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ウッキーの春休み

3月9日(水)
さんきゅー。

3月8日(火)鞍馬天狗に会いにゆこう。
 
旅先での遅寝ほど愉快なものはない。旅先での遅起きもまた。
 
いつもより遅めの午前8時くらいには眼を覚ますつもりが、夕べが遅かったのと、かなり睡眠不足だったのとで、思いっきり寝坊する。起きたのは・・・すでに9時半も回った頃。
しかし慌てない慌てない。チェックアウトなんと12時なのである。がはは。
というわけで、非常にだらだらした人間には、だらだらした時間をそのまま提供してくれる場所なのである。ここは。旅はこうでなくっちゃいけない。

だらりと起きて、仕度し、気をよくして朝食を食べる。
よく眠るとおなかが減るのか、ビュッフェ形式の洋食と和食の両方をもりもり食べてしまった。
洋食と和食を両方並べられるとなると、両方食べてしまうのが人間の常である。
あるいは幼い頃からの癖なのか。
しかしまあ、プレートには、残さないように適量を取ってくるので、さして問題はないであろう。

チェックアウトを済ませて、一路、叡山電鉄岩倉駅へ。
早くも春の陽気を感じさせる街並みをすこし歩いて駅に到着。

叡山電鉄に乗り、岩倉駅から鞍馬駅へと15分ほどの移動。目指すは鞍馬寺である。

鞍馬駅に着くなり、天狗の顔が歓迎してくれる。
「鞍馬天狗に会えるかな」というのが今回のひそかな思いであったので、記念碑のまえでポーズ。

鞍馬寺の入口の仁王門をくぐり、山へと入っていくと、すぐさま山門が見えてくる。

ケーブルのりばへの指示がしてあるので、それに乗れば鞍馬山の山頂まで行けるのかと思いきや、ケーブルはたったの数百メートルしか続いていない。
しかもケーブルのりばの入口には、ご親切にも「おすすめ」看板が立てられている。

おすすめ 
山頂本殿まで木立のなかの九十九折参道は約一キロメートルです。
途中、重要文化財の由岐神社拝殿や、義経公供養塔など諸堂めぐりもできます。
むかし、清少納言や牛若丸も歩いた道です。
健康のためにも、できるだけお歩き下さい。
鞍 馬 寺


「清少納言や牛若丸」にかこつけて歩かせようというのが気に入った。
もちろん最初から乗る気などなかったが、なかなかおもしろい言い草である。
しかしよく見ると、動く気配などまったくなく、まるでやる気のないケーブルである。
「おすすめ」看板は、客寄せならぬ客払いである。

それ以外にも鞍馬寺は歩く先からいろいろと指示がしてある。
「ここは禁煙です」、「ごみを持ち帰りましょう」、「弁当の折箱を捨てないようにしましょう」などの一般的な注意書きはもちろん、「あとすこしで本殿です」とか「もうすぐ行くと○△があります」などというような但し書きがあり、参拝者の意識を大きく促してくれる。
このように記されるのは、霊魂を込められたお寺であるからというのがどうやら最大の理由のようなのだが、それもまた気に入った。
いちいち笑いながら歩いていく。
しかも何も飲まず食わずで延々ともくもくと歩き続ける。

山門からケーブルの入口を素通りしてから今度は鬼一法眼社で参拝。
牛若丸に兵法を授けたともされる鬼一法眼が奉られている。
「武道上達を祈願するとよい」ともあったので、勧められるまま念入りにお参りする。(あとから聞いた話では、かの公営放送では美輪明宏がこの役柄をしているそうだが見ていないのでよく知らない)。

その後は、由岐神社でおみくじを引き、がんがん歩いて登っていく。
義経供養塔、川上地蔵尊まできて、四脚門をくぐり、本殿金剛に到着。なんと見晴らしのよい景色である。
木の根道をぐいぐい歩き、こんなところで修業したならば確実に身体がよくなるだろうなあと思う。(生憎と下駄はもって来てなかったが)。
大杉権現社、牛若丸息つぎの水と来た。
ああ、『鞍馬天狗』の場所である。
出てこないだろうかと眼をとじ、耳を静かに澄ましてみたけれど、一向に姿は現れず。

義経公背比石、義経堂と見て周り、僧正ヶ谷不動堂に着いた。
天狗に会えるかなあと、それからもまだ続く木の根道で思う。

奥の院魔王殿を見て、ようやく鞍馬寺西門に来たのは、仁王門を入ったときから3時間後である。まさに、ひと山越えたわけである。

貴船神社本宮、結社と移動し、さらに引き返して、貴船川沿いに2キロメートルほど続く貴船街道を歩いて、ようやく叡山電鉄貴船口駅に到着。

山を越えて谷を越え、歩きとおしで辿り着いた駅はとても暖かく思えた。

つくづく三条や四条というのが街の中心地だったと感じる。
ああ、鞍馬は山なのである。それでも好きだが。
甘味処でくずきりを食べる。美味なり。

その後もまだ歩く。よくよく歩く。旅はこうでなくっちゃ。
明日はおそらく膝が痛いだろうな。

3月7日(月)

夕方まで仕事をし、定刻過ぎにはなんとか無事に山を下りる。
途中忘れ物をしていたことを思い出し、一度うちに戻ってから、大学の最寄駅へと向かう。
 
とらべるはにーM氏と待ち合わせて、共に阪急電車、京都市営地下鉄と乗り継ぎ、京都府は左京区へ。

数時間後、本日の宿である京都の宝ヶ池あたりのホテルに到着。
まるい造りがとても興味深い建物である。
 
まずは夕食。
夜の中庭を眺めながら、たらりといただていくうち、さらに夜は更けてゆく。

明日も早いのだし、早く休めばいいものを、だらだらといつまでも話しこんだり、「今回もまた旅先で竹内結子を見るね」と言ったりしているうち、時刻は日付を変えている。


3月6日(日)

眠りに着いたのは昨日ではなく、明らかに今日だった。
いえまったくもって寝付けなかったわけではない。よく眠れたくらいである。
枕がどうとか場所がナンだとかそんなふうでもない。繊細なわけではないのである。

ただ単に喋り捲っていただけのことである。
そういうものである。
この世代が集まれば、夜も昼もないのである。
だって、布団に入ってもしつこくまだしゃべってるんだもん。
共有する場所の密度が高くなると決まって出てくる駄洒落も飛び出す。
そして誰からともなく(ほほ、誰だかわかってますが)院歌まで歌いだす始末。

幸せなほどに昼近くにのろのろと起きだして、おうちの近くを散歩。
「昼の大阪」というまたしても未知の体験である。
 
そして入ったベトナム料理のお店。
チキンカレーのスパーシーな食感がほどよく脳を刺激する。
ほんとに昨日からよく食べてばかりいる。贅沢な話しだ。しかしうまい。

食後は近くの公園のベンチに座って、噴水をぼんやりと眺める。
イヌの散歩やや日向ぼっこをしている人たち、駆け回るこどもの姿で賑わう公園は、いかにも休日の午後らしい。ああ、こんな風景は何年ぶりに見ただろうか。

ゆっくり空の青さを見つめていると、まどろみそうになる。
次第にどこにいるのかわからなくなってくる。

たのしいときほど、その身がある場所がわからなくなってくるものだ。


3月5日(土)

合気道の稽古に行く。
天気がよい。しかし案山子ではないので、蓑傘をつけることもない。


合気道の稽古を終えた後は、荷物を取り替え、大阪へ。
きょうは念願のK家訪問日なのである。
以前にも一度計画していただいていたが、風邪のため、延期してもらっていた。念願かなって、きょうという日に実現したのである。

Oーちゃんに連れてもらって、夕刻には最寄駅到着。
歩く道のりは知らない場所と時間の連続。
いつも知っている場所よりもほんのすこし離れただけの距離なのに、なんだか不思議な気分である。

ご自宅に着き、まずは母上様にご挨拶。
そうするや否や母上様の手料理を「いただきます」。

めにうは、メインのお鍋に、甘エビとアボガドの和え物、鰹のタタキ、サトイモの煮物、おひたし、牛肉の春巻き、お漬物、いちご、ケーキ、おにぎり。
しかもこれらは、半端な料じゃないからすごい!

もちろん乾杯のビールも忘れない。
そのあとのアルコールもしっかりしっかり。
話は途切れることなく愉快に続き、料理は間断なくおいしく並べられていく。

食べるのがこの上なき身にとっては、幸せなことである。
とにかく、おいしく、ぱくぱくと食べるに専念する。
ああ、おいしい。ああ、うまい。つくってくださったお母様に深く感謝。
ありがとうございます。

ひと心地ついた頃、Kー到着。
こうなると俄然話しは弾むわけで。
話題は「このくらいの年齢」が集ったのだから言わずもがな。

さらには海外組のBーも音声登場。
海を越え、時を越えて、世界につながるK家である。


3月4日(金)
サンシジュウニ。


3月3日(木)

「うきの手」というのがある。
「右記の手」でもなければ「浮の手」でもない。「憂きの手」でもない。

何年か前、初めて甲野先生が神戸女学院におみえになられた。
講習会では、参加した合気道部のために、術理の説明してくださった。たしか二教の裏のときの手の使い方を如何にして応用するか、といったような話だったように思う。

初めて「武術家」という方を目の前にし、興奮冷めやらぬ状況だったが、手の使い方をご説明いただいていたときのことだとはなんとか覚えている。

何も知らないわたしは、頭に大きな「?」をぽかんと浮かべながらも、ふいに「そういうふうに使う手は、なんていうのですか?」と先生に尋ねた。

すると甲野先生は、「いえ、べつに名前なんてないですよ。いま急に思いついたから」と言われた。「かたちはこんな感じですねえ」と何度も形を示してくださった。

そのうち、「これは『うきの手』とでも呼ぶことにしましょうか」と応えてくださった。(アホなわたしは、飛び上がらんばかりにうれしかったのは言うまでもない)。

以後その手を積極的に使う機会のないまま今日に至っているのだが、きょうの内田先生の手は、あのときの甲野先生がされた「うきの手」に見えて仕方なかった。
すんげー。内田先生。


3月2日(水)

写真写りだけは、わりといいはずなのに、それは単なる思い込みに過ぎず、最近はぼんやりとしていて、よく写ったものを見たためしがない。

ある意味、真実を写してくれる写真を見るたび、実物よりもさらに悪くなる自分を省みる。
極端に落胆するものの、3歩歩けばコケコッコーと忘れてしまう。
とはいえ、三白眼はマンガの世界だけの出来事じゃないのであるよ。いや冗談抜きで。
証明写真を撮るたび毎度の悩みである。


3月1日(火)
 
3月になった。きのうまでの先月は2月である。平和なことに。
3月になったからといって別段変わったことはない。
カレンダーをめくってもそうだ。
文字の色を除けば、2月とさほど変わらない配列で慎ましく日々が並んでいる。それはとても平和なことに。

「泣きたいと思う時にはきまって涙が出てこない。そういうものだ。」というのは、とてもいいフレーズだ。
先日突発的に読んだ『風の歌を聴け』の「僕」のことばである。

その「僕」の様子を追っていたら、ページがやけに白いということに気づいた。
それ以外には、すごくビールを飲みたくなって、音楽が聴きたくなって、海が見たくなった。すごく誰かに会いたくなった。

初めて読んだ高校生の頃にはこんな印象はどこにもなかった。
同じものなのに随分違った感触があるものだ。なにもかも違っていたから。

最初に読んだときは、ただただ物語の世界の出来事を知らない遠い世界のことだと捉えていた。
最近のいまもまた、同じように遠い世界の出来事だと感じることには変わりない。だが、ことばは同じ「遠い世界の出来事」でも「遠い」の感触がどことなく違う。実際のところ。

前者のときは明らかに未知の世界の出来事への「遠さ」を感じた。
後者のときはすこし既知の世界の出来事として感じるようにはなったものの、「そういう体験をしそうだ」とか「そういうことってあるよな」的な感覚があるだけで、やはり現実とは違うという意味での「遠さ」と感じる。

未知の世界は、ただ単に知らないから「遠い」のであり、既知の世界は知っていても関係のなさそうなけだるさとして「遠い」のである。でもまったく嫌いじゃない。
 
ビールはひとりじゃ飲めないところだけは、どちらの時代も変わらず感じる出来事である。ビールは未だにひとりじゃ飲めやしないのだ。


2月28日(月)
 
アカデミー協会にとっては、「世間の前評判どおりの本命でやんすよ」ってところなのでしょうか。
見事にジェイミー・フォックスが主演男優賞を受賞。

先日『Ray』を観たときの「ごくごく好き勝手に星取表」で、わたしはこんなことを記していたのを思い出す。

***
『Ray』☆☆☆☆
監督・製作・脚本:テイラー・ハックフォード/出演:ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、シャロン・ウォレン、レジーナ・キング、アーンジャニュー・エリス

あのレイ・チャールズの半生を描いたもの。まあまあです。
主演のジェイミー・フォックスは最近売れっ子の俳優らしいのですが、生憎と『コラテラル』を観てないのでよくわかりません。しかし渋い演技でした。

実在の人物になるっていうのは、その役柄を「演じる」と同時に「なりきる」っていうことでもあると思う。だから、役作りはどういった感じでなされるのだろうといつも想像してしまう。大昔の偉人ならともかく、モデルが現在に近い人物であればあるほど、現実と映画の境界というものが難しいだろうなあと素人目には感じるからだ。
というのも役者が人物に入り込みすぎると、単なるモノマネでするだけで終わってしまう可能性大だし、かといって勝手な解釈で作り上げると別の人の話しになってしまいそうだからだ。

映画化であってドキュメンタリーじゃないのだから、そう神経質にならずともというふうに考えることもできるかもしれない。または、「あれは物語だ」と簡単に理解すればいいのかもしれない。けれど、それでも本物であって映画であり、映画であって本物であるといったぎりぎりのところを演じているのがいい。役者はどういう感触で映画を受けとめるものなのだろうなあと、まあそんなことを思うわけです。

こういうのは見る側にとっても、なかなか細やかな神経が必要だなあ。
だって、どこまでが本当でどこまでが作り話しなのかの見極めにちょくちょく普段とは違う神経を使って見ることがあるのはややこしいこった、と思うからでやんす。

ところで映画では、レイがヘロイン中毒となった原因を彼の幼い頃の無意識へと責任を転じて解釈しているようにみえた。このような非常にわかりやすい解釈に「へえー、幼い頃にうまく片付かない精神的問題があれば、ヤクチュウもありなんかよ~」なんて皮肉なことを感じる。すみません。ひねくれてて。ああ、ジョージア。
 
話は飛びますが、クインシー・ジョーンズとはまさに運命的な出会いですね。
 
それにしても、どうもこのところのハリウッドでは、誰かの生き様を映画化するのが流行のようですねえー。この前の『ネバーランド』然り。
そのうちにもまた作曲家でしたっけ?そういうのがまたひとつ公開されますよね。(『ビヨンド・ザ・シー』です、ケビン・スペーシーの)。
あとピーター・セラーズなんかも。はい、あのピンクパンサー。
ディカプリオくん主演の『アビエーター』もたしかそうですよねえ。
さてはて、これらはいったいハリウッドの何の抑圧でしょうか。
あるいは単なる偶然でしょうか。何らかの無意識のように思えてなりません。
いつからか、無意識を読み取る癖がいつからかついてしまっています。好きだからね、無意識。
***

ついでに『ネバーランド』にも、ほんのひとこと書いていた。

***
『ネバーランド』☆☆☆
監督:マーク・フォースター/原作:アラン・ニー/出演:ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット、フレディ・ハイモア、ジュリー・クリスティ、ダスティン・ホフマン

渡辺正行がジョン・トラボルタに見えるとき、モト冬樹をニコラス・ケイジとカン違いしてしまうことがある。同様な流れで、「親字廃字」ならぬ「トラジハイジ」な堂本剛の表情を瞬間的にジョニー・デップと錯覚することが、世の中にはたまにある。今回は久々真面目な顔をしたジョニー・デップだったので、堂本錯覚は起こらなかった。これはまず何よりもの救いである。

映画は、『ピーター・パン』の作者ジェームズ・バリの『ピーター・パン』ができるまでを示したもの。

あんなふうにいくつになっても夢のある人物っていいなあと思わせられる。
しかし劇作家っていうのもまた難しい職業である。いまでいうなら脚本家か。
観客動員のことも話しの流れも観る対象もモデルもテーマもすべてひとりで考えて、演出もしなければならないのだから。知的な作業だ。そして想像力だ、よねえ、やっぱり。

見ながらに、うっかりピーター・パンに入り込んでしまった。
おおおう。最近、空飛んでねーよなあ。

共演のケイト・ウィンスレットもがんばってますよねえ、とすこし応援できたのはよかった。けれど、眠かったのか、未だにダスティン・ホフマンがどこにいたのかわかりません。
***

純愛物語ですかね?これもひとことあった。

***
『きみに読む物語』☆☆☆
監督:ニック・カサベテス/原作:ニコラス・スパークス/出演:ライアン・ゴズリング、  レイチェル・マクアダムス、ジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー

純愛物語は『冬ソナ』だけかと思ってました。今年はアメリカ発のこんなのが上陸。
『きみに読む物語』。
・・・ええ、その邦題だけで軽くひいてしまいます。・・・サ、サムい。
じゃあ、何で観たんですか?
えと、ほかのが観たかったんですが、満席だったのでこれにしたんです。

純愛物語は必ず「こんなん現実にはありえねー」という偶然的状況と必然的状況と、うっとりしながら「ああ、いいわねえ」という思わせる場面を辺り一面に撒き散らす。
その意味では、映画らしい映画であり、物語らしい物語といえるだろう。
言い換えると、映画だからありえることであり、物語だから言えることだよね、ということである。
映画は映画、現実は現実。
たとえ両者が互いに補い合う存在であったとしても、だ。
 
とはいっても『きみに読む物語』は、さほどあと味は悪くなく、最後まで観ると「なるほどそういうことだったのか」と解釈できることになっている。
 
わかっていても心はどこかで切なくなって、きゅんとしてしまうことも忘れない。きゅん、きゅんっ。
それだけに日本のキャンペーンキャラクターにはケミストリーを使わないほうがよかったなあと強く思わせる一作だ。
***

ところで、いま一番見たいのは『オペラ座の怪人』、それから『トニー滝谷』。

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2005年3月11日 10:12に投稿されたエントリーのページです。

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