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2006年04月 アーカイブ

2006年04月01日

今日も酒場で夜が更けて

3月30日(木)

昨日は、久しぶりにエルマガジン社に顔を出し(まだ有給消化中の身の上なのだ)、東京出張の精算をして、他にもあんなことこんなことあったんだけど、森本嬢と東京本の打ち合わせや、ミーツの村瀬嬢ミゾさんダイハクリョク青年と世にも下らないから面白い話などをしていると、気が付けば、平尾くんと愉快な仲間たちとの約束の時間になったので、また来るね、と不安そうな森本嬢を残してバタバタと社を後にする。

久しぶりのエルマガジン社は、少しよそよそしく感じた。自分ちの匂いというのは、あまりに同化して普段は感じとれないけれど、長い旅行から帰り玄関を開けると、あら自宅の匂いってこんなんだっけと新鮮にかつ懐かしく感じるものだ。そんな風にエルマガジン社の匂いに気が付いたということが、私とエルマガジン社の関係を語っているような気がする。もう身内じゃないのね。ひくひく。

これまた久しぶりにお会いした、平尾くん&彼の学友チクさん&ジュウさんは、久しぶりかつまだ会って4回目(うち一回は泥酔のため記憶にない。でもラグビー酒場「サードロウ」で会っているらしい)だというのに、鼻はひくひくしないし同じ匂いを感じ取る。ということが、私と彼らの関係を語っているような気がする。仲間なのね。ふむふむ。

そういう同じ匂いのする人たちと飲んだり笑ったりしていると、必ず「うわあ偶然やなあ」ということが起こる。昨夜もいくつかの偶然がにこやかに顔を出し、メンバーを増やし、話題は堀り下がり、いくつかの知り得なかったことを知り、感激し、切なくなりそして深酒をさせる。途中から合流したカジ嫁も抜群なトークを展開し、次回の会合場所が決定された。偶然は必然を呼ぶ。いや、たぶん必然の中に、偶然が含まれているんだろう。しかし、北新地[がるぼ]はえげつなく偶然を誘発する店だ。真っ当な店は、美味しくて値段が安いという前に、嬉しい偶然に満ちている。素敵だ。

そんな余韻に後押しされて(言い訳)、終電でたどり着いた三宮で金村さんに会いたくなり[サードロウ]へ。平尾くんに聞いた、ワールドの安田くんの引退話が発症させたやり切れない病の副作用で、意味不明に誰が悪いんやと金村さんの困ったちゃんとなり、カンコンカンコンとグラスでカウンターを連打して1時間で3杯ほどの焼酎ソーダ割りを胃に流し込んで帰宅。今年は同じ神戸で神鋼コベルコスティーラーズに加えワールドファイティングブルも応援するつもりだったのに、安田くんの引退でその意欲は減退。昨年、トップリーグの対神鋼戦の夜、悔しそうに言葉少なに飲んでいた安田くんの顔を思い出すと、どっかのおっさんがアホなんちゃうんかと、腹立たしい。

企業劇にはどこかの代理店が作った台本があるんじゃないかと思うのだが、その劇に欠かせないのがアホで利己的なおっさんだ。これはどの企業にも当てはまるわけではなく、ある一定のライン上を越えて肥沃した場合に限られて、そういうのも代理店仕事っぽい。そんでもってそんなアホのおっさんが活躍する喜劇は観ているぶんには面白いが、当事者には悲劇である。総じてアホのおっさんは「小さい」。心とかそういうものじゃなくて、象徴としての存在が「小さい」。その小ささに誰よりもビビっているのはおっさんだから、コツコツとえげつない武装を重ねてゆく。

つまりそんな一人北朝鮮なおっさんは、他人に耳をかさず他人の口を封じ自らを閉じてゆく。そしてどんどんとそのスモールワールドを増殖させて、会社を汚染する。哀しいのは汚染した土壌というものは比べる対象がないので汚染という事実に気が付かないことで、ときおり自分が汚染されつつあることに気が付いた人間は脱北するもんだから、残された汚染空間は一層と濃密な汚染源となる。汚染した世界で生きてゆくには自らも汚染するしかないわけで…汚染源に近い人間はまず一番に汚染することで逆説的に汚染した事実に気づかないふりをするのである。

…て、なんの話してたんだっけ。そうだ、安田くん引退の話だ。とにかく、お疲れさまでしたっ! て、このブログ見てないと思うけど、そう叫ばずにはいられないのであった。

シシャシツ嫌いな極道娘

3月31日(金)

楽しかった夜の回想シーンを夢で見ながら悔し涙に濡れた夜が明けると、案の定、少々二日酔い気味。しかし、今日はミーツの新店紹介の原稿2本と次号から始まる映画の連載コラムの原稿と、あんなことこんなことをしなくてはいけないので、まず最初に一番重そうな荷物から片づける。

先日、東京出張で歩きすぎてブーツのかかとが折れて(ブーツのかかとが折れることを初めて知った。大丈夫かシャルル・ジョルダン。ていうか、手持ちの靴の7割が足の形に合うからとシャルル・ジョルダンなんだけど、って思ってて穿いていたら外反母趾になったってことは実は合ってないのかもなんだけど、玄関先に並んでいるヒールのローファーのラベルにふと目をやると「チャーリー・ジョーダン」と読めて、にわかにそのヒールの繊細なローファーが無骨でアメリカンなバッシュに思えて、なんだよ、けっ、となり名前は重要だとつくづく思った)えと、どこまで話したっけ。そうそう、「一回見てみたい」という気持ちに「ワタシはそんなこと思う田舎もんじゃねーぞ」と嘘をつきたい気持ちでいた六本木ヒルズだが、ちょうどいい具合に(?)ヒールが折れたので、六本木ヒルズなら靴修理ぐらいあるだろう。ライブドア元広報の乙部綾子だってヒールが折れたら嘘泣きしてもどうしようもないから修理に行くってもんだもの。

なんて思いながら向かった六本木ヒルズにて、驚いたのは白人の多さであった。神戸や京都に住む街に溶け込んだ外国人とはまるで雰囲気を異にする、まるでGHQ占領下のニッポンで威張るガイジーンの如く白人ヤッピー風。東京はガイジンが多い街だが、六本木はその比率を一人でスタイリースタイリーと上げていた。ホワイトでパツキンの女子は高い鼻をさらにつんとさせ、    の性格を悪くしたような男子のその腕にはニッポンバカ娘がまとわりつき、私のような東京異邦人が「うわあ、ここはえげつなくオモンナイ街やなぁ」と声なき声で叫んでる横を、何が嬉しいのかワァォワァォヘェイヘェイとデカい声の英語で騒いでいる。おそらくその中の多くが、世界の市場を渡り歩く優秀なビジネスマンやその周辺なんだろう。似たような人種を、返還前の香港・蘭桂坊(ランカイフォン)で見たことあるぞ。首都ニッポンの東京の、最先端(なの? 騙されてる?)の人工街・六本木ヒルズで、日本はやっぱりアジアの遅れてきた近代国家なんだと実感した。経済の話ではない。街の未熟さというか、不安定感。まあ、東京在住の多くが「六本木ヒルズは行ってはいけない場所」と言うのだから、そういう場所なんだろうな。

とかいうあたりから、ある映画の紹介をする(『恋する惑星』じゃないよ)。ミーツで始まったその映画連載は、「試写室の外から言わせてもらえば」というタイトル通り、試写室で観た新作映画を紹介するコラムではない。ワタシはわりに映画をよく観ている方で映画は好きなんだけど、ミーツ在籍時代に配給会社から試写室のご案内を頂いても結局、一度も行かなかった。高校時代は「スクリーン」に応募してまで行ってたのに。なぜだか知らないが、シシャシツというものがどうも苦手な気がしたからだ。行ってもないのに。というところに、理由があるような気がする。

シシャシツには、シシャシツに来る人たちがいる。当たり前だけど。そのシシャシツな人たちというのが、なんだか面倒臭そうで足がすくむのである。シネマな身内のパーティギャクで笑ってそうで、カルトQに出たことありそうで、超ウルトラドンで早押ししてて、ディビット・リンチやデヴィッド・クロネンバーグが好きでとかいうのも額面通りなのかそうじゃないのか不明で、新しいイランの監督とか東欧の俳優とか知らないと意地悪されそうで、ワタシだってジャッキーは「少林寺木人拳」から観てんだからっ、というと逆に深い会話になりそうで…とてもその中に入っていけそうもない気がするのである。いや、妄想だけど。おそらくシシャシツな人たちがシシャシツで観た映画評というものが、ワタシをそうして脅かすのである。たぶん、こういう風に心がひねくれることが、育った環境が悪いということなんだろう。

なもんで、こうしたことを言ってしまった今、もう本当にシシャシツには行けなくなった。たぶん、シシャシツから招待もこなくなるのだろう…ということも、妄想かもしれないけれど、そんな風に思うワタシは、季節外れの魚のような、鮮度は悪いけれど、実は〆めたりなれたりさせると美味しい寿司のネタのような、映画の話を書こうと思う。そんな寿司ネタはシシャシツではなく、街の酒場やカフェや服屋や路地にしか転がっていないから、そんなところで見つけたネタで加工する…ということで、「試写室の外から言わせてもらえば」という負け犬の遠吠えみたいなコラムを書かせてもらうことにした。ちなみに、第一回は4月1日発売号で、最終的に紹介する映画は「極道の妻たち/死んで貰います」。この原稿書いた後で、内田先生にこの長屋の名前を付けて頂いたんだけど、やっぱり鉄火場勝負は運命づけられていたのね…。

2006年04月08日

幸せ会計の摩訶不思議

4月2日(日)

誰かと暮らすということは、一人の時になかったしんどさや面倒臭さがあるけれど、その分、幸せも2倍…なんていう物言いは、嘘だと思う。だって、幸せは2倍どころじゃなくて、4倍だもん…なんていうのも本当でもあるけどやっぱり嘘で、幸せも不幸せも2とか4とかたとえ100とかなんとかかんとか、つまるところそんな数値では帳尻が合わない。つまり、嬉しいことがあり「+200」の直後にケンカして「−600」となってその後またすぐに仲直りして「+200」となったなら、数値上は「−200」。のはずなのに現実は、「なんとなく幸せ」だったりする。


数値の話であれば、ほとんどの家庭の感情家計は赤字だし、たいていの家庭で前年比を割る。にもかかわらず、なぜか予算対比は「まぁまぁぼちぼちね」というところに収まって、赤字の年数をコツコツと積み重ねたある日、ふと「あんなこともあったわね〜」という思い出大黒字として精算される場合がある(その逆の「なんとなく幸せ」貯金が「取り返しのつかない無駄な年月」として精算される場合もあるけれど)。そんなにこやかに不透明な会計というか、暗黙の微笑み水増しというか、憎しみの改ざんというか、そういうのが当たり前に行われているのが正しく曖昧な「幸せ家計」というものなんだろう。政治の家のように、秘書の給料をふんだくって数字はぴったりと合っているのに暗い会計というのとは全く正反対。これを「家庭の幸せ会計学の不思議」という。


幸せ家計の不思議は、もろもろすべてが曖昧だが、どんな家庭でも、その幸せ家計は「未来」という担保により成り立っていることは不変だ。その未来は「阪急神戸線の沿線の駅から徒歩10分圏内で、海が見える一戸建ての庭にレトリバーをバウバウとさせて、お母さんは赤いボルボのステーションワゴンで幼稚園に…」とかいう近未来に具体的なものではなくて、なーんかよく分かんないけど、このままいけばよく分かんない幸せがきっとあるだろうし、どのままなのかすら不明。でもまあ、なんかあるんならそれにしとこっか。ていうか、まあ現状維持できたらいっか…みたいな曖昧なものがのぞましい。


曖昧な場所では、「責任」は所在がなく消え入るしかない。これが家庭に幸福をもたらす。「責任」というヤツがイニシアチブをとりだした途端に、家庭は不協和音を奏でだす。−なのに黒字な不思議会計であった電卓は、クールに正しい数字をピタリとはじき出し、幸せ家計の改ざんや大赤字が露呈。見つけた火種は放っておけぬからして、我こそは第一発見者の被害者となり、やれ「お前の教育が悪い」「いや、アナタのゴルフのせいよ」「お父さんの洗濯物がクサいから」「おばあちゃんはうるさい」…と、当事者意識のない消火活動で追求した責任赤字でまた出火。気が付けば家庭は大火事となり、信頼も思い出も思いやりといった家族のいろんなものを燃やし尽くす。燃やす尽くしたところで灰のひとつも残らないことに気づき、燃えたはずの家庭ものがそもそも幻想であったと知る。家庭や家族というものは、揺るぎなさを前提に語られるが、その程度の曖昧なものなのだ。だいたいが見知らぬ他人同士がなんとなくくっついて、不明瞭な未来を想定して作ったもんなんだから。


こないだ読んだ『9条どうでしょう』の中で、の4人の筆者が揃って言ってた(と思う)が、小田嶋さんの言葉を借りていうならば、<9条に限らず、憲法の条文は、いずれも「理想であって現実でない」話ばかりだ>。世の中で語られる「幸せな家庭」というものも、いずれも「理想であって現実でない」話ばかり。ハッピーライフな住宅CFも、チャーミーグリーンな夫婦の風景も「理想であって現実でない」からわざわざ謳う必要があるのだろう。そもそも、町山さんも内田先生も言うとおり、人は争いをしたがる。と同様に、家庭というのは、夫婦だけであれ核家族であれ、壊したくなるもんなのだ。家庭内が落ち着けば落ち着くほどに、なぜか余計なことをしたくなる。言わなくてもいいことを言いたくなる。でも、そうしたことですぐに壊れるというのを知ってるから、壊しつつ修復するという非生産的な行動を繰り返し、「家庭の幸せ会計学の不思議」で黒字を計上する。いや、思いこませるだけなのかもしれないが。


<「現実的」であるということの真の意味は、「現実」に迎合して考えるということではない。「理想」とは、ありえない空想ではなく、ありえたかもしれない「現実」である。どんな時代においても「理想」と「現実」というものは、同時に存在しているのであり、「現実的」であるとは、この引き裂かれた状態をどのようにして折り合いをつけ、やり繰りしてゆくのかという態度のことだとわたしは思う。>『9条どうでしょう』平川克美氏の「普通の国の寂しい夢」より抜粋


平川さんが述べていることも、そのまま読み替えることができた。市井の小さなリビングでも行われていることが、国会でやっていることもそう大差はなく感じられ、こうした夫婦ゲンカレベルのましてや茶番のくせに、決定しようとしている裏付けが、「+200」の後にケンカして「−600」となってそのあと仲直りして「+200」となって、やっぱり「−200」だからこりゃダメだ。…なんて具合だから、9条は改憲されるのかもしれない。


それはそうと、周辺からのいろんな話を小耳に挟むにつけ、マエハラウラハラ元代表の一連の動きは、どうも偽装離婚に見えて仕方がない。え、民主党とじゃないよ。自民党との、ね。なんだかなあ。


で、それもさておき、昨日は浜松のスーさんたちにこてんぱんにやられた。それでも楽しくて仕方がないほどに愛嬌のある面々だったのだが、連盟本部員としては笑ってばかりはいられない。精進あるのみ。それにしても、鰻はさすがに美味しかったなあ。ご馳走様でした! また一戦、そして一献交える日を楽しみにしております。

ウンコの自由

4月3日(月)

六本木ヒルズで観た光景に喚起されたソフィア・コッポラ監督作品の『ロスト・イン・トランスレーション』について、ミーツの映画コラムを書いていたんだけど、書きながら退屈してきたのでソファに寝転がってゴロゴロしていたら、サイドテーブルの上に港町酒場の[ムーンライト]の宍戸夫妻から借りたDVD『THE SUN』を見つけ、そっちの話に書き直した。

といっても、作品そのものの話ではなくて、『THE SUN』が国内では上映されないという話を書いたのであって、作品紹介になってないのである。である、っていいのか? 

『THE SUN』は、天皇ヒロヒトをテーマにした、ロシア、イタリア、スイスの合作映画だ。しかし、「人間」天皇を描こうとした作品だからか、知る限り日本では一般公開されていない。聞くところ(ネットだから読むところか)によると、東京の「社団法人外国特派員協会」にて会員とそのゲスト向け限定(一般入場者なし)で試写会が行われたとかなんとかかんとか。作品広報活動にも圧力(なんの?)がかかるとかかからないとか。まあ、どっちにしても、そういう話題がどこからともなく湧いてくる作品なんである。


というわけで、どうやら一般の試写室では上映されていない。となると当然ながら試写室からは言わせてもらえないからして、ワタシの映画コラムのテーマ「試写室の外から言わせてもらえば」にドンピシャ。というよりも、試写室の外からしか語れない作品なのだ。というあたりをどうたらこうたらと書いて原稿を放り投げると、担当デスクのミゾさんにはアイヨと受け取ってもらえたのだが、一般上映されないには原因があるだろうし、その原因を掘り下げてグダグダやってるワタシは本当に「言わせてもらえる」のかしら? と思いつつ、本当はあまり気にしていないんだけど。ちなみに、昭和天皇をイッセー尾形が、皇后を桃井かおりがってのが、日本映画界ではありえない配役だから、観る前から面白いんだけどなあ。


この『THE SUN』は、国内では入手が困難で、国内アマゾンでも取り扱いがないようだけど、UKアマゾンなら20%オフの15.99£で買えちゃいます(送料がかかるけど)。ワタシはこのDVDを、栄町の[ムーンライト]店主の宍戸さんにお借りした。「…(上に書いたようなこと)ていう映画があるねんけど観る? にやにや」「わー貸して貸して! ワクワク」。…という風に、[ムーンライト]はマーヴィンから永ちゃんの音酒場でもあるけれど、芋焼酎のソーダ割りに映画や本の話がついてくる井戸端酒場でもある。そして、最近の合言葉は「憲兵が来た〜!」である。


奥さんのヒサミさんは相当な「本読み」で、元大手外資のバリバリウーマンなだけあって和訳されていない英語本なども読んでいるから、守備範囲がベストセラーランキング的でなくて面白い。そういえば、雑誌『クーリエ・ジャポン』の創刊も彼女に教えられたのが最初だった。かたや店主・宍戸さんからは、街でしか伝播されない「そういえば」の話がいつも縦横無尽に連射される。そういや「きっこのブログ」といったネット情報もハヤかった。いや、「情報」とかいう物言いでは井戸端なニュアンスが消えそうだが、つまりこの港町酒場は街の生活をふくよかにする話に満ちているということだ。こういうのを「情報」と言ってしまうと、途端にその面白さが半減する。


正しい街の姿と同様に、井戸端酒場の話題は、日の当たる場所もあれば陰の部分もあって、たいていのことに言えるが暗部にこそ真実はあるし面白いもんだから、必然的に「ワルい」話ばかりしている。神戸は母体が黒い話に満ちているので、そっちにも事欠かない。聞くもの話すのもやってられへん的話が多いのにどきどきワクワクするのはなんでだろう。


そういえば、赤提灯の居酒屋なんかでも、ネクタイ姿のおっさんが嬉しそうに下ネタを連発していたりするが、あれは下ネタそのものが面白いのではなくて、下ネタが思いのままにできるという自由が嬉しいのだろう。子どもが悪い言葉を覚えだし、例えば、母親が嫌がるのを見て何だか興奮して嬉しくなって「ウンコ、ウンコ」と何度も繰り返すのと同じだ。つまり子どもなりの自由の謳歌。ネクタイのおっさんなりの自由の謳歌。ちっぽけだ。でも、ワタシはそんなちっぽけな自由が大好きで、街のウンコを発見すると嬉しくなって港町酒場に足が向く。ということは、ワタシも宍戸さんもヒサミさんもウンコの自由の謳歌しているだけなのかもしれない。なーんだ、ウンコかよっ。…という話すら楽しい。ウンコだ、ウンコかかってこーい。ウンコの自由を民衆に!

大家の仕事は「タイトルつけ」です

4月5日(水)

エルマガジン社の『東京本』打ち合わせともろもろあって大阪へ行くつもりが、久しぶりに風邪の予兆。扁桃腺が腫れている感じなので、自宅で作業。週末にある、『宣伝会議』主催の「編集・ライター講座」の講義のレジュメを作成。ご依頼を受けて「文章を書くということ」についてお話しさせて頂くことになったものの、誤字脱字も当たり前のこんな文章を書いてるヤツが何を偉そうに…という内容の、支離滅裂で偉そうなレジュメが完成。『宣伝会議』の大越さんのアドバイスがなかったら、もっとえらいことになってたはず。というか、違う意味で「偉い」ことになってしまった。


話す内容を考えながら、改めて「書く」って何だろうと頭の中を探りながらレジュメを作成するうちに、やっぱりこの作業=「問いを立てて頭の中を探る」が、すなわち書くということなんだろうと再認識。writeというのは、思考を文字に置き換えるという動作であり手段ではあるが目的ではない。そこにいくまでの道筋を丁寧になぞらえるということが「書く」ということなんだ…と言いたいんだけど言えるのかしら。ワタシは多勢を前に話すのが苦手なのである。


講義となると、どうしても一方的になりがちで、口から出まかせで話はいくらでも出来るけれど、自分のしている話のポジショニングを確認することが難しい。一対一であれば相手の反応を見てズレが直せるし徐々に焦点が定まってくるけれど、多勢の反応を感じるのはそうたやすいことではない。その作業がハードコアパンクなんだよなあ…うじうじ。でも、ふと思えば、こうしてブログを書いているときに、ワタシはどんなポジショニングを取ろうとしているのだろう。ワタシには今、これを読んでいるアナタが見えないのに。


ていうか、違う違う。


このブログは、まずワタシが内田樹先生にテキストを添付したメールを送り、そのテキストを読んでタイトルを付けてくださったものを内田樹先生がこの長屋にアップしてくださる。というシステムなので、ワタシが書いているこの記事の宛先は内田樹先生なのだ。少なくとも、内田樹先生の反応を見ながらこのブログを書いている…はずなんだけど、この長屋の面白いところだが、内田樹先生は記事の内容に一切なにも仰らない。同じ長屋の江さんもそう仰っていたので、どうやらみんなにそうみたいだが、テキストを送っても、オモロイともオモンナイとも、ましてやあーだこーだどーだそーだという言葉は一言もない。


という状況は、走ったところでタイムを計られない短距離走者みたいなもので、ヨーイドンで走ってみたもののゴールにいるコーチは無表情で何も言わない。速かったの? 遅かったの? や、や、やっぱ遅かったんだろう…というような感じだろう。となると、とにかく一生懸命に走るしかなくなる。何だかわからないからもっと必死に走ってみるしかない。少なくとも「おめーおせーんだよ」と罵倒されるワケでもないけれども、「めちゃくちゃ速かったよ。よく頑張ったな」という褒められた状況でもなさそうだ。やっぱり褒められたいよね。どこがまずかったのかな。むー。でも、考えてないで走るしかねーんだよ。そんな状況で書いている。内田樹先生はこの先も何も仰らないだろうし、だから走り続けることが出来るとも言える。自分、そして他の誰か。誰かはワタシではないけれど、ワタシが立ち上げたもの。そしてその誰かを通してさらに立ち上がるもう一人の自分。そうか、そういう構造だったのか。

と書いて、ふと、前ブログでアップした「うなぎなるもの」を思い出したので、一部抜粋して貼り付ける。

<村上春樹が「小説というのは三者協議じゃなくちゃいけない」と言っていて、それを彼は「うなぎ説」という風に呼んでいる。『柴田元幸と9人の作家たち』の中でインタビューでこんなことを言っていた。ということを、前に内田樹先生の日記で目にし、読んだことがある。

「僕という書き手がいて、読者がいますね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにはうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの」

「自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、3人で膝をつき合わせて、いろいろと話し合うわけですよ。そうすると、小説というものがうまく立ち上がってくる」

村上春樹は一人でこの作業を誰に言われるでもなくやっていて、そこから秀逸な「話」を作り上げているのだけれど、ワタシのような凡人にはそんなこともできるわけもなく、でも、「うなぎなるもの」を実際に置くと、当たり前なんだけど、いろんなものが立ち上がる。>2004年8月2日(月)

『宣伝会議』の大越さんに「読者のイメージをどのように設定するか」ということをご質問いただいて、その時に答えられなかったんだけど、こういうことだったのかもしれない。こんな話が講義で出来たらいいのになあ。でも、悲しいかな、書き終わったときにしかわからないもんだよなあ。「書きえたもの」というのは、その通り、たいていが事後的にしかわかり得ないものなのだ。だから、それを求めて「書く」のかもしれない…という話をしよう。

そんなこんなのご縁で、また少しずつグルグルと回り出した感がある。皆さん、ありがとうございます。そして、よろしくお願いいたします。

三つの名前で出ています

4月7日(金)

「青山ゆみこ」

また新しい名前を作った。

3つ目だ。

本名は「青山友美子」で、戸籍上は変わらない。4年ほど前、自身も3度ほど変名している母親が「そんな年にもなって(30歳過ぎたあたりだったと思う)、落ち着きもしないでとフラフラしているのは名前が悪いせいみたい(誰に聞いたんだろう)だから、ママ、新しい名前みてもらってきたわよ。コレかコレから選びなさい」。そう言って二つの名前を出された。もう一つは覚えていないけれど、「ゆみこ」という読みも変わるものだったので、なんだかそれは気持ちが悪くてパス。という安易な流れで、私は「青山友美子」から「青山裕都子」になった。

「それでやっぱり変わったの?」

この話をすると、名前の一つしかない人の多くは、好奇心満々とちょっとした意地悪ゴコロで聞いてくれる。結婚したのかとかしてないのかとか、そういう女性自身のネタを求めて。

「いやー別に。へへへ」

結婚というものに憧れも失望もない私は、母親とも女性自身な人たちともその返答のポイントはビミョーに違うが、本当に「別に」としか言いようがない。だいたいが、その聞きたいことが変わったならば、「青山」の部分が変わるはずで、そうすっと、母親の探してきた名前は、いったい何を目標としていたんだろう。…ということはさておき、だいたいが過ぎ去ってもうどこにもない「未来だったはずのもの」は、今の私には見えない。だから、本当のところ、何かが変わったか変わっていないのかは、私にももちろん、誰にも分かり得ようのないもので、だから捉えようによってはいつも希望に満ちている「占い」というものに、いつの世も人はオヨヨとすがるのである。


名前を変えると、気分が変わる。というと、「そんな単純なもんなの?」と言われるが、だって、生まれた時につけられた名前だって、「海のように広く大きな心を持った子どもになるように」とか、単純極まりない。でもだからこそ、名前は強い意味を持つんだと思う。世の中のたいていの条理であり情理は、複雑なことではなく単純なことにこそある。


名前を変えると気が付くのだが、フツーに生活しているだけなのに「名乗る」機会はなんと多いのものか。薬局のコクミンカードを作る用紙に名前を書かされ、化粧品屋で会計を待つ間に「よかったらご案内を〜」と登録用紙にも名前を書き、アマゾンで本を買うにもパスワードのみならず名を名乗らされ、メールを送信するたびに名を最後に付け加え…。口頭で名乗るときは「あおやまゆみこ」の音だけだからいいけれど、漢字記入の度に、「青山友美子」か「青山裕都子」か悩み、ニフティでアドレスを忘れたときもフォーム記入の「名前が違う」と拒絶され、化粧品屋でお客様カードを忘れて登録と違う漢字を書いては不審がられ、前の名刺をお渡しした方には、変名の恥ずかしい話を笑い話に変えてご説明している。これで「ゆみこ」を「けいこ」とか変えていたら、どうなっていたのだろう。さらに、結婚して例えば名字が「よしだ」とかになっていたら「青山友美子」の片鱗もない。「よしだけいこ」って、もう別人ですやん、である。


女の多くは結婚し、その中の多くは名字が変わる。「そういうのは女の人権侵害だ」と夫婦別姓を唱える人もいる。たぶん、そういう人は名を名乗る機会が多く、単純に不便なんだろう。それはそうだ。がしかし、多くの専業主婦は特に異論を唱えない。逆に変名することで、社会的に自分のポジションが変わったことを告知できるんだから便利でもある。私のように変わらない人間は、変わらないことでひとつの告知ともなるから、アンケート用紙に「既婚/未婚」なんて書かされるのは個人情報保護法に…とかいう前に、情報はだだ漏れなのだ。でも、そんなことは私にはどっちでもいいのでワーワー言わないんだけど。もしかしたら、夫婦別姓というか、変名を嫌う人というのは、自分の名の持つ「人格」が「名前を変えることで変わること」を恐れているんではないだろうか。それは私にも身に覚えがあるからわかる。恐れてはいないけど。

「青山友美子」は恥ずかしさも誇らしさも歯がゆさも詰まった30年ほどの時間を引きずっているが、「青山裕都子」にその30年はない。「名前の重み」とかいうのは、すなわち「時間の重さ」なのだ。逆にいうと、30年の時間を持たない「青山裕都子」はどうとでも設定できる。ロールプレイングゲームでいうと新キャラみたいなもんだ。

結婚して電話が掛かって来たときに「はい、よしだ(なんでよしだなんだろう?)でございます」と口にした新妻の嬉し恥ずかしな気持ちというのは、愛する男の名を…という以上に「自分が自分じゃなくなるような恥ずかしさ」なんじゃないかと思うのだ。想像だけど。

『千と千尋の神隠し』の「千」と「千尋」の話は、「名前」の持つ力を分かりやすく描いていた。私にとっての「千」と「千尋」である使い分けの「裕都子」と「友美子」は、書ける幅を広げてくれた。「青山友美子」では生々しくて直視はできても客観視できなかった「身内」の話を臆面もなく語らせ、何よりも「友美子」の恥ずかしさを「裕都子」は笑うことを可能とした。でも、これってまるで人格分裂症じゃないか。それに、そんなことを損得勘定とかそんなものでしちゃっていいのかなあ。

しかしながら、「名前を変える」ということは、過去の名前を捨てる、ということではない。一度存在した名前は消えない。ゴミ箱には捨てられないのだ。つまり「名前を変える」と、人生のデスクトップ上にいくつもの名前のフォルダが増えるような感じに近い。都合良く、そこから記憶や時間やなんやかんやを取り出すこともできるのだが、その全ての名前の管理者である私には責任がある。名前というシンプルで不変のシステムが突如バージョンアップしたりしないのは、この責任からは逃げようがないからだと思う。つまり、この責任を一番軽くするには名前は一つでいいし、その方が便利なのだ。

あまり言われていないが、名前は一人歩きをする。なので「便利さになびく」という人間のどうしようもない弱さに魅入られた私は、「青山裕都子」も「青山友美子」も、そして今後は「青山ゆみこ」を使いこなし…と思っているのは自分だけで、名前たちは鵜飼いの鵜のように好きな方向に飛んでいくだろうし、帰ってきたときに何を口に入れているかは私にはわからない。危険が一杯である。でもまあ、えっか。ということで、スピリチュアルなんちゃらとかそういうのでは全然無い、聡明で尊敬する運命鑑定士・内山明玉さんに御墨付きをいただいた「青山ゆみこ」をどう歩かせるか目下思案中。なんだか人生はどんどんとややこしくなっている。なんて思っているのはいったいどの「あおやまゆみこ」なんだろう。

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