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2011年01月 アーカイブ

2011年01月02日

スーさん、2010年の総括

12月31日(金)
 
2010年も残すところ6時間あまり。本年を振り返って、恒例の3×10大ニュースを。
 
<出来事>
①俳句作り
別に何かきっかけとなることがあったわけではない。歳時記があったので、「んじゃ作ってみっか」ということだったが、所詮は怠惰な性格、何か条件をと思い「一日一句、違う季語で」と課して始めた。実際に作ってみるとハマった。
②Twitterを始めた
登録したまま放置していたTwitterを本格的に始めてみた。ハマった。ついでに、facebookも始めた。
③ケータイの買い替え
「iPhone4の白が出たら買い替えよう」と思っていたが、その白が来春まで発売されないと聞き、「ええい、もう黒でいいや!」と、今まで15年以上は使ってきたauの契約を解消してsoftbankに。
 
<グルメ>
①東京築地市場「かん乃」
初めて築地に行った。噂に違わず、生き生きとした場所だった。朝からお鮨屋さんの前に行列ができていたのには驚いた。「かん乃」にて、まぐろ丼をいただいた。また行きたい。
②大阪心斎橋「まつりや」
4年ぶりに「ちりとり鍋」をいただいた。肝焼きがまた食べたい。
③西伊豆安良里「よこ田」
西伊豆の鯵は、いつ食べてもほんとうに美味しい。「鯵の活き造り定食」、また食べたい!
 
<旅行>
①神戸・城崎
今夏は、妻と娘も同行しての神戸行。城崎では、内田先生のお話に抱腹絶倒。何とも楽しい旅だった。
②川崎・横須賀・鎌倉
インバル・都響による川崎でのコンサートへ。翌日は、川崎大師〜横須賀〜鎌倉めぐり。これまた楽しい旅だった。
③戸田
今年の妻の誕生日旅行は、西伊豆戸田の小じんまりとしたペンションへ。帰りに寄った「アキシン商店」の干物は絶品だった!
 
<ソフトテニス>
①東海インドア準優勝
選抜チーム監督も3年目。選手たちの頑張りで、県選抜チームとしては4年ぶりの決勝進出を果たすことができた。
②都道府県対抗2年連続初戦敗退
監督として2回目の本戦は、昨年に引き続いての初戦敗退。都道府県対抗戦で勝つことの難しさをあらためて実感させられた。
③若手指導者講習会
内田先生からも「パスを出しなさい」と教えられている。中体連からサークル研修の話があったので快諾した。これからも機会があれば惜しみなくパスを出していきたい。
 
<教育関係>
①教員免許更新制廃止じゃないの?
学校訪問で来られた行政職から、「更新講習は受けなくてもいいと思います」と聞いたのが6月。でも、廃止にはならなかった。(`´)
②官僚主義への危惧
現場の管理職が行政職経験者ばかりで占められつつある。それって、今後の教育界にどんな影響を及ぼすのだろう?
③研究発表会
指定研究もいいが、どうも中身を充実させることよりも、当日の「見栄え」ばかりに焦点が合わせられてはいないか。そのことによる弊害もあると思うのだが。
 
<読書>
①『城下の人』(石光真清、中公文庫)
小説を読むよりも面白く読めた。まさに、「事実は小説よりも奇なり」である。続巻も読みたい。
②『責任 ラバウルの将軍今村均』(角田房子、ちくま文庫)
第2次大戦中の陸軍軍人にもこんな将軍がいたということが驚きだった。同じ日本人として誇らしく思う。
③『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命 』(梅田望夫、ちくま新書)
読みながら、いろんなアイディアが次々と浮かんできて興奮させられた。「暗黙知を形式知にすること」は、教育界にとっても重要な課題だと思う。
 
<音楽>
①インバル・都響のマーラー3番
一度は実際の演奏を聴いてみたいと長年思い続けていた曲。ついに念願が叶った。生涯忘れえぬ夜となった。
②インバル・都響のマーラー2番
春の3番にひき続いて6月は「復活」を聴く。これまた、3番に負けず劣らずすばらしい演奏だった。ホールもよかった。
③ショスタコーヴィチの交響曲第8番(ルドルフ・ヴァルシャイ指揮、ケルン放送交響楽団)
なぜか通勤時に聴く機会が増えた曲。ヴァルシャイは今年11月に亡くなった。追悼の意も込めて。
 
<エンタテイメント>
①「蝉しぐれ」
いい映画だった。藤沢周平って、大人向きの作家だと思う。
②「坂の上の雲」第2部(NHK)
秋山真之の奥さんって、ドラマで演じられているような人だったのだろうか。初めて知った。
③「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」
久ぶりにセナの映像をたっぷり見た。懐かしかった。
 
<感動>
①内田先生の浜松講演会
神戸女学院めぐみ会静岡支部主催の講演会、内田先生からはいろんなご示唆をいただいた。終了後の小宴は、卒業生の方々も加わって、何とも楽しい時間を過ごすことができた。
②韓氏意拳体験
大阪まで出向いて、守さんの講習を受けた。たいへんに興味深い講習会だった。もっと多くの人たちにも体験していただこうと、守さんには浜松まで来ていただいた。いちばんハマったのは、わが妻だった。
③アップルケアのお姉さん
Apple TVの不具合で電話をかけてみた。その対応の丁寧さに思わず感動。
 
<モノ>
①iPhone4
想像していた以上のガジェットだった。アプリにハマった。
②モレスキン
有名なモレスキンの手帳を使ってみることにした。ルールドは日記、インフォブックは旅行記、そしてスケジュール帳。ゴムでぴちんとやるのが何ともいい感じである。
③地デジTV
仕方がないので、ブルーレイの録画機能付きのものに買い替えた。でも、実際に買ってみると、インターネットに接続できたり、BSの旅行番組を見たりして満足している。
 
<おまけ>
そう言えば、今年は先ほどまでに99冊の本を読みました。1年でどれくらい読めるのか、読み終わるたびに冊数のログを取ってみました。あと1冊、ハウツー本で誤魔化そうかしら。そうすれば100冊!
 
では、どちらさまもよいお年をお迎えください。

2011年01月11日

スーさん、新春のご挨拶

1月10日(月)

みなさま、あけましておめでとうございます。
この長屋住まいも、早7年目を迎えることになりました。引き続き、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

さて、年が明けてもう10日以上過ぎてしまったが、この年末年始ことを記しておきたい。

12月28日(火)
甲南麻雀連盟本部での今年最後の例会に参加するため、オノちゃん、オーツボくん、ヨッシーらと連れ立って神戸へ。
到着はちょうどお昼。ホテルを元町に取っていたので、近くの南京町民生廣東料理店にて昼食。一品の量はそんなに多くはないのだけれど、これがまた珠玉のような美味しさ。
十分に満足して内田先生宅へ。既に2卓が囲まれていた。しばらく談笑の後に参加。出だしはよかったのだが、途中で同卓のヨッシーに親ハネを振り込んでからは一気に下降線。終わってみればトータルでブービーに沈む。どうも最近は本部で勝ったことがない。いや、あくまで本部あっての支部である。本部で勝とうなどと大それたことを考えてはいけない。
「どうぞよいお年を!」と内田先生宅を後にする。

12月29日(水)
この日午後は、画伯から「快気祝いにぜひ」と、昼食に招待されていた。場所は、画伯のアトリエ近くの瀟洒なレストラン。どれもたいへんに美味しいイタリアンのフルコースを堪能する。
何より、画伯はもちろん、同席されたジロー先生やコーシマくんの海外体験のお話がたいへんにおもしろく、それが美味しい料理にいかにもマッチしていた。いつかは必ずや画伯と一緒にミラノへ行こうと心に固く誓った。
「じゃあ、今から麻雀やろうか!」という画伯には丁重にお礼を言いつつ、大阪へ。
シモムラ先生主催の「てっちり忘年会」は、例年大阪天王寺近くの小料理店にて開催されていたのだが、今年は「なんべん電話してもつながらへんねん」ということで、地下鉄千日前線北巽駅近くのお店に変更して行われることになっていた。
このお店のてっちりは豪快だった。例えばてっさ。普通はかなり薄く切られているのだが、ここのてっさは分厚くていかにも歯ごたえのあるてっさだったりしたのだ。その伝で、てっちり鍋も同様の豪快さだった。
存分に飲み且つ喰らい、十分に満足してお開きとなる。それにしても、この日は美味しいものをたくさん食べた一日だった。

12月30日(木)
大阪ミナミにてあれこれ買い物。自分は、ビックカメラにてiPhone4のアクセサリー類を、タワレコにてバーバーのオーケストラ作品全集やショスタコーヴィチのピアノ曲などを、「にっぽんばし道楽」にてアーサー・C・クラーク監修のDVD「未知の世界へ」(全10巻)などを購入して帰途に就く。
今回も、「濃い」神戸・大阪の旅だった。

12月31日(金)
浴室の大掃除をするつもりであったのだが、この日までに読んだ本のログがちょどあと3冊で100冊というところだったので、何とか読み終えたいとばかりに朝から読書。
対談集を何とか2冊読み終えたところで浴室のお掃除。プリウスも洗車しようと思っていたのだが、風が強くかなり冷たかったために断念。
夕方からは、いつもの「今年1年を振り返って」うなとろ日記を書き、第九を聞きながら100冊目の本をついに読了。大晦日にふさわしい実感が湧いてきた。

1月1日(土)
初詣は朝食前に済ますのがわが家の習わし。友だちと初日の出を拝みに行った娘とは、いつもの神社で待ち合わせをして、家族揃って初詣。昨年の初詣の時には粉雪が舞っていたが、今年の元旦も寒かった。
帰ってお雑煮の朝食(御神酒付き)。お正月は朝から熱燗である。食後、ちょうど配達されたばかりの年賀状を一頻り見てお年始へ。
午後は、わが家に支部会員たちが参集して新年会。妻と娘が『アラン・デュカスのひと皿フレンチ』から「海の幸のパエリヤ」を共同製作して饗す。
夕方前からは、河岸を自宅近くの雀荘へと替えて「初打ち会」。このところいつも正月しか一緒に麻雀をしたことのない「元消防団員」が無類の強さを発揮して、支部例会の幕開けを飾った。

1月2日(日)
仲人親のところと、妻の在所へお年始。元日とはうって変わって穏やかな天気だったので、年末にできなかったプリウスの洗車。ついでに、妻の車も。お正月だし。

1月3日(月)
これまた正月恒例のO先生宅での新年会(麻雀)。
この日は、何と役満(国士無双)を和了した。春から縁起がいい(のかな?だといいけど)

1月4日(火)
もちろん休みを取っていたのだが、業務日報を作ってなかったことに気がつき、しぶしぶ職場へ出向く。この日から仕事初めの先生たちがたくさん出勤していた。職員室にて交わされるいつもどおりの仕事の会話にかなりの違和感を感じ、日報を作成後はそそくさと職場を後にする。

1月5日(水)
三学期の始業式。始まってしまった。午後は職員会議。長い一日だった。

1月6日(木)
普通授業。子どもたちも、まだお正月気分だった。

1月7日(金)
給食が始まった。この日は七草のすいとん。あっと言う間の1週間だった。

1月8日(土)
3連休はありがたい。午前中は部活動、午後は家で読書。
夕方から、お正月にわが家へ来られなかったヤイリくん、オーツボくんらを囲んで新年会パート2。オーツボくんの質問に答えて、久しぶりに知的な会話を楽しめた。こういう宴会がいい。終宴後は、「天敵」オノちゃんがいたにもかかわらず、東回し4戦して2勝。こういうこともある。

1月9日(日)
前日と同様に、午前中は部活動の指導、午後は家で読書。
こういう休日が今の自分にはいちばんいい。

1月10日(月)
成人の日。部活動はオフで、夕方にお通夜へ出掛けた以外は終日蟄居して、読書をしたり掃除をしたり。早く退職して、こういう日々を送りたいと切に思う。

2011年01月18日

スーさん、佳三さんの講習を受ける

1月17日(月)

久しぶりに「濃い」土日だった。
この土日は、滋賀県からけいぞうさんご夫妻を浜松にお招きしていた。
昨年11月の守さんの講習会に続いて、けいぞうさんにもお越しいただいて、身体操法の奥深さを知ってもらおうという試みである。
けいぞうさんが浜松に来られるのは3年ぶりである。
その3年前は、不覚にも「前夜祭」で飲み過ぎて、講習会当日はアセトアルデヒドの苛まれる時間だった。今回はその反省を生かし、前夜祭ではあまり飲み過ぎないよう自戒していた。

土曜日は、県選抜チームの新年になっての初練習会が予定されていた。場所は藤枝市。午前中が岡部町、午後は駅近くの体育館に移動しての練習会だった。
いつもならば、スタッフと乗り合わせで行くのだが、今回はそれぞれ所用があるとのことで、各自で現地集合することになっていた。
岡部町は、江戸時代に東海道宿場町の「岡部宿」が置かれていたところである。街のあちこちでそんな雰囲気を感じさせられた。
件の体育館は、まだ昨年の9月に新築されたばかりとのことであった。それはいいのだが、肝心のテニスコートは室内に取ることができない。仕方がないので、午前中はラケットワークを中心の練習プログラムを行う。

午後は、藤枝駅近くに市民体育館。こちらは室内でテニスコートがゆうゆう2面取れる。
この日は、夕方からけいぞうさんの歓迎小宴が予定されていたので、K学園高のスガイくんも沼津から駆けつけることになっていたのだが、「じゃ、ついでだから藤枝で途中下車して、選抜の中学生たちも教えてやってよ」と依頼していた。
フロアに行くと、既にスガイ先生は到着されていた。何が課題か見てみたいということで、すぐにゲームを行うことにした。
予想どおり、前衛の戦術的・技術的課題がいくつか浮かび上がってきた。ひとしきりゲームをしたところで、それらの課題に対応すべく練習を行った。一朝一夕に克服するのは難しいであろうが、その過程ですばらしい伸びを見せてくれる選手も出てくることを期待したい。そんな思いを話して練習を終えた。

すぐに浜松へと取って返す。
先行したスガイ先生から交通情報が逐一入ってくる。藤枝市は東名のインターからは遠い。仕方がないので、国1バイパスを浜松方面へと走る。途中、東名と近づく袋井あたりで東名に戻るルートを考えたのだが、スガイ先生からは「掛川で降りたほうがいいみたいです」との連絡が入った。言われたとおりのルートで、ひたすら浜松への帰路を急ぐ。
小宴は6時半からの予定だった。その前に、スガイくんはけいぞうさんも泊まっているホテルにチェックインしないといけない。時間がないので、スガイ先生にわが家へ立ち寄ってもらい、そこから一緒にホテルへけいぞうさんを迎えに行くようにした。
自宅到着は6時過ぎ。すぐにけいぞうさんに電話を入れてホテルまで。ホテルでは、シンムラくんがお迎えに行くことになっていた。そのシンムラくんからもスタンバイした旨の連絡が入っていた。

ようやくホテルに到着してすぐに宴会場へ。
小宴会場は、ホテルからほど近いお鮨屋さんの2階だった。かつてはオノちゃん御用達のお店だったとのこと。すぐ近くが仕事場のわが妻も含め、既に全員が参集していた。すぐに乾杯して宴会へと突入。
ああ、かような宴会がどれだけ楽しい時間か想像できるだろうか。
もちろん、部屋の隅では程なく「臨時講習会」が始まり、それぞれが疑問に思っていることを実際にけいぞうさんにやってみせてもらったり、具体的な身体の使い方を自分で体感してみたりする度に、件のお鮨屋さんの2階からは、「おお!」とか「げ~!」などという言葉にならない声が挙がるのだった。
気付けば既に三更に入らんとする時間となっていた。翌日が講習会の本番である。名残を惜しみつつ、「ではこのへんで」ということで散会となった。

明けて日曜日の講習会は、浜名湖畔の体育館にて行われた。参加者は中学生が50名ほど、大人が10名ほどで、講習会にはちょうどよい人数であった。
骨盤を動かすことから始まった。驚いたのは、全体的に柔軟性に欠けるという印象だったのだが、逆に男の子でもかなり柔軟性の高い生徒がいたこと。両手を背中に回して合掌する際には、背中のかなり上まで手のひらを持ち上げることができていた。ふだんあまり動かさない関節を、意識して動かすことの必要性を感じた。

途中休憩を挟みながら、ほぼ3時間にわたった講習会はあっという間に終了。ちょうどお昼ということもあり、会場すぐ近くのお店で浜名湖の海の幸の定食をいただく。
帰りは、浜松西インターまで先導してお別れしたのだが、その後の東名・名神は雪による事故渋滞などもあり、けいぞうさんたちがご自宅に戻られたのは、何と午後9時近くなったとのことだった。いやはや、自然の力は恐るべしである。

けいぞうさん、ありがとうございました。とーっても有意義な2日間でした。
人間の身体って、ほんとうに不思議です。自分の合気道のお稽古や、部活動の指導にどう生かしていくか、じっくり考えて実践したいと思います。
ぜひまた浜松へ来てくださいね~!

2011年01月25日

スーさん、大学院のことを思い出す

1月24日(月)

学校週5日制が完全実施されることで、学習内容は大幅に削減され、その代わりに総合的な学習の時間が新設されるなどして、学習指導要領がその大幅改訂された。義務教育は「ゆとり教育」へと大きく舵を切っていた。2002年のことである。
その告示を受けて完全実施されるまでには4年間の移行期間が設けられた。この改訂は、従来の改訂に比しても大幅な改訂だったため、それを受ける現場も少なからず混乱していた。
「教育はこれからどうなっていくのだろう。」そんなことを、教育現場にいる誰もが考えていた。
ご多分に漏れず、自分も漠然とそんなことを考えようとしていた。しかし、悲しいかな自らの暗愚な頭では、なかなかその答えを見つけることはできなかった。
かくなる上は、先賢の典籍に頼るしかない。読書をすることで自らの見識が高まれば、教育に関することは言うに及ばず、あらゆることに自分なりの考えを持つことができるようになるであろうと思い、ミレニアムの始まった頃から取り憑かれたように本を読んだ。

今にして思えば、いくら読書をしようが自分なりの視点を持って読まなければ、所詮読書によって一時的に得た知識はその著者の受け売りでしかなく、例えてみればコンピュータのRAM(ランダムアクセスメモリ)上のデータのような知識なのであった。
読了した本ばかりがいたずらに増えていくだけで、自分の見識は一向に高まったようには思えなかった。

そんな時だった。『おじさん的思考』(晶文社)に出会ったのは。
確か、朝日新聞の書評欄で紹介され、これはおもしろそうだと思ってすぐに買い求めに出かけることにした。浜松市内の書店を見て回ったがどこにもなかった。仕方がないので、お隣りの豊橋市にあるS文館書店に行くと、果たして店頭に置いてあった。すぐに買い求めた。

衝撃を受けた。それまで読んだ、どの本とも違っていた。
当時、学年主任をしていた私は、学年の職員に向けて毎日発行していた学年業務日報に以下のように書いた。
「とびきりの1冊を紹介します。『おじさん的思考』です。題名から、何となく中身が想像できそうですが、そんなイメージとはほど遠い、きわめて知的な内容です。既に、自他ともに“おじさん”を認めている私は、もし自分が書くとしたら、こんな内容の本を書きたい!という気持ちにさせられました。」(平成14年6月26日)
同じ著者による他の本もぜひ読んでみたいと思い、次々と買い求めることにした。そうして、それらの本を読み進むに連れ、「この人だ。師と仰ぐのはこの人しかいない。」と確信するようになった。
ほぼ時を同じくして、研究室のウェブページも拝見するようになった。

ある冬の夜、帰宅していつもと同じように研究室のHPを見ていると、著者による大学院ゼミ(「日本文化論」)の聴講生募集の記事を見つけた。どうやら、次年度から大学院の聴講生に限って、男子の聴講も認めるとのことであった。
激しく心が動いた。行ってみたい。いや、どうしても行きたい!と思った。
矢も盾もたまらず、研究室の先生のアドレスと覚しきところへ、演習回数等も含めたお問い合わせのメールを送った。

しばらくして、自宅のメーラーに、「内田樹です」というメールが届いていた。
まさか、その本人から返信があるとは思わなかった。思わず、椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。
すぐ隣で家事をしていた妻に、「ねえねえ、う、内田先生からメールが来てるよ!」と叫んだことを覚えている。
メールには、「メールありがとうございます。中学校の先生ですか。聞きたいこと、言いたいことが山のようにありますのでぜひぜひ聴講生に来て頂きたいです。」とあった。
即座に、妻には「4月から週に1回、神戸女学院の大学院ゼミに行くから」と言った。妻は、「交通費どうすんの?」とか、そのことに関わるあれこれの諸問題については何も言わなかった。ありがたかった。
これで行くことが決定した。

聴講生として認可するかどうかを決める面接があるということだった。その前に、レポートの提出が課せられた。求められたとおりにレポートを書いて送り、面接の日を迎えた。
初めて、神戸女学院大の門をくぐった。指定された控え室に行くと、既に何人かの人たちが控え室で話をしていた。当然ではあるが、誰も知り合いはいなかったので、面接で自分の順番が来るまでは、黙ってひたすら本を読んでいた。今にして思えば、その部屋でバリバリの大阪弁を話していたのが江さんだった。元気のいい人だなあと思っていた。
呼ばれて面接室に行った。奥に、二人の男女が向かい合わせに座っており、その人たちと直角で向きあうように面接が行われた。男性は、もちろん内田先生であった。眼鏡を掛けていらしたため、写真で見る印象と少し違った。
面接では、そのときの中学校の教育現場のことをあれこれ話をした。先生は、「ホントに、文科省は何を考えているんでしょうねえ」とおっしゃった。たぶん、ゆとり教育へとシフトしたことを面白くないと思っていらっしゃのだと理解した。
面接を終え、実際に『おじさん的思考』の著者に会えたことをひどく喜びつつ、帰途に就いた。

2003年の春4月より、毎週火曜日の午後、4時間目の授業を終え、早めの給食を食べて浜松駅へと向かい、新幹線で神戸女学院大へと通う生活が始まった。
第1回は、先生が提示されたテーマを誰が担当するか決め、発表の日時を確認することが主な内容だった。その前に、ゼミでねらいとするところについての言及があった。
先生は、こう言われた。
「巷間で言われているように、確かに今の日本はあらゆる分野でシステム崩壊が起きつつある。それについて、言説は大きく二つに大別される。すべてが崩壊しつつあるのはいいことだとする説と、もう日本には未来がないとする説である。自分は、そのどちらにも与しない。でき得れば、そういう批評性の毒とも言うべきものを批評したい。すなわち、今の日本のシステム崩壊は、確実に滅びの道を辿っているのか、それとも、再生するために崩壊しているのかを見極めたい。もっと言うならば、日本のシステムの変化の兆候から、何が生まれるつつあるかということを、ていねいに腑分けしてみたい。」
一字一句、聞き漏らすまいと必死でノートを取った。

以来、学校行事等でどうしても行けない時は除いて、1年間通して神戸女学院大へ通った。
ゼミの時間は、ほんとうに充実した時間だった。他の人たちの発表や、先生のお話もうかがいながら、思考することについての愉しさを心ゆくまで味わうことができた。
ゼミが終わって帰る新幹線の車内では、その日のゼミで話し合われたことや、先生のお話をもう一度反芻する至福の時間だった。

そんなことを、内田先生の最終講義が終わった後のパーティーで、大学院内田ゼミ1期生代表として何かしゃべるようにと言われたときから、何となく思い出していた。
最終講義で、内田先生はヴォーリズの建築のことを例に出しながら、「学びの比喩」を「暗闇から明るみに出ること」、そうして「自分の実存をそこに捩じ込むようにして、ドアノブを回した人間だけが扉の向こうにあるすばらしい風景を目にすることができる」とおっしゃった。
大学院ゼミに通っていた頃の帰りの新幹線の車中が思い浮かんできた。車窓の外は闇だった。でも、自分の頭の中は明るい光で満たされていた。
「ああ、そういうことだったんだ」と、先生の最終講義でようやくそのことを知ることができた。
大学院内田ゼミには、きちんと「はじまり」と「おしまい」があった。

そのことを、自分のスピーチの最後に話そうとした。
週に一度の大学院内田ゼミからの帰りの新幹線の車中で過ごす時間は、ほんとうに幸せな、温かい幸福感に満ち溢れた時間でした、と。
そうして、自分は目の前にいる内田先生に導かれて、今まで自分が見たこともなかった風景を目にし、そこにいる人たちと出会うことができました、と。
でも、そうやって話そうとしたら、不意に涙が零れそうになった。
あとは、先生へのお礼の言葉を述べるだけで精一杯だった。

生涯忘れえぬ夜になった。

2011年01月31日

スーさん、ちょっと怒る

1月31日(月)

卒業を前にした娘が、何を思ったか、両親に一度自分が通った大学を案内したいと言い出した。
ちょうど、卒業試験を兼ねた公開演奏会には行く予定にしていたので、そのときについでに案内してもらうことになった。

演奏も終わって昼食後、大学へと向かった。
大学の正門で守衛さんに事情を話し、校内に駐車させてもらって、近くのチャペルから順にキャンパス内を案内してもらった。
もともとは横浜の山手にあった大学だったのだが、創立100年を経て郊外にキャンパスを開設し、早20年の余となるのだそうだ。郊外のキャンパスは、さすがに山手のキャンパスとは比較にならない近代的な施設であった。

「ここは大教室。大きいでしょ?」
「ここはゼミとかやる教室ね」
「ここの図書館、お父さんに入れてもらったアプリで本が検索できるんだ」
「ここでよくエアロビとかやったんだよ」
「ここ正門からいちばん遠い教室なの。朝1限でこの教室まで来るの、すっごく大変だったんだよね、しかも語学だったし」
「グランドでゴルフとかやったっけ」
「夏の暑いときは、ここ登るのきつかった」
「この向こうにテニスコートがあるの」
「ここ、すごく好きな場所なんだ」
「まさか、自分の両親と一緒に大学の中を歩くとは思ってなかった」
一緒に歩きながら、娘は楽しそうにひとつひとつの建物、それぞれの教室を案内してくれた。
大学での生活ぶりが目に浮かぶような気がした。

一頻り案内してもらって、車のところへと戻ってきた。駅まで歩くという娘を送って行くことにした。昼食時に、ついビールを飲んでしまっただらしのない父親に代わって、妻が運転席に着いてハンドルを握っていた。
守衛さんにお礼を言って、大学から駅に向かった。

駅前はロータリーになっていた。「ここで降りればいいだろ?」とロータリーに進入した。
と、すぐにどこかの警備員と思しき男が近づいてきた。よく見ると警官だった。
「免許証は?ここ、進入禁止なんだけど」と言われた。
まったくわからなかった。と言うか、右折してロータリーに入るところには進入禁止の標識はなかった(あとでよく見ると、代わりに「一般車両は進入禁止です」という看板が立てられていた)。
助手席から、「すみません、知りませんでした。県外から来たものですから。娘を駅で降ろすだけなんですけど」と言うと、「降ろせばいいですよ。降ろしたら、車を移動させて交番まで来てよ」と言った。
とりあえず娘を降ろし、すぐに車を交番の前に移動させた。
娘も心配だったのだろう、そのまま改札には行かずに交番までやってきていた。

ひょっとして、事情を汲んでくれるかもしれないなどと甘い希望も持っていたのだが、既に反則切符が用意されていた。妻が、「ほんとうに知らなかったんです。知っていれば進入したりしません」と抗弁したのだが、もちろん取り付く島もなかった。まあ、交通違反をしたのだから当然である。
しかし、その際に警官が、「こうやって違反する県外の人、多いんだよね」と言ったので、つい、これはひと言申さずばなるまいと思い、「だったら、そうならないようにすべきじゃないんですか?ちゃんと進入禁止の標識をつけるとか」と言うと、「そんなことは、ボクの知ったことじゃない」とお答えになった。
やんぬる哉。

知らずに犯した違反行為は見逃せと言っているのでは、もちろんない。
反則行為に対して厳に処することにむろん異論はない。
しかし、それまでに多くの反則者が出ているという事実があるのならば、いちいち違反者を検挙するよりも、反則者が出ないような対処を考えるべきではないのか。
つまりは、反則者を検挙することにそのリソースを投ずるより、違反者が出ないようにそのリソースを有効活用する方策を実践することの方が、より賢明な方策であると言えるのではないか。

娘と楽しく過ごした時間にオチがついた気がして、ひどく気分が悪かった。
「ま、旅行に行く前に厄落としをしたと思えば」という妻の言葉が、せめてもの救いだった。
今日、娘は「卒業(予定?)旅行」で、ヨーロッパへと旅立った。
かような経緯もあったから、もちろん、道中の無事は保証されている。

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