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2005年3月 アーカイブ

2005年3月11日

ウッキーの春休み

3月9日(水)
さんきゅー。

3月8日(火)鞍馬天狗に会いにゆこう。
 
旅先での遅寝ほど愉快なものはない。旅先での遅起きもまた。
 
いつもより遅めの午前8時くらいには眼を覚ますつもりが、夕べが遅かったのと、かなり睡眠不足だったのとで、思いっきり寝坊する。起きたのは・・・すでに9時半も回った頃。
しかし慌てない慌てない。チェックアウトなんと12時なのである。がはは。
というわけで、非常にだらだらした人間には、だらだらした時間をそのまま提供してくれる場所なのである。ここは。旅はこうでなくっちゃいけない。

だらりと起きて、仕度し、気をよくして朝食を食べる。
よく眠るとおなかが減るのか、ビュッフェ形式の洋食と和食の両方をもりもり食べてしまった。
洋食と和食を両方並べられるとなると、両方食べてしまうのが人間の常である。
あるいは幼い頃からの癖なのか。
しかしまあ、プレートには、残さないように適量を取ってくるので、さして問題はないであろう。

チェックアウトを済ませて、一路、叡山電鉄岩倉駅へ。
早くも春の陽気を感じさせる街並みをすこし歩いて駅に到着。

叡山電鉄に乗り、岩倉駅から鞍馬駅へと15分ほどの移動。目指すは鞍馬寺である。

鞍馬駅に着くなり、天狗の顔が歓迎してくれる。
「鞍馬天狗に会えるかな」というのが今回のひそかな思いであったので、記念碑のまえでポーズ。

鞍馬寺の入口の仁王門をくぐり、山へと入っていくと、すぐさま山門が見えてくる。

ケーブルのりばへの指示がしてあるので、それに乗れば鞍馬山の山頂まで行けるのかと思いきや、ケーブルはたったの数百メートルしか続いていない。
しかもケーブルのりばの入口には、ご親切にも「おすすめ」看板が立てられている。

おすすめ 
山頂本殿まで木立のなかの九十九折参道は約一キロメートルです。
途中、重要文化財の由岐神社拝殿や、義経公供養塔など諸堂めぐりもできます。
むかし、清少納言や牛若丸も歩いた道です。
健康のためにも、できるだけお歩き下さい。
鞍 馬 寺


「清少納言や牛若丸」にかこつけて歩かせようというのが気に入った。
もちろん最初から乗る気などなかったが、なかなかおもしろい言い草である。
しかしよく見ると、動く気配などまったくなく、まるでやる気のないケーブルである。
「おすすめ」看板は、客寄せならぬ客払いである。

それ以外にも鞍馬寺は歩く先からいろいろと指示がしてある。
「ここは禁煙です」、「ごみを持ち帰りましょう」、「弁当の折箱を捨てないようにしましょう」などの一般的な注意書きはもちろん、「あとすこしで本殿です」とか「もうすぐ行くと○△があります」などというような但し書きがあり、参拝者の意識を大きく促してくれる。
このように記されるのは、霊魂を込められたお寺であるからというのがどうやら最大の理由のようなのだが、それもまた気に入った。
いちいち笑いながら歩いていく。
しかも何も飲まず食わずで延々ともくもくと歩き続ける。

山門からケーブルの入口を素通りしてから今度は鬼一法眼社で参拝。
牛若丸に兵法を授けたともされる鬼一法眼が奉られている。
「武道上達を祈願するとよい」ともあったので、勧められるまま念入りにお参りする。(あとから聞いた話では、かの公営放送では美輪明宏がこの役柄をしているそうだが見ていないのでよく知らない)。

その後は、由岐神社でおみくじを引き、がんがん歩いて登っていく。
義経供養塔、川上地蔵尊まできて、四脚門をくぐり、本殿金剛に到着。なんと見晴らしのよい景色である。
木の根道をぐいぐい歩き、こんなところで修業したならば確実に身体がよくなるだろうなあと思う。(生憎と下駄はもって来てなかったが)。
大杉権現社、牛若丸息つぎの水と来た。
ああ、『鞍馬天狗』の場所である。
出てこないだろうかと眼をとじ、耳を静かに澄ましてみたけれど、一向に姿は現れず。

義経公背比石、義経堂と見て周り、僧正ヶ谷不動堂に着いた。
天狗に会えるかなあと、それからもまだ続く木の根道で思う。

奥の院魔王殿を見て、ようやく鞍馬寺西門に来たのは、仁王門を入ったときから3時間後である。まさに、ひと山越えたわけである。

貴船神社本宮、結社と移動し、さらに引き返して、貴船川沿いに2キロメートルほど続く貴船街道を歩いて、ようやく叡山電鉄貴船口駅に到着。

山を越えて谷を越え、歩きとおしで辿り着いた駅はとても暖かく思えた。

つくづく三条や四条というのが街の中心地だったと感じる。
ああ、鞍馬は山なのである。それでも好きだが。
甘味処でくずきりを食べる。美味なり。

その後もまだ歩く。よくよく歩く。旅はこうでなくっちゃ。
明日はおそらく膝が痛いだろうな。

3月7日(月)

夕方まで仕事をし、定刻過ぎにはなんとか無事に山を下りる。
途中忘れ物をしていたことを思い出し、一度うちに戻ってから、大学の最寄駅へと向かう。
 
とらべるはにーM氏と待ち合わせて、共に阪急電車、京都市営地下鉄と乗り継ぎ、京都府は左京区へ。

数時間後、本日の宿である京都の宝ヶ池あたりのホテルに到着。
まるい造りがとても興味深い建物である。
 
まずは夕食。
夜の中庭を眺めながら、たらりといただていくうち、さらに夜は更けてゆく。

明日も早いのだし、早く休めばいいものを、だらだらといつまでも話しこんだり、「今回もまた旅先で竹内結子を見るね」と言ったりしているうち、時刻は日付を変えている。


3月6日(日)

眠りに着いたのは昨日ではなく、明らかに今日だった。
いえまったくもって寝付けなかったわけではない。よく眠れたくらいである。
枕がどうとか場所がナンだとかそんなふうでもない。繊細なわけではないのである。

ただ単に喋り捲っていただけのことである。
そういうものである。
この世代が集まれば、夜も昼もないのである。
だって、布団に入ってもしつこくまだしゃべってるんだもん。
共有する場所の密度が高くなると決まって出てくる駄洒落も飛び出す。
そして誰からともなく(ほほ、誰だかわかってますが)院歌まで歌いだす始末。

幸せなほどに昼近くにのろのろと起きだして、おうちの近くを散歩。
「昼の大阪」というまたしても未知の体験である。
 
そして入ったベトナム料理のお店。
チキンカレーのスパーシーな食感がほどよく脳を刺激する。
ほんとに昨日からよく食べてばかりいる。贅沢な話しだ。しかしうまい。

食後は近くの公園のベンチに座って、噴水をぼんやりと眺める。
イヌの散歩やや日向ぼっこをしている人たち、駆け回るこどもの姿で賑わう公園は、いかにも休日の午後らしい。ああ、こんな風景は何年ぶりに見ただろうか。

ゆっくり空の青さを見つめていると、まどろみそうになる。
次第にどこにいるのかわからなくなってくる。

たのしいときほど、その身がある場所がわからなくなってくるものだ。


3月5日(土)

合気道の稽古に行く。
天気がよい。しかし案山子ではないので、蓑傘をつけることもない。


合気道の稽古を終えた後は、荷物を取り替え、大阪へ。
きょうは念願のK家訪問日なのである。
以前にも一度計画していただいていたが、風邪のため、延期してもらっていた。念願かなって、きょうという日に実現したのである。

Oーちゃんに連れてもらって、夕刻には最寄駅到着。
歩く道のりは知らない場所と時間の連続。
いつも知っている場所よりもほんのすこし離れただけの距離なのに、なんだか不思議な気分である。

ご自宅に着き、まずは母上様にご挨拶。
そうするや否や母上様の手料理を「いただきます」。

めにうは、メインのお鍋に、甘エビとアボガドの和え物、鰹のタタキ、サトイモの煮物、おひたし、牛肉の春巻き、お漬物、いちご、ケーキ、おにぎり。
しかもこれらは、半端な料じゃないからすごい!

もちろん乾杯のビールも忘れない。
そのあとのアルコールもしっかりしっかり。
話は途切れることなく愉快に続き、料理は間断なくおいしく並べられていく。

食べるのがこの上なき身にとっては、幸せなことである。
とにかく、おいしく、ぱくぱくと食べるに専念する。
ああ、おいしい。ああ、うまい。つくってくださったお母様に深く感謝。
ありがとうございます。

ひと心地ついた頃、Kー到着。
こうなると俄然話しは弾むわけで。
話題は「このくらいの年齢」が集ったのだから言わずもがな。

さらには海外組のBーも音声登場。
海を越え、時を越えて、世界につながるK家である。


3月4日(金)
サンシジュウニ。


3月3日(木)

「うきの手」というのがある。
「右記の手」でもなければ「浮の手」でもない。「憂きの手」でもない。

何年か前、初めて甲野先生が神戸女学院におみえになられた。
講習会では、参加した合気道部のために、術理の説明してくださった。たしか二教の裏のときの手の使い方を如何にして応用するか、といったような話だったように思う。

初めて「武術家」という方を目の前にし、興奮冷めやらぬ状況だったが、手の使い方をご説明いただいていたときのことだとはなんとか覚えている。

何も知らないわたしは、頭に大きな「?」をぽかんと浮かべながらも、ふいに「そういうふうに使う手は、なんていうのですか?」と先生に尋ねた。

すると甲野先生は、「いえ、べつに名前なんてないですよ。いま急に思いついたから」と言われた。「かたちはこんな感じですねえ」と何度も形を示してくださった。

そのうち、「これは『うきの手』とでも呼ぶことにしましょうか」と応えてくださった。(アホなわたしは、飛び上がらんばかりにうれしかったのは言うまでもない)。

以後その手を積極的に使う機会のないまま今日に至っているのだが、きょうの内田先生の手は、あのときの甲野先生がされた「うきの手」に見えて仕方なかった。
すんげー。内田先生。


3月2日(水)

写真写りだけは、わりといいはずなのに、それは単なる思い込みに過ぎず、最近はぼんやりとしていて、よく写ったものを見たためしがない。

ある意味、真実を写してくれる写真を見るたび、実物よりもさらに悪くなる自分を省みる。
極端に落胆するものの、3歩歩けばコケコッコーと忘れてしまう。
とはいえ、三白眼はマンガの世界だけの出来事じゃないのであるよ。いや冗談抜きで。
証明写真を撮るたび毎度の悩みである。


3月1日(火)
 
3月になった。きのうまでの先月は2月である。平和なことに。
3月になったからといって別段変わったことはない。
カレンダーをめくってもそうだ。
文字の色を除けば、2月とさほど変わらない配列で慎ましく日々が並んでいる。それはとても平和なことに。

「泣きたいと思う時にはきまって涙が出てこない。そういうものだ。」というのは、とてもいいフレーズだ。
先日突発的に読んだ『風の歌を聴け』の「僕」のことばである。

その「僕」の様子を追っていたら、ページがやけに白いということに気づいた。
それ以外には、すごくビールを飲みたくなって、音楽が聴きたくなって、海が見たくなった。すごく誰かに会いたくなった。

初めて読んだ高校生の頃にはこんな印象はどこにもなかった。
同じものなのに随分違った感触があるものだ。なにもかも違っていたから。

最初に読んだときは、ただただ物語の世界の出来事を知らない遠い世界のことだと捉えていた。
最近のいまもまた、同じように遠い世界の出来事だと感じることには変わりない。だが、ことばは同じ「遠い世界の出来事」でも「遠い」の感触がどことなく違う。実際のところ。

前者のときは明らかに未知の世界の出来事への「遠さ」を感じた。
後者のときはすこし既知の世界の出来事として感じるようにはなったものの、「そういう体験をしそうだ」とか「そういうことってあるよな」的な感覚があるだけで、やはり現実とは違うという意味での「遠さ」と感じる。

未知の世界は、ただ単に知らないから「遠い」のであり、既知の世界は知っていても関係のなさそうなけだるさとして「遠い」のである。でもまったく嫌いじゃない。
 
ビールはひとりじゃ飲めないところだけは、どちらの時代も変わらず感じる出来事である。ビールは未だにひとりじゃ飲めやしないのだ。


2月28日(月)
 
アカデミー協会にとっては、「世間の前評判どおりの本命でやんすよ」ってところなのでしょうか。
見事にジェイミー・フォックスが主演男優賞を受賞。

先日『Ray』を観たときの「ごくごく好き勝手に星取表」で、わたしはこんなことを記していたのを思い出す。

***
『Ray』☆☆☆☆
監督・製作・脚本:テイラー・ハックフォード/出演:ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、シャロン・ウォレン、レジーナ・キング、アーンジャニュー・エリス

あのレイ・チャールズの半生を描いたもの。まあまあです。
主演のジェイミー・フォックスは最近売れっ子の俳優らしいのですが、生憎と『コラテラル』を観てないのでよくわかりません。しかし渋い演技でした。

実在の人物になるっていうのは、その役柄を「演じる」と同時に「なりきる」っていうことでもあると思う。だから、役作りはどういった感じでなされるのだろうといつも想像してしまう。大昔の偉人ならともかく、モデルが現在に近い人物であればあるほど、現実と映画の境界というものが難しいだろうなあと素人目には感じるからだ。
というのも役者が人物に入り込みすぎると、単なるモノマネでするだけで終わってしまう可能性大だし、かといって勝手な解釈で作り上げると別の人の話しになってしまいそうだからだ。

映画化であってドキュメンタリーじゃないのだから、そう神経質にならずともというふうに考えることもできるかもしれない。または、「あれは物語だ」と簡単に理解すればいいのかもしれない。けれど、それでも本物であって映画であり、映画であって本物であるといったぎりぎりのところを演じているのがいい。役者はどういう感触で映画を受けとめるものなのだろうなあと、まあそんなことを思うわけです。

こういうのは見る側にとっても、なかなか細やかな神経が必要だなあ。
だって、どこまでが本当でどこまでが作り話しなのかの見極めにちょくちょく普段とは違う神経を使って見ることがあるのはややこしいこった、と思うからでやんす。

ところで映画では、レイがヘロイン中毒となった原因を彼の幼い頃の無意識へと責任を転じて解釈しているようにみえた。このような非常にわかりやすい解釈に「へえー、幼い頃にうまく片付かない精神的問題があれば、ヤクチュウもありなんかよ~」なんて皮肉なことを感じる。すみません。ひねくれてて。ああ、ジョージア。
 
話は飛びますが、クインシー・ジョーンズとはまさに運命的な出会いですね。
 
それにしても、どうもこのところのハリウッドでは、誰かの生き様を映画化するのが流行のようですねえー。この前の『ネバーランド』然り。
そのうちにもまた作曲家でしたっけ?そういうのがまたひとつ公開されますよね。(『ビヨンド・ザ・シー』です、ケビン・スペーシーの)。
あとピーター・セラーズなんかも。はい、あのピンクパンサー。
ディカプリオくん主演の『アビエーター』もたしかそうですよねえ。
さてはて、これらはいったいハリウッドの何の抑圧でしょうか。
あるいは単なる偶然でしょうか。何らかの無意識のように思えてなりません。
いつからか、無意識を読み取る癖がいつからかついてしまっています。好きだからね、無意識。
***

ついでに『ネバーランド』にも、ほんのひとこと書いていた。

***
『ネバーランド』☆☆☆
監督:マーク・フォースター/原作:アラン・ニー/出演:ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット、フレディ・ハイモア、ジュリー・クリスティ、ダスティン・ホフマン

渡辺正行がジョン・トラボルタに見えるとき、モト冬樹をニコラス・ケイジとカン違いしてしまうことがある。同様な流れで、「親字廃字」ならぬ「トラジハイジ」な堂本剛の表情を瞬間的にジョニー・デップと錯覚することが、世の中にはたまにある。今回は久々真面目な顔をしたジョニー・デップだったので、堂本錯覚は起こらなかった。これはまず何よりもの救いである。

映画は、『ピーター・パン』の作者ジェームズ・バリの『ピーター・パン』ができるまでを示したもの。

あんなふうにいくつになっても夢のある人物っていいなあと思わせられる。
しかし劇作家っていうのもまた難しい職業である。いまでいうなら脚本家か。
観客動員のことも話しの流れも観る対象もモデルもテーマもすべてひとりで考えて、演出もしなければならないのだから。知的な作業だ。そして想像力だ、よねえ、やっぱり。

見ながらに、うっかりピーター・パンに入り込んでしまった。
おおおう。最近、空飛んでねーよなあ。

共演のケイト・ウィンスレットもがんばってますよねえ、とすこし応援できたのはよかった。けれど、眠かったのか、未だにダスティン・ホフマンがどこにいたのかわかりません。
***

純愛物語ですかね?これもひとことあった。

***
『きみに読む物語』☆☆☆
監督:ニック・カサベテス/原作:ニコラス・スパークス/出演:ライアン・ゴズリング、  レイチェル・マクアダムス、ジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー

純愛物語は『冬ソナ』だけかと思ってました。今年はアメリカ発のこんなのが上陸。
『きみに読む物語』。
・・・ええ、その邦題だけで軽くひいてしまいます。・・・サ、サムい。
じゃあ、何で観たんですか?
えと、ほかのが観たかったんですが、満席だったのでこれにしたんです。

純愛物語は必ず「こんなん現実にはありえねー」という偶然的状況と必然的状況と、うっとりしながら「ああ、いいわねえ」という思わせる場面を辺り一面に撒き散らす。
その意味では、映画らしい映画であり、物語らしい物語といえるだろう。
言い換えると、映画だからありえることであり、物語だから言えることだよね、ということである。
映画は映画、現実は現実。
たとえ両者が互いに補い合う存在であったとしても、だ。
 
とはいっても『きみに読む物語』は、さほどあと味は悪くなく、最後まで観ると「なるほどそういうことだったのか」と解釈できることになっている。
 
わかっていても心はどこかで切なくなって、きゅんとしてしまうことも忘れない。きゅん、きゅんっ。
それだけに日本のキャンペーンキャラクターにはケミストリーを使わないほうがよかったなあと強く思わせる一作だ。
***

ところで、いま一番見たいのは『オペラ座の怪人』、それから『トニー滝谷』。

2005年3月20日

春は別れの季節です

3月19日(土)

「泣く」というのは、人間にだけ許された動作なんだろう。
 
夕方の柔らかな日差しを浴びながら歩いた人気のないその大学は、まぶしく心に焼きついた。そんなふうに感じたことなんて、一度もないのに、懐かしい何かを思い出させた。
懐かしすぎたのか、思い出が美しすぎたのか、涙が溢れてきそうになった。
だから、無理矢理ぼんやりした。
ぼんやりして、いろんなことを忘れ、いろんなことを思い出した。

簡単なことばを使えば、春は出会いと別れの季節らしい。
涙をすんなり流すことができれば、ひとは、ひとしく美しくいられることがあるのかもしれない。そして、ひとしく穏やかになれるのかもしれない。
でも、その方法を持たない人間は、どうやって美しく穏やかにいるのだろう。


3月18日(金)

「探すのをやめたとき見つかることもよくある話で」、先日、ついにどこへ行ってしまったのか行方がわからなくなった自転車は、一昨日、違うかたちで手元に届いた。
別に鍵が壊されていたとか、タイヤがなくなって戻ってきたとかそういうのじゃない。別の自転車になってやってきたのである。
行方知れずになったあと、自転車はどこへ行ったのかなあ、欲しいなあ、どうしたらいいかなあ、と切実になっていると、ふと、やってきたのである。
世の中、そういう出会いもあるんだろう。
念じれば叶うのである。

「探すのをやめたとき見つかることもよくある話で」、どっかへやったことなんて、これまで一度もなかった大学のロッカーの鍵を失くした。
その日来ていた服、コート、ズボンのポケットから使っていた鞄、歩いた学内の道までも、くまなく探したが見つからなかった。
座った部屋の椅子も机の近くも、翌日になってからも、どこもかしこも探したけれど見つからなかった。
運良く予備の鍵があったので、それを借りてロッカーの中身を取り出すことはできたけれど、まるでいい心地がしなかった。

でも、なぜか慌てることがなかった。
「なんとかなるさ」と思ってしまったのである。
とりたてて理由なんかない。なんだかそんな気がしたのだ。
それでもとりあえず、家の掃除をしてみた。けれど、鍵は見つからなかった。
それがふとした拍子で出てきたのは、ロッカーの中身を取り出して、鍵のことをもう忘れていた頃である。
急に、ちゃりんと音がして、家の床の誰が見ても床だとわかる場所から出てきた。
いったいどうしたことだろう。
こんどは特に念じてはなかったが、失くしたことは心地がよくなかった。その意味では、見つかって欲しかった。でも、誰が見たって床だとわかる場所から出てきたのは奇妙だ。
ほんとうにいったいどうしたことだろう。

わかるのは、探すのをやめるとモノはいろいろ見つかるもんらしい。
でも、踊ってないよ。
井上陽水は踊ったんだろうか。


3月17日(木)

式の翌日は大雨と相場が決まっている。
はじまりはいつも雨。


3月16日(水)

卒業式。
ことしも懲りずに卒業式に出かける。
毎度飽きずに出かけてしまうとは、もしかしたらこれは、ひとつの習癖となっているのかもしれない。
この時期特有の憂いを覚えながら、「卒業式」という響きの中のどこかに身を置くのが好きなのかもしれない。
「入学式」には、これほどまでにきちんと出かけた記憶はないから。
しかし先輩を送り出したり、後輩を見送ったり、同期を見送ったり、自身が卒業したりなんかで、卒業式に出かけるのも何度目か。
何度目になるのだろうかと思うと、それだけでもちょっと感慨深い。

式後には茶話会。
茶話会は、天気が悪かったり、そうでなくても風が強かったりすると、会場となる中庭から体育館へと移動して催されるのだが、快晴に恵まれた今日は、にこやかに表に出て立食。
きょうは、わたしにとっても区切りの日なので、それだけでもちょっと感慨深い。

いつもと同じ道を歩いて山を登り、部屋に入るにしても、身体が震え、汗をかき、真っ直ぐには歩けなかったのだ。というのは大ウソな話しだが、少々寒かった。

ちゃんと真っ直ぐ歩いたけれど、あまり食べられなかった。
中庭のテーブルにあったものを、だ。
それは、ただ単に運が悪かったのだろう。
よく食べる集団と同じ場所を共有してしまっただけのことである。

茶話会では、合間を見つけて、にこやかに挨拶にまわり、写真撮影にかかる。
残念ながら、「八方美人」にはなり切れず、本日は「四方美人」手前くらい。
嗚呼いつの日か、にこやかに振舞える「八方美人」と呼ばれたし。
そう思わせられる大人になりたいと誓う。


3月15日(火)

極端に内向きなことばを綴るというのには、いくつかの理由がある。

1. 何かある。
2. 何もない。
3. 何かあるけれど、書いている時間がない。
4. 何もないけれど、書くこと見つけるために頭を捻っている時間がない。
5. 書きたいことがありすぎて、うまくまとまらない。
6. 書きたいことがなさすぎて、白くなるのがいや。
7. 単に疲れている。
8. 怒り狂っている。
9. その日の出来事をまったく覚えていない。
10. 書く気力がない。
11. 書きながら疲れて削除。
12. 書いたのに誤って削除。その後、意気消沈。
13. 放心状態。
14. 旅行中。
15. 急ぎの仕事がある。
16. 睡眠不足。
17. 体調不良。
18. 食べ過ぎで消化不良。
19. 極端な空腹。
20. パソコンの不調。
21. 反省中。
22. 暴力的。
23. 考えすぎ。
24. そのときの気分。
25. 1日は24時間しかないとき。


3月14日(月)

ガクトはガックン。ひざカックン。
学徒も学都で膝ガックン。


3月13日(日)

王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳
王様の耳はロバの耳


3月12日(土)

「アビエイター」と「鯛海老庵」


3月11日(金)

夜は送迎会でフレンチっぽい中華料理。


3月10日(木)

木曜の朝の光はいちだんと早く射しこみ、鋭いほどにまぶしい。
淹れられたコーヒーの香りは部屋中に漂い、かろやかに猫が舞い降りる。
アスファルトの上を響かせるヒールの音は、いつしか先を急ぐ風景のなかに溶け込む。
詰め寄る乗車口に並ぶ姿の横顔がつくるのは週末を待ち望む人の姿。
そこには僅かに険しい表情が紛れ込む。

2005年3月29日

江ノ島が見えてきた

3月25日(金)

数日に渡る旅を終え、帰神。
行きと同じく、新幹線に飛び乗り、昼食をとる。
関が原は今日も雨。そこだけが曇り、あとは晴れていた。あのような場所で合戦をしていたその昔がある。狭い日本といえども、どうしてあの場所を選んだのか。
それにしても絶好のお天気。
晴れ渡る空のもとにあらわれる富士山を眺め、それ以外はすこしの読書といくらかのお話。
充実した数日間のおかげで、身体も随分とよくなり、明日からの合宿も、ハイパー元気に過ごせそうである。


3月24日(木)
快晴。
素晴らしい天気である。
絶好の大仏日和である。
最近、長谷の大仏が呼んでいるので、ちょっくら会いに行ってきたのである。
江ノ電にゆられて海を見ながら。

高徳院の中央に位置する大仏くんは、思ったよりも圧倒される何かがあって、最初にががーんと衝撃を受けた。
屋根もカバーも何もないところに、ただただ座っている。
座禅を組むようなかたちで鎮座するのは、地面よりもすこし高くなっただけの台のうえである。とくに高圧的な印象を与えるものではない。
それでも、ぐぐぐっと胸に響くモノがあり、観た瞬間、また涙が出てきた。
大仏の中に入ることもできたので当然なかをのぞくと、これまたわたしと大仏だけになる瞬間があった。うるうるしてきた。

大仏の周りには世界中からの観光客であふれている。
わき目もふらずに泣けたらどんなに楽だろうか。なーんて思ううち、与謝野晶子の歌碑を観た。

    かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな

鎌倉の大仏は男前と言われているらしい。歌では「釈迦牟尼」だが、ほんとうは阿弥陀如来ということだ。

その後は、長谷寺に行き、梅の香りに心を震わせ、小高い丘の上から湘南の海や神奈川の街を眺望し、観音像を拝む。
 
また江ノ電に揺られて、こどものように海を眺める。
「江ノ島が見えてきた」のは、それから数十分のちのこと。
あれは134号線からのことだったのである。なるほど。
暖かい日差しのせいか、早くも海に出ているひとがいる。
ああ、海はいいなあ。

ところで、話には聞いていたが、江ノ電が走るすぐ横は民家である。壁一枚もしくは何もないところをするすると走り抜ける。ほんとうにぎりぎりのところを走っているので、誰かの家の庭を走っている気分なるし、うっかりすると家の様子まで見えてきそうだ。

江ノ島駅に着き、江ノ島弁天橋を渡って江島神社へ。
辺津宮、中津宮、奥津宮の三宮を総称して江島神社と呼ばれる。
すべてをお参りし、江ノ島最奥部にある岩屋の洞窟を歩く。弘法大師や日蓮上人も修業したとされる。
さっきの長谷寺でも弘法大師をかたどった像が置かれていた。どうも今回は縁がある。

参拝のあとは、鎌倉から新宿へ。新宿の朝日カルチャーセンターへ。
あの「源ちゃん」と内田先生の文学についてのトークショーがあるのである。
「死のロード」最終章の内田先生はお疲れの様子ではあったが、「源ちゃん」とのトークは、とてもおもしろかった。なかでも「橋本治」の謎は、とても小刻みよく響いた。何事も七部の理と三部の謎である。

トークのあとの打ち上げは、「アシュラム・ノヴァ25周年記念パーティ」に潜らせていただき、ぱくぱく食べて、わははと笑う。二次会も潜らせていただく。(池上先生、三宅先生、ありがとうございました)。

しかしきょうは歩きすぎたので、少々足が疲れたのだ。
どうして東京は、こんなにコンクリートが多いのかねえ。
まめができて水ぶくれができちまったよ。
ねえ、ジョン、これ、どう思う?


3月23日(水)
朝から新幹線に飛び乗る。
朝からの雨は、移動してもやっぱり雨。
西から東に行くのだから雨とともに移動というところか。
車中、「これから娘のうちに行くんです」と言った京都から乗ってきたおばさんと隣り合わせになる。それとなく話すうち、大宮まではどうやっていいのかと尋ねられた。
「それはですね、埼京線というのに乗って・・・」と、とってつけたような情報でおばさんを安心させる。納得したおばさんは、さらに「土呂というところにいきたいんですけども・・・」と言われ、これまた適当に「そのまま各停か何かに乗り換えるといいですよ」と応えておいた。おそらく辿り着けたことだろう。

東京に着くと、ひとまず有楽町から銀座へ。
雨のなかをぶらぶらと歩き、PIERRE MARCOLINIにて、とてもきれいな紅白のアイスクリームをいただく。うまい。
甘いものにさほど「高い関心」を寄せることなのないわたしであるが、これは素晴らしかった。やはり有名店にはそれだけの顔と言うものがある。
日本名「赤と白のデュエット」。
まるく形どられた赤と白のアイスが交互に並べられ全部で四つあり、アイスとアイスの間には、薄く固められたチョコレートが立てられる。とくに赤の色が印象的だった。チョコレートはビターな頃。思い出すのは、スタンダールかはてまた紅白饅頭である。

それからすこし銀ぶらして、池袋へ移動。
本願寺出版社のFさんと合流し、ジュンク堂へ。
早くも釈先生が到着されている。続いて内田先生も幕張からお着きになる。

時間になって始まったのは、『インターネット持仏堂』の出版記念トークショー。
両先生方のお話はこれまたおもしろい。1時間半のトークののち、近くの居酒屋でどどーんと打ち上げ。(もちろん参加させていただく)。

雨の池袋は深深と更け、話しも同じように、いつまでもやまらないのである。


ところで、肝心の本ですが、これはほんとにおもしろい。
ええ、贔屓目に言っているのではなく、ほんとにおもしろいのです。
おもしろいとしか言いようがない。それ以外の感想は持ちにくいのです。
何度読んでも、どこを読んでも。
WEBで掲載されていたときとは、また違った感触があります。
ちゃんと説法があり、きちんと仏教がある。
難しいことを言おうとしているのに、語り口が難しくないから不思議。
読みやすさの秘密はそれだけではなく、新書だし持ち運びも便利というところ。
ポイントは、「2冊読み、はじめてわかるおもしろさ」である。
表紙も山本画伯の美しい装丁で、春を思わせる涼しげな様子である。
アマゾンやbk1で買えば送料無料。
え?何でこんなことを言うかって?
だって、2冊いっぺんに手元にないと困りますよ。きっと。


3月22日(火)
雨の日のくぎ煮。


3月21日(月)

振替休日の振替稽古。
それは、さっくりと、静かに、それでいて熱く、とてもよきものでありました。


3月20日(日)春分の日

ふと明日はお休みなのだと気づいた。
なぜお休みなのかしらと思った。そしたら、今日という日の振替休日だったんだと知った。気がつかなければ、たぶん普通に学校に行っていただろう。最近は振替休日が珍しく感じる。

2005年3月30日

邪王来臨

3月29日(火)

 あんまり大きな声では言えないけれど、合宿から戻ってからのうっきーてのは、そ りゃもうばたばたしてますよ。

 あちこちに書類出したり、取りに行ったり、部屋を片付けたり、掃除したり、洗濯し たり、愛想振りまいたり。

 加えて、どうもあのひとは、年度末になると発作的に掃除がしたくなる体質みたい  なんですよね。きのうなんかゴミ袋三つくらい捨ててましたよ。本質的に捨てるのが すきなのかなあなんて、ジョンは思います。

 あんまり忙しそうな様子なので気の毒になってきたて、ジョンも手伝うよって言った んですが、「ジョンはイヌだからいい」って言われました。

 おかしな理由だなあ。

 ジョンがネコならよかったのかしら?
 いとこのジャンは、ネコなんですけどね。


3月26日(土)~3月28日(月)神戸女学院大学合気道部春合宿@名色高原ホテル

まだ白い雪がはっきりと残る神鍋での合宿は、快晴の初日から始まる。
合宿はいつも何もない場所に道場を作るところから始まる。何もない体育館に畳を敷いて、道場を作るのである。むむむ。


 ジョンです。
 こんにちは。こんにちは。
 長い旅から戻ってまいりました。
 飼い主のうっきーに聞いた話ですが、最近の合気道では、コヒーレンスが流行って るそうですね。
 それも合言葉は「シリウスを見よ」なんだそうですね。なかなかいい感じです。
 これを「(ねえ、迷ったら)ポラリスを見て」に変えたら何人の人が反応するのかなあ なんて思います。
 詩的というよりメディア的なので、よくないかな。変なイメージが着いちゃって。
 ポラリスって動かないから、ほら、どこにいたって使えますよ、たぶん。って、イヌの ジョンが言うことでもないか。ジョンのくせに。


充分な準備体操と呼吸を行い、午後の稽古が始まる。
身体の錬り合わせ、今回はとくにコヒーレンスというものを念頭において稽古がなされた。
夕方は合気杖、夕食後は、審査前の夜稽古と続いていく。
いささか満足げなスケジュールである。
 

 ジョンです。
 こんにちは。こんにちは。
 なんかね、この日の夜、うっきーは、すごい喜んでました。
 夜稽古ができるって、願ったり叶ったりだって、言ってました。
 メインとなる人々は、ほとんど出てたから、それも喜んでましたよ。
 ああいう機嫌のいいうっきーは、いいですね。


二日目は朝稽古、午前の稽古、午後の稽古、審査の順番となる。
わたしが主将の時に入ってきた一年生も二年生になり、本日より、晴れてブラックベルツの仲間入りである。なにやら感慨深いものがある。
夜は恒例の打ち上げ宴会および新幹部発表。
昇段級審査に合格したひとたちは、それぞれに安堵の様子。おめでとうございます。


 ジョンです。
 こんにちは。こんにちは。
 ええ、審査もじつは陰からこっそり見てたんです。
 うっきーには、行くとも来るとも言ってないんですけど、道場の隅で静かにじっと見  てました。すごくしまりがあってよかったです。素人イヌながらも感じました。
 とくに初段の二回生はうまいですねえって思いました。あれで二年目なんですか? すごいですね。感動。どうやったら、あんなふうにできるんでしょう???
 あと、弐段の審査は、きゅっとしまりがあってまっすぐでよかったです。
 ジョンも合気道、やってみたいな。
 わんわん合気道。


三日目は朝稽古、午前稽古に続き、道場の片付け。
去り行く体育館はどこかさびしく切なく、元の通りに戻っていった。

すべてが終わり、荷物をまとめる頃には、いつもとは違う疲れを感じていた。
いつもと同じ疲れではない疲れ。それは初めて感じる疲れであり、なにか落ち着きのないどころのない疲れであった。疲れている感覚が遠かった。身体はもちろん頭で感じる疲れがあった。
とにかくこうして、春の日差しに包まれた春合宿が幕を閉じる。

 ジョンです。
 こんにちは。こんにちは。
 うっきーは、合宿、楽しかったみたいですね。
 なんかハイパー元気な様子でした。
 また太くなったのかな。丸っこくなったのかなあ。
 そういう意味でもちょっと様子が違ってましたし。
 でも、たぶん、そのせいで、近所のポチにまで、いぢめられてました。うっきー、か  わいそう。
 「ポチ」っていうのは、ジョンの近所に住んでるみたいなんですが、会うと、ときどき ジョンをいぢめるんです。
 ジョンはいつもポチにいぢめられて泣いています。しくしく。
 でも、ジョンもうっきーに似て、結構悪いやつみたいなんです。
 どっちもどっちなのかもしれません。
 でもでも。ううう。

 あ、また春がやってきましたね。どこかに遊びに言ってこようっと。わんわん。

*今回頂いた段*
日頃のあまりに自然な研鑽を認められ、「邪王」を允可される。(邪道9.6段より昇段)。
次なるは「邪帝」および「邪聖」であるらしい。しかしがんばるものではなく、がんばってどうなるものではなく、気づいたらそこにあるものなので、静かに実が熟すのを待ちたい。
(と言っているうちにも、もらってしまうものかもしれない。また次の何かを頂いているのかもしれない。ただひとつ言えるのは、それを喜んでいるというのはわたしだけというこの性格の悪さである。はてさて、この志向。いったいどこから何を招いているのやら)。

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