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それにしても食べる記述が多いウッキー日記

11月28日(日)
午後は恒例「いなごーず」の会に出席。

これは数年前に一緒に屋久島に出かけた仲間の愛称である。出かけたご縁で以後も年に数回、誰からともなく声を掛けては集まり、集まっては食べている。そう「食べている」。

会の名称は、「いなごのようによく食べるから」というのがだいたいのところだと思うが、なかには胃の小さいひともいて、そうたくさんは食べられない。けれど、そういうひとはそういうひとなりに、各人の持つ胃の許容範囲の限度を毎回越えて食べているように見える。あるいは食べなくとも、飲んでいるように感じられる。結果として、冷蔵庫が空になっているのは同じ、ということらしい。

わたしは前回、時間が合わず、欠席してしまったので随分久しぶりのメンバーである。だが、昨日会っても久しぶりに感じたり、5年ぶりにあっても昨日会ったように感じたりする個人的性質があるので、そんなに寂しい思いはない。今日は見事に全員出席。

変わったのか変わらないのか、変わらないのか変わったのか。

話題の中心は、明らかな時間の流れと共に、変わってゆくのは個々人の環境。変わらないのは、間断なく食べながらノであることだ。「別腹」とか「時間」とかいう問題ではない。

すべての食材を見事に食べつくしたころ、感謝して、にっこり記念撮影。

次回は来年に行われる予定。ノだよね?

11月27日(土)
午前中は合気道の稽古に行く。
恐ろしいほどいい天気。いい天気なのは結構なことである。そのままふらふら、どこかに出かけるには最高のお天気だ。いいわね、秋の空。

さまざまな課題と思いを抱え、稽古が終了する。
今日はまた、技がまったくかからない、できない、ぐちゃぐちゃになる状態が一段と強くなっている。「このままいったらどうしようかノ」とめずらしく不安になるが、「ま、そういうこともあるよな」と現状をだらりと受けとめる。

いったんうちに戻り、荷物置く。
簡単に荷物をつくって、また電車に乗るべく準備する。

これから、先日急の呼び出された家族会合の席に、行かなければならないのである。

しかし出掛けに、さっきまでたしか手にしていたはずの定期を見失ってしまっていることに気づく。さっきまで、それを使って電車に乗って戻ってきたそれがないのである。

ほんの数十分ほどの間に、どこにやったのか、どこに置いたのか。まったく記憶も覚えもない。うちのなかで歩いた場所、動いた場所、来ていた服、持っていた鞄などあらゆるところを探し回る。探し回ること数十分。だんだんと予定していた電車に乗らなければならない時間が近づいてくる。そして、その時間すら過ぎてしまう。

また遅刻だ。どうもこのところ実家に帰るとき、おおよそでも帰る時間を告げると、必ずそれより遅れてしまう。たとえわたしが遅れなくても、電車が遅れる。どういう仕業か、何の加減かそうなってしまう。いったい何の無意識か。ここしばらくの傾向だ。

数十分して、ようやく見つかった定期をしっかり持って電車に飛び乗る。だが、到着するのはおそらく約束には完全に遅れる時間である。

ただたんにうちに帰るのなら、そんなに罪悪感も生まれはしないのだが、きょうに限っては予約してある場所に出向かなければならないため、ちょっと悪いなあと思うのである。

電車を乗り継ぎ、なんとか笑って誤魔化せる許容範囲の時間に滑り込みセーフだなあ、と思いきや、今度はJRの駅で清算にひっかかる。いつもと違う駅で、時間的に利用者のとても多い清算機に並ばなければならない。しかもこんな時に限って、わたしの前には、悠長にICOKAのチャージをしているひとびとが数名いる。ああ、ああああああ。なんともかんとも。

そうしてまあ、久しぶりの家族顔合わせ。なかなかよろしい。おいしい。

その日は実家に戻る。眠ったのは、かなり夜も更けた頃。別に誰が何を話していたわけではない。それぞれの時間を好きに過ごしてはいたのだろうけれど、満足と満腹と新しい感覚で、少々眠るに眠られなかったこともある。

11月26日(金)
 大阪の街は夜になればなるほど、きれいに映ることがある。

 天ぷら、すごくおいしかったです。

11月25日(木)
 25日という日は、なんだか気になる。

11月24日(水)
「どうして、誰かと食べるご飯はおいしんだろうね」。

「そりゃもちろん、ひとりで食べるより愉快だからさ。たくさんいろんなモノが食べられるし、会話が弾むし。ときにはその食事によって、その後の関わりも良好になったり、関係が修復されたり、いい出会いになったりすることもあるからじゃあないの。ま、情報交換の場。それでいて、楽しいからじゃないの?まあ全部が全部そうだとは言えないかもしれないけどさ」。

「でもね、ひとりで食べたっておいしいよ。自分が好きなものを、食べたい時間に食べたい分だけ、食べたいように食べられて、おなかに聴けば、食べたいものは、ちゃんと教えてくれるから。『あ、きょうはこれだね!』なーんて思いながら、にこにこ笑って食べられる」。

「うん、そりゃあもちろん。そういうことも大いにある。実際そういうことって、よくある。いろんな食べ方がある。でも、ときには、誰かと一緒であるばかりに互いに食べたいモノがうまく一致しないで胃に負担がかかったり、食べたいはずのモノが食べられなかったり。とはいうものの、誰かと一緒だからこそ、食べるのがおいしいときっていうのもあるよ」。

「どんなとき?」

「ノうん。えーっとノそれはね」(ぐぐう?)。

「ん?どうかした?」

「ノえーっとノそ、それはねノ」(ぐぐぐぐぐうううう?)。

「???」

「あー。おなかすいた。話の続きはいっしょにご飯を食べながらにしない?」


11月23日(火)
「あの向こうに見えるのが讃岐富士ですよ」
「ああ、あそこに見えるのが。ああ、あれがそうなのね」。

金毘羅宮の傍にある展望台のうえで、晴れ渡る琴平の街を眺めながら、わたしは先生に言う。空には充分な青色が広がっている。上空には白い雲はほとんど姿を見せず、しわしわになって溶けかけた綿飴みたいにあるのがやっとだ。

どちらからともなくまた別の声が聞こえる。
「ここに、来た覚えがある」。
「わたしもあります。もうどれくらい前になるんでしょうねえ」。

声が出たその場所は、かつてそれぞれが訪れたことのある同じ場所である。同じ場所でも、記憶を頼りに思い出すことはまるで違う。そのとき一緒にいたひと、風景、出来事、音、流れ、空気、時間、場所。そしてまた、それを思い出すいまへとつながるまでの何か。そこに来たという事実だけが同じで、あとは全部違う。そのことを再び同じ場所で思う。空は変わらず青くきれいにひろがっている。


参拝をしたのち、なぜかわたしは陽気に石段を降りる。
降りながら、わたしの口から出てきたのは、「こんぴら船船 追手に帆かけてシュラシュシュシュ」だった。前半部分の記憶しか持たなかったその歌の後半を先生は続けて歌ってくださる。「まわれば四国は 讃州 那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわればノ」。
ただ最後の部分の音階が、長調なのか短調なのか、わからない。わからないなりにも音階が変わるということだけは確認できる。

ようやく目的地の金丸座に着いたのは、開演時間の三十分前だった。金丸座(旧金毘羅大芝居)とは、毎年春になる頃の「こんぴら歌舞伎」公演で知られている。ひょんなことで二度目の琴平に訪れた数年前、この存在をはっきりと知ったわたしは、以来行きたくて、観たくてたまらないのだが、まったくご縁がないまま数年を過ごしていた。

それが秋の頃の今、金丸座で古典芸能などを含む数々の公演が開催されているので出てきたのである。今回は、ことしの金毘羅宮の遷座祭にあわせて企画された催しのひとつらしい。題して「四国こんぴら花舞台」。きょうは、そのうちの狂言の日というわけである。

開演は午後二時だったので、早めに出かけて、付近で開催中の「金刀比羅宮のすべて」と金毘羅さんお参り計画を立てたというわけだ。


最寄るの琴平駅からいくらか歩くと、賑わう土産物屋があった。見覚えのあるそれらを横目に、ずっしりとした石段を登る。もう秋だというのにかなり厳しい日差しを浴びている。羽織ってきたジャケットは、すでに寒さを凌ぐ上着ではなく、おとぎ話を思い出すものへと、いつのまにか変わっている。

しばらく登り続けると、目的地の書院の前に来た。凄みのある看板には、大層気持ちのいい文字で「書院」と書かれている。全身から憧れを感じる書体だ。ああいう字を一度は書いてみたい。書けるのなら。ここ一年ほど書道がしたくてたまらない。

さらに歩を進めると、不思議な空間と重みと伝統のある表書院と奥書院があり、ゆるりと入っていく。ふんだんに絵や掛け軸や襖が並べられていて、その技法や技巧、部屋の造り、建物、庭などを拝観しながら、それらがこれまでここにあることの贅沢さや背景、季節の変化、庭の美しさについて、さまざまに想いをめぐらす。吸い込まれるような画を記憶しながら、興味深い書院での時間を静かに過ごしていくうち、だんだん静かになってゆく。

ところで、今回125年ぶりと謳われた奥書院は、次またいつ「一般公開」されるのだろうか。ふとそんなことを思う。次回、庶民の目に触れるのは、いつのことになるのだろうか。まだ見ぬ未来と過去の遺産、偶然目にした現在の通過点にいる者の記憶が、ひとり勝手に絡まりあう。

そうそう、話しは金丸座のことであった。

板張りでできた建物の小さな扉を開けてくぐると、そこはたいへんに力強いつくりの柱や床や階段があり、庶民の楽しみを一層格調高く凝縮したかのような観客席。正面の舞台に向かって、建物の左右にはずらりと障子が備えられ、全面的に解放されている。透き通るような風が随分涼しげに吹き抜けていく。建物の四方には、ずっしりと建てられた柱。二階席もまた賑やかである。「アリーナ」のような1階の観客席は、全席自由の舞台とはいえ、やはり伝統的日本の舞台も同じ仕組みなのだろうか、どこか特別席のようである。三十分前に着いたが、早くも会場は満席に近い。運良く、よさそうな場所を見つけて、すかさずそこに胡坐をかくようにして座る。

舞台に備えつけられた海老茶色の幕は、手動というあたりがまた何とも風情があってよい。開演時間になると、人の手で本当に「幕が開く」。

茂山一門による狂言「蝸牛」(山伏:千三郎、太郎冠者:宗彦、大名:逸平)、「素袍落」(主人:茂、太郎冠者:千作、おじ:七五三)、「靱猿」(大名:千五郎、猿曳き:千之丞、太郎冠者:正邦、猿:黒川亮)を鑑賞し、笑い転げること数時間。

「蝸牛」は茂山家お得意芸だけあって、「でんでんむしむし?でんでんむしむし」の息は、ぴったりである。三人の掛け合いの場面には何度も笑う。何度見ても笑える。知っていても笑える。見るたびに違うからそれがまたいい。手前勝手に贔屓の逸平くん、その兄上の宗彦くんも元気そうで何より。

「素袍落」は茂山千作さんの太郎冠者が断然光っている。「千作が太郎冠者か、太郎冠者が千作か」と言わせる凄さをお持ちの方だけに酔っ払う太郎冠者は「抜群の酔っ払い」である。こっちまで「うぃ?」と御酒が飲みたくなる。おなかは空いてくる。しまいには、身体が、だんだんとふらふらしてきて、飲んだあとの独特の浮遊感に誘われる。太郎冠者と掛け合いをするおじ役の七五三さんですら、このときばかりは霞んでしまうくらいだ。

「靱猿」では猿の子役の仕草がかわいらしい。茂山一門の身内の方々については、おそらく誰もが一度は経験しているはずの役柄だけに、猿への目線が厳しくも暖かく真剣である。地謡についた方々はとくに、「見守っている感じ」が滲み出ている。そんななか、緊張した舞台をぱっと締まらせると、同時に渋さを効かせる千五郎さんの大名も実によい。泣きの場面は、すばらしや。

鑑賞後、しばらく笑い転げながら、わたしは先生と丸亀に向かう。琴平からことことと電車にゆられていく。どことなくJRになる前の国鉄時代の、極めて存在感の激しい音の立て方をする電車にゆられていく。シートももちろんあんな感じ。

丸亀で幸運にもお会いすることができた「史上最強の呉服屋の若旦那」さんは、今宵もまた最強の笑顔で登場され、暖かく歓迎してくださった。ご多忙中のとはまるで思えず、手前勝手なこの身を反省する。

澄み渡る空を見上げると、真っ暗な夜空には何の衒いもなく輝く月がある。黒と黄色の対比がきれいである。

この日一日、ずっとご同行してくださった先生がおられる。そして、ここにきている。その事実を振り返りながら感じるのは、何ともいえず素敵な時間のなかに溶け込んでいるわたしと、その「わたし」ってえのは、一体誰なのか、そのことばかりである。

それ以外は、ただただめぐり合わせられた不思議な時間に深く感謝して、すべて身に余る光栄であることに気づくのがせいぜいであった。しかし身に余るのだから、どうしたらいいのかわからず、身に余ってばかりで、結局どうしようもない。バカはバカなりに迷うものである。

空にも月にも大地にも、きょうという日にいたことも、すべてのめぐり合わせに感謝した。ほんとうに、すべてのことに。そんな気持ちでいっぱいになる。ここにいられる幸せを運んでくださったすべての方々に深く感謝して、手を合わせる。

あとひとつ記すべきは、昼に食べたうどんがうまかったこと。
ずるずる、ごっくん、ずるずるずるずると出てくるなり、威勢のいい音がした。ほかに聞こえるのは、店の方と早くも昼から陽気に飲んでいるお客さんの会話だけ。でも、それもうどんを食べているわたしには、ほとんど聞こえないも同じである。それまでの車中、あれほどしゃべっていたのが嘘のように、気づけば食べることに専念していたと思う。ああ、おいしい。うまい。うどんはやはり香川である。うどんはやはり香川である。うどんはやはり香川である。ほとんど無言のままにうどんをすすっていたら、あっという間に食べ終わっていた。何を隠そう、うどんは、わたしの好きなものベスト3なのである。(2004.11.22)

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2004年11月29日 08:15に投稿されたエントリーのページです。

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