茗荷を食べるたびについ
富貴というも草の名 冥加というも草の名
と口に出してしまう。地歌『菜蕗(ふき)』の歌い出
し。
よく知らない頃は地歌→女の情念→陰々滅々うっとう
しい、と思っていたのだが、実は地歌の歌詞には洒落
た文句が多い。
品格と俗っぽさが程よいバランスで共存していて、日
本語の音(おん)がとっても練れている。歌うための
テキストだから当然だ。
でも『声に出して読みたいなんちゃら』からは地歌の
みならず謡曲・浄瑠璃・長唄といった歌謡関係がごっ
そり抜け落ちている。なにか意図があるのか。あるい
は近代的教養は釈迦掌上の猿のごとしか。
茗荷という字は草かんむりに名を荷うと書きますな。
昔お釈迦様のお弟子で槃特(はんどく)さん、このお
方は生来愚かにつき自分の名を覚えることができぬ。
そこで大きな板切れに自分の名を書いて、これを背負
うてお歩きになった。
ご修行の甲斐あって遂には立派なご出家となられたが
、このお方のお墓の周りに自然と草が生えだした。
この草の名を茗荷という。
そこで草かんむりに名を荷うと書いて「めうが」と読
む。
またこの茗荷を食べると物忘れをするとも言いますな
。
上方落語「八五郎坊主」。
私も子供の頃「茗荷を食べ過ぎると頭が悪くなる」と
言われてビビったものだが、こういう伝承は関西文化
圏だけだろうか。
以上、茗荷を食べるたびに繰り言して家人に嫌がられ
る「茗荷こぼれ話」でした。
小沢健二を聴くと、主に大学時代の、あまり思い出し
たくないような甘しょっぱい感じ(具体的な個々の事
件というよりはそういう感じ)が呼び起こされて、尾
てい骨がウヒャウヒャこそばい。
私はオザケンと大学で同級生であった。専攻は違うが
。
レポートか何かを提出に来たらしい姿を遠くから一度
だけ目撃したことがある。
同世代の集まる場で「実はオザケンと同級生」と言う
と場が盛り上がったものだ。
少なくとも「舛添要一の授業に出たことがある」と言
うよりも盛り上がった。
ただそれだけのことだ。
私は武豊と同い年である。
年収に天文学的な差があろうが、妻が佐野量子でなか
ろうが、年齢だけは同じである。
それがどうしたというのだ。
と訳の分からぬ思念が涌き出づるぐらい、どうも体調
がいまいちである。まあライフスタイルを考えれば当
然の報いである。
心がけてちょいと運動をすればたちどころによくなる
と思うのであるが、あいにく私は運動が嫌いである。
できるだけ楽して楽になりたい。
そこで生まれて初めて鍼灸院に行ってみた。
鍼は初めてなので「今日はまあこんな治療をしますよ
というのをお見せするぐらいにしましょう」とのこと
。
まずあちこち触ってどんな状態か探っていただく。
チョイと押してもらうとビリビリビリときて、恥ずか
しい声が出そうになるぐらいイタ気持ちよい。
うーむ、いくら力と心を込めて按摩してもらってもツ
ボを知らぬ素人ではこうはいくまい。
首・肩・腰に十二三本ハリを打った後で、わしわしと
マッサージをしてもらって終了。
「どうですか?」と言われて起き上がると、体が軽く
なったのはまあ分かるとして、景色がぽかんとはっき
り見えるようになったのにびっくり。凝りがほぐれる
と視神経がリフレッシュするのであろうか。
お茶をいただきながらお見立てを伺う。
呼吸器が弱いタチなので、肩がすぼまって前傾姿勢に
なりがちです。胸を開くような姿勢を心がけて、肩が
すぼまってきたら疲れてるんだなあと思って仕事をセ
ーブしてください。
背中をお風呂でよくあっためるように。
胃腸には自信があると思いますが(その通りです)、
呼吸器への影響が大きいのでくれぐれも消化器は冷や
さないように。
特にお刺身を我慢すること。
「時々生魚をものすごーく食べたくなる時があると思
いますが、そういう時こそ体が弱っているので我慢し
てください」
ショーック。実は前夜、生魚をものすごーく食べたく
なり、残業帰りに回るお寿司を詰め込んだばかりなの
であった。
「そうするともしかして生ビールとかも」
「キンキンのをゴクゴク一気飲み、みたいなのは最悪
ですね。お酒なら日本酒をお勧めします」
そうですか。刺身でキンキンでゴクゴクがだめなんで
すね。
とほほほほほほ。
マスター。BGMは「夏をあきらめて」をお願い。