10月公演の稽古始まる。
私が今までやっていた小規模公演と違って、処理すべき情報がケタ違いに多い。耳から煙がモクモクと出る。
とりあえず人の顔と名前を覚えるのに専心することにするが、30台中盤を迎えてその手の能力が激しく低下しているのが明らかになり、ますます悄然とする。
しかし最近の役者さんや邦楽家さんの名前はなんというか、淡白でモダンで時に難読だなあ(さすがに実例は出せません)。力士の四股名もそうですけど。
いっそ思い切って古めかしい名前の方が、押しも強いし覚えてもらいやすいのではあるまいか。
芝居も相撲も江戸時代のを拾ってくるだけで結構な命名候補リストが出来そうなものだが、誰かが使ったお古の名前はイヤなのかしら。こういうのは苔のついたお古の方が値打ちがあると思いますけどね。
黙阿弥の「蔦紅葉宇都谷峠」を観た。
按摩の文弥(勘九郎)が重兵衛(三津五郎)の肩を揉むところで、そのひらひらした手つきの鮮やかさに客席から思わず笑いが起こる。
「髪結新三」の、新三が忠七の髪を撫で付ける場面と同じ笑い。
それが近世後期の按摩や髪結の手つきをどの程度忠実に伝えているのかは誰にも分からぬが、少なくともその面影をしのばせる動きというものは、唯一歌舞伎の舞台上でしか見られない。
「近世後期の按摩や髪結の手つきが分かったからといってそれがなにか?」と言われると困るが、私にはこういうのがすごく面白い。
役者の個々の身体が何世代にもまたがるビデオとなって、江戸時代の人の動きを記録・再生し続けているわけである(コピーを重ねるほどノイズが入るのはビデオと同じ)。
昔の人がどんな動きをしていたかというのは、文字資料や図像資料をいくら吟味してもよく分からない。
西洋近代の軍隊式体操を通過したわれわれの身体からは、想像もつかないようなキテレツな動きをしていたかもしれない。
様式化されたフェイクとはいえ、そういう昔の人の動き方をナマである程度垣間見ることができるので、歌舞伎は楽しい。