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   <title>アオヤマの乱れ髪鉄火場勝負</title>
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   <subtitle>Since Mar 2006</subtitle>
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   <title>大阪２４９</title>
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   <published>2007-03-25T11:36:07Z</published>
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      編集集団140Bの主幹にして、クエストルームのボスであり、北新地では止まり木の癒し系でもあるし、プロのマジシャンでもある。歌うしかき鳴らすしかき乱すし一体全体…という私の兄貴分のお洒落番長イシハラ氏（ながっ）。彼のブログで「893239」を知る。そしてサンプルDVDを借りる。しびれる、ちびる、震える、泣ける。

「893239」は「ヤクザ23区」と読む。東京都23区から選んだ１区とヤクザをテーマに、10～15分程度のショートムービーを制作し、その26作品をオムニバスにしたものだ。手塚眞さんなんかも参加されているが、監督の有名無名やそれこそ普段の職種なんかもバラバラで、さらにフィルムだったりビデオ撮影風だったり26の作品は、そのどれもが温度も手触りもまったく違う。「893239」のWEBサイト→http://www.893239.com/index.html

同じ「ヤクザ」というテーマでこんなに視点が変わるのかという風景の違いにドキがむねむねし、それはつまり「港区」か「世田谷区」か「江東区」か…街の持つ土壌や気配によるものなのだと推測させられることがなによりも面白かった。サイレンを鳴らして車が駆け抜ける池袋のデンジャラスなネオンや、ぷかぷか丸太が浮かぶ江東区の木場、江戸川区のど下町な商店街の豆腐屋など、関西人の私には全くの異界である、そこにしかない東京の街の一片。それを観ているだけでも、胸がわさわさとなる。

ソフィア・コッポラの見たTOKYOが『ロスト・イン・トランスレーション』であるとするならば、その中でトランスレーションされていなかった東京が「893239」にはあるし、逆に言うと、ソフィア・コッポラのTOKYOはそこにはない。どの表情が正解というのものがなくなった街こそが東京であり、複雑怪奇で哀しくも愉しくも痛々しくも切なくもある街だと改めて思う。もはや東京は時代の概念であり、東京23区はたまたヤクザ23区いやはやどう言い換えても捉えられないのかもしれない。だからこそ、私も嫌いだけれどなぜなのか惹きつけられて仕方がないのかもしれない。


モノを作る立場から観ると、「893239」の26作品の中には、あー何かを伝えたいというよりもテクニックをみせたかったんだなあー、と意地悪に取れる作品もあったけれど、それもまた、その「区」らしくも思えそれも踏まえてのことなんだろうなと推測できる。
 
ちなみに、私の好みにぴったりときたのは墨田区『走るフラメンコ』と江戸川区『ヤクザの宅配便』どちらも、むっちゃ笑えるし、ちょっと泣ける。それぞれのヤクザ像もグッとくる、それはユーモラスに、そして軽やかに描かれているヤクザが、その実すごく深いからだろう。 

だいぶと前になるが私がミーツ・リージョナル誌の編集しているとき、確か2001年頃だったと思うが、『大阪24区』という特集をしたことがある。その特集リード文の中に「街が違えば人種も違う」みたいなフレーズがあった。文脈上では「夜行人種」「業界人」といういわゆる生活パターン別の「人種」であり、ミーツ・リージョナル誌では常套句の一つでもあった。 

発売当日の夕方か翌日の昼に、発売日から３日間の予定だった大阪市営地下鉄の車内吊りが「不適切な表現がある」と撤去された。もちろん表現や文言など全て事前審査でチェックされ通過しての車内吊り。不適切だという表現が、前述の「人種」という言葉であった。大阪市営地下鉄側の説明では、乗客からの指摘によりとあったけれど、そのあたりは結局具体的に説明されず、指摘の内容も曖昧であった。けれども、形として明確に、その『大阪24区』特集のポスターは全て撤去された。

その影響で、近鉄百貨店関連の書店でも発売中止となる。いくら美味しく作れても八百屋に並ばないトマトなんかと同じで、雑誌も店頭に並べられてなんぼ。書店に商品が並ばないというのは致命的だし正直、これはきつかった。もちろん、なんとか並べて欲しいとお願いに行く。１軒や２軒の書店に並ばなくても…というのはそうかもしれないけれど、そこから「ウチも止めておこう」「ならウチも」という集団心理がなによりも怖い。そして、理由に納得していないまま、放置するのは今後の信用にもかかわる。いろんな思いを抱えて天王寺の担当者を訪ねた。

ご担当者の方とはだいぶと話をした。「言葉狩り」みたいなものに流されないで欲しいとかなんとかかんとか。話のなかで、私は差別問題に関しての自分の不勉強をいくつか恥じることとなったし、それでも、納得のいかないこともあったけれど、百貨店という信用にしか値札がつかない場所ではわざわざ危険のあるものは仕入れなくていい、という単純な商売の原理には納得せざるを得なかった。 

近鉄という電鉄の路線は、大阪の街の多様性がグラデーションを描くそのまんまをガタゴトとなぞっているような感じだ。浪速区も通れば西成区も通る。奈良にも行く。国籍がジャパンではない住民が多い街もあるし、お好み焼きの味も街的偏差値も何もかもが違う街を電車はガタゴトと走る。 

「近鉄が走る街でこそ、今月の『大阪24区』を売りたいのです」と青く唾を飛ばす私に、「あおやまさんの気持ちはわからんでもないし、正直に言うと仰ってる通りの意味なんやろうとも思います。ただ、ウチでは誤解を招く可能性があるものは売れませんねん」。おそらく、筋金入りのクレーム処理班であろう担当のおっちゃんは、強面なんだけど困った顔でそう言った。しゃーないんですわ、という心のつぶやきも聞こえた。本当に困っているのがよくわかった。 

大阪24区の面白さは、「わかるこまるしゃーないねん」というところにあるのだと思う。そういうのは、どことなく社会におけるヤクザの存在についても同じように言えるような気がして、893249があればどんなだろう、面白いな、と思うのであった。
 
ちなみに、『大阪24区』の特集は車内吊り撤去事件が朝日新聞に取り上げられたせいもあり売れに売れた。わははははーであった。売れ行きが悪いと、「なんか事件起こすかー」という自虐的な冗談が流行った。ともあれ、この時にお会いした担当者の方の名刺は未だにすぐに出せる場所にある。ふとした時に目にすると、無性にどきりとする。ともすれば上滑りした文章を書きがちな私は、ふと何かが引っかかり書いたものを読み返し、その名刺を思い出すことがある。言葉が足りているかいないのか…。宮崎学さんの『突破者』的な社会の暗闇が同様に広がっているかの百貨店で、長い間いろんなものを受け止めてきたあの強面を思い出す。『大阪24区』はいろんなことを私に教えてくれた特集でもあった。

東京23区、大阪24区。893239、893249。夏頃にはDVDも発売予定だそうで、とても楽しみだ。と、最後になりましたが、更新が鈍っていて、絶望視しながらクリックいただく方には申し訳ありません。精進いたします（ぺこり）。
      
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   <title>どうぞそのママ</title>
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   <published>2006-12-19T12:42:16Z</published>
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   <summary>「北新地　銀座　提携」という360級（適当）ぐらいの大見出しが目に入り、思わずキ...</summary>
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      「北新地　銀座　提携」という360級（適当）ぐらいの大見出しが目に入り、思わずキヨスクでその新聞を手に取ったら、やっぱり夕刊フジだった。「東西代表　夜の社交場」というベタにもほどがある見出しにも胸がわさわさとなり、もれなく購入。早速、駅のベンチで読みふける。


内容は…不況のあおりをくらいアップアップの北新地、これはマズいと北新地社交料飲組合が、銀座社交料飲組合に話を持ちかけた。てか、この状況マジヤバくない？　でさ、考えたんだけど〜。普段オレのシマで飲んでる客が、アンタのシマへ行くじゃんか。でも、しらねー店はこえー。だから、行かない。それ勿体なくね〜？　だからさ、オレッチの客をここなら安心だってアンタとこに回すし、アンタんとこの客もウチなら安心ってまわしてよ。オレッチ潤う、アンタ感謝される。逆もしかりで万万歳。ほら、スタンプラリーとかもしよーぜー。おー！！（握手）


もー、こんな記事を１面トップにする勇気、いや男気ならぬおっさん気は、夕刊フジにしかないよなあ（黒川博行さんの連載『大阪バガボンド』も、本当におっさん丸出しで楽しすぎるし）。それはさておき、でも、この記事はそもそも誰にそのメッセージを向けているのだろうと不思議に思った。


もちろん、このシステムを喜ぶ人もたくさんいるはず。私のところにも北新地のおっちゃん飲み友達から、「今、銀座やねんけど、ケイコママのとこぐらいの値段で、ええことしらん？　ウィ〜ッ、ヒィ〜ック。そこ右や、いやちゃう左いってくれ（タクシー風）」などと、たまに夜中にろくでもない電話が入る。ほんまにもうー、おっさん、命がけである。


同じくおっさん体質極まりないアオヤマは、この記事の背後の、そのまた奥にいる命がけなおっさんの気配に鼻がひくひくとなった。

北新地を庭と豪語するデスク部長は言う（以下、妄想）

「タカノ（注１）のおばはん（注２）とこも大変んみたいやなあ。こないだも、えらい酔うて言うてたで（注３）。そういうたら、なんや河口のおっさん（注４）が銀座と組むんやーて言うてるなあ。それ決まったら、トップ（注５）いったれや。お、ほんまか、アゲインのマミ（注６）もそんなこと言うてたなあ。いったれいったれ。絵ぇ（注７）は、新地は本通りや。銀座は和光でええやろ」

注１：タカノ→座ると２万、ボトルを入れた日は５万のクラブ。ママは北新地で１番と言われたクラブで雇われママをしていて独立。誰もが知る有名なひと。こうなると、名前ではなく店名で呼ばれることが多い。ジュンコとか名前を言うより、なんとなく名字をそのまま店名にした方が、値打ちっぽい。ちなみにタカノは仮名

注２：おばはん→親しいママをなぜかわざわざ「おはばん」と言いたがるのが、おっさんという生き物

注３：えらい酔うて言うてた→オレには愚痴までこぼす…つまりそういう親密な関係。ということを暗示した、大人っぽくさりげない自慢

注４：北新地社交料飲組合の河口貴賦理事長のこと（実名）。たぶん、きっと、おそらく何度か一緒に飲んでいる。もちろんお互いが会うときは、役職付きの呼称で呼びあう。それが大人の礼儀。なぜか、肩書きが大層になるほどに、親しくない人からも陰で「おっさん」よわばりされるのが関西風味。知事も社長もセンチュリーに乗るようになったら、一般人からは「おっさん」扱いされる


注５：でっかく一面にドーン！といったれや〜。タカノのおばはんも喜ぶやろ（と心の中で思っている）

注６：永楽町のスナックの女の子（仮名・自称23歳・よく言えば崩れた常盤貴子風）。クラブとか面倒くさいから、スナックの方が気楽でええわ、と週に４日だけヘルプのような状態で入る。だからなんでも責任なくペラペラ喋る。

注７：紙面を語るメインカット。　北新地はやっぱり本通りがメインストリート。でも、両方がネオン街の写真になると絵がかぶる（似てくる）ので、銀座はちょっとイメージカットっぽく澄ました感じにしてみた。関西人ならではのメリハリ


という感じに、これは北新地の中に向かう、ママや女の子への励ましのメッセージであるような気もしなくはないが、でも、これだけ妄想を掻き立てるってことは、何百万のおっさんの同胞も同じようにニヤニヤと読んで、久しぶりにチカんとこに顔だすか！なんて張り切っているに違いないのである。ちなみにチカちゃんは、アオヤマがミーツ時代に連載をはじめた「ダメよだめだめ北新地」というコラムを書いてくれている、座って４万円ぐらいのクラブのホステスさんである。


さてはて、北新地と銀座のタッグ話を聞き、思い出したのがクラブＫのさっちゃんママ（仮名）。今までたくさんの先輩に揉まれてきたアオヤマであるが、このさっちゃんは思い出深い。北新地で遊び始めた頃にご紹介いただき、以来ものすごく可愛がっていただいたけれど、それは同時にぶるんぶるん振り回された数々の夜を思い出させ、もう眠いよぉ帰りたいよぉ家がどこかわからないよぉ〜と泣いた涙のしょっぱい味も、同時に思い出すのであった。打ち止め宣言の出せない夜は、朝になろうが終わらない。さっちゃんママが「もういらない」と言うまで、止まらないわんこそば。ママという人種について、体にいろんなものをたたき込んでくれた人だった。相手には断らせないけれど、自分ではいともたやすく断る。それがママというものである。これ、結構難しい。どちらかといえば芸に近い。


このさっちゃんママがもう何年か前になるけれど、本業のクラブ経営以外に触手を伸ばし、創作和食店を出店したことがある。値段もこなれた居酒屋風で、なかなかいいお店だった。なので、ある本で掲載しようとしたことがある。それは総集編の別冊だったので、写真は以前に撮影したものを流用しようと考えた。けれども、写っているスタッフが変わったので再撮影をしてほしいとママ。わかりました。撮りました。本ができ上がりました。やれやれ。その翌日、アオヤマの携帯に着信。さっちゃんママは不機嫌に言う。「店、閉めたから」。えっ？　「もう、小さいことやってらんないわよ」。ママはその時期、銀座にも出店した２軒目のクラブ経営に夢中だったので、私が作っているような「ちっぽけ」な雑誌なんてもうどうでもいいワケである。ただひたすら絶句する私の気配を感じたさっちゃんママ、幾多のおっさんをゴロリと崖の下に転がしてきた甘い声で囁く。「久しぶりに遊びましょうよ〜。今週末あたりなんて、どうでちゅか〜。あぁおぉやぁまぁさぁ〜んん（ハート）」


「北新地　銀座　提携」の夕刊フジを読んで思った。「これはさっちゃんママ、追い風やなぁ」。そして、その追い風に乗りまくりほくそ笑むさっちゃんママの顔を想像すると、怖くて逃げたいのにちょっぴり会いたくなるのはなんだろう。それもママの、ママたる芸というものなんだろう。

      
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   <title>神戸元町別館牡丹園夜想曲</title>
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   <published>2006-12-18T12:03:40Z</published>
   <updated>2006-12-18T12:06:04Z</updated>
   
   <summary> ミル貝からはじまって、次々と円卓に載せられる大皿を、瞬時に順次に10人が食べ尽...</summary>
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ミル貝からはじまって、次々と円卓に載せられる大皿を、瞬時に順次に10人が食べ尽くしていく。指揮がいないのに交響曲を奏でるオーケストラのように、それぞれが料理を讃え、自己紹介代わりの小咄を披露し、紹興酒を熱燗のようにポンポンと空けてゆき、３時間の大演奏は幕を閉じたのだけど、その圧倒的な一体感は空気を振動させて、その興奮は私の心もぶるぶると震わせた。忘年会という名目で、福山、京都、大阪、淡路島から、港町に集結した「神戸元町別館牡丹園」の夜。


エントリーしたのは、哲学する俊足ラグビー選手ヒラオくん。世界一食いしん坊でロケンロールな精神科医青山シンスケ。永遠に夢を語り続けながらなぜかソロバンもはじける医者崩れ弁護士予備軍ハシヤ氏。青山シンスケとハシヤ氏の悪ガキ仲間である歯科医・ドラゴン。いつも微笑みを浮かべているホテル支配人・永末嬢。面倒ごとを粛々とこなす140Ｂの編集者、大迫力と書いてオオサコチカラ。新聞記者→雑誌編集者、とメディアを模索する駆け出し編集者・デカ長。ハシヤ氏の阪大ロースクール同級生のツジイくん（24歳・窪塚クン似）。アオヤマが編集者・ライター講座でナンパした次世代編集者の予感・森あきひこくん（24歳・武豊似）。そして不肖・乱れ髪アオヤマ。


大迫くんが「異業者交流会より激しいですね」と評した脈絡のない面子だからこそ、予想もしない話の展開となり、それが聞いたことのない交響曲を奏でたのだけれど、バラバラの奏者をまとめ上げたのは、何よりも圧倒的に完璧な「神戸元町別館牡丹園」の中国料理ありきだろう。その皿たちが、私たちに話をさせる。飲ませる。食べさせる。そこにはもう自分たちの意志ではない何かがあることを感じたし、それを全員が感じ取ったからこそ実現したのだろう。今までにも何度かこういう感覚を味わったことがあるけれど、10人の円卓でひとつの壮大なシンフォニーを奏でるというのは、初めての経験に思う。


いま編集をさせてもらっている『トム・ソーヤー・ワールド』の２月号（１月頭発売）に、内田樹先生にも『村上（春樹）文学における「朝ご飯」の物語論的機能』というお代のコラムを寄稿いただいたのだが（７ページに渡る大作です）、そこでもこんなことが書かれていたのを思い出した（ちょっとフライングで極一部抜粋）。

『「個食」「孤食」という食べ方が私たちの社会にはしだいに浸食してきているが、これには「共同体への帰属を拒否する」という社会的記号として解釈することができるし、現にそう解釈されている。というのは、「共食」（「ともぐい」と読まないでね）こそが人類にとって最も古い共同体儀礼だからである。共同体成員が集まって、同じ食物、同じ飲み物を分かち合う儀礼を持たない集団は存在しない。
　それは一義的には生存のための貴重なリソースを「あなたに分かち与える」という「友愛のみぶり」である。
　同時に、同じものを繰り返し食べることを通じて、共食者たちは生理学的組成において相似し、嗜好と食性を共有し、やがて同じような体臭を発するようになる。そのようにして人々はある種の「幻想的な共身体」のうちに分かちがたく統合される。』


私がまったく接点のない誰かと誰かを繋げたいとき、そのたいていの場合に「場」として「神戸元町別館牡丹園」を無意識的に選んでいたのは、信じがたく料理が美味しいのもあるけれど、そこが大事な儀礼の場としても最高に機能するということも大きいのだと改めて感じた。それには、ご主人の王泰康さんという装置がまた多分に影響するんだけれど、いったい何なんだろう。説明するのが難しいのだけれど、圧倒的な強い個性は瞬間的にその場にいる全員に共通の思い出を作り出すということを教えてくれた人でもある。そして、あれほど真剣に料理と対峙する料理人はこれだけ店の数があってもやはり多くはいないし、あれほど人を面白がる店主というのも、私はあまり知らない。昨夜も厨房から怒号が聞こえていたけれど、そういえば厨房も激しい交響曲を奏でていた。


さてはて、そんな演奏の感動と興奮が、こうして私に久しぶりにここで書かせている。私が書いている、ではなく、神戸元町別館牡丹園に書かされている。そういうことにもぶるぶると心が震える。そして、そんな場を一緒に創ってくれたみんなに感謝したい。ふくよかな人生の一部はこういう夜の連続でしか作れないと思うと、みんなもっとご飯を食べに行ったりお酒を飲みにいったりした方がいいんじゃないかな。ということを、ミーツ・リージョナルという雑誌は昔書いていたように思う。


久しぶりの更新で大変失礼しておりました。その前日の内田樹先生と平尾剛さんの朝日カルチャーセンターでの対談が、むちゃくちゃ面白かったという話や、その「場」でまたご縁ができた神鋼ラグビー部のウイング瓜生靖治選手と、偶然にもその瓜生選手と小倉高校の先輩・後輩であると発覚したミキハウスのオガワさんとの出会いなど、書きたい話が山盛りなんだけど、まとめて読むのは面倒だろうし、てかもうちょっとバランスよく更新しろよという声が聞こえなくもないので、小出しにしたいと思います。


それにしてもラグビーは本当に面白い。そして奥が深い。むー。平尾剛さんに相談していたのだが、来年、いろんなチームの各ポジションから一人一人の方に、そのポジションについてや、生まれ育った環境などインタビューしたいと考えている。街の先輩である金村さんがいるラグビー酒場「サードロウ」にて今年現役を引退された元神鋼ラグビー部の鶴長健一さんに偶然にお会いし、彼のポジションであった「プロップ」についての話を初めて聞いて面白かったせいもある。面白いというか、泣けてきて、それは私にはラグビーになぜ自分が惹かれるかの原点があるようにも思えるし。インタビューしたものをどうするかはまだ漠然としか考えていないけれど、誰よりも私が読みたいものが書けたらいいなと思っている。それを想像すると楽しすぎてまた心が震えるのであった。



      
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   <title>もがく中で見えてくるもの</title>
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   <published>2006-09-04T08:02:04Z</published>
   <updated>2006-11-09T13:08:03Z</updated>
   
   <summary>私が『ミーツ・リージョナル』誌の編集をしていた６年ほどの間に、大きな波が二つぐら...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nagaya.tatsuru.com/aoyama/">
      <![CDATA[私が『ミーツ・リージョナル』誌の編集をしていた６年ほどの間に、大きな波が二つぐらいあった。波が水位の高低によってうまれるように、販売率の波も高いときがあればすなわち低い時もある。そして、まるで干潮の凪のような時期であったある半年が、一番精神的にきつかったように思う。


変わらなきゃいけないのだが、変わり方がわからない。


わからないとわかりやすい方向に流れるのは当然で、編集以外の部署からは「マーケティング」うんぬんかんぬんの意見が出た。ちょうどそんな時期に、会社組織に変化が出だして、意味不明のカタカナの会議と、守るべき規則が増えた。わかるための努力と、できることをしたらそうなった…というのは、会社の方向としてはわかりやすことなのかもしれないが。


副編集長クラスが出席を求められたナンチャラカンチャラ委員会で、お互いに忌憚のない意見を出し合うようにというお偉いさんの命を受け、自己批判がベストであるかのような忌憚のない意見とやらを聞くと、ここでもやはりマーケティングうんぬんかんぬん。創刊10数年、数字やグラフでの読者ターゲットのコンセプトがない『ミーツ・リージョナル』は、広告代理店に提出したときに一目で理解してもらえるコンセプトシート作りが画期的であるように語られる。売れることに自信をなくしていた私は、その半年か１年か継続的に続けられたナンチャラカンチャラ委員会で「でも」「でも」と他者否定と自己否定をバカみたいに繰り返し、最後日に１年間の総括を求められこう言った。


「１年間、コンセプトを明確にとか、読者ターゲットをとか、売れている雑誌を研究しようとか、いろんな案を頂きました。そして、確信しました。ここであげられた案だけは実行しない。それが一番だと。不毛に思ったこの委員会でしたが、逆説的にしてはいけないことを教えてくれた貴重な場でもありました。今後、こんな場をもたなくていいように精進したいと思います」


という意味のことを、しどろもどろに、そして攻撃的に発言し、同席した何人かをうんざりさせた。それは私自身をも攻撃しうんざりさせた。その会議に、今の私がいたら、たぶん「偉そうに言うなら意見を出せよ。それもできないでそんなこと言うお前なんか、早く辞めちまえ」と言っただろう。正しさを振りかざしたバカで、何より嫌みな人間である。そんなことを言った当時の自分がちょっと可哀想だけど、周りはもっと可哀想だったろうなー。


うまくいかないときは、どこかのパーツじゃなくて、もっと大きな何かがうまくいっていない。根本的にうまくいっていないんだろう。


その何かは、ナンチャラカンチャラ委員会といった身内による重箱のつつきあいではみえないし、ナンチャラカンチャラ委員会が開催される土壌がうまくいっていなかったんだろう。


山に住んでいる自分たちが、山で獣が捕れなくなって木の実がならなくなったどうしよう、畑を作るかでも水が、なら水をひこう、でもめちゃくちゃ大変じゃん。そんな弱音吐くな頑張るヤツが偉いんだ…というときに、え〜？山を越えた向こうの海に住めばいいじゃん、なんか問題でもあんの？　ほんとだー。海に行こう海に！　というのが概ね正解に思われる。でも、そこには圧倒的に外である場所から来た誰かが必要だ。


でも、そんな誰かはふかふかのイスを用意して待っていても来てくれないし、現れたところで悩める自分たちの閉じた思考の中では、それを飛び越える誰かを選別することができないものである。そうすると、待つしかないんだけど、待つにも仕方がある。手足をバタバタさせてそれでケガもして、もう逃げ出したいけどもう少し待ったら誰かが現れるかもしれないし、悲しいかな永遠に現れないかもしれない。それでももがくしかないし、でもこうしていることが不毛なのでは…という孤独に直面したときに、誰かが現れる。というか、ずっと前にそこにいたと気づいたりもする。


トップリーグの開幕戦を観て、かつての組織でもがいて（たと思って）、何をして何をしなかったんだろうと考えた。考えても特にいいアイデアは生まれなかったけれど、胸が痛くなって、やっぱりラグビーはすごいなと感激し、今年も出来る限りの観戦を心に誓う。えー、私を先輩と思う後輩であるアナタに伝言。もっとラグビーをみてもがきましょう。先輩である私だってもがいてんだから、１抜けたはダメよ。ずるいじゃーん。


ここんところ、新しいおもちゃである<a href="http://d.hatena.ne.jp/team140b/">140Bブログ</a>の更新に励んでいる。それにしても、内田樹先生のブログが更新されないと、つまんないなー。魔性の女フジモトは、ここぞと読書にいそしんでいるとのこと。見習いたいもんだ。てか、原稿書けよ。はい。

<a href="http://nagaya.tatsuru.com/sato/">
ドクター佐藤のブログ</a>を読んで、どこかに行きたくなった９月。だんじり祭りの季節です。]]>
      
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   <title>締め切り？ま、そういうこともあるわな</title>
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   <published>2006-08-23T14:08:49Z</published>
   <updated>2006-11-09T13:08:03Z</updated>
   
   <summary>８月23日（水） 夏風邪勃発。ついにこの１０日ほど、一字も原稿を書かなかった。 ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nagaya.tatsuru.com/aoyama/">
      <![CDATA[８月23日（水）

夏風邪勃発。ついにこの１０日ほど、一字も原稿を書かなかった。

ま、こういう時もあるわな。

え、締め切り？

ま、そういうこともあるわな。

てことで、必死のパッチの盆明け。ウォーミングアップがわりにブログを書いてみる。

のらりくらりゲホゲホというこの夏風邪ウィークの間にも、いろんなことがあった。

新書仕事でご縁ができた岩波のモリミツさんと神戸・北野のギャラリー島田でお会いし、そのご縁の流れで素敵なヒロセ姉さんとも知り合う。ヒロセ姉さんは、実は１４０Ｂの中島社長の相方であるチハルさんの友人で…と、世間は本当に狭かった。住吉で開催されるお知り合いのアーティストの展示会のご案内を頂いたので、マガハの原稿が抜けたら行ってみようと思う。

そして、お世話になりまくった宣伝会議の大越青年が東京に転勤が決定。大越さんとは、なんとなく他人の気がしない。なので、どこにいてもご縁はあるだろうけれど、やはりちょっと寂しい。彼は名インタビュアーでもあるのだが、いま発売の『宣伝会議』でも内田樹先生の談をまとめている。そりゃ、読む価値は必ずある。

そういえば、大越さんに『週刊現代』の加藤編集長と内田先生の馴れ初め話を聞いていると、またも突如、魔性の女フジモトさんが登場する。たぶん…フジモトさんには、影武者がいる。そうじゃなきゃ納得がいかない。まあ、いかなくても問題ないけど。それにしても、ここ数ヶ月の間に遭遇するフジモトさんの残像は、チャンネルひねればみのもんたという状態に近い。なのに、ふと連絡するとたいてい本願寺で粛々と仕事をしている。生き霊とか飛ばしてるのかなー。フジモトさんなら出来そうに思えるのが、魔性の女たるゆえんだろう。あ、怒らないで。きゃー。え、でも、またなんでここにいるの？　…という感じの人なのである。

話は変わるが、<a href="http://www.140b.jp/">１４０ＢのＨＰ</a>が進化して、<a href="http://www.140b.jp/promoter.html">ユニークな発起人たちの紹介</a>や、<a href="http://d.hatena.ne.jp/team140b/">１４０Ｂブログ</a>も出来ました。IT秘書のイワモトさんにこのブログにもリンク貼り付けてもらったのでまたご興味がある方はどうぞ。１４０Ｂは所属する面子のほぼ全員が、企画書をがしがし書ける編集者だ。なので、チーム仕事と個人プレーでそれぞれが多岐に渡る仕事を抱えている。ということもあり、お互いに把握できるように、そしておさらいの意味も含めて、とにかくみんなが関わった仕事をどんどんアップしていこうぜ。それと、進行している仕事のコンセンサス取るのにも使おうぜ。て感じで、脈絡なくどんどん更新していきますね。

今日は、大迫力と書いてオオサコチカラが間宮吉彦さんが設計して作ってくれたホワイトボードについて書いていた。そこにも書いてあるけれど、巨大なホワイトボードにはいろんな企画の種が所狭しと書き殴られていて、フラリと来社くださった誰かが、そこからヒントを得て１４０Ｂに関係がないところでプロジェクトを立ち上げたとしたら、それはそれで面白いじゃないか、ってノリだ。

実際にそんなことがもう既にあったりなんかして、こうして限りなくオープンソースな状態で、情報が情報を呼び、そして増殖するというシステム化できない結果システムが生まれ始めている。こういうのは、ちょっとワクワクする。生まれたときからキーボード叩いてたっていう今どきの世代じゃなくて、パソコンの画面をプリントアウトするのに未だ四苦八苦したりもするオッサンが中心になって、こんなことができちゃうってことも、「時代の進化がどうとかこうとか」って話のオチばかりのなんだか世知辛い昨今がバカらしく思えて、面白いってもんだ。３月末から１４０Ｂという新会社が少しずつ形になる過程を見ていると、つくづく、既存のシステムの中にいて、新しい発想を、とかいう発想自体が違うんだよなーと思う。発想って、そのこと自体ではなくて、どこにポジション取るかってことがほとんど全てを決定するもんなのだ。

でもとにかく、ワタシが今取らなきゃいけないポジションは、締め切り守れってことだけだろう。はい。]]>
      
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   <title>残暑お見舞い申し上げます</title>
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   <published>2006-08-08T12:52:41Z</published>
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   <summary>８月８日（火） 元同僚の中ちゃんとの何年かぶりの仕事となった『日経エンタテインメ...</summary>
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      ８月８日（火）

元同僚の中ちゃんとの何年かぶりの仕事となった『日経エンタテインメント！』の中とじ新書付録では、内田樹先生はじめ、各出版社の新書編集者の方々や、魔性の女フジモトさんにも大変お世話になりました。この場をお借りして…本当にありがとうございました。その『日経エンタ！』９月号は、さきほど発売になったところです。「新書を通して時代をみたい」というのが、企画立案の中ちゃんのテーマだったんだけど、その通りに仕上がっているので、興味のある方はぜひ。

『日経エンタ！』９月号で中ちゃんは、「出版界の最新非常識」特集内で「モテ女＆モテ男研究」なんかもやっていて、相変わらず時代の何かをすくい取るのがうまい。ミーツ時代から「合コンに命がけ」「ゴー・ゴー・ゴージャスの大研究」といった「くすっ（笑）」「どきっ（汗）」の名企画を飛ばしていたものであった。彼女が退社するときは、もう一緒に仕事をする機会がないのかと思っていたが、こういう風にご縁は巡り、こんな風に書ける瞬間が来たことを嬉しくそして面白く思う。

という風に、よく「今のこの瞬間」という言い方をするが、じつは「今のこの瞬間」は「未来のあの瞬間」であり、「過去のあの瞬間」でもある。中ちゃんと一緒にミーツを作っていた瞬間が、今の瞬間を作っているし、今の瞬間がまた、この先に訪れるであろうあの瞬間も作る。

「ある時間」というものは、流れの一部分として意味を持たせることはできるけれど、その限定された時間だけを切り取って意味付けることには、意味がない。「ある時間」は、そのもの自体を絶対的に語ることはできない。その「ある時間」は、「ある時間ではない時間」の流れの中でしか語り得ないのではないだろうか。それが物語というものなんだろう。


さておき、ちょうど江さんの書かれた講談社現代新書『「街的」ということ』の発売が、８月18日というタイミングもあり140Bでも「新書」はトピックスでもあった。なので、この新書企画は仕事というよりは個人的な好奇心を満たすためにアンケートをお願いしたり、追加取材したり、原稿をまとめたりした。でも、これって編集作業としては、当たり前のことだよな。

『ミーツ・リージョナル』を編集しているときは、各企画に対して常にそんな気持ちで仕事をしていただろうか。進行の調整や、年間の出版企画、『ミーツ・リージョナル』というパッケージに対する考察や、そこから派生する別冊の展望…と、他に考えなきゃいけないことが多くて（て、そんなに考えてなかったけど）、副編集長になってからは、時に純粋に企画を楽しめていなかったような気もする。

一つの雑誌がお弁当だとすると、今月はハンバーグ弁当を作るんだけど、メインのハンバーグを、神戸牛にするだとか、手ごねにしようとか、和風ソースかデミグラスか…みたいなことだけ考えて手でこねこねしていればいいのが企画のコーナーデスクなんだけど、編集長とか副編集長は、おいおいこっちじゃあ小松菜と揚げのたいたんを仕込んでるからソースはおろしポン酢にしとけよ、みたいなことを考えるのが仕事だ。どっちにもどっちもの楽しさがあるけど、どっちかの方が気楽でまあ、楽しい。

雑誌編集は気楽じゃなきゃね。適当じゃなきゃね。作業がそうでは困るけれど、頭はどちらかと言えば適当で気楽にやるほうが、自分でも思いもつかない方向に伸びてもいける。つまり予定調和が防げる。予定調和な企画は、実は何よりも面白くないものだから。

そこらへんの適当の加減というかバランスの取り方が雑誌編集では一番重要になる。適当な加減はその都度変わるから、それには自分自身が常にフローな状態で回転し続けることしかないように思う。クルクル回りながら、日々の機微を渦潮のように巻き込んでいくことでしか、適当の加減は掴めないし、次の展開は見えてこない。着地点も決まらない。


さてはて、そんな適当な編集企画をするべく次に与えられたミッションは、メディアファクトリーの『ダ・ヴィンチ』11月号の「関西ダ・ヴィンチ」企画である。かねてより、「関西弁」の持つ身体性に頭を搦捕られてのだが、そこらへんのところを具体的に作品から考察したり、作家さんにお伺いしたりして、グッと掘り下げてみようという企画である。前にブログでも書いた「ヤクザ言葉の共犯性」をはじめとして、ダ・ヴィンチ編集部のＳ口さんから寄せられた「なんで関西弁の女の子は可愛いの？」という謎にも取り組む。関西弁なのに可愛くない私には、なんでそんな風に思うの？　ということが謎なので、その秘密がすなわち回答になりそうだし。８月より140Ｂに参戦となり、いきなりフル稼働の「大迫力とかいてダイハクリョク」と一緒に盆明けには始動。またも、いろんな方にご協力を要請しているんだけど、よろしくお願いいたします。

と、その前に、マガジンハウスから発行予定の書籍の入稿があり、何人かでやらせてもらう執筆が先なので、今年は盆休みはなさそうだ。でも、こんなに毎日気楽にしていると、別にまあえっかなんて思えたりもする。暇なワケではないけれど（だって浜冦の麻雀にもいけないんだもん）、仕事に追われていないワケではないけれど（保留にしているあの件、ちょっと待ってくださいね）、なんでこんなに気楽なんだろう。私がこんなに気が楽ってことは…なんだかよくわからない（ふりをする）けど、あの人もこの人も…「みんな、ごめん」。そんな気分の２００６年の残暑の最中。
      
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   <title>ゆみこさんたちったら</title>
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   <published>2006-07-31T01:14:52Z</published>
   <updated>2006-11-09T13:08:02Z</updated>
   
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      麗しのお姉さん社長・松澤壱子さんからの「決算四苦八苦でもなぜか優雅de来週はシンガポールで続けてミラノ」なメールを読んで、フリーになったらアオヤマにもそんな仕事がバコバコ入ってきて…

「はい、アオヤマです。あ、お世話になります。はい今は移動中なんでちょこっとなら大丈夫ですよ。え？来月の頭ですか？　あ〜ん、ニースに取材なんですぅ。え？20日ごろでもいい？　でも、帰ってきたら、上海に新しくできた間宮吉彦さんのクラブの取材に行かなきゃいけなくてぇ。あは」

というような状況になると勝手に思っていたのに、一向にそんなミッションは下されない。だいたいが、そんな仕事が来るような仕事をしてきていなかったんだから、当たり前なのであるが。

でも、いいもーん。ジェット機に乗らなくても、天神祭では落語船に乗って船遊びしたもーん。美濃吉の三段重ね弁当で、小春団治さんだって一緒に乗ってたんだもーん（一言も喋ってないけど）。飛行機の窓から見下ろすパリの夜景よりも、川から見上げる大阪の街の方が切なくてきれいだもーん。…て、誰に言ってんだろ？　

ともあれ、初めての大川下りでは、陸路では知り得なかった大阪の姿を目にし、齢30にして、初めて、大坂が「水の都」と実感した次第。笑福亭呂鶴さんの船頭ぶりも小気味よく、噺家さんが入れ替わり立ち替わり舞う竜踊りもそれだけで飲めたし、大太鼓、小太鼓、鐘の音が鳴り響く中、向こうの川岸にゆらゆら見える屋台の光だけでも酩酊しそうであった。京都では幽玄になるであろう船から目にする対岸の灯が、そうはならないあたりに浪花の町のしぶとさも感じた５時間。誘ってくださったＭさん、乗せてくださったOさん。ありがとうございました。しかし、Oさん、噺家さんを乗せて船を出すって、つくづくほんまもんの道楽者である。

ちなみに、前に船に乗ったのは潜水艦であった。プライベートで。この話は国家機密漏えいの恐れがあるので（うそ）、またの機会に書かせていただきたい。


さて、そんな船メモリーに浸りつつ、ひんやりとしたダイビルで涼んでいると、男友人からのメールが携帯に着信。

「あのさあ、前に教えてくれた、ぴあ（グルメぴあ）のなんちゃら関西ってサイト（さすが関西ここだけの話http://g.pia.co.jp/kansai/）やねんけど。名前がよーわからへんかったから、どこから見ていいかわからへんかってんやん。そやから、＜青山ゆみこ＞で検索してんけど、出てきたのん見てたら、ジブン、AV女優になってたで。変な名前付けたり、ひらがなに変えたりするからちゃうん。わははははー」

わけがわからず、＜青山ゆみこ＞とグーグルで検索してみた。

トップはこのブログで、次は映画コラムを連載が始まったソフトバンクの『BBTV』。次はなんだか意味不明なサイトで、次は『つかの間のつかの間』…おぉ〜！　本当だ。「AV女優／青山ゆみ」。

でもなんで？　

それは、その下のサイトタイトルにヒントがあった。

『乱れ髪DVDビデオ』。

お姉ちゃんがおっぱいを二の腕で寄せあげるDVDジャケットがトップにくるその『乱れ髪DVDビデオ』サイト内に、「この商品の関連サイト」としてこのブログが紹介されていたのである。「乱れ髪」が誘因である。

さらに、どうも＜青山ゆみこ＞でヒットするサイトを見ていくと、もうひとつの原因がわかった。＜ゆみこ＞である。

どうも「安西ゆみこ」という方が人気のようで、加えて、巨乳の「小泉ゆみこ」、汚された少女　「ゆみこ」、北の素人「ゆみこ」はじめ、「西ゆみこ」「今井ゆみこ」「姫嶋ゆみこ」「梅宮ゆみこ」「有馬ゆみこ」「竹内ゆみこ」…もうアダルト界の「ゆみこ」たちは、あんなことされたりこんなことしたり、もー大変なことになっている。さらに、『発情ダブルまこ　安西ゆみこ＋青山くるみ』というDVDもあるようで、「青山」も地雷であったようだ。もー、どうにでもしてっ。という感じらしい、「ゆみこ」さんは。

やっぱりね、親はちゃーんと考えて名前をつけているんだなあ。ミーツ時代に使ってた「青山裕都子」もそんなことないもんなー（母親が偉い=高い先生に付けてもらって持ってきた）。そんでもって、本名の「青山友美子」もそんなことないもんなー。

て、ことないのである。本名の「青山友美子」でも、４番目に『乱れ髪DVDビデオ』が登場するではないかっ。「乱れ髪」パワー恐るべし。これはいわば、何度も変名した「青山ゆみこ」と「アオヤマの乱れ髪…」と名付けたウチダ大屋の連帯責任なのである。で、その責任において謝罪すべきは、「乱れ髪」に惹かれてドキをムネムネさせながら、このブログに飛んできた「乱れ髪マニア」に対してなのである。

すまん。
      
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   <title>やっぱりビルヂング</title>
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   <published>2006-07-27T01:03:33Z</published>
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   <summary>７月26日（水） 私の所属する編集者集団140Bのオフィスが入っている中ノ島・ダ...</summary>
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      ７月26日（水）

私の所属する編集者集団140Bのオフィスが入っている中ノ島・ダイビルは、 大正14年に建てられた渡辺節設計のいわゆる近代建築である。

焦げ尽くされたような赤茶色の煉瓦造りの８階建て、堂島川に面して正面玄関は自動ドアなどではもちろんなく、２段構えのガラスの扉である。グイと手で引き建物内に入ると、近代建築が過ごしてきた長い時間がヒンヤリとした空気とともに体にまとわりつく。ただ、建物に入るだけで、何やら誇らしげな気持ちすら湧き上がる。

そうして足を踏み入れたエントランスで一番最初に目に入るのがロマネスク様式の吹き抜け空間だ。正面には建物と同化していつの間にかアンティークとなった当時の最新式の壁時計。そして、吹き抜け部分で優美な曲線を描くバルコニーのような２階の通路。

扉を開けてほほ１秒の間にこれだけのものが目に入る。感じさせられる。せせこましい日常をバタバタと駆け抜けるだけで、心をちょびっと贅沢にしてくれる。こういうことができる近代建築にしかないものが、建物の品格なんだろうと思う。

ダイビルの１階は、横丁のように商店やらオフィスやらが並んでいて、ドラッグストアではない薬屋さんや、喫茶店、蕎麦屋。西の奥には昔の映画館にあったような売店があって、味のあるチンのような顔のおばちゃんが花柄のワンピースの裾をヒラヒラしながらいつも重要そうな電話をしているのを見かけたり。そんな合間に、デザイン事務所やスタジオやショールームの扉が開いていて、ふと部屋の中を覗けたりもする。

横丁が迷路のように連続するダイビル内は、その日に気分で自分のオフィスに辿り着けるようになっている。さらに、ヒールでコツコツ歩くと自分が学校の先生になった気分だし、カンペールのバレエシューズでぺたぺた歩くと病院にいるような気にもなる。さらに、スニーカーでドタドタとギンガムチェックのような石の通路を小走りすると、とんでもなく無粋な人生を生きてきたと妙に情けない気持ちになる。こういうのも、建物の品格なんだろうと思う。

そういえば、過日に拝聴した神戸女学院でも内田樹先生の講演でこんな話があった。神戸女学院には、目的の場所に行く直進最短ルートというものがない。もちろん強引に中庭を突っ切ったりすればないわけではない。けれども、ある建物からある建物へと結ぶ動線が、なぜか分かれ道になっていたり、普段は生徒に用事がないような場所を中継したり、つまり「寄り道させられる」構造に設計されているのだそうだ。

だから、それぞれの目的地に対して自動的にいくつかのルートが選択できる（しなくてはいけない）ようになっていて、春先なら満開の桜の道を、真夏なら木陰の径を…と、グリーンゲイブルスのアンのように、季節や天候、気分に従って、自然と身体が道順を、「選ぶ」のではなく「選ばされて導かれる」のだとか。

わずか３分あまりのダイビル内通勤路ですら身体が反応しているのに、風水が抜群にいいという岡田山の、そのまた緑溢れる山上で、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる、いわばひとつの街と化した学内で４年もの時間を過ごせば、さぞかし身体も心も健康でいられるだろう。

これは、そのまま街にも当てはまる。そこのところは江さんも８月19日に発刊される講談社現代新書『「街的」ということ』でも書かれていたが、迷ったり寄り道させられない街は、街として不自然なのである。バッキー井上さんはそれをさらに酒場に、そして人生において拡大して「行きがかり上」と説いていた。内田樹先生は講演の中で「自分が出合う未知のファクターと折り合いをつける」とも仰られていたが、これは結局同じことを言っているように思われる。


そういえば、ベニスの町もそんな風な横丁の連続で、ふと角を曲がるとええ感じのバルが目の前に現われて、これはラッキー、昼から飲めということね的な幸せに満ちていた。

キャサリン・ヘップバーン好きの母の影響で、何度も『旅情』で目にしていたベニスは、浮かれた観光客の街でもあったし、ヴィスコンティの描く凍りついた老いの寂しさがそこらに落ちている街でもあった。老いの悲しさは沈みゆく町の悲哀でもあるだろうし、長い時代を駆け抜けてきた疲れでもあるだろう。だからこそ切ない美しさがあるベニスの町では、ガイドブックに丁寧に書かれた「ここ歩け」ルートには切ない美しさは落ちてはいない。だから、ベニスではどんどん迷うのが楽しい。

余談だが、異国で、しかもイタリアで迷うというのは致命的にデンジャラスなことではないかというむきもある。というのは、ベニスに初めて訪れた20歳の私もそうだったので、ユーレイルパスを駆使しヨーロッパを徘徊していた途中下車の水の都で確保した宿にて、部屋が空くまで荷物を預かっていてくれる。ちゃんと見といてくれる？　と女主人に問うた。すると、年配のイタリア女性に珍しく、ほっそりと、しかも装飾品をほとんど身に付けていない女主人はこう言った。

え？　なんで？　なんのために？　ベニスは一晩中家のドアを開けっぱなしにして寝ていても、泥棒なんて入らないわよ。だって、ここの横丁から向こうの横丁まで、ほらあっちのサン・マルコ広場の方まで、みーんな私は知ってんだから。知らない人間が通りがかるだけで、ちゃんと気がつくんだから。そんなこというアンタたちは？日本人？日本は物騒な国なのね〜（得意げ）。

ていうか、アンタ、今、私たちが入ってきたときも５分以上気がついてなかったやんかいさっ。

でもまあ、女主人の話５分の１としても、ベニスにおいては、サン・マルコ広場周辺の雑踏でなく、住宅街めいた横丁では、その話はまんざらではなさそうだった。今は知らないけれど。



翻って大阪・中ノ島。この界隈は古くからのオフィス街で、だからこそ「大大阪」時代の遺産であるダイビルもあるのだが、そのすぐ近所には、21世紀らしく六本木ヒルズのタワービルの如きビルが空に挑戦状を叩きつけるかのようにニョキニョキとのびている。夜になるとピカピカ光る夜光虫のような不自然なその環境（ビル）で、毎日の大半の時間を過ごす人もいるなんて、なんだか可哀想にも思える。でも、最先端ビルの扉をさっそうと開けるITな人たちから見ると、古ぼけたビルヂングに通う私の方を可哀想にと思っているかもしれないが。

大正から昭和、平成へと時代は変われども、朝がくれば太陽が昇りまた沈み夜の帳をおろすのは変わらぬように、ダイビルは、日が落ちるとそのレンガ造りごっしりとした体を夜の闇に密やかに溶け込ませる。仕事を終えてそのダイビルを後にし、しばらくして振り返ったとき、すぐそばで夜光虫ビルが奇妙にテカテカと光る様に違和感を感じ、奥を見やれば夜と同化するダイビルを見えてなんとも言えない安心感を感じるのは、ダイビルの身体が健康的に感じるからではないだろうか。

前に、神戸の福原、東京でいうと吉原のようなソープ街を歩くと気分が悪くなるのは、私が女だからとかそういうのではなく、昼夜の概念がない街の不健康さによるのではないかということを書いたが、健康そのもののダイビルにこうして座っているからこそ実感させられるのかもしれない。「健康」とは独立したものではなくて、「不健康」と表裏一体なのだ。つまり不健康さというものは、「健康」があって始めてわかるものかもしれない。てか、前にも書いたな、こんな話。なんだっけ…。思い出したらまたアップします。

２年後に取り壊されることが決まっているこの近代建築は、ダイビル イースト・ウエスト（仮称）という名のツインビルに生まれ変わる予定なのだそうだ。本町あたりからタクシーに乗り、「中ノ島のダイビルまで」というと、お話し好きの運転手さんとは必ずこの取り壊し話で会話が始まり行政の文句に終わるのが、いかにも街的な「毎度（まいど）」な大阪の日常でもある。
      
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   <title>コノヒト、スキ、ワタシ、シゴトスルアルヨ</title>
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   <published>2006-07-22T03:18:01Z</published>
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      <![CDATA[7月21日（金）

エルマガジン社を退社して、フリーになってすぐの頃に、「グルメぴあネットワーク」の鈴木幹男関西支社長が１４０Ｂにやってこられた。鈴木さんは江さんとは昔からのお知り合いだそうである。関西支社長に就任された「グルメぴあ」は最近、「ぴあ」から独立した。それを機に、新しい展開を考えているのだが、単なる店紹介ではない「お店の話」サイトを立ち上げたいというので、１４０Ｂにお声が掛かったのである。そして、鈴木さんはアオヤマの前ブログの読者でもあったそうで、神戸の中国料理のことなども書いて欲しいとオファーをくださった。わーい。

フリーになって、自由とワガママを混同している私は、鈴木さんを一目見て「コノヒト、スキ。ワタシ、シゴトスル」と仕事が選べる自由を満喫し、そうして選んだ仕事では今まで出来なかったことを実現するというワガママをむさぼった。それが、「グルメぴあ」サイト内に今日からアップ される「さすが関西（うまいもん）ここだけの話」http://g.pia.co.jp/kansai/である。

ウェブデザインは、140ＢのＨＰもお願いしている京都の「のぞみ」さんが担当。とてもスッキリとシャープでかっちょいい。あ、そういや、140ＢのＨＰの更新もお待ちしてまーすよ、フジタ青年っ！

３年ほど前、雑誌編集をしながらブログを書き出したとき、なによりも感激したのがブログの「文字数無制限」さであった。決められた文字数なしに、いくらでも書ける喜び。楽しいー。紙媒体の、とくに雑誌なんかでは、どうしても文字にさけるスペースというものが限定されている。そして、さらにいうと「活字離れ」と言われる昨今、誰も文字なんか読まない、と言われ、雑誌はグラビア化している。

でも、「誰も文字なんか読まない」というのは、ある意味正しいし、ある意味間違っている。そもそも、誰も文字なんか読んでいないのだ。読者が読むのは「誌面からのメッセージ」のみなのである。でも、その文字にメッセージがない文章が多すぎるから、「誰も文字なんか読まない」と業界（どこの？）解釈されている。例えば、グラビア化したビジュアル誌なら、写真のメッセージを読者は読んでいる。でも、読むべき写真がないからおっぱいの谷間を見るしかない。同様の理由でラーメン屋100軒の写真を見るしかない。いや、白いビキニを付けたおっぱいや100杯のラーメンにもメッセージはあるのかもしれない。でも芸がない。「おめーさ、芸がねーんだよ」。そういう人は、人から相手にされない。一生懸命とかそういうのはあんまり関係ないのだ。

えと、なんの話だっけ、そうそう、「さすが関西ここだけの話」<a href="http:// g.pia.co.jp/kansai/">http:// g.pia.co.jp/kansai/</a>の、話だ。

…ということで、ということにして話を進める。鈴木さんが来社されて、従来のフォーマット化されたネット店情報ではない「お店の話」を読者へのメッセージとして明確にする、雑誌とブログのええとこ取りみたいな特集サイトを作りましょう！　とプロジェクトが始動したという訳だ。コンセプトワークから拘らせて頂いて、これは随分と面白かった。

ミーツ編集部を離れて、何人かでひとつのモノを作り上げることにもう飽きたと思っていた自分が、実は誰かと何かを作りたがっていると気が付かせてくれたことにも、「グルメぴあ」の皆さんに感謝したいちくま新書の『ウェブ進化論』を読んで「あーひー」となり、まだまだ試したいアイデアがたくさんある。これは、今後への現在進行形の課題でもあるんだけど、目下の一番の課題は「増殖」だ。そのための仕掛けも、実は「神戸の中国料理」の中にたくさん組みこんでいる。「そんなのわかんないけど、読んだらお店に行きたくなった。神戸に行こうと思った」と思ってもらえると、なによりも嬉しいですが。

さて、アップしている「京都の割烹」と「神戸の中国料理」のここだけの話で、アオヤマが担当した「神戸の中国料理店」は、これはも、も、もしやラ〜ブレタ〜フロ〜ム・アオヤ〜マ〜？　はい（もじもじ）。で、なんだかちょっと恥ずかしい気もするけれど、「ずっとアナタが好きでした。じゅる」ということで、中国料理好きの人も、神戸に遊びにこようって人も、アオヤマはそうかもしれないがオレはこうだって気持ちを自分のブログに書こうって人も、皆さま読んでみてくださいね。

さて、その現在進行形の「神戸の中国料理」のオマケに、昨年に一度ブログでアップした上海の中国料理話を付けたいと思います。思えば、小学校６年生の春、父親に「中国は変わるから見ておけ」と日中子ども友好使節団（今思えば毎日新聞主催）に放り込まれて初めて目にした異国が中国で、そこで出会った中国人の大人たちや、大陸の中国料理の皿や、乾いた大地に、いまでも私の心の一部は絡め取られているのかもしれない。この話はまた改めてしたいと思う。]]>
      
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   <title>上海ナイト</title>
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   <published>2006-07-22T03:16:24Z</published>
   <updated>2006-11-09T13:08:02Z</updated>
   
   <summary>7月19日（木） というわけで、こっちは「三夜連続上海ナイト」の再放送。長文なの...</summary>
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      7月19日（木）

というわけで、こっちは「三夜連続上海ナイト」の再放送。長文なので、お暇な方だけどうぞ。

＊上海一日目　2005年7月27日(水) 再録
『お世話になります、佩芝さん』
21年ぶりの上海は、何もかもが変わっていて、というかまるっきり違う街で、だからまるで初めて、いや、それ以上に見るもの全てが「オモシロすぎる〜」であった。そして、なによりも、何を食べても美味しいしええ店ばかりであった。

が、しかし、それは妹分の佩芝（ハイシ）嬢のアテンドありきであろう。上海の街なかでは日本語はもちのロンのこと、英語もほとんど通じない。上海語、普通語などの中国語で街は動いている。韓国では、年輩の方は日本の植民地時代の名残で非常にきれいな日本語を話せる人が多かったが、上海は一にも二にも中国語。あれだけ街が景気良くトバしているのに、タクシーでも100パーセント日・英語は役に立たず。考えたら、まあ当たり前のことなのかもしれないが。

そんな「あ〜あ〜う〜う〜」状態の旅人二人を連れて、タクシーで目的地に運ぶことから料理店でのオーダー、買い物ではこのシャツは他に柄違いはないのか交渉…と、まるで自分では何もしないハゲのおっさんのごとくうら若き佩芝嬢に身をゆだねた３日間。佩芝さん、本当にお世話になりました。心よりお礼申し上げます（当時、佩芝は上海で女性誌の立ち上げの仕事をしていた。今は、帰国して岡山に嫁に行った）。

「なんせ旨いもん食べさせておくれ」という乱暴なパスを受け、神戸で例えていうなら、元町の名広東料理店［神戸元町別館牡丹園］や、世界で一番美味しい神戸流お好み焼き屋［斉元］や、ちょっと小腹が空いたら［ぼんてん］や［ひょうたん］などの味噌ダレの餃子。夜ともなれば、南京町の石畳の小径を抜け、栄町の路地沿いに灯る三日月のネオン酒場［ムーンライト］の扉を開ける…という、神戸ゴールデンのまるで上海版セレクトによる道先案内。

佩芝さん、お陰で１キロ太りました。１キロで済んだのは、まあよく歩いたのと、プーアール茶のお陰かと。お腹も壊すことなく、全てが快適。朝、起きたらお腹が空いているというベストコンディションだったのも、「この時期、貝のこの料理はやめといた方がいい」「羊はよく火を通して食べること」「あんな店のかき氷は一発で死にます」などなど、がっつく二人に佩芝嬢が細かいアドバイスをくださったせい。

そのアテンドぶりは、まさに情報社会の最新兵器。いかにネットというツールが発達しようとも、こちらがほしい情報が臨機応変に瞬時に飛び出す生身の人間ほど、情報社会に強いモノはない。これは、整理された情報ではなく、脳にアトランダムに積み込まれたものだからだろうし、それを痒いところに手が届くような適切さで取り出せる佩芝嬢の頭脳と感性があってこそ。人間って、スゲーよなぁと、なんだか感心させられた。

そんでもって、ワタシも姉ちゃんオバＱの好みやなんやらいろいろが、佩芝嬢の感覚と嗜好とドンピシャであったからこそ、それが存分に感じられたともいえる。こういうのはラッキーという以上に他はない。３日３晩の食事をともにして、佩芝嬢とも姉ちゃんオバＱとも、これからもずっと付き合える友人になったことを確信した。食べながらもずっと食べものの話をし続けて飽きない、つまり食べ物の話をしながらも食べ物以外の話になっている関係は大切にしたいものである。

ちなみに、佩芝嬢と別れた最終日、最後に食い意地張って挑戦した空港の麺も排骨も、全部残した。そして、泣きながら姉ちゃんオバＱと佩芝嬢の偉大さを話し合った。佩芝嬢が帰国したら、元町の［ナダバンダイニング］で帰国祝いをすることになった。

そんなこんなで楽しかった上海は、書きたい話は山盛りで、「写ルンです」で撮ったピンボケ料理写真（いちおう食べたものは全て撮影。ていうか今どき「写ルンです」って…）もアップしたいのですが、お休み中にミーツ編集部のミゾ番長にフォローいただき、まずは仕事しろよという感じなので、少しずつ。

それにしても、中国人はあまり働かないとかサービスが悪いとかって誰が言ったんだ。これがめちゃくちゃよく働くやんっ。という話を、上海２日目で書こうと思う。この上海旅行で、そのたぐいのことで嫌な思いをしたことは一度もない。逆に感心しきりだった。

しっかし、佩芝嬢を編集長にミーツ『上海本』つくったら、絶対売れるだろうな。企画書書いてみようかな。どないでしょう、佩芝さん。

今回の旅の中で、唯一「どうしても行ってみたい！」とお願いした観光地・豫園の名物店［南翔饅頭店］前２日目の朝ご飯。ここの小籠包は本当に美味しかった。同僚のミゾ番長も行ったことがあるらしい。神戸で言うと［老祥記］の豚まんみたいな超定番もんらしい。六本木ヒルズや神戸の南京町にも支店があるが、やはり現地で食べてこそ、だろう。だいたい値段が違う。

さて、小籠包も何種類かあり、蟹味噌味や、熱々のスープをストローで頂くアトラクション的なものもあるが、スタンダードなものが一番美味しい。でも、他のを食べたから、そう思えるわけで、やっぱり最初はいろいろと試してみたいってもんだ。佩芝嬢はここでも、そこらへんもわかった上でいい感じにオーダーしてくれた。スタンダードな小籠包は、皮の厚さやスープの濃さなどなど、素晴らしくバランスがいい。だからあんなに行列しているんだろうな。大きい丸テーブルに相席制で、私たちはおじいちゃん＆おばあちゃんとお孫さんといった風の３人と一緒だった。お隣は台湾人か上海以外の街からきたカップルらしく、中国語のガイドブックを手にしていた。上海にはこうした、中国の地方からきた中国人観光客も多い。

小籠包のもっと美味しい店は他にもあるのかもしれないけれど、３フロア構成で値段が違い、１階で買い食いすれば、も〜のすごく安い。コスパが高いとかいっても言い切れないほど安い。という話を佩芝嬢が教えてくれた。

蕎麦切りパフォーマンスのようにガラスの向こうで小籠包を職人さんが包んでいるのも見れるのだが、２階では蟹の身や味噌をほじくっている人たちがガラスの向こうにいて、彼女たちは一日中年がら年中、蟹だけをほじっているそうだ。

そんな風に上海では、それぞれの現場担当が細かく分かれていて、カジュアルな料理店でも、オーダーを取る人、厨房からテーブル前に運ぶ人、それを受け取りテーブルに置く人…といった風に役割分担がある。最後にテーブルに置く担当はたいていパンツスーツを着たキャリアウーマン風で、それはとても誇らしい感じに見えて、皿にも値打ちがでて食べるこちら側も盛り上がる。と、ついつい長くなりました。ではまた。
2005年7月27日(水) at 17:21



＊上海二日目　2005年7月28日(木) 再録
『張さんと、美味広東名菜［采蝶軒］』

上海では何人かの印象的な中国人（いや、上海人。いや、上海に住む人か）に出会った。一人は「プラザ66」の［采蝶軒］の張さん。藤原竜也のような涼しい目元をした、凛々しい女子ギャルソン。いや、ギャルソンヌとかになるんだろうか。

南京西路にある「プラザ66」は、エルメスやルイ・ヴィトンといった上海セレブ御用達のブランドが入る、西梅田のハービスエントのようなハイエンドファッションビル。建物そのものが建築誌の誌面をスタイリッシュに飾りそうな、いわゆるトレンドスポットである。

その５階にある［采蝶軒］は、例えば堀江のお洒落ダイニングのような、屋内だけれどオープンテラスのように開放感のある広東料理カフェレストラン。そこをちょこまかと動き回る黒いタブリエ姿のスタッフは、みんな若い女の子たちで、口の上にはうっすらと産毛をはやし、みな化粧っけがないせいか、なんだか全員が10代後半にみえる（本当にそうなのかもしれないけど）。髪をひっつめた若い女子の黒いタブリエ姿は、パリやNYなんかを意識した日本のお洒落カフェと同様であるが、その飾り気のなさはやっぱり中国で、そして何かが日本のお洒落カフェスタッフとは違う。

という語られようのときは、たいていが「中国の店はサービスが悪い」という方向になるが、ワタシにはそうは思われなかった。中国語の話せないワタシは、普通語を操る佩芝嬢にオーダーもなにもかもまかせている。それを横目で見ていると、どの料理店でもそうなのだが、オーダーの時間がやたらと長い。だいたいのメニューを相談してから「服務員」（＝スタッフ）を呼ぶのだが、佩芝嬢は必ずあれやこれやと商談の交渉めいたやりとりをする。何をあんなに話しているのかと問うと、料理を出すタイミングをこちらが注文付けたり、服務員が今ならこうするとお得だからこっちのメニューのこれにしたらどうか、などと、提案してくれているのだという。

まあこうしたことは、日本のカフェでもマニュアル通りの接客で行われているが、なんだか上海のその［采蝶軒］では、例えば大阪のグラン・メゾン［ラ・ベカス］のメートル・ド・テルと今日のお楽しみを作り上げていくような晴れやかに満ちていて、そういうのはいったいなんなんだろうと不思議に思う。左手を背中にまわし右手でメニューを指さし、キリリと話す藤原竜也似の張さん（もう２〜３年もしたらシャープな美人になるだろう。下の名前は中国漢字で名札を読めなかった）は、日本のダイニングカフェにはない、晴れやかでこなれたサービスの雰囲気を醸し出していて、愛想笑いをするでもないが、私たち３人は十分にもてなされていた。

ていうか、ここ、上海では高級店ではあるが、どっちかといえばお洒落カフェ風の店ですぜっ（でも、後で書くがめちゃくちゃ本気の料理店であった）。

佩芝嬢によれば…今の上海には、中国の山奥やらなんやらかんやら、はるか彼方の町から、少女の年頃の子たちがどっさりと働きに出てきていて、それはそれは安い賃金で馬車馬のように働き、そして狭い狭い部屋で暮らしている。それだけ上海にお金が集まっているからでもあるが、街を歩けば「１車→２自転車→３人間」という人間の価値が低い街であるから、金持ちになるのは田舎と上海の距離よりも遠い遠い話であろう。それでも、そうして出てきて働く彼女たちは、少しでも「いい店」で働き、その店の中でも、最初は洗い場だったのがホールに出て、コックスーツを着て皿を運び、いつかフロアマネージャーになって客にサーブする…みたいな、サクセスストーリーを夢見ている。だから、彼女たちには「夢」や「希望」がある。南京西路にある「プラザ66」のようなトレンドスポットの、そのまたお洒落店［采蝶軒］のような店で働くということだけでも、張さんにはきっと誇らしいことなんじゃないかな…ということらしい。

なんていうか、そういう話はありがちな美談にも聞こえるが、実際に上海で張さんを見ていると、なんだか上海が羨ましいぞ、と思う。日本では、どんなええ会社に就職しようが、その「夢」を見られない人が増えている。確かに「夢」はなくても生きていけるほどに生活はまあ恵まれているし、じゃあお前には夢があるかと問われると「いやあ…」という感じだけど、なんつーか、どこかに「夢」みたいにキラキラしたものがこの世の中にあって、まあいつか見れたらええのぉ。とは思う。

でも、上海の張さんには、そういう「夢」が見えているようで、というか現実や具体性がないから「夢」で、だから「夢」なんて見ていられるんじゃないか。つまり、「夢」って人間としての余裕みたいなものを持たせていて、そういうのが夢見る張さんのサービスにキラキラと振りかけられているように感じられた。

きっと、張さんは家に帰るとあんまり広くない部屋で、制服を脱げばいきなりもっさりとしていて、冬になると雪で村の交通が遮断されてしまうような故郷の田舎では、たくさんの兄弟が仕送りを待っているのかもしれない。けれど、日本のコンビニとかカフェでバイトしながらダラダラと生きている男子女子よりも、単純に「カッコええなぁ」である。どうせ働くなら、カッコええ子と働きたいもんであるが、張さんなら一緒に働きたいぞ、と彼女がキリリとした横顔を見せながら、お茶をしょっちゅうしょっちゅう気にして注いでくれる姿にして思う。

佩芝嬢に連れられた上海の料理店では、ホールを担当していたのはほとんどが若い小姐で、彼女たちの半数以上が、張さんのようにキビキビとキラキラと店に立っているように見えた。街の勢いというのは、街の末端でこそ一番よく見える。彼女たちが今からの上海をつくっていくのだろう。なもんで、それに比べると、なんだか日本のお先は真っ暗に感じて、それはまずは日本という国が時代にノッていかないとどうにもならないだろう（当たり前だけど）。くだらないオッサンの暴言や汚職に付き合ってる余裕は、本当になさそうだ。大丈夫か、ニッポン。

話は戻るが、この［采蝶軒］というお洒落広東料理カフェレストランは、料理がめちゃくちゃ美味しい。実は食事をしようとしたのが午後３時半頃で、当初は「プラザ66」の５階にある人気の回転ラーメン店［夏麺館］に行こうとしたが、ここはラーメン屋なのになぜかアイドルタイムがあり営業していなかった。なので、佩芝嬢の提案で急遽レストランのはずのなのに通し営業であったので［采蝶軒］に行ってみた。

普段は結構なお値段設定だそうだが、逆に昼過ぎのその時間は点心がサービス価格で提供されていて、鶏の皮をカリカリに焼いた皿、平麺と牛肉をピリ辛＆XO醤風味で和え炒めした麺、プリプリ過ぎるエビがたっぷりはいったワンタンの麺にビールをグビグビ、ええ香りのお茶をグビグビ…で、日本円で一人1000円ぐらいだった。そのどれもが、たぶん神戸の中華に慣れている人なら悶絶するええお味。３人揃って絶賛。

［采蝶軒］のオーナーは香港人だそうで、上海のノッている店は、たいていが香港資本か台湾資本だそうだ。香港は当たり前だが広東人が多いので、料理はカントニーズが中心で、その香港の影響をよく受けているのと、神戸の華僑は広東人が多いので、神戸中華＝広東料理なのである。ということで、広東系の［采蝶軒］が合わないわけもなく…。しっかし、ここでも佩芝嬢の料理セレクト＆ペース配分は絶妙でしたな。

下のピンぼけ写真（※再録につき写真はありません）は、脂たっぷりの鶏の皮をぱりぱりに焼いた一品。少しついてくる身と皮の間の脂がたまらない。なんとも意地汚い味がして、体に悪そうだからなおさら箸が止まらない。甘いタレをつけて頂く。軽い青島ビールの最高のお供である。美味。２日目の遅い昼ご飯。
2005年7月28日(木) at 21:33



＊ 上海３日目　2005年7月29日(金)再録

『浅黒テニス小姐がいる限り…』

富岡多恵子さんがミーツの連載にて、蕎麦屋での話を書かれていたことがある。上海で印象に残る二人目の女子服務員（スタッフ）、人呼んで「浅黒テニス」を思い出すとき、ワタシは同時に富岡さんのその蕎麦屋話を思い出す。

ミーツ・リージョナル『いっぱしの言葉』2001年12月号より抜粋
（『難波ともあれ　ことのよし葦』筑摩書房より刊行にも収載）
『この夏のこと、某国（もちろんニホン国内）で街道筋のソバ屋に入り、「天もり」を注文した。それはないという。メニューを見ると「天ざる」はある。「天ざる」と「天もり」のちがいは、そばにノリがふりかけられているかいないかの違いにある。わたしは「ノリのふりかっていないそばと天ぷら」が食べたいのでノリをかけないでくれと何度も同じことを説明しても理解されず、「天ざるならある」といいつづける店員にわたしは負けて、忘れたころに出たノリまみれのそばを食べた。かれら自慢のそばの香りはノリの匂いで消えている。
　この場面を大阪でならどうかと想像するに、「ノリはいらん、いうこってすな」と店員はすぐに了解するか、「ノリの分、割り引きしませんで」と冗談をいうかであろう。まさか、「そんな、ないもん注文してもろたって」とはいわれないであろう。』

この話の前振りで、富岡さんはこう書かれている。
『これまで大阪で、その手のイライラ感の出番がほとんどなかったのは、食べもの屋のシステムと店員の両方にテキパキ性があるからではないかと思うようになった。〜略〜脈絡のない注文にも愛想よくこたえ、テキパキとまちがいなく出てくるようなことは、当たり前といえば当たり前だが、そうはゆかぬ国もある。』

上海滞在の３日目、「飲茶を食わせろ〜、うまい飲茶があるはずだ〜」とバカのひとつ覚えのようにシュプレヒコールを繰り返す二匹に、佩芝嬢がニヤリ。「平日は点心が一律６元（約85円）で、ハトの丸焼きが香港級ですぜ」という［唐宮］へ連れて行ってくれた。飲茶は食えども茶は飲まず。まずはもちろん、昼からビールである。ハトの丸焼きともう一品、佩芝嬢が「日本に帰ったらもう食べられないのねんっ」と泣きながら別れを惜しんでいた白灼蝦も「出会ってもうサヨナラか…」と切なくなる逸品。ここの白灼蝦は、皮を剥いて口に入れると、ええ鮨屋でエビを頂いているような幸福に包まれる。つけて頂く醤油がまた美味しすぎる。なんなんだろう、あの旨さ。はあ…。


まあ、とにかく食べたもん書かせてもらいますと↓
＜点心＞
★排骨（スペアリブ）の豆鼓蒸し
　アオヤマの大大大好物。豆鼓というのは、日本でいう大徳寺納豆みたいな 豆系の調味料。神戸なら［神戸元町別館牡丹園］の排骨の豆鼓炒めなんてた、た、たまりません。

★蟹の卵（たぶん）がのったプリプリ焼売
　上海では、小籠包しかり、上海黒酢をかけて頂くのがスタンダード。はじめは醤油をつけたくないでもないが、慣れてくると、たっぷりの黒酢をつけたくなる。

★干しエビや鶏ガラのダシ（推測）が効いた大根餅
　日本でも売っているけど、上海ではスタンダードな薬味にラチューチョン（唐辛子系の辛いタレ）があり、ちょっとつけるとガラリと味が変わる。神戸の名広東料理店［良友酒家］では、焼きそばを食べるときに「これちょっとつけると美味しいよ」と教えてもらった。なんていうか、味が盛り上がる薬味調味料ですな。

★小籠包　
　姉Ｑによる「あの夢を再び」のオーダー。でも［南翔饅頭店］がやっぱり勝利。とはいえ、日本で小籠包をうりにしている店のレベルは軽くクリア。小籠包で重要視される皮のヒダも美しい。

★エビのライスペーパー蒸し　
　なんでライスペーパーのちゅるるって食感は、あんなに食欲をそそるのだろう。色鮮やかにハリハリッとゆがかれた青梗菜が添えられ、色のコントラストも食欲増進。ほのかに甘い醤油ダレで食す。ライスペーパーは作られる時にラードが使用されているのか、透明感のある見た目よりもぐぐっと力強い味。

★肉抜きの餃子の中身みたいな具入りの揚げ団子　
　甘くないおかず団子。油を吸い込んだ皮部分がビールに合う。点心ってヘルシーめいた見かけをしながら、なかなかパンチのきいたメニューが多い。つまり酒飲み好みでもある。

★ハトの丸焼き　
　なんで日本ではハトはあまりないの？　気軽にハト食べさせろ〜、と上訴したい（誰に？）。子どもの頃にテレビでアグネス・チャンが「公園でハトみると、よだれがでるんですよね」と言っていたのが、大人の今になってよくわかる。フレンチのピジョンとかいうノリではなく、ハトの丸焼き。ブラボー。

★白身がほどよく凝固したぷるぷるのエッグタルト　
　３人とも予想を裏切る実力にしばし無言。オーストラリアのメルボルンの街角スタンドでよくこのエッグタルトを売っていて、しょっちゅう食べてたら肥えた。これもサクサクの皮はラードが決め手と見た。「やっぱり濃い味好きなんです」の「打倒スローフード」の真髄をいく、がしかし、軽やかな味。姉Ｑはずっぽりハマり連打。佩芝嬢も「ここのエッグタルトはほんまに美味しいわ〜」と満面の笑み。

＜ア・ラ・カルトから＞
★白灼蝦　
　もうなにもいいますまい。このレベルを日本でオーダーすると地雷を踏んだようなお会計になる。ワタシも日本ではパトロンがいる時しか食べたことがない。ということで、さらに値打ちが増した。

＜デザート＞
★小豆とミルク（？）の層になった寒天　
　まんま羊羹。しかし甘味控えめ、口当たりまろやか。お茶によく合う。

★マンゴープリン　
　日本だとマンゴーソースと一緒に頂いたりするが、ここではフレッシュミルクをかけて食す。このフレッシュミルクのさらっとしたのが意外や合う合う。

★黒タピオカがごろごろと入った白タピオカジュース　
　もうこの頃には三人とも前屈みになり、それでも箸を泳がせてしまうという末期的状況であった。が、なぜがスプーンですくっていつまでもズズッとすすれてしまった。上海では、料理店のデザートは総じて甘さが控えめで、それがとても意外だった。

これに小瓶ビール×３で、ざっと一人８〜９００円見当（驚）。ちなみにここは佩芝嬢が「ここは上海の記念にと思っていたので」などと、泣かせる意向でご馳走してくれた。何から何まで…ありがとう。

と、読んでいるだけでお腹一杯になったところで、話は戻る。

［唐宮］は、デパートの大食堂のような広いワンフロアにテーブルがポコポコと並んだ、飲茶スタンダードなライブ感のある店空間。飲茶マダムもいれば、ファミリー飲茶もいるし、接待風（ポロシャツ）にスラックスだけど。「あれも一張羅ですよ」と佩芝嬢）の男性連れもいて、人を見ているだけでも面白い。ちなみにお隣は、イケてないけどお金を持っている風プチオヤジ（ビジネスマン系）と水商売かただのプータローかきわきわのワンレン姉さん。姉さんは世界共通でけだるい雰囲気。プチオヤジはノリノリのオレ様モード。男42歳、「時間は金で買う」が信条（推測）。

このプチオヤジとワンレン姉さんは、点心を頼まずに、ア・ラ・カルトの皿を注文。川魚を蒸したのを醤油とネギ油で頂く皿や、牛肉をオイスターソースで炒めた風（色の感じから）など、ボリュームのある料理を並べていた。絶対に残すね。ワンレンの姉さんは食べるさまもけだるく、これも世界共通かばくばく食べない。食べるというより箸でつついている感じ。こういうのも、どこの国も変わらんのぉ〜と、上海版市原悦子になっていると、プチオヤジの携帯に着信。そこから、 
ずーーーーーーーーっと電話で話している。

最初の５分くらいはワンレンは魚を箸でつんつんとしていたが、そのうちそれをほぐしだし、プチオヤジの口に入れる。プチオヤジはまんざらでもなさそうに、電話の途中でモグモグ。さらに、プチオヤジは電話をしながら白飯をオーダーしろという指令を出し、供された白飯に牛肉のおかずをのせ、電話で激しく話ながらもご飯とおかずをモグモグモグ。その合間にワンレン姉さんがほぐした魚を口にぽいっ。プチオヤジは「我が人生は突き進むのみ」みたいなオーラを放出していた。しっかし、なんでもアリやなぁ。まあ、日本ではヤクザの方しかしませんわな。こういう芸当は。

そんな食欲全開なフロアでは、またもコックコートを着て、口に産毛を携えた10代後半の小姐が秋のリスのようにくるくると皿をひいたり料理を運んだりしている。私たちのテーブルの担当になったのは、色の浅黒いへちゃっとした顔の女の子。丸っこい低めの鼻と細い目が初々しい。共学の公立高校でテニス部に在籍。頑張り屋だけど、なかなか目がでない。真面目でちょっと鈍くさいけど、そんなところから先輩におちょくられて可愛がられている。そんな雰囲気だ。

「デザートは冷たい皿だから、全部食べてから注文するわ」とオーダー時に佩芝嬢がいう。「いや、後から持ってくるし最初に全部注文してくれへん？」「え〜、一緒に来たらイヤだし後から言うよ」「いやいや、大丈夫ですからっ」。ということで、佩芝嬢、不本意ながらもデザートも注文だけはした。

注文したビールがくると、上海では服務員（スタッフ）がグラスに注いでくれるのだが、ビールを飲んだこともないであろう浅黒テニス小姐は泡ばかりにしてしまう。「うわ〜、泡ばっかり」と思わずつぶやくと、意味は通じたのか、浅黒テニス小姐は恥ずかしそうにワタシを見る。なんだかその様子に好感が持てて「ええよ、ええよ」（もちろん日本語で）。姉Ｑも「泡も美味しいわ」。佩芝嬢も「そんなん、ええ、ええ」。浅黒テニス小姐はよりいっそう恥ずかしそうに顔を赤黒くさせたが、心が通じ合ったような空気が流れた。

さて、まだまだエビをやっつけ、排骨の骨を口からプッと吐き出している最中に、心配は的中。浅黒テニス小姐がデザートを運んでくる。以下、台詞部分はホットペッパーのCM風に読んでみてください。

佩芝嬢「え〜、デザートは後からにしてって言ったでしょ」
浅黒テニス小姐「えっ。聞いてませんでした。それに、もう持ってきたし」
佩芝嬢「だから、注文の時に念を押したやん」
浅黒テニス小姐「わかりました…」

数分後、今度は口の上に産毛を生やした男子がデザートを運んできた。
通りがかった浅黒テニス小姐も慌てて寄ってきた。

佩芝嬢「だ〜か〜ら〜。デザートはあ〜と〜で〜、って言ったでしょっ」
産毛男子「え〜、聞〜いてませんっ」
浅黒テニス小姐「アカンねんアカンねん。この人たちデザートは後からやねんっ。聞いてるねん」
なんやねん、お前まで…という顔をして産毛男子は裏切られた風にすごすごひきさがる。浅黒テニス小姐、はぁ〜という感じで下がっていく。

その２〜３分後、またも違う小姐がデザートを運んできた。
佩芝嬢が「んも〜！」と爆発しかけた瞬間に、浅黒テニス小姐が駆け寄ってきて、泣きそうな顔でまくしたてる。

浅黒テニス小姐「だから、この人たちは、ほんまにデザートは今だしてもアカンねんっ。私が聞いてるねん。アカンねんアカンねん」
小姐Ｂ「え〜、もうええやん。だって、もうすぐ食べ終わるやん」
浅黒テニス小姐「違うねん。まだ残っている間は、絶対に食べへんねん。ぬるくなったら怒るもん」
小姐Ｂ「つーか、アンタなになん？」

騒ぎを聞きつけ、キャリアスーツのフロアマネージャーが登場。

フロアマネージャー「ちょっと、アンタたちなに騒いでんのよ」
小姐Ｂ「この子がややこしいんすよ。デザート出そうとしてるのに」
フロアマネージャー「あんた何邪魔してんのよ」
浅黒テニス小姐「いや、かくかくしかじか。だからデザートはまだ出さないで欲しいんです」

フロアマネージャー伝票を見る。

フロアマネージャー「もう後はデザートだけやん」
小姐Ｂ「でっしょ〜〜〜」
浅黒テニス「でもね、食べ終わるまでって、注文の時から念おして言ってたから。お願いだし後にださせてくださいよ〜」

フロアマネージャー私たち３人を見る。ちょっとうんざりした風。

フロアマネージャー「はいはい、後からにしたら、い〜い〜ん〜で〜しょっ」
小姐Ｂ「げっ、まじで〜」

とまあ、たぶんそんな感じの会話が展開されていたと予想され、フロアマネージャー＆小姐Ｂはデザートは舞台をはなれる（舞台って）。なんとなく、浅黒テニス小姐に三人が「ごめんやで」光線を投げると、浅黒テニスははにかんだような笑顔を見せて立ち去る。「日本に連れて帰りたいなぁ。働きもんでええ子やわ〜」と浅黒テニス小姐の有能性と心遣いについて三人で話し合っていると、フロアの隅の方で、浅黒テニス小姐がフロアマネージャーに呼び出され、注意を受けている風である。が、しかし、そこでめげないのがさすがに体育会系（妄想）、まだ「でも〜」と闘っていた。

浅黒テニス小姐は正しいが、正しいことが共通のルールに存在しないのが社会というもの。社会で洗濯機の中のタオルのようにねじり揉まれる三人は、浅黒テニス小姐が愛おしくてたまらない。誰彼ともなくつぶやいた。「何年後かにこの店に来たとき、浅黒テニス小姐が出世してキャリアスーツ着てフロアマネージャーになってたらええのにね」「ほんまやなぁ、なってるんちゃう」「そうやなぁ」。

浅黒テニス小姐がいる限り、上海では「天ざる」のノリ抜きがいただける街だ。そんな風に思う。
2005年7月29日(金) at 21:06
      
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   <title>逝きし世のおっさん</title>
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      先日の東京行脚で六本木の出版エージェントにお邪魔して以来、「おっさん」に頭の中をからめとられている。私は常々、「おっさん」というものが気になって仕方がない。好きとか嫌いとかフランク・ミュラー買ってくれとか川上弘美の先生の鞄とかではなく、ただ、気になるのである。

神田のとある夜、居酒屋「みますや」で冷酒を飲りながら平川克美さんの口からこぼれた言葉の中に、私をそわそわさせる「おっさん」が通り過ぎた感触というか残り香が感じられて、それはこの一言であった。

「もう俺たちには時間がねーんだよ。時間てもんが限られてんだよ」。

そうだ、「おっさん」にはあまり時間がない。さらに言うと、もはや「あるかどうか分からない時間」しかない。

人生の折り返し地点がどこにあるかは、寿命を決定できない私たちにはわからない。つまり、自分の人生において、今、私がコース全体のどこを走っているのかというのはわからないものなのだ。そんなゴールが見えないマラソンへの不安を感じたときこそが、もしかしたら人生の折り返し地点なんだろう。

人生の往路と復路は時間的には同じではない。けれども、濃度×時間ではじかれる数値の帳尻の合い方は、支点が片寄ってでもバランスがとれている天秤のようにも思えるし、そのバランスのとれ方が一人一人違うから「余生」というものがこんなにも人によって違うんじゃないだろうか。

なんていうことが、意味不明にまだ人生を突っ走ってしまう私には、なんだか「スゲー」ということに思え、その「スゲー」とこを日常に抱えながら、酔った電車の吊り革に掴まりながら居眠りしてクルリンパとなってむにゃむにゃ呟いたり、やたらとデカいくしゃみ２連発でして何かの液体が飛んだスポーツ新聞のページを折り替えたりしながら生きている存在の象徴として「おっさん」がいるのだ。

と、気がついた。「時間のかけがえのなさ」を知る存在が、何者でもない「おっさん」であり、それはもっと言うと、男でも女でも20代の青年でも誰でもいいんだけど。

逆を言うと、ええ年してるのになお時間を金で買えると勘違いするような人間はただの「オヤジ」で、「おっさん」は許されるのに「オヤジ」は忌み嫌われる。或いは身体からのサインが教えてくれる、思春期という奇跡のような瞬間のはかない時間を無視した揚げ句、ずるずると何なら金に換えて消費する10代女子は、何よりもその存在を「オヤジギャル」として消費されてゆくのである。そんな風にむしゃぶられて迎えた未来は、もはや「おっさん」ではなく「オヤジ」として生きてゆくしかないのである。

時間のかけがえのなさを知る「おっさん」はすごい。それこそが、「おっさんの品格」であろう（ほんまか？）。「おっさんの品格」は清らかではない。背負ってきた時間が、垢のようにこびりつきまみれている。それでも、それは気高い。そして切ない。だから私にはより美しくみえるのである。 まあ、だからどうだって話だけど。とにかく、いい「おっさん」に、私はなりたい。

と、この話を書いて、前ブログに書いたある話を思い出した。再録ゆえ、タイトルを見てピンときてオェッときた人は、読まないように。


『大惨事』

昨夜は大変なことがあった。

その大変さを理解してくれそうな友人には昨夜の内に携帯メールを送ったのだが、折角なのでブログを読んでくださっている皆様にも、ひとつお話しいたしやしょう。あ、お食事中のかた、ご遠慮くださいませ。


そろそろ日も変わろうかという夜更け、ＪＲ大阪駅に到着すると、またも人身事故の為に電車は遅延。ちなみに出社時も「塚本」にて人身事故。JRの職員の方も泣きたいだろうなぁ、ワタシも泣きたいけど…という状況のプラットホームには、うじゃらうじゃらとほろ酔いの花金（死語、しかもこの漢字であってるのか…）リーマンが溢れかえっておりました。当然のように皆不機嫌で、当然の如くそのプラットホーム周辺の雰囲気はものすごく悪いのである。

ようやく到着した新快速電車、われ先に駆け込むおっちゃんたちに混じりなんとか乗車。どう体をねじ込んでも待っていた電車に乗れず、また次の電車を待たなきゃいけない場合もあるので、「ラッキー！」と心の中でガッツポーズ。

…は、早とちりであった。

上半身と下半身の重心が違うところにある歪んだ状態でギューギューと互いに陣取り合戦を繰り広げながら、のろのろと進む新快速電車。こうした人身事故後の混乱の最中は、電車のスピードはあまり上がらない。新快速で、大阪の次の駅となる「尼崎」でちょっとおりてはたくさんが乗り込んできて、乗車率380％のクンタ・キンテな状況で、事件は起きた。

誰もが口を紡ぎ、もんもんと自己世界に閉じこもり、ひたすら下車した後の開放感に満ち溢れた世界を夢想している最中、ワタシの背後でその声は聞こえてきた。

「あ、ごめん…」

首を左後ろ後方によじり声のした方向に目をやると、なんと一人のおっさんリーマンがゲロっているではないか。そして、今回の最大の悲劇であるのだが、カレの背は、非常に高かったのであった…。

もち肌を酒で赤く染めた推定45歳のおっさんリーマンから吹き出されるゲロは、高い山から流れ落ちる滝のように、崩れ落ちる春の雪崩のように、その山裾に広がるひとりの肩に、ひとりの背中に、ひとりの肘に、ひとりの膝に…。たれ落ちると濃度を増し、普賢岳の溶岩流の如くぬるぬるとドロドロと流れ落ちるのであった。本来ならサササササッとクモの子を散らすように逃げまどう市民たちだが、いかんせん、「人という字は、こうして互いに支え合って…」という状況の満員電車。

誰もが被害を目前にどうすることもできないままに
「あ、」
とつぶやくしかないのであった。

私を含む同車両の誰もがよりいっそう深い沈黙の彼方へとおいやられ、クンタ・キンテな状況はまさにリアルなものとなった。そうこうして電車は新快速で尼崎の次の駅である「芦屋」に到着。するやいなや、弾けるようにゲロ車両から飛び出した私と戦友たち。

２次被害者である私が、待ち合いベンチ周辺でラジオ体操以上に大きく深呼吸をする横っちょで、自然とチームを組んで集合している、加害者と被害者ABCDE。最もひどい被害者Aに情けなさそうに頭を下げる加害者のおっさん。一番軽度の被害はふくらはぎの膨らんだ部分にサッとかけられたストレッチブラックジーンズの女子E。

さぞかし喧々囂々たる戦犯裁判が始まるかと思いきや、誰一人、加害者を非難するような声も上げなければ、ともすれば同情の念のような空気すらを発しているではないか。

さらに、時間が遡るが再びゲロ車両の事件の渦中に戻る。

おっさん加害者と私の間で堤防となってくれた、OLらしき証人F。彼女の目の前には被害者Aの溶岩流に侵された肩があったのだが、OLらしき証人Fはむずむずむずと体を動かし肩から掛けていたカバンからなんとかティッシュをとりだし、被害者Aの肩を一生懸命拭いてあげていたのである。 見ず知らずの他人の肩に掛かった、もうあいたくもない他人のオイニイぷんぷんの溶岩流を、彼女は無心に拭いていた。

日本人というのは、なんて善良なんだ…。ワタシはちょうど読書中の渡辺京二著「逝きし世の面影」という開国当時に外国人達がみた日本人の生活や風俗を書いた本を思いだし、改めて感心したのであった。

以上2004年5月29日(土) at 17:35ブログ加筆訂正

どこにあるのか、いや、あるのかすら不明なんだけど、「おっさんの品格」を思うとき、なぜだか私にはこの時の光景が思い出されてならない。でも、だからどうーなの？　いや、マジで。
      
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   <title>カンチッソのひみつ</title>
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   <published>2006-06-23T11:10:16Z</published>
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      甲南麻雀連盟会長が、ブログにて今期の成績を発表されていた。その中で、こんなことを書かれていた。

『「ちなみに鉄火場姐御の平均点は−３２．９。あの・・・これって毎回「ハコ下」ってことじゃないですか、アオヤマさん。』

だから、数字は怖い。

誤解されると心外なんだけど、私は時にハコ下でもマイナス２万点なんて時がある（どう心外なんだか）。ということはつまり、半荘が終わったとき点棒ハコに、時にごま塩弁当みたいな百点棒。あるいは、梅干し弁当のような愛くるしい千点棒が混じってる時もあるってことだ。まあ、本当は梅干しもゴマもふられた万点棒に惚れてはいるが、多くは望みますまい。こういう、貧しいけれども楽しい我が家といった私の点棒ハコの日常は、「平均点」なるものからは伝わらない。これじゃまるで、私が暗闇に覆われたハコ下アンダーワールドにて床をはい回るような生活をしているみたいじゃないか。いや、みんなから見るとそんな感じなのかな。いやーねー、そんな風に物事を悲観的に捉えちゃダメよ。 いろんな幸せがあるんだから。

とはいえ、小さな幸せはあっても日々の生活は困窮を極め、内田アコム、アイフル江、ノーローン越後屋と点棒キャッシングを重ねた挙げ句、業者間で借金のやり取りまでされ風呂に沈みかけるアオヤマ。もう髪の毛は乱れるどころじゃなく振り乱されているわけだが…。その惨状を見かねてか、ある半荘では連盟会長自らが背後霊指導をしてくれた。 極悪雀士である（えー、そうだったの？　えー、そうじゃなかったの？）連盟会長とはいえ、「雀士の目にも涙」とこちらも感涙を流し、きっと私は成長を見守られている期待の星なんだ。…と思いきや、翌日のブログの『これって毎回「ハコ下」ってことじゃないですか、アオヤマさん。』なる文面。その言葉に続けて高笑いすら聞こえてきそうである。いや、絶対に笑ってるね。知ってるもん。アオヤマよ、勝負の世界は厳しい、ということを心を鬼にして教えてくれているのだろうか。 むー、違うな。だいぶ違う気がする。

…とかいう話を、たまたま140Ｂに遊びに来てくれた哲学するソムリエの橘さんに話すと、「いや、ほんまに数字は怖いなあ」とこんな話をしてくれた。

パリで開催されるあるワインの試飲会で、８割が美味しいと投票したワインがある。それはナンチャラ賞を受賞したワインとしてラベルがついて全世界に出荷されるんだけど、実はその試飲会で投票をしたのは全員がアメリカ人。つまり、パリのナンチャラ賞と言いつつ、実はアメリカ人の選んだワインだったのだ。別にアメリカ人がどうとかじゃなくて（いや、どうとかか？）、そういうの内訳はナンチャラ（フランス語）賞からは伝わらないし、伝わるのは、80パーセントが一番美味しいと感じたワイン。って数字だけってこと。

だから、数字は怖い。

はたまた…人口密度みたいに、ブドウ畑内のブドウの木の比率というのがあるそうな。もちろん畑内木密度が少なければ一粒一粒のブドウの実も少ないということになる。必然的に畑の栄養が一粒一粒によく行き渡り、いいブドウができる。で、そういう畑内木密度もワインの状態をはかる目安にされるそうだ。言うまでもなく低ければ低いほどいいんだけど、「おぉ、これは数値が低いし素晴らしい」と思いきや、単にトラクターが通るから道幅を広く取っていたとか、なんとかかんとかそういうこともあるんだそうだ。

うーん、数字は怖い。

数字だけでいくと毎回「ハコ下」で、「数字だけでいくと」なんて言いながらじつはその数字通りじゃんという私なら、アメリカ人が美味しいと選んだワインを「パリのナンチャラ賞受賞作」と迷わず選び、枯れた地面をどかどかトラクターが走るプランテーション（いや、単に想像ですが）でドカスカと摘まれたブドウ酒を、おぉこれは大事に育てられたワインに違いないと、レジに運ぶに違いない。とか言う前に、そんな数値をどこで見るのかもしらないんだけど。まあつまり、数字は判断する側に委ねられているってこと。以上のことをふまえて『これって毎回「ハコ下」ってことじゃないですか、アオヤマさん。』をアナタは判断して欲しいのである。…しつこい？　あー、しつこいさ。それがなにか問題でも？


さておき、再び麻雀の話だが、勝負のあとにこんな会話がよく取り交わされる。

「で、なにを？」
「カンチッソ」
「あー、僕はペンチーワン」

麻雀をする人にはもちろん分かるだろうけど、これは当たり牌が何でどんな待ちをしていたかという会話だ。「カンチッソ」の「カン」は「カンチャン」。ひとつ飛んで繋がっている数字の牌を待っている状態が「カンチャン待ち」。「チッソ」は「チーソー」で「七の索子（ソーズ）」。なので、「カンチッソ」は「七索でカンチャン待ち」という意味だ。「ペンチーワン」は数牌の「１・２」か「８・９」という端っこの牌で待つ「ペンチャン待ち」で、当たり牌は「七の萬子（マンズ）」。なので「七萬をペンチャン待ち」という意味になる。…ということを、連盟会員に呆れられるので内緒にしていたが、最近ようやく知った乱れ髪アオヤマ。


さて、［インデアンカレー］というカレー専門店が、大阪を中心に数店舗ある。そういえば、芦屋駅前にもあるから大阪〜神戸方面に在住の方はよくご存じかもしれない。ミーツ・リージョナル誌でも幾度と無く紹介してきたし、編集部内にもファンが多い名店だ。専門店らしく、メニューはシンプルなカレーライスとカレースパゲティとハヤシライスぐ 
らい。この［インデアンカレー］のカレーライスには、常連客はそれぞれが独自のアレンジを持っていて、オーダー時には、それぞれが暗号のような言葉をつぶやくこととなる。

「ご飯大盛り全卵でスタイニー１本」
↓
「カレーライスのご飯を大盛りにして、卵トッピングを全卵にして、ビールのスタイニーボトルをつけて１本ちょーだい」

「ゼンランメダマデ（全卵目玉で）」
↓
「通常は黄身だけの卵トッピングを、全卵の状態で、さらに一つじゃなくて目玉に見えるように二つのせたカレーライスおくれ」

あるとき、こんなオーダーを耳にした。
「オオタマヨコワケ」

横目で見ていると、これは、
「カレーライス大盛りで、卵黄のせて下さい。あっ、カレーはご飯の上にかけずに片方にご飯、片方にカレーという風に分けて盛りつけてください」という意味だった。

つい先日、１４０Ｂ出社時に堂島地下街を歩いていてインデアンカレーと通り過ぎたときこの「オオタマヨコワケ」を思い出し、その瞬間に、「カンチッソ」の謎が劇的に解けたのである。偉大なる雀士への道を一歩踏み出したことを確信したのであった…まる


末筆にもほどがあるのですが、佐藤友亮さんと我が戦友の飯田祐子さんのご結婚を心よりお祝い申し上げます。来年からの結婚記念日は、やっぱ記念杯ですよね？　

そして、今なによりも夢中になってかかわっているプロジェクトも現段階の大詰めを迎え、そこでもまた新しいアイデアが生まれたりしている。誰かと一緒に何を作り、それが現在進行形で変化し続けるのは、素晴らしく楽しい。

でもって、明日と明後日は東京出張。そういや、企画を通したものの退社して、編集も途中で抜けたミーツ・リージョナル「東京出張本」は、粗削りだけど便利な本に仕上がり、売れ行きも好評のようです。平均睡眠時間３時間で粘った森本嬢に改めてお疲れさまと言いたいです。またいつか、一緒に雑誌を作れるといいね。
      
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   <title>愛撫と他者</title>
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   <published>2006-06-05T00:12:11Z</published>
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      あるネットサイトのプロジェクト（とかいうと、何だかかっちょいいように聞こえる。でも、実際に結構かっちょいい）が進行していて、その下準備で、特集デスクをした『神戸の中国料理』（ミーツ・リージョナル誌2003.4月号）を読み返していたら、当時、内田樹先生が連載していた「街場の現代思想」の最終回に行き当たる。最終回のお題は“「他者」」とは何か？　の不可能な問い、について”。ハードコアパンクなお題だ。

かねてから疑問に思っていたことがある。

なぜ、男は女の胸を揉むのだろう。

まあ、ぷにゅぷにゅした感触が気持ち良いのだろうとは想像がつくが、揉んでもそこから何かが出るわけでもない。乳房を揉む。乳房がくしゃっとつぶれる。乳房が戻る。戻った乳房をまた揉む。乳房が…という果てしない行為が繰り返される。どこにもいかない、その行為。飽くなき挑戦にすら思える「胸を揉む」というその行動。

もみもみもみもみもみもみ…。

一度、男に聞いてみた。

「ねえ、ねえ、何で胸揉むの？　何が楽しいの？　揉むといいことあるわけ？　そこに何かがあるの？」

「わからん」

もみもみもみもみもみもみ…。質問など耳に入らぬようで、男は無心に胸を揉む。

そんな男が私には、わからない。


「他者」とは何か？　の不可能な問いについてを読んでいると、こんな一文があった。

〜引用始め〜
ー前略ー
　「『他者』とはなんだか分からないことを語る人」、そして「『私』とはなんだか分からないことを聴いている人」、これが「他者」と「私」の定義なのだ。「他者」や「私」がまずあって、そのあいだにコミュニケーションが成り立ったり成り立たなかったりするのではない。そういうものはすべて事後的なことだ。最初にあるのは、「なんだか分からないことば」そのものなのだ。
　その「なんだか分からないことば」の発信者を「他者」と呼び、その「なんだか分からないことば」を受信しつつあるものを「私」と呼ぶのだ。
ー中略ー
　「私も育児をしたことがあるから分かるけれど、親というのは赤ちゃんに向かってほとんどが絶え間なく「ねえ、何考えてるの？」と問いかけているものなのだよ。それは、別に切羽詰まった「審問」や「査問」ではない。それは恋人同士が「ねえ、私のこと、愛してる？」と終わりなく問いかけ合うのと同じ種類の、「問うこと自体が愉悦であるような問いかけ」だ。
　だから、「わからない」と言える相手を前にしているというのは、そのこと自体がすでに快楽の経験なのだ。
　もう一度レヴィナス老師のことばを引こう。
　「愛撫の本質はなにものをも把持しないことにある。絶えずいまのかたちからある未来へ向けてーー決してたどりつかない未来へ向けてーー立ち去るもの、いまだ存在していないかのように逃れ去るものを引き止めようとすることにある。愛撫は探し求める。愛撫は手探りする。それは暴露の志向性ではなく、探求すなわち不可視のものをめざす歩みなのだ。」
　この文章の中の「愛撫」を「読むこと」あるいは「聴くこと」に読み替えると、それはそのまま私たちが今論じている「『わからない』に基礎づけられたコミュニケーション」についての説明になる。
ー後略ー
〜引用終わり〜

おぉ〜、そうだったのね。だから、胸を揉んでいたのね。「わからん」と答えたアナタにはわかっていた。ちゅうか、「わからない」ということがわかっていたのね。そうかそうか、さあ、お揉みなさい。心置きなく。やっぱりなぜ男が胸を揉むのかは分からないけれど、分からないものだということが分かった。

男は相変わらず無心に揉んでいる。

もみもみもみもみもみもみ…。

男が無心に自分の胸を揉むことで、女はこいつは何も分かっちゃいないと思い、分かられていないということに、何だか自由と喜びを感じるのである。ということを、ほとんどの男はわかっちゃいない。
      
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   <title>お金で買われた夜だった</title>
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   <published>2006-05-22T13:51:54Z</published>
   <updated>2006-11-09T13:08:01Z</updated>
   
   <summary>5月20日（土） 先日の父との夕べで、以前に書いたブログ記事を思い出した。失業記...</summary>
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      5月20日（土）
先日の父との夕べで、以前に書いたブログ記事を思い出した。失業記念の大盤振る舞いで、三夜連続の893スペシャルとして再録をする。しかしなんですなあ、こんな話ばかり書いているような…。

★893スペシャル第一夜
続・やくざ考「やくざの共犯性」。　

常々「やくざ」というものが気になって仕方がない。いや、好きではない。しかし、気になるのである。

ワタシの父はパチンコ店を経営していた頃、店の前でやくざに、所場代よこせ、何いやだ？　この野郎。で、ボカンと殴られたことがある。

昭和40年代の昭和な遊技場の扉は、まだガラガラと開ける木枠のガラス扉で、殴られてよろけてぶつかった扉が外れ、ガラスが割れた。その音で従業員やらがやってきて、警察を呼ぶ。覚えとけよとやくざは逃げる。覚えるもなにも、父はやってきた警察にあんたらがしっかりしてくれへんから困ると文句を言い、ちゃんと事件にして逮捕してくれ。そやないと、夜も怖くて寝れませんとごねる。

折しも、この昭和40年代前半は、警察が全国的に暴力団取締を展開していた「第一次頂上作戦」時。父を殴ったやくざは「姫路のもん」で、指名手配中であった。そして、それから程なくして大阪で逮捕された。兵庫県警としては、ここから芋ヅル検挙を狙いたい。

神戸地方裁判所に指定された日に到着すると、裁判所の入口付近には目つきのよろしくない方々がうようよいる。やくざ初心者ではない遊技場経営者とはいえ、やはり怖い。門を通過して建物の方へ歩く父の両脇に、不気味な空気をまとった男が寄り添うよう足並みを揃える。「わかってるやろな」とつぶやきぐっとその顔を父の前につきだす。父は下を向いて建物に入る。男たちはそれ以上はついてこない。法廷に入ると、傍聴席にも態度もガラもよろしくない男たちが見える。歩く父に小さな声で「頑張りやぁ」と声をかける。

名前は失念したが、当時その作戦中に関西のやくざから敵にされていた検事がいて、その検事がその事件を担当していた。

証言の段になった父は、その検事と裁判官に向かって言った。あんたたちは法に守られているかもしれない。裁判官さんも裁判所を出ても警察がついていてくれるだろう。しかし、私は裁判所入口で脅しを受け、この法定内でも威圧感を与えられ、これで証言して法廷を出たら、身の安全があるとは到底信じられない。やくざもひどいけど、あんたらももっと質が悪い。それをなんとかしてもらわな、なんにも言えません。そして、法廷を後にした。

数日後、その検事さんから、あんたの言うことはもっともや、すいません。と電話があり、法廷ではなく個室で被告人とも対面せずに証言をすることになった。どういうことかは分からないが、とにかくそういう手段を取ることになったんだそうだ。それからも、時々その検事さんは父に連絡をしてきて、話をしていたとか。そういうのも昭和な話である。

そんな話を家族の誰にも言わず…というなら、格好がいいのだが、好奇心満々のお年頃になった子どもたちに、酔うとこの話を含めたヤクザなネタを大げさに話すし、だいたいがどこまでがホンマなんかと子どもに疑われる始末。お調子者というなんというか…そんな父はやくざが大嫌いだ。にもかかわらず、任侠映画や小林旭を好む彼の遺伝子を、間違いなく受け継いでいると実感している。


関西弁に「〜させてもらう」という物言いがある。これは、知らないうちに相手に贈り物をさせる、とても便利で友好的な言葉である。

「すいませんけど、お邪魔させてもろてもええですか？」。

この場合なら、「ワタシがお邪魔する」というのと、「アナタがワタシをお邪魔させる」というのを同時に含む。いきなり他人が他人ではなくなる。アナタとワタシはもう共犯。全国各地にやくざがいるが、やくざ標準語が関西弁となるのは、この関西弁特有の共犯性によるものではないだろうか。

嫌がる店主に「また寄せてもらいますわ」。一言も発せずいたとしても、やくざがそう言った瞬間に、店主は「寄せてあげる存在」として立ち上がってしまう。同意がなくとも共犯にされてしまう。やくざという存在は、目を付けられると逃げられないような恐怖感を抱かせる。関西弁の優れた部分を裏目に使い、どんな相手であれ共犯者に仕立てることができるこのお家芸にして「悪芸」が、それに一役買っている。

ナニワノワールな作家・黒川博行さんのミステリーを読むと、いつもその話芸に唸らされる。やくざ的言い回しを関西弁風ならいいんじゃないかと勘違いしている書き手もあるが、黒川博行さんはそういうやくざと言葉のはらむ性質を知り尽くした上で面白がって書いているように思う。だから黒川博行さんの作品に登場するやくざな会話は、喫茶店でその筋の方の話を小耳に挟んでいるようで、面白くてたまらないのである。
2005年3月26日(土) at 20:24　


★893スペシャル第二夜
やっぱり「セルシオ」は値打ちがある。　

味噌カツと出逢えた喜びを噛みしめながら、その未練を断ち切るために濃いコーヒーを求めて名古屋・大須の商店街を徘徊。そして、すぐ脇の路地でふと呼び寄せられ、純喫茶［コンパル］の扉を開けた。

東京でいうなら［ルノワール］か。社会の澱も含んだ由緒正しい街の喫茶店。色調もそんな感じで、客層もとりとめなく浮ついたところがない。浮つくには生活が滲みすぎている。若いカップルすら熟年夫婦のように倦怠感と惰性を含んでいる。こういう喫茶店では、ワタシが急に鼻をほじってもあんまり気にされない。いや、ほじりませんけどね。知らぬ街とはいえ、地図を広げてのぞき込むことが、少しカッコ悪いと心配していた異邦人にはうってつけ。匿名性の高さは、街のいい喫茶店の第一条件であろう。

扉を開けたすぐ前の、ゆったりとした４人掛けのテーブルがひとつポツンと空いている。カバンを置きコートを脱いでいると、通路を挟んだ左隣のテーブル席の二人連れから視線を感じ目をやると、首の太く短いアイパーのおっちゃん二人。

黒いセーターと黒いボンタンのような太いスラックスを、産まれた時から身につけているかのような着こなし具合で、横が広がり丸顔になった頭部にちょぼっとついたお目目はつぶらだが鋭い。100人に聞きました。この人たちの職業はなんでしょう？　100人が100人とも答えるだろう。「ヤクザ！」。ここはミナミの丸福珈琲店かっ。

一般人とそのスジの方は、他人を見るその所作が決定的に違う。ワタシがいて、ワタシ以外の人間がいて、という並列的な距離感が彼らにはない。ワシがいて、ワシに従属するお前がいる。つまり、ワタシは既にワシの世界に含まれている。この二人もワタシをそんな風に見るのである。

［コンパル］のコーヒーは最高潮に熱かった。ちびちびと飲みながら机に地図を広げるも、隣の会話があ〜気になる。「神戸の…」などと聞こえるから、我慢できずにチラリと見ると、年の頃は50も過ぎた全身むくみ過ぎのアイパーたちが、（後から知ったが）名物のエビカツサンド一皿を、二人で半分っこしながら片手で掴み、わしわしと食べていた。

そんなアイパー二人の横で地図を広げ、次なる目的地を検索していると、扉に背を向けて座った一人がどうやら用を足しにか席を立つ。すると、扉に正面向いて座っていた一人もさっと席を立ちレジへ向かう。レジには誰もいないが、すぐ横に置かれていたナプキンを迷いなくガシッと掴み、席に戻る。厠帰りのアイパーが席に戻るや、もう一人がナプキンのビニールの袋をポンッと叩いて開け、取りだしたナプキンをさささっと差し出す。一般社会なら上司のアイパーは慣れたようにナプキンで手を拭く。

ほどなく、コーヒーを飲み干したワタシがコートを着ようとガサコソしていると、どうやら二人もお帰りになられるようで、上司アイパーがレジに向かう。先をお譲りして後ろに並ぶワタシの横を部下アイパーが小走りで通り過ぎ、上司を残して店を出る。上司アイパーは2000円を、「ほれ」という感じの絶妙のパスで放り投げる。普段からお金を投げていないとあんな投げ方はできませんな。

「投げつける」では乱暴になるが、そうではなくなんていうか…「ほれ」という感じである。江戸の悪徳商人がお気に入りの下女に下心満載でお小遣いをあげるような計算が入り交じった所作。お金の扱い方で人が分かるというのはこういうことなのだなぁ。と、感心しながらのぞき見た札入れは、分厚い。新札なら100万。そうではなさそうだったので、たぶん45万円ぐらいであろう。市原悦子となったワタシはそれが多いのか少ないのかを考え込んだ。

アイパー上司が支払いをすませ釣りをきっちり受け取ると店を出た。慌てて支払いをすませ、同じく店をでる。フィリップ・マーロウとなったワタシは、部下アイパーが先に出たのはクルマをまわす為だったことと、店の前に止まった濃紺の大きなクルマがセルシオであることを確認し、さすがトヨタのお膝元。なんだかやっぱり値打ちあるぜ、と深く納得させられたのであった。
2005年3月25日(金) at 18:42　


★893スペシャル第三夜
お金で身を売った夜。

神戸からのロケハンの帰りに読む本がなくなったので、『話し手／吉本隆明　聞き手／糸井重里　悪人正機』を元町駅の［ジャパン・ブックス］で購入。

このJR元町駅西口にある［ジャパン・ブックス］は、気になる本屋だ。溝口敦さんの講談社α文庫から出ている山口組シリーズが、いつも平積みされている。時に、実録シリーズがスペシャルコーナーになっている時がある。

確かに、元町駅を北上し、花隈方面にいけばあの組の、東口からみんながお買い物にいくあのあたりのあそこらへんにはあの組の事務所があった。そこからさらに北上すると、今もその筋の方々が事務所を構えている。神戸はまぁ、そういう土地柄なワケです。

もうずいぶんと前になるけれど、終電間際の元町のとあるバーで、よく知っているおっちゃん店主と二人でお話しながら飲んでいて、もうそろそろ帰らなきゃなぁという頃に、年の頃は50代後半の見るからに金持ちそうで華やかな女性が、いつものように、という感じで扉をがらりとあけて入ってきた。

ちょっと酔って誰かともっと話したくて、という雰囲気で、どうやら昨夜もそんな調子で長丁場になったらしく、おっちゃん店主が、しきりとワタシに話を振ってくる。なんとなくその女性の話に相づちを打っていると、彼女が透明のビニールでできたケリー型のバッグからタバコを出すのを目にしたので、「うわぁ。それ雑誌で見ました。売ってないやつですよね〜。初めてみました」とバカみたいな感想を言うと、「たいしたことないわ。あらそう、こんなん人気あるわけ？」と、まんざらでもなさそうにのたまった。

どうやら彼女は常磐津のおっしょさんで、元町山手にお住まいらしい。

「あの、そろそろ電車があるんで…」

「なんや、アンタ。家どこなん」

「垂水なんです」

「タクシー乗って帰りんかいな」

「いや、でも…」

「ほら。これで帰りや」

と、強引にワタシの手の中に5000円札を握らせた。他人からお金を意味なくもらったのは２回目で、１回目の話はまたするけれど、やっぱりどうも納得できないというか、どうしていいのかわからない。しかし、こうした人に無下に返すとプライドを傷つけて逆上される場合もあるし…。

という感じでモジモジしていると「あのな、人からお金タダでもらえるってことはないやろ。あんたな、ワタシが家に辿り着くまでしっかり見届けてや。それがアンタの仕事や」

そのきっぱりと、しかも言い慣れた物言いに圧されて「はぁ〜」となっていると、「ほな、いこか。あんたなぁ。今日はあんたが、普段しらへんような面白い世界見したげるわ」と、意気揚々と歩き出した。

まぁ、それからの話は割愛するけど、ゲイカップルがやっているスナックや、そっち系のショーパブや、ホストみたいな若い男の子と、それが目当ての若いゲイの男の子が来ているバーなんかに連れ回られた。もう、飲まなやってやれへん〜！　なんだけど、飲んでる場合じゃない。ワタシには使命がある。5000円で買われた身なんだから。うぅ。

そして、二軒目のパブのママかマスターかわかんないおっちゃんが、おっしょさんに旦那の話を振っていた。どうやら旦那も常連らしいが、旦那は歯が痛くてここんとこ家にこもっているらしいのだ。そして、どうやらその旦那には正妻が別にいるらしく、おっしょさんは「あんなうるさいおっさん、もう家帰って欲しいわ」と本気でこぼしていた。

そして、どうやらおっさんは「その筋の方」で、しかも相当に偉いようである。おっしょさんの旦那の話になると、あきらかに、ママかマスターかわかんないおっちゃんの物言いも合いの手も違う。

それまではおっしょさんの話に過剰に反応していたけれど、旦那を立ててかおっしょさんになんでもかんでも味方をするわけではない。なんとなく、ぎりぎりでとめている。

おっしょさんは常磐津の名手でもあるようだが、そうした私生活が原因で不当に芸が評価されないのだ。という愚痴をくどくどとこぼしていた。詳しくはわからないけれど、もっと会社でいうと昇進するはずなのに、 ワタシのことを２号や思てバカにしてるんや、あいつらは。な、そうである。

なんやかんやで、４軒ハシゴして（１軒あたりがまた短いんだか）ようやく気が済んだおっしょさんをタクシーに乗せ、おっしょさんの家に無事送りつけた。おっしょさんが無事なのはワタシの無事。だって、5000円の仕事をしなきゃいけないんだから。そして、ご自宅は、やっぱり明らかに高そうなマンションでしたよ。はい。

そこから、西へ向かうタクシーの中で、なんとなく泣けてきた。それは朝の太陽の光が目にしみたからか、その夜があまりにきつかったからか。

おっしょさんにはそれから一度も会っていないんだけど、たぶんもし ばったり会っても、ワタシは彼女を覚えているけれど、彼女はワタシを覚えていないだろうと確信できる。他人の時間をお金で買う人間は、そんなこと覚えてなんかいない。覚えていたくないから、他人をお金で買うのだ。ワタシでなくても誰でもいいから、お金で買う。

誰かにお金で自分という存在を買われた瞬間に、ワタシはワタシでなくなる。と、思うことでしか、自分を救えない。自分が自分でなくなることを肯定し続けるのは、精神的にあまりよろしくないような気がする。そのうちに自分なんてあっという間になくなっちゃうよ、きっと。いや、もともとそんなものないのかもしれないけど、ある、と信じているから生きていけるんだけど、もう「あるかも」とも思えなくなるんじゃないかな。

そして、日常のいたるシーンで実は私たちは「身を売る」危険にさらされている。女子高生の援助交際とかいうよりもっと悪質に、普通に「身を売る」オトナがたくさんいる。

そこに自覚がないのに、実は症状は社会に垂れ流されていることが、怖い。

2004年12月16日(木) at 17:55
      
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   <title>父と娘</title>
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   <published>2006-05-22T13:42:26Z</published>
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      5月15日（月）

「去年の秋から社員全員に対して強制です」という総務担当の言葉の一つが嘘であると知り、退社後も守秘義務を遂行しますという意の「誓約書」に判を押さぬまま、ここは秘密国家かと恐れいななき逃げ切り退社を敢行。そして、8年の時間という財産を背中にしょって京阪神エルマガジン社から（株）140B（http://www.140b.jp/）に移籍。といっても、140Bの社員じゃなくて居候だ。「だ」とか威張ってる場合じゃないんじゃん…。てことで、中島淳さん、江弘毅さん、石原卓さんという愉快なオッサンたち＆居候仲間の煙草を吸う顔がゴルゴな松本創さんと、早速、新しいミッションに取り組んでいる。

ご挨拶が遅れましたが、在職中お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。そして、早速、お仕事など下さった皆さま、ありがとうございます。精進いたします。

株式会社140Bにて、仲良くして頂いている出版社から女性誌などを送ってきて頂いたので、久しぶりにエビちゃん系雑誌をパラパラ繰っていると、「おしゃれなパパが自慢です」という特集企画に手が止まる。サブタイトルは「ちょい不良（と書いてワル。本気と書いたらマジ）パパからBRIOパパまで」。そこにチンチンカモカモと写る「パパと娘」たちの２ショット。ていうか、年下の愛人を自慢するオジサマと、お金に惹かれてオジサマに付いて行く自称モデルの女…という構図にしか見えないんですけど。「二人でハワイや韓国に行きます」「パパからプレゼントされたロレックスです」としなを作る娘。そんな娘の知らないところでは、パパが騙したり騙されたりしてる女にも同じことしてんでしょー、きっと。いや、たぶん娘もそれ知ってるよ、絶対。でもそんなことどうでも良くて、知らないふりできるから、「パパから娘へのメッセージ　いつまでも無邪気で可愛い娘でいてください」なんだろうな。結構、パパもわかってんじゃん。

Meets Regional編集部に在籍中の2000年の秋、二度目の脳梗塞で倒れた父は、以来、左半身が麻痺し、障害者手帳では体幹機能で５級の身となった。車椅子は嫌だとリハビリに励み杖で歩けるようになったが、年齢もあって長時間は難しく、ふとした拍子によろけてこけたりもするので、母親がつきっきりで生活の補助をしている。というか、倒れる前から「おい、それ」「あれ、ちょっと」の関白宣言なので、つきっきりは以前から変わらないのだけれど。娘はいま、父とは別に住んでいる。母に申し訳なく思いつつ、父からの解放感に引き止められて、もはや自宅にはなかなか帰らない。先日のとある夜、母親が実家の用事で帰宅が遅くなるということで、母不在の中、そんな父と娘の「二人で晩ご飯を食べてちょうだいね」というミッションが下された。「二人で仲良く」はミッション・インポッシブル…のようにも思われるが。

「ただいま」と素っ気も愛想のない娘の声に、テレビに顔を向けたままの父の「あぁ」という声だけの返事。勉強も素行も出来の悪すぎる娘は、ついでに口まで悪い。まだ入院中の頃、ふと目をやれば、ベッドに腰掛けいつも動かなくなった左手を無表情にじっと見つめていた父。それが目に入る度に目を潤ませる母。という、闘病ドラマな状況の中、 パラリンピックに出なアカンねんから、のんびりしてる場合と違うよ。射的やったらいけるいける。カッコええやん」と、身内しか笑えないギャグで見舞客を震撼させる娘。さらには、待てど暮らせど嫁にも行かず、二度目の失業までして帰宅する35の娘。そんな娘と、半身は麻痺しても哀れみは不要。オレの方が偉いんや〜の父が囲む食卓の会話…どう考えてもハードコアパンクだし、社会的には状況が暗すぎる。似たもの親娘でもあるので、そこらへんは心得ているから、二人きりなのに当たり障りのない会話しかできない。


「今日は暑かったねえ」
「明日はまた冷えるんや」

…。

「春子おばちゃんは元気なん」
「相変わらずや」
…。

静かだけれど根底に重い空気の流れるダイニング。背後のテレビからは、細木数子の子供を産めや増やせやとまくしたてる声が聞こえてく る。子供→孫→結婚…じ、じ、地雷じゃないか。ただでさえ耳障りな細木の声が余計に憎らしく聞こえてくる。娘、焦る→話を逸らしてごまかす↓

「そうや、細木数子のお姉さんの旦那さんて、安藤組の幹部やねんて。『週刊現代』に書いてあったわ。そら、怖くてだれも逆らわれへんよねぇ（あたふた）」

「安藤組か…」

父、つぶやく。

その反応を見て、娘、すかさず最近仕入れた「神戸893ネタ」を披露する。

花隈の…五代目の…ドンパチ…加納町の…（保安のためスキップ再生）。その娘の話を遮るように、「昔は柳川組がえげつなかったんや…」と父。にわか「噂の真相」覆面座談会となる青山家の食卓。娘が初耳の現地取材報告もあり、10年ぶりぐらいに父の言葉に真剣に耳を傾ける娘。娘と父は、他人の過去をほじくり返し、盛り上がる。そんなドンパチトークも一段落し、再び静まりかえる食卓。

皿を片付け、麩饅頭と茶を出しながら娘は言う。

「そういえば、『薔薇と薔薇』が閉店したよ。ママさんが講談社から本出してた」と娘。

「あそこは甲南女子と松蔭のコが多かったんや」と昔話を始める父。

神戸で一番と言われるクラブ『薔薇と薔薇』。店からの年賀の挨拶は、ホステスの写真一覧。男というものはみな、クラブやスナックで遊ぶものと信じ込まされていた母も一緒にその写真を眺めたものだった。母は酒場というものに出向いたことがないから、父がクラブやスナックにて女の子と一緒に飲んでいるだけで、それの何が楽しいのかわからない。楽しさがわからないので、怒る理由もない。ある時、母が娘に尋ねた。 
「ゆみこちゃんはバーに行ったことがあるんでしょ。バーにはちょっと陰があって憂いのある表情をしたマスターがいるんでしょ。いいわねえ」。父は言う。「お前は何もしらん。バーは女の子がいるとこや」。 
ていうか、どっちもガセネタやん、と娘は思う。父はバーとスナックとクラブを区別しない、昭和の哀しき商売人、ついでに一時は小成金。

そんなこんなで、薔薇が咲き乱れるお水の花道話を10Pほど展開し、そこからスライドした、娘が最近始めた麻雀への「遅いのはアカン。瞬間の判断力や」という指南が続き夜は更けた。思いのほか長居したけど、久しぶりにこんなに話をしたなあと娘が思っていると、「もうちょっとで帰るから、ゆみこちゃんもそろそろ帰ってちょうだい、ありがとうね」という母コール。で、実家を後にした。

帰宅すると、母から再び着信。
「パパねえ、心配してたけどなんだか機嫌がいいのよ。二人で仲良くしてたのと聞くと、うるさいと言ってたけど。何の話してたの？」

「え〜、別に」

エビちゃん系雑誌の「パパと娘」のパパよりも、うちの方が、「ちょい不良（ワル）パパ」じゃん。でも、「週刊現代」な企画だな、こりゃ。
      
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