3月29日(火)
あんまり大きな声では言えないけれど、合宿から戻ってからのうっきーてのは、そ りゃもうばたばたしてますよ。
あちこちに書類出したり、取りに行ったり、部屋を片付けたり、掃除したり、洗濯し たり、愛想振りまいたり。
加えて、どうもあのひとは、年度末になると発作的に掃除がしたくなる体質みたい なんですよね。きのうなんかゴミ袋三つくらい捨ててましたよ。本質的に捨てるのが すきなのかなあなんて、ジョンは思います。
あんまり忙しそうな様子なので気の毒になってきたて、ジョンも手伝うよって言った んですが、「ジョンはイヌだからいい」って言われました。
おかしな理由だなあ。
ジョンがネコならよかったのかしら?
いとこのジャンは、ネコなんですけどね。
3月26日(土)~3月28日(月)神戸女学院大学合気道部春合宿@名色高原ホテル
まだ白い雪がはっきりと残る神鍋での合宿は、快晴の初日から始まる。
合宿はいつも何もない場所に道場を作るところから始まる。何もない体育館に畳を敷いて、道場を作るのである。むむむ。
ジョンです。
こんにちは。こんにちは。
長い旅から戻ってまいりました。
飼い主のうっきーに聞いた話ですが、最近の合気道では、コヒーレンスが流行って るそうですね。
それも合言葉は「シリウスを見よ」なんだそうですね。なかなかいい感じです。
これを「(ねえ、迷ったら)ポラリスを見て」に変えたら何人の人が反応するのかなあ なんて思います。
詩的というよりメディア的なので、よくないかな。変なイメージが着いちゃって。
ポラリスって動かないから、ほら、どこにいたって使えますよ、たぶん。って、イヌの ジョンが言うことでもないか。ジョンのくせに。
充分な準備体操と呼吸を行い、午後の稽古が始まる。
身体の錬り合わせ、今回はとくにコヒーレンスというものを念頭において稽古がなされた。
夕方は合気杖、夕食後は、審査前の夜稽古と続いていく。
いささか満足げなスケジュールである。
ジョンです。
こんにちは。こんにちは。
なんかね、この日の夜、うっきーは、すごい喜んでました。
夜稽古ができるって、願ったり叶ったりだって、言ってました。
メインとなる人々は、ほとんど出てたから、それも喜んでましたよ。
ああいう機嫌のいいうっきーは、いいですね。
二日目は朝稽古、午前の稽古、午後の稽古、審査の順番となる。
わたしが主将の時に入ってきた一年生も二年生になり、本日より、晴れてブラックベルツの仲間入りである。なにやら感慨深いものがある。
夜は恒例の打ち上げ宴会および新幹部発表。
昇段級審査に合格したひとたちは、それぞれに安堵の様子。おめでとうございます。
ジョンです。
こんにちは。こんにちは。
ええ、審査もじつは陰からこっそり見てたんです。
うっきーには、行くとも来るとも言ってないんですけど、道場の隅で静かにじっと見 てました。すごくしまりがあってよかったです。素人イヌながらも感じました。
とくに初段の二回生はうまいですねえって思いました。あれで二年目なんですか? すごいですね。感動。どうやったら、あんなふうにできるんでしょう???
あと、弐段の審査は、きゅっとしまりがあってまっすぐでよかったです。
ジョンも合気道、やってみたいな。
わんわん合気道。
三日目は朝稽古、午前稽古に続き、道場の片付け。
去り行く体育館はどこかさびしく切なく、元の通りに戻っていった。
すべてが終わり、荷物をまとめる頃には、いつもとは違う疲れを感じていた。
いつもと同じ疲れではない疲れ。それは初めて感じる疲れであり、なにか落ち着きのないどころのない疲れであった。疲れている感覚が遠かった。身体はもちろん頭で感じる疲れがあった。
とにかくこうして、春の日差しに包まれた春合宿が幕を閉じる。
ジョンです。
こんにちは。こんにちは。
うっきーは、合宿、楽しかったみたいですね。
なんかハイパー元気な様子でした。
また太くなったのかな。丸っこくなったのかなあ。
そういう意味でもちょっと様子が違ってましたし。
でも、たぶん、そのせいで、近所のポチにまで、いぢめられてました。うっきー、か わいそう。
「ポチ」っていうのは、ジョンの近所に住んでるみたいなんですが、会うと、ときどき ジョンをいぢめるんです。
ジョンはいつもポチにいぢめられて泣いています。しくしく。
でも、ジョンもうっきーに似て、結構悪いやつみたいなんです。
どっちもどっちなのかもしれません。
でもでも。ううう。
あ、また春がやってきましたね。どこかに遊びに言ってこようっと。わんわん。
*今回頂いた段*
日頃のあまりに自然な研鑽を認められ、「邪王」を允可される。(邪道9.6段より昇段)。
次なるは「邪帝」および「邪聖」であるらしい。しかしがんばるものではなく、がんばってどうなるものではなく、気づいたらそこにあるものなので、静かに実が熟すのを待ちたい。
(と言っているうちにも、もらってしまうものかもしれない。また次の何かを頂いているのかもしれない。ただひとつ言えるのは、それを喜んでいるというのはわたしだけというこの性格の悪さである。はてさて、この志向。いったいどこから何を招いているのやら)。