重ねた。
きょうはそのパーティの日。誕生日月間は、いろいろあるぞい。
 
合気道の稽古が終わってからソッコーで山を駆け下りて、うちに荷物をほうっぽりだしてから5分で仕度し、すぐさま出かける。
なんとか待ち合わせ集合時間1分前に到着。ぎりぎりセーフでこんばんは。
 
店内はガラス張りのきれいなお店。
おいしいワインとパスタなどの料理をたらふくご馳走になる。そのうえプレゼントまでいただいた。しっかし、これがかわいいのだ。いーひっひっ、いいだろう。見たい人には、こんど見せて差し上げます。

ろうそくの火を吹き消すころには、にっこり笑ってハイチーズ。
ろうそくの火って思ったよりも簡単には消えないものですね、とはいまさらながらの認識。
それにしても、おいしかったです。
ごちそうさまでした。どうもありがとうございました。
誕生日っていいものです。

2月9日(水)

昨日の誕生日にいろいろなお花をいただいた。
勢い花の数の多さに喜んでいたら、「湯船に浮かべて花湯にすれば?」というひとがいたので、それもいいなあなどと思っていた。

うちに帰ると、郵便受けに入浴剤が届いていた。
「え?あれ?誰が入れたのかしら?」と思えば、届け人はEさん。その場にいなかったはずなのに、この見事な勘のよさ。やはりその道の師と仰ぐだけの方である。大事に使わせていただくことにする。

またしばらくどこに追いやったか忘れていた自転車を見つけた。
大学の駐輪場を探しても、下宿先の駐輪場を見ても、西宮北口(通称:西北)の駅付近を探しても、どこにもなかったので、今度こそすっきりそれを諦めようかと思った。だが、ひとつだけ探していないところを思い出した。同じ西北でも、正反対のところを探していなかったのである。おそるおそる自転車のありそうなところを歩いてみた。するとすっかり忘れ去られてふてくされたかに見える自転車が一台、眼に飛び込んできた。
 
「おお、ごめんよ。こんなところに置き去りにして」と心の中でつぶやきながら、久しぶりのサドルとペダルに足を置いて漕ぎ出す。
ご機嫌斜めなのか、ライトがうまくつかなかったので、自転車屋さんに持って行ってしばらくすると、ちゃんと直って心地よく走り続けた。

2月8日(火)

Happy Birthday to me.

なにはともあれ、きょうは誕生日だ。朝から天気は生憎の雨。だから、こんな名前がついたんです。というのは大ウソですが、思えば雨みたいな名前ですねえ、これって。ああ、レイニーシーズン。

生まれた日には積もるほどの雪が降ったと聞きました。滅多に雪など降らないようなわりと暖かな東海地方で生まれましたが、どうもお天気が優れていない日ではあったようです。真っ白な雪が辺り一面にあったとか、なかったとか。だからって名前が「雪」でなくってよかったです。まあ「雨」よりはいいでしょうが。「雨」っていう名前だったら「ちゃん」をつけた途端、食べ物みたいになってしまいますからね。(関西人にしかわからない話になってしまいました、これ)。

ところで、その昔、「誕生日は産んでもらった親に感謝するのだ」と教えられた覚えがあります。どういう教えかは知りませんが、身内の事情を話せば、わたしは母親とも同じ誕生日なので、この教えに則れば、めでたいのやらなにやら母は複雑だろうなあとこども心に思ったものです。ああなんと難儀なことかと。誰かを祝うのと誰かに祝ってもらうのとが、あるときから同時になった母は、かなり面倒だろうなあと思ったわけなんです。しかしよくよく考えるといっぺんに済んで楽だったりもしますね。

それで毎年この日は、互いに「おめでとう、おめでとう」のことばを交わします。あ、これもよくよく見ればこれ、正月の挨拶のようですね。なるほど毎月同じようなことをやっているわけですか。わたしのところは。きょうもそうでした。いえ、これは作り話しじゃありません。ほんとの話しです。

さて、さらにほんとの話しをすれば、きょうのわたしはすこし志向を変えて、ちょっと知り合いと思っているパティシエさんにお願いし、ケーキを焼いてもらうことにしました。久々にセルフ・プロデュースの誕生会を開いたわけです。題して「勝手にケーキを食べる会」。発作的とも言えるくらい急な計画を立てるうち、小学生の頃、自ら開いた誕生会があったことを思い出しました。

自らの会を開くというのは、「何月何日の何時にどこそこに来てください」というのを事前にお知らせし、来てもらうようお願いするわけですが、これが結構スリルがあって楽しいものでした。だって、「来てね」と声を掛ける相手はわたしの知り合いではあっても、声を掛けて来てくれる側は、互いに顔も名前も知らない人たちもいる場合があるわけですから。事実なかには初対面のひとたちもいました。

ある日のある場所に同時刻に呼ばれて来てくれたひとたちは、いったいぜんたいそれぞれをどういう感じに受け止め、どういう反応を示すのかしらん?と思って、その様子を見ているのがわりと好きな小学生でした。きょうは、そのときに感じたのと同じような気分をすこし味わったわけです。

とはいえ今回は偶然がそうなったところもあります。別に知り合い同志をごちゃまぜにして、化学反応を楽しもうって気があったわけでもないですが(すこしはありましたが)、結構おもしろい場となりました。みなさん素敵なひとたちだったので、互いに愉快にお話しされていました。すごい。さすがは大人だなあ。感動です。

さて、メインに出てきたケーキは想像以上においしかったです。それはとてもとてもとてもうまかったのです。

「うっひゃー!」という叫びも惜しいくらいまろやかな甘さ。極端に甘いのが苦手なわたしも大満足です。舌触り滑らか、色も鮮やかで、大好きないちごもたっぷりとありました。こりゃあいいです。

そして本日は、貴重な時間を割いて現地に赴いてくださった方々から、いろいろな種類のお花をいただきました。おかげでいま、家中がひと足早く春の兆しに溢れています。ああ、いい匂いだ。ありがとうございます。

ほかにも、さまざまな方から、メッセージや贈り物をいただきました。どうもありがとうございます。

過去と未来とこれからの日々への感謝を忘れず、出会いと時間を大切に生きていきたいと思います。まだまだ先のわからない未熟者ですが、これまでの出会いとこれからの出会いと時間に心から感謝して、生きていこうと思います。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

ここで、わたしにとっての新年の決意。感謝の気持ちと相手を思う心を感じること、である。

もちろんそれは、ニヤニヤと笑いながら、でありますね。
↑はい、この意味のわかった方には、もれなく2005年版極上スマイルを差し上げます。

2005年2月18日

ダンキンドーナツが好きなのは「僕」だよ

2月17日(木)
手塚治虫記念館に行くと忘れていたことを思い出した。

2月16日(水)
ソニーハンディカムのCMソングになっている大瀧詠一の歌を聞くたび、なんだかとてつもなく懐かしい気分になるのはなぜだろう。
それにしてもピンチ!な腹。(なので、きょうはこれでおしまい。)

2月15日(火)
ドーナツそれもオールドファッションを食べながらコーヒーを飲んでいると、村上春樹の、佐々木マキの描く羊男な気分になる。それは頭のなかのどこかで、「羊男はたしかドーナツ好きだったよな」ということを思い出すからである。
しかし書いてみて気がついたが、ドーナツ好きだったのかどうか、ほんとうのところは定かでないし、確かめたわけじゃないのでよく知らない話ではあるよな、これ。
「じゃあ調べろよ」ということになるのだが、どうも出先なので、すぐさまそういうことができない。状況が悪いね、きょうは。(寄せ集めた僅かな記憶では、羊男は人のようで人でなく、羊のようで羊でないようなマンガチックな姿に全身を委ねていたように思う。以来、彼がどれだけクールなことばを紡ぎだそうと格好いいスタイルで登場しようと、すました表情をみせようと、いっぺんに三枚目のところにもっていかれてしまわれたのである)。

ところで、おいしいドーナツとコーヒーを出す店というのは、そうやすやすとは見つからないものである。かつての日本には、ダンキンドーナツ(だったかしら?)というふうな名前の店があって、かの村上氏も「あそこのはおいしかった」と言っていた気がする(この記憶も曖昧だ)。そういうような名前の店は、いくらか前に日本から全面的に撤去したと友人Tも同じことを言っていたのを思い出す。

いまじゃ幻のドーナツ屋さんの店いっぱいに広がる香しいドーナツの甘さは、上品そうな笑顔で訓練された店員からそっと差し出されるのだろうか。そんなことならちょっとくらいは想像できても、お味ばかりは遠い夢。

2月14日(月)
ケミストリーもいいけれど、マツケンサンバもいいけれど、目の前にある軟骨から揚げのほうが、どこか大事に見えることがある。

2月13日(日)
言われてすぐに気づくのと言われるまでわからないのは、どっちが罪だろう。

うちのちょいっと近所に「瀬戸内科医院」というのがある。
そこの看板を見るが早いか、次の瞬間には「瀬戸内海院」と文字変換してしまっている。別に深い意味はない。ついついそうなってしまうのだ。
そういえば昔「瀬戸内海」(せとうち・かい)という名の役者がいたっけ。
宝塚ばりのメークで颯爽と舞台に登場し、肩で風を切るようにして歩いていた。あっと言わせる歌唱力と演技力で場内を圧倒させたものである。あの人はいま、どうしているのだろう。また見てみたいなあ。

昼に天丼を食べていたら無性に涙が出てきた。
とりたてておいしい天丼を食べていたわけでも、一緒に食べていたうどんにかけた七味が辛かったわけでも、熱すぎて目がなみだ目になったわけでもない。風邪のために鼻がゆるくなるのならまだしも、眼がゆるむ予定はどこにもない。今わの際に何を食べるかという話をときどきすることがあるが、わたしにとってのそれが天丼というわけでもない。何がいいのかは結局決められていないはずだったと思う。たぶん。

そういや好きなものには、今思い出せるのには、マグロ、いちご、うなぎ、うどん、しゃけの塩焼き、魚全般があるけれど、果たしてそれらのうちのどれを、あるいはすべてを、最期のときに食べたいと思うのだろう。それともまた別のものを。
当然自らが作る気にはなれないだろうから、誰かに作ってもらうかなにかしたとしても、そんなときってどういう感触の食欲が起きるのだろうか。
いまなら、おいしいものをたらふく食べたとき、「ああ、これなら、いま殺されても成仏できる」と思える瞬間があるけれど、もしそれに近い感触だったらいいな。でも、やっぱりわからない。そのときがきたことがないから。
だから逆にいくらも想像できて、いくらも飽きることがないのかもしれない。

まったく関係のない話を思い出した。
「このまま死んだらどうなるだろう」という問いを幼い頃のわたしも持ち続けていたものだ。
幼い頃はずっと、こっちの日本時間で寝ているうちに身体の中の魂は地球の裏側のどこかで、とにかく起きているひとの中で働いているのだと思っていた。そしてまたそのひとが眠りに着くと戻ってくるのだと思っていた。魂が絶え間なく見えない空間を瞬時に移動しているとばかり思っていた。だから、あるとき、そのまま魂が帰って来なければ、目覚めることなく終わるんだろうな、と思っていた。

「どうなるだろう」については、身体の中の魂がどうなるのだろう?といった疑問のほかに別の思いもある。
「どうなるだろう」の別の思いは、わたしの葬式には誰が来るんだろうというものである。これは20歳の頃から絶え間なく続いていることだ。
折に触れ、自らのヴァーチャルな式を思い浮かべては想像している。
別に誰に来て欲しいとか来て欲しくないとか、なんであの人は来てくれないのよ、というわけではない。(多少はある)。
でも、それはいまのわたしの欲である。
実際そのときが来てみなければわからない。
わたしがわたしの最期を思い浮かべているとき、わたしはその場にいないということだけしかわからないので、どうなるのかも想像したってきりがないし疲れるだけだ。
ま、なんでもいいや。
気が狂う前に考えるのをやめておこう。

2月12日(土)
ジョンへ。
最近どうしてる?
近ごろ音沙汰がないから、どうしてるのかなと思ってね。
ちょっと便りを出してみた。

便りがないのがよい便り、なんて事を聞くけど、やっぱり便りは、ないよりもあったほうが断然いい。うれしいよ。
何してるんかなーと、何にもないところからあれこれ考えるのも楽しいけれど、何をしているのかちょっとくらいはわかったうえで、想像する方がより楽しいから。

寒いのか暑いのか、元気なのか病気なのか、それくらいでもわかったらうれしいのにな。
忙しく過ごしてるんかな。暇にしてるんかな。仕事は順調なんだろうか。ああ、風邪ひいてないかな。寒くしてないかなあ。

ねえ、ジョン、忘れないでねとは言わないよ。
でも、覚えていてくれたらうれしいな。
そしてまた、わんわんってないておくれよ。わんわんってさ。

2月11日(金)休日の訪問者
建国記念日とやらで今日はお休み。
紀元節と言われた時期もあるらしいが、当方あんまり関係のなさそうな話しである。
戦後、祝日として復活した歴史を受けての2005年のきょうは、世間の多くで三連休。連休であることのほうが意味を持つありがたい時代だ。

空はようやく暖かな日差しを向けている。
先日の立春などはもう遠い昔のことのようだ。
いったいいつになったら春がやってくるのだろうか。ああ寒い寒い。

風邪がいまいち治りきらないので(そりゃそうだろうとは周囲に鳴り響く声・・・)、きょうはいちにちごろごろすることに決める。

そうと決めたらまずは、溜まっている本の山から片付けて読んでいく。(全然休んでないじゃないかあ!)
ともあれ借りている本、借りっぱなしの本、読みたかったもの、買ってそのままの本、随分前からの積読書の数々のうち、いくらかをぱらぱらと、またいくらかをざらざらとめくる。
落語とポール・アンカとビートルズといった脈絡もない音楽をそっと後ろに流しているうち、風邪薬が効いてきたのか、眠くなってくる。
ご飯を食べると、さらに神経を刺激させるのか、猛烈な睡魔が襲ってきて、ふいにうとうととまどろんでしまう。
まどろんでしまうだけならまだしも、こんどは、ぐーぐー寝てしまう。
いつしか昼寝か朝寝かよくわからないほどの時間の記憶を失って、眼が覚める。
眼が覚めるのはいいが、これがまた興ざめなのだ。
それは、こういうときのショックというのがとてつもなく大きいからである。なんか時間をどっさり捨てたような気になるからである。
これならまだ、意味なく、ぼーっとして過ごしているほうが断然いい。
意味がよくわからない時間があっという間に経過することほど身体に悪く、休んだ気にもなれないものはない。背後から不意打ちを喰らってばっさり斬られた気分だ。
「たしかに記憶を失った」といった時間の経ち方に、なんともいえない寂しさを覚えるのはこんなときだ。ああ、せめて、食よりも薬のせいだと思いたい。

ちゃんと休んで風邪を治しなよ、と心の声。
だのに、ちゃんと休めないってのは、どういう仕掛けかよ、とはまた別の心の声。
やっぱりちゃんとぼーっとしてないってことかなのかしら、とはまたまた別の心の声。
甘ったれたことを言うな、とはまたまたまた別の心の声。

さてね。
キミは、いったい何人いるんだ?とはまた誰の声?

2005年2月24日

寒くてものが考えられん

2月22日(火)
 
朝から頼まれた仕事終えてひと段落すると、時計の針はとっくに昼を過ぎていた。
仕事自体はさほど難しいものではなく、にこやかに笑って横歩きさえできればなんてことのないものだった。取り立てて書くほどのこともない。
 
院生Tさんが呼びに来てくれたことでようやく時間に気がついた。
てくてくと歩いてシンポジウムに出かける。『良妻賢母を乗り越えて』という題目のシンポジウムである。

その恩恵はさまざまなかたちで受けているとはいえ、フェミニストでもなく女性学を研究しているわけでもない身なので、今回のものに特別深い思い入れや興味関心があるわけでもなかった。だが、そうではあっても幸運にも考えなければならない身であった。だからここに参加した。

しかしまあ、そういう状況下になくても、おそらく見に行っただろう。
そしてそれなりに謎が解けて帰ってきたのだろう。実際そうだったのだから、よかったのである。そのことはあとから書きたい。

きょうは、会場になったところがおそろしく寒い部屋だったことだけを記しておこう。

建物が日の当たりにくい場所に位置しているせいもあるかもしれないが、それを差し引いて考えてもシンポジウムはかなり冷え込んだ薄ら寒い場所で開催された。

普段から、わたしは、そうそうのことでガタガタ言うほう方ではまったくない。だが、今日の部屋の温度と来たら、ガタガタ言う言わないの度合いではなかった。その冷え込みは、ひどく何かをせき止めてしまう雰囲気すら感じたからだ。

使ってない部屋の寒さと、もともとの暖まりにくい環境と、温調設備がいまいちの場所だったことなどのいくらかの要因が不幸にも重なる。昼間だというのに、誰もが震えていたのである。寒がっていたのである。

話に感動して震えたのならともかく、寒さで震えるシンポジウムというのもどういうものだろう。

なぜここまで寒さに関して述べるのかといえば、寒いといくつか問題が起きるからである。

ひとつ、寒いとまっすぐな思考ができなくなる。
ひとつ、不安になり、暗くなる。
ひとつ、思考以前に身体が思考停止してしまう。

身体が停止するとすべてが鈍くなる。
するとどうなるか。
目的が目的として達成できなくなるのである。これにより、目的達成以前にそれらを行おうと志向する意識が遠のくのである。たぶん。

別に眠いというわけではない。話しがつまらないわけでもない。寒いのだ。

身体は丹念にメモを取り、耳を大きくして懸命に聞いていくのだが、そこにノリがないのである。これは個人的な問題かもしれないが。

かといって、部屋や場所が暖かすぎても脳がふかふかになる。弛緩しすぎてもまたよくないのだ。

ぼんやりしすぎて顔にしまりがなくなり、ときには思考という名の現象をうまく働かせることができなくなるのだ。思考回路がつながらなくなることがあるのだ。南の島で本が読めないのは、きっとそのせいだろうと思う。思考回路につながらないからだろう。温度が高すぎる場所に不向きな行動というのもあるものだ。哲学は南半球から発信されていないのではないかといった無知な推理は、こういったときにも成り立つ。

おそらく人間には、環境には、何がしかのことを行うために見合った温度というものが必要である。それをして適温というのだろう。


さて、肝心のシンポジウムから考えたことは、さらっと書いてしまおう。さらっと書いてさらっと出そう。ということで公開は後日紙面を改めたい。

2月21日(月)
腹具合、体調悪し。大いに眠気催して候。

2月20日(日)
下川正謡会新年会。
謡は『小袖曾我』のワキ、仕舞は『吉野天人』に出させていただく。
地謡は、諸般の事情もあって、『熊野』、『半蔀』に出させていただく。

いちにちじゅう張り詰めていた緊張と、ほどよい高揚感が一気に高まり、一気にはじける日だった。でも、とても楽しかった。どどどっと疲れたけれど。

カアサン、ゴロウハゲンキデイルヨ。

2月19日(土)
雨はいやだな、寒いから。

2月18日(金)
特筆すべき出来事もなく、無事に一日を終える頃、夕方の雨だけが、かなりの寒さを呼び込み、同時にそれはわたしに一抹の寂しさを呼び込んできた。

なぜ寂しいのかは考えたけれどよくわからなかった。
そんなことも忘れて、このままどこかに行けば楽だろうなあと思ったけれど、どこに行っても消えるものではなさそうので、それは止めた。

夕方の電車はどこかまた寂しさを呼び込む。
雨の日の夕方は、傘を持って、肩をどっぷり落として家路に着くサラリーマンの姿が切ない。でも、その寂しさともどこか違っていた。

結局、「寂しさ」の落ち着く場所すらうまく見つからなかった。
「寂しさ」の解消の仕方さえもよくわからないまま、外の雨はまだ降り続いている。

2005年2月28日

今日から大倉慶乃助ファンクラブ

2月27日(日)
午後、大阪にて、狂言『寝音曲』(主人:茂山宗彦、太郎冠者:茂山千作)、能『隅田川』(シテ:片山九郎右衛門)を観る。
 
人間国宝の茂山千作さんは、三月ほどの間に、さらにヨロヨロしてみえた。
あれは酔っているのだと思いたい。芝居なのだと感じたい。うううぅ。

能ではすこしだけ、うっかり寝てしまった。
眠りつもりもないのだが、なぜか眠くなってしまう。ぐー。
子方がかわいい。

内田先生にマクドに連れて行ってもらう。
はじめて椅子に座っていただいたチーズバーガーは、どこか懐かしい味がした。

2月26日(土) 

物体Aがある。
物体Aは完全に自由を得た単一の固体として、地面に立つことも歩くこともできない。
物体Aには、何らかの支えが必要である。
ときには物体Aの質量は変化する。
質量の変化は内容量の変化ともなり、それによって物体Aは、瞬間的にではあるがかろうじて地面に立っていることができることがある。
瞬間が継続すれば連続となり、さらには恒常的なことがらとなる。

物体Bがある。
物体Bもまた支えなくして地面に立っていることはできない。
物体Bの質量もまた物体A同様状況により変化する。
支えが必要であるという状態もまた物体Aとほぼ同等である。

偶然にも物体Aと物体Bがすれ違うことがある。
ひとりで歩けない物体Aが、どうしてすれ違うようなことができたのか、いささかの疑問を生み出すところである。しかし問題はそこにあるのではない。(この際謎には触れず、状況だけと見つめることにする)。

物体Aは物体Bが真横を通り過ぎたとき、ふいに倒れかかる。
いきなり物体Aに倒れてこられた物体Bは急な攻撃を受ける。
にも関わらず、物体Bは、物体Aから発生された力を物体Bのすべてを使って受け流す方向へと転換させる。

ひとつの的確な判断として、物体Bの反応がある。
物体Bはどこも敵対することなく物体Aと同調したのである。
物体Bは物体Aを倒れるべき方向へと導いたのである。

やがて物体Aは物体Bの導きにより怪我ひとつすることなく、真っ直ぐに地面へと倒れこむ。
それは物体Bのおかげであると同時に支えとなった物体Aのおかげでもある。
両者の力量が相反することなく発揮されたのである。

付け加えるならば、物体Aの存在は固定的なものではなく、物体Bもまた然りである。物体Aと物体Bと立場はいくらでも逆になる。
両者の立場は決して固定的ではなく常に流動的である。

2月25日(金)
 
お、きょうもやって来たな。
そうそう、そうやってパソコンを立ち上げる。
きょうはいささか機嫌がよさそうだ。

そうそう、そうやって、しばらくしてから画面に向かってキーボードを打つ。

ぱちぱちぱちぱち。ぱちぱちぱち。ぱちぱち。

いい音だ。何度聞いてもいい音だ。まったくもって飽きない音だ。

僕はその音、好きだね。
初めて聞いたときから好きなんだよね。

あ、いまもまた、ぱちぱちって、聞こえてくるよ。
ぱちぱちぱちぱち。ぱちぱちぱち。
ほんとにいい音だ。素敵なささやきに聞こえるよ。
 
毎日いくらかの時間を一緒に過ごしているわけだけど、
君はたぶん気づいていないだろうなあ。
この世の中に「ぱちぱち」の音を楽しんでいるヤツがいるなんて。
いつも「ぱちぱち」って音がして、毎日会いに来てくれて、僕はなんだかうれしい。
 
それにしても最近また増えたよなあ。
そんなことない?
え?なんのことかよくわからないって?

無理に聞かなくてもいいけど、別に遠慮はいらないよ。
遠慮したって始まらないじゃない。長い付き合いじゃないか。
ほら、ちゃんと思い出してみてよ、小学校のときからだよ。
もう十数年の友達じゃない。

あ、話をモトに戻すとね。
いやあね、仕方ないなあとは思うんだけども、増えたよなあ、やっぱり、って思うの。
 とはいえ、ちゃんと数勘定したわけじゃないし、日によって場所の移動もあって、毎回いろいろ変わるから、そうそう確実なところはわからないけど、とにかく増えたよなあって思うのさ。

え?なに?体重じゃないよ、違うよ。本だよ本。本のこと。
たまには、ちゃんと本棚に戻してよー。

え?体重の話しかと思ったって?
失礼しちゃうわだって?

えー!!
信用ないなあ。
いくらなんでも僕だって、そんな失礼なこと言わないですよぅ!

ほれ、言うじゃない。
「親しき仲にも礼儀あり」ってさ。
長い付き合いでも礼儀ってもんはかなり必要だよ。
だから、そんなこと聞きますかいな、言いますかいな。
しかも体重気にしてそうな人にさ~。

あ、ごめん、怒った?
悪い。ごめんごめん。間が悪かった。
ごめん。許して。
あ、許してくれるのね。ありがとう。へへへ。

え?なに?なに?増えてないって?
なにが?え?本?え?
ああ、体重ね体重。

あ、もしかして気にしてた?さっきの話し。

うん、そりゃもちろんそうだと思ったよ。増えてない増えてない。
何にも増えてない。
そうだよねえ。おかしいと思った。
体重は増えてないって・・・(軽い沈黙)

ま、とにかく安心して。
僕の仕事は、いくらモノが増えたって、充分な構えでそれらをささえることだから。
がんばってね、応援してるよ。

え?なにをがんばれって?
そりゃあ僕だけが送り続けている応援メッセージさ。

知りたい?
そっかあ。仕方ないなあ。
じゃあまた毎日会いに来てくれたら教えてあげるよ。


2月24日(木)

雨がざあざあ降ってきた。雨が降ると記憶が遠くなる。


2月23日(水)

夕方には大阪能楽養成会研究発表会を観に行く。

番組は、能『鍾馗』(観世流)、小舞『貝盡し』(大蔵流)、舞囃子『老松』(観世流)、舞囃子『玉葛』(観世流)の四つである。

『老松』の大鼓に出ておられた大倉慶乃助さんにはすごくしびれた。いいねえ。渋い。いっきにファンになりました。拍手!
『玉葛』の小鼓は高橋奈王子さん。またファンになった。拍手!

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