« 2004年12月 | メイン | 2005年2月 »

2005年1月 アーカイブ

2005年1月 6日

痛風発作におびえつつだと、海老もビールも美味いです

1月5日(水)

研究発表の準備、午後は出張。

ぜいたくは想像の枠組みを超えている。シナプスしていない。

連結の瞬間、行ったことのない場所と回路ができる。歩いて行って、手に持った石ころをころんとおいて帰ってくる。

否応なく回路はできてしまったのだ。また行くかどうかはわからないけれど。もう行くことがなかったとしても、行かなくてもそれはもうある意味行ったも同然だ。


1月4日(火)

DNAを切ったりつなげたりすることが多かった日。夜は新年会。

2日に問い合わせがあった患者さんが、関連病院から転院してきたらしい。

1月3日(月)

多田先生に新年のご挨拶をさせて頂くことができた。

1月2日(日)

越年実験の結果を見に研究室へ。

結果の解釈が難しいので、細胞のクローンを変えてもう一度やり直すことにする。

この日は病院の緊急対応係に当たっていた。実験中に、大学近くの関連病院の先生から患者さんに関する問い合わせがあったので、事務当直の人にカルテを出してもらって回答する。

大学病院に通院中だった患者さんが、年末休みに入ってから体調を崩し、その病院に緊急入院したらしい。

1月1日(土)

家族4人で、初詣に出かけた。

夜の飛行機で伊丹空港まで戻る。

家に帰って一人で焼く餅もうまい。

痛風発作の影におびえながら食べる数の子もスリリングにうまい。

12月31日(金)

昼前に、研究室の秘書さんに頼まれていた『かもめの玉子』というお菓子を買いに行く。ついでにもう一度『白龍』でじゃあじゃあ麺を食べる。

よしもとばななの比較的新しい小説が読みたくなったので、帰り道に小さな本屋に寄ったが、単行本は置いていなかった。

家に帰ると、お昼ご飯に母がラーメンを作ってくれたのでぺろり。

夜は、両親と弟と、父方の従兄弟である、文俊君と一緒にご飯を食べる。シャンパンとワインも飲む。

酔っぱらって、11時30分くらいに寝た。

12月30日(木)

仙台までの飛行機と新幹線を乗り継いで、午後2時30分くらいに盛岡に帰省。

じゃあじゃあ麺が食べたくなったので、家に帰る前に、重い荷物を持ったまま駅からタクシーで『白龍(ぱいろん)』へ向かう。久しぶりのじゃあじゃあ麺は美味しかった。ビールは我慢した。

家に帰ってみると、両親とも家にいたので、いろいろと話をする。

夜には友達の森田が遊びに来た。たくさん説教された。きっと僕が悪いのだ。

12月29日(水)

17時発の伊丹-花巻便に乗って帰省。しかし、僕が乗った飛行機は大雪のために花巻空港に下りられず、伊丹にとんぼ返り。初めての経験だった。

2005年1月10日

人のミノカサゴを笑うな

1月9日(日)

放置してあった洗濯後の衣類を畳みながら、大学院卒業後のことをいろいろ考えた。洗濯機も一回まわした。

NHKの言葉おじさん、梅津アナウンサーによると、名古屋では、何かを準備することを「まわしをする」と言うらしい。

お粥を温めて食べてから、明日の実験のまわしをするために大学へ行く。

十日戎の影響で43号線が渋滞していた。

帰ってきてから芦屋のジュンク堂書店に、山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』を買いに行く。最初なかなか見つけることができず、店員さんに聞こうかと思ったが、僕は、「山崎ナオコーラ」という名前も、「人のセックスを笑うな」という題名も店員さんに聞くことができなかった。店員さんは二人いたが、両方とも若い女性だったから。でも、たとえ店員さんが男性だったとしても、恐らく僕は尋ねることができなかったと思う。自分で頑張って探していたら、ちゃんと見つけることができたので良かった。

本は書店で買うことが多い。

インターネットで本を買うこともあるが、家を留守にしていることが多いので受け取るのが面倒なのである。それに、なによりも僕は、欲しくなった本を買うためにいそいそと本屋に出かけるのが好きなのだ。

本を本屋で探すことが苦手なので、よく店員さんに品物のありかを尋ねる。尋ねた直後に、自信ありげな微笑みを浮かべて本の場所まで連れて行ってくれる店員さんが僕は好きだ。できればコンピューターで検索をかけたりせずに、スムーズに本の場所まで連れて行ってもらいたい。本屋で、頼もしい店員さんの後を追いかけて歩くのはいつも楽しく、そしてちょっとどきどきする。

もう死んでしまった僕の伯父は、ある日、ある本が読みたくなって本屋に行った。でも伯父は、その本の題名も著者名もはっきり憶えていなかったそうだ。

仕方がないので伯父は店員さんに聞いた。「うーん、何て言ったかなーあの本。うんと、えっと『おやじの言い分』」と聞いた。

すると店員さんは、小さくフッと笑った後で「少々お待ちください」といい、すばやく向田邦子の『父の詫び状』を持ってきた。

こういうのはプロっぽくてとても格好いいと思う。

仕事をするときはかくありたいものだ。

1月8日(土)

いつものように朝は研究室へ。

昼からは今年初めての合気道のお稽古へ行った。

今日のお稽古には内古閑さんと浜松の鈴木先生ご一行がいらっしゃった。

今年初めてのお稽古は逆半身片手取りからの技が中心だった。

お稽古の後は内田先生のお宅で鏡開きの会。

おぜんざいがとても美味しかったです。

1月7日(金)

七草粥の日だ。

久しぶりに大学の学生食堂で晩ご飯を食べた。

日替わり定食はお粥じゃなかった。あたりまえか。

1月6日(木)

ちょっと不思議な夢を見た。

夢の中で僕はお風呂に入っていた。場所はどこだかわからないが、それはおそらく家のお風呂だった。バスタブに浸かった僕は何となく閑をもてあまして、頭の先までお湯の中にすっぽりと沈んでみた。湯の中で目を開けると、そこにはたくさんの魚が泳いでいた。小さい魚や大きい魚がいた。珊瑚やゆらゆらと揺れる海草もあった。お魚たちは、水が温かいからだろうか、熱帯魚のような色の鮮やかな魚がほとんどだった。美しい景色だったので、僕は息をこらえながら目の前の様子をしばらく観察していた。すると、右側から一匹の魚が視界に入ってきた。魚はうすいオレンジ色をしていて、茶色の縞模様が入っていた。縞模様は基本的に縦縞なのだが、真っ直ぐに入っているわけではなくて、ところどころで融合して網目のようになっていた。そしてその魚は全身が棘で覆われていた。「ミノカサゴだ!」と僕は思った。「棘に毒があるから触らないように気をつけなくちゃ」と思い、水の中で後ずさりしようとしたが、僕は水の中でうまく移動することができなかった。刺激を与えて攻撃されたりしないようにとその場でじっとしていたら、ミノカサゴは僕の目の前20センチくらいをゆっくりと横切っていった。僕の体の前を完全に通り過ぎたところで、ミノカサゴは突然全身を光らせた。茶色い縞模様が、ざあっと光った。縞模様がまるで血管で、その上を走っていった光りは血管の中を流れる血液のようだった。ミノカサゴは僕のことなど全く気にせずに、ただ光りたいから光ったように見えた。ただ光りたいから光りたいときにだけ勝手に光るミノカサゴはとても美しかった。風呂から上がった僕はそのまま眠り、その翌朝、弟に「きのう、お風呂がたいへんなことになってたよ」と言った。弟はあまり興味を示さなかった。この調子だと、家のお風呂が綺麗な水槽になっていることに誰も気がついていないのかもしれない。もしかしたら最後に風呂に入った人がお風呂の栓を抜いちゃったかもしれないと僕は思った。昨晩のうちに家族のみんなにお風呂の異変をきちんと知らせておかなかったことを後悔した。そして、慌てて風呂場へと向かった。うちの風呂はなぜか洗面台だった。洗面台の中をのぞき込むと、案の定、栓は抜かれていた。そしてその底には、青色と紫色の干からびた熱帯魚が張り付いていた。ぎざぎざした背びれのひとつひとつまで丁寧に干からびて洗面台に張り付いていた。ミノカサゴの姿はそこにはなかった。僕は少しだけ安心した。

2005年1月14日

学位まであとちょっと

1月13日(木)

学位取得のための研究発表をする。指導教官の先生や、お世話になった先輩が見に来てくださった。なんとか無事に終わった。

終わってほっとして、病院14階にあるレストランで一人ご馳走(有頭エビ付きシーフードピラフ)を食べる。

普段は1階の職員食堂でわかめうどんを食べることが多いのだが、今日は少し張り込んでみたのだ。

べらべらとしゃべりまくった後なので、体の中心に微かな興奮が残っている。興奮を納めるためにゆっくりとピラフを食べた。

食べているうちに大分興奮が収まってきたので、それからは早く食べた。僕は基本的には早食いなのだ。

1月12日(水)

一日おいてくたくたになったワインを少し飲む。

1月11日(火)

ちょっと気になる実験結果を得る。

2005年1月20日

simple life with simple foods

1月17日(月)

お能のお稽古をして頂くために下川先生のお宅へ。本日が初めてのお稽古だった。

謡と歩き方、基本的な動作を一つ教えて頂いた。

1月16日(日)

チキンカレーを買って食べる。

1月15日(土)

目が覚めて、うどんを茹でる。
溶き卵と納豆と刻み葱入りの温かいうどんを食べた。

1月14日(金)

研究室のT先輩が、西梅田の『あげさんすい』で美味しい天ぷらとワインをごちそうしてくれた。すげーうまい。

2005年1月25日

「おっかあ、寒くねが」とじゅんさんは言った

1月24日(月)

「新しい友達ができた」
エンリケはヘッドラインニュースの一行のように言った。冬の空はびっしりと雲に覆われていて、青いところが全然なかった。風がないから、コートの前を開け放っていてもそれ程寒くなかった。

「親父が再婚した」
これがヘッドラインニュースの二項目だった。

「年明け早々に痛風発作を起こした。数の子の食べ過ぎがたぶん原因」
ニュースの三つ目は僕が加えた。

ヘッドラインニュースのそれぞれの項目は独立したニュースだった。それぞれのニュースはそれぞれの経緯があって存在する。そして、その一つひとつが、ぷつりぷつりと、尚かつ淡々と発せられる。

一つひとつのニュースにはそれぞれの経緯がある。だから、一つひとつが違うニュースになるのだった。けれど、もしそれぞれのニュースを遠い空の向こうから(あるいは宇宙から)誰かが眺めたら、その違いはわからないかも知れない。宇宙から眺めたら、もしかするとこれらは「全く同じニュースだ」と、言われてしまうのかも知れない。

それは僕らのヘッドラインニュースが、宇宙人によって「地球という星の人間という生物の小さな出来事」としてひとくくりにされると言うことではなくて、宇宙人の概念からすると、それらのニュースが完全に同一のものになってしまうということだ。

宇宙人にとっては、新しい友人ができることも、父親の再婚も、数の子の食べ過ぎによる痛風発作も、すべてが、

「もげぽろん(プリンス)」

という、言葉とも違う情報伝達ツールによって表現される、同一のニュースということになるのだ。

エンリケには新しい友達ができたらしいが、僕には友達があまりいない。エンリケはたぶん友達だと思うが、僕はエンリケが誰なのかよく知らない。携帯電話の番号も知らないし、どこに住んでいるのかもわからない。第一、エンリケが一体何国人なのか知らない。

エンリケは日本語を母国語のように話す。でも、肌の色や、顔。あとは手足の骨格に洋風なところがあるから、西洋人の血が混じっているのかもしれない。

彼が何国人でも全く構わない。でも、関心が無いわけではない。どちらかというと、エンリケが何国人なのか僕はちょっと気になる。ただ、彼にどういう風に尋ねたら良いのかわからない。

エンリケには偶然会った。昼飯を食べるのにどこか適当なところはないかと岡本の駅近くをふらふら歩いていたら、自転車でこちらに向かってくるエンリケを見つけた。

エンリケは狭い道の真ん中をゆっくりとこちらに近づいてきた。道は結構人通りが多くて、自転車はゆっくりとしか前に進めなかった。人の間をくの字くの字に縫うように彼がハンドルを切ると、後ろの荷台に乗った女の子の真っ黒い髪がふらんと横に広がる。

20メートルの距離に近づいたところで、エンリケは僕に気がついた。そして、ハンドルから右手を離して「おっす」という感じで手を振った。手を離した瞬間、二人乗りの自転車はバランスを崩して左に倒れかけた。エンリケが慌てて左足を地面に降ろしたので自転車は倒れなかったが、荷台に乗っていた女の子がごろんと地面に投げ出された。そして、彼女の頭が、通りがかったおばさんの買い物袋にぶつかった。

二人はもう一度自転車に乗り、勢いをつけてから走り出した。

自転車が、ききー、と僕の前で停まり、そうしてエンリケは、「新しい友達ができた」と言うのだ。

エンリケの「新しい友達」は、荷台に乗っている女の子のことではなかった。

エンリケの新しい友達はちょっと変わった仕事をしている。元々は相撲取りで、一場所だけ十両に上がったことがある。だから元関取である。得意技は「けたぐり」だった。相撲をやめてからは、俳優になった。映画にも何本か出ているらしい。

元相撲取りは、幸運にも初めて映画に出たときからちゃんと科白のある役をもらった。それは、マッサージ店の店員の役だった。ホテルのマッサージサービスの下請けをしている出張専門のマッサージ店で働く元相撲取りの役だった。

映画の中の元相撲取りは、宿泊客からマッサージの注文が入ると、按摩師を車に乗せてホテルに向かう。ホテルに着くと、盲人の按摩師の手を自分の肩に載せて、フロントまで誘導する。そして、ホテルマンに「毎度ありがとうございます。山田治療院です」と挨拶をする。

二度目に出た映画は時代劇だった。そこでは圧政に苦しむ貧農の役をもらった。年老いた母親と二人でぼろ小屋に住む農民の役だった。「おっかあ、寒ぐねが」というのが、このときの科白。優しい息子の役だった。

エンリケの新しい友達は、じゅんと言った。じゅんは食べていくために映画以外の仕事もしている。ビデオ映画に出演したり、アダルトビデオにも出ている。

体が大きくて色白で太っているじゅんは、アダルトビデオの女優さんたちにとても人気がある。

じゅんの大きい体は画面に栄えるから、監督も積極的にじゅんを男優として使うようになってきた。だから、実は最近の仕事はアダルトビデオの出演がほとんどだった。

About 2005年1月

2005年1月にブログ「ドクター佐藤のそこが問題では内科医?」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年12月です。

次のアーカイブは2005年2月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。