2月22日(火)
朝から頼まれた仕事終えてひと段落すると、時計の針はとっくに昼を過ぎていた。
仕事自体はさほど難しいものではなく、にこやかに笑って横歩きさえできればなんてことのないものだった。取り立てて書くほどのこともない。
院生Tさんが呼びに来てくれたことでようやく時間に気がついた。
てくてくと歩いてシンポジウムに出かける。『良妻賢母を乗り越えて』という題目のシンポジウムである。
その恩恵はさまざまなかたちで受けているとはいえ、フェミニストでもなく女性学を研究しているわけでもない身なので、今回のものに特別深い思い入れや興味関心があるわけでもなかった。だが、そうではあっても幸運にも考えなければならない身であった。だからここに参加した。
しかしまあ、そういう状況下になくても、おそらく見に行っただろう。
そしてそれなりに謎が解けて帰ってきたのだろう。実際そうだったのだから、よかったのである。そのことはあとから書きたい。
きょうは、会場になったところがおそろしく寒い部屋だったことだけを記しておこう。
建物が日の当たりにくい場所に位置しているせいもあるかもしれないが、それを差し引いて考えてもシンポジウムはかなり冷え込んだ薄ら寒い場所で開催された。
普段から、わたしは、そうそうのことでガタガタ言うほう方ではまったくない。だが、今日の部屋の温度と来たら、ガタガタ言う言わないの度合いではなかった。その冷え込みは、ひどく何かをせき止めてしまう雰囲気すら感じたからだ。
使ってない部屋の寒さと、もともとの暖まりにくい環境と、温調設備がいまいちの場所だったことなどのいくらかの要因が不幸にも重なる。昼間だというのに、誰もが震えていたのである。寒がっていたのである。
話に感動して震えたのならともかく、寒さで震えるシンポジウムというのもどういうものだろう。
なぜここまで寒さに関して述べるのかといえば、寒いといくつか問題が起きるからである。
ひとつ、寒いとまっすぐな思考ができなくなる。
ひとつ、不安になり、暗くなる。
ひとつ、思考以前に身体が思考停止してしまう。
身体が停止するとすべてが鈍くなる。
するとどうなるか。
目的が目的として達成できなくなるのである。これにより、目的達成以前にそれらを行おうと志向する意識が遠のくのである。たぶん。
別に眠いというわけではない。話しがつまらないわけでもない。寒いのだ。
身体は丹念にメモを取り、耳を大きくして懸命に聞いていくのだが、そこにノリがないのである。これは個人的な問題かもしれないが。
かといって、部屋や場所が暖かすぎても脳がふかふかになる。弛緩しすぎてもまたよくないのだ。
ぼんやりしすぎて顔にしまりがなくなり、ときには思考という名の現象をうまく働かせることができなくなるのだ。思考回路がつながらなくなることがあるのだ。南の島で本が読めないのは、きっとそのせいだろうと思う。思考回路につながらないからだろう。温度が高すぎる場所に不向きな行動というのもあるものだ。哲学は南半球から発信されていないのではないかといった無知な推理は、こういったときにも成り立つ。
おそらく人間には、環境には、何がしかのことを行うために見合った温度というものが必要である。それをして適温というのだろう。
さて、肝心のシンポジウムから考えたことは、さらっと書いてしまおう。さらっと書いてさらっと出そう。ということで公開は後日紙面を改めたい。
2月21日(月)
腹具合、体調悪し。大いに眠気催して候。
2月20日(日)
下川正謡会新年会。
謡は『小袖曾我』のワキ、仕舞は『吉野天人』に出させていただく。
地謡は、諸般の事情もあって、『熊野』、『半蔀』に出させていただく。
いちにちじゅう張り詰めていた緊張と、ほどよい高揚感が一気に高まり、一気にはじける日だった。でも、とても楽しかった。どどどっと疲れたけれど。
カアサン、ゴロウハゲンキデイルヨ。
2月19日(土)
雨はいやだな、寒いから。
2月18日(金)
特筆すべき出来事もなく、無事に一日を終える頃、夕方の雨だけが、かなりの寒さを呼び込み、同時にそれはわたしに一抹の寂しさを呼び込んできた。
なぜ寂しいのかは考えたけれどよくわからなかった。
そんなことも忘れて、このままどこかに行けば楽だろうなあと思ったけれど、どこに行っても消えるものではなさそうので、それは止めた。
夕方の電車はどこかまた寂しさを呼び込む。
雨の日の夕方は、傘を持って、肩をどっぷり落として家路に着くサラリーマンの姿が切ない。でも、その寂しさともどこか違っていた。
結局、「寂しさ」の落ち着く場所すらうまく見つからなかった。
「寂しさ」の解消の仕方さえもよくわからないまま、外の雨はまだ降り続いている。