« アート・マネジメントを斬りまくる | メイン | 消えゆく身体操法 »

ゆるいおねいさまに喝

イタリア語に simpatico という形容詞がある。
辞書では「感じが良い、好感がもてる」などの訳が付いているが、特にイタリア人男性が女性をさして「simpatica」というときには、「やれそうかどうか」がものすごく重要な前提になっている。
いくら感じのいい人で好感をもっていても、一夜をともにできる可能性が全くない女性のことを simpatica とは言わない。
そういう言葉だそうである。
イタリアで妙齢の日本人女性と喋っていたらそういう話になった。
「『彼女はいるけど、それはそれとして一回お願い』とか平気で言うわけですよ」
「げ。どうするんですかそういうとき。『いいわよ、もしあなたが×××××だったらね。ほほほほお生憎さま』みたいな小粋なジョークで身をかわすんですか」
「とにかく『タイプじゃないからその気はない』って直球ど真ん中で断り続けるんですね。相手が飽きるまで。色々口で言い合っても負けますから」
うっかり相手との会話に乗ってしまうと、一夜限りのお付き合いが人生においていかに素晴らしいことか、そしていかに自分があなたを喜ばせることができるかをコンコンと説いてやめないのだそうである。
しかしほんとにイヤだと分かると深追いはしない。
それはそうなので、見込みの薄い所でねばっているより他をあたった方が早いのである。
こういう行動様式は大学教授クラスのインテリにもしばしば見られ、変に気を遣って曖昧な態度をとったばっかりに、いらぬ悶着を起こしてしまう外国人女子留学生も多いそうである。
「女とみれば見境なく口説く」というイタリア人伝説は捏造かと思っていたが、やはり正しいのかもしれない。

フィレンツェのレプブリカ広場のカフェで、イタリア在住12年目の甘木さん(♂)が「日本人観光客の女性の体はいやらしい。なんだか『やれそう』と思わせるオーラを発している」という。
それは甘木さんの個人的妄想なのでは、と言いかけたが、共鳴できるところがないでもない。
紙袋をぶらさげてズルズル歩いているおねいさんたちの身体には、動物的な緊張感というものがまるでないのである(おにいさんたちも同様であるが、概ねおねいさんたちよりは緊張度が高いように見受けられる)。
甘木さんはその辺のところを「やれそう」というおげれつな言葉で表現したのであろう。そうに違いない。
床下の仁木弾正じゃあるまいし、なにも殺気を撒き散らしつつ歩く必要はない。
しかしお茶の間ではないのだから、往来を歩くには体に最低限の緊張感をまとうのが生き物の必然というものであろう。
そういう意味ではパリを歩いている人たちにはほとんどスキがない。
イタリア人の緊張感はフランス人に比べるとぐっと落ちるが、それでも「自分の周りぐらいちゃんと見てるわよ、きっ」というムードは醸し出している。
だから歩いていていきなり危害を加えられても最悪の事態は回避できるような構えをとっている。
あれ。またウチダセンセイとおんなじことを書いているな。
彼らは、他人をてんから信用していない。
無条件に信用しているのはせいぜい家族だけである。
その分、特にイタリア人の場合、家族への信頼と愛情が深い。
それ以外の他人に対しては、信用度ゼロの状態から「さあ、これからどうやって信頼関係を構築していきましょうか?」という、まさに「ゼロからの出発」が関係の基本にある。
いっぽう町行くおねいさんの体がユルユルなのは、他人をてんから安全無害だと無意識下に信用しているからである。
常に緊張を強いられる社会よりはそういう人々に満ちた社会の方が好もしいのであるが、もはやそうも言っていられない。
「日本の治安が悪くなったと思う人が86.6%!」などという!付きの報道も、ケッ何をいまさら、という感じがしませんか。
ちなみにアメリカ人団体観光客もなんだかユルい感じである。
この場合の原因は「他人への信用」というよりは「根拠のない自信」であろう。
ところで主にヨーロッパ人がやる、あの左右の頬をチュッチュと合わせる「子犬のご挨拶」みたいなキス、あれは勘弁してもらえないだろうか。
夕方顔に脂が浮いている際などは、誠に申し訳なく恥ずかしい気持ちで実になんとも居たたまれないし、さなくとも距離の計測を誤って微妙な間隔を開けたまま無駄な数秒が過ぎてしまったり、うっかり相手の体のあらぬ箇所を触ってしまったり、辛い思い出が多い。
EUの方で撤廃していただけないかしら。

うちだ:そうなんですよ。あのちゅっちゅは勘弁して欲しいです。
フランスの女の子って、海岸だとみんなノーブラじゃないですか。
そのノーブラのばばばーんというコダマスイカみたいなのが、わしわしと裸の胸に押しつけられてちゅっちゅっということになると、内田としては「どういう顔をして良いのかわからん!」のです。
「でへへ」とうれしがるのも恥ずかしいし、「きっ」と無表情を通すのもバカみたいだし。
とにかく日本人相手にあれだけは止めて頂きたい。

About

2004年09月22日 16:14に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「アート・マネジメントを斬りまくる」です。

次の投稿は「消えゆく身体操法」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35