地下鉄の駅から地上に出ると金木犀の香りがする。
金木犀のオレンジ色の香りはある日突然町じゅうにたちこめて、一週間かそこらでふっつりと消えてしまう。
息をすると否応なく飛び込んでくるぶん、桜より自己主張が強いともいえるが、その香りはあくまで清々しい。
子供の頃住んだ家には金木犀が植わっていて、毎年「涼しくなったな」と思うとある朝突然窓から匂ってきた。
なんだか嬉しいと同時に、大嫌いな冬が近付いているのに気がついてハッと緊張した。
台北の食材屋さんでは、干した金木犀の花(つまりほとんど『粉』なわけですが)を大瓶で売っていたので大喜びでお土産にした。
烏龍茶に入れると生花と変わらない甘い香りがたちのぼり、茉莉花茶よりも濃厚な極上のフレーバーティとなる。
関係ないが「シクラメンのかほり」は、古典的仮名遣いとしては「シクラメンのかをり」が正しいらしい。
ひさびさに百間先生の「残月」を読む。
読めば読むほど、地歌「残月」が見事に響いている。
地歌「残月」は名曲中の名曲といわれるが、そもそもは夭折した女弟子の追悼供養のために作られた曲である。
野口雨情の「しゃぼん玉」同様、事情を知って曲を聴くとひとしお身にしみる。
磯辺の松に葉隠れて、沖の方へと入る月の、
光や夢の世を早う、覚めて真如の明らけき、
月の都に住むやらん。
今は伝てだに朧夜の、月日ばかりは廻り来て。
文字で読むと甘味が強いようだが、声がフシに乗って歌になると、「逆さまごと」の切なさ、此岸にとり残された年長者のやるせなさがヒタヒタと迫ってくる。ここらが芸事の神秘である。
愛する者の死を哀しみ悼んで、楽曲を捧げる。
その曲が何百年もの間同じように演奏され、それを聴く者はみな痛惜の思いをしみじみと追体験する。
そういうものすごーくかっこいいことのできる天才的なアーチストが、かつて日本にもいたのである。かっこよすぎるぜ。
百間先生の「残月」も、ぜひ一度「残月」を聴いてからお読みください。