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2004年09月 アーカイブ

2004年09月02日

不条理でカフカ的な診療所に診てもらう

前回「人事異動祭り・春の大祭」などと書きましたが
、移転前の旧サイトをご覧になっていない方には何の
ことだか分からないことに気がつきました。ぜひこち
らもご覧くださいhttp://www.geocities.co.jp/Colle
geLife/3949/ 。

また熱が出た。
風邪につきもののくしゃみ・鼻水・鼻づまり・咳・頭
痛などは全くなく、咽喉が腫れて熱だけがポカンと出
る。
暴力的な冷房のおかげで自律神経失調・体温調節機能
破綻・免疫力低下が起こり、身体が「ギブ、ギブ」と
言っているのだろう。
不憫なことである。
出勤したがどうも調子が悪いので、近所の病院を探す

お盆なので開いている病院は限られており、やっとこ
さ某業界組合がやっている診療所を発見。
ふるーいビルのエレベーターで昇っていくと、受付が
あるが人がいない。仕方がないので診察券入れに保険
証を置き、待合室に座ってテレビでオリンピックを眺
めていると、5分ほどして七色の横縞ソックスをはいた
斎藤洋介似の女の人がパタパタとやってきて、私の保
険証を手に取って見つめている。
「あのう、初めてなんですが」
「えっと今日は・・・?」
「診察を受けたいんですけど」
「あのう、うち組合の診療所なんでえ、薬もそんなに
ないしい、難しいのは診られないんですよねえ」
何を言っているのかよく理解できずしばし見つめあう

要するに非組合員の診療受付が出来ないシステムなの
か、それともこの女の人が気分的にイヤで受け付けた
くないのか。
表にはちゃんと病院らしい看板があって、少なくとも
ネットでは組合員以外もOKと書いてあったし、待合
室に他のおじさんが二人座っているところを見ると、
病院であることに間違いはないらしい。
あるいは待合室のおじさんは何かのフェイントか。
「いやそんなに難しい病気ではないと思うんですが」
「ふああい、座ってお待ちくだはあい」
どっかから空気が漏れている。
元気なときならこういう珍しい人は大変面白く観察さ
せていただくのであるが、何しろ具合が悪いので「診
るのか診ないのかはっきりしろンなろ」と脳に青スジ
が出る。
変にしらっちゃけた待合室に黙って座っていると、体
操競技の鉄棒で選手が落下するのを見て七色ソックス
の女が「ひゃあ」と大声をあげた。私と二人のおじさ
んが驚いて顔を上げた。やはりどこか変である。
意外とすぐに名前が呼ばれた。二人のおじさんは黙っ
てオリンピックを見ている。彼らは何を待っているの
か。
診察室に入って症状を話すとトントンと話が運んで快
適である。なんだまともじゃん。
処方箋を書き終わると先生は保険証に書かれた勤務先
を見て
「あなたんとこはアレ?この辺のビルに入ってるの、
事務所は」
「いやあの、三宅坂劇場なんです」
「へえ、歌舞伎とか三味線とかやってるとこでしょ」
「そうです」
「いいよねぇ、三味線は。日本の昔のものってのは心
がなごむよねぇ。うちにもいたよぉ、仕事やめて三味
線弾きになっちゃったのが。前勤めてた人でねえ、こ
んな仕事より三味線弾きがいいっつって。ははは」
「そーすか」
「いいよねぇ、私もそういう文化的なるものには興味
があるんだけどねぇ。アンドー広重の浮世絵なんかい
いよねぇ。江戸時代の生活の様子がよく分かるよねぇ
。三味線なんかもこう何ていうの、現代とは時間のス
ピード感覚が全然違うからねぇ。のんびりしていいよ
ねぇ。やっぱりあれ?あなたも歌舞伎とかそういうの
が好きなの」
「はあ」
「いいよねぇ。こないだバリに行ってきたの。バリ島
。あの辺はほら、日本の百年前とか二百年前とかの暮
らしでしょう?面白いよねぇ。私もそういう文化的な
るものには興味があるんだけどねぇ。バリ、行ったこ
とある?」
イッセー尾形ひとり芝居のキャラである。飛んで火に
入る患者の私を目の前に、爽やかな浮世床風世間話の
波状攻撃。
長いよーだるいよー帰りたいよーせんせー。
最後は振り切るようにして背中を向けて帰ってきまし
た。
そうだよね。このものすごく妙な雰囲気の中で医者だ
け普通ってことはないよね。しくしく。
なんか久々にこういう内田百間的というかカフカ的と
いうか奇妙な世界の空気を吸ってしまいました。たま
ーにあるんですよね、こういうなんともいえずミョー
な磁場をもったエアポケットみたいなお店とかが。
こっちの世界に帰ってこられてよかったわ。

2004年09月07日

会議の最中にバカと叫…びたい

家人が「セカチューが人気」というので「部屋を明る
くして見ないと失神するよ」と言ったのだが違ってい
た。
ひとくくりにしてよいものかどうか分からぬが、私に
は『冷静と情熱のあいだ』だの『セカチュー』だのと
いう「甘く切なく〈ハンパに〉現実離れしたラブスト
ーリー」を受け止める引き出しがない。
なのでそれらがパカパカ売れているのを見ると「え、
みんなそんなんでええの?」と???な気持ちになる

なんでしょう、通販の番組でアイデア掃除機とかトン
チ野菜切り器とか見ているときの気持ちに似ているで
しょうか。
「こういうの『きゃー便利』とかいって買う人がいる
んだろうな。実はすごいかさばったり使い勝手が悪か
ったりしてすぐ飽きるんだよな。なんで買うかね」み
たいな。
でも現にさかんな商いが行われているところを見ると
、世間にはこのテの商品に大量の需要と供給とが存在
しているわけだ。
すごいなあ。ぼくもなんかでがばーっとひと儲けでき
ないかなあ。うそうそ。
そういえば『イラクの中心で、バカとさけぶ』という
本があって、読んではいないがその書名がものすごく
気に入っていた。
やさぐれたおちょくり加減がツボにはまったのである
が、よく考えてみるとこれは大変含蓄の深いタイトル
である。
イラクの中心でバカとさけんでいる光景を想像してみ
てください。殺伐としてホコリっぽい(たぶん)ナジ
ャフの道路の真ん中で「バカー!」と声を限りに叫ぶ
男。
この男の半径20km以内には何十という兵士と民間人の
死体が転がっていて(知らないけど)、はるーか遠く
にはブッシュや国連やなんやかんやがゴジャゴジャと
蠢いている。
この男のノドからあふれ出る絶望に満ちた「バカー!
」は、現実に対しては全く無力であるが、「そうだよ
な、もうそれしかないよな!」と両手を挙げての共感
を捧げられるような気がして、ちょっとかっこいいと
思うのである。
バカが繰り広げられている場の中心にいながらにして
バカとさけぶのは難しいし、たいていの場合その声は
無力である。
しかしバカの渦中でバカ!と叫んで状況を的確に批判
する、その心意気には憧れを抱いてしまうのである。
組織の犬・サラリーマンにはしばしばナジャフ的状況
が出来する。
いくら不毛な会議やプロジェクトでも、いったん始ま
ってしまったら「こんなバカなことやめましょうよ」
と言うのは至難である。
うなだれて時の過ぎ行くのをひたすら待つか、巧妙な
合いの手によって少しでも早くコトが終わるように画
策するのが精一杯。
そこでは「いかに合理的に問題を収拾するか」ではな
く「いかにみんなで同じ空気を共有したか」が重要な
のである。
そうやって同じ空気を吸いあう(「吸いあう」ってイ
ヤ〜)ことに恍惚となっておられる方も多々お見受け
するが(というか大抵の会社組織はそれでもっている
のではないか)、おかげで「ベターな結論」は果てし
なく遠く手の届かぬところへ去り行くのである。ああ

「え、会議でそのぐらいのことは平気で言ってるよ」
という方は大変に幸せ者です。
世の中には超ナジャフ級の大バカ会議や大バカプロジ
ェクトが存在するんですってば。しくしく。

小学生の時にプロ野球、中学生の時にプロレスを熱心
に観て以来、スポーツ観戦にはあまり興味がなかった
のだが、このたびのオリンピックはなかなかおもしろ
かった。食べ物といっしょで、おっさんになって嗜好
が変わったのであろう。
ちなみにおっさんになっておいしいと感じるようにな
ったものは鮎と蕗と茗荷である。
特に柔道と体操をよく観た。
柔道の試合をしげしげと観るのは初めてだが、体のバ
ランスがほんのわずかに崩れる刹那、およそ倒れそう
にないゴツい体がくるりんとひっくり返る。その「間
」が大変気持ちよい。
「ン」とイキを詰めて「ハ」とリリースする間合いが
舞踊の「間」みたいである。
そういえば相撲も私が小さい頃(昭和五十年代)には
技がいかにも「技」という感じで、取り組み一番のテ
ンポが子供の感覚にも快かったような気がする。今の
はなんだか格闘技格闘技していてつまらない。
今までは正直「気持ち悪い」と思っていた体操を観て
「きれいだな」と思ったのも今度が初めてである。「
高い」とか「速い」とか「まっすぐでブレない」とか
の「みどころ」がなんとなく分かってきたようである

かつて森末慎二が10点満点を出した時の鉄棒の演技
を現在の基準で採点すると、8.1とか8.2とか箸
にも棒にもかからない点数だそうである。
確かに当時の映像を見ると、特に着地などがもんのす
ごく原始的に映る。
体操がパソコンのスペックなみのものすごいスピード
で進化している業界だというのも新鮮な驚きだった。
それがなんてったって生身の体だからすごいやね。
でもシンクロナイズド・スイミングの魅力はいまだに
よく分からない。いつか急にたまらなくスキスキにな
ったりするのだろうか。

2004年09月13日

刺身は駄目って嫌だよ 徹底してって それはちょっと


茗荷を食べるたびについ

富貴というも草の名 冥加というも草の名

と口に出してしまう。地歌『菜蕗(ふき)』の歌い出
し。
よく知らない頃は地歌→女の情念→陰々滅々うっとう
しい、と思っていたのだが、実は地歌の歌詞には洒落
た文句が多い。
品格と俗っぽさが程よいバランスで共存していて、日
本語の音(おん)がとっても練れている。歌うための
テキストだから当然だ。
でも『声に出して読みたいなんちゃら』からは地歌の
みならず謡曲・浄瑠璃・長唄といった歌謡関係がごっ
そり抜け落ちている。なにか意図があるのか。あるい
は近代的教養は釈迦掌上の猿のごとしか。

茗荷という字は草かんむりに名を荷うと書きますな。
昔お釈迦様のお弟子で槃特(はんどく)さん、このお
方は生来愚かにつき自分の名を覚えることができぬ。
そこで大きな板切れに自分の名を書いて、これを背負
うてお歩きになった。
ご修行の甲斐あって遂には立派なご出家となられたが
、このお方のお墓の周りに自然と草が生えだした。
この草の名を茗荷という。
そこで草かんむりに名を荷うと書いて「めうが」と読
む。
またこの茗荷を食べると物忘れをするとも言いますな

上方落語「八五郎坊主」。
私も子供の頃「茗荷を食べ過ぎると頭が悪くなる」と
言われてビビったものだが、こういう伝承は関西文化
圏だけだろうか。

以上、茗荷を食べるたびに繰り言して家人に嫌がられ
る「茗荷こぼれ話」でした。

小沢健二を聴くと、主に大学時代の、あまり思い出し
たくないような甘しょっぱい感じ(具体的な個々の事
件というよりはそういう感じ)が呼び起こされて、尾
てい骨がウヒャウヒャこそばい。
私はオザケンと大学で同級生であった。専攻は違うが

レポートか何かを提出に来たらしい姿を遠くから一度
だけ目撃したことがある。
同世代の集まる場で「実はオザケンと同級生」と言う
と場が盛り上がったものだ。
少なくとも「舛添要一の授業に出たことがある」と言
うよりも盛り上がった。
ただそれだけのことだ。
私は武豊と同い年である。
年収に天文学的な差があろうが、妻が佐野量子でなか
ろうが、年齢だけは同じである。
それがどうしたというのだ。
と訳の分からぬ思念が涌き出づるぐらい、どうも体調
がいまいちである。まあライフスタイルを考えれば当
然の報いである。
心がけてちょいと運動をすればたちどころによくなる
と思うのであるが、あいにく私は運動が嫌いである。
できるだけ楽して楽になりたい。
そこで生まれて初めて鍼灸院に行ってみた。
鍼は初めてなので「今日はまあこんな治療をしますよ
というのをお見せするぐらいにしましょう」とのこと

まずあちこち触ってどんな状態か探っていただく。
チョイと押してもらうとビリビリビリときて、恥ずか
しい声が出そうになるぐらいイタ気持ちよい。
うーむ、いくら力と心を込めて按摩してもらってもツ
ボを知らぬ素人ではこうはいくまい。
首・肩・腰に十二三本ハリを打った後で、わしわしと
マッサージをしてもらって終了。
「どうですか?」と言われて起き上がると、体が軽く
なったのはまあ分かるとして、景色がぽかんとはっき
り見えるようになったのにびっくり。凝りがほぐれる
と視神経がリフレッシュするのであろうか。
お茶をいただきながらお見立てを伺う。
呼吸器が弱いタチなので、肩がすぼまって前傾姿勢に
なりがちです。胸を開くような姿勢を心がけて、肩が
すぼまってきたら疲れてるんだなあと思って仕事をセ
ーブしてください。
背中をお風呂でよくあっためるように。
胃腸には自信があると思いますが(その通りです)、
呼吸器への影響が大きいのでくれぐれも消化器は冷や
さないように。
特にお刺身を我慢すること。
「時々生魚をものすごーく食べたくなる時があると思
いますが、そういう時こそ体が弱っているので我慢し
てください」
ショーック。実は前夜、生魚をものすごーく食べたく
なり、残業帰りに回るお寿司を詰め込んだばかりなの
であった。
「そうするともしかして生ビールとかも」
「キンキンのをゴクゴク一気飲み、みたいなのは最悪
ですね。お酒なら日本酒をお勧めします」
そうですか。刺身でキンキンでゴクゴクがだめなんで
すね。
とほほほほほほ。
マスター。BGMは「夏をあきらめて」をお願い。

2004年09月18日

アート・マネジメントを斬りまくる

ところでなぜ私がイタリアに一年間いたかというと、
海外研修を命じられたからである。
「命じられた」というのは書類上のことで、「行きた
いでーす」と手を挙げたら「ほな行ってきなはれ」と
お許しくだされたのである。
某官庁が行っているその派遣研修プログラムは色々な
部門に分かれているのだが、私が派遣されたのは「ア
ート・マネージメント」部門であった。
アート・マネージメント。
アーツ・マネージメントとかアーツ・アドミニストレ
ーションとか似たような言い方があって、芸術経営学
とか芸術運営論とか色々に訳される。面倒なのでエイ
ッとひとからげにして「アーマネ」と呼ぶとしよう。
断片的に聞きかじった知識を継ぎ合わせるに、
(1)美術館・博物館・劇場など芸術に関わる施設や芸術
関連の事業を切り盛りするための実践的技術(資金集
め、企画制作、展示公開、宣伝販売、組織管理など)
(2)文化行政における施策(政策法令、助成金、公立施
設運営など)
(3)芸術と社会・政治・経済との一般的関係
などについて論じる知的活動(学問と呼ぶには微妙な
抵抗を感じるので)の一分野。なのではないかと思う
。大はずれだったらごめんなさい。
ひと口に芸術と申しても例えば美術と演劇とではてん
で事情が違うだろうけれども、こと舞台芸術に関する
限り、日本でアーマネの看板のもとに語られている言
説を、私はあまり信用していない。
別にアーマネというジャンルに対して否定的なのでは
なくて、日本でアーマネの看板のもとに語られている
言説に対して「それってどうよ?」なのである。
なにかというと現場現場と振り回すのは嫌いであるが
、こと当件に関しては現場の実態と乖離した言説が多
すぎる。
「そんなふうに動いてる劇場なんか日本にねーよ」と
いうことなのである。

そもそもアーマネが世人の口の端にのぼるようになっ
たきっかけは、バブル経済の崩壊であった。
バブル華やかなりし頃、懐に余裕のできた全国各地の
自治体は、文化会館・ナントカホールのたぐいをきそ
って建設した。
実はその正体は、政治家と行政と土建屋さんの方便と
(『文化事業』っていうとかっこいいもんね)お金儲
けの種に過ぎず、建てた後にどう使うかなどほとんど
誰も考えたことがなかったし考える必要もなかった。
建ちさえすりゃーよかったのである。
しかし景気はどんどん悪くなるし、大きな建物は維持
費ばっかりかかって放置しておくと大変に目障り耳障
りである。
自分たちでは無理なので、至急に施設の使い道を考え
てくれる誰かを調達しなくてはならぬ。
そこでこのアーマネ。
これをしっかり勉強して、立派なプロデューサーやキ
ュレーターになって、どうか立派な施設を切り盛りし
てくれたまい。
「道路作ってみたらちっとも車が走ってくんないんだ
けど」「いいじゃん別に、業者は儲かったんだから」
「でも時節柄いろいろうるさいしさあ。なんかもっと
もらしい言い訳考えてくれる人いないかね?」「じゃ
誰か担当者つけておっつけちゃえよ」「つけちゃえつ
けちゃえ」てなもんである。
日本におけるアーマネの流行にはこういう大きな背景
があった。
出発点において微妙なヒズミが生じているのである。

日本のアーマネは現場における事実の集積から生まれ
てきたものではないので、「欧米の事例および理論」
と「日本の書類」が二大支柱になっている。
欧米の事例や理論は非常に興味深いし「うらやましい
限りっす」というケースも多いのであるが、所詮はよ
そんちの話である。
歴史的経緯を無視して日本にあてはめてみてもあんま
り意味がないし、明治時代じゃあるまいしそのまんま
マネしようったって無理な話である。
また論述の根拠として官公庁のリリースした文章や統
計資料がよく使われるのであるが、論者の皆様はそれ
らにいかほどのリアリティを感じておられるのであろ
うか。
それらが大変意図的・人為的な操作によって生産され
るテキストであることを承知の上で、ニヤリと笑って
「こんなこと言うてまっせ」と指差してみせるのなら
面白いが、そういうのでもなく「ほらここにこう書い
てあるでしょ、だからね」という引用が多い。結果、
現状追認型のぬるーい論旨が出来上がり、下手をすれ
ば我知らず行政の提灯持ちをしちゃってる場合だって
ある(わざとやってるのならそれはそれでよいのだが
)。
書類と現実の間には、深くて暗い川がある。
ぶっちゃけた話、「よくこんなの見つけてきたね」と
いう毒にも薬にもならないひっそりとした公的作文や
、現実には一体どこに霧散しているのやらとんと分か
らない年度予算内訳などをネタに熱く語っていただい
ても、それはおならのようなものである。
まだしもおならは畑の風上ですれば肥料になるかもし
れぬ。
「欧米の事例および理論」も「日本の書類」も、今の
日本で出来しているナマの現実をひっとらえてふんじ
ばるには無力なのである。
アーマネ業界はどうもその、限界を意識することから
生まれる哀しみや恥じらいというものをお持ちでない
ように思われるのである。
それでもこれを武器に何か言う、という尻腰がないよ
うにお見受けするのである。
しかも「アーマネを学んで立派なプロデューサーにな
ろう」というような趣旨の宣伝文句が横行しているこ
とに私は懸念をおぼえる。
現行のアーマネを学んで曲がりなりにも使えるプロデ
ューサーが出来上がるとは到底思えない。
だってですよ。
アーマネ・コースで優秀な成績をおさめた人が晴れて
なんちゃら文化会館の専門的職員となったところで、
希望に燃える彼・彼女が目にするであろうものは何で
あろうか。
アクセス、客席数、舞台設計、照明、音響。クラシッ
クコンサートをするにも歌舞伎をするにもどうにも中
途半端な空間。
緊縮財政を理由に年々ごっそり削減される予算。
穏やかな余生を送ることに命を賭けている館長。
「だいたい人間が生きていくのにゲージツなんか必要
かえ?必要な訳ねーよな」と思っているが口には出さ
ない部長。
「三年経ったら異動だから仕事するだけ損だもんね」
と思っているが口には出さない課長。
「どーせ分かりゃーしねーんだからよー」とウンコの
ような公演企画を法外な値段で売りつけにくる「売り
屋」たち。
「コムズカしいのじゃなくてさあ、もっとこう愉快な
のやってよーう」という地域住民の皆様。
彼・彼女はアーマネを武器にこの逆境を乗り越えるこ
とができるでしょうか。
ブー。無理です。
こういう場所で「でも劇場運営とか文化振興というの
はあ」とか言っても、それは四十七士討ち入り真っ最
中の吉良邸の庭で「内匠頭を殺したのは吉良さんじゃ
なくて幕府なんですう」と説いて回るようなものであ
る。なんだこの喩えは。

劇場におけるプロデューサーの最大の仕事は「人間の
交通整理」である。
才能のあるアーチストに、出来るだけ快適な環境で仕
事をしてもらう。
見かけだおしの人に騙されないように修行しておく。
どこにどんな面白い人がいるか常にアンテナを張って
おく。
色んな人にうまいこと言ってお金を出してもらう。
あんまり無理を言ってもダメなので、値踏みをして出
せそうな金額を出してもらう。
宣伝の人、営業の人、経理の人、総務の人、舞台監督
さん、美術さん、照明さん、音響さん、大道具さん、
小道具さん、衣裳さん、ロビーのおねいさん、楽屋の
おじさん、駐車場のおじさん。
色んな人にうまいこと言ってみんなに気持ちよく仕事
をしてもらう。
どんな奇矯な人とでもそこそこ無難にやっていけるよ
うに修行しておく。
これらが果たして論や学によって解決できることであ
ろうか。
「理」は大変有効な武器であるが、ただし現場におけ
る「理」というものは、あくまで自分の言い分を通す
ための武器である。
人を見て法を説け。嘘も方便。君子豹変す。
目の前の相手を説得して言い分を通したりお金をもら
ったりするためなら、自分で「こりゃマユツバだよな
」とか「かなり下品?」と思うような主張でも、時に
は敢然として行わなくてはならない。それは「理」で
はなくて現実をグッ、グッと前進させるための「術」
である。
どちらが偉いという問題ではなくて、本気でプロデュ
ーサーを作るのなら、そういう「大人って汚いわ」的
世界にも言及しないとまずいのではないかと申し上げ
ているのである。
しかるに片目をつむって「理」の効用を謳い、しかも
その「理」がおなら以下であるとすると、これはまず
いのではないかと思うのである。
いかに「理」が達者でも、一歩劇場や美術館に入れば
誰からも信用されない。
そういう人はたくさんいて、大学の教壇で「現場の論
理」を説いていたり、官庁の委員会をかけもちしてい
るのを自慢にしていたりする。
こういうのはアーマネ流行のとんだ弊害である。

少なくとも今のアーマネは、なにかというと「90年代
のイギリスでは…」とか「今年度の文化庁の予算は…
」とか「地域社会との連携が・・・」とか言い出す、こま
っちゃくれた、使えない評論家を生産する可能性の方
が高い。
などと言うとマッチョな叩き上げ現場原理主義者みた
いであるが、「饅頭のうまさを語るのに饅頭屋になる
必要はない」(@渡辺保)は私の大好きな言葉である

そういうことではなくて「饅頭語るんなら食ってから
にしてよ」ということである。
どうも包み紙を饅頭だと心得てバリバリ召し上がって
おられるような気がしてならないのである。
以上大変抽象的で曖昧な申し様であるが、うんうんと
頷いてくださる同業の方はすごく多いであろうと勝手
に確信しておりますのよ。私。

2004年09月22日

ゆるいおねいさまに喝

イタリア語に simpatico という形容詞がある。
辞書では「感じが良い、好感がもてる」などの訳が付いているが、特にイタリア人男性が女性をさして「simpatica」というときには、「やれそうかどうか」がものすごく重要な前提になっている。
いくら感じのいい人で好感をもっていても、一夜をともにできる可能性が全くない女性のことを simpatica とは言わない。
そういう言葉だそうである。
イタリアで妙齢の日本人女性と喋っていたらそういう話になった。
「『彼女はいるけど、それはそれとして一回お願い』とか平気で言うわけですよ」
「げ。どうするんですかそういうとき。『いいわよ、もしあなたが×××××だったらね。ほほほほお生憎さま』みたいな小粋なジョークで身をかわすんですか」
「とにかく『タイプじゃないからその気はない』って直球ど真ん中で断り続けるんですね。相手が飽きるまで。色々口で言い合っても負けますから」
うっかり相手との会話に乗ってしまうと、一夜限りのお付き合いが人生においていかに素晴らしいことか、そしていかに自分があなたを喜ばせることができるかをコンコンと説いてやめないのだそうである。
しかしほんとにイヤだと分かると深追いはしない。
それはそうなので、見込みの薄い所でねばっているより他をあたった方が早いのである。
こういう行動様式は大学教授クラスのインテリにもしばしば見られ、変に気を遣って曖昧な態度をとったばっかりに、いらぬ悶着を起こしてしまう外国人女子留学生も多いそうである。
「女とみれば見境なく口説く」というイタリア人伝説は捏造かと思っていたが、やはり正しいのかもしれない。

フィレンツェのレプブリカ広場のカフェで、イタリア在住12年目の甘木さん(♂)が「日本人観光客の女性の体はいやらしい。なんだか『やれそう』と思わせるオーラを発している」という。
それは甘木さんの個人的妄想なのでは、と言いかけたが、共鳴できるところがないでもない。
紙袋をぶらさげてズルズル歩いているおねいさんたちの身体には、動物的な緊張感というものがまるでないのである(おにいさんたちも同様であるが、概ねおねいさんたちよりは緊張度が高いように見受けられる)。
甘木さんはその辺のところを「やれそう」というおげれつな言葉で表現したのであろう。そうに違いない。
床下の仁木弾正じゃあるまいし、なにも殺気を撒き散らしつつ歩く必要はない。
しかしお茶の間ではないのだから、往来を歩くには体に最低限の緊張感をまとうのが生き物の必然というものであろう。
そういう意味ではパリを歩いている人たちにはほとんどスキがない。
イタリア人の緊張感はフランス人に比べるとぐっと落ちるが、それでも「自分の周りぐらいちゃんと見てるわよ、きっ」というムードは醸し出している。
だから歩いていていきなり危害を加えられても最悪の事態は回避できるような構えをとっている。
あれ。またウチダセンセイとおんなじことを書いているな。
彼らは、他人をてんから信用していない。
無条件に信用しているのはせいぜい家族だけである。
その分、特にイタリア人の場合、家族への信頼と愛情が深い。
それ以外の他人に対しては、信用度ゼロの状態から「さあ、これからどうやって信頼関係を構築していきましょうか?」という、まさに「ゼロからの出発」が関係の基本にある。
いっぽう町行くおねいさんの体がユルユルなのは、他人をてんから安全無害だと無意識下に信用しているからである。
常に緊張を強いられる社会よりはそういう人々に満ちた社会の方が好もしいのであるが、もはやそうも言っていられない。
「日本の治安が悪くなったと思う人が86.6%!」などという!付きの報道も、ケッ何をいまさら、という感じがしませんか。
ちなみにアメリカ人団体観光客もなんだかユルい感じである。
この場合の原因は「他人への信用」というよりは「根拠のない自信」であろう。
ところで主にヨーロッパ人がやる、あの左右の頬をチュッチュと合わせる「子犬のご挨拶」みたいなキス、あれは勘弁してもらえないだろうか。
夕方顔に脂が浮いている際などは、誠に申し訳なく恥ずかしい気持ちで実になんとも居たたまれないし、さなくとも距離の計測を誤って微妙な間隔を開けたまま無駄な数秒が過ぎてしまったり、うっかり相手の体のあらぬ箇所を触ってしまったり、辛い思い出が多い。
EUの方で撤廃していただけないかしら。

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2004年09月29日

消えゆく身体操法

10月公演の稽古始まる。

私が今までやっていた小規模公演と違って、処理すべき情報がケタ違いに多い。耳から煙がモクモクと出る。
とりあえず人の顔と名前を覚えるのに専心することにするが、30台中盤を迎えてその手の能力が激しく低下しているのが明らかになり、ますます悄然とする。

しかし最近の役者さんや邦楽家さんの名前はなんというか、淡白でモダンで時に難読だなあ(さすがに実例は出せません)。力士の四股名もそうですけど。
いっそ思い切って古めかしい名前の方が、押しも強いし覚えてもらいやすいのではあるまいか。
芝居も相撲も江戸時代のを拾ってくるだけで結構な命名候補リストが出来そうなものだが、誰かが使ったお古の名前はイヤなのかしら。こういうのは苔のついたお古の方が値打ちがあると思いますけどね。

黙阿弥の「蔦紅葉宇都谷峠」を観た。
按摩の文弥(勘九郎)が重兵衛(三津五郎)の肩を揉むところで、そのひらひらした手つきの鮮やかさに客席から思わず笑いが起こる。
「髪結新三」の、新三が忠七の髪を撫で付ける場面と同じ笑い。
それが近世後期の按摩や髪結の手つきをどの程度忠実に伝えているのかは誰にも分からぬが、少なくともその面影をしのばせる動きというものは、唯一歌舞伎の舞台上でしか見られない。
「近世後期の按摩や髪結の手つきが分かったからといってそれがなにか?」と言われると困るが、私にはこういうのがすごく面白い。
役者の個々の身体が何世代にもまたがるビデオとなって、江戸時代の人の動きを記録・再生し続けているわけである(コピーを重ねるほどノイズが入るのはビデオと同じ)。
昔の人がどんな動きをしていたかというのは、文字資料や図像資料をいくら吟味してもよく分からない。
西洋近代の軍隊式体操を通過したわれわれの身体からは、想像もつかないようなキテレツな動きをしていたかもしれない。
様式化されたフェイクとはいえ、そういう昔の人の動き方をナマである程度垣間見ることができるので、歌舞伎は楽しい。

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