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2004年11月 アーカイブ

2004年11月 2日

わたしはシルビアです。フェローラに住んでます。でも仕事はボローニャなんです。

11月1日(月)
 11月になる。朝起きて、あとカレンダーがふた月で終わるのだと実感する。
 なんだかまた切なくなる。ことしは、いつもより速いペースではまるドラマ。

10月31日(日)
 一夜明けて、朝から下川正謡会、秋の練習会。
 初っ端は朝一の『吉野天人』のワキ(そして地謡)。
その後、『吉野天人』の地謡、『船弁慶』のワキツレ、仕舞『熊野』、
『安達原』の地謡に出させていただく。

 なにがどうなのだとは、どうもよくわからないのですが、
おもしろく、心地よく、気持ちいい。

いまここにある、すべてのことに感謝。ありがとうございました。

 そして10月が終わるのである。

10月30日(土)
 大学祭二日目。演武会。
 昨日よりも、どどどどーと賑やかになり、わたしの緊張もどこへやら。
(結局祭り好きということか?人数が多ければ多いほど盛り上がる)。

 ところで、昨日のわたしは、いつもより小さくみえたらしい。(伝聞)。
サイズは「リトルうっきー」というところであろうか。
しかし一日経てば、ちゃんとサイズがもとのとおりに大きくなるばかりか、
いつも以上に膨張し、態度まででかくなっていたらしい。(さらに伝聞)。

激しく暑い演武会後は、そそくさと撤収し、そのまま打ち上げ。
熱い先輩、厚い後輩、暑い仲間に深く感謝。
どどどんがどん。あー楽しかった。

10月29日(金)
 大学祭。一日目。
いつになく緊張する。
緊張することもある。しかし、これまでのとは、どこか質の違うものだった。

10月28日(木)
 切羽詰まる。
「切羽」。それがあるのは太刀。
ああ、ほら。太刀取りの時間だよ。

10月27日(水)
 しんしんと一日が過ぎてゆく。

10月26日(火)
 だめだなあ、このままでは。
なんとかしなくっちゃ、なんとかなるように。

10月25日(月)
 うっかり観た『ラストクリスマス』。
でも、挿入歌が懐かしいものばかりなので、耳にたいへん心地よい。
結局芝居のうまい人のドラマは安心して見ることができるので、
また来週もチャンネルを合わせてしまいそうである。
ところで、昔の歌はよかったなと思う。

10月24日(日)
 ここのところ、毎週誰かが消えていく(死んでいく・殺される)『新選組!』。
 たまたま偶然のことなのだろうけど、画面に映るのは、本業が役者のひとばかりでは
ないので、ほかの仕事が忙しいのだろうか?と筋違いな想像をしてしまう。

来週もまた誰かが表舞台から消える。
しかしまあ、顔が余り好きではない役者なので、
そのひとたちが消えても個人的には何の問題もない。
とまた、筋違いな納得をしてしまう。

それにしても最後まで耳障りなアクセントで、かなりぎこちない土佐弁を話し、
最後まで清潔感のかけらもなかったよなあ。今回の坂本龍馬の人は。

10月23日(土)
 地震、雷、火事、親父。
 やっぱり昔のひとは正しいのだろう。
ただただ、これ以上被害が大きくならないことを祈ることしかできなくても。

10月22日(金)
 わたしはシルビアです。フェローラに住んでます。でも仕事はボローニャなんです。
 毎朝、月曜日から金曜日まで自転車に乗ってフェローラ駅まで行きます。
 そして、3番ホームから出発するボローニャ行き、7時53分の電車に乗るんです。

10月21日(木)
 夕刊を見たら、いつ沈むともいえないボートの上で、
昨日の台風の被害から助けられた数十人のひとたちが、
 救助隊の助けを待っている姿が掲載されていた。

 誰が撮ったのかは知らないけれど、泥水のうえを行くボート。
しかし、それは浸水してきた水から逃れるために、
バスの屋根の上にあがり、乗客が避難している姿だった。

偶然にも乗客には年配の方が多かった。
 なぜか戦後の日本はこんな風ではなかったのかと思ってしまう。
もう一度考え直せということなのだろうか。

2004年11月 9日

エルビスと野口英世

11月8日(月)
 ちょっと腕が痛い。

11月7日(日)
 節度、程度、限度。どれが一番大事なのかと思う。

11月6日(土)
 いつもより早く起き、掃除、洗濯、布団干し。部屋の片付けは無限大。
 
がんがんかけるプレスリー。がんがんはかどる掃除機隊。
くねくね踊るわけではないが、調子に乗ってどこまでも。ついでに床まで拭いてみる。

「そうだ、ご飯だ」と思い立ち、今度は飯を炊いてみる。
そして気づいた朝食は、まだだったのさ、チョーショック。
あわわわわあと、そそくさ食べて、さらなる音楽、今度は静かに。しばし休憩。

かかる電話で気づく時間。
「おおおー!あわわわわあ」とすこし慌てて仕度する。
よっこら荷物を携えたならば、自転車サドルにまたがって、ペダルこぎこぎ大学へ。

土曜の午後は合気道。
三度のメシより受身が好きで、そんな自分を改めて、思い返して周りを見れば、
よき師、よきひと、よき場に恵まれ、心地よい秋の日差しがまぶしくて。
きょうはいい日になりそうだなあと、思った頃にはお稽古終了。

稽古が終われば、さささと戻り、荷物を置いてお買い物。

 そうそう、きょうは、おいちゃんの、年に1度のバースディ。
何度目だったか、バースディ。おめでとうだよ、バースディ。

 愉快なことはよきことで、やはりきょうはいい日です。

11月5日(金)
 漱石が好きなのにな。

そんなことを今更言っても仕方ないのかもしれないが、
いましか言えないことなので、いまここで、言っておこう思う。

漱石が好きなのにな。

改めてこんなことをいう気になったのは、漱石が、漱石の作品が好きだから、
ということに、いま改めてきづいたからである。単純な理由だ。
それに気づいたのは、「漱石が好きな」ことに改めて感じたのは、
漱石ではない誰かが嫌いであることに気づいたことによる。

いや、実際はずっと前から、そう幼かったあの頃から、ずっとずっと嫌いだったのだ。
それをとくにこれまで、声に出して言うことなく過ごしてきたのが、いまここにきて、
どこかで急にスイッチが入ったみたいに、勢いづいて口から出てきてしまったのだ。
まるで映画を観に行ったはずなのに、気がつけば居酒屋のカウンターで関係のない話を
喋り捲っているみたいに。

言いそびれたままになっていた嫌いな誰かは細菌学者の野口英世。

別に何か直接の被害をこうむったわけでも、間接的に邪魔されたわけでもないが、
わたしはどうも幼い頃から野口英世が嫌いであった。理由はわりといろいろあって、
いろいろな話がある。まあ簡単に言えば生き様が好きではない。顔が好きではない。
しかし、わたしの趣味思考や好感などとはまったく関係のなく、今月はじめ、
彼は日本銀行が発行する千円札紙幣の顔になってしまった。

これは厄介である。

なぜ厄介なのか。嫌いなものと、身近に接することになるからである。

「じゃあ千円札を持たなければいいじゃないの?」と、言われるかもしれない。

それは正論であるだろう。事実だけ優先すれば、そういうことになるだろう。

しかしそれは難儀ですぞ。

持たないように過ごそうとしても、思うに現実的には、
そういつも「懐には福沢諭吉や樋口一葉ばかり」というわけにはいかない。

また、たとえそのような状況があり、許される場合があったとしても、
壱万円や五千円札を使えばお釣りになるのは、おそらく千円札だと予測される。

ならば、と手元に届いた千円札を、毎度じゃらじゃらと、五百円玉や百円玉の硬貨に
両替でもすればいいではないか、ということになるかもしれない。だが、そんな気力は
端からまったくなし。頼まれても、しやしないでしょう。そんなことをしていたら、
財布ばかりが重くなるし。

さて、現実の日が来て新札になった野口英世の顔が手元に届く。

「あーあ、こんなお札に変えちゃうなんて、政府もひでーよ」などと、
つまらぬ駄洒落のひとつでも言わせてちょーだい。

すこしばかりの救いがあるなら、初めてそれを見た日、わたしはそれらが、
当然だが新札のそれらが、すこし紙の質が変わったように感じたことに喜んだ。
 しかし同時にそれが見るからに「おもちゃの紙幣」に映ったことに、
いくらかの哀しみを覚えたことも付け加えておこう。

やっぱり漱石が好きなのにな。

 あの顔がよかったのにな。
いっそのこと、全部の紙幣を文学者にすればよかったのにな、と、そんなことを思う。

午後は授業サボって河合隼雄を聴きに行く。

11月4日(木)
 がんばんなさい。

11月3日(水)
 京都は二条城の市民茶会にて、一席をいただく。
茶会は久々の感覚。と言っても今回は、籔之麹流とかいわれる初めて見せていただく流派なので、裏千家しか経験のないわたしにとっては、見ながらに、ところどころ所作の違うところがあるくらいしかわからない。でも、共通するようでさまざまな動きがあり、おもしろかった。同じく、野立てでも一席をいただき、終われば天心をもぐもぐ、ずるずる。

その後、秋のうららかな心地よい日差しを受けた二条城の庭を歩き、鶯の床をばりばり踏んで、城を拝見し、そこをあとにする。

そのまま、新京極にて好物のうなぎを食するが早いか、京の街をぶらぶらと歩く。
やはり何度も思うことなのだが、京都というのは、ワンブロックとワンブロックの間の距離がとてもとても長く感じる街並みばかりである。

日もどっぷりと暮れて、夜の平安神宮で夜間拝観のため、初めての場に足を踏み入れる。
おみくじをひいた。吉。きち。キチ。まあまあよい感じである。

さらに高台寺を夜間拝観。水辺に移る寺や木々がライトアップされた光に照らされ、なんとも言えず美しい。夜しか来たことがない、例によって京都初心者であるが、とてもきれいだった。昼はどんな景色が見えるだろうか。いまは紅葉する前のもみじの頃だが、赤になれば、きっとさらにたくさんの人が来るのだろうなあ。

そのままてくてくと歩き、円山公園を拝観。周辺を歩いて歩いて歩いて歩いていると、「御陵衛士屯所跡」の碑の前に辿り着いていた。いや偶然なんだが、月真院の前(東山区下河原町)にいたことになる。昨日『新選組!』で観たばかりの場所だったので、ついついよくわからぬ興奮をしてしまう。「ああ、甲子太郎や…無念。ナムナム…」。

さらに歩いていると、橋爪功らしき人物が『迷宮~』とかいう番組の撮影で京都にいた。
同行のひとたちは、よく見えなかったらしいが、わたしは、たしかに橋爪さんの横顔をこの目でしかと見たのである。

またさらに歩いて、メインストリートに出る。みたらしだんごを食べる。
じつは並ぶのは、修業と思う以外にまったく好きなことではなく、みたらしだんごも同様、できれば食べたくないものなのだが、これは別格であった。並んでもよし、食べてよし。じつにうまい。ほんとに。

そして、今度は木屋町通りへ。歩いていると、「本間精一郎遭難之地」の碑石を見た。現在では、その横に占い師が構えている。(なぜだ?)しかも時間ごとに、占い師が変わっているから不思議だ。

本間精一郎というのがどういう誰だったか、たしかな記憶がなかった。(気になって、うちに帰って調べてみると、「京都木屋町で土佐藩士武市半平太の謀計により、岡田以蔵等の兇刃に斃れた」人物だった。「文久二年(一八六二)精一郎二十九歳、初秋の秋の夜のできごと」らしい。志した高くして亡くなったのだろうか)。
木屋町では、「成仏してください」と手だけ合わせてはみたが、考えてみれば、京都の街にはそういうひとたちの魂が、たくさんおよいでいそうである。いつぞやの『新選組!』(ばかりを挙げて申し訳ないが)にも、出ていた気がする。時代の波はいつだって、よきことと思い、正しく進む人たちの思いばかりが正しく働くとは限らない。

ところで、京都市役所の道路をはさんで向かいにある京都ホテルオークラの前に建てられた桂小五郎の銅像は、いったいぜんたいなぜにあんなところにあるのだろうか。

京都とはその場にいながら、時間だけ、瞬時に違うところに運んでくれる空間を持つ不思議な場所がたくさんある。さらに謎はふかまるばかり。さらに興味は増すばかり。

11月2日(火)

都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
この侘しさは何ならむ。

大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌。

かなしみうれふるこの心
いはれもなくて涙ふる。
うらみの思あらばこそ。
ゆゑだもあらぬこのなげき。

戀も憎もあらずして
いかなるゆゑにわが心
かくも惱むか知らぬこそ
惱みのうちのなやみなれ。

「都の雨の降るごとく」ポール・ヴェルレエヌ

2004年11月17日

「にっさり」わらう

11月15日(月)
 わりと月曜日。

11月14日(日)
 ここに居住してから、いくらかの歳月が経つ。何度かの選挙があり、何度かの投票をした。
きょうは、西宮市長選挙と市議会議員選挙があったらしい。先日から、辺りをうるさく走り回る車があったので、きっと今日だったんだろう。しかし昼すぎまで集中していたことがあり、選挙のことはすっかり忘れていた。当然、行くことなど頭にない。
ところが、こういう時に限って、思い出す。投票所となる場所の近くに、ふとクリーニングに出したまま預けっぱなしの服があることを思い出すのである。だから、引き取りに行くついで、結局投票に行くことにした。

 午後もすっかり慣れ、昼の日差しが暖かくなる頃、芦屋の体育館へ。
 三周年を迎えた合気道芦屋道場の演武会にお邪魔する。合気道を教えている、かなちゃんのところである。

 演武は、どのひともたいへんに真面目に、きちんと演武されていた。通っているこどもたちは、おそらく演武会も、誰かの前で技をみせることも、初めてのことなのだろうし、多くのご家族が見守る中、いくらかの緊張もあっただろう。しかし、誰も怪我なく、大きな事故もなく、無事に演武できていた。それはほんとうによかったと思う。

こうなるまでには、おそらく、とても多くの苦労や出来事などがあったのだろうなあと、本日仰せつかった司会者の特等席で、演武を拝見しながら思う。そして、改めて感じる時間の長さと大切さやその過程もまた。

三周年、おめでとうございます。

11月13日(土)
 合気道の稽古で身体と頭を使う。

 きょうは指導の日になっていることが予めわかっていたので、初めて稽古に行く前に、テーマを決め、技を決め、手順を決め、時間配分に気を配って出かけた。
道場では心地よく、愛想良く、舌も滑らかいつも以上に説明した・・・つもり。

稽古の手順としては、前に出て何かの技をしてから、説明をする。

その後、実際に相手と組んで稽古をしていると、「あ、さっきのはこのほうがいいな」とか、「こういう風に言えば、さらにわかりやすいな」とか、「こんな場合は、どうするんだろう?」と、予め用意してきたものとはどんどん変化していく。頭からはじゃんじゃん指令が聞こえてくる。

身体は動かしてみて初めて頭とリンクするんだあああと、何度目かにしてまた改めて気づいた・・・つもり。要するに、身体を動かして何かをやっていると、大波が浜辺をかっさらうかの如く後知恵が付いてくる。

机上ばかりではできないことがいろいろある。と、また学ぶ時間だ。

11月12日(金)
 坂を下りていたら、背後から何度も咳払いをする音がした。

姿を見なくても、その音を聞いただけで、発声地点までのおおよその距離も、それが誰の「咳払い」なのかも、瞬時にわかる。それくらい特徴的なものだった。そしてどうやら、その音の聞こえる方向から、わたしと音の発信源まで距離は、一定に保たれているようである。

また坂を下りていたら、背後からぶーんと音がした。

 後ろを振り返らなくても、それが車の音だということも、既に表は暗く、ライトをつけていることも、瞬時にわかる。それくらい特徴的なものだった。そしてどうやら、その音はだんだん大きくなってくるので、わたしと音の発信源までの距離は、一定に保たれることなく、だんだん詰め寄られているようである。

 次第に近づいてくる音の通る道を避けるため、それまで歩いていた場所よりも、すこし左側に寄って歩く。

すると、ガラス戸の内側を「コンコンコンコン」と叩く音がした。
いつになく威勢のいい音である。丈夫な爪だ。

「コンコンコンコン、コンコンコンコン」

ガラス戸の向こうに見えた姿に、わたしは、
どういうわけかうれしくなって、にっこりと笑う。

そのにっこりに対して、どう見ても、どう考えても、
「にったり」が返って来る。(「にっさり」ではない)。

ほんのちょっぴり、そんな気はしていたのだけれど。

でも、それほどまでに、わたしの顔は愉快に見えるだろうか?
というのはウソで、「にったり」のあとは、「にったり」そのものが
だんだんこちらに近づいてきた。

11月11日(木)
 木曜の朝は本当の雨。

11月10日(水)
昨夕いきなり、よくわからない事態を突きつけられた。
その事実確認と事態を把握するため、きょうは走り回る。

出来事の内容は、単純といえば単純なこと。
だから、場合によっては、「やれやれ、困ったことだよ」などと、
たとえ表面上だけでも静かに過ごせることもできたのであろう。

しかし事情を複雑にして、先方は、そのまま事態を
見過ごしてしまおうとするので、わたしは、まっすぐに、
いつ爆発するともしれない怒りを覚えたのである。

ほんとうに久々に感じる腹の立ち方であり、
苛立ちの感触であり、悔しさである。

かといって、感情を露にして叫び出しても、
おそらく時間もことばも無駄なので、叫ぶのはやめ、
できるだけ感情を抑制させながら、かなりまわりくどい
事実確認ばかりして話を別方向に向ける先方に、如何にして
こちらの主張をスムーズに伝えられるかということに専念した。

こういう日は、できるだけ静かに過ごす方がいい。
沸き起こった怒りのエネルギーを身体の奥底に抱えたまま、
いつ何時、暴力的な方向に走ってしまうともしれないからだ。

静かに、静かに、心を落ち着ける。

静かに、静かに、時を過ごす。

静かに過ごすうち、静かなときはやがて、
自身の猛省へとつながってゆく。

11月9日(火)
 火曜日の夕方は雷。

2004年11月23日

カンコントウじゃなくて、葛根湯ね

11月22日(月)
 こんぴら船船 追手に帆かけて シュラシュシュシュ
 廻れば四国は讃州 那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度廻れば

11月21日(日)
着物を着て歩くと、それはそれで結構優雅な心地になれるのだが、いかんせんその状態になるまでが難しい。

今日は、「短期集中着付け実践講座、ひとりで着られるようになりたいな」編を受けに行く。(筆者命名)。

朝目覚めたときに見た瞬間から、晴れ渡る空がなんともきれいで美しい。空気も澄んでいて、おいしそうだ。ああ、心地よい。こんな日は、うちじゃなくて表に出て、山にでも登りたい気分である。

しかしきょうは静かに室内稽古。

なんとかかんとか着付けをして、それらしい格好になる。カッコー。

要稽古および復習である。

簡単に何の手間隙もなくこれを着て、さらには生活していた江戸や明治の頃までの昔の人は、ほんとうに身体の使い方が、きめ細かかったのだなあとつくづく思う。

所作のひとつひとつだけでも、身体の不自由さを感じる現代人だが、着慣れると、きっとそのほうが楽だろうという気がする。洋服よりも、きっと。曖昧な確信だが、ずっと前からそう思ってばかりいる。だから、そうなると思う。「そうなる」とは、「着慣れるととてもよい」ので、そればかり着ているということである。

11月20日(土)
 昨日の興奮が抜け切らないまま稽古に行く。

いつもと違う感触は、遠く微かだが身体のなかに残っている。それが頭だけではないところだといいなあ。

11月19日(金)
 ここのところ、事情がよくなかったり、風邪をひいたりなどで、いまひとつ冴えない日々が続いていたが、なんとか講習会までには身体を整える。

 午後から甲野先生の講習会に出る。
久しぶりの先生は、また新たなる術をお持ちになってご登場された。先生のお教えくださる技や術の一部でもいいから、なんとか合気道で使えるようになりたいなあと毎回思う。今回は、「遊びをとる」ための取り方や、「追い越し禁止」ということばの意味を示す身体の使い方がたくさん出てきた。それの応用の技がわんさかわんさか。

「ああ、すごいなあ」と思うばかりで、甲野先生に何かの技を体験させてもらうのが精一杯。即座には実践に至らないが、なんか、ちょっとでもいいから、どこかで使えるようになりたいなあと切に思う。今回は、動く時に空中で均等に足を浮かせる動作をできるようになりたいなあと思う。使えると身体がもっとスムーズになるだろうなあ。

 今回は格別すーっと、身体がここちよくなる瞬間が多々あった。
なかでも一番気持ちよかったのは、「浮きながら沈む」のと同時に「追い越し禁止」を使われることによって応用されたことによる、あの「抱っこ」される瞬間である。

身体中に何ともいえない浮遊感があった。高いところにあがるのは気持ちいい。なんか興奮している。おそらく無邪気だったこどもの頃を思い出す。こどものころというのは大事だ、とだんだん思いがひろがっていく。

11月18日(木)
「風邪の初期症状にはカンコントウと睡眠と仕事をしないこと」

11月17日(水)
「風邪の初期症状にはカンコントウと睡眠」

11月16日(火)
「風邪の初期症状にはカンコントウ」

2004年11月29日

それにしても食べる記述が多いウッキー日記

11月28日(日)
午後は恒例「いなごーず」の会に出席。

これは数年前に一緒に屋久島に出かけた仲間の愛称である。出かけたご縁で以後も年に数回、誰からともなく声を掛けては集まり、集まっては食べている。そう「食べている」。

会の名称は、「いなごのようによく食べるから」というのがだいたいのところだと思うが、なかには胃の小さいひともいて、そうたくさんは食べられない。けれど、そういうひとはそういうひとなりに、各人の持つ胃の許容範囲の限度を毎回越えて食べているように見える。あるいは食べなくとも、飲んでいるように感じられる。結果として、冷蔵庫が空になっているのは同じ、ということらしい。

わたしは前回、時間が合わず、欠席してしまったので随分久しぶりのメンバーである。だが、昨日会っても久しぶりに感じたり、5年ぶりにあっても昨日会ったように感じたりする個人的性質があるので、そんなに寂しい思いはない。今日は見事に全員出席。

変わったのか変わらないのか、変わらないのか変わったのか。

話題の中心は、明らかな時間の流れと共に、変わってゆくのは個々人の環境。変わらないのは、間断なく食べながらノであることだ。「別腹」とか「時間」とかいう問題ではない。

すべての食材を見事に食べつくしたころ、感謝して、にっこり記念撮影。

次回は来年に行われる予定。ノだよね?

11月27日(土)
午前中は合気道の稽古に行く。
恐ろしいほどいい天気。いい天気なのは結構なことである。そのままふらふら、どこかに出かけるには最高のお天気だ。いいわね、秋の空。

さまざまな課題と思いを抱え、稽古が終了する。
今日はまた、技がまったくかからない、できない、ぐちゃぐちゃになる状態が一段と強くなっている。「このままいったらどうしようかノ」とめずらしく不安になるが、「ま、そういうこともあるよな」と現状をだらりと受けとめる。

いったんうちに戻り、荷物置く。
簡単に荷物をつくって、また電車に乗るべく準備する。

これから、先日急の呼び出された家族会合の席に、行かなければならないのである。

しかし出掛けに、さっきまでたしか手にしていたはずの定期を見失ってしまっていることに気づく。さっきまで、それを使って電車に乗って戻ってきたそれがないのである。

ほんの数十分ほどの間に、どこにやったのか、どこに置いたのか。まったく記憶も覚えもない。うちのなかで歩いた場所、動いた場所、来ていた服、持っていた鞄などあらゆるところを探し回る。探し回ること数十分。だんだんと予定していた電車に乗らなければならない時間が近づいてくる。そして、その時間すら過ぎてしまう。

また遅刻だ。どうもこのところ実家に帰るとき、おおよそでも帰る時間を告げると、必ずそれより遅れてしまう。たとえわたしが遅れなくても、電車が遅れる。どういう仕業か、何の加減かそうなってしまう。いったい何の無意識か。ここしばらくの傾向だ。

数十分して、ようやく見つかった定期をしっかり持って電車に飛び乗る。だが、到着するのはおそらく約束には完全に遅れる時間である。

ただたんにうちに帰るのなら、そんなに罪悪感も生まれはしないのだが、きょうに限っては予約してある場所に出向かなければならないため、ちょっと悪いなあと思うのである。

電車を乗り継ぎ、なんとか笑って誤魔化せる許容範囲の時間に滑り込みセーフだなあ、と思いきや、今度はJRの駅で清算にひっかかる。いつもと違う駅で、時間的に利用者のとても多い清算機に並ばなければならない。しかもこんな時に限って、わたしの前には、悠長にICOKAのチャージをしているひとびとが数名いる。ああ、ああああああ。なんともかんとも。

そうしてまあ、久しぶりの家族顔合わせ。なかなかよろしい。おいしい。

その日は実家に戻る。眠ったのは、かなり夜も更けた頃。別に誰が何を話していたわけではない。それぞれの時間を好きに過ごしてはいたのだろうけれど、満足と満腹と新しい感覚で、少々眠るに眠られなかったこともある。

11月26日(金)
 大阪の街は夜になればなるほど、きれいに映ることがある。

 天ぷら、すごくおいしかったです。

11月25日(木)
 25日という日は、なんだか気になる。

11月24日(水)
「どうして、誰かと食べるご飯はおいしんだろうね」。

「そりゃもちろん、ひとりで食べるより愉快だからさ。たくさんいろんなモノが食べられるし、会話が弾むし。ときにはその食事によって、その後の関わりも良好になったり、関係が修復されたり、いい出会いになったりすることもあるからじゃあないの。ま、情報交換の場。それでいて、楽しいからじゃないの?まあ全部が全部そうだとは言えないかもしれないけどさ」。

「でもね、ひとりで食べたっておいしいよ。自分が好きなものを、食べたい時間に食べたい分だけ、食べたいように食べられて、おなかに聴けば、食べたいものは、ちゃんと教えてくれるから。『あ、きょうはこれだね!』なーんて思いながら、にこにこ笑って食べられる」。

「うん、そりゃあもちろん。そういうことも大いにある。実際そういうことって、よくある。いろんな食べ方がある。でも、ときには、誰かと一緒であるばかりに互いに食べたいモノがうまく一致しないで胃に負担がかかったり、食べたいはずのモノが食べられなかったり。とはいうものの、誰かと一緒だからこそ、食べるのがおいしいときっていうのもあるよ」。

「どんなとき?」

「ノうん。えーっとノそれはね」(ぐぐう?)。

「ん?どうかした?」

「ノえーっとノそ、それはねノ」(ぐぐぐぐぐうううう?)。

「???」

「あー。おなかすいた。話の続きはいっしょにご飯を食べながらにしない?」


11月23日(火)
「あの向こうに見えるのが讃岐富士ですよ」
「ああ、あそこに見えるのが。ああ、あれがそうなのね」。

金毘羅宮の傍にある展望台のうえで、晴れ渡る琴平の街を眺めながら、わたしは先生に言う。空には充分な青色が広がっている。上空には白い雲はほとんど姿を見せず、しわしわになって溶けかけた綿飴みたいにあるのがやっとだ。

どちらからともなくまた別の声が聞こえる。
「ここに、来た覚えがある」。
「わたしもあります。もうどれくらい前になるんでしょうねえ」。

声が出たその場所は、かつてそれぞれが訪れたことのある同じ場所である。同じ場所でも、記憶を頼りに思い出すことはまるで違う。そのとき一緒にいたひと、風景、出来事、音、流れ、空気、時間、場所。そしてまた、それを思い出すいまへとつながるまでの何か。そこに来たという事実だけが同じで、あとは全部違う。そのことを再び同じ場所で思う。空は変わらず青くきれいにひろがっている。


参拝をしたのち、なぜかわたしは陽気に石段を降りる。
降りながら、わたしの口から出てきたのは、「こんぴら船船 追手に帆かけてシュラシュシュシュ」だった。前半部分の記憶しか持たなかったその歌の後半を先生は続けて歌ってくださる。「まわれば四国は 讃州 那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわればノ」。
ただ最後の部分の音階が、長調なのか短調なのか、わからない。わからないなりにも音階が変わるということだけは確認できる。

ようやく目的地の金丸座に着いたのは、開演時間の三十分前だった。金丸座(旧金毘羅大芝居)とは、毎年春になる頃の「こんぴら歌舞伎」公演で知られている。ひょんなことで二度目の琴平に訪れた数年前、この存在をはっきりと知ったわたしは、以来行きたくて、観たくてたまらないのだが、まったくご縁がないまま数年を過ごしていた。

それが秋の頃の今、金丸座で古典芸能などを含む数々の公演が開催されているので出てきたのである。今回は、ことしの金毘羅宮の遷座祭にあわせて企画された催しのひとつらしい。題して「四国こんぴら花舞台」。きょうは、そのうちの狂言の日というわけである。

開演は午後二時だったので、早めに出かけて、付近で開催中の「金刀比羅宮のすべて」と金毘羅さんお参り計画を立てたというわけだ。


最寄るの琴平駅からいくらか歩くと、賑わう土産物屋があった。見覚えのあるそれらを横目に、ずっしりとした石段を登る。もう秋だというのにかなり厳しい日差しを浴びている。羽織ってきたジャケットは、すでに寒さを凌ぐ上着ではなく、おとぎ話を思い出すものへと、いつのまにか変わっている。

しばらく登り続けると、目的地の書院の前に来た。凄みのある看板には、大層気持ちのいい文字で「書院」と書かれている。全身から憧れを感じる書体だ。ああいう字を一度は書いてみたい。書けるのなら。ここ一年ほど書道がしたくてたまらない。

さらに歩を進めると、不思議な空間と重みと伝統のある表書院と奥書院があり、ゆるりと入っていく。ふんだんに絵や掛け軸や襖が並べられていて、その技法や技巧、部屋の造り、建物、庭などを拝観しながら、それらがこれまでここにあることの贅沢さや背景、季節の変化、庭の美しさについて、さまざまに想いをめぐらす。吸い込まれるような画を記憶しながら、興味深い書院での時間を静かに過ごしていくうち、だんだん静かになってゆく。

ところで、今回125年ぶりと謳われた奥書院は、次またいつ「一般公開」されるのだろうか。ふとそんなことを思う。次回、庶民の目に触れるのは、いつのことになるのだろうか。まだ見ぬ未来と過去の遺産、偶然目にした現在の通過点にいる者の記憶が、ひとり勝手に絡まりあう。

そうそう、話しは金丸座のことであった。

板張りでできた建物の小さな扉を開けてくぐると、そこはたいへんに力強いつくりの柱や床や階段があり、庶民の楽しみを一層格調高く凝縮したかのような観客席。正面の舞台に向かって、建物の左右にはずらりと障子が備えられ、全面的に解放されている。透き通るような風が随分涼しげに吹き抜けていく。建物の四方には、ずっしりと建てられた柱。二階席もまた賑やかである。「アリーナ」のような1階の観客席は、全席自由の舞台とはいえ、やはり伝統的日本の舞台も同じ仕組みなのだろうか、どこか特別席のようである。三十分前に着いたが、早くも会場は満席に近い。運良く、よさそうな場所を見つけて、すかさずそこに胡坐をかくようにして座る。

舞台に備えつけられた海老茶色の幕は、手動というあたりがまた何とも風情があってよい。開演時間になると、人の手で本当に「幕が開く」。

茂山一門による狂言「蝸牛」(山伏:千三郎、太郎冠者:宗彦、大名:逸平)、「素袍落」(主人:茂、太郎冠者:千作、おじ:七五三)、「靱猿」(大名:千五郎、猿曳き:千之丞、太郎冠者:正邦、猿:黒川亮)を鑑賞し、笑い転げること数時間。

「蝸牛」は茂山家お得意芸だけあって、「でんでんむしむし?でんでんむしむし」の息は、ぴったりである。三人の掛け合いの場面には何度も笑う。何度見ても笑える。知っていても笑える。見るたびに違うからそれがまたいい。手前勝手に贔屓の逸平くん、その兄上の宗彦くんも元気そうで何より。

「素袍落」は茂山千作さんの太郎冠者が断然光っている。「千作が太郎冠者か、太郎冠者が千作か」と言わせる凄さをお持ちの方だけに酔っ払う太郎冠者は「抜群の酔っ払い」である。こっちまで「うぃ?」と御酒が飲みたくなる。おなかは空いてくる。しまいには、身体が、だんだんとふらふらしてきて、飲んだあとの独特の浮遊感に誘われる。太郎冠者と掛け合いをするおじ役の七五三さんですら、このときばかりは霞んでしまうくらいだ。

「靱猿」では猿の子役の仕草がかわいらしい。茂山一門の身内の方々については、おそらく誰もが一度は経験しているはずの役柄だけに、猿への目線が厳しくも暖かく真剣である。地謡についた方々はとくに、「見守っている感じ」が滲み出ている。そんななか、緊張した舞台をぱっと締まらせると、同時に渋さを効かせる千五郎さんの大名も実によい。泣きの場面は、すばらしや。

鑑賞後、しばらく笑い転げながら、わたしは先生と丸亀に向かう。琴平からことことと電車にゆられていく。どことなくJRになる前の国鉄時代の、極めて存在感の激しい音の立て方をする電車にゆられていく。シートももちろんあんな感じ。

丸亀で幸運にもお会いすることができた「史上最強の呉服屋の若旦那」さんは、今宵もまた最強の笑顔で登場され、暖かく歓迎してくださった。ご多忙中のとはまるで思えず、手前勝手なこの身を反省する。

澄み渡る空を見上げると、真っ暗な夜空には何の衒いもなく輝く月がある。黒と黄色の対比がきれいである。

この日一日、ずっとご同行してくださった先生がおられる。そして、ここにきている。その事実を振り返りながら感じるのは、何ともいえず素敵な時間のなかに溶け込んでいるわたしと、その「わたし」ってえのは、一体誰なのか、そのことばかりである。

それ以外は、ただただめぐり合わせられた不思議な時間に深く感謝して、すべて身に余る光栄であることに気づくのがせいぜいであった。しかし身に余るのだから、どうしたらいいのかわからず、身に余ってばかりで、結局どうしようもない。バカはバカなりに迷うものである。

空にも月にも大地にも、きょうという日にいたことも、すべてのめぐり合わせに感謝した。ほんとうに、すべてのことに。そんな気持ちでいっぱいになる。ここにいられる幸せを運んでくださったすべての方々に深く感謝して、手を合わせる。

あとひとつ記すべきは、昼に食べたうどんがうまかったこと。
ずるずる、ごっくん、ずるずるずるずると出てくるなり、威勢のいい音がした。ほかに聞こえるのは、店の方と早くも昼から陽気に飲んでいるお客さんの会話だけ。でも、それもうどんを食べているわたしには、ほとんど聞こえないも同じである。それまでの車中、あれほどしゃべっていたのが嘘のように、気づけば食べることに専念していたと思う。ああ、おいしい。うまい。うどんはやはり香川である。うどんはやはり香川である。うどんはやはり香川である。ほとんど無言のままにうどんをすすっていたら、あっという間に食べ終わっていた。何を隠そう、うどんは、わたしの好きなものベスト3なのである。(2004.11.22)

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