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2006年03月 アーカイブ

2006年03月19日

ブログと再婚宣言

社命でブログを始めて調子に乗って書きすぎて怒られて書く内容を制限されて書く気がなくなってそれならばもう会社も辞めるかと退職願を出して受理されて、4月末で京阪神エルマガジン社を退社することになった…と書くと、ここに嘘はないけれど、これが真実の全てでもない。


口であれ文字であれ、言葉はそこに浮かんだ瞬間に本当であり本当じゃなくなる。ここんとこ、どこの現場もそのことを忘れすぎているのか、自分の言葉に自信満々で他人の言葉に不信感満々で、そういう人の言葉の足跡は足が臭い人間と同じでなんだか臭う。ふとついていってしまうと、気が付けばその臭いで鼻がつぶれそうになるけれど本人はあっけらかんとしていて、こういうのは腋臭の人が自分の匂いには気が付かない原理と一緒なのかしらん。などと思う青山です。このたび内田樹先生の長屋でお世話になることになりました。追い出されないように頑張ります。


てな感じで、ちょっと前まで2年か3年間ほど、あるサイトでうだうだとブログを書いていたんだけど、書いているうちにコースを忘れて加速暴走のうえカーブを曲がりきれずコース内の公共物を破損しクルマも廃車寸前。しかもその乗っていたクルマが会社の広告物だったのでそらアカンわな、とクルマを返却してもう運転は止めたと思っていたけど、やっぱりクルマに乗りたくなったので新車買って、どうせなら変なコースを走りたくなくてtaturu.comを選んだ。幸い内田先生に快く走りやすそうなコースを与えていただいた。


私が初めてブログを書きはじめた3年ほど前は、まだ雑誌編集者の私たちでさえ「ブログってなんだ? ブログを始めよう!」ということが編集会議の議題になるようなご時世だったように記憶する。いや、雑誌の現場はアナログ人間が多いから特に疎かったのかもしれねいけれど。とにかく、ミーツ誌周辺でいうと与えられた「場」以外にブログをする「場」があるとかないとかすら考えたこともなかった。でも、今はいろんな「場」でブログを簡単に開設できる。ヤフーに楽天、ライブドアにso-net…溢れる中から、デザインだったり、アクセスの簡単さだったり、料金的なことであったり選択基準があると思うけど、私が今回ブログを再開しようと思ったときに唯一こだわりたかったのが、そこが誰に管理されているかということだ。


前ブログで暴走した日にアップされた記事は、暴走原因となった人の遠隔操作によって即座に消された。事故そのものは私に非があってそれは反省してしかるべきかもしれないけれど、だからといって「書かれたもの」を組織的な権力によって消しちゃうなんて、文字に関わる身としてはもう耐えられないわっ、と思う。まあ、書いた内容がだいたいそんな真っ当すぎて青も赤も臭いことなので、真っ黒にドロドロした組織では通用しないわな、とも思うけれど。


ともあれ、楽天だってもしかして楽天の悪口書いてたら勝手にブログを閉鎖されるかもしれない。そんなことはないと思うけど、ないとは言えないんだから、最初からその可能性も考えましょう、とアンテナがびんびん反応するのだ。今後、もしかしてこのブログで「内田のヤロー、馬鹿野郎。あーだこーだ」と書くことがあるかもしれない。書かないとは思わない。私にはそれを書かないことは具体的に想像ができないけれど、もしそれで「青山何書いてんだよー。ここ俺んちだぜ」と抹消されたとしても、「内田樹先生ならまあいいか。わはは」と思えることは容易に想像できる。だから私はここで書くことにした。


こういうのはちょっと違うかもしれないけど、編集者と執筆者の関係にも似ている。ミーツ誌は編集をしながらライターもするので書き手の気持ちもちょっとわかる。書くときに一番に楽というか安心なのは、もし全部書き換えられたとしても、極端にいうと「没」にされたとしても納得がいく相手に編集をしてもらうことで、もちろん本当に全部書き換えたりは通常はしないんだけど、それぐらい身も心もゆだねた相手の言葉なら、たとえ書いたものを批判されたとしても素直に受け取れるし、そう思える関係の編集者と話すだけで実は原稿がもう書き上がったに等しかったりするもんなのだ。


そんなこんなで、内田樹先生のブログで書き始めた時点でワタシ的にはもう書く原稿があらかた想定されていて、それを今後は文字にしていくという感じです。なんだよ、最初っからここで書いときゃよかったよ。でも別れたあいつも本当はいい人だったのかもしれないわ。そうよ、相性が悪かったのよ。いや、星まわりよ。…あら、やだ。なんだか結局は愚痴になってるじゃないの。そういうの嫌だから会社辞めるのに。


しかしなんですな。久しぶりのブログ再開記念スペシャルに書きたいお題があったのに、書き始めると違うところに流れてしまう。今日は、久しぶりに会う嫁にいった娘に、こないだ熟年離婚したお父さんの悪口を思わず言っちゃって一人で白熱して、あら気が付けばまだ喫茶店に入ってコーヒーも注文してなかったじゃないの、やーねー。さ、早く頼みなさいよ。ケーキでもなんでも好きなもの頼んだらいいじゃない…そんな感じで今後ともどうぞご贔屓に。


あ、編集者してたくせに誤字脱字多いです。後輩のダイハクリョクに「チェックしてね」と自分の原稿を丸投げしてましたから。得意な人に得意なこと任すのが一番、が編集者としての信条なもんで(言い訳)。

アオヤマらも行かへん?

有給消化期間に入ったことだし…といいながら、今日もミーツ誌の取材に勤しんでいたし、別冊の打ち合わせだのなんだかんだのツーツートンで出社。まとまった休みも取れないままに来週はミーツの「東京本(仮)」の打ち合わせで東京出張。こういうのを有給消化っていうのだろうか。でもまあ、まだ在籍してるのにこうしてブログで会社のこと書いたりしてる分でプラマイゼロということか。いや、どうだろ。 というよりも、時間ができてすることといえば、元町商店街周辺をぶらぶらして本屋をのぞいたり新店見つけて編集部に電話したりブログやなんやと書き物したりしているだけで、こういうのはミーツ在籍時代からなんら変わらない。つまり、今のこの状態に対して仕事をしていると言ってしまえば、同様に前のあの状態は仕事をしていなかったと言えそうな気もして、そんなこと言うと前科者のワタシは揚げ足取られそうでオヨヨという感じなので、証人喚問でのヒューザー小嶋を見習って「刑事訴追の可能性がありますので発言を控えさせていただきます」。全ては、執行猶予がとれたときの話にしたい。 てなんの話だかわかる人にしかわからなくて申し訳ない。ともあれ、自分がいったいどういう状況にいるかなんて、相田みつをが「しあわせはいつも自分のこころがきめる」と正しく言い当てた通りジコチュー判断この上ないもんで、みつを風に考えるならばワタシは今「有給消化期間にもかかわらず、愛社精神により自発的に業務協力をしている。だってお世話になったんだもの」。まあ、そんなこと本当はどっちでもいいだけど、善悪の決着つけたがるのが人間てもんで、だから相田みつを信者が世の中にはこんなにいるんだろう。なんだか相田みつをっていつも高みに立った物言いで偉そうだ。一見どうしようもなく謙虚そうにみえて、その実よく考えるといつも俺の方が物がわかってて我慢してて許してやっている風で、それを自嘲ギャグにでもしてくれるなら笑いもできるが、そこに広がるのは「本当の自分探し」の無限地獄なので、とことん追いつめられて「人間だもの」という極論に落ち着くしかない。つらい。つらすぎる。 でもなぜ今さらのように相田みつお? …いや、みつを、か。ていうか、ややこしいなあ。話が変わるけど、「中島らも」さんの「らも」はいったいなんで「らも」なんですか? という質問が、らもさんの名物コーナーだった朝日新聞の「明るい悩み相談室」にあった。その回答は、大学時代、友達に誘われるときにいつも、「中島らもいかへん?」という具合に、単体ではなく、自分を含む複数形で呼ばれていたので、「中島らも」と名乗ることとした…という話だった。関東の方の言葉はどうだかしらないが、関西のイントネーションでは、この「らも」という複数形の表現は、「ら」にアクセントがある…というか、そういえば、ドラマなどでは「ねえねえ、今日の飲み会、ケンジくんらも行こうよ」なんていう台詞を聞いたことがないので、もしかしたら関西特有の言い回しなんだろうか。ということは、「中島らも」さんは、やっぱり関西でしか生まれなかった存在だと言える。という街に繋がる深みのある話が「相田みつを」にはないし、らもさんの話を書いたとたんに晴れやかな気持ちになって気が付いた、相田みつをを話すときに知らずにどんよりと絡みつくネガティブパワー。ある意味すごい。 翻って、なぜ相田みつをかというと、失業を目の前に自分を見つめ直して相田センセイのお言葉を反芻し反省し…というわけはもちろんなく、トイレに入った時に、「便所の神様」相田みつををふと思い出したからだ。昨日、本棚整理で出てきて読んだ、今はなき『噂の真相』の佐高信の連載コラム「タレント文化人 一刀両断!」(2000年6月号)、その第128回のお題が「相田みつを」だった。その冒頭はこんな調子。 『前郵政大臣の野田聖子、歌人の俵万智、俳優の高橋英樹、佐久間良子、藤田まこと、そして牛尾治朗等の経営者が、みんな、この“便所の神様”の信者になっている。まことにクサイ相田を、こう評したのは小田嶋隆だった。トイレの日めくりカレンダーに相田が使われることが多いからである。 (中略) 「変わる外側に眼を向けているかぎり、本当の安らぎはありません。本当の安らぎを得るためには、眼を自分の外側ではなく、内側に向けることです。そして、自分が自分になることです」 相田は麗々しくこう書いているが、ここで勧められている「自分」とは、「外側」に反応しない自分ということだろう。「内側」にしかない半分人間である。 (後略)』 「まことにクサイ相田」という哀臭だたよう佐高信の物言いと、“便所の神様”という小田嶋隆の秀逸なコピーワークもさることながら、相田の「自分が自分になること」を、相田は「外」ではなくて「内」からするものだと言う論理が、今更ながらにショッキングであった。佐高信はそれを「半分人間」だと指摘するが、ワタシは半分もなにもないと思う。自分が自分であるということは、「自分が、自分ではない人間、ではない」というところからしかわからない。ややこしいけど、つまり「外」も「内」もどちらかがあってはじめて存在するもんだから、常にそれらは表裏一体、同時にしか存在しえない。人間様が思うようにどちらかだけなんて都合のいい選択はできないもんだから、悩み苦しむものなのだ。それにしても「自分が自分になる」っていったいなんなんだ。「本当の安らぎ」って…。悩んでいるときに、こういうとてつもなくハードルが高いことを要求されたら、内にこもるしかなくなる気持ちがわかる。 会社にいけば利己心に凝り固まった偉いさんがいて、その下にはその傘の下で安穏とする偉いさん候補がいて、家に帰れば高校生にもなって進路決めずにクスリをキメたりするバカ息子がいて、残業で帰宅するも冷やご飯にホットな罵詈雑言で、どこかのサイトの掲示板みたいに「あんたの方こそ」「そういうあんたこそ」と、とにかく揚げ足を取ることに命がけな鬼嫁がいて、そんな切ない人生ならば、そう、そしてワタシを含め、大多数が多かれ少なかれこんな状況、つまり自分がこうだったら楽ちんなのにという対極にある状況であろうからして、相田センセの「内重視主義」はその時々は楽かもしれない。クスリでいうとマリファナな相田みつをの言葉は心地よく、ハッピーに響くかもしれない。 そして、こんな風に納得する。 ~引用始め~ 憂いがないのではありません 悲しみがないのでもありません 語らないだけなんです 語れないほど深い憂いだからです 語れないほど重い悲しみだからです 人にいくら説明したって 全くわかってもらえないから 語ることをやめて じっとこらえているんです ~引用終わり~ (同コラム内の、佐高信による相田の『善林句集』の引用より) あ~、ふわふわして幸せだなあ。憂い? ファッツザマター? 煙ぱかぱか。気分ふわふわ。…でも、すぐに切れてきて、バッドトリップしてきたぞ。じっとこらえてたけど、はたして誰かが助けにきてくれるんだろうか。ていうか、一生こらえ続けるの?  そうしてゆみこはもうマリファナみつをでは耐えきれず、アメ村の売人からコーク麻原をゲットし、いつしかヘロインで出家し溺れ気が付けば第7サティアンの風呂に沈められていたのでした。でも、いくら説明したってわかってもらえないんです。だからこらえていたんです。でもどうにも我慢できなくなったんです。そんな弱いのは仕方ありません、人間だもの。むー。 「相田みつを」は、その名に「を」という接続語を持ちながら、その行く先は不明だから仕方なく「内」に向かいUターン。まるでバッドトリップ。名は体を表すというが、ワタシはやっぱり「中島らも」といきたい。でも、そういう人は命が短い。やっぱり、長生きするバカを目指すには相田みつをなんだろうか。

2006年03月26日

ハゲハゲしいおじさんとアホのおっさん

3月19日(日)

今日は一日、頼まれごとによる原稿書き…にもかかわらず、書かなきゃいけない原稿はどうも集中できず、またしてもこのブログに逃げ込んでこっそりお茶をすするのであった。なんていうか、この内田長屋の縁側で、ぬるめのお茶をごくりごくりと飲みながら、誰にともなくこうして独り言をつぶやくのは自分がとても自由な気になれて、あら気が付けばもう夕方前だわ。あーこのままずっと日が暮れなければいいのに…と切ない気持ちになり、そのお茶をすする自分がいる縁側の風景を想像すると、そこがかけがえなく愛おしいものに思える。土曜日の夜の布団の中でいつまでももぞもぞとして、休みの前の日だからずっと夜更かししていたいんだけどもう眠りにおちそうでもったいない…ふわふわしてこの状態は果たして寝ているんだか起きているんだか、あーこういうのが幸せ? …みたいな感じもある。


つまり、こうしていても、この内田長屋の縁側、つまりブログが限られた時間によって成り立った場所であることを自覚しているからなんだろうが、よく考えると、別にそんな限定された状況設定にしなくてもいいじゃん、と我にかえらないでもない。がしかし、おそらくワタシはこうして「何かしなきゃいけないことがあるのにそれから逃げて安穏とする」という状況が何よりも好きで、意図的にその状況を作り出したと予測される。そんな自分がちょっと「ナイスですぅ〜」@村西透でもある。


あ、相田みつをはもしかして、こういうことを言っているんだろうか。それにしては話が簡単すぎてかえってわかりにくい。世の中の簡単なことは、その単純さに比例して説明するのに手間も時間もかかるし、よかれと思ってはいても話というのはすればするほどややこしくなるってもんだ。その逆もしかりなんだけど。でも、なんでも簡単に話ができるのなら戦争なんて起こらないだろうし、簡単な話が好きなコイズミやブッシュやシンタロウがのさばっているからいつまでも簡単なことが解決されずドンパチがある。アベシン、あんたもだよ。…とまた縁側の中心で叫んでいたら日が暮れてきて、カラスが鳴いている(ウチの近所には山があるから、本当にカラスがカーカーと鳴いているのだ)から帰るとしよう。


夜と朝の間が好きだと歌ったのはピーターだけれど、ワタシは昼と夜の間の、この夕方の切ない時間が好きだ。大阪の北新地のそんな時間は、通りに流れるそわそわとした空気が街灯にネオンな灯りをつけて、その灯りこそが化粧よりも女を美しくみせる。灯りの光量じゃなくて空気感がそうさせる。ワタシがもし男だったら、たぶん同伴マニアであったろう。アフターもいいけれど、「同伴」にはそんな丸山圭子の『どうぞこのまま』な、確かであって確かでない時間が流れていて、それがかけがえのなさとなる。ハゲのおっさんは、同伴で、そんなかけがえのない時間を買うのである。と思いたいが、きっと違うだろうなあ。他のもん買いたがってるはずだ。前ブログで書いたハゲハゲしい話を思い出したので、再度貼り付けることにする。

『ハゲハゲしいのは、ダメよ。』
今とりかかっている喫茶特集の、そのまた次の「濃い味」特集に先駆けて、だんじり親分が日記でこんな話http://nagaya.tatsuru.com/kou/index.htmlをかいているので、それにつっこもうかと思い読み返していたが、そのまま、その前の日記「北新地メジャードラフト情報」を読んで、あまりのアホさ加減に、力が抜けた。

うちの編集長は、アホのおっさんか…。

が、しかし、ハゲのおっさん、ではないからちょびっと安心した。

ハゲのおっさんというのは頭髪の量を言っているのではなくて、ココロがハゲハゲしい人を言う。ココロがハゲハゲしいおっさんは、なんていうか、切実だ。女がいる北新地で、女そのものに切実なのだ。いや、ずばり女の体に切実だ。

女の体に切実になっては、実は北新地では遊べない。女と遊ぶ余裕がなくなる。が、なんにも求めてこない人には、新地の女はこれまた興味をいだかない。

北新地でモテるには、女をとりかこむ全てを切望しないといけない。女はそういうのに敏感で、そこらへんが難しいから面白いんだろうけど。ブルーのアイシャドーにも反応しないといけない。ま、病院でそういうのはどうだろうと思うけど。いや、病院ってそういうところなのかもしれない。

そういえば、同年代の3人の友人ドクターは、揃ってアホのおっさん素質に満ち満ちている。つまり、それぞれにちょっとヤバい。

そのうちの一人であるドクター佐藤が、研究発表しているナースの帽子話を読んで、この人も北新地でもてるだろうと確信した。

みんな、ハゲのおっさんにならずに、アホのおっさんになりましょう!
2005年1月28日(金) at 22:45 

マルチのおんな

3月20日(月)

エヴィスの山根さんが脱税で追徴課税を払った…という記事をヤフーニュースで見るそのちょっと前に、六本木ヒルズの事務所で山根さんに会ったという江さんから追徴金のことを聞いていた。だから、ニュース自体に驚きはしなかったんだけれど、山根さん→江さん→アオヤマで耳にするのと、「若者に人気のデニムメーカーが脱税(チャチャンチャーン←疑惑の効果音)」というのとは、随分とその印象が違うもんだということに驚いた。ミーツ編集部の溝さんがミーツの背表紙のエヴィスの広告がどうなるのか心配していたけれど、ワタシにはそれが一瞬何を危惧しての憂いか理解できず、「反社会的と捉えられたら…」という真っ当な意見を耳にして我に返る。


前ブログやここhttp://www.onozomi.com/baka/0312ans_aoyama.htmlでも書いたけれど、ワタシの父は昔パチンコ屋を経営していた。親戚や遠い親戚にも京都や大阪で同じパチンコ屋店主がいて、「大阪のよしひとさん(実名)とこにササツが入ったらしい」とか「姫路の石川さん(仮名)とこがササツ入って、そらもうえげつなかったらしくて、石川さん、頭が切れて(注:脳卒中)倒れた」とかいう、まるで反社会的なトピックスが家族の日常会話に混ざることがあった。


我が家の家計としては残念だが社会的には幸いなことに、父のパチンコ店には「チョーサ」しか入ったことがない。チョーサというのは、おそらく「調査」で、ササツ、つまり査察…て、誰でもわかるか、が入るもっともっと前段階、つまり症状で言うと軽症である。その脱税病でいうと軽症のチョーサが入ったときに、チョーサ担当者に父は言われた。「あんたとこね、こんなに儲かってないわけないでしょ。ちゃんとした経理伝票ださなアカンよ。ほら、どこですか」。ほら、と言われても、儲かってないんだから出しようもなく、逆に税金制度に真っ当な文句をつける父を、チョーサ官はなんだか可哀想にという感じで帰ったそうだ。別にこれはウチの父が脱税をしていなかったとかいう美談ではなく、真っ当なパチンコ屋店主としてそれぐらいはしていただろうし、でも、いくらなんでも「ねえ、お父さん、いくらぐらい脱税してるの」とかなんとかいうことを娘が聞くわけもなく、聞かないし言わないあたりにこそ疑惑というのは満ちるもんだから、脱税してただろうと踏んでいる。だって、真っ当なパチンコ屋なんだから。


なもんで、疑惑に満ちた経済基盤の家計の家庭では、「ササツが入る」というのはお金持ちの証明以外の何者でもなく羨ましく、チョーサ程度の我が家はペーペーのプープーなのだと、と幼心に思ったものである。そんな英才教育的脱税環境のかいもなく、青山3兄弟は揃って、抜く暇もなく給料から天引きされる真っ当な納税者になってしまったのだが、やっぱり血は争えぬもので…という世の習いが、宝くじの当たりくじのように青山3兄弟の誰かに身の上に振りかかることをちょっと期待しているが、そんな気配はいつまでたっても微塵もない。だってたかがチョーサ出身だもん。ササツの家の子とは違うわよね…なんていう発想。育った環境が悪いとは、こういうことなんだろう。


だから政治家の子どもは育った環境にまみれて麻痺して政治家になって、チョーサ政治家ではなくササツ政治家を目指す。政治家に二世が多いのは、正しく育った環境が悪いからである。これはもう、5カ年計画とかそういうのではもう無理なので、20年計画で「政治家を排出した家系は政治家を出すべからず」という法令を作れば、日本は随分とマシな国になるんじゃないだろうか…と、チョーサ家系出身は思うのである。政治家は、たいてい育った環境が悪すぎる。でもってそいつらが、ササツカンのお頭なんだもん。この国自体の育った環境が悪いとしか言いようがないけど、言ったところで国民全員が知っていることで、お国の恥で言えやしない上、親分国はもっと環境が悪い純粋培養で、今のお頭はササツの子はササツだからして、黙って耐えるしかないのであった。


青山シンスケさん、永末さん。ありがとうございます。相変わらずサイン・インができないので、鉄火場からのご挨拶で恐縮です。お二人のブログもいつも楽しみにしております。青シンさんは、もう少し更新してほしいけど。ではまた、ぐびっといきましょうね。

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