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幸せ会計の摩訶不思議

4月2日(日)

誰かと暮らすということは、一人の時になかったしんどさや面倒臭さがあるけれど、その分、幸せも2倍…なんていう物言いは、嘘だと思う。だって、幸せは2倍どころじゃなくて、4倍だもん…なんていうのも本当でもあるけどやっぱり嘘で、幸せも不幸せも2とか4とかたとえ100とかなんとかかんとか、つまるところそんな数値では帳尻が合わない。つまり、嬉しいことがあり「+200」の直後にケンカして「−600」となってその後またすぐに仲直りして「+200」となったなら、数値上は「−200」。のはずなのに現実は、「なんとなく幸せ」だったりする。


数値の話であれば、ほとんどの家庭の感情家計は赤字だし、たいていの家庭で前年比を割る。にもかかわらず、なぜか予算対比は「まぁまぁぼちぼちね」というところに収まって、赤字の年数をコツコツと積み重ねたある日、ふと「あんなこともあったわね〜」という思い出大黒字として精算される場合がある(その逆の「なんとなく幸せ」貯金が「取り返しのつかない無駄な年月」として精算される場合もあるけれど)。そんなにこやかに不透明な会計というか、暗黙の微笑み水増しというか、憎しみの改ざんというか、そういうのが当たり前に行われているのが正しく曖昧な「幸せ家計」というものなんだろう。政治の家のように、秘書の給料をふんだくって数字はぴったりと合っているのに暗い会計というのとは全く正反対。これを「家庭の幸せ会計学の不思議」という。


幸せ家計の不思議は、もろもろすべてが曖昧だが、どんな家庭でも、その幸せ家計は「未来」という担保により成り立っていることは不変だ。その未来は「阪急神戸線の沿線の駅から徒歩10分圏内で、海が見える一戸建ての庭にレトリバーをバウバウとさせて、お母さんは赤いボルボのステーションワゴンで幼稚園に…」とかいう近未来に具体的なものではなくて、なーんかよく分かんないけど、このままいけばよく分かんない幸せがきっとあるだろうし、どのままなのかすら不明。でもまあ、なんかあるんならそれにしとこっか。ていうか、まあ現状維持できたらいっか…みたいな曖昧なものがのぞましい。


曖昧な場所では、「責任」は所在がなく消え入るしかない。これが家庭に幸福をもたらす。「責任」というヤツがイニシアチブをとりだした途端に、家庭は不協和音を奏でだす。−なのに黒字な不思議会計であった電卓は、クールに正しい数字をピタリとはじき出し、幸せ家計の改ざんや大赤字が露呈。見つけた火種は放っておけぬからして、我こそは第一発見者の被害者となり、やれ「お前の教育が悪い」「いや、アナタのゴルフのせいよ」「お父さんの洗濯物がクサいから」「おばあちゃんはうるさい」…と、当事者意識のない消火活動で追求した責任赤字でまた出火。気が付けば家庭は大火事となり、信頼も思い出も思いやりといった家族のいろんなものを燃やし尽くす。燃やす尽くしたところで灰のひとつも残らないことに気づき、燃えたはずの家庭ものがそもそも幻想であったと知る。家庭や家族というものは、揺るぎなさを前提に語られるが、その程度の曖昧なものなのだ。だいたいが見知らぬ他人同士がなんとなくくっついて、不明瞭な未来を想定して作ったもんなんだから。


こないだ読んだ『9条どうでしょう』の中で、の4人の筆者が揃って言ってた(と思う)が、小田嶋さんの言葉を借りていうならば、<9条に限らず、憲法の条文は、いずれも「理想であって現実でない」話ばかりだ>。世の中で語られる「幸せな家庭」というものも、いずれも「理想であって現実でない」話ばかり。ハッピーライフな住宅CFも、チャーミーグリーンな夫婦の風景も「理想であって現実でない」からわざわざ謳う必要があるのだろう。そもそも、町山さんも内田先生も言うとおり、人は争いをしたがる。と同様に、家庭というのは、夫婦だけであれ核家族であれ、壊したくなるもんなのだ。家庭内が落ち着けば落ち着くほどに、なぜか余計なことをしたくなる。言わなくてもいいことを言いたくなる。でも、そうしたことですぐに壊れるというのを知ってるから、壊しつつ修復するという非生産的な行動を繰り返し、「家庭の幸せ会計学の不思議」で黒字を計上する。いや、思いこませるだけなのかもしれないが。


<「現実的」であるということの真の意味は、「現実」に迎合して考えるということではない。「理想」とは、ありえない空想ではなく、ありえたかもしれない「現実」である。どんな時代においても「理想」と「現実」というものは、同時に存在しているのであり、「現実的」であるとは、この引き裂かれた状態をどのようにして折り合いをつけ、やり繰りしてゆくのかという態度のことだとわたしは思う。>『9条どうでしょう』平川克美氏の「普通の国の寂しい夢」より抜粋


平川さんが述べていることも、そのまま読み替えることができた。市井の小さなリビングでも行われていることが、国会でやっていることもそう大差はなく感じられ、こうした夫婦ゲンカレベルのましてや茶番のくせに、決定しようとしている裏付けが、「+200」の後にケンカして「−600」となってそのあと仲直りして「+200」となって、やっぱり「−200」だからこりゃダメだ。…なんて具合だから、9条は改憲されるのかもしれない。


それはそうと、周辺からのいろんな話を小耳に挟むにつけ、マエハラウラハラ元代表の一連の動きは、どうも偽装離婚に見えて仕方がない。え、民主党とじゃないよ。自民党との、ね。なんだかなあ。


で、それもさておき、昨日は浜松のスーさんたちにこてんぱんにやられた。それでも楽しくて仕方がないほどに愛嬌のある面々だったのだが、連盟本部員としては笑ってばかりはいられない。精進あるのみ。それにしても、鰻はさすがに美味しかったなあ。ご馳走様でした! また一戦、そして一献交える日を楽しみにしております。

コメント (1)

すう:

こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。
麻雀のおもしろさって、やっぱり「役作り」でしょうか。どんな手ができるか、その過程がわくわくドキドキで、それが何とも楽しいんですよね。
でも、さすがに本部連盟、みなさん和気藹々と麻雀を楽しんでおられる雰囲気が、何とも言えずうらやましく思いました(浜松支部が剣呑な雰囲気でやっているというわけではないのですが)。
ぜひまた遠征しますので、よろしくお願いいたします。

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2006年04月08日 11:15に投稿されたエントリーのページです。

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